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川が好き。山も好き。
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春らしい、ピンク色のカーディガンを買った。20代の頃は黒、灰、茶などのアースカラーの服を好んでいた。ピンクなんて、以前のわたしからしたら、思い切った色。何年も前に買ったままだったオレンジ色のアンサンブルも、先日初めて袖を通した。フリルの付いた小花柄のスカートも履けるようになった。
 最近は、服を着るときは明るい色の服を選ぶようにしている。わたしがそういう色を着てもいいんだと、思い直している。昔は、地味なわたしは地味な色しか似合わないような気がしていたのだ。思い切った色も、思い切った服も、思い切って着てみれば、意外と普通に着れていて、なんだか気持ちがいい。

 今日こそはくぞと決めたスカートを鏡に映し照れる膝小僧

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面接の帰り、久しぶりに主にこけしを扱っている民芸品屋さんに寄り、こけしをながめていたら、近くにいたおじいちゃんに話しかけられました。おじいちゃんは、こけしの通らしく、自宅には5000ものこけしを所持しているそうで、こけしの種類の文様の特徴やこけしの材質、「こけし友の会」の話、こけし職人に嫁が不足しているらしい話まで、いろんな話を熱く聞かせてくれました。わたしもこけし好きとはいっても、わたしなんてまだまだな深い世界なのだと感じました。

 久しぶりに来店したら、以前から「欲しいなあ」と思っていたこけしイヤリングが店頭から消えていました。本物の伝統こけしのイヤリングで、とっても可愛かったのに。いつか、いつかなんて思わず、買っておけばよかったです。代わりにイヤホンジャックなどが並んでいましたが、わたしはガラケーなので必要ありません。こうなったら、ちょっと高価だけれどカガモクのこけし箸はなにがなんでも近いうちに購おうと思った次第です。その日は比較的安価なこけしピンズとこけしマスキングテープを購入しました。このお店オリジナルのこけしレターセットもお気に入りで、お手紙を書く際に使わせていただいてます。こけしグッズならなんでもいいというわけでなく、伝統こけしにこだわりがあります。

 もちろん、本物のこけしも欲しいのです。ところが、以前は割合店頭に並んでいたはずの遠刈田こけしがすっかり消え、弥治郎こけしと津軽こけしが少し、そしてずらりと鳴子こけしばかりなのです。鳴子系も定番で可愛いけど、わたしはまずは遠刈田系が欲しいのです。数体あるにはあるけれど、厳選された品なのか手が出ないほどお高くて……その分、とってもとっても可愛いのだけれど。前回来店した時は遠刈田系がいっぱいあったと思うので、そうした波を待つしかないのでしょうか。それにしても、伝統こけしは一体一体顔が違うので、ながめていて飽きません。えじこ(農作業中などに連れて来た赤ちゃんを入れておく入れ物)に入っているこけしもこの頃は好きです。
 ちなみに、アイコンにしているこけしは鳴子こけしですが、目がパッチリしていて顔の系統が鳴子系っぽくないところがお気に入りなのでした。
 
 今さら知ったことなのですが、こけしは、みんな女の子なのだそうです。どうりで可愛いはずだ。
 そして、大本命だった面接は不採用でした。がんばれ、わたし!

  遠刈田こけしの眼こそ良けれ見つめられれば笑みたくなりぬ

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今、ある官公庁系の仕事をしています。覚えなきゃいけないことは難しいけれど、人生や生活に役立つ知識が身につくし、時間や責任に追われることもなく決まった時間をマイペースでやっていけるので、気持ち的には楽ちんです。同僚の方々もマイペースに仕事をしているので、人間関係のいざこざもありません。時には理不尽なクレームを受けることもあり疲弊すると言えば疲弊もしますが、わけのわからないことを一方的にわめき散らす人を電話口で淡々と応対するのが割と苦ではないので、この仕事はそれなりに向いてるんだとも思います。

 わたし達は、決まっていることを決まっている範囲でご案内するのが仕事なのですが、困った人は、それ以上のことを求めてきたり、「なんでそう決まっているのか」と詰め寄ってきます。
 クレーマー気質の人達って、自分のクレーマーっぷりを何故か誇りに思っているふしがあって、謎。自分は自分の納得いかないことは徹底的に突き詰めてやる性分だから!って胸張ってわめき散らしたって、応対する相手側からは「例のめんどくさいアレな人」扱いされるだけです。要注意人物って報告されて、たくさんの人に「ああ、例のあの人」って眉をひそめられたり嘲笑されたりして。自分の主張をすればするほど、本人が自分で思っているところの、「自分は偉い! 自分の考えは正しい!」とは全く別な印象を抱かれてゆきます。
 そして、アレな人ってほんとうにパターンが決まっていて、「上の者に代われ」「謝れ、そしてその証拠を書面で送れ」「お役所仕事」「たらい回し」などと怒鳴り出してきます、皆が皆。「お前じゃ話にならない、別の人(以前応対した人や、もっと偉い人)に代われ」と要求したところで、そういう人は他の誰とも話になりません。そうして、最後には「もういい」「バカヤロー」「そんなこともできないとは情けなくないのか」「裁判を起こしてやる」「お前のいる場所に行って脅かしてやる」などと捨て台詞を吐いてガチャンと切ってきます。一度電話を切った人が、気が治まらずまた電話をかけてきて同じことをくり返したり、他の機関に当たって同じことをくり返すようなこともよくあるようです。「たらい回し」という言葉が飛び出すのもそのせいでしょう。謝罪の書面が大好きなのは、最近よく話題になるモラハラ気質な人の共通点ですが、そういえば前職のパワハラ上司もなにかと「手書きの反省文を書け」と要求する人で、やっぱりアレな側の人だったんだなあとあらためてため息を吐きました。
 クレームをニコニコと流しながら、つくづく、優しさというものの尊さを思います。ああはなりたくない。わたしは心が広く優しくありたい。優しい人が好き。怒っている姿はとにかく恥ずかしくてみっともない。それでも、そういったアレな人達にも配偶者がいたりして、不思議。わたしなら絶対に一緒に生きたくない。きっと、わたしにはわからない良さもあるのでしょう。

 臨時でつなぎの予定だった今の仕事ですが、長期勤務のお誘いをいただきました。なかなか悪くないお話だけど、通勤がちょっと大変なのと、業務の一部を担う今でさえいっぱいいっぱいなのに長期の常勤だとタウンページ2冊分くらいのマニュアルを一ヶ月の研修で詰め込まなきゃいけないっていうのに圧倒されて、今回は辞退することにしました。でも、ずっと募集をしているようだし、他の仕事もしてみて、また戻ってくるのもいいような気もしています。年配の方も多くて、年を重ねてもできる仕事だということが、わたしを勇気づけてくれました。

 職場は、10代の頃に通っていた専門学校の近くで、あの頃の通学路と同じ通勤路を自転車で行けば、様々な思いが過ぎります。道なりに立ち並ぶお店もすっかり変わりました。よく立ち寄ったコンビニも、書店も、パンクを直してもらった自転車屋さんも、今はありません。景色が変わったように、そこで働いていた人達が代わったように、私の仕事も変わっていいんだ、それが普通なんだ、そんなふうに思いながら、自転車を漕ぎます。

  歩道橋を慣れない靴で渡りおり これでよかったこれでよかった

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 今、妹は妊婦さんです。夏頃にはわたしに甥っ子か姪っ子ができ、わたしは伯母さんになります。
 なにしろ遠くに暮らしているので、妹のふくらんだお腹もこの先目にすることがないまま、いきなり赤ん坊が現れたりするのでしょう。
 お互いが独身の時代は、年に一回、予定を合わせて姉妹で温泉旅行に行っていました。気のおけない妹との遠出の旅行は年に一度の楽しみでしたが、妹の結婚、妊娠、出産により、途絶えることになります。おめでたいことではあるのだけれど、毎年の習慣の一つの消えてしまうのは、どこか寂しくも思います。会えなくなるわけではないにしても、幼い子供連れ、旦那さんのご両親と同居では、今までのようには遠出もできないでしょう。わたしも今まで以上に気を遣います。

 年に一度、会う度に「結婚はしない」「子供は生まない」と散々言っていた妹でしたから、両親に孫の顔を見せられるのは出産願望はないとはいえ少なくとも結婚願望はあるわたしの役目なのだろうか、と持ち前の理屈っぽさでずっと考え思い悩んでいました。けれども、妹は長年お付き合いしていた恋人ときっちり30歳前の29歳には入籍し、30歳には結婚式を挙げ、31歳には両親に孫を抱かせてあげることになりました。
 非正規の職をふらふらしているわたしとは違い、これまで正社員でちゃんと働いていた妹。正直、引け目を感じないでもありません。妹が自分の結婚や出産に否定的なことを言う度、それぐらいは姉のわたしの方が先に成し遂げてやりましょう、と心のどこかで安心している自分もいました。でも、結局は人生において妹の方がほとんど先輩となることになりました。顔がそっくりのため、これまでは双子に間違われることも多かったわたし達ですが、今後は人生経験を重ねた妹の方が姉で、いつまでもおぼこいわたしの方が妹に間違われることもあるかもしれません。
 尤も、妹があれほど嫌がっていた結婚や出産に前向きになれたことはよろこばしいことで、なにか心境の変化があったのかもしれないし、ホルモンの影響かもしれないし、今は「子供なんて考えられないなあ」と思うわたしも30歳前後は妙に子供が可愛く見えたし、閉経間近の40歳頃に子供が欲しくてたまらなくなるように女性の体ができている、なんていうのもよく聞く話です。

 男の子か女の子かもわからない、未だ生まれざる子ですが、ゆくゆく言葉を話すようになった際には「おともちゃん」だとか「仙台のおねえちゃん」だとか変に呼ばせずに、普通に「伯母さん」と呼んでもらうつもりでいます。いつまでも少女のような心を持っていたって、客観的にはもう普通にオバサンですもの。

  おめでとう幸せにって心から思っているよ でもさびしいよ

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 里芋と豚肉の煮物。味付けは山形の芋煮風。色みにオクラも入れてみました。意外に合いました。

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今期のフジテレビの月9ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』が、おもしろいなあと思う。結婚は契約にすぎないと考える、恋愛力ゼロの男と女。恋愛感情を全く持たないまま結婚を目指し、デートを重ねるロマンティック・ラブコメディー(「番組概要」より)。杏さん演ずる依子の突き抜けたキャラクターや、長谷川さん演ずる高等遊民のクズっぷりもおもしろいし、細やかな小ネタも楽しい。張り巡らせた複線を見事回収してくれる展開も気持ちがいい。また、ドラマに描かれるどこかズレた恋愛観、結婚観が、Aセクシャル気味なわたしの心にぐさぐさくるのだ。

 ところで、短歌を嗜んでいると、歌会などの場で「お勤めしているの?」とまるで普通に聞かれることがよくある。「無職ですか?」と聞いているようなニュアンスではなく、それはもうまるで普通に。短歌を詠むわたしくらいの年代の中には、仕事をせずに読書などをして暮らしてゆけている真の高等遊民なる人達が、もしかして普通に割合いるのだろうか。うらやましいことです。

  そーしそーあいそ-しそ-あい風車からから回る誰も見てない

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不本意ながらも、ここ一年ほど職を転々としていることもあってか、人との出会いは薄くも多い。そうした中で、同僚さんなる女性に、わたしのおぼこさか、指輪のない左手の薬指を見てか、「結婚してないの?」「独身なの?」と聞かれることもよくある。その度に、「そうなんですよー、誰かいい人がいたらよろしくお願いしますー」などと無難に答えていた。この年齢で、たとえば変に濁したことを言えば空気が悪くなったり、勝手になにか勘ぐられたり、いろいろ痛々しいことになるのだ。空気を読んで「誰かいい人がいたらよろしく」なんて無難に答えながら、ふと思う。はたして、実のところわたしは、伴侶を募集していたりするのだろうか。

 一人は寂しい。一人は心もとない。ずっと言っている。(ここで言う一人とは、一生一人(かも知れない不安)、いざという時に誰にも頼れず一人(かもしれない不安)ということであり、いわゆるお一人様時間というか、一人の時間を楽しむこと自体はわたしは大切にしたい方である。)
 けれど、たとえばわたしのことをよく知る人に、わたしに合いそうと思われる人を紹介されるなどならともかく、なにか年齢が釣り合うくらいの程度で適当に人をあてがわれても、やっぱり難しい。
 
 一人は寂しい。一人は心もとない。けれど、それは「男がほしい」というわけではなくって、「女として必要とされたい」というわけではなくって。わたしは、まずは人と人として大切に思い合いたい。まずはそこから始めたい。

  あんなにもわたしを好いていたひとが活サイトにハマっておりぬ

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数年ぶりに偶然再会したかつての同僚さんが、某さんとも会いたいと言うので、某さんと今でも交流のあるわたしが幹事のような感じで女子会を企画した。今、予定を調整しているところ。わたし以外の二人はシフト勤務で、休日が不規則なのだ。だから予定を合わせるのがちょっと難航しているけれど、楽しみ。

 わたしは先に予定が決まっている方がうれしいタイプで、何の約束もなしに突発的に「今から何々しよう!」みたいな他人との予定が入るのはちょっと苦手。何故かといえば、予定のために気分を整える準備が要るから。あらかじめ約束があれば、その時のために楽しみに準備して過ごす。もちろん、他に予定が入っておらず自分の準備も大丈夫であれば突発的な誘いもうれしく受け入れるけれど、前もって約束がある方が安心する。

 昔、前もって約束をしておくのが苦手で、急に「今から何々しよう!」という予定の立て方じゃないと嫌だ、と言う人がいた。約束をして先々の予定が決まると、約束に縛られるみたいでめんどくさくて嫌なのだそう。
 そういう考え方の人もいるのか、ということは理解しつつも、わたしは全く共感できなかった。急に誰かと予定の入るのが好き、って、一人の時間は必要ないのだろうか。人と過ごすのに準備は要らないのだろうか。
 それに、約束に縛られるのが嫌だ、と言うけれど、わたしは「今から何々しよう!」と急に自分の時間を取られる方が、わたしの時間がいつでもあなたの自由になるとでも思ってるの、あなたのために予定をいつでも空けているとでも思ってるの、って縛られている感じがする。約束が決まっていれば、その時以外の時間は自分の自由に使えるではないか。わたしは一人の趣味もあるし、一人暮らしなので貯まった家事など一人でしなきゃいけないことがある。約束嫌いの人と親しくしていると、いつ予定が入るかわからなくて息苦しい。いつでもスタンバイ状態にしておかなきゃいけないみたいで、気を抜く暇がない。
 また、自分に既に他の予定が決まっていたり、自分の準備ができていないために断るのも心苦しい。準備ができていない時などは前もって、せめて一日でもいいから先に誘ってくれれば、断らずに済んだのに。わたしだってその予定を楽しみたかったのに。でも、約束嫌いの人は、断られても気にしないのだそう。わからない。わたしは誘って断られるとひどく落ち込む。だから、相手の他の予定を慮って約束をしておきたい。
 女性などは、お化粧の準備もあるし、「今から」みたいな急な誘いには対応しにくいんじゃないか、約束があった方がいいんじゃないかと思うけれど、女性の方にも約束嫌いの人は結構いるらしい。というか、わたしの関わったその人も女性であった。

 他人と過ごすには前もって約束のあった方が、わたしはいい。他人を巻き込まない自分一人の予定だったら、急に思い立ってなんでも全然するけれど。

 こうして文章を書いているうちに、女子会の日にちが決まった。「何日はどう?」「何日なら大丈夫?」と、当初予定していた土曜日では皆の都合がつかなくて、平日の夜に集まることになった。こんなに皆の都合がばらばらなのだから「今から会おう!」なんて誘い方ではきっと全員は集まれなかった。
 約束の日が楽しみだなと思う。自分だけじゃなく、他の二人も楽しみにしていてくれることが、うれしい。

  (この次は一人で来よう)遠ざかるあの赤い橋渡ってみたかった

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 8年くらい前に描いたらしい短歌4コマ漫画が出てきました。ライトボックスとは、別名トレース台、絵や製図を描く際に下の絵を透かして写すための、電気の明かりの点く道具です。2万くらいする、割と高価な道具です。わたしはこれがないと絵が描けません。

  今はもうただ履歴書を写すだけ ただそれだけのライトボックス

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 インフルエンザで倒れていた。つくづく、一人暮らしで体を壊すことほど心細いことはない。具合の悪い体で台所に立ち、具合の悪い自分のための食事を用意しなければいけない。具合の悪い体で外に出て、具合の悪い自分のための食品や薬を調達しなければいけない。具合の悪い体を休めたいのに。
 今回はインフルエンザということもあり、熱があって意識が朦朧とし、立つこともままならず、医者に行くどころか食事のことも何もできなくてしんどかった。さいわい、隣県に暮らす家族が駆けつけてくれて、病院に連れて行ってもらい、実家で療養することができた。けれど、両親だっていつまでも健在なわけではない。いつまでも実家に頼れるわけではない。今はまだいいけれど、この先どうしよう。

 今までだって何度もあったのだ、具合の悪い体で具合の悪い自分の世話をするほかなかったこと。一人でじっと耐えていたこと。一人で暮らすこの街で、助けを求められる相手もいなくて。孤独死、なんて言葉が過ぎるのもこんな時だ。思うようにならない体を抱え、誰にも気づかれないまま一人でうんうん唸っていたことなんか、これまでに何度もあった。

「ポカリスエット買ってきて」
 具合の悪い時にそう頼める相手がいたらな。倒れるたびに思う。

 自分が、一人暮らしで体を壊した時の頼りなさを知っているから、もし一人暮らしで倒れてどうしようもない思いをしている人がいるなら、ポカリスエットを持って行っておかゆを作ってあげたいと思う。寄り添ってあげたいと思う。こんな時、一人で過ごしていないってだけで、どんなにか心細さから救われるって、わたしは知ってるから。

  服薬をするために食む朝ごはん晩ごはんなり少し肥えたり

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普通自動車運転免許を更新した。車がないと暮らしてゆけないような田舎で生まれ育ったわたし。10代の頃は将来は自分も普通に車に乗るものと思っていたものだけれど、どうにもうまく運転ができず、「免許が取れたらもう車なんて運転しない!」と教習所時代に決めてしまった。実際に、地元よりも交通機関の充足した所に越したこともあり、以降一度もちゃんと運転したことがない。それでも、免許の更新だけは続けていて、そもそも運転をしていないのだから当然として無事故無違反のゴールド免許を所持している。履歴書の免許・資格欄に書く時と、身分証明の際には役立つ。

 車の運転ができないので、免許センターまでは父の車に乗せてもらって行った。次の更新は5年後。5年後の高齢になった父に、送迎なんて頼めるだろうか。やっぱり交通機関で一人で行くことになるんだろうか。それとも、観念して運転を始めたりしてるんだろううか。5年後、わたしはどうしてるだろう。5年後といえば、40歳ぐらいか。
 次の免許更新の頃に思いを馳せながら、前の更新の頃を思い出した。5年前に免許の更新をした時、わたしは三十路前で、無職だった。でも、その後ちゃんとした仕事に就けて、充実した日々を送ることができた。あの頃が一番楽しかった、と言えるぐらいの。長くは続かなかったけれど、あんな時間が一瞬でも自分の人生にあったということだけでも、幸福なのだとも思う。何も進んでない人生のように見えても、免許の有効期間という区切りの間に、得たものも、失ったものもある。
 いろいろあったなあ、と思う。これからも、いろいろあるんだろうなあ、と思う。今を、こんなはずじゃなかったと思っているくらい、未来だってどうなってゆくかわからない。不安に駆られて自分を見失ったこともあったけれど、なるようになってゆくんだろうな、と今は思えてる。

 ばっちりおめかしをして行ったので、免許の写真がそこそこ満足のいく仕上がりになってくれた。これを5年使うぞ、と思うと、ちょっと気分がいい。

  ビデオ屋の会員になるためだけに取ったみたいな運転免許

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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