忍者ブログ
川が好き。山も好き。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5
平日の休みに、映画『遠いところ』を観てきました。脚本・監督は工藤将亮さん、出演は花瀬琴音さん、石田夢実さん、佐久間祥朗さんなど。
 夫と子供と暮らす17歳の主人公・アオイ、勤務するキャバクラにガサ入れが入り働けなくなり、働かない夫は暴力を振るったり、お金を持ち出して疾走したり、逮捕されたり、と様々に悲劇がおそってきてしんどい話、ではあるのですが、アオイの態度がどうにも悪くて共感も同情もできず。夫に一途っぽいのと子供に愛情があるのにはかろうじて救われるのですが。夫の暴力はひどいけれども、そもそもそんな相手を選ばなければいのでは、今からでも離れればいいのでは、そんな相手とそんなに若くして子供を作らなければよかったのでは、と自業自得に感じてしまうところがあります。
 ただ、離婚してそれぞれ新しい家庭を持ちアオイに愛情のない両親や、仕事で関わる大人達など、アオイの周りの人もクズばかりなので、そりゃあこのような荒んだ環境にいればこうなっちゃうのも仕方ないと悲しくもなります。違法な働き方を咎める警察や、虐待を疑って息子を引き離す児童相談所の人は圧倒的に正しいのに、アオイには響かない。まだ言葉も話せない幼い息子は無邪気でとてもかわいいのですが、この子も当然のように暴力を振るうような大人になってゆくか、その前にアオイがシングルマザーになってその彼氏に暴力を振るわれるのだろうと想像がついてしまうのは、こうした生い立ちを現実の事件で見聞きすることが多いからかもしれません。主人公に寄り添うのではなく、もっと大きな視点で貧困の連鎖に思いを馳せる映画なのだと思いました。

 週末、熱帯夜の寝苦しさに目が覚めてテレビを点けたら「朝まで生テレビ」をやっていて、少子化がテーマでした。日本に子供が増えないのは日本の現状に希望が見えなかったり、子育てにお金がかかったり、女性の生き方が多様化してきたり、氷河期世代の問題だったり、娯楽が増えたりと、政治家や活動家の方々が様々に議論をしていました。子供を生まない選択をする、または選択肢すらなく生めない人が大勢いる一方で、『遠いところ』の発端となったルポルタージュのように貧困が連鎖しようともぽんぽん生む人もいて、なにか世界の違いのようなものを考えさせられます。
 わたしが子供を生まなかったのは、社会の問題も無関係とはいえないけれど、つまるところ、ただ、縁がなかったからです。
 
 公式サイト→https://afarshore.jp/

拍手[1回]

PR
先日の金曜ロードショーで『もののけ姫』を観ました。ジブリ作品は既に観たことがあるものが多く、そこそこの頻度でテレビ放映されるので、観れる限り観たい『思ひ出ぽろぽろ』以外は今日観なくてもまた次の機会に観ればいいかな、と見送ることもあります。特に『もののけ姫』は映画館で観たこともあり、テレビでくり返し観ることはしていなかったので、ずい分久しぶりにちゃんと観ました。

 久しぶりに『もののけ姫』を観て、やっぱりおもしろかったです。昔は敵のように見えたエボシ様は今見るととても恰好良くて。それぞれに思いがあって、どれが正解というわけでなく、様々に折り合いをつけて生きてゆく、ということは大人になった今の方が身につまされて感じ入るものがあります。
 触れると命が吸い取られると言って、暴走したシシ神様の透明な姿から水の中を皆で逃げ惑う場面などは、震災の津波を彷彿とさせるようでとても怖くなりました。震災より14年も前の映画に津波を感じるのも、不思議な感覚です。

 公開の1997年、何もない小さな田舎町の女子高生だったわたしは、友達3人で『もののけ姫』を観に行きました。学校帰りに、映画館のある山形市まで一時間に一本あるかないかのバスと電車を乗り継いで、今みたいに山形駅に映画館が直結もしていない頃のこと、どこをどうやってどこの映画館までたどり着いたのか、なんだかもうほとんど覚えていません。けれども、親の車がないとどこへも行けないような暮らしの中で、友達だけで制服を着たままこんなに遠出することは初めてで、まるで大冒険みたいでした。
 もう2人ほども誘ったのだけど「お金がない」と断られました。思えばほんとうにお金がなくてかつかつというわけではなく「そんなことにお金を使いたくない」という意味だったのでしょう。その子は他のことも「お金がない」と断ることが多く、そう言われてしまうとなにか決まり悪いような思いがしたものでした。
 一緒に行った友達の一人はその後サウンドトラックCDを買い、わたしにも貸してくれました。彼女はエレクトーンを習っていて、「アシタカとサン」という曲のエレクトーンとピアノの連弾の楽譜もくれました。命の芽吹きを感じるようなとても美しい曲です。わたしはピアノをがんばって練習したけれど、難しくて弾けるようにはなりませんでした。エレクトーンとピアノが一緒に置いてある場所もなく、友達と一緒に合わせて弾くことも結局ありませんでした。
 友達とは、高校卒業後の最初の夏に同窓会で再会したっきり、今となってはどこでなにをしているのか全くわかりません。当時は今のようにSNSなどもなく、ポケベルが衰退しPHSから携帯電話を持ち始めたような時代です。時々手紙を書くような友達もいましたが、一人暮らしを始めても携帯電話ではなく固定電話を引き、長らくメールアドレスも持たなかったわたしは人と疎遠になりがちでした。世の中の主流に合わせて通信手段も持ち合わせていれば、続く縁もあったのかなと時に寂しく省みることもあります。けれども、大人になってからのきっと難しい付き合いがきっぱりとないからこそ、楽しい青春の思い出として振り返ることができるのかもしれません。
 
 サントラを聴いて、楽譜をもらって、希望あふれる壮大な曲のように感じていた「アシタカとサン」は、実際に映画では控えめにしか流れず、その直後のエンディングの「もののけ姫」の歌声にかき消されてしまいました。それでもなんだか懐かしく、まだ楽譜が残っていたら再び挑戦したいと思いました。

拍手[1回]

10月の終わり頃、映画『千夜、一夜』を観てきていました。久保田直監督作品、出演は田中裕子さん、尾野真千子さん、ダンカンさん、安藤政信さん、白石加代子さん、平泉成さん、小倉久寛さんなど。
 ずしんときてなかなか言葉にできなかったのですが、なにか書きたい気持ちもあり、まとまらないまま感想を書いてみます。
北の離島の美しい港町。登美子の夫が突然姿を消してから30年の時が経った。彼はなぜいなくなったのか。生きているのかどうか、それすらわからない。漁師の春男が登美子に想いを寄せ続けるも、彼女は愛する人とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。そんな登美子のもとに、2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。彼女は自分のなかで折り合いをつけ、前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。ある日、登美子は街中で偶然、失踪した奈美の夫・洋司を見かけて…。
(公式サイトより)
 この映画を観ていて強く感じたのは、人物描写というか心情描写というかのなんともいえないリアルさです。監督はもともとドキュメンタリー出身で、年間約8万人という日本の「失踪者リスト」から着想を得られたようなので、実際に近い人物やエピソードもあったのかもしれません。
 時々北朝鮮の船が漂着する土地で、夫は拉致されたのかもしれないと、真剣に考えて登美子を頼ってくる若い奈美にも、30年待ち続ける登美子にも、観ている方は「それってただ単に男の人が逃げただけなのでは。無責任な人だったってだけなのでは」と訝しんでしまうけれども、当事者となると突拍子もないことを考えてまでなにかを信じてしまいたいのはわかる気がします。
 登美子に思いを寄せる春夫がまた一途というよりメンヘラっぽくてわたしは「無理」って思うのですが、夫が帰って来るまででいいから面倒見させてほしい、などという相手の思いを尊重しているふうで逃げ腰で恩着せがましい言い寄り方がほんとうに嫌で、周りを巻き込んで圧力をかけてくるのも嫌で、この嫌な感じの作りが絶妙ですばらしくも思いました。
 会ったこともない人を街の中で偶然見かけて特定する、なんてことはさすがにありえないことだとは思いましたが、そうしたことを受けての展開や心の動きが生々しくて引き込まれてゆきました。

 観ていて最後まで先が読めず、自分の中で「こういう結末じゃありませんように」という思いが強く芽生えていることに気づきました。夫の失踪の真相はわからないままがいい。ミステリー映画ではないのだから。たとえば夫が帰ってきて「なーんだ、そういう理由だったんだ」と謎が解けてスッキリ解決なんて求めない。そして、春夫とくっついてほしくもない。春夫がすてきな人だったらくっついても納得するかというとそうでもなく、男女が結ばれてハッピーエンドというのも違うような気がしました。 
 エンドロールまで観て、こうならないでほしいという結末にはならなくて、安堵とカタルシスがありました。終わり良ければすべて良し、ではないですが、後味の良さは満足感にもつながります。一方で、物語の結末としてこれで最高でも、人生としてはどうか。
 夫ではなかったし突然の失踪や蒸発でもなかったけれど、わたしは恋人の部屋に行ったら引っ越し済みで空っぽだったことがあります。不誠実で最低だ、そんな人とは一緒にならなくてよかったのだ、と他人には言えるし、自分でも理屈では理解しているのだけど、登美子が吐露した思いも、在りし日のカセットテープをくり返し再生してしまうような行為も、覚えがないわけではなくて、くるしい。やっぱり現実はどんなにご都合主義な展開でもめでたしめでたしがいい。
 

公式サイト→https://bitters.co.jp/senyaichiya/#

拍手[2回]

今日の早朝に震度4の地震がありました。3月の時みたいに本棚が倒れてこないように全身を使って必死で抑えながら、まるで船に乗っているような揺れだと思いました。夏の地震は薄着なのが怖いです。何かが落ちてきたりぶつけたりした時に体に傷ができやすく、3月の地震でも生足だったところに擦り傷や大きな痣ができてなかなか治らなかったものでした。
 3月16日の深夜に大きな地震があり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまい、それからずっとどこか途方に暮れております。11年前の東日本大震災の時でさえ数週間後には人を呼べるくらいには片付けられたけれど、今回はもうまったく気力が湧かず。あの頃よりも部屋に物が増えたから、という単純な理由でもなくて。地震にまつわる文章も書いたり消したりうまくまとまらず。地震と関係ない文章からすこしずつ書いていきましょうか。

 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』を観てきておりました。前作がとても良くて、続編ができたのを知って迷わずに観に行きました。
 東京で映像制作の仕事をする住友直子さんが、広島のご両親を撮ったドキュメンタリーです。認知症の母に100歳を迎える父、老々介護でもあり遠距離介護でもあり、実の親子なだけになかなかに厳しい現実ではあるのですが、お母様やお父様のキャラクター性やエピソードにくすりとしながらも、わたしは終始泣きどおしでした。
 サブタイトルが「お母さん」であることを思いました。映画の中でも直子さんが「お父さん」「お母さん」と話しかける場面は多くあり、ご両親もお互いそう呼び合っています。また、直子さんが実家に帰った際の第一声の「お父さん」は広島弁のイントネーションも相まってでとても印象に残ります。両親が高齢になったからと言って「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方が変わるわけではなく、変わるとしたら子供ができてから子供に合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び始めるのでしょう。わたしも両親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいます。わたしがこのシリーズにおいて特に惹かれてしまうのは直子さんが独身女性であるというところで、作中でも「仕事が恋人」と語られるほど自立した格好いい女性で、だからこそ40代で乳がんを患ってしまってめそめそする直子さんを元気だった頃のお母様が明るく励ましてくれる場面などは、とてもせつなくなるのでした。お母様が認知症を発症するのはそれから5年後のことです。

 帰りに寄った本屋で、直子さんが「中国新聞」に連載していたコラム「認知症からの贈り物」に大幅加筆した『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(新潮社)を購入しました。お父様やお母様がとても魅力的で、ほんとうは結構しんどいであろう日々がユーモラスであたたかな筆致で描かれています。誰にもドラマがあり、誰もが老いてゆく。わたしもいつまでもぼんやりせず、少しずつ何か書いていきたい。

  公式サイト→https://bokemasu.com/

拍手[6回]

ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース作品の上映をいくつかやっていて、1985年公開の『東京画』を観てきました。ヴィム・ヴェンダース監督が、敬愛する小津安二郎監督の没後20年の東京を訪れ、『東京物語』のおもかげを探したり主演の笠智衆や撮影の厚田雄春に会ったりするドキュメンタリー映画です。

 1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
 タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
 笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。

 公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。

拍手[6回]

映画『紅花の守り人』を観てきました。佐藤広一監督による、紅花をめぐるドキュメンタリーです。紅花に思い入れがあり、地元ニュースなどでこの映画の情報を得てから絶対に観たいと思っていたところ、音楽を担当された小関佳宏さんのミニコンサートと舞台挨拶付きの上映日と都合が合いました。

  ベランダに十九の蕾この夏に十九の花がひらく慰み

 歌集『にず』にも収録したこの歌は、紅花を詠んだものでした。町役場から種をもらって育てました。花は紅餅を作って紅花染めをしたかったけれど、量が足りなかったので、紅花ご飯にして食べました。
 ふるさとの県の花だからなじみ深いというのもあるけれど、見た目の形や色も好き。紅花モチーフのおみやげものも、ゆるキャラ「はながたベニちゃん」もかわいい。
 
 映画のナレーターは今井美樹さん。『おもひでぽろぽろ』のタエ子があれからずっと山形にいるのだという裏設定があるとかないとか。あの映画ももう30年前だけれど、あの頃描かれた紅花摘みの光景が今も変わらずにありました。民謡の「紅花摘み唄」「最上川舟歌」などもとても沁みてきます。
 シルクロードを渡って伝わってきた紅花が山形に根付き、染料の原料として紅餅に加工されて、舟で京都へ運ばれて――といった江戸時代の歴史については知っていたのですが、今でも紅花染めは大切にされていて、いろいろな人が様々な形で関わって紅花の文化が守られているということがうれしくなりました。わたしの頃と同じように、小学生の子供達が紅花栽培から紅餅作り、紅花染めの実習をしているのもなつかしかったです。俳人の黛まどかさんも紅花摘み体験をされて紅花の句について語っていました。
 観賞用や染物だけでなく、花や若葉は食べることもできます。様々な料理が紹介され、パンフレットにはレシピも載っていました。外国から伝わってきた紅花なのに、今となっては他の国では種から紅花油を取るばかりで、こんなに活用して技術が受け継がれているのは日本だけ、ということは初めて知りました。
 わたし個人の郷愁だけでなく、紅花という花の奥深さにロマンがあり、なぜ人々がこんなに紅花に惹かれるのかわかった気がします。わたしも紅花の守り人になりたくなりました。とりあえず、わたしは紅花の短歌をもっと詠んでゆきましょうか。
 
 上映後の舞台挨拶では、監督や出演者の方々の紅花愛の伝わるお話を聞かせていただきました。ギターのコンサートもすてきでした。何もない田舎で何もできないと思って外に出たけれど、山形はこの頃とても熱いように感じます。




公式サイト→https://benibana-no-moribito.amebaownd.com/

拍手[3回]

映画『偶然と想像』を観てきました。監督・脚本は濱口竜介さん。出演は古川琴音さん、中島歩さん、玄理さん。渋川清彦さん、森郁月さん、甲斐翔真さん。占部房子さん、河井青葉さん。偶然をテーマにした短編集です。上映前に監督の挨拶の映像も流れました。
 第一話「魔法(よりもっと不確か)」は親友の話す惚気話の相手が元カレと気づき…という話。第二話「扉は開けたままで」は、作家でもある大学教授をスキャンダルに陥れるために色仕掛けを共謀する話、第三話「もう一度」は、高校の同級生と街中で20年ぶりに再会して興奮のままに話し込むが…という話。
 わたしはどれもおもしろかったです。登場人物の人数が最低限なくらい抑えられていて、小作りな感じ。台詞でどんどん露わになって深まってゆくような感覚は舞台的なのでしょうか。なんだか棒読みが気になるところもあったのですが、特定の誰かというわけでなく、その場の会話全体が淡々と流れていくので、あえて感情を乗せずに言葉を味わう演出なのだろうと思いました。登場人物の誰にもあまり共感できないのに、ぐさぐさ刺さって痛くなるような、不思議な映画でした。シューマンのピアノ曲のかろやかさが絶妙でした。

 第三話の舞台は仙台で、スクリーンには見慣れた場所が映りました。二人がすれ違った駅前のエスカレーターはわたしも時々使います。ここで20年ぶりに誰かに再開してもわたしは気づけるかな。と、思ったけれど、そこから先の通りで10年ぶりくらいに気づいてもらえたことはあったのでした。なんだかそれっきりになってしまったけれど、それでもよく見つけてくれたなあとびっくりした出来事でした。日常は偶然にあふれているのでしょう。

  公式サイト→https://guzen-sozo.incline.life/

拍手[2回]

映画『梅切らぬバカ』を観てきました。監督・脚本は和島香太郎さん、出演は加賀まりこさん、塚地武雅さん、渡辺いっけいさん、森口瑤子さんなど。加賀まりこさんはなんと54年ぶりの主演とのこと。

 大きな梅の木のある家で暮らす占い師の母と、自閉症を抱える息子。50歳の誕生日を機に、息子はグループホームに入所して……という話。
 8050問題……。思えばこうした障がいが題材となっている話でこの年代はめずらしいような気がします。わたしが知らないだけかもしれないけれど、8050問題の映画自体も初めて見ました。
 こうした話は映画やドラマよりドキュメンタリーで観ることがわたしは多く、わたしは昨年観た強度行動障害のわが子をグループホームに入所させて手放すという内容のドキュメンタリーを思い出していました。一緒にいるのも離れるのもくるしいという壮絶さでずっと印象に残っています。
 この映画にもつらいことは描かれますが、現実のことを思えばわたし自身にもこの親子をつらくさせるような気持ちがないとは言えず、申し訳なくなります。それでも、優しい物語にうれしくなりました。

 紹介文などを読む前からこの映画には「観てみたいな」と惹かれるものがありました。理由の一つは、緑あふれるポスターがすてきだったこと。もう一つはタイトルです。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」ということわざから採られているとのことですが、やっぱり五文字や七文字の日本語が気持ちいいのでした。

  公式サイト→https://happinet-phantom.com/umekiranubaka/

拍手[1回]

映画『草の響き』を観てきました。監督は斎藤久志さん、出演は東出昌大さん、奈緒さん、大東駿介さんなど。
 心の不調を抱えた主人公が東京から地元の函館に戻り、医者の勧めにより街を走る話。走ることで回復につながってゆくのはわかる気がします。わたしも数年前に不調に陥った時、地元に帰って犬と農道を朝晩散歩し続けているうちに良くなってきたという経験がありました。うまく思い出せないわたしの昔の日々は映画にも小説にも短歌にもならなかったけれども。

 かつて函館三部作、のように言われていたことがあったような気がしますが、佐藤泰志作品の映画化はこれで五作品目。函館の映画館、函館シネマアイリスで企画や制作をされているとのことです。
 走っている場面を中心として函館の街並みがとても印象的で、この映画は函館の街を映すことを目的として撮られているのではないかと思うほどでした。チラシやパンフレットとは別にロケ地マップも配布されていたのでいただいてきました。この道を走っていたのか、と思うと感慨深いものがあります。地元の方ならばなおさらでしょう。

 原作の主人公は独身のような気がしていたのですが、映画には妻が出てきました。ずい分脚色されているのかな、と思い帰宅してから読み返したら妻がらみ以外は原作にほとんど忠実でした。わたしが内容を忘れていたので新鮮な気持ちで鑑賞できたということのようです。小説が作者の実体験を下敷きに書かれたと想定されているので、もしかしたら映画版には作者本人のエピソードを元にふくらませた部分もあるのかもしれないと想像しました。
 シアターを出る時に「ハッピーエンドじゃなかったね」という声が聞こえました。
 
 帰宅してパソコンを点けたら、主演の東出昌大さんのゴシップが出ていました。話題作りにしては逆効果な気が。

 公式サイト→https://www.kusanohibiki.com/

拍手[3回]

『茜色に焼かれる』を観てきました。監督・脚本・編集は石井裕也さん、出演は尾野真千子さん、和田庵さん、片山友希さん、オダギリジョーさん、永瀬正敏さんなど。
 7年前に交通事故で夫を亡くしシングルマザーになった主人公・田中良子がコロナ禍の今を理不尽な目に遭いながら生きる話、なんてまとめ過ぎると身も蓋もないのですが、じわじわくる映画でした。お金を使った時、稼いだ時にいちいち金額が表示されるのが現実的です。
 しんどいことは次々に起こるのですが、特別な物語の悲劇のヒロインというわけでもなく、世の中で誰かが受けているような災難です。事故の加害者が上級国民で罪を免れていたりするのはつい先日のニュースで見たし(例の事件をモデルにしているのだろうけれども)、仕事のパワハラはわたしにも経験があります。様々なことを自分を演じながら受け流して生きてゆく田中良子に「怒っていいんですよ」と声をかける同僚のケイちゃんこそ生い立ちからなにから壮絶。他人から見たら壮絶でも、生まれた時からその渦中にいれば、それがその人にとっての普通として麻痺してしまうものなのでしょうか。わたしはこのケイちゃんがとても魅力的でいとおしく思いました。不慮の死を遂げた夫の人柄もなんともいえず人間くさく、それゆえ残された者に厄介ごとがのしかかったりもします。社会的弱者側に寄せた話ですが、だからといって立場の弱い者が必ずしも清廉潔白ではないあたりのリアルさも好きでした。
 息子がランニングシャツ姿だと筋肉質で、こんなにたくましい体つきでもいじめられるのかとちょっと気になりました。二の腕は隠してもやしっ子に見せた方がよかったのでは、と思いつつ、よく考えたらいじめられっ子らしい体形などと一般的なイメージを抱く方が変なことなのかもしれません。
 主題歌のGOING UNDER GROUND「ハートビート」は、わたしが20代の頃にラジオでよく流れていたような気がします。微妙な懐かしさと、一定のリズムを刻み続けるような淡々としたビート感が、よくわからないけれども、これからも日々が続いてゆくということを思わせていいような気もしました。

  公式サイト→https://akaneiro-movie.com/

 帰り道、書店の文具コーナーで「紙モノいろいろお宝袋」とパッケージされたものを買いました。在庫処分の寄せ集めかもしれないのですが、レターセットや一筆箋、メモや付箋がたくさん入っていてお買い得でした。お手紙書きたいです。¥1100(観てきた映画ふうに金額を表現してみる)

拍手[2回]

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
ブログ内検索
最新コメント
[12/25 びょんすけ]
[09/11 ぴょんすけ]
[12/26 お湯]
[11/19 お湯]
[08/27 お湯]
*
Designed by Lynn
忍者ブログ [PR]