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川が好き。山も好き。
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『生きてるだけで、愛。』を観てきていました。監督は関根光才さん、出演は趣里さん、菅田将暉さん、仲里依紗さんなど。本谷有希子さんの原作は未読ですが、他の映画化作品を観たり小説を読んだりはしていて、ちょっとこれから読んでみたいと思っていたところでした。

 自己診断の鬱病と過眠症の寧子は出版社勤務の津奈木と同棲中。津奈木の元恋人が現われ、津奈木とよりを戻したいから自立して、と無職で寝てばかりいる寧子を知り合いのカフェでバイトとして雇わせるが…という話。
 うーん、なんというか、寧子は始終不機嫌で理不尽に怒ってばかりでワガママで自分勝手で被害妄想強くてとても共感できず。なんちゃって鬱のメンヘラさんという感じ。本人はすごくくるしくて生きにくいんだろうけど、これは振り回される周りの人の方が絶対にずっとしんどい。
 とはいえ、わたしみたいに自分の感情をしまい込んでへらへらやり過ごしているより、感情むき出しのこういったタイプの方が人間として魅力的なんだろうな、とも思うのでした。だから寧子は津奈木に養ってもらえているし、現実にもこういう女性には大体恋人がいます。ほっておけないのでしょうし、何考えているかわからないような不気味さがなく、そのまっすぐさに安心できるのかもしれません。
 寧子は津奈木が自分に対して何にも言わず本音で向き合ってくれないことを責めます。わたしも、絶対に寧子に責められるタイプだな、と思いました。
 相容れないけれど、キャラクターとして寧子は興味深くて、趣里さんも好演でした。
 
 いろいろ思うこともあり、映画館帰りのその足で本屋さんに赴き、心理士の方に以前勧めていただいた平木典子『アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法』(講談社現代新書)を購入しました。

  公式サイト→http://ikiai.jp/

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新元号が「令和」と発表になりました。出典は万葉集の梅の花の歌の序文「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」からとのこと。
 万葉集からというのがうれしいし、自然を愛でる文からというのも、その中でも春なのも、梅なのもすてき。うららかで美しい情景が浮かびます。教訓めいたものや観念的なものとは違った、こういう方向からの願いの込め方に、しみじみしました。新しい御代がおだやかなものでありますように。

  われの産む子は平成のその次の世の子か南に旅の宿とる
(御代替わりが検討され始めた頃の歌でした…)

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ひと月を原因不明のまま咳込んでいるうちに3月も終わりですが、今日は2月に逆戻りしたみたいな雪降りですので、2月号を読みましょう。敬称略です。

  老女みな老いし少女であることのなんと愉快な秋の薔薇園  村田弘子

 楽しげな光景の目に浮かぶ歌。いいなあ。老女達を少女のようにうれしくさせるのが薔薇の花であることも、作者のまなざしの優しさもいいなと思うのでした。

  気の強き娘がその子を叱るとき優しくて我をかなしくさせたり  三浦こうこ

 わたしも我が子には母に見せたことない優しい顔をするだろう、と気づき、どきっとしました。わたしは気が強くないし、我が子もいないのだけど。「かなしい」という率直な言葉もかなしい。母子の関係性、距離感をあらためて考えさせられます。

  いつも何か小さな手土産渡すことを楽しみとしてわが暮らし在る  新田由美子

 暮しの中で、与えることを楽しみとする心がいいなと思うのです。小さな手土産ほどの小さな心遣い。用意する時に渡す相手のことを思うのもすてきなことでしょう。 

  シチリアの飾りパンまつりにいつか行くそれだけ決めて今日ははたらく  山名聡美

 とりあえず今日の労働を乗り切るために、楽しみを一つ決めておくということでしょう。「シチリアの飾りパンまつり」という具体の、「いつか」と言いつつ現実的に叶いそうな絶妙な距離感。

  入院用のパジャマに五個の花釦花の名知らねどうすきピンクの  江原幹子

 花の形の釦、名前がわかるほど精巧な作りの釦は確かにないような気がします。けれども、優しい色合いの小さな花は入院生活を少しでも華やかな気分にさせてくれたのでしょう。お大事にされますように。

  十年を元気に暮らす自信なくポチ亡きあとの犬を飼ひ得ず  北島邦夫

 動物に愛情があればこそ、自分の思いだけで無責任に飼うわけにもいかないのですね。己を律する作者の心を切なく思うのでした。「ポチ」という定番の名前がなんだかとても良いです。元気に暮らせますように。

  焦げた鍋をこすっているその間君のことを忘れられてました  潮見克子

  鍋の焦げ付きという生活感。意外と力仕事ですし、確かに他のことが頭から消えてしまうくらいに夢中になります。けれども、鍋から手が離れた途端にまた思い出してしまうのでしょうか。作業を終えて力が抜けたような破調です。
 
 古賀泰子さんの追悼特集がとても良かったです。地下鉄の中で読みながら泣きそうになりました。

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3月に入ってから、なにげない雑談の中で、震災の頃の話題が出ることが多くなりました。東北で被災した人だけでなく、当時は東京にいた人も帰宅困難者としての体験や、仕事が中断した話、東北の家族と連絡のことなどを、昨日のことのように語り出します。「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」などと言い聞かせなくとも、みんなあの日のことを語りたいのだとあらためて感じます。そうして、被害の大小にかかわらずどんな些細なことも、被災の一つなのだと気づかされます。

 わたしが避難所として泊まった文化センターが、追悼式会場になっていました。出席は見送りましたが、センターの外にも案内や警備の方がたくさんいたり、無料送迎バスが何台も出ていたり厳粛な空気が流れていました。
 あの日々のことを語ろうと思えば語れるのだけれど、自分の中では震災が過去になったという感覚が、ここ数年はしています。震災当時を忘れた、というわけではなくて、震災前の生活に執着がなくなったという心境です。あの時なくしたものを取り戻したいとは、もう思わない。
 とはいえ、また震災が起きたらまた同じようなことにくるしむようなわたしだろうということが懸念されるので、自分の心の偏りの矯正はしていかないと、思うのでした。

 職場に河北新報が置かれるようになったので、佐藤通雅さんと花山多佳子さんが選者をしている河北歌壇を久しぶりに読んでいます。震災にまつわる歌が毎回いくつか載っていることに少し驚きました。震災から5年目までの分は河北新報出版センターから『震災のうた 1800日の心もよう』という本にまとめられていて、とても良い作品集ですが、その続きが8年目の今までずっと続いています。震災詠というより、東北の人にとっては日常詠なのでしょう。常連の投稿者の方などは、被災してからの暮らしぶりが近況報告のように伝わってきて、詠み続けることの大切さにあらためて胸を打たれます。その時その時の今を詠った歌を追い続けながら、その人その人の人生に思いを馳せています。

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もうすぐ3月号が届いてしまいますよ。敬称略です。

  父のなきわたしは叔父に連れられてまぶしかりきよ常磐ハワイアンセンター  宮地しもん

 やっぱり「常磐ハワイアンセンター」というB級感かつノスタルジー漂う名称の味わいにつきます。「スパリゾートハワイアンズ」ではこうはいかない。そして確かにあの頃のハワイアンセンターは子供心にまぶしかった。叔父と姪の小旅にもドラマ性があるように思うのでした。

  はじめての歌集の名前を考える(産むことのない)子の名のように  永田愛

 素直に詠われているからこそせつない。〈 )でくくったことによって、( )内の言葉が目立ちつつも主張としては控えめであることが感じられます。歌集に対する大切な思いも。個人的にもこの感覚はよくわかるのでした。

  ペコちゃんの前を通って帰宅する少し遠回りになるけれど  杉田菜穂

 ペコちゃんが好きなのでしょうか。あるいは、なにかつらいことがあった帰りに、愛らしいペコちゃんの顔を見て元気を出そうというのでしょうか。何かの縁起担ぎかもしれません。遠回りしても、というのがいじらしいです。「少し」がいいように思いました。

  子の無くて五十六年子の名前ひそかに考えてみたりしていて  荒堀治雄

 こちらも子の名前を考える歌。五十六年という具体的な数字の、その長い年月がせつない。同年代が孫を持つような頃でも考えるのは「子」なのです。ぐだぐだした下の句のはぐらかし感もまた。

  思春期に父のくれたるキーホルダー「努力」の文字の黒き石なり  きむらきのと

 このキーホルダーがシュール過ぎて、ちょっと欲しくなるくらいです。ただでさえぎくしゃくしがちな思春期の娘に、お父様はなにゆえこれを選んで贈られたのか。厳しいメッセージなのか、天然なのか、想像が広がります。

  河岸の桜古木に札のあり 犬猫を埋めないで下さい  和田澄

 樹木葬のように、愛するペットの亡骸をうつくしい景色の中に葬りたいという飼い主がたくさんいるのでしょう。けれども木の管理している側からしたら困った話であるという現実問題が。

  百並ぶかかし祭りの五番目は亡き父に似て少し面長  三木紀幸

 帰省の一連から。かかし祭りという行事が興味深いです。かかしに亡きお父様を重ねるというのも地域性があっていいと思うのでした。割と早くお父様似が出てきましたね。八十六番目とかだったら疲れそう。

  わたくしを励ましくれる木のひとつひとつを数へ過ごしゆく夜  山尾春美

 木が励ましてくれるという、木との関係性、木への思いがいいなと思いました。それが一本ではなくていくつかあるということも、夜に思うことも。

  夫のシャツ二十年分作りぬと笑ひて友は三年に逝く  阿蘇礼子

 ご友人さんが自分の死期を感じ取り、自分亡き後の夫が困らないようにシャツを作ったのだと読みました。二十年分という量もすごいし、夫に長生きをして欲しいという祈りもあるのでしょう。愛とはこういうものなのだろうなあ。

  どうしてもケヤキが欲しいと植えし夫の在らぬこの夏 大きく伐りぬ  今井眞知子

 一字空けての結句への流れがおもしろいのですが、それより「どうしてもケヤキが欲しい」という夫のキャラクター性にとても惹かれます。木を植えるって結構大変だと思うので、実行したのもすごい。

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仙台文学館の文学講座「佐藤通雅<短歌>×佐々木隆二<写真>【3.11の記憶】を語る」に行ってきていました。昨年あたり文学館で展示された企画についてのお話を聞く会です。まずは一分間の黙祷から始まりました。

 一つずつパネルを取りあげながら、短歌と写真のそれぞれのエピソードを語るといったような流れでした。それぞれとても興味深かったですが、コラボレーションにあたり、歌にぴったり過ぎるリアルな写真を合わせるのは避けた、というのにうなずかされました。20点は震災時に撮ったものから選び、4点は震災後に撮りに行った写真ということでした。
 震災詠を詠む葛藤などはわたし達も歌会で話したりしますが、写真を撮る方の話は初めて聞きました。長靴を履いて車で荒浜まで行ったものの「お前は何をするつもりなんだ」という声が聞こえてきて最初はどこへカメラを向けていいかわからなかった、とのことでした。わたしも震災時にやっぱり写真は撮れませんでした。今思えば、あの見たこともない光景を記録として残しておくべきだった気もするけれども、当時はどうしても抵抗が芽生えできなかったのです。わたしは写真家ではないのでそれでも構わないのですが、生業であればくるしかっただろうと想像がつきました。
 資料には大川小学校の校歌が記載されていました。2番の歌詞に「船がゆく/太平洋の/青い波/寄せてくる波」とありますが、実際に小学校から海は見えないのだそうです。作詞された富田博先生が、震災後にご自分の書いた歌詞について悔やんでいたというエピソードは切なく思いました。

 こちらの展示は2月22日から3月16日まで宮城野区文化センターでも観られるそうです。



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『赤い雪』を観てきました。脚本・監督は甲斐さやかさん、出演は永瀨正敏さん、菜葉菜さん、井浦新さん、夏川結衣さん、佐藤浩市など。冬なので冬らしい映画が見たいというのと、「10年に1本と言われた脚本」という宣伝文句にも惹かれました。

 この映画の雪の感じは、なんというかどんよりとしていて、すごく重たい。というか、この話が重たいです。今、目を覆いたくなるような虐待のニュースが蔓延っているだけに、生々しく感じる部分もあるのでしょう。あと、後妻業あたりも。菜葉菜さんの演じる早百合は素行が悪くて口が悪くて本当に嫌な感じなのですが、あの親の下に生まれてこういうふうに育ったらそうなるという底辺社会の澱みを見せつけられるようでなんともかなしくなるのです。こういう生い立ちを、事件のニュースやドキュメンタリーでいくつも見たと思いました。酒浸りで部屋にたくさんの空き缶が積んであって怒鳴りながら蹴っ飛ばす、なんてわたしの生活には全く縁のない光景だけれど、日本のどこかではありふれた日常なのでしょう。
 それにしてもすごい雪だな、と思ったらロケ地が地元でした。ああそれであの陰鬱さが、と納得するものがあります。

 もともとわたしがサスペンスをあまり好まない方なせいかところどころよくわからないところがあって、伏線に気づかなかったのか、行間を読みきれなかったのか、なんだかぼんやりしたままどう解釈したらいいのかわからない結末まで行ってしまって、救いのない展開ということも相まって、もやもやした気持ちでシアターを出ました。
 しばらくすると一人の女性に「さっき『赤い雪』を見ていた人ですよね」と声をかけられました。やはり解釈に不安があったようで「あれはああいうことで、つまりこういうことなの?」というようなことを確かめたかったようです。わたしは全く気づいていたなかったので「そうだったんですね!」とすっきりしました。その他いろいろ答え合わせができてよかったです。前に、2時間同じ部屋で一緒に過ごしているのに誰とも声を交わさないという歌意の映画館の歌を詠んだことがあったのですが、言葉を交わすこともあるのですね。二人して「難しかったですね」と語り合いました。
 わたしは難しかったですが、考察が好きな方などは楽しめると思うし、2回目に見たらまた何か違って見えるような気もしました。映像や音楽が印象的な作品ではありますが、小説版も読んでみたいかもしれないです。

  公式サイト→https://akaiyuki.jp/

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「ぼけますから、よろしくお願いします。」を観てきました。東京で仕事をしている一人娘の視点から、故郷の両親の老いを見つめるドキュメンタリー映画です。お母さんの認知症が大きく扱われていますが、ことさら悲劇を煽るような感じでもなくて、淡々と日常の映されているのがいいんだなあと思いました。監督で、娘でもある信友直子さんのナレーションも自然体で、優しい。
 
 ご両親のお元気だった頃の過去映像が、せつないのでした。お母さんは書で賞を獲るなど趣味も充実していて、お友達も多く社交的で、なにより直子さんが45歳で乳がんを患った時に上京して支えてくましれた。抗がん剤の副作用で脱毛している直子さんにお母さんは「かわいい」と笑います。笑顔のすてきなお母さんだったのです。
 冒頭で帰省する直子さんを料理を用意して迎えに来てくれたお母さんが、どんどん変わってゆきます。知的なお父さんも老いてゆきます。それでも、お父さんは直子さんが仕事を辞めて実家に戻ることを望まず、二人の暮らしは続くのでした。

 ご両親の老いにも考えさせられるものがありますが、直子さんが独身女性という点も見過ごせないと思うのです。結婚していて双方の両親を見る方が大変だとか、子育てと介護の両立の方が大変だ、というような声もあるかもしれませんが、やはり一人で背負う重さや頼りなさだって相当でしょう。ご両親が二人で生きている様子に胸を打たれるからこそ、じゃあ直子さんが老いた時は……? ということが気がかりになるのでした。
 両親の老いはほとんど誰にでも訪れることだから、他人事としては観られません。今はふわふわ生きているわたしにもいつか訪れる日常なのでした。

 公式サイト→http://www.bokemasu.com/

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お正月の帰省の感想を聞かれる度に、「白かった!」と即答するほどに故郷が白かったのです。地面のアスファルトも、とりどりの色の屋根も、山の木々も雪に覆われています。春のやわらかな土の色も、初夏の田んぼの稲の青も、真夏の畑のトマトの赤もナスの紫も、まぼろしの景色だったのかと思えるほどに、目に見えるすべてが真っ白でした。

 果てしない白の中にいて、ふりだしに戻ったみたいだな、と思いました。季節のめぐり、命の恵み、人の営み、様々な記憶や思い出、なにもかもどこまでもが、まっさらな雪の下です。
 それでいい、と思いました。なぜだかわからないけれど、変に納得し、どこか癒されました。一年はこうして一新してゆくのでしょう。雪景色を、冬を、初めてこんなふうにいとおしく感じました。

 帰る時に、ビニールハウスで育てたほうれん草とわさび菜を母が持たせてくれました。ビニールハウスも雪をかぶっていたから、わたしは緑に気づかなかったのでした。
 
  奥羽山脈越えた向こうの農村の葬列を思う雪の降る日に

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塔1月号が届かないうちに12月号を読みましょう。敬称略です。

  わが好物を多く産する被災地の今朝の冷えこみいかがなるらむ  福井まゆみ

 詞書に「北海道厚真町」とあり、9月の北海道地震を思う歌です。好物の産地だ、という被災地の自分への引き付け方が、素直でいいと思いました。「今朝の冷え込み」という細やかな心配りも。

  「お腹すいた」母の口ぐせ風に乗り聞こえて来そうな秋の夕暮れ  弟子丸直美

 お母様を亡くされての一連から。「お腹すいた」という口ぐせを、たくさん食べられないご病気や健忘の症状なのかと読みに迷うところなのですが、食いしん坊と明るく読みたい。「秋の夕暮れ」とさびしさで、三夕の和歌風味です。

  妹が帰省せぬとふ買ひ置きしソフトモナカをひとり食ひたり  金光稔男

 「ソフトモナカ」という商品名はないようでしたので、わたしは割って食べる四角いモナカアイスをイメージしました。分け合って食べようと、買い置きして楽しみに待っていたのでしょう。アイスの甘さ爽やかさ慎ましさが、兄妹仲にも重なります。

  椅子とりのゲームに入ればひしめきて我のためなる椅子はあらざり  三好くに子

 そういえばそうだなあと気づかされる歌。単純にゲームのことと思えばただごと歌のようでもありますが、人生とか社会とかいろいろ深読みをしたくなりました。

  安売りの卵の列に列びおり知らない人とこんなに近い  中野敦子

 目的に真っすぐ向かっているさ中に、ハッと周りを見て冷静になる瞬間。知らない人と密着するなどという異常な空間が、安売りといってもせいぜい100円200円の卵によって作り出されるということ。人間の心をかなしく考えさせられるのでした。

  二回目のあなたのゐない秋が来て あなたの分までさみしいのです  長谷仁子

 他の歌から挽歌かなとも思うのですが、あなたも自分と過ごさない秋をさみしいだろうという確信の言い切りが清々しくもまぶしい。すっきりと言葉が定型に収まっている中での一字空けも、なんだか効いているような気がします。

  妹は彼の人の子を産みたくて願い叶わず病みてしまえり  鈴木晶子

 ただ子が欲しいというのではなく「彼の人の子を産みたい」という自分より相手への重き、旦那様ではなく「彼の人」という表現に、ただならぬ迫力を感じました。夫婦の不妊治療なのか、一方的な片思いメンヘラなのかこの歌では不明ですが、このままの迫力がいいのでしょう。

  もうすぐに夫は九十才になる心の夕餉をならべてみたい  市川王子

 「心の夕餉」とはなんだろう。高齢になって食べられるものの限られてしまった夫の食卓に好物をならべてあげたいということなのか、単に無口で何を食べたいのかわからないということなのか。「心の夕餉」という言葉の響きにも妙に惹かれます。「みたい」という結びの軽妙さも不思議におもしろいです。

 12月号は猛暑や台風の歌が多く、あらためて短歌の記録性が思われました。浜松での全国大会の歌も、みなさんそれぞれの思い出が伝わってきて楽しく読みました。わたしも良い思い出です。
 年末回顧の特集も読みごたえがあって。三重歌会が密かにいつも気になっています。座談会に名前を挙げていただけたのもありがたいです!

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性別:
女性
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短歌とか詩とか本とか。
(文末の短歌は既作から拾ってくるので本文と直接は繋がってなかったりもしますよ。)
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