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川が好き。山も好き。
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 最近の楽しみは土曜の夜の『男はつらいよ』寅さんアワー。自宅はBS契約していないので、実家に帰省している時に見る。邦画が好き、昭和が好き、人情もの好き、旅好きなのだもの、そりゃあ好きな映画になりましょう。

 ただ一つ、内容と関係ないところで、寅さんの、右手の薬指の指輪が気になってしまう。男の人がファッションとしてアクセサリを、まして独身なのに指輪を。悪いわけではないのだけど、なんか気になる。

 さて、わたしが年頃に初めて購ったアクセサリは肩こり用の磁気ネックレスであった。

  イミテーションリング左手薬指にはめて解き放たれる心地は

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 ハンバーグ。家の隣の畑からシソを摘んできて、千切りにしてこねこね。こういう感じ、ああ農家だなあって感じ。夏の味。ソースもトマト刻んで手作りしたよー。
 

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わたしの参加している結社の歌会では、歌会終わりに「歌集を読む会」という勉強会がある。一冊の歌集から好きな歌を一人三首ずつ選んで読む。先日の歌会では河野裕子さんの『森のやうに獣のやうに』だった。三首用意してあったものの、歌会が盛り上がって時間が足らず、駆け足で一首のみを読むことになった。

  わが髪の付きしセーターにふさふさと身を包み街を歩きておらむ

 と、いう歌をわたしは選んだ。街を歩いている恋人の身を包むセーターに、自分の髪の毛が付いている。相手の体に自分の一部が付いていて、それがなにかうれしい、というような気持ちが、ああ、わかるなあって。なにしろ駆け足だったので歌会では「変態っぽくて惹かれました!」とだけ発言して笑われてしまったけれど。

 短歌総合誌『短歌研究』からアンケート葉書きが届いた。「万葉集 私のこの一首」というものだった。正直に言うと、わたしは万葉集や古今和歌集や新古今和歌集や百人一首等々の区別が付いてない。有名な歌はいくつか知っているし、以前NHKで放映されていた『日めくり万葉集』なんて番組も毎日のように見ていたけれど、なんだかぼんやりしている。さてどうしよう、と思っていたら、自分の本棚に角川文庫の『ビギナーズ・クラシックス 万葉集』という本があった。助かった。
 持っていたのを忘れていたくらいなので、新鮮な気持ちで再読した。そうして選んだのは作者未詳のこの歌。

  朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき 君が手枕 触れてしものを

 朝の寝乱れた髪を梳かすまい、いとしいあなたの手枕の触れた髪だから、という歌である。ああ、わかるなあって。

 河野裕子さんにしても、万葉集にしても、どこか似たような歌に惹かれたと気づく、髪を詠まれたというだけでなく、なにか残り香のようなものをいとおしく思うような。そして、昔のわたしならこういう歌に目が止まらなかっただろう、とも思う。わたしも変わったなあ。

***
 イカとズッキーニの煮物に、千切りじゃがいもと玉ねぎスライスのカレースープ。


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 自分の写真が必要になり、少しでもうつくしく!との悪あがきでロケーションまで敢行して、奇跡の一枚を求め、ひくぐらいの枚数の自分の写真を撮った。
 撮影中、なにやら立派なカメラを携えた人が現れて「撮りましょうか?」と声をかけてくれたので、こんなプロっぽい人なら少しでもうつくしく撮ってもらえるかも!と、ありがたくお願いした。
 少しでもうつくしく撮ってもらえたかしら!と、見てみると、わたしではなく背景の眺望台がメインに撮されていたのであった。お約束ですなあ。
 あんまりたくさん撮ったので、たまたま実家に見えた伯母に3枚ほど押し付けた。縁談でもよろしくお願いいたします、の心持ちで。

 晴れた日に、雨で断念した祖父のお墓参りに行ってきた。ついでにおみくじを引いたら、大吉だった。うれしいことばかり書いてあってうれしい。祖父の加護をいただけたみたいだ。

 実家での療養も今日でおしまい。さびしい。もっと居たかったし、健康上もその方がいいのだろうけれど、明日、歌会なのだもの。

  墓二つ参って帰る 墓守りを生もうと思う あした雪降る

***

 ナポリタン。普通のナポリタン。
 
擬製豆腐。卵と豆腐を混ぜて焼いて切り分けます。具は桜えびと絹さやのみじん切りで彩り良く。

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女性作家の中には、敢えて独り身を貫く人も多いと聞く。恋愛や結婚によって感性が変わり、作風の変わってしまうことを防ぐためだという。

 わたしも、守りたいと思ってしまったのだ、さびしい歌を詠える自分を。

  あの時にわたしが「はい」とうなずけば始まっていたはずの幸福

***

焼きうどん。具は豚肉とキャベツともやし。

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 祖父の命日だった。せっかく祖父の命日に実家に居るのだからお墓参りに行きたかったけれど、生憎の大雨なので、家の仏壇を拝むに留めた。

 わたしの生まれる半年前に亡くなってしまったから、わたしは祖父という人を知らない。
 祖父は54歳だった。だから、自分の親が50代になった頃から、親はいつまでもいてくれるものではない、と親の死というものを意識していた。一人暮らしでも必要以上に頼らなかったし、親の方も元々放任主義なところがあって、だからだろうか、かつてのわたしは変に自立、自律しようとするようなところがあったように思う。それは親にだけでなく、他人に対しても。それが最も顕著に表れてしまったのが、東日本大震災で。

 実家で療養中である。あの頃もっと頼るということや甘えるということを知っていれば、していれば、ここにきて親の世話になる身になんてならずに済んでいたかもしれない。

 頼ってもよかったのだ。甘えてもよかったのだ。親にも、人にも。いつかいなくなるにしても、まだ生きているのだから。

  遺影しか知らない祖父の顔に似ているようで梶井基次郎を読む

***

レバニラ。絹さやと玉ねぎのすまし汁。

 

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 一週間ほど、帰省して田舎で療養することにした。実家に居ると、父も母も働き者過ぎて驚く。兼業農家だから、本業の後に、休日に、農作業があるのだ。

 療養中の身だから有意義に過ごす必要なんてない、と敢えてゆるゆる過ごしていたわたしだけれど、なにかいたたまれなくなって、ごはんを作ることにした。もともと料理は好きだし、一人暮らしでは自炊生活だし、調理師免許も取得していたのだ。
 そんなわけで、本日はナスの肉詰めと新じゃがの茹でたもの。わたし一人分でない食事作りは楽しい。

  縦に割り肉を詰めたるピーマンの二つになるを一人で食みおり


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一人きり部屋で過ごしていたいけど誰かと家で暮らしていたい

 と、いう歌を詠めた時、たしか2006年のことだ、自分の心を素直に言葉にできた気がして、ひどく満たされた覚えがある。意気揚々と某コンテストに応募した。意気揚々と某コンテストに応募したものの、箸にも棒にも引っ掛からなかった。

 けれど、今ならばわかる。今のわたしは、この歌に共感できない。たぶん、多くの人がこの歌に共感できない。選外も当然。今ならばわかる。

 わたしの育った家庭には、団欒がなかった。今でも、ない。だからかもしれない、家の中では自室で一人で過ごしている方がよっぽど心地よかった。そのためか、一人暮らしを始めて、ある種のさびしさは覚えても、ホームシックにはかからなかった。或いは、ホームシックにかかるようなわたしだったら、うまくさびししがれるようなわたしだったら、人生をもう少しなんとかできていたのかもしれない。かつてのわたしは一人に慣れ過ぎてしまっていたし、頼りない思いをしても我慢する以外の方法を思いもつかなかった。

 一人の時間は大切。けれど、一緒に同じ時間を分かち合えるような誰かが人生には必要なのだと、震災やそのほかの喪失をあじわって、切に思うようになった。

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 近所に住んでいた友人が、いつのまにか引っ越していた。数年前は、数月に一度、数人で飲んだり、お家にお邪魔して話が尽きず夜まで語り合うような仲だった。友人が出産した時はもうちょっとゆっくりしててもいいのにってくらいの翌日にメールで知らせてくれたし、わたしが失恋した時は夜中までなぐさめてもらった。震災時にも、プロパンガスで復旧の早かった自宅のお風呂を貸したり、テレビの配線を直してもらったり、物流の滞る中で入手した食料を分け合ったり、いろいろ助け合った。震災以降はなにかと忙しくなってしまい、約束はしたものの延期延期で結局もう3年会えず仕舞いだったけれど、近所に友人がいるということは、田舎から出てきて頼りない一人暮らしの身には心強かった。
 
 さびしい。さびしいけれど、しょうがない。わたしの友人である前に、夫や子の妻や母なのだし。独身時代から住んでいた部屋が手狭になってしまうほど、子は大きくなってゆく。ずっと同じままでなんていられない。震災後、友人がずっとしんどかったことは知っていた。引越しして心機一転できたのは友人の人生にとって良かったこと。さびしいけれど、わたしのための友人ではないのだし。

 友人と久しぶりに電話で話をした。うれしいことをいっぱい言ってもらった。覚えてる、2010年の6月にお家に遊びに行った際も「しあわせはこれから出会うんだよ」って言ってもらった。そしたら、それからしばらくしてほんとうに、いっ時とはいえ、わたしはしあわせになれた。同じようなことを言ってもらったから、あの時のように、またしあわせになれたらいい。でもきっと、うれしい言葉を言ってくれる友人がいる、ということが、すでにしあわせなのだと思う。

 それにしても、さびしい。

  諭されればそんな気もする「しあわせはこれから出会う」と子を持つ友に

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 妹の結婚式に出席しました。入籍は既に済んでいて妹の名字も変わっていたのだけど、やっぱり式を挙げると実感が違うなあって思いました。結婚って、一大事業なんですね。

 妹のウェディングドレス姿はとてもきれいで、初めてお会いした旦那さんも優しそうで、親戚も久しぶりに集って、あったかい、笑顔あふれるいい式でした。わたしは、自分がドレス着て主役になってみんなに祝福されるという図が全く浮かばないので結婚式願望はこれまでなかったのだけど、結婚式を挙げたい人の気持ちがわかってきた気がします。お祝いの拍手をしながら、がらにもなく「自分の結婚式は」なんて考えてしまった自分に自分でびっくりしました。

 わたしは絵を習っていたことがあるのですが、今は全然描かないので、時間もお金も無駄にしたと思っていました。でも、この度、頼まれて妹の挙式のウェルカムボードを描かせてもらいました。
「似顔絵は似てなくてもいいよ、お姉ちゃんに描いてもらうということに意味があるんだから」という妹。姉としても、一生に一度のお祝いごとに、こんなふうに役立てたのがうれしい。もしかしたらこの時のためにあの頃があったのかもしれない、と思うことにしましょう。
 絵描きとしては素人ながら、招待客の方々が、それと知らず写真に撮ってくれたりもしていて、なんだかむずがゆいような報われたような思いもしました。
 ウェルカムボードには「短歌も添えて欲しい」とのリクエストで、一首詠みました。おめでとう、お幸せに!

  しあわせに彩られゆくはじまりのひと日に清きヴェールの色は


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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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