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川が好き。山も好き。
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年末年始は実家の山形に帰省しました。雪国なのでブーツを履いていったのですが、雪が積もってなくて拍子抜けしました。
 移動中や実家滞在中は大岡信『あなたに語る日本文学史』を読んで過ごしました。万葉集から子規まで。空き時間が想定されるときは、文字数のなるべく多い文庫本をお供にしておくと荷の小ささの割に充実感があってコスパがいいなと感じます。

 昨年は、フットワーク重めなわたしにしてはめずらしくあちらこちらへ出かけました。2月は青森で是川縄文館の国宝の合掌土偶と対峙したり、岩手の花巻で宮沢賢治の世界に触れたり、10月は京都で「ドキュメント72時間」で印象に残って行ってみたかった鴨川沿いを歩けたり、11月は東京で高尾山に登ったり。山形への帰省や福島での定例の歌会などは毎度のことで遠出といった感じはしないけれども、ハプニングでやむなく山形駅と東根駅を新幹線で移動するなんて普段は絶対にしないこともしました。慣れた場所でも移動手段やルートの些細な違いで景色が違って新鮮で、そんなふうに代わり映えしない日常の中でも様々な表情に触れることにより、より味わい深い日々になってゆければいいな、と思ったりします。
 歌集の重版をしていただいたのもありがたいことでした。恥ずかしくみっともない自分がいっぱい詰まった歌集ではあるのですが、うれしい言葉をいただくこともあり、つくづくしあわせな歌集です。歌よりも人生、の心持ちは変わらずです。
 昨年はどうにも筆が重いというか、筆が乗らないというか、筆が迷うというか、文章以外にも、取り組んでいた連作もまとめきれないままだったり、なにか時間の感覚も使い方も思うようにいかずもどかしかったので、今年はなんとか軽やかにゆきたい。と元旦に心から思ったはずなのに、もう三月だなんて。
 
 喪中ということもあり静かなお正月でした。実家では餅つき機を新調していました。今までのものは大きく重く、年老いてきた両親には出し入れが大変になってきていたのでした。新しい餅つき機は前のものよりだいぶ小ぶりですが、餅しかつけなかった前のものと違ってパン生地をこねたり味噌を作ったりもできるのだとか。とはいってもたぶん家では餅にしか使わなそうです。使わない機能、使いこなせない機能、使う気のない機能。世の中もっとシンプルでいいのに、と思うこともあったりなかったり。やっぱり生餅は美味しいです。
 近所のお弥勒さまに初詣でに行きました。普段は鍵がかかっていますが、元旦なので開いています。久しぶりに中に入ったけれども、地域の人の奉納した千羽鶴や手作りの吊るし飾りが飾ってあったり、今はもう亡くなった方々の昭和に書かれた署名の和紙などが貼ってあったり、八畳ほどの小さな空間ながら祈りを強く感じました。正座して、手を合わせ、新年の願いごとをするつもりが、願うのを忘れてしまいました。母が熱心に般若心経を唱えているのに気を取られてしまったのです。祖母が亡くなって以来、母は毎日ぽくぽくと般若心経を唱えています。生前はあんなにあんなだったのに、不思議なものです。
 お弥勒さまから帰宅後、能登半島地震が起きて、ずっと案じています。

  餅ならばいくつ食べても今日だけは良いと決めたり一月一日 


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新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。あっという間に松の内も明けてゆきます。

 今年のお正月も帰省は控えてひっそりと過ごしました。行動制限がないとはいえ帰省ラッシュの人混みはおそろしく、代わりに実家と妹宅とで初めてZoomミーティングを試みたりもしました。
 初夢は、トイレを探して白い廊下を走るのですが、扉を開けても開けても白い階段が現れて、下へ下へと降ってゆく夢でした。何か暗示的です。夢診断によれば、下ってゆくのが良くないようでした。逆夢になりますように。

 映画館で観そこねたストップモーション・アニメーションの『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が2日にEテレで放送されたのがうれしかったです。映像がとてもすてきでした。「ごんぎつね」、結末はわかってるのに、やっぱり泣いてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。けれども、自分の心が相手に伝わっていなかったりという行き違いによって悲劇的な方へ向かってしまうことは実際によくあるので、「ごんぎつね」は教材として読み継がれているのかもしれません。

 普段は夕飯は炭水化物を控えるなど食生活に気を付けているのですが、三が日の間は餅ならばいくつ食べてもいいことに決めて、鍋いっぱいに雑煮の汁を作りました。鶏肉、ごぼう、にんじん、先日の歌会でいただいた柚子皮も散らして今年は少し上品な味です。自分のために作った雑煮が美味しくできて、自分一人で食べているのがもったいないように思いました。

 今年の抱負は、自分を大切に、自分の心も不必要に抑えず伝えてゆけるようにできたらいいなと思います。
 あと、歌集などをいただいた際に早々とお礼状を送れるようになりたい。まだお送りしていない方にも送るつもりでおります。抱負というか、礼儀です。



  うさぎりんごも木の葉りんごも得意なり なれど自分のためには剥かず

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雪が降っていないせいかどうにも年末感がないのですが、大晦日です。
 今年は3月の地震と、そののちの日々といった一年でした。心が、というより部屋が片付かなくて、片付ける気力も湧かなくて、片付けきれず、今に至ります。わたしは塔短歌会で詠草の受付係をしており、地震の数日後に塔の月詠の締切でした。地震の不安感を引きずった中で郵便物が続々届くような状況だったのですが、一心にそうした取りまとめ作業をすることで自分が立ち直ってゆく感覚もあり、やらなきゃいけない仕事を与えられているのはつくづくありがたいことでした。

 今日は午前中に母から電話がありました。実家のわたしの部屋にあるベッドをもらってもいいか、という内容でした。年末の大掃除をしていて、大きな家具なども移動しているうちに思いついたようです。実家で暮らしていた10代の頃から、今でも帰省した時に使っているベッドですが、今は年に数回寝るくらいだし、あげることにしました。妹の部屋のベッドは既に父が使っています。布団の上げ下ろしも大変なほど、親が老いてゆくということ。引っ越ししたらとも言われました。もう何年も言われています。わたしだって好きでずっとここにいるわけじゃないのになあ。
 
 お昼過ぎて、映画を観に行きました。午前中にアセクシャルの話の『そばかす』を観ようかなと思っていたのですが寝過ごしてしまい、それでも身なりを整えて外に出かけたい気持ちがあり、昼過ぎに上映していた『川っぺりムコリッタ』を観ました。
 大晦日に一人で映画なんて、とも思わないでもなかったけれど、小さな映画館に来てみれば、老若男女問わず同じような一人客がほとんどでした。自販機でコーヒーを買うために並んでいる時に後ろにいた年配の女性に自販機について聞かれたのへ返事をしたくらいで、他は誰とも喋っていないのですが、一年の終わりを同じような過ごし方をしている人がこんなにいるということに、一人だけれども一人じゃないような不思議な安らぎを感じました。
 『川っぺりムコリッタ』、今日突発的に観ることに決めて、予告編も観たことがなかったので、タイトルの響きからして楽しくあたたかい映画かと想像していたのですが、思いのほか死の匂いの濃いヘビーな話でした。でも涙が出るほどすごく良くて、誕生日の今日にこの映画を観てよかったなと思いました。
 大晦日の夕暮れの街は静かで、つい先日までピカピカしていた光のページェントのケヤキ並木ももう素裸です。角川「短歌」と、雑煮に入れる鶏肉や牛乳を買って帰りました。

 明日のために雑煮の汁を作り、紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしつつミカンを食べています。
 今年は筋トレをがんばりました。それなりに効果もありました。筋肉が付いただけでなく、以前は低かった体温が上がって平熱が36℃台になりました。免疫力も上がったんじゃないかと思います。来年も励みます。

 今年一年たくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。それではどうぞ良い一年をお迎えくださいませ。

  好きなだけ本散らかしてお祭りのようなひとりの枕元なり

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あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。

 今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
 
  余るとは思いつつ一月三日買い足す年賀はがき余りぬ

 


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昨日から休みに入りました。年末年始も関係なく仕事をしていた頃が長いので、年末年始に休めるのが畏れ多いです。今の仕事も働く気になれば働けるのですが、年末年始は業務縮小なので、少数精鋭にお任せして。

 「穴めっちゃ空くけどビンゴは揃わない人ってイメージ」と言われておりぬ  『にず』

 などと言われてしまうわたしでしたが、今年は職場のビンゴをばっちり当てて、薔薇の香りのボディミルクをいただいてきました。年末年始は保湿がんばります。

 今日は大掃除をしました。大掃除を始める前に母から様子伺いの電話が来て、大掃除の最中には妹から電話が来ました。パートの愚痴や旦那さんの愚痴、義実家の愚痴、あまり愚痴を言える相手がいなくて溜まっているのでしょうか、大変そうです。電話の向こうで甥っ子がキーボードで「きらきら星」を弾いているのが聴こえました。

 あっという間に2021年も過ぎてゆきます。どこかあきらめたような今年のささやかな生活でしたが、短歌にはずい分寄り添ってもらいました。そのように自分のために詠んだ歌を、いろいろなところで発表させていただいたり、引いていただいたりしたのは、思いがけずありがたいことでした。

 ポケットにぐしゃっと入れたハンカチを赤信号で取り出したたむ  「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号

 2021年の自選一首、というわけではないけれど、赤信号で立ち止まってハンカチをたたみながら、この歌がふっと詠めた時はうれしかった。なんでもない歌だけれども、こんなふうに歌ができてゆけばいいな。
 
 明日の雑煮の汁も用意して、唐揚げを揚げて、一人の年末年始は気楽なもんです。紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしながら、実家から届いたりんごを鍋にかけてコンポートを作っています。できたての熱々に無糖のヨーグルトをかけて食べるのがさっぱりして美味しいのです。「年の初めはさだまさし」を見ながら食べましょうか。「タイムスクープハンター」の再放送もうれしい。

 本年もたくさんの皆さまにお世話になりました。あたたかな言葉をいただいたり、感謝しきりです。どうぞ良い年をお迎えくださいませ。


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明けましておめでとうございます。あっという間に新年も三日目。会社の企画の景品で年末に届いた高反発マットレスが素晴らしいのか、どうにも寝正月になってしまっています。うっかりすると寝てしまう。これまでせんべい布団で寝つきが悪いのが悩みだったので、ほんとうに良いものを手にできました。
 
 毎年年賀状に使っていた顔をはめるパネルの写真が外出自粛のためにないので、今年の年賀状は旧年のカレンダーを切って貼り絵にしました。チョキチョキ、ペタペタ、楽しかったです。全てを貼り絵で制作して送るのは労力的に難しいので、1枚作って印刷ではありますが、手作業の雰囲気が出ていればいいな。
 クリエイティブな仕事がしたいと昔は思っていましたが、自分にはそういうセンスがないなと、画材なども手離してから楽になった気がしています。時々こんなふうに思い出したように楽しくできればきっと充分です。
 
 実家から電話が来て、祖母と話すことができました。祖母の声は聞こえるし、わたしの声も聞こえているようなのですが、どうにも会話にならず。直接会えればもう少し意思疎通できると思うのですが、こんな世の中で一年会えず、悔しいものです。
 妹からも電話が来ました。妹と話をしていると、横からママにかまって欲しくてしょうがない甥っ子の声が聞こえてきます。小さい子供からママを取り上げているのも申し訳なく、持ち主に返すような気持ちで通話を終えました。

 静かなお正月です。こんなふうに過ごす人が、今年は多いのでしょう。単身用のアパートにも人の気配がします。せっかくお正月に仙台に居るのに仙台初売りにも行かず、年賀状を出しにポストまで出かけた以外は「ウチヲデテミリヤアテドモナイガ/正月キブンガドコニモミエタ/トコロガ会ヒタイヒトモナク/アサガヤアタリデ大ザケノンダ」などと井伏鱒二訳の「田家春望」を諳んじつつ自宅で過ごしました。

 楽しくて優しい歌が詠めるような一年になりますように。




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年末年始に休みが取れまして、帰省の予定を立てておりましたが、昨日になってやっぱりやめた方がいいと実家から電話が来て、仙台で過ごしています。
 帰省といっても隣県ですし、同郷の同僚さんはこれまで何度も実家に帰っていて今回も帰ると言っていますし、気を付ければ大丈夫でしょ、という認識でいたのですが、なにぶん交通機関の乗り継ぎがあったり祖母が高齢だったりなのでしょうがないです。今年の初め頃に帰省した時に、何度か帰省するつもりで高速バスの券を買っていたのですが、まさかのコロナ禍で使わないまま財布に入れっぱなしで一年経ち、見て見たら印刷がすっかり色褪せていました。こんなに消えてしまって、券として使えるのでしょうか、ただの紙になっているのではないでしょうか。完全に真っ白になってしまう前に、コロナが終息して帰れたらいいなと思います。

 帰省に向けて冷蔵庫の中の食材を減らしていたので、あわてて雪の中を買い出しに出かけました。ステイホームのために数日分、お雑煮用のごぼうや鶏肉、餅なども買いましょう。ソーシャルディスタンスで距離を取ったレジの、長い行列に並ぶ人の籠がみないっぱいです。

 こうなるのだったら仕事入れればよかったかな…と罪悪感が芽生えたりもしましたが、せっかくの連休ですから歌集など本を読んだり、原稿やお手紙を書いたり、日々の滞っている作業などを進めて有意義に過ごしたいと思います。特にお礼状の類は溜め込まずに出せるようになりたい。年末年始中に管理できれば。年賀状もこれから書きます。ここ10年ほど、観光地に置いてある顔をはめるパネルの写真を年賀状に使っていたのですが、今年はほとんどどこにも行っていないのでパネルに顔をはめていません。

 2020年は歌集を刊行したことが自分にとって大きな出来事でした。制作中に緊急事態宣言なども発令されて一時はどうなることか心配しておりましたが、無事に刊行できて、思いがげずたくさんの方に読んでいただけて、お手紙をいただいたり、方々で感想を書いていただいたり、評などで取り上げていただいたり、ほんとうにありがたく思います。版元で品切れになっているかもしれないのですが、わたしの手元にはまだ在庫がありますので、お求めの際はご連絡くださいませ。
tomomita★sage.ocn.ne.jp  (★を@に変えてお送りください。)

 今年一年たくさんの皆さまにお世話になりました、ありがとうございました。それでは良い一年をお迎えくださいませ。

 iichikoのポスターの中にいいちこを探す今年ももうすぐ終わる  『にず』

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あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 31日から3日まで帰省していて、4日から仕事をしています。この冬の山形はびっくりするくらい雪が無かったです。積もったと思ってもいつの間にか融けています。雪が積もると雪かきの作業に追われたり、道路が不便になったりでめんどうは多いのですが、こんなに雪が無いのは何か天変地異でも起きているのではないかと心配になります。

 実家に着いて祖母に会うなり「ぺろーっとした顔して」と言われました。実家に滞在中は祖母の介護をする気満々でしたが、わたしが祖母の手を繋いで歩いていると母が横からかっさらって行ってしまうし、「おまえにはできない」とオムツも替えさせてくれません。普通は助かるんじゃないかと思うのですが、母は昔からわたしと祖母が仲良くするのはおもしろくないらしく、特に今は「介護で苦労している可哀想な自分!」がアイデンティティになっているふしがあります。祖母は93歳ですが、年齢を聞いたら「102歳」と逆サバを読んでいました。でも、いろいろ検診を受けても何も問題がなく健康なのだそうです。

 わたしがガラケーで最小限な機能に抑えているのと、実家のパソコンについては弟のこだわりが激しいこともあり、帰省中はインターネットからは離れていました。情報には疎くなりますが、有意義に時間を使える気がします。歌集や塔12月号を読んだり、犬の散歩をしたり、諸々の作業も自宅にいるよりはかどりました。
 今年も慈恩寺に初詣に行きましたが、午後に行ったからかおみくじが売り切れていました。こんなことは初めてです。今年の運勢が売り切れみたいでなんだか。両親と一緒に映画『男はつらいよ お帰り寅さん』も観てきました。良かった…。
 仙台から山形の道中は、現代短歌新聞1月号を読みました。来嶋靖生さんの文章に感銘を受け、傍線を引きました。
文芸は単に優劣を競うものではない。人間の心の根源を問うものです。本来、文芸には勝負がないのが原則で、そこが尊いのです。誰の心も対等、そこを見失ってはならない。あらためて切に思うことです。
 
 昨年がぼんやり停滞していた分、今年はなにか成し遂げたいです。自分の心を一番大切に、とも毎年言っていて、なかなかできないのだけれど、今年こそしたい。健康にもより気を付けなければ。そして自分がしあわせになれるように、また自分が誰かをしあわせにできたらいいなと思います。

  柿の木のはだかの枝に柿のヘタは残って犬と歩く農道


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大みそかです。この一年は、割とぼんやり過ごしました。ちゃんと仕事には行ってたし、ちゃんと自炊してご飯も食べていたけれど、気持ちの上ではずっとぼんやりしていたように思います。展示を観たり映画を観たり本を読んだりイベントに行ったりと、自分にできる範囲で何かしらのことはしていましたが、そのことを文章に残そうと思うと、書こうと思っているうちに一週間過ぎて一ヶ月過ぎて、といった感じでした。12月に入って今年初めて部屋の掃除をしたくらいです。わたしという人にきれいな部屋で気持ち良く過ごしてもらいたい、と思えるほどに自分を大切にできればいいのだけれど。

 小学校の同級会へ行って25年ぶりくらいに同級生らと再会した10日後ぐらいに塔の全国大会へ行ったのが、今年のいろいろ考えさせられるできごとでした。高卒で肉体労働やサービス業に従事して少子化なんてどこの国の話だろうってくらいに2、3人の大きな子持ちで両親(義両親)と同居という地元民のスタンダードからはわたしは思いっきり外れているし、短歌関係で出会う方々は地元の感じとは全然違うし、今の自分の暮らしの周りのコミュニティもまた全然違っていて、なにか層みたいなものの差にくらくらします。どこでも異端のような自分にも。自分の気持ちを整理しようと文章にしてみたりもしたのですが、うまくまとまらないまま今に至ります。

 先日の休みに少しばかりぜいたくして、こけし缶を買いました。鳴子こけしの大沼秀顯工人のえじここけしです。えじこに入っているからには赤ん坊なのでしょう。安心しきった寝顔がとてもかわいい。木の風合いをそのまま残してあるのが珍しくて、枝の太さそのままの胴に触れるたび、その元の一本の樹を思います。
 年末年始に休みが取れたので、ヘアクリップを作りました。バンスクリップと、端切れ布で材料費は300円足らず。手芸は得意じゃないけれど、楽しくできました。

 今年は令和の時代になったのがうれしかったりしました。改元の日のように、今日の天気もおだやかです。わたしは今から急行バスに乗って帰省します。
 今年一年ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

  国道48号線に冬の車窓はくもりたり行き道か帰り道かは知らず
(国道48号線※よんぱち)


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新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 年末年始は31日の午後から3日まで実家で過ごしました。地元は雪が毎日降っていました。
 帰省中は実家で飼っている犬の散歩をします。友人の犬などは暖房の効いた室内で服まで着ているというのに、うちの犬ときたらもともと外飼いとはいえ積もった雪の中に自らずんずん埋まりに行くのです。おかげでわたしも雪に埋まってしまいました。
 いつもお正月の挨拶に来ていた親戚のおじさんが今年は来なくて家族中で気を揉んでいたら、雪かきで足を悪くしてしまったということでした。ほんとうに気を付けなくてはいけません。

 わたしはスマートフォンではないし、実家ではパソコンはあっても気難しい弟が見張っていてインターネットができないので、なにかゆったりした時間を有意義に過ごせたような気がします。日に2回の犬の散歩や読書、92歳の祖母との語らい、亡き曾祖母の箪笥の整理、親戚への挨拶、家族の食事作りなど、やることはいっぱいあって、時間を持て余すようなことはまったくありませんでした。
 今年も初詣では慈恩寺へ。おみくじは大吉でした。幸先が良いです。
 近場の碁点温泉にも行ったのでした。村山市の碁点温泉は、昔は打たせ湯や蒸し風呂、寝湯などたくさんのお風呂があってテーマパークのようだったのですが、今は一般的な内風呂と露天風呂のみです。雪降りながらとてもにぎわっていました。最上川を目の前に臨む露天風呂はとても気持ちが良かったです。

 本年が、少しでも心豊かな一年であればいいなと思います。特に短歌などは昨年もつらい歌やしんどい歌が評価される傾向にあったので、褒められるような歌じゃなくていいから楽しい歌やうれしい歌がいっぱいできるような一年になりますように。毎年言っているけれど、自分の心を大切にして、おだやかに暮らしてゆきたいものです。
 言霊の力を信じて、おみくじに書いてあった歌を記しておきましょう。

  冬かれて休みしときに深山木は花咲く春の待たれけるかな


↑左端に犬が映り込んだのがいい感じ。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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