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川が好き。山も好き。
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フィギュアスケートの村主章枝選手の引退を知った。わたしは彼女と同じ年齢で誕生日も同じなのでいろいろ意識しているところがあって、ああやはり人生の岐路に立っているのだ、と思わされるできごとだった。新しい道でもどうぞご活躍されますように。わたしも前に進まねば、と思う。

 去年の今頃に失業手当を申し込んで、給付される前に再就職が決まって、失業手当を再就職手当に切り替えの申し込みをして給付される前に転職して、いろいろ具合が悪くなって休職の果てに退職して、そうこうしているうちに期限が切れて、ともすれば受給できたはずが一円も給付されずに消えてしまった金額がいくらかなんて数えてしまえば泣くしかないような暮らし。どうしてこんな人生になってしまったのだろう。本来は職を転々とするタイプでもなかったし、本職に在職時も慎ましく遊びもせずにまじめに働いていたのだけれど。
 わたし、そこそこ長く福祉を施す方の側にいたのに、空気も合っててそちらの分野をもっと勉強したかったのに、今や福祉を受ける側に回ってしまった、不思議。ひらり、葉の一枚の翻るように。それでも、今のわたしがいろんな制度にお世話になれるかもしれないのなら、今はお世話になっておきたい。一時はなんにもできず寝たきりだったのが、そう思えるまでに回復してきた。無理しないでゆっくり、自分のできることから無理しないでがんばってゆきたい。

 バスで15分ほど揺られて職安に行った。昨日電話で問い合わせて、書類をかき集めて合わせたらこの先どうにかなるかもしれない、という話になり、今日伺うことになった。職安の給付課で、昨日お話した男性の職員さんにかき集めた書類見てもらったけれど、一見して月数は満たしてるように見えるものの内密な日数が足りてなく、効力にはならないとのこと。――徒労であった。世界は思ったより優しくできているようで、やっぱり厳しい。
 職安に集っていた人達はたぶんほとんどが仕事を探していて、そんな中に泣いている赤ちゃんやぐずっている幼子がいたりして、ああ、お母さんの方が仕事を探してるのか、って、せつなくなる。トイレの手洗い場で一緒になる女性職員さんの首に青い紐でぶら下がる、社員証のまぶしさときたら。お高そうな素敵なお洋服を着ていらっしゃって、ばっちりしたお化粧を直している。今日、わたしは、お化粧ももったいないのと、目に見えて地味に不憫そうな方が同情を誘えていい結果に繋がるかも、なんてバカらしいことを考えて、ほとんどすっぴんで来ていた。失職前は、すっぴんで外になんて出られない! ぐらいの自意識はあったはずなのに、環境の変化というものはこうも自分をも変えてしまう。

 帰りは一時間ほど歩いて帰った。当てにしていた給付金が入りそうにないことがわかったから、ではなく、もとから帰りは歩こうと思っていたのだ。
 帰り、銀行に寄り、今どうなっているのか現実を直視するのがずっとこわくて触れていなかった通帳を、思い切って記帳した。いざ記帳してみたら思ってたより残高があって、少し胸を撫で下ろした。一円も需給できずに消滅したと思っていた失業手当は、半年以上前に二回に分けて三万ほどではあったけれど振り込まれてあった。

 歩いているうちに右のかかとに靴擦れができた。職安からだけでなく、職安に近い歌会の会場からも歩いて帰ることが多くて、道にも歩くことにも慣れているはずなのに。痛い。
 通り道に現れた神社で、お参りをした。この先にいいことがありますように。散りかけの紅葉の赤ががきれいで目に沁みた。

  職安の帰りに過日解散せしバンドのラストアルバムを買う

***

 夜中に急におやつが食べたくなって突発的に作ったマフィン。バターの代わりにサラダ油でヘルシーに。


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 実家から太い大根を丸々一本もらった。けれど、一人では食べきれそうもないし、すが入ったり腐ったりしてしまう前に切干大根的な保存食を手作りしてみようかな、と思い立つ。ベランダが南向きの陽当たりの良い部屋なのだ。ベランダ菜園にもうってつけだったけれど、干し野菜にもおあつらえ向きである。放射能とか心配がないわけではないけれど、もうわたしは大丈夫なんじゃないか。

 今年の夏の実家療養中に、干しナス作りの手伝いをしたことを思い出す。あんなふうな平たいざるは持っていないし、買うつもりもない。干し野菜専用の段になっていて吊るして使うネットが欲しいけれど、やっぱり買うつもりもない。どうしたものかと部屋うちのものを探していたら、使い捨てで三角コーナー代わりになるという『ポンッと置くだけ水切り袋』というものがあった。料理の際の生ゴミ処理に便利だから、と母がくれたのだった。けれど一人暮らしでは生ゴミもさほど出ず、さほど出番がなかった。袋の底を広げると自立する、ポリエチレン製の水切り袋だ。これは使えそう。早速、大根を切って、件の水きり袋に入れて、洗濯ばさみでベランダに干してみた。うん、なかなか悪くない。

 切干大根を作ったことにより、切干大根作りにまつわる歌がいくつも湧いてきて、これまで未発表だった歌のストックもくっついてくっついて連作にまとめられそうになってきた。棚からぼた餅。切干大根作ってよかったと思う。切干大根が干上がって出来上がる頃には連作も出来上がっているのでしょう。これぞわたしが所属する短歌結社でもよく言われてる、「生活即短歌」って感じがする。
 このところ短歌界隈では、虚構短歌について話題になっていた。発端は、今年の短歌研究新人賞受賞作は父の挽歌であったのだが、作者の父が実在していて、歌の中で父殺しを行ったというようなこと。だまされた、不謹慎といった感情を持つ方々がいたようなのだった。そうした問題からは、わたしはどこか距離を置いている。正直な好みで言えばわたしは短歌に私性を求める方向を向いている。けれど、わたしごときがなにか主張することもない、というような。ただ、わたしは虚構で短歌は作れないな。と、切干大根作りながらあらためて思った。切干大根は干上がるのに数日かかるとのこと。

 先日は、三階の自宅のベランダの鉢に自生していたタンポポの葉っぱを、白菜と一緒に鍋に入れて食べてみた。彩りも良くなって、思ってたより普通の味だった。ベランダ菜園は、一度種蒔いたきり毎年生えてきていたシソが今年は生えなかったのがかなしい。放射能に関してはもうほとんど気にしていない。
 放射能に関してあんまり気にしていないのは、たぶん生まないんじゃないかと思ってしまっているから。人生どうなるかわからないけれど。自分の気持ちも変わるかもしれないし。自分で自分のことも好きになれて、このひとの子を生みたい! と思えるような誰かと仲良く暮らすような人生になれたらしあわせだと思う。

  南向き陽当たりのいい部屋なのにひとりで住んで申し訳ない


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この頃いろんなものを捨てていっていて、ついに旧友の手紙も捨ててしまおうかとも思った。数年続いて結構な量になっているものの、今は途絶えてしまっている。今は途絶えてしまっていたとしても、大切な旧友で、その時は彼女からの手紙に慰められて励まされて、言葉以上に大切な気持ちをもらったように思っている。
 手紙を捨てるなんて、と思いながら、あの頃にわたしが送った手紙は捨ててほしい、と思っているわたしがいる。わたしはわたしなりに変わってしまって、今読み返せば若さゆえの青臭さがむず痒い。今でもこの頃のわたしだなんて思われていたくない。こんなにあの頃の手紙を恥ずかしく思うのは、まるで、手紙を書くために書いていたような手紙だったからかもしれない、と思う。手紙に綴ったことは、相手を思って届けたい言葉だったか。友達も知り合いもほとんどいない街で一人、当時はインターネットもなくて、抱えていた思いを吐き出すように手紙にしたためていた、ような気もする。受け止めてくれる人がいるのをいいことに。尤も、それはお互い様だったかもしれなくて。

 下書きとして残っていたわたしの手紙文に「わたしは今が一番どん底だと思う。」なんて書いてあった。5年くらい前だ、まだ20代の。
 どん底、なんて、世間知らず過ぎて笑っちゃう。あの程度がどん底なんて。今のわたしより未来があるのに、どん底、なんて。そののちしあわせをつかめるのに、どん底、なんて。つかんだしあわせを自分で手離すようなことをしてやっと味わうのに、どん底、なんて。

 好きだったひとが誕生日にくれたゴーリキー『どん底』昔のことだ

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アイコンにしているこけしはわたしが本格的に(?)こけしを好きになり始めた時に買った携帯ストラップです。

  こけしこけしこけしが欲しい胴をにぎり頭をなでて可愛がりたい

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もう何度も書いていることだけれど、お酒が飲めない。体に合わないらしく、楽しい気分になったこともないし、具合が悪くなって吐いてしまう。
 と、いうことをうまく伝えられず、お酒の席でお酒を勧められたり、注文や購入すらされてしまうこともある。なんとかやんわり断ろうとして、その場の空気を盛り下げてしまい、申し訳ない気持ちになったりする。お酒を飲む人は、良かれと思って勧めてくれるのだから。わたしも、飲めない分、ウーロン茶でも精いっぱい楽しくふるまっているつもりではあるのだけれど、やっぱり足りないのだろうか、と反省したりする。
 それにしても、お酒を飲む人の、他人にもお酒を飲ませようとする心理はなんだろう。こんなに踏み込んでぐいぐい勧められるものはお酒以外にはなかなか、ない。お酒を飲んで具合が悪くなる、という事実を想像できないくらいにお酒が良くって、素面でいるのがかわいそうだったりするのだろうか。人の酔っている姿を見たいのだろうか。自分は酔っているのに他人が素面なのはおもしろくない、ということなのだろうか。
 とはいえ、お酒を飲める人の方が楽しそうだし、お酒を飲んでいない時でも生き方など大らかで柔軟そうに見えるし、うらやましい。ほんとうに、うらやましい。

 お酒を飲めないわたしだけれど、最近、たぶんお酒のような心地だろう、というものを覚えた。不眠で処方された眠剤である。もともと薬嫌いだし、昔は薬で眠るなんてこわい! と頑なに拒んできた。けれど、どうしても眠れない時や、眠るよりほかないぐらい心が疲れている時、スッと眠れるのはいい。寝入りばな、ふわふわしてなにやら心地良い。この感じは、お酒を飲む人がお酒を飲む感覚に似ているんじゃないか、と思っている。どうだろうか。もちろん、溺れるつもりはない。

 ひどいパワハラに遭っていた時など、夜は寝つけず、朝は早朝覚醒で、睡眠不足で体の疲れはとれないし、心のバランスも崩していた。あの頃、素直に眠剤のお世話になってちゃんと眠っていたら、ちゃんと頭が働いて仕事での理不尽なこともうまく立ち回れたんじゃないか、と思う。
 お酒も飲めていたら、あのつらい日々もお酒に逃げることができて、もう少し楽に生きていたのかもしれないし。

  酔えもせず吐いてしまいぬ ああわたし何処へも逃げる場所がなくって

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携帯電話を持つのが遅かった。そもそも電話自体が得意ではなかったので、持ってないからといって不便を感じたこともなかったし、「今時、携帯電話を持たない流されないわたし!」みたいな変な自意識もあった。
 携帯電話にメールの機能が備わり始めると、連絡先としてメールアドレスを教えてもらうようになることが多くなった。辺りを見渡せばばみんな携帯電話に向かって指を打っている。自分以外のみんながメールで繋がっているような疎外感を覚えた。それでも、携帯電話を持ったら自分が変わってしまいそうで、20代後半になって仕事の都合で持たされるまでは持たなかった。

 携帯電話を持つようになって数年、いつしか辺りを見渡せば今度はみんなスマートフォンに向かって指をすべらせている。そうして、フェイスブックやLINEなどのSNSで繋がっているようである。ああ、既視感。携帯電話を持たなかった頃を思い出す。それでも、たぶんわたしはガラケーのままだろうな、ということまでも既視感。尤も、持たないと思っていた携帯電話を持ったように、この先のことまではわからないけれど。

 繋がり過ぎるくらい繋がってゆくような時代になって、かえってこの頃、生身の関係を思うようになった。会える人とは会いたい。声が聞ける人なら聞きたい。目の前の、手の届く繋がりを大事にしたい。手紙を書くのもいい。便せんを選んで、切手を選んで、明日あさって届く誰かの未来に向かって言葉を綴りたい。

  変換に慣れた右手で辞書を引く少し真面目な君への手紙

***

 ネギと鶏肉の卵とじ。蓋付きのフライパンが便利でした。

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この頃、部屋うちのいろんな物を処分している。まだ使うかもしれないから、思い出があるから、と、物をため込みがちな性分であったけれど、思い切ってみれば思いのほか捨てることができそう。
 昔買った本、漫画、CDなど、発売日を楽しみに待ったり、何度もくり返し楽しんでいたものもあったけれど、いつしか好みが変わってしまって、今ではほとんど気持ちが動かないものがある。ゲームなんてもう全然しない。録りためていたビデオも、今さら見返したりしない。絵はもう描かなくなったから、昔描いたヘタクソな絵も、絵を描く道具ももういらない。絵の資料にと取っておいた人物のポーズの切り抜きも、背景用の景色の資料も今やごみでしかない。

 こうしていろんな物を手放してゆくうちに、残せるもののなにもない人生だった、と思う。それらに夢中になっていた時間も、お金も、なにより心が、とても空虚だったように思えてきて、わたしなにやってたんだろうって、落ち込む。夢中になっていた頃は、ずっとその気持ちが続くと思っていたのに。あの頃はどうかしてたなんて、過去を否定してしまうなんて、なにも積み重ねられなかった自分のような気もして。

 今好きなものも、これから好きになるものも、いずれ好きじゃなくなってしまうのだろうか。好きだといっていた自分を恥ずかしく思うようになってしまうのだろうか。そんな未来を思えば、なんだか無欲になってしまうのだった。

  いつまでも仮住まいなるこの部屋でいつか誰かと鍋をつついた

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 おやつが食べたくなったので、あり合わせで饅頭を作ってみました。水と砂糖と市販の天ぷら粉で皮を作り、餡は茹でたさつまいもをつぶして砂糖を混ぜて。蒸し器の代わりに湯を沸かした鍋にざるをセットして蒸かしました。ちょっと中華まんみたいな食感にできあがりました。天ぷら粉にはベーキングパウダーが入っているので膨らむのです。
 本来は、水と砂糖と、ふるった薄力粉とベーキングパウダーで皮を作ります。砂糖を黒砂糖に代えるとおなじみの黒皮の饅頭になります。

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 実家に帰っている時に、犬の散歩をするようになった。我が家は昔からずっと犬を飼っていて、わたしが知っているので5匹目くらい。わたしはこれまでどの犬も格別かわいがったことはなかった。犬の他にウサギやインコを飼っていたこともあるものの、そもそも動物自体にあまり興味を持てなかったようで、わたしって冷たいのかな、と心密かに悩んだりもしたものだった。

 今頃、やっと犬の散歩ができるようになった。今の犬が格別かわいい、というわけでないけれど、今、不思議に犬をかわいいと思えるようになった。今の自分に、犬という存在がなにか合ったのかもしれない。なにより、犬がわたしを好きそうなのがいい。なにもない実家に居ると引きこもりがちになってしまう。一人では億劫だけれど犬と一緒ならどこへでも行ける、そんな気がして、犬小屋から犬を放ち、犬と一緒に農道へ走り出す。そういえば、毎日の通勤で40分ほど歩いていた頃に比べ、めっきり運動不足になっていた。あの頃は、好きな道、好きな景色の中を歩けたから、歩くことが苦じゃなかった。今は、少し、しんどい。だから犬に引っ張ってもらって、わたしのために散歩する、そんな感じ。お決まりのお散歩コースである農道はなつかしい草の匂いがして、一面の緑は目に心地いい。
 畑の中でいろんな人に会う。農作業する近所のおばあちゃん達に「(母の名)ちゃんの娘だが?」「ともちゃんだが? (妹の名)ちゃんだが?」と聞かれたりする。わたしは相手を知らないのにわたしは知られていて、隣県での一人暮らしとは違っていて、ああ田舎だなって、むかしは窮屈だったけれどこういうのもいいかもしれないなって思ったりしながら少しの間、談笑したりする。
 部活で山の中を走っていた男子中学生達に「こんにちわー」と声をかけられたりする。思いのほか礼儀正しい。わたしの代とは違う学校指定ジャージ。まぶしいほどに健康的。未だに子供っぽいわたしだけれど、向こうから見ればわたしはおばさんなんだろうな、と思う。
 ビニールハウスとふすまで作られた小屋からなにか声がして、気になって仕方ないらしい犬に引っ張られて行くと、ヤギがいた。ヤギなんて初めて見た。飼い主の人がやってきて「友達になりたいんでしょう」と近くに入れてくれた。破れたふすま越しに交歓を図ろうとするヤギと犬。いじましい。それ以来、ヤギのところにも寄るようになった。楽しそうで。

 犬の散歩を終えた後は、夕飯を作る。農作業用の小屋からその日その日に獲れてある野菜を持ってきて、料理をする。夕方5時になると、どこからか『夕やけこやけ』が流れ出す、チャイムのように。

 犬がわれに飛び寄る時のまなざしを覚えていよう探してゆこう

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仕事の帰り、雨の中、横断歩道先の図書館に寄ろうと赤信号で立ち止まっていたところ、側にいた女性が「信号待ちの間だけでも入りませんか?」と傘に入れてくれた。思いのほか信号の色の変わるまで時間があり「最近涼しくなってきましたね」「雨が多いですね」「土砂災害のニュースもありますし心配ですね」なんて他愛のない話をした。一緒に横断歩道を渡り終えた後、「ありがとうございました」とお礼を伝えて別れた。わたしより先に歩き始めた彼女は、傘を閉じてわたしの目的地であった図書館に入って行った。同じ所に行く人だったのか、と、ちょっとびっくりした。
 年齢はわたしと同世代くらいの、きれいで聡明そうな女性だった。なにより、優しい人だと思った。こんなふうにさりげなく他人に親切にできる心が、ほんとうにすてきだと思った。そういう優しさで世界が回っていけばいいのに、と思った。
 図書館で、角川短歌の今月号を読んだ。泣きながら読んだ。

  雨の日に歩道橋下ちぢこまる毛布の横を足早に過ぐ

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 拍手でコメント下さる皆さん、ありがとうございます。励まされてます!


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昔の同僚さんから電話がかかってくるようになった。わたしより一回りぐらい年上の人。彼女に誘われて会うと宗教の勧誘をされる、という話は共通の同僚仲間から聞いていたので、それとなくはぐらかして会わないようにしている。根回しが済んでいることを知らない彼女は、電話では宗教のことを口に出さず、ひたすら「今すぐ会いたい」「(わたしのことが)心配」とくり返す。震災の時すら連絡を取り合わなかった間柄なのに今になって「心配」とか、なんなんだろうなあと思ったりもする。わたしを親身に思ってくれているのではなくて、カモのように見ているのがわかる。昔はそんな人じゃなかったのに、なんだかかなしい。

 二十歳そこらで若くして子供を生んで結婚した人である。一緒に働いていた当時も、子供の話がほとんどだった。早くから子供子供の子供漬けだったのが、子供の大きくなって手が放れて寂しくなった心の隙間に、宗教が入り込んでしまったのだろうか。宗教にはまったきっかけも、子育ての悩みからだと外づてに聞いている。
 とはいえ、子供がいて夫がいて、それでもう充分でしょう? 愛する夫や子供こそ、神様より神様でしょう? って思ってしまう。そりゃあ既婚者と未婚者の悩みは違うのかもしれないけれど、少なくとも恋愛で好きな相手と結婚できただけでも、大きな奇跡を手にしているのに。

 電話口に熱心な彼女の声を聞く度、しあわせってなんだろうと思う。神様を信じて、彼女は妙にしあわせそうではある。
 初めて会った時、三十二歳で既に小学生の子供を二人持っていた彼女の年齢を、今のわたしが追い越していたことに、ふと、気づいた。あの無邪気な子供達も今は二十歳ぐらいになっているはずだ。子供が大人になるほどの月日が過ぎているのに、わたしはいつまでも子供のままでいる。

  神様を信じていないわれなれば「おかあさーん」って泣くほかはなく

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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