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川が好き。山も好き。
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ラブレターを書きました。便せんは、灯台の絵が描いてある、夜空の色とお月さまの色の枠線のものを選びました。あらたまって、拝啓から書き始めてゆきました。南陽市の熊野大社のうさぎの御守りをくれたことや、日曜朝10時の小川洋子さんのラジオ番組を教えてくれたこと、出張中の新幹線の窓からわたしのアパートを探してくれたことなどへの、ありがとうの気持ちを綴ってゆきました。
 書き終えて、「好き」や「愛してる」の言葉がないことに気づきました。「さようなら」と「またね」は書きませんでした。
 何回も何回も何回も読み直して、これでいい、と思いました。仕事帰りの薬局でふと目に留まった、ニベアの青缶を同封しました。封をして、海原へ船を送り出すように、手放しました。遠く行くように、心の中で手を振りました。

  変換に慣れた右手で辞書を引く少しまじめな君への手紙

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アパートの更新手続きの書類が届きました。
 前々回は3月中旬が期限で、普段は腰の重いわたしが奇跡的に東日本大震災の数日前に更新の手続きを済ませていました。震災後ふた月ほどは公共料金等の様々な事務処理が混乱していたため「早めに手続きしてよかったー!」とほっとしたのを覚えています。だから、前回の更新が来た時は、あれから2年になるのか、と感じ入るものがありました。それからさらに2年が経ったというのだから、月日の経つのはほんとうに早いものです。

 今の部屋に暮らして、もう15年になります。築20年だった部屋が築35年になるので、古い部屋です。震災でひび割れた壁紙もそのままで、母などは引越しを勧めてきます。
 わたしが同じ部屋に暮らし続けるのは、引越す理由がないからです。物件探しがめんどくさい。住所変更の手続きや、それにまつわる諸々の手続きがめんどくさい。部屋の荷物をまとめたり運んだりする引越しそのものがめんどくさい。そして、環境の変化は大きなストレスだから、心の弱いわたしには大きな負荷になります。
 とはいえ、ずっとこの部屋に暮らし続けたい、というわけではありません。確かに、今の住居は住みよい場所で、図書館にも近いところが気に入っているけれど、然るべき理由があれば、ぜひにとも引越したいのです。

 時々、夜道を歩いて仕事から帰宅し、ドアを開けた瞬間、「わたしは15年この部屋に帰ってきたのだ」という事実がふいに思われて、泣き崩れてしまうことがあります。普通の人は15年も一人暮らしなんて続けません。普通に生きていたら、途中で誰かと暮らし始めたりするものです。
 わたしより年上にして初めて一人暮らしになった知人も、当初はよく「さびしくておかしくなりそう」と電話をかけてきてくれましたが、数月もすれば男の人が転がり込んできて、一人暮らしではなくなっていました。

 一日の終わりに、今日もらったレシートの内容をノートに書き留め、明日のお弁当の準備をし、シャワーを浴びます。電灯は一晩中点けっぱなしのまま眠ります。常夜灯は質素な生活を営んでいるわたしの、ささやかなぜいたくです。仕事が休みの日には、洗濯や掃除などの溜まった家事をして、スーパーや八百屋さんに買い出しに行き、おかずの作り置きをします。
 そんな暮らしを、15年続けてきました。

  この部屋を出たいけれども ベランダの鉢に大葉の種を植えたり


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孤独死をずっと恐れていました。わたしが死んだら、誰が気づいてくれるのでしょう。侘しい部屋の中でひっそり横たわる自分の想像が浮かんでしまうのです。一人暮らしを始めた頃からずっと抱いていた不安は、2011年の3月に東日本大震災を経験して、さらなるものになりました。思いつめるあまり、一時期は神経症にまでなったほどです。

 最近になって、孤独死なんてきっとしないんだな、と思えるようになりました。
 先日、通勤途中の駅でエスカレーターを上る途中、倒れてしまいました。朦朧とした意識の中で、汗びっしょりだったらしいわたしに拭くものを差し出してくださったり、何人もの人が心配してくださるのが見えました。そのうちの誰かが駅員さんを呼んでくださり、駅室で休ませていただくことができました。通勤時であるからにしてみなさん忙しいでしょうに、ほんとうにありがたいことです。
 夏にも、道端で倒れたことがあったのでした。体調不良で仕事を早退し、駅を降りて自宅まで10分というところでした。その際は、犬の散歩で通りがかったおじさんと、デイサービスの仕事で送迎中の介護士さんが、近くの消防署に駆け込んでくださり、救急車を呼んでくださいました。このまま自宅に帰って休むから大丈夫と言い張るわたしに、みなさんが病院へ行くことを促しました。

 なんて優しい人ばかりの世の中でしょうか。こんなに優しい人ばかりの世の中だから、外に出れば孤独死なんてしないでしょう。それは世の中に対する大きな信頼です。そして、わたしも、自分がしてもらったように、見ず知らずの人にも優しくありたいと思うのでした。

  たくさんの優しい人が尻込みするわたしを救急車に乗せてゆく

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いよいよ東北にも雪が降ってきました。
 13日に、友人と山寺へ行く予定がありました。やっぱりこの時期は雪のことが心配だったので、ほんとうはもう少し早い日にちにすればよかったのだけど、わたしの仕事のシフトの関係で12月も半ばになってしまいました。

 山寺こと立石寺は地元なので何度か行ったことがあります。けれど、山寺が縁切り寺として知られていることは、この度の下準備の中で初めて耳にしました。日常に張り合いがないという話の流れでなんとなく「山寺とか行きたい」と口にした友人も、そうと知っていたわけではないでしょう。
 信心深くないわたしではありますが、悪縁を断つための願掛けの場所に、思いがけずこのタイミングで誘われたということに、なにか因縁めいたものを感じました。運命が、わたしの手を引いているのかもしれない。そうだ、階段を上り、奥の院から絶景を望みながら、思いを断ってしまおう。いっそ清々しい気分で、わたしはその日を待つようになりました。

 「ダメそうですね。暖かくなったらにしませんか?」とメールが来たのは、山寺参拝を2日後に控えた朝のことです。雪の少ない仙台にも本格的な雪が降り、街が白くなりました。山形、まして山の上ならなおのことでしょう。つい2日前まで冬用のコートも羽織らなかったのに、天気予報でも大丈夫そうだったのに、わからないものです。
 
 縁切り寺への参拝は、こうして頓挫しました。雪が降ったので友人と遠出して遊ぶ約束がなくなった、それだけのことです。それでも、不思議なめぐり合わせめいて、切ろうとしていた縁が繋がったということなのかな?なんて、降り続く雪に問いかけてみたくなるのでした。

  伝えないことには伝わらないことがいっぱいあって降り積もる雪

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やっとパソコンを新調しました。なにしろ、これまで使っていたパソコンが2005年モデルという有様なので、10年後の世界にタイムスリップしたような感じです。とりあえずインターネットには繋げられたものの、メール設定はさっぱりです。いろんな窓口をプロバイダのメールアドレスにしていたので、なんとか馴染まなくてはいけないのだけれど、やっぱりシンプルなOutlookExpressが恋しいです。おすすめのメールソフトがあれば教えてください。

 難儀しているのはメールだけではありません。デジカメのデータを取り込もうとしたら、カードリーダーがありませんでした。蝦ちゃんのCMがかわいくて当時は最先端だった機種に使われていたXDピクチャーカードは、今の主流ではないため、新しいパソコンでは対応していないのでした。デジカメ自体には何の問題もなく使い続けていたため、記録媒体のカードが衰退していたことに全く気付いていませんでした。
 当時、デジカメ売り場で大きなパネルになって笑っていたOLの教祖的存在の蝦ちゃんも、今ではすっかりすてきなお母さんです。10年の時が流れれば電化製品も変わるし、人も変わります。いつまでも立ち止まっているようなわたしも、10年前とはどこか変わっているのでしょう。
 10年前のわたしより、今のわたしの方がいい。そんなふうに、次にパソコンを買い替える頃、今のわたしよりしあわせになっていたらいいな。そんなことを思うのでした。

 なんとなく、ブログタイトルをマイナーチェンジしてみました。それはそれで、引き続き、どうぞよろしくお願いします。

  飴色の玉ねぎ一人デジカメで撮ってブログにアップしたい夜

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 最近、更新が停滞しております。と、いうのもわけがありまして、パソコンが古いせいか幾つかのサイトでは表示が崩れてしまい、ブログの提供元もその一つなのでした。入力ができないのです。
 携帯電話のメール投稿もできるようにはしてあるものの、わたしはガラケーであり、これも文字打ちが大変なのでした。
 
 この手でこの目で触れるものを大事にしたい、インターネットが当たり前という環境にはなじみたくない、と常日頃思っているわたしではありますが、やっぱり今の時代はネット不調だと不便なこともあるとしみじみ身に沁みる日々です。ネットでしか確認できない給与明細は見られないし、夏の旅行の宿泊先のネット予約フォームが表示されず、お忙しい中を電話で対応して頂いたり、自分だけでなく相手方にもお手数かけてしまうのを心苦しく感じます。パソコンを新調すればいいだけなので、大きな買い物をする余裕のできるのを待っているところです。

 読みに来てくださる皆さま、拍手を押してくださる皆さま、ありがとうございます。


 

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 介護士による虐待や殺人など痛ましい事件の影響で、この頃、良い介護施設の選び方などがよくテレビで紹介されています。
 利用者さんが笑顔でいること、散歩や買い物など外出の時間があるかどうか(外出は介護報酬?の点数にはならないので、利用者さんによろこんでもらいたい施設側のサービスで行われているのだとか)など、なるほどなあと思います。
 良い介護施設かどうか見分ける方法の一つに「食器は陶器を使っているか」というのがありました。陶器の食器を使っている所は利用者様のことを考えてる、との理由だそうです。確かに陶器の食器はきれいですし、ほどよい重さが麻痺を患う人の手にも良いようなのですが、割れないように気を遣うため仕事が遅くなり調理師泣かせなので、メラミンの食器でも許してください。
 また、わたしが介護の現場で働いたり、他の施設などもいくつか研修で訪れたりした経験から。施設の行事やレクレーションに、現場で働く介護士さんだけでなく、事務室にいる職員さん(施設長、事務員、ケアマネージャーなど)や厨房にいる調理師さん(ただ、調理師は直雇の施設もあれば、専門の業者が入っている施設もあります。)、送迎のドライバーさんなども参加している施設は良いと思いました。特に、事務室の職員は正社員で、現場の職員は非正規社員だったりすることも多いので、そのあたりに壁があると人間関係もぎすぎすしたものになり、職場の雰囲気が濁ってしまいます。施設の規模によって難しい部分もあるかもしれませんが、普段は利用者様と接しない業務の方々も、数字や書類の情報だけではなく、現場に出て利用者さん達や介護士さん達に触れ合う機会の持てている施設は、いろいろ風通しが良いように思います。
 あと、これは一箇所だけでしたが、利用者さんを「お客様」と呼ぶ施設もあって、間違いではないのでしょうけれど、商売っ気が押し出されている感じがしてわたしは気になりました。

 実家の、もうすぐ89歳になる祖母が、この3月から週一で通所介護施設に通い始めました。近所のお茶飲み友達もいなくなり、自身も体が不自由になってきて最近はずっと家にばかりいたので、施設でお話したり体操したり、楽しく過ごせればいいなあと思います。

  「はつ恋の味がするわ!」とはしゃぎつつ嫗らの食むぶどう寒天

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1月15日が、仕事の最終出勤日でした。当初は、聞いていた話と業務内容や勤務形態が違っていたり、職場の上司陣の若さ(センター長が同じ年齢!)に戸惑ったりもしました。特に、女性上司達の派手なファッションやネイル、同期の同僚女性もギャル子ちゃんが多く、「ここはわたしの働く場所じゃないでしょう…」と場違い感でいっぱいで、きっと長くは続けないと思っていました。
 けれども、仕事自体は苦手分野ながらマイペースにできてやりやすく、人の入れ代わりが激しかった分、ギャル子ちゃん達が脱落していき落ち着いた人が残ってきて、働きやすくなってきました。人間関係もさっくりしていて仲良しさんもでき、勤怠についても融通が利くのも良くて、思ったより長く続けることができました。
 このまま続けることもできたのですが、世の中の流れもあってセンター全体の生産性も振るわなくなり、いろいろ状況も変わってきたので、契約更新せず、ここらで円満終了です。お疲れさま、わたし!
 
 生活のためだと割り切って、仕事をするために仕事をする、そんな日々です。でも、同じような人も多いのでしょう。生きてゆきます。

  こんな仕事こんな仕事と思いつつ就業できることのうれしさ

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11月末に、実家に帰ってみました。関東に嫁いだ妹が赤ん坊を連れて帰省しているのです。赤ん坊を実家に連れてくるのは初めてなので、赤ん坊と会うのは初めて、妹と会うのもなんだかんだで2年ぶりです。
 
 久しぶりに会う妹は、新米ながらもうすっかりお母さん。そんなに子供好きではなかったはずなのに、我が子にはめろめろでした。初めて見る甥っ子は、そりゃあもうかわいくて、ずっと抱っこをさせてもらいました。ただ、一日子守りをしただけなのに、体がぐったりで、子育ては体力がいるってほんとうなんだなあとあらためて実感しました。妹の子だから軽く子守りもするけれど、これが我が子で毎日続いたら正直耐えられる自信がありません。
 父と弟はぼんやりしていましたが、母は初孫のためにわたし達をおぶったおんぶ紐やねんねこを引っ張り出してきたり、88歳の祖母はひ孫に歌ったり話しかけたり、家が明るんでいるのを感じました。

 祖母、父と母、わたしと弟、妹と赤ん坊。こんなふうに家族全員が実家に揃うのは、この先も滅多にないでしょう。妹は初の実家へのお披露目と、関東での引越しの関係もあってお正月過ぎまで実家に滞在するようなので、その間にわたしもまた帰れたらいいな、と思っています。
 ちなみに、甥っ子はキラキラネームを付けられており、今のところ家族は誰も名前では呼ばず、「んぼこ」(山形弁で赤ん坊のこと)と呼んでおります。

 実家にいる間、BSで原節子追悼で小津安二郎監督の『東京物語』を放映していました。DVDも持ってるほど好きな映画ですが、せっかくなので見ました。
 『東京物語』は今さら説明するまでもない名作映画ですが、老夫婦が尾道から上京して子供達に会いに行ったところ、東京で自立している子供達にないがしろにされる、というような内容です。何回か見たのですが、この日は、笠智衆と東山智栄子演ずる老夫婦の「子供と孫では孫の方がかわいいと言われていますが、どうですか?」「やっぱり子供の方がかわいいなあ」というような会話が妙に印象に残りました。

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国民年金保険料追納のご案内ハガキが届いた。去年の無職だった頃、国民年金の納付を免除してもらっていたのだ。

 印字されていた金額は、払えない額ではないけれど、今のわたしの月給の半分くらい。それなりに、大きい。
 免除してもらっていた分を追納すれば、将来もらえる年金が増える。免除分は、このままだと半額支給になる。老後のことは心配だ。とはいえ、手元の現金を一気に失うことは、こわい。それに、わたしが年金をもらう頃に年金制度がどうなっているか、破綻しているかもわからないし、手元に残しておく現金を将来のために貯金していたっていいし、自分のために遣ったっていい。

 結局、追納はしないことにした。悩むけれど、とりあえずは今を大切にしたい。

  文庫本しのばせてゆく晴れた日の国民年金免除手続き

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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