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川が好き。山も好き。
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叔母から届いた年賀状に「今年はすこしずうずうしくなってみましょう!」と手書きで書いてあった。昨年の叔母からの年賀状にも「すこしずうずうしくなるといいかもよ」と書いてある。叔母からは、わたしはよっぽど遠慮しいに見えているのだろうか、と思う。

 母の妹である叔母は、東京在住で滅多に会えない。最後に会ったのは昨年、わたしの妹の結婚式で、その前は15年ほど前にわたしが漫画の持ち込みに上京した時、というぐらいに滅多に会えない。
 それでも、義叔父と共に、わたしがNHK短歌で入選一席に選ばれた時にお祝いをくださったり、東日本大震災で被災した時はお見舞いをくださったり、近年は毎年のように秋に梨を送ってくださる(叔母は一家で梨農家をしているのだ)。その度にわたしはお礼の電話をし、年末などにお歳暮として菓子折りを送ってお返ししていた。届けば「そんなに気を遣わなくていいのに」と叔母から電話が来るけれど、それはある種のお約束で、実際はお返しをするのが礼儀なのだと思っていた。

 そういえば、妹や従姉妹など、同じ立場の他の親戚はどうしているのだろう。わたしはみんなそういうことをしているのだと思っていたのだけど、わざわざ菓子折りなんて誰も送らないのだろうか。と、いう疑問の湧いてきたのは、一昨年に結婚したわたしより年上の従姉妹が、親戚からの結婚祝いの贈り物に対してうんともすんとも言わなかった、ということを親戚伝いで耳にしたからである。従姉妹とは疎遠なのでどんなふうな考え方をしているのかわからない。
 もしかして、わたしだけが、何かしてもらえばお礼、お礼、と過剰に反応しているのだろうか。叔母の言う、わたしのずうずうしくなさ、とは、わたしのそういう性質のことなのだろうか。

 昔、親しくしていたひとがわたしに高額なプレゼントをくれようとしたのを「そんなのもらえない、お返しができない」と断り、なんでもらえないのかと喧嘩になり、仲がこじれてしまったことがある。ほんとうは欲しい品だったのにもらう気持ちになれなかったのは、遠慮と、「ずうずうしい人間だと思われたくない」という見栄からだ。もらっておけばよかったんだよな~、と今はわかる。相手はお返しが欲しくてプレゼントをくれるわけじゃない。「あげたい」という心でくれようとしたのだ、わたしをよろこばせようとして。それなのに、なんとわたしという人間の可愛げのなさよ。

 ずうずうしい人間にはなりたくないと思っていた。けれど、過度な遠慮が相手を困らせてしまうこともある。疲れさせてしまうことも、きっとある。わたしは、もうすこしずうずうしくなってゆこう。すこしずうずうしくなっても、感謝の気持ちは忘れずに。

  ことのほかお見舞いくれた東京の義叔父に今年も送る喜久福  
※喜久福=仙台銘菓

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数えてみたらわたしの部屋にコーヒーカップ及びマグカップが10個あった。湯呑み茶碗も加えれば12個になる。

 普段使いのは実家暮らし時代から使ってた一番古いお気に入りの白地にシンプルな花鳥風月の絵のコーヒーカップ。昔はこのカップをメインで使っていたけれど、今は主に薬を服用する際に使っていてサブ的扱い。今飲み物用に使っているのは無印良品で買った耐熱ガラス(アクリル?)の。透明で大きいので夏はグラス代わりにもして重宝している。
 あとは簡単な来客用に100均で買った2つ。主に両親や友人が来た時に使っている。バラバラな時期に買ったので柄もバラバラ。
 そして新潮文庫のYonda?CLUBの応募券を集めていただいた景品ペアマグカップ。一つは職場で使っていて、「それって新潮文庫のだよね」なんて気づいてくれる人がいてうれしかったりした。愛用していたけれど、転職してマグカップ持ち込まない職場に代わってからは出番がなくなってしまった。この先にマグカップ持参の職場にめぐり着いたらまた活躍することでありましょう。ペアの方も、ペアの人が現れたら。
 それから昔の勤め先だった飲食店のクローズの際に処分品をいただいたお揃いの白いコーヒーカップ3つ。多数の人が集まった時にでも使いたいと思っていたけれど、そんな日は訪れないまま仕舞いっぱなし。でも3つ揃いっていつか必要な気がして。来客用の100均のをお払い箱にしてこちらを使用すればいいのだろか。でも割れてもいないのに交代させなくともいいとも思って、そのまま。
 とくべつな思い入れがあるのは、職場だった飲食店にお客様として現れたものの、体調を崩して倒れかけたお年寄りの方からいただいた蓋と茶こし付きマグカップ。具合の悪いのを介助したところ、回復した後日に、わたしのために選んだのだ、と職場まで届けに来てくださった。一度も使ったこともなく箱に入ったままだけど宝物。わたしはたいしたことはしていないのに、満面の笑顔でお礼を言ってくださって、お礼なんて別にいいのに、わざわざ後日来てくださったお心がうれしくて。そういえば当時は、助けてくれたお礼に後日カップをもらったことが恋の始まりだった『電車男』が流行っていて、似た状況を味わえたのがおもしろかった。もちろん、相手がおじいちゃんではそれ以上何も芽生えないのだけれども。
 いつか使いたいのは、妹の結婚式の引き出物だった夫婦湯呑み茶碗。まっしろな有田焼で、ころんとしたまるいかたちがかわいい。これを引き出物に選んだ妹のセンスがありがたい。ちなみに、両親などは同じ引き出物でも湯呑みのデザインが違っていて、両親のは渋い色でしゅっとしたかたちのものだった。わたしは自分に宛がわれたまるっこい湯呑みが気に入ってる。夫婦湯呑みなので、揃って使い始める日が来たらいい。その日まで仕舞っている。今のところ湯呑みはこれだけだけど、お茶も普段使いの無印良品のカップに淹れてるので使ってない。

 一人暮らしで、こんなに飲み物の器は要らないでしょ、と今さらに思う。半分以上も、一度も使われず仕舞ったまま。でも、なんだかどれも手離せない。だんしゃり、失敗。

  引き出物の夫婦湯呑みはいつの日かって二つ使おうと仕舞う

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同僚の、わたしより八つぐらい年下の女の子が、趣味としてコピックで絵を描いている、と言うので、手持ちのコピックを何本か譲ることになった。コピックはマーカーにして一本400円程度と値も張るので「いいんですか!?」と同僚さんは恐縮していた。けれど、わたしはもう絵は描かないし、描くとしても彩色は透明水彩やアクリル絵の具にするだろう。コピックはわたしの画風にも合わないのだ。処分しようかと思っていたほどだったから、丁度よかった。必要としてくれる人の手に渡った方がいい。

 手持ちのコピックの中から30本ほど、あげてもよさそうな色を選びながら、件の同僚さんになつかしいものを感じた。男の人には興味がないから結婚はしたくない、自分の趣味のために生きたい、と敢えて一度も定職に就かず派遣を転々としている彼女。どこか、昔の自分を見ているようでもある(わたしは転々とはしなかったけれど)。今のわたしぐらいの年齢になった時に後悔しないといいけどな、なんて余計なお世話に過ぎないことを思ったりしつつ、彼女の話を聞く時は「趣味があるっていいね」「芸術的だね」「自分を持ってるんだね」なんて肯定したりする。
 これが昔のわたし相手なら「ちゃんと就職した方がいいよ、趣味は趣味でしかないよ」と言うだろう。でも、昔のわたしが母などにそう言われても、当時はいずれ絵を描かなくなるなんて思いもせず、聞く耳を持たなかったことまで思い出す。同僚さんにしても、今の自分の意思でそうしているのだから、定職にも異性にも目もくれず自分の意思で趣味に生きることによってきらきらしているのだから、それでいいのだと思う。若さというのは、きっとそういうものだ。

 自分のところに残しておきたい色を選んでいたら、茶系と緑系の色ばかり残った。残ったコピックで、木でも描くのか、わたしは。

  部屋うちの全てのものが過去形と思う真夜中色のパステル

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 失業保険も諸々あって受給しきれぬまま期限切れ、福祉の支援も受給資格が得られず、さて、この先どうやって生きてゆこうとあわあわしていた矢先、ひと月の期間限定ではあるものの仕事が舞い込んできたので、今、就労している。療養中でまともに社会復帰できるか心配だったし、未経験職だったから不安もあったけれど、ひと月だけならリハビリになるかも、新しい経験を積むのにそれくらいが丁度よいかも、と軽い気持ちで受けた。年末まで、と期間的にきりがいいのもよかった。

 この年齢になって初めて、座り仕事をしている。これまでわたしは立ち仕事ばかりをしてきて、座ってする仕事はどんなにか楽なのだろう、と長いこと羨んでいた。とんでもない! 実際に勤めてみれば、立っても座っても、仕事というものは疲れるのだなあ、と4時間半の残業帰りにしみじみ思う。それでも不慣れなエクセルを駆使しつつ仕上げた業務を「きれいなデータだった」なんて言われると、うれしい。
 短期の職に就くのも初めて、残業のある仕事に就くのも初めて、オフィスというような職場環境も初めて、初めてのことばかりで慣れないことばかりだけれど、さいわい人間関係にも恵まれ、新鮮な気持ちで仕事ができている。期間限定だからこの先のことは見えないことが心許ないけれど、今のこの経験は次というものに活かせるような気がしている。がんばる。

  履歴書を書くのにきた右の手でマーメイド紙に小鳥を描く


※過去絵。画像クリックで拡大されます。

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しあわせな歌が詠みたい誰からも全然ほめられなくていいから

 と、いうようなことを、この頃はもうずっと考えている。
 歌というものは哀しさ寂しさと波長が合いやすい。一般的に名歌と呼ばれるものもどこか物悲しさを帯びたものが多い。侘び寂びは日本の美意識だから。けれども、もう、ほめられるために歌を詠いたいわたしではない。わたしにとって大切なのは、良作と言われるような歌を詠むことより、わたし自身がしあわせになること。歌のためではなくて、わたしの人生のしあわせのために生きたい。
 歌はたぶんずっと詠ってゆくだろう。わたしがしあわせになってから詠う歌がつまらない歌だとしても、わたし自身がしあわせだったらそれでいい、と今は思う。

  しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ

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一人暮らしを始めてから10年ほどはほとんど疎遠だったのが嘘みたいに、この頃は実家によく帰る。一人暮らしの一人の部屋に一人で居る時は、ついついパソコンを開いてインターネットに繋いだり文章を打ったりして過ごしがちだけれど、実家にはパソコンがない。外出先で携帯電話を使ってネットに繋ぐという習慣はない。自分のパソコンを持っていって文章の作業をすることもあるけれど、2、3日の滞在ならパソコンという荷物は重たい。
 実家ではせっかくパソコンの使えない状況にあるので、パソコンから離れた時間を過ごす。あまり荷物にならない文庫本を持っていったり、実家の本を読んだり、実家で飼っている犬と遊んだり、田舎道を散歩したり、野菜を出荷しに市場へ行くのについていったり、家族のために食事を作ったり、パソコンから離れて過ごした時間の方が、なんというか、生きている、という感じがする。休職した(のちに退職した)際、療養として実家でそんなふうに過ごしたことが、今の回復に繋がっている気はする。
 祖母と過ごすのも楽しい。祖母は、わたしが帰ってくることを知ると、訪問販売のヤクルトを買って待っていてくれる。そんな祖母とヤクルトを飲んだり、一緒に犬をからかったり、部屋のこまごまとした手伝いをしたり、シップを貼ってあげたり、テレビを見ながらおしゃべりをしたり。
 テレビに映る俳優の窪田正孝さんを「わたし、この人が好きなの」と言ったところ、祖母は「女房の方が良い男だ」と言う。女房、女房、と何のことだと思いきや、NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』に水木先生役で出演していらした向井理さんのことであった。丁度、ご結婚の話題が持ち切りな時期だったこともあり、テレビでよく見かける度に「優しそうだ」「良い顔だ」とうれしそうで、乙女な祖母がおもしろかった。「向井理さんっていうんだよ」と名前を教えてあげると、「いい名前だなあ」と何度もくり返すのだった。次に会った時に覚えているかわからないけれど。というか、わたしがいいなあと思っている窪田正孝さんも朝ドラ出てたのに、やっぱり祖母なりの好みがあるのね。祖母が向井さんを気に入っているということが、なんだかほんとうにおもしろかった。今まで他のテレビの人をそんなふうに言っていたこともなかったので、よっぽど好きなのでしょう。
 実家に居る間、裁縫は苦手だけれど、ボタンで取り外しのできる携帯電話入れも作った。ポケットのないバッグに付けるのだ。古い服の袖部分を袋にして、古いエプロンの紐で持ち手とボタンホールを作り、古いパジャマのボタンを付けて、余りもののレースのコースターを飾りに縫い付けた。柄もちぐはぐで縫い目もがたがただけど、自分用なので別にいいの。ボタンだけは、わたしのへたくそな縫いっぷりに業を煮やしたのか、家政科出身の母がちゃちゃっと付けてくれた。

 パソコンから離れた時間を、一人暮らしの自宅に居る時にも過ごしたい。そもそも、誰かと一緒に居る時にネットを繋ごうなんて思わない。パソコンをさわりたくなるのは一人ぼっちで居る時なのだ。
 
  ネットでもいでなけりゃわたしなど何処にもいないみたいな夜だ


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直近に働いていた法人やお医者さんの勧めもあって、しばらくは福祉制度のお世話になろうと思った。が、協会に詳細を問い合わせたところ、当てにしていた手当の受給資格を満たしてないことを知った。当てにしていたのに。手当を受けながら、ゆっくり療養しつつ自分に合った仕事を探すつもりでいた。この先どうやって生きてゆけばいいのだろう。先日の失業(再就職)手当の件といい、世の中は思ってたより優しいようで、やっぱり厳しい。自業自得なのだろうか。
 思えば、わたしは賭け事が嫌いで生活には堅実な思考だけれど、人生の方は博打打まくっているような気がする。こんなふうに生きたくなんかないのに。おだやかに優しい安定した暮らしがしたいのに。人生に博打を売ったと言っても、大恋愛に溺れて身を滅ぼしたとか、起業しようとして栄華を極めたものの没落した、とかではない。若気の至りでつまらない夢を追って若さを棒に振り、安定職に就いてなんとか軌道修正できたと思ったら震災パワハラ病気とかだから、ロマンも何もない。でも、これからなんとかなれ。

 その日は映画デーだったので、好きな角田光代さんが原作の『紙の月』観に行くことにした。先々の暮らしがわからな過ぎて引きこもりがちになってしまいがちだから、先々の暮らしのことを考えず外に出て今の自分を楽しませてあげるということもしてみようと思い立った。その方が心には良さそうで。
 『紙の月』おもしろかった、小説版もドラマ版も未見で先入観なしに観たのもよかったかもしれない。そして長町モール紀伊国屋の裕子先生歌集の充実っぷり。平積みの斉藤梢さんの歌集も欲しかったけれど、ずっと読みたかった永田和宏先生河野裕子先生ご一家の『家族の歌』と角田光代さん穂村弘さんの『異性』が文庫化していたので購入してしまう。
 雑貨屋さんにも寄った。震災以降ダンボールに用意していた防災グッズを、持ち出し用にリュックに入れたいなあってずっと思っていたのだ。防災グッズ入れだからそんなちゃんとしたおしゃれバッグじゃなくてよくって、安価で丁度良いの見つけて購入したら、店員さんが「おともさんですよね!」って、大昔の職場で一緒だったバイトちゃん!
 5、6年ぶりの再会だったけれども、感じの良い笑顔は相変わらずで、実のところ、わたしは笑顔の大切さを同僚時代の彼女を見ていて覚えたのだった。ちゃんとした別の就職先の決まって退職したはずの彼女にもあれからいろいろあったみたいだけれど、わたしもいろいろあったけれど、先々のことが不安過ぎて映画なんか観てる場合じゃないかもって思いながらも、映画観に行ったからこんなふうにうれしい再会があって、よかった。今の連絡先を交換して、わたしも今でも交流のある共通の同僚仲間も交えてまた会いたいね、ゆっくりお話したいねって話をした。社交辞令に終わらず、実現したらいいなって思う。そのために、自分も動きたいと思う。人との繋がりはほんとうに大切にしてゆきたいから。

 福祉の手当は受給できないことが決まったけれど、数日して、短期ではあるものの今の自分にもがんばれそうな仕事に就くことになった。

  「またね」ってまたの日が来て ああわたし一人ぼっちじゃないんだなって

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五円玉を集めていたことがある。東日本大震災から数月経った頃だ。五円玉を集めては、当時の通勤経路に在った神社にお賽銭として、お参りをしていた。と、いっても、震災の鎮魂の思いではない。わたし自身の個人的な仕合せを思って、わたしは毎日のように目を閉じて手を合わせた。幸福にご縁(五円)がありますように、と。

 それまでわたしは、わたし自身の心をないがしろにするようなところがあって、たとえば誰かがやらないと仕方のないことなどがあった場合に犠牲になりがちだったし、それを自分でも気づいていなかった。わたしを見ていてくれた昔の職場の方から忠言していただいて気づいたことだ。いい人になっていても誰もい人なんて思ってくれない。何を言っても断らない人なんだって、どんどん軽んじられていってしまうから、主張すべき時はちゃんとした方がいい、と。
 それでも、生き方の癖はなかなか抜けず、震災のような非常事態時にこそ、わたし自身の安全や不安を後回しにするなど、へたくそに振る舞ってしまった。そうして、いろいろなものを喪った。
 だから、何よりもわたし自身の幸福を一番大事にしようって、神社を参拝していたのだ。尤も、その神社は学業の合格祈願の神社だったけれども。

 「祈る」ということについて考えている。先日、NHKでお百度参りのドキュメンタリーを見た。元気だった息子さんが突然病に伏し、当初こそ切実な思いでお百度参りをしていたような女性であったけれど、回復の兆しが見えず闘病が長引くにつれ、いつしかお百度参りを続ける意味合いが変わってきたように見えた。それでも、ずっとお百度参りを続けていた。彼女だけでなく、他のお百度参りをする人達も似たような事情を抱えていた。
 祈るほかどうしようのないことがある。祈らずにはいられないことがある。祈ってもどうしようもないことがある。それでも。「願う」とは違うのだ、似ているようで、「祈る」と「願う」はどこかが違う、どこかが。

 五円玉はいつしか集めなくなった。当時の好きだった仕事をずっと続けたい、という思いの一つが叶わないことがわかったから――仕事を辞す羽目になったから。幾たびも参った神社にも自然、足が遠のいてしまった。
 しあわせになりたいと思う。もう、わたし自身がしあわせになりたいと思う。それは「願い」なのか「祈り」なのか、自分でもよくわからない。

  欲張っておみくじ二回引きおれば待ち人来ずと二回告げらる


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先日、フジテレビの『めちゃめちゃイケてる!』を見た。その日の企画は、男性は女性を褒めるべき、といったような趣旨で、ブスキャラとして通っている大久保さんがオフショットで一緒に居た男性陣にどれだけ褒めてもらえるか、というものだった。まつ毛エクステやアイシャドウといったメイクをして普段とは違ったおめかしをしている大久保さんに、気づく人もいれば、気づいたうえで「変だ」という人もいた。もちろん、大久保さんはお笑い芸人であるので、ましてブスキャラで売っているので、おめかしメイクが可笑しいと笑われたところで、番組としても、本人としてもオイシイ。仲間内から、そんなふうに面と向かってブスだと言われるような立ち位置であるところも、大久保さんの魅力であるのだとも思う。不快になるような番組作りではない。
 それでも、モデルの敦士さんが一言もネガティブな言葉を発することなく肯定してくれたり、よゐこの浜口さんの圧倒的な、女性芸人としてではなく一人の女性としての目線での褒めっぷりに、号泣してしまっている自分がいた。なんで大久保さんがおめかしを褒められてこんなにわたしがうれしいんだろう。わたしのこの涙はおかしい、泣くような場面ではない。あらためて、自分の心の傷の根深さを思った。

 小学生高学年の頃だったと思う。担任でもない女性の先生が、なにかの係だったわたしになにか頼みかけて、「やっぱり可愛い子にしよう」と言って去って行った。そののち、同じ係の容姿の見栄えする女の子が、壇上でどこかのえらい人に花束を贈呈していた。ああ、あれを頼まれかけていたのか。目立つことは好きじゃないので、花束贈呈役に選ばれなくてよかった。でも、先生の言葉にちょっと傷ついている自分もいた。自分が容姿に恵まれてないことは知っている。けれども、うっかり漏れてしまったのであろう先生の本音を聞いてしまって、他人が認めるほど、わたしの容姿は良くない、ということをあらためて自覚してしまって、恥ずかしかった。それ以前も、そののちも、友達やただの級友、上司など、他人から自分の容姿をそれとなく貶されることは何度かあった。
 わたしはブスだから、ブスはしゃしゃり出ちゃいけない。ブスだから、女の子らしいかわいい格好なんか似合わない、しちゃいけない。ブスだから、多くを望んじゃいけない。ブスだから、わたしはブスだからと、なにかにつけて萎縮して自信が持てなくなり、思春期に母親との折り合いがあまりよくなかったこともあって、性格もこじらせていってしまい、いつしか自分の中の女性性をうまく受け入れられないようになってしまった。

 もちろん、絶世の美女でなくとも、いつも笑顔でニコニコしていたり、表情や仕草が可愛らしかったり、内面のうつくしさが外面に滲み出て魅力的な女性はいっぱいいる。けれど、わたしは自分はブスであるということに気後れし過ぎて、そういったことに気づくのが遅れてしまった。「可愛い」「美人」などと容姿を褒められて、ああ、これは社交辞令だと察し「ありがとうございます☆」「よく言われます☆」なんて返せるようになったのも、女の子らしい格好やお化粧を躊躇いなくできるようになったのも、もう若い女の子ではなくなってからのことだ

  「田宮さんて美人だよね」と言われたまま美人になってしまえばよかった

 この歌を塔11月号で取り上げていただいた際、評者の川田さんに「あっけらかんとした自己肯定が素晴らしい。『頭のよさそうなおぼっちゃんね』『なんて可愛いお嬢さんでしょう』なんて言われながら育ち、大人になってやっとそれがお世辞であったことを知る。しかし、誰しもそれなりの賢さ、美しさを持ち、それなりの人生を送るのが一番の幸せ。これも負け惜しみかも……。」という評をいただいだ。そういう受け取り方もありだな、と、こんなふうに歌が作者の手を離れてゆくことをおもしろく思った。
 実際は真逆でわたしは「可愛い」というお世辞どころか「可愛くない」という本音を受けて育っている。自己肯定どころか自己否定の人生だった。だからこそ、「美人だよね」と言われた時、このひとにはブスキャラのこのわたしが美人に見えているのだろうか、と戸惑った。戸惑いながら、うれしかった。やっぱり、うれしかったのだった。

***

 ホワイトシチュー。市販のルーを使わず、ホワイトソースから手作り。この食器、一人暮らし始めた15年ほど前に母が持たせてくれたのだけど、15年ほどにして初めて使った。写真でも撮ろうとか思わないと、普段使いの丼とかお椀によそってしまうもの。


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わたしが少しだけ在籍していた最後に仕事をしていた現場は、閉鎖的な部署で、口にするのが憚られるような下品な下ネタが横行するような人達が集っていて、それが休憩時間のみならず仕事中もそうなので気持ち悪かった。女性しか居ないから変に生々しくてえげつなくて、仕事なのだと割り切っていてもそんな現場にいるのが気持ち悪くて仕方がなかった。そうした空気に馴染めなかったこともあって、わたしの体調も悪化していった。この世にはいろいろな人がいるのだとはいえ、合わない職場だったと思う。

 本部の方と、事務処理等で今でも少し書面のやり取りがある。仕事の現場は一緒でなく、本部から事務処理の際だけに来ていただいてご一緒した女性上司。最終勤務日、というよりはわたしの体調が良くなくこれ以上勤務できる状態ではないという話し合いの際、ちょっとした空いた時間に、初めて雑談をした。お互い読書が趣味であることがわかり、意気投合した。彼女は湊かなえさんの小説が好きだと言い、わたしは『告白』の原作も読んで映画も見ていたので、ひとしきり盛り上がった。わたしは好きな作家を聞かれて、角田光代さんと答えた。わたしは短編集が好きなのだけど、映画化もされた『八日目の蝉』が有名だということでお勧めした。「普段は事務処理に追われているから、こんなふうに職場で本の話ができるのがうれしい」と彼女は微笑んでいた。
 それ以来、退職にまつわる書類、諸々の手当ての手続きの書類、等々事務書類が彼女から送られて来る度に、事務的な文書の後に「読んでみました」「お勧めです」「映画化嬉しいですね」といったような本にまつわる追伸が書いてあって、わたしも事務書類を送る際に返して、なんだかそんなことが、うれしい。好きな話をできることもうれしいし、気遣っていただけていることもうれしい。

 こうした方と一緒の現場で仕事ができていたら、休職や退職をすることもなかったかもしなれい、なんて思ったりする。人間関係は仕事をするうえで大きく影響するから。下ネタが大好きな人はわたしのいた部署で水を得た魚のように輝くのだろうし、わたしは本が好きで語り合える人が職場にいれば、気の持ちようで体調も悪化せず仕事に行くのも楽しかったと思う。現に、別な仕事をしていた頃、一緒だった方々とは本の貸し借りもできて、わたし以外の人をも何人も潰したクラッシャー上司が現れるまでは楽しかった。仕事は社会人として稼ぎに行くことろでもあるけれど、どんなに好きな仕事でも、ふとした職場環境の要因で崩れてしまう。好きな仕事で、自分に向いていて、人間関係が良好で、環境が良い、そんな仕事に就けたらいいのだけれど。お給料はそんなに欲張らないから。

  本を読むひと、と答えるれに好きなタイプを聞かれた時は

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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