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川が好き。山も好き。
トークイベント<『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』をめぐって>に行ってきました。出演は写真評論家の飯沢耕太郎さん。当初は写真家の小岩勉さんとの対談の予定だったのが、ご体調の都合でご欠席とのことで残念でしたが、興味深いお話が聞けて実りある時間でした。

 写真に撮るのと写生で歌に詠むことは似ているし、写真のシャッターチャンスは短歌における切り取り方のようだし、まなざしや技術に独自性が表れることなども、写真と短歌は通ずるところがあると思っています。写真の心得のないわたしがカメラを構えてシャッターを押せば写真が撮れてしまうのように、歌心がなくても言葉を五七五七七に収めれば短歌ができてしまうところなども。

 細倉鉱山閉山が発表された1986年から鉱山の町に暮らす身近な人々を撮り始めたという寺崎英子さん。ご自分でもほとんどプリントもしないままの膨大なフィルムを写真家の小岩勉さんに託され、当初はお困りになったとのことですが写真を見てみたらとても良かったということで、助成金の申請など様々にご尽力を受けて、写真展が催され、こうして写真集もできて、寺崎さんのご存命中に叶わなかったことがとてもせつなく思われます。
 いくつかの写真の解説などもお聞きして、わたしは写真のことがさっぱりわからないのでためになりました。寺崎さんはご病気で小柄だったこともありローアングルの視点の写真が多いというのが特徴のようでした。そうした視点や構図、色彩のバランスだとか、この瞬間を捉えたのがいいとか、ここにこの具体が写っているのがいいとか、何でもないような写真だけどいいとか、一枚一枚スクリーンに映されながらお話を聞いていると、まるで短歌の評のようでした。実際に寺崎さんは俳句や短歌も詠んでいたことも無関係ではないのかもしれません。
 わたし自身は短歌を詠んでいてなにか足りないような時、いまいちきまらない時に自分の撮った写真を参考にすることがあります。自分で記録したもの、自分の目に映っていたものを詠み込むことで歌に説得力が出てくる、ことを期待したい。頭で言葉をひねり出すより、自分で納得できる感じがするのでした。

 わたしが最初の写真展を見たのは、所用で訪れた場所でやっていたのでついでに、みたいなほとんど偶然でした。けれども、なにかとても充実した思いを抱きました。写真集として手元でいつでも見られるようになったのがうれしいです。写真の解説を聞いて、なぜ良い写真だと感じるのか、具体的に理解に近づけた気がします。そうした技術的な部分以外にも、わたしが子供だった頃の1986年から数年の時代の空気感への懐かしさや、鉱山が閉じたようにわたしの故郷の農村もいずれ山に返ってゆくのかもしれないと重ねて見えてしまうことなども、わたしが寺崎さんの写真に深く惹かれる理由なのだと思います。
 
 行き帰り、仙台七夕祭りの街を通りました。せっかく七夕飾りの中を歩くのだから浴衣でも着て行こうかと一瞬思い、思い直しました。着付けが手間だし、ヘアセットも苦手です。なにより、和服にはポケットがないので鍵やハンカチの仕舞いどころに迷います。大叔母の遺した着物がいくつもあって、しつけ糸の付いたまま袖を通していないものすらあって、わたしが受け継いで着てゆきたい、なんて気持ちばかりで。

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もう7月!どうにも物忘れ著しくなり、書くことを大事にしてゆきたい今日この頃です。

 5月13日は歌集『にず』を読む会でした。会場のシルバーセンターに着き、催しの案内板を見ると「歌集『みず』を読む会」と表示されていました。ガーン。表示名については電話で「ひらがなで『にず』です」とお伝えしていたのですが、聞き慣れない言葉ではあるので聞き誤ってしまうのもしょうがない。わたしも電話応対の仕事をしていて変わった響きのお名前を聞き違えてしまうことがよくあるので人を責められたものではないですし、間違えられたところであまり気にする性格でもなく、ひとネタできたぐらいの心持ちです。他の参加者の方々もまあ笑ってくれるでしょう。
 鍵を受け取りに事務室に赴くと、職員の方が先に「虹が訛って『にず』ですよね、すみません今から直します」と気づいてくださっていました。何かしらでお調べいただいたのでしょうか。かえってお手数おかけしてしまって恐縮でした。

 歌集タイトルにちなんで、前半の歌会のテーマ詠は方言詠み込みの歌にしました。参加者は東北の方が多めですが、出身地がそれぞれのため北から南から様々な言葉が集まり、日本語のおもしろさ、奥深さを感じました。わたしは「んだ」なんていうベッタベタな東北弁を読み込んだ歌を提出してしまいましたが、他にはまるで「読み解かれてたまるか!」とでもいうようにディープな言葉が持ち寄られていたのがとても興味深かったです。余所の地域の人には伝わりにくい言葉だからこそ大事にしたい、というような心でしょうか。方言は辞書に載っていないものも多く、意味の読み取れないまま想像を働かせて評をするといった相当に異色の歌会になりましたが、楽しかったです。こんな歌会は歌集の読む会の余興だからこそできたような気がします。

 歌集を読む会は、皆さんに3首選を提出していただく形式でした。好きな歌や良い歌の3首選だとただただ賞賛を浴びるだけになってしまい、会としておもしろくないのではという懸念と、わたしもあまり自分が褒められる状況は慣れてなくて居心地が悪くなって逃げたくなってしまうので、どうしたものか相談したところ、キャッチフレーズを考えてそれを元に3首という提案をいただきました。試しに自分でも考えてみて「難しいな」と悶えましたが、ちょうどわたしの歌集には帯がないので帯をつくるような感覚で言葉を選んでいただけたのではないかと思っています。おかげさまで、様々な切り口で歌集を読んでいただけてありがたかったです。
 客観性についての指摘が一番多かったのですが、他には古風でベタなしあわせ感、歌の評ではなく生き方の評になってしまいそうになるということ、さらけ出しっぷり、大勢の主流に乗れないわたし、歌の並べ方・置き方、リフレイン、他者との距離、食べ物の歌の多さ、批評性、仮想敵、独特なユーモア、タイトルに関係する歌が少ない、といったことなどが話題にあがりました。あたたかい言葉も厳しい言葉もとてもうれしく、糧にして今後の歌作に活かしてゆきたいです。
 わたしは歌と自分との距離が近いからか、作者としては向き合うのがしんどいときもある歌集ではあるのですが、刊行から3年ほど経ってこうして読む会を開けたり、時々いろんなところで引いていただけたりもして、しあわせな歌集だとしみじみ感じております。

 花束を二ついただきました。翌日が母の日で実家に帰る予定もあったので、ほどいて小さな花束を作り、母におすそ分けしました。ドライフラワーと押し花も作りました。会からひと月半過ぎてドライフラワーは良い感じに部屋を飾ってくれています。押し花はなにか活用できないか考え中です。

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街中のケヤキの木に電飾が巻き付けられ、イルミネーションの準備が始まっています。わたしも季節に追いつかなければ。

 9月10日は河野裕子記念シンポジウムへ。塔に所属しているので河野裕子さんは必修科目のように思っていて、もちろんわたしも全てではないけれど様々に読んできて、その良さを味わいつつ、正直なところどこか遠いような、何か膜に隔てられているような感覚もありました。なぜなのか、ずっと考えていました。
 たとえば『河野裕子読本』(角川学芸出版)の赤い帯には「普通の日々は、有難い。妻として、母として、女として――。」と書いてあります。なるほど、わたしは妻でも母でもないし、女であることもうまく肯定できず育ってきているので、いまいち共感できなかったのか。と、当初は考えてみましたが、そんな単純な話では決してないでしょう。境遇が違うから歌が届かないなどということはあり得ず、職業や年齢、性別、生きていた時代が違っていても好きな歌はたくさんあるのです。
 妻や母、女としての立場に限らず河野裕子さんの歌や文章、逸話などからは愛情深い人柄が伝わってきて、心根の屈折しているわたしにはその愛情深さが少し息ぐるしい、のかもしれない。と、この頃は思い始めました。自分の心を測るように、河野裕子さんの歌などに向き合ってみたい。
 そんな思いもあってシンポジウムに赴いたのですが、講演や鼎談などとても充実していて、はるばる京都まで来てよかったと思いました。たくさんの方々がそうであるように、わたしも実際にお会いすることがあったなら、その人柄に魅了されていたのかもしれないなあと思いました。

 9月11日は全員歌会、選者の方の評付きのの詠草一覧を参照しつつ別の選者の方々がステージ上で評をさくさくハイペースで200首ほど。的確な評にうなづきながらも、わーっと聞いてしまった感はあるのですが、机を並べて皆が発言を求められる歌会に比べ喋る人が限られている分、マイクを回したりの接触や飛沫対策の面では良かったのかもしれません。大変な中を様々な工夫をして開催していただいて、たくさんの方ともお会いできてよかったです。ほとんど「こんにちは」しかお話できていないような、またご挨拶しそびれた方もたくさんいたと思うのですが、ぜひ次の機会に。

 帰りの新幹線のホームには修学旅行生がうじゃうじゃいました。専用の車両を写真に撮っている撮り鉄もいました。わたしも新幹線での京都行きは高校生の時の修学旅行以来なので、凡そ半世紀ぶりです。
 行きは平日だったこともありゆとりがあったのですが、帰りの新幹線は満員でした。お腹がすいてもこの人混みの中で口を開くのは躊躇われ、持参したアルコール消毒を指に塗り込めつつ飴を舐めてやり過ごすぐらいが精いっぱいです。窓際の席で歌集などを読みながら、ふと窓の外が明るくなる瞬間があり、そのたび顔を上げると、そのたびに川がありました、矢作川、天竜川、大井川、安倍川、橋を見て名前を確認できたのはこれだけですが、他にもいくつかの川を見ました。はるかに遠いと思っていた京都へ、4時間程度で行けたことが自分の中で新鮮な驚きでした。自宅に帰宅して「鎌倉殿の13人」に間に合ったのがとてもとてもうれしかったです。

 会場は駅の出口に直結だったので、わたしはいちいち駅に行って地下に降りて地下から出て両日を通ったのですが、後々よく地図を見れば、わたしの宿泊先は会場のすぐそばでした。土地勘がないからと、わざわざ反対方向の駅に行ったり地下に降りたりぐるぐるして、そんなふうにわたしはきっと人生も回り道をしているんだろうなあと思いました。

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9月9日、10日の河野裕子記念シンポジウム&塔短歌会全員歌会in京都2022に参加してきました。帰宅後、少し喉が痛くなってしまい、「京都に行ってきた」と大っぴらに言うのが憚られていたのですが、数日で落ち着いてほっとしました。思えば、コロナ禍前の前回の京都大会から帰宅後も検査をしても原因不明の咳が半月続いたので、京都に行くと喉が痛くなる体質なのかもしれません。前回は行きも帰りも夜行バスであまり眠れず疲れたのがよくなかったと思うので、今回は新幹線にしました。遠出するにもバスや鈍行を利用しがちで新幹線にあまり乗らない人生なので、チケットを取るのも、新幹線のホームに並ぶのもいちいち緊張します。眠れないのもよくなかったと思い、思い切って前泊しました。連泊するのにもいちいち思い切る人生なのです。

 3日自宅を空けるので、冷蔵庫の2つのトマトがあやういと思い、出掛ける前にトマトご飯を炊きました。味付けはコンソメ、塩コショウ、オリーブオイルを適量。お昼に新幹線の中で食べようと、クリームチーズを包んで海苔で巻いておにぎりにします。ご飯の残りはラップに包んで冷凍しました。おにぎりだけでは栄養が心許ないですが、ご飯の炭水化物、トマトのビタミンにチーズのたんぱく質、海苔のミネラルでバランスはとれているでしょう、と思うことにします。
 新幹線に乗るのは浜松大会以来です。その時に、隣の席の人に教えられて窓から富士山を観たのを思い出し、東京が近づいた頃に窓の外をながめていましたが、見つけられませんでした。顔を上げるのが遅かったのか、気づかず過ぎてしまったのか、そもそも反対側の席だったのか、残念でした。
 京都へは15時過ぎに着きました。感染対策で観光は控えてホテルに籠るつもりでいましたが、思いつきで京都御苑を散歩しました。この辺りを歴史上のあの人やあの人も通ったのかな、と昔に思いを馳せながら歩きつつ、地元らしき人達が自転車で通って行ったり学校帰りのようだったりジョギングしていたり普通の公園として過ごしているのが見えて、なんだかいいなあと思いました。

 なるべく荷物を減らしたく、1日目と3日目の服を着まわすことにして、速乾性でシワになりにくい素材のワンピースを着てきました。お弁当用のしょうゆ入れに液体洗剤も仕込んできました。ホテルのバスルームでごしごし洗濯をして、京都1日目の夜を眠りにつきました。

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6月1日、2日は東北集会に行ってきました。北上市の現代詩歌文学館は8年ぶりくらいの2回目です。あの時、館内のカフェの有効期限なしの割引カードを発行してもらっていたけれども、すっかり別のお店に変わっていました。でも、当時は内心ここにまた来るなんて思ってもいなくて、こうしてまた来たことが不思議です。記念に取っておきましょう。









 帰りの駅で小さなイベントがあり、笙とキーボードでジャズの演奏をしていました。笙で聴く「What a Wonderful World」はとってもかっこよくて、あたたかな気持ちになりました。その足で、映画『主戦場』を観に行きました。

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仙台文学館の文学講座「佐藤通雅<短歌>×佐々木隆二<写真>【3.11の記憶】を語る」に行ってきていました。昨年あたり文学館で展示された企画についてのお話を聞く会です。まずは一分間の黙祷から始まりました。

 一つずつパネルを取りあげながら、短歌と写真のそれぞれのエピソードを語るといったような流れでした。それぞれとても興味深かったですが、コラボレーションにあたり、歌にぴったり過ぎるリアルな写真を合わせるのは避けた、というのにうなずかされました。20点は震災時に撮ったものから選び、4点は震災後に撮りに行った写真ということでした。
 震災詠を詠む葛藤などはわたし達も歌会で話したりしますが、写真を撮る方の話は初めて聞きました。長靴を履いて車で荒浜まで行ったものの「お前は何をするつもりなんだ」という声が聞こえてきて最初はどこへカメラを向けていいかわからなかった、とのことでした。わたしも震災時にやっぱり写真は撮れませんでした。今思えば、あの見たこともない光景を記録として残しておくべきだった気もするけれども、当時はどうしても抵抗が芽生えできなかったのです。わたしは写真家ではないのでそれでも構わないのですが、生業であればくるしかっただろうと想像がつきました。
 資料には大川小学校の校歌が記載されていました。2番の歌詞に「船がゆく/太平洋の/青い波/寄せてくる波」とありますが、実際に小学校から海は見えないのだそうです。作詞された富田博先生が、震災後にご自分の書いた歌詞について悔やんでいたというエピソードは切なく思いました。

 こちらの展示は2月22日から3月16日まで宮城野区文化センターでも観られるそうです。




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先週の18日、19日は結社の全国大会で浜松へ行ってきました。いつもは東京までは高速バスなので、新幹線を使うのはわたしにとってはものすごいぜいたくです。
 ウォークマンで最上川司「司の冷たい肉そば音頭」を聴きつつ本を読んでいたら、福島から乗ってきた隣の席の人が話しかけてきました。東京へ野球を見に行くのだけれど友人との待ち合わせの場所までどうやって行ったらいいのかわからないとのことでした。わたしも東京の地理はわからないので力になれないことを詫びつつ、そのまま雑談になりました。どうして浜松へ行くのか聞かれ、一瞬迷って「イ、イベントで」と答えました。車窓から見えた富士山の山頂がどこの県にも属していないことなども教えてもらいました。こうして知らない人と語らうのも旅の醍醐味ですね。
 久しぶりの新幹線、乗り換えは初めてだったので不安もありましたが、思っていたよりずっとあっさり浜松に着きました。



 全国大会はとても楽しかったし、勉強になりました。誌面で存じ上げていたみなさんと、同じ場所でこうしてご一緒出来てうれしかったです。
 冊子販売の店番なども少ししましたが、接客業時代のマニュアルめいた口調が染みついている自分をあらためて思いました。歌会ではしどろもどろなのに。
 外でも中でも道に迷いまくったので、たくさんの方に道を尋ねてしまいました。みなさん親切に教えてくださってありがとうございました。

 せっかく静岡まで来たので、伊豆方面の石垣りん文学記念室などにも行きたかったのですが、都合の関係で会場から全く出ないという過ごし方になったのが心残りです。街中を歩けなかったのは残念でしたが、ホテルの33階の部屋の窓から見える景色はとてもきれいでした。

 おまけ・わたしの提出した歌の元ネタ。歌会でのご意見を参考に推敲しようと思います。


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6月23日は、日本歌人クラブ創立70周年記念シンポジウムへ行ってきました。短歌は救済になり得るか、というテーマに強く惹かれたのです。どこか遠出をしたいという気持ちもありました。

 短歌と救済について、わたし個人の体験としては、震災3年後あたり、仕事のことなども重なり心身の不調に陥りました。変な言葉しか出て来なくて、短歌も詠めなくなって塔も半年ほど欠詠していましたが、療養生活の中でぽろっと一首詠めて、ぽつぽつ詠めるようになってきて、それがちゃんと短歌らしいものになってきたこと時はうれしかったものです。そこからわーっと詠めて、連作にまとまって、心がすっきりして、体も回復してきて、<癒えた>という実感まで繋がってゆきました。今読み返せばへたくそな歌ばかりですが、短歌があったから救われた、救われたことを感じることができたと思います。
 
 さて、早起きして高速バスで盛岡まで。スケジュール的に行って帰ってくるだけになりそうだったので観光はあきらめるとして、せめてお昼ぐらいはじゃじゃ麺を食べたい。駅近の専門店にてじゃじゃ麺とチータンスープをいただきます。わたしはあんまり味付けをしない派、辛いのも得意ではないのでしょうがと味噌くらいです。時間がない中、分単位で時計を気にしつつ完食しました。
 
 プラザおでってにて12時30分からシンポジウムが始まりました。
 まずは三枝昂之さんによる講演「啄木が短歌に求めたもの」、啄木の歌は人間の体温に最も近い36℃の歌、普段着の歌、中年の歌である、というような内容でした。啄木の享年が27歳とか若いので、中年? と不思議に思ったのですが、仕事や家族のことなど生活全般をテーマにすることを指すようです。
 休憩を挟んで梶原さい子さん、千葉聡さん、三川博さん、今井恵子さんのトークセッション。それぞれ違った角度からの救済が語られて、興味深かったです。特に精神科医でもある三川さんの図解付きの分析は、なるほどーと思いました。歌人+喪の仕事+復活力→救済、但し克服を目的とするのではなく、(啄木がぢつと手を見るように)正面から向き合うことが救済なのだ、というような。
 それとは別にして、壇上の方々のほとんどが本業で「先生」と呼ばれていることなどをぼんやり思ったりしました。
 最後に、三枝昂之さん、長澤ちづさん、三原由起子さん、八重嶋勲による実作ワンポイントアドバイス。わたしは申し込んでいなかったのですが、他の方の歌への添削を聞くだけでも勉強になりました。
 資料の中に歌集「いわて震災詩歌2018」という冊子がありました。そのうちこちらについて何か書ければと思います。

 時間があればプラザおでって内のてがみ館や、近くの啄木賢治青春館にも行きたかったのですが、またの機会に(8年前に行った時の写真を載せてみましょう)。久しぶりに盛岡の空気を吸えてよかったです。


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先週の26日、27日は東北集会で秋田県の角館へ。とっても天気がよかったです。ありがたいことに、道中を住まいの近い方々とご一緒させていただきました。

 まずは角館交流センターで歌会。木造の和む建物で、大きな窓いっぱいの緑がきれいな研修室でした。しかもとてもお安いとか。東北集会とはいえ方々からみなさん集まっているので、お土産のおやつがたくさんです。かくいうわたしも、先日の塩竃小旅行でお土産屋さんに捕まった海の幸の薄焼きお煎餅を配りました。
 今回の歌会は良いと思った歌2首、物申す歌1首の選でした。わたしの歌はどちらも3票ずつで、賛否両論。いいね、歌会はこうでなくっちゃ。せっかく意見が聞ける場なのだから、絶対に褒められるような出来のいい歌より、どうかな?と思うような歌を出した方が、わたしは楽しいです。
 残りの時間でそれぞれ詠んだ上の句をくじのように回し、当たったものの下の句を詠むという短歌ゲームをしました。

 歌会の後は蔵のような作りの居酒屋さんで懇親会。秋田なのできりたんぽ鍋です。そしてパスタやピザなどのイタリアンも出てきます。短歌の作り方、向き合い方などいろいろ大切なお話が聞けてうれしかったです。
 ホテルでの二次会も盛り上がってたようなのですが、睡眠負債がひどいことになっていたので先におやすみなさい(と言いつつ「おっさんずラブ」と「生さだ」を途中まで見ました)。

 2日目はホテルで朝食を取った後、武家屋敷の方面へ。まずは現存する最古の石黒家、展示をしていない母屋では子孫の方々がお暮らしとのこと。なにかロマンを感じます。ここでひとまず解散。残る面々でルネ・ラリックのガラス作品を展示している大村美術館、職人による樺細工の制作実演が行われている樺細工伝承館、映画「隠し剣鬼の爪」撮影場所でもあった青柳家、などを観光しました。歩いて行ける範囲でいろいろ見どころがあって、雰囲気のある町並みがすてきでした。


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8月19日、20日は塔全国大会で福島県郡山市へ行ってきました。去年の8月20日、21日も福島県へ行ったのでした。去年と同じ道なもので道中いろいろえぐられるのでした、国見SAあたりの景色とか。あの日から、ずい分遠くへ来ちゃったものです。

 過去を振り返ってばかりはいられません!初めての全国大会です。わたしは歌合せに参加しました。題詠苦手、歌評苦手、人前でしゃべるの苦手なわたしが歌合せに向いてるとはとても思えないのですが、成り行きで。あえなく一回戦敗退しましたが、良い経験でした。懇親会後に歌合せの勉強会へも赴きましたが、白熱していて圧倒されました。わたしがマイペース過ぎるのかもしれないです。
 他にも玄侑宗久さんの講演や歌会、塔ができるまでの映像の上映など、おもしろかったです。
 この2日間でたくさんの方とお会いできてうれしかったです。この先も、できる限り参加したいな、と思いました。もう一週間経ったなんて、なんだかあっという間です。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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