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川が好き。
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朝夕の薬を飲むを忘れぬが昼どき飲むをまた忘れたり  柳田主於美

 確かにお昼の薬は朝夕に比べて忘れやすくて、それは昼食を取る場所が職場だったり出先だったりなことが多いからなのか、朝夕のみの服用でよい他の薬と混同してしまうのか、なにはともあれ、こうした日常の何気ない歌にわたしは惹かれるのでした。薬を飲み忘れたお体を心配しつつも。

  釘一本打てない壁に囲まれて絵の一枚も飾らぬ暮らし  高橋圭子

 釘が打てないのは壁が固いからなのか、賃貸で傷をつけてはいけないからなのか、どちらにしても、飾らない絵のことをあえて言葉にすることによって、そこにない絵や、絵によってわずかでも華やぐであろう暮らしが浮かび上がってきます。「打てない」「飾らぬ」の文語口語交じりが気になりますが、「釘一本」という初句も「一」のリフレインも切なく思われるのでした。

  この春になくしてしまったもの味覚、胸のバランス、髪の毛、友だち  落合優子

 闘病の歌。淡々と詠まれている分、かえって胸に迫るものがあります。どれをなくしてもつらい中で「友だち」の結句が上手くもかなしい。そして、続く歌<この春に手に入れたもの決断力、主治医、ウィッグ、そして友だち>に少し救われるのでした。お大事にされますように。

  「あんたはきっと天国に行けるよ」と身体拭くたび患者は言いぬ  山﨑惠美子

 泣いてしまいました。「あんたはきっと天国に行けるよ」という賛辞のうつくしさ。患者さんの人柄がにじみ出るようなサッパリした物言いながら、感謝の気持ちや作者の人柄への評価が伝わるとても優しい台詞。現世の幸福ではなく「天国」という言葉が出てくるのは、患者さんが自分の死期を感じ取っているからでしょう。下の句が過剰にならずさらりと詠まれているのも良くて。

  あの村には雨が降る日も水撒きをやりつづけてゐる爺さんがゐた  山下好美

 雨の日まで外に出て打ち水をする爺さんの真面目さ、或いは融通の利かなさ? 異常さ? 読めば読むほど妙に気になる歌です。過去形なので今はもういないのでしょう。「あの村」という入りが郷愁を誘うような、昔話のような。

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もう10月ですが、8月号を読みます。敬称略。

  じいちゃんと二人連れなる少女なり宿の浴衣が左前だよ  小島美智子

 一緒に旅行するおじいちゃんとお孫さん、というだけでほほ笑ましい光景ですが、少女はまだ着付けの知識がなく、おじいちゃんは無頓着でおおらかなのでしょう。上の句の文語調に対して下の句は口語調ですが、二人を優しく見つめる作者の心の声のようで効果的です。

  メールでは十時と約束せし君の現れぬまま春は過ぎゆく  西川照代

 メールで詳細に交わしたはずの約束の叶わなかった喪失感が、季節の変わりゆくまで続いているのでしょう。ドタキャンからの音信不通は現実的には不誠実ですが、「十時」から「春」への大胆な時間の飛躍によって、「君」がまるで春と共に去って行ったというお伽話のような読後感です。

  自らを父ちゃんと呼ぶ父をりて子よりも先にタンポポ飛ばす  越智ひとみ

「パパ」「お父さん」など呼び方はいろいろある中で、「父ちゃん」という一人称を選ぶ父親のキャラクター性。タンポポ(綿毛?)を飛ばすのも、子に見本を見せているより、自分が楽しんでいるような少年ぽさを感じます。そして、よく考えたらわたしは親を「父ちゃん」と呼んでいる人すらを実際に見たことがないです。

  夫のこともっと歌って押しつけて読んでおいてもらえばよかった  今井眞知子

 率直な思いの一首。詠える時に詠って、伝えられる時に伝えておけばよかった、そんな後悔の強さ、どうにもならない心が破調にも表れているようです。

  菜の花の黄のポスターを眺めつつ五月の餅の行列に着く  菊井直子

「五月の餅の行列」が良いです。具体的な固有名詞を出さないことで、かえって想像がふくらみ、韻律の良さも相まってとても楽しげです。菜の花の名所の観光地でしょうか。「の」のくり返しに軽やかな足取りが感じられます。

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先月になりますが、「小津4K 巨匠が見つめた七つの家族」として小津安二郎作品がいくつか上映されていました。そんなに毎日は通えないので、とりあえず観たことないものを、と『早春』『浮草』を観てきました。

『早春』は1956年公開。出演は、池辺良さん、淡島千景さんなど。サラリーマンの悲哀と夫婦危機みたいな話。浮気や不倫は理解も共感もできないので苦手な分野なのですか、相手の女性がどうにも小悪魔的で可愛い。と、思ったら岸恵子さんでした。
 兵隊からサラリーマンに転身し、クラス会のように戦友と会って歌ったりしているのは、戦後生まれのわたしにはなにか衝撃的でした。本筋と関係ないような、お母さんや同僚との日常のなんでもない会話に味わいがあります。ただ、同僚男性の、奥様の妊娠に対する言葉だけはあまりに他人事過ぎていただけない。
 平日の何でもない日に映画館へ行っていて、お客さんが3~5人という状態に慣れつつあったのですが、この日はメンズデーだったので男性が多かったです。熱心に壁のパネルの写真を撮っている人もいました。

『浮草』は1959年公開。出演は中村鴈治郎さん、京マチ子さん、川口浩さん、若尾文子さんなど。
 フルカラーです。サルビアやヤカンなど、赤い小物がとても印象的。ホームドラマばかり観ていたので、旅一座の物語がとても新鮮でとてもおもしろかったです。おもしろくて、特になにも言うことがないくらいです。いろいろ独特な人間関係も、まあ旅芸人だからという感じで。
 こちらは金曜の夜に観ました。週末だからか『早春』よりも人が多く、男女比も半々ぐらいでした。

 他作品はDVDなどで観たのでいいかな~と思っていましたが、やっぱり大きなスクリーンで観てみたい! という気になりました。
 どちらもレイトショーだったので、帰宅が遅くなりました。自宅付近の夜の道路では両日ともピカピカと工事が行われていましたが、朝に同じ道を通っても工事の気配すら消えていました。こんな夜にだけ動く仕事もあるのだなあと、労いの気持ちが湧くのでした。

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北海道の地震の翌日、すれ違った通学中の小学生が「北海道が震度7って、東日本大震災と同じくらいなの?」というような会話をしていました。
 見た感じ、10歳にもなってないぐらいの子供達です。7年半前の震災は記憶に残っているのかな、と疑問に思いました。覚えていなくとも、ニュースやドキュメンタリーなどテレビで見たのでしょうか。もしかしたら、親御さんに話を聞いたり、学校の授業で習ったりするのかもしれません。

 各地で災害が相次いでいる今こそ、東日本大震災をどう伝えてゆくか、というような番組を北海道の地震が起こる前に見ました。
 伝える意味について、あらためて考えています。災害が起きたときにはてんでんに逃げようとか、水道が止まる前にバスタブに水を貯めておこうとか、停電時もガスが使えれば鍋でご飯が炊けるよ! とか、実用的な部分はどんどん伝えてゆこうと思います。非常時こそ自分の心を一番大事に、ということも、何度も何度も伝えてきました。
 けれども、被害についてはどうしたらいいのかよくわかりません。未だに雑談の中で震災当時のことを話したりしますが、そこに「この体験を後世に伝えてゆかなければ」という意思はありません。震災詠も詠んできましたし、きっとこれからも詠みますが、自分の身の回りのこと、感じたことを詠んでいただけで、「あの日を忘れてはいけない」という使命感を持ったこともありません。また、わたしに震災体験を語ってくる人も、記憶の風化に抗っているわけではなく、ただただ吐き出したいだけのように感じます。
 
 東北に暮らす子供達は、どのように震災を伝えられ、どのように受け止めているのでしょうか。わたしの時代にはなかった色のピンクや水色のランドセルが揺れていました。

 災害に遭われた各地の皆さま、お見舞い申し上げます。大変なことと思いますが、どうぞ無理はされませんように。

  函館への旅の約束いつしらに流れてゆけり握り飯食む

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このところ、雨続きです。先日の、仕事終わりに映画館へ行こうとした日も、今日は止めておこうかな……と思うくらいのどしゃぶりでした。けれども、しばらくして雨が上がりました。傘を閉じて歩いていたところ、街の中の幾人かが空へ向かって携帯電話を掲げていました。なんだろう? と思って見上げてみると、大きな虹が出ていました。

 虹を見ると、なんだかしあわせな気分になります。その日の虹は、写真ではうまく映らないほどうっすらですが、二重の虹でした。二重の虹はダブルレインボーと呼ばれ、見た人に幸運が訪れるという言い伝えがあるのだそうです。これからどんなことが起こるかわくわくして過ごすことにしましょう。もしかしたら、風が吹けば桶屋が儲かるような仕組みで幸運が訪れるわけではなく、虹を見てうれしい気持ちで明るく過ごせること自体が幸運なのかもしれません。

 虹を見ると思い出す詩が、わたしには二つあります。一つは吉野弘「虹の足」ですが、もう一つの石垣りん「虹」を紹介したいと思います。

***


         

虹が出ると

みんなおしえたがるよ

とても大きくて

とても美しくて

すぐに消えてしまうから

ためておけないから

虹をとりこにして

ひとつ金もうけしようなんて

だれも考えないから

知らない人にまで

大急ぎで教えたがるよ

虹だ!

虹が出てるよ

にんげんて

そういうものなんだ

虹が出ないかな

まいにち

虹のようなものが

出ないかな

空に。



石垣りん『レモンとねずみ』(童話屋)

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先週の18日、19日は結社の全国大会で浜松へ行ってきました。いつもは東京までは高速バスなので、新幹線を使うのはわたしにとってはものすごいぜいたくです。
 ウォークマンで最上川司「司の冷たい肉そば音頭」を聴きつつ本を読んでいたら、福島から乗ってきた隣の席の人が話しかけてきました。東京へ野球を見に行くのだけれど友人との待ち合わせの場所までどうやって行ったらいいのかわからないとのことでした。わたしも東京の地理はわからないので力になれないことを詫びつつ、そのまま雑談になりました。どうして浜松へ行くのか聞かれ、一瞬迷って「イ、イベントで」と答えました。車窓から見えた富士山の山頂がどこの県にも属していないことなども教えてもらいました。こうして知らない人と語らうのも旅の醍醐味ですね。
 久しぶりの新幹線、乗り換えは初めてだったので不安もありましたが、思っていたよりずっとあっさり浜松に着きました。



 全国大会はとても楽しかったし、勉強になりました。誌面で存じ上げていたみなさんと、同じ場所でこうしてご一緒出来てうれしかったです。
 冊子販売の店番なども少ししましたが、接客業時代のマニュアルめいた口調が染みついている自分をあらためて思いました。歌会ではしどろもどろなのに。
 外でも中でも道に迷いまくったので、たくさんの方に道を尋ねてしまいました。みなさん親切に教えてくださってありがとうございました。

 せっかく静岡まで来たので、伊豆方面の石垣りん文学記念室などにも行きたかったのですが、都合の関係で会場から全く出ないという過ごし方になったのが心残りです。街中を歩けなかったのは残念でしたが、ホテルの33階の部屋の窓から見える景色はとてもきれいでした。

 おまけ・わたしの提出した歌の元ネタ。歌会でのご意見を参考に推敲しようと思います。

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今年も、曾祖母の手縫いの浴衣を着ました。市販の浴衣もとてもかわいいけれど、浴衣を着る機会自体がそんなにないので、着られる時に曾祖母の浴衣をできるだけ着たいな、と思っています。帯は母のお下がりです。当日はあいにくの雨でしたが、手持ちの16本骨の紅い小紋柄の傘が浴衣に合いました。
 
 酷暑です。休みだった先日の土曜日、どうにも暑いので「アイス買ってこよー」と自宅を出ましたが、八百屋さんの店頭に並んでいた桃がとても美味しそうだったので、アイスをやめてそっちにしました。市場の休みに伴い八百屋さんもお盆休みに入るため、前日の特売価格5個で200円です。手を触れないように、と注意書きがあったので、もしかしたら汁がしたたるような熟したやわらかい桃なのかな?と思っていたら、わたしの好きな硬い桃でした、うれしい。冷蔵庫で冷やしていただきました。
 アイスもかき氷も冷たくて美味しいけれど、冷やした桃やスイカ、キュウリなどの方が体の内側から冷える感じがします。

 ベランダの鉢には今年もミニトマトが出てきました、植えてないのに。苗を買って植えたのは一昨年。その一回きりだと思っていたのが、落ちた実の中の種が発芽したようで、去年も育ってくれました。そして同じように、今年も何もしていないのに芽が出て育ってくれたようです。何も世話はしていないし、特に今年は日照り続きだったのに、生命力ですね。今、黄色の花を咲かせています。これから実がなるのかな、楽しみです。
 ミニトマトが小さな実を次々に付けてゆくように、小さなしあわせの次々に生る日々でありますように。 

  愛される予感もなくてベランダの検査もしないネギを食みおり

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『四月の永い夢』を観てきました。中川龍太郎監督作品、出演は朝倉あきさん、三浦貴大さんなど。
 恋人を亡くしてから教師を辞めて蕎麦屋さんでアルバイトをしている主人公・初海が元教え子や、恋人の両親、アルバイト先の常連客である手ぬぐい職人などとの交流を通して、喪失感に向き合ってゆく話――わたしがこうしてあらすじを書くといつもなんだかうまく伝えられないのですが、優しくて、切なくて、とても良い映画でした。

 まず、冒頭の桜と菜の花の中に喪服で立ち尽くすシーンが美しくて。淡々としたモノローグにも引き込まれます。恋人の死、などという入り口ながら悲劇を煽るようなこともなく、全体的に淡々としていて、あまり多くを語り過ぎないところが心地よかったです。
 蕎麦屋、図書館、浴衣、手ぬぐい、電車、ラジオ、そして手紙など、小道具の選び方もなんだか懐かしい感じで好みでした。
 
 初海が寝転んで漫画を読んでいるシーンがあり、その時に手にしている漫画は高橋留美子『めぞん一刻』でした。他にりぼんマスコットコミックスの背表紙が映っていました。ぼんやりしてタイトルは不明でしたが、きっとそれは柊あおい『星の瞳のシルエット』か水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』だろうとわたしは勝手に思いました。

 仕事帰りに映画館に寄ったので、帰りは夜8時頃になりました。映画館は職場より一駅向こうで、一駅分歩いて帰りました。金曜日の夏の夜、街の中の大通りは明るくてにぎやかで、みんなどこかへ帰ってゆくのだと思いました。わたしはこの街で一人で歩いているなあ、とほんのり寂しいような気分になりました。あさって人に会う約束だってあるのに、このままずっと歩いてゆくような気がしました。

 公式サイト→http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/

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じゃあこれで失礼しますとにこやかにこの世去りたし桜咲く日に  岩切久美子

仁王像にも深く彫られて臍のありこの息子を叱る母ありぬべし  酒井久美子

右下に金星輝く空のことラジオに聞きて西へ帰らむ  林芳子

桜まだ咲かねどどこかに行きたくて錦鯉品評会の姫路城広場  久岡貴子

食べ終えたら忘れてしまうテルさんの「おいしいなぁ」を胸ふかく吸う  山下裕美

揚げパンを犬に喩える人あれば犬を揚げパンに喩える人あり  白水ま衣

<さびしい>が心の壺から溢れ出しスーパーのレジでつい口に出た  野島光世

ときおり大映しになる証人は案外童顔などと思いつ  宮地しもん

冬の田のなかに伸びたる人影が音に合はせて杭を打ちをり  山口泰子

松の木は一万で売られその金で腕時計を買ってもらいぬ  小山美保子

語ること多きにすぎて運転の子に伝ふべき道逃したり  仙田篤子

クレームの多き季節がやってきてみんながみんな春だといひぬ  西村玲美

ユニセフにわずか出したる寄付金も控除の欄に書いてしまえり  向山文昭

結果的に祖母が遺影を撮られしは二年前の海の日なりき  永山凌平

ひなあられ籠に持ちつつ見上げたる内裏雛に恋ひゐし幼な  長谷仁子

六人の男総出で持ちきれぬ柔道したる義兄の棺は  柳村知子

三月前に夫を送りし斎場の前を通って図書館に行く  今井眞知子

玄関の手元が暗く庭先の洗濯機の上にて記入す  高原さやか

面白くないけどみんなが笑うから笑っています 明るい職場  王生令子

見舞うひと皆携えてくるせいでペットボトルのお茶ばかりある  小松岬

僕は正しく生きていたいだけなのに天気予報がもう邪魔である  大橋春人

宮原のサービスエリアの小籠包娘の土産に三個買いたり  平田優子

朝ごとに窓にし見ればきのふより大きくなりて山はありたり  古関すま子

電子レンジに入れてはならぬと歯ブラシの箱に小さく刷られてありぬ  川田果弧

来年になれば派手になるからと今年も言いて着る赤い服  相馬好子

人生でワースト一位の悪夢にも主役で僕が出てきてほしい  拝田啓佑

陽だまりに「むすんでひらいて」孫と吾の二人の影も指を開けり  桂直子

М子とは浅い付き合い友達とあの子がケンカした時だけの  松岡明香

見納めと去年は思いし桜花めぐり来て春 生きて見えつ  里乃ゆめ

六年をともに暮らせば「ただいま」と言うなり部屋の隅のルンバに  谷活恵

***

 敬称略。選者の歌は含まず。
 今号は塔新人賞、塔短歌会賞の掲載号ですが、掲載作、選考座談会ともに読みごたえがあってよかったです。受賞された皆さまおめでとうございます。わたしは新人賞の方に応募していましたが、予選通過でした。ありがとうございます。

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妹が甥っ子を連れてしばらく帰省するというので、週末だけですがわたしも実家に帰ってみました。祖母がショートステイで居なかったので全員集合とはなりませんでしたが、にぎやかなものです。
 およそ一年ぶりに会う甥っ子は3歳になったばかり、もうすっかりおしゃべりさんで、ドラマを見て覚えたらしい「90年代の3大死亡原因の1位は?」「アウス(人工妊娠中絶)」などという怖ろしい会話をくり返します。それなのに、わたしにはあいさつも返してくれなくて、人見知りしてるのかな~と思っていたら、指を差され「この人やだ」と言われてしまいました。「ママはいいけど」と付け加えられたので、妹と似ているわたしが偽ママのように気味悪く見えるのかもしれません。
 いじけたわたしは犬の散歩に農道へ行くのでした。山に向かって歩いていると、犬好きの近所のおじいちゃんが犬をわしゃわしゃしに畑から出て来てくれました。以前、短歌の故郷の描写ををステレオタイプだと評されたことがあったのですが、実際に、ステレオタイプな田舎だな、と帰省のつど感じます。山があって、田んぼや畑があって、年寄りばかりで、言葉が訛っていて、朝はニワトリが鳴いて。

 実家のわたしの部屋に、高校時代の現代国語の教科書がありました。授業では一切触れられずにスルーした、佐佐木幸綱さんによる茂吉と空穂の雪の詠い方についての評論は、今読むととてもおもしろいです。当時、国語の先生は短歌俳句を飛ばしましたが、日本史の先生が短歌好きで、日本史のテストに「大仏建立を短歌にしなさい」などというむちゃくちゃな問題が出されたりしたものです。
 他に堀辰雄「曠野」などただでさえしんどい話なのに、学習の手引きに「女」のような生き方をどう思うか、などという問いがあって刺さります。落ちぶれて相思の夫から身を引き、夫を思いつつひとところにずっと暮らし続けるも、不本意ながら郡司の息子に婢女として連れられてしまう、自分の気持ちに蓋をするゆえに落ちていってしまうの「曠野」のふしあわせな女は、わたしでした。

 そろばんの先生がわたしに会いたがっていると聞いたので、会いに行ってきました。生まれた時から知っている人ですが、実家は近所なのに3年ぶりくらいに会った気もします。人生の心配をされました。
 そろばんの先生には何番目かのお孫さんが生まれたようで、壁に命名の紙が貼ってありました。その名前が一発で読めて、漢字もわかりやすく説明もしやすい、意味も良い名前で、いいなあと思いました。甥っ子の難解な漢字で変な響きのキラキラネームとは大違いです。あの子は将来、習字の授業で自分の名前を書く時に筆で字が潰れてしまうことでしょう、かわいそうに。

 帰りは一寸亭本店の肉中華を食べました。やっぱりここの汁が好き。さっぱりしているのに卵の黄身のような味わいです。

  日の影が移りゆくたび日の影に犬はおりたり犬小屋の前

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自己紹介:
短歌とか詩とか本とか。
(文末の短歌は既作から拾ってくるので本文と直接は繋がってなかったりもしますよ。)
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