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川が好き。
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どんと祭に行ってきました。もう人生の半分を仙台に暮らしていますが、どんと祭に行ったのは初めてです。どんと祭といえば大崎八幡宮が有名ですが、映画を観に行った帰りに寄れる陸奥国分寺薬師堂へ赴いてみました。薬師堂はわたしの宗派と同じ真言宗智山派なので、心の安らいもあります。

 薬師堂に向う途中で、裸参りの人達とすれ違いました。雪もない夕べとはいえ、とても寒そうです。みんな白い紙を口に咥えていて、なにか伝統を感じます。17時頃に薬師堂に着き、わたしも長い行列に並びました。
 わたしが持参したのは、震災後でとてもつらかった頃に母が買ってくれた干支の根付の御守りと、前厄の年に祈祷してもらった御札、本厄の年に買った厄除けの御守りです。本来はこういったものは一年毎に新しくするのでしょうけれど、わたしは気の済むまで持っていたくて、持っていました。そうして、もう気が済んだというか、手放すことで自分の心がすっきりするような気もして、焼納してもらいました。
  焚き上げられた火は御神火と呼ばれ、あたれば一年間無病息災、家内安全の御加護を得られると言い伝えがあります。とてもあたたかい火でした。炎の揺らめきは不思議に気持ちが落ち着き、いつまでも見ていたいようでした。

 地元の山形では、おさいとうという風習があります。どんと祭と似たような、正月飾りや御札、御守りなどを焚き上げる行事です。わたしの集落では、おさいとうに行くと少しの炊き込みご飯をもらえて、それをみんなで食べるのでした。あの縮こまった糸こんにゃくが妙においしくて。
 似たような行事なのに、なんだかわたしはおさいとうが懐かしくて、どんと祭はよそ行きな気分です。いつまでも、よそ行きな街です。

  羽黒山二四四六段上り下り母が御守り買ってくれたり

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あっという間に今年が10日も経ってしまいました。仕事が始まれば新年気分もすっかり抜けていつもの日常です。久しぶりにお昼休憩の一緒になった同僚さんに「今年、良いことがあるといいですね」と言ったら、にっこりとして「私は毎日なにごともなく暮らしてゆけたらそれでいいです」というような答えが返ってきました。
 ほんとうにその通り、特別な良いことなんてなくとも、平穏無事に生活できることはとてもしあわせで、十分に奇跡的なことです。あらためて気づかせてくれた同僚さんの、その謙虚さに胸を打たれたのでした。

 その同僚さんのことを、わたしより少し年下くらいかな、と思っていたのですが、はっきりと年齢は聞いてないものの話の節々から察するに、思っていたよりずっと年下のようです。しっかりしていて包容力も感じていていましたが、よく考えれば確かにこの同僚さんがわたしより少し年下の35歳くらいのわけはないと思い直しました。自分比を取っ払えば、同僚さんは普通にもっと若く見えます。そしてわたしは人生経験が足らずに精神が幼いままですが、実際は存外年齢を重ねています。

 気がついてみれば、周りに年下の人が多くなりました。上司だってほとんどが年下ですし、短歌で勢いのある人達も、テレビですてきと思った俳優さんや女優さんも、活躍中のスポーツ選手も年下です。みんな、ちゃんとしています。逆に、自分より年上なのに言動の子供じみた人を見かけると、なんともいたたまれない気持ちになります。そのように、わたしも見られることがあるかもしれません。
 いつまでも頼りない自分のままではいられないな、年相応の落ち着きが欲しいな、としみじみ思いました。

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 年末年始は休みが取れたので31日から実家に帰省しました。移動中に読むものが欲しいと思い、高速バスに乗る前に書店に寄り、高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』を購入しました。高田渡を知ったきっかけはNHKの山之口貘のドキュメンタリーだったかと思いますが、その頃はまだご存命でした。巻末の年譜に2005年にご逝去と記されていて、時の流れにびっくりします。その番組はVHSに録画していて、今でも部屋にあります。また、年譜では1月1日生まれですが、解説には本当は12月31日生まれだとありました。12月31日生まれのわたしが、12月31日にこの本を手に取ったのが妙な偶然です。

 元旦は、「おまえの年だよ」と言いながら、犬の散歩をしました。いつもの農道もすっかり雪景色です。午後は近場の慈恩寺へ初詣に行ってきました。縮緬のさくらんぼの根付付きのおみくじは中吉。あとはほとんど寝正月でした。こんなに眠れるものかというくらいです。

 実家にいると、家族の誰もが愚痴や文句、批判など否定形の負の言葉ばかりで息ぐるしいです。でも、くるしいと思えるようになってよかったとも思うのです。否定が普通だという感覚に取り込まれていた頃がありました。祖母が生きているうちは帰れるだけ帰ろうとも思っているのですが、祖母と仲良くすると母の言葉がどんどんひどくなります。ほんとうは、わたしは優しい会話がしたいです。

 今年は、というか自分の心を一番大切にしたいと毎年言い続けていて、それはもうほんとうにずっと思っているのですが、たぶん一生のテーマでしょう。あとは、春夏秋冬の季節をちゃんと感じてゆける一年になればいいなと思います。

  農道を生みそこねたるわたくしが去勢済みなる犬と散歩す

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昨日は美容院に行ってきました。今までずっと美容院ジプシーだったのですが、近所に新しくできた美容院に行ってみたらとても良くって、この夏から通っています。ブローがいらないくらいきれいに切ってくれるのはもちろん、スタッフの方々もにこやかで和み系でいい感じ。行きつけの美容院ができたのは、今年のうれしかったことの一つです。

 今年は、転々としていた去年とは違って一つの仕事がずっと続きました。業務終了時期がいつかは来る仕事ですし、今の仕事がすごく良い仕事というわけではないけれど、同僚さん達にも仲良くしてもらえているし、お給料をもらえてちゃんと生活ができているということがありがたいです。
 今年は初めて石巻へ行ったり、結社の全国大会で郡山へ行ったり、東北内でも行ったことのないところへ出かけたりもしました。ただ今年は温泉へ行ってないのが心残りなので、来年はどこか行きたいです。一人旅でもいいかも!
 短歌の方は塔新人賞候補作として30首掲載していただけたのがうれしかったです。思い入れのある連作だったので、選考座談会の評は何度読んでも涙が出ます。大きな賞などはいただかなくともいいので、これからもマイペースに、自分の感じたことを詠んでいけたらと思います。
 良かったことだけふり返れば、ほんとうに良い一年でした。心はぼんやりしていましたが、今までの全人生の中で比べたら、全然しあわせな一年です。お世話になった皆さんに心から感謝しています。

 明日は誕生日、一年のふり返りが年齢のふり返りです。そんなわけで、誕生日特典にて美容院からはボディソープを、叔母へのお歳暮を購入したお茶屋さんからお菓子をいただきました。外はすっかり歳晩の雰囲気でした。わたしはちくま文庫の文庫手帳のブックカバーを付け替え、新年の準備をします。

  後ろ髪自分で切って失敗しても結わえてしまえば誰も気づかず

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同僚さん達と忘年会をすることになりました。以前、こうした集まりの時に仕事が予定外に長引き、誰とも連絡先を交換していなかったため、待ち合わせですれ違い苦慮した経験がありました。そうしたことのないように、緊急時の連絡先として自分の電話番号を幹事の方に伝えました。
 幹事の方がスマートフォンにわたしの番号を登録したところ、LINEの連絡先が追加されました。
「LINEやってるの?」「やってません」どういうことだろう、まさか乗っ取り? などとあやしんでいたのですが、なんのことはない、わたしが自分の電話番号をひとケタ間違えて伝えてしまったのだとわかりました。間違えて追加された知らない人のLINEにも、幹事の方のIDが追加されてしまったのでしょうか。
 ただの電話番号なら架電した時に「間違い電話でした、すみません」でメモを訂正すればいいだけなのに、今はいろいろ他の設定まであっという間に連動して繋がってしまうなんて、こわくなりました。

 この間、年賀状を投函しました。年賀状はもはや廃れつつある文化のような気がしますが、わたしは好きです。枚数はとても少ないです。年賀状を出す相手が格別仲が良いのか、というとそうでもありません。長い付き合いでも住所を知らないままということはよくあります。個人情報を明かしたくない人もいるでしょうし、年賀状のために住所を聞くということはほとんどないのでした。定期的に直接会える人には年賀状もメールも出さず会った時におめでとうを言います。
 年賀状だけの付き合いにも賛否両論ありますが、わたしは相手と決定的に不仲になったとか、手間なので止めましょうと協議したというのでなければ、気軽に会えなくなったり普段連絡を取り合わなくなった人とも一年に一度くらいこうして細く続くのはうれしいことだと思っています。
 年賀状が時代遅れになりつつあるのは、一年に一度の書面でのご挨拶をせずとも、気軽なメールや、常時近況報告を発信できるSNSの台頭が大きいのだと思われます。

 今年の流行語の一つが「インスタ映え」だそうです。先日お昼ご飯を一緒に食べた同僚さんはスマートフォンを繰りながら「友達のインスタに生活が振り回されてる」とぼやいていました。お友達が好きな音楽の動画を延々と投稿していて、見たくないのだけど繋がりを切ることができない関係の相手なので困っているとのことでした。
 思えば、繋がるってどういうことなのでしょうね。会ったり言葉を交わしたりすることがなくなって疎遠のように感じられても、SNSで繋がってお互いの投稿を閲覧し合っていれば人間関係が繋がっているということなのでしょうか。
 それにしても、一緒にご飯を食べたり話をしている時に、こんなふうにスマートフォンをいじられるの、わたしはあんまりよく思わないです。気にしない人も多いのでしょうか。わたしは誰かと一緒にいる時は、そこに居ない人より目の前のその人を大事にしたいです、たとえつまらなくとも。そもそも、一緒にいるのがつまらなくてスマートフォンの向こうの相手を優先したいのなら一緒にいてくれなくともいいのになあ、と思ってしまうのでした。

  「年賀状送るのが夢だったの」と子を生した友に住所聞かれる

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少し前に書いた文ちゃんのこともそうだけれど、10年前の頃のことを最近よく思い出します。その頃には短歌も詠んでいたので何かが残っているというのもあるし、ずっと続けるような仕事ではないと感じつつもなんとなく仕事が続いているような状況が似ているからかもしれません。

 Iさんのこともこの頃よく考えます。Iさんは当時の職場の同僚さんで、わたしより10歳年上の独身女性でした。私服はいつも黒い服に黒いタイトなミニスカート姿で、ハイヒールがすらっとした足とても似合っていました。職場にはIさんと同年代の子持ち主婦さんがおり、Iさんの恰好に軽く突っかかっているのを聞いたことがあります。その場でIさんは何も言わず流していました。Iさんは自己主張の強くない人だったし、何よりとても似合っていたので、突っかかる方が小さく見えるほどでした。
 今の自分が、初めて会った頃のIさんと同じ年齢なんだな、と思うと、不思議な感じがします。今、20代の人からしたらわたしはどんなふうに見えるんだろうなーなんて想像することがあります。思い起こせば、20代当時のわたしから見たIさんは普通の女性でした。もちろん、わたしとIさんは別人ですが、必要以上に自虐に走らなくとも、あの頃の自分の目線を自分に向けていいのかもしれないな、と思い直しました。

 職場が閉鎖して、Iさんとは一旦疎遠になりました。けれども、新しい仕事の帰り、街中でばったり再会しました。わたしは再会を喜び、その後休みの日に会ったりもしました。Iさんはわたしより先に次の仕事が決まったと聞いていましたが、そこも無くなり求職中でした。
 しばらくして、Iさんから借金の申し出がありました。他に裕福で親しい人もいるだろうにわたしに頼むなんてよっぽど何か事情でもあるのかと思い、言う通りに2万貸しました。わたしにとっては大金です。失礼かもしれないと思いつつ、借用書のようなものも書いてもらいました。
 お金は後日ちゃんと返してもらいましたが、娯楽に使われたことを知りました。その時に、待ち合わせ時間に遅刻するなど不誠実さを感じたため、わたしの心が離れてゆきました。やっぱりぎくしゃくした感じになり、それっきりになりました。他人にお金を貸したのはそれが最初で最後です。
 あれから何度かわたしも無職になったりしましたが、一般の同年代より少額ながら貯金もしていますし、余裕のない時はいろいろ我慢しますし、お金を借りたことはありません。

 今の自分が、あの頃のIさんと同じ年齢になったということは、Iさんはあの頃より10歳年上になっているということです。間には震災もありました。どうしているんだろうと気がかりですが、今でも付き合いのある共通の知人も、Iさんと連絡が途絶えてしまったそうです。


  「ごめんね~」テーブル上に職安の紹介状をちらちらさせて

  久々のドトールコーヒー美味しいな これから金を貸すというのに

  「某日に失業保険が入ったらちゃんと返すね、ごめんねありがと」

  指定日が認定日じゃなくお母様の年金支給日だって知ってた

  年上で無職の友に二万貸しワッフルおごってもらった雨の日

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歌会のために、ふた月に一度ほど福島へ行っています。福島へ、とは言ってもほんとうに福島駅周辺のみで、あちこちを観光したりはしていないのですが。
 仙台福島間は新幹線では20分という速さですが、わたしはいつも電車です。Wきっぷという、往復1500円(税抜き)のお得な回数券があるのです。この回数券がなかったらここまで福島を近く感じなかったでしょう、ってくらいです。一時間ほどを電車に揺られながら、車窓の景色をながめたり、本を読んだり、ウォークマンで音楽を聴いたり、周りの乗客の会話に耳を傾けたりしながら過ごします。この時間に歌が詠めることも割とあります。

 いつもの快速に乗って行くと、12時頃に福島駅へ着きます。歌会は13時から。それまでの間を、わたしはよく駅ビルの屋上で過ごします。お店でお昼ご飯を食べたい気持ちもありますが、混雑する時間なので待ち時間が気になります。屋上は椅子があってテーブルがあって、ただちょっと過ごすのにちょうどよいのです。植え込みの花壇もあります。春に訪れた時は、わたしが屋上を後にする時に入れ違いで屋上へ向かっていたおばさんに「花は咲いていましたか?」と聞かれ「つつじが咲いていました」と答え、なんだかこういう会話っていいなあと思ったものでした。
 さすがに12月は開放していないかな、と思いましたが、先週はまだ開いていました。少し肌寒かったけれど、天気がよかったです。デート中らしき若い男女と、一人の女性がいました。わたしはテーブル席に座り、下の売店で買ったトンカツのサンドイッチを頬張り、自宅から持参していた水筒のお茶を飲みました。屋上からは、頂に雪を積もらせた山が見えました。花壇には、寒椿が咲いていました。冬に咲く花もあるんだな、と、あらためて思いました。

  「福島をずっと見ているTV」なる番組をずっと見ているわたし

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仕事で、賞状をいただきました。もう仕事は生活のためと割り切っていて、今の仕事もなんとなく続いているような状況ではありますが、こんなふうに表彰してもらえるのはやっぱりうれしいです。生活のためと割り切っていても、使い捨てのような境遇でも、まじめに働いているので。

 昨日の隣の席だった人は、仕事のミスが多いみたいで、何度も上司に注意をされていました。わたしもその人の後処理で残業をするはめになったことがあります。その時、「すみません」も「ありがとう」も言われずモヤモヤしたりもしましたが、たぶんその人は自分のしたことや、自分のしたことで他人が残業をしなければならなくなったことなどを、わかっていないのだと思います。悪い人ではないので、根に持つつもりもありません。上司の注意も優しいものです。
 その人はわたしよりずい分年上の女性で、以前雑談した時に、もう何年も働いていなくて久しぶりに働いていると言っていました。左手の薬指には大きな指輪が光っています。生活の懸かっていない人特有ののんびりした優雅な働きぶりはなんだかまぶしささえ感じます。

 職場には、同僚さんとのお昼休憩中によく名前が挙がる嫌われ上司がいます。わたしはクレーム対応に苦慮した時などに思いのほか気遣われたこともあり、いい人だなあぐらいに思っていました。けれども、仕事について嫌なことを言われた人も結構いるようです。わたしが嫌なことを言われていないのは、仕事に対して従順で上司に意見するタイプではないので、きつく言いにくい感じなのでは、と推測しています。尤も、まだ言われていないだけで、これから言われることもあるかもしれません。もしかしたら既に言われているのに、鈍くて気づいてないだけかもしれません。
 先日、お昼休憩が誰とも合わず一人でお弁当を食べていたところ、その上司がやってきて二人で食べるような格好になりました。そういう距離感の近さも嫌われる原因なのでしょうか。適当に雑談をしましたが、前職の話や資格の話など、普通に雑談でした。そうして話の中で、どうも同棲中の恋人がいるらしいことを匂わせてきました。

 仕事で何度も注意されようとも、職場で嫌われていても、自分の帰りを暖かく迎えてくれる人が自宅にいるのなら、もう勝ちなんじゃないか、と思いました。何が勝ちなのか、勝ちとか負けとかがどういう意味なのか、自分で言っていてよくわからないですが。
 
  死ぬのかと思う職場を出た後の透明さにて街を歩けば

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唐突に、文ちゃんのことを思い出しました。文ちゃんは、10年前、わたしが接客業をしていた頃のお客さんです。当時52歳くらいでしたが、60歳以上に見えました。老けて見えるのは、病気のせいだったと思います。文ちゃんのお友達で世話人のようなおじさんが、文ちゃんは体が悪くて何度も入院をしていること、頭のネジが飛んでいるけれど気にしないでほしいというようなことを教えてくれました。

 文ちゃんは「笑顔がいいね」とわたしを気に入ってくれて、お店に来ては「アイラブユー」と言いながら森山良子のカセットテープや一言のみ書かれたラブレターを渡してきたり、カーネーションの鉢植えを持ってきたりしました。そうしたことを、ストーカーに遭っているのではないかと同僚さんや上司に心配されたりもしましたが、結局は悪質なものではないようだし、わたしがお年寄りの癒しになっているようなら適度に相手をしてあげて、というような話で落ち着きました。

 当のわたしは、こんなに真っすぐに愛情を伝えられたのが初めてだったので、うれしい気持ちがあったりもしました。
 もちろん、これが一般的な50代男性だったら気持ち悪いことこのうえないのですが、文ちゃんは普通の人と違って頭のネジが飛んでいる人だったので、逆に誰の言葉より信じられるような気もしました。おじいちゃんにかわいがられているような、子供に慕われているような感覚でした。
 一方で、文ちゃんにしか愛されない人生なのか、と悲しくなったりもしました。どうやら自分が知らず親に傷つけられて育ったことに気づいてきた頃で、これまでの自分の生きにくさの理由がわかってきた頃で、精神的に弱っていたというのもありました。

 ある日、文ちゃんは泣きながらやってきました。あんたのことを恋愛感情で見ているわけではないんだよ。親のような気持ちなんだよ。あんたがかわいそうなんだよ。ということを訴えてきました。かわいそう、かわいそうと何度も言いました。
 わたしと文ちゃんはただの店員とお客さんなので、年齢を聞かれた時に「27歳です」と答えたぐらいで、個人的な話をしたことはありません。文ちゃんはわたしのことを何も知りません。だのに、わたしの何がそんなにかわいそうに見えたのでしょうか。

 それから文ちゃんはまた入院したようで、しばらく顔を見せることはありませんでした。久しぶりに例のお友達のおじさんと一緒にお店に来た時、痩せて一層老け込んだようでした。そして、わたしのことも忘れているようでした。文ちゃんを見たのはそれが最後です。

  誰からも必要とされぬわたくしの職場向かいのアカチャンホンポ

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オフィスビル中の自販機ことごとくリアルコールド売り切れている

  残業だ「働くママ☆」がお子さんの都合で今日も欠勤だから

  弁当を食べればラップが残るなり冷凍保存してたご飯の

  電柱の根元にタンポポ咲いていて 生命保険審査に落ちる

  生活保護ってどうなのかなとつぶやけば女友達やたらくわしい

  先生とわたしも呼ばれたことがある きゅうしょくしつのたみや先生
 
  五合炊き炊飯器にて五合炊く すべてわたしが食べる白米

     *

  「申し訳ございません」を今日何度言っただろうか機械のように

  頭髪の薄くメガネをかけている人を「メガネの人」と呼びおり

  死ぬのかと思う職場を出た後の透明さにて街を歩けば

  三連休わたしの休みは一日で雨降る中を映画見に行く

  東北の女性を東北出身の監督が描くならば信じる
  
  震災ののちを生きゆく独身の女性の映画に一人客多し

  ベランダに十九の蕾この夏に十九の花が開くしあわせ

     *

  寂しいな 人に会っても寂しいし人にキュウリをもらっても寂しい

  身の内にわたしの穿った洞があり生ぬるい水が溜まっています

  根は明るい人だと吹聴されてもう笑うしかないいつものように

  教え子を二人孕ませ不倫までするから与謝野鉄幹きらい

  ひと玉のキャベツを買えばそれだけでしあわせであるような日曜

  ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

  ぬばたまの乳がん検診ゼラチンは乾物入れに残してあった

  しあわせな人生でした朝昼晩ご飯を食べて服着たりして


***

 選歌欄評にて木村さんより7月号ガールズトークの歌の評をいただきました。自分なりの震災詠をこれからも詠んでゆこうと思います。

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HN:
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性別:
女性
自己紹介:
短歌とか詩とか本とか。
(雑記添えの短歌は既作から拾ってくるので本文と直接は繋がってなかったりもしますよ。)
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