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川が好き。山も好き。
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国民年金保険料追納のご案内ハガキが届いた。去年の無職だった頃、国民年金の納付を免除してもらっていたのだ。

 印字されていた金額は、払えない額ではないけれど、今のわたしの月給の半分くらい。それなりに、大きい。
 免除してもらっていた分を追納すれば、将来もらえる年金が増える。免除分は、このままだと半額支給になる。老後のことは心配だ。とはいえ、手元の現金を一気に失うことは、こわい。それに、わたしが年金をもらう頃に年金制度がどうなっているか、破綻しているかもわからないし、手元に残しておく現金を将来のために貯金していたっていいし、自分のために遣ったっていい。

 結局、追納はしないことにした。悩むけれど、とりあえずは今を大切にしたい。

  文庫本しのばせてゆく晴れた日の国民年金免除手続き

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 先日、山形美術館で「飛塚英寿――出羽の里びと」という展示を見てきました。写真家・飛塚英寿さんによる昭和30~40年くらいの山形の人達の写真。わたしは昭和55年生まれだけれど田舎の昔の文化が残っている地域に育ったこともあり、郷愁をそそられるものがありました。被写体が人である、というところがとても良かったです。表情や仕草、服装など、言葉のように胸に伝わってくるものがありました。特に、今は人が住まなくなっている白鷹町のある集落の人達の写真を興味深く見ました。同行の人のお祖母さまの故郷だったのですが、昔は普通に暮らしが営まれていたものの、山奥で不便過ぎたので集団で離村したそうです。そうした暮らしの風景や離村時の写真は、3・11の原発事故の放射能の影響で避難区域になり地元を離れざるをえなくなった福島の人達にも重なって見えました。
 常設展はピカソやシャガール、モネなどの絵画でした。が、写真展がすてき過ぎてあんまり印象に残っていません。
 
 写真は短歌に通じるものを感じます。この瞬間を切り取るかっていう感覚。写真展を観賞して、わたしは短歌の記録性に惹かれてるんだな、とあらためて気づきました。写真を撮るように短歌を詠いたい、と思いました。

 美術館の後は、久しぶりに山形市の街中、七日町を歩きました。中学生や高校生の頃、山形市に遊びに行くと必ず訪れていたaz七日町ビル、本を購った八文字屋書店、楽譜を求めた富沢本店、食事をしたイタリアンレストラン・チロル。郊外にショッピングモールができ始めたこともあり、山形の中心街は廃れてきたなんていう話も聞いていましたが、昔よく立ち寄ったお店は今でもがんばっていて、懐かしかったです。

  一人旅装うブログ打つ君の携帯カメラに写らぬわたし

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わたしの職場の責任者であるセンター長が、わたしと同じ年齢だと知った。堂々とした振る舞いや貫禄から、てっきり一回りくらい上かと思っていた。年齢の割には、ちょっとチャラいんじゃないかとも思っていた。実年齢がわかれば、あの妙な軽さも、まあそんなものか、と納得する。それにしてもびっくりした。
 一番の長たる長が同じ年齢なのだもの、二番手のあの上司も、普段頼りにしているあの上司も、少し厳しいあの上司も、同年代だったり年下だったりするのでしょう。年相応の出世もせずに、いつまでも下っ端をふらふらしているわたしという人生を思う。

 そういえば、小学校や中学校、高校でご指導いただいた先生方の当時の年齢も、思えばずい分追い越してしまった。子供の目からしたら先生達はずっとずっと大人に見えて、あの頃のあの先生が20代だった、なんて信じられない。わたしが20代だったら、そんなふうにたくさんの子供達をまとめることなんてできない。30代で未だ独身の先生を、行き遅れているなんて普通に思っていた。今思えば、それくらいめずらしくも恥でもなんともないのに。

 時々、20代かと問われる。もちろん、お世辞も含まれていると思うけれど。ただ、わたしの場合は若く見えたとしても、それが若さなのではなく、人並みの人生経験を積んでないということゆえのおぼこさなのではないか。悪い意味で、年齢不詳。つまりは、「子供おばさん」なる不気味な存在なのではないか、わたしは。

 わたしの意識も変化してきている。30代前半の頃は、なぜかもう40代になってしまったような気分で、青春も過ぎ去り人生も終わったように感じられて、捨て鉢になっていた。
 今は何故か30歳ぐらいの気分で生きている。まだまだ未来があると思えている。なんで数年前あんなに絶望していたのか不思議。視野が狭かったのかもしれない。様々な生き方のあることを知って、見える世界が広がってきてから、これからのことも大丈夫だと思えるようになった。今は、毎日が楽しい。

  震災を機に不妊治療始めたる当時の上司の齢に並びぬ

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今の仕事では、パソコンの画面上でたくさんの人の名前を目にします。カナがなければ読めないような名前や、意外な漢字の当てられている名前もよくあります。
 時には、電話口で漢字ではどう書くのか伺ったりもします。熟語の何という示し方だったり、部首を使って説明してくれたり、自分の名前の表現の仕方を興味深く聞いています。
 たくさんの名前に触れる度、その名前を付けた人のことを思います。名前は人生で一番最初のプレゼント、と言われているように、その人その人なりの願いの込められた名付けなのだろうな、と思いを馳せることがおもしろくあります。

 先日、妊娠中だった妹が無事に出産しました。そして、あろうことか産まれた子にキラキラネームを付けてしまいました。
 妊婦時代から「この子は<り>だ! ってひらめいたの。<り>の付く名前にする」などと言っていたので危惧はしていたのだけれども。「だったら江戸時代の冒険家、間宮林蔵にちなんで<林蔵>と名付けたらどう?」とわたしは精いっぱいの軌道修正を試みていたのだけれども。
 変わった響きで画数の多い字面の名前を前に、「キラキラネームを付けたんだね…」とわたしが言うと、「キラキラネームだろうか。ギリギリ大丈夫だと思ったんだけど」と、妹はどこか麻痺している様子です。やっぱり産前産後は頭がお花畑になってキラキラネームを付けてしまうといううわさはほんとうだったのでしょうか。まだ赤ん坊だからかわいいものの、彼が青年になり、おっさんになってゆくことを思えば、キラキラした名前に風貌がついてゆけるのだろうか、と伯母ながら心配です。

 わたしは、子を生む予定も全くないのに、もしも名付けをする機会があったら、産まれたその日の季節や天気にちなんだ名前、漢字はシンプルに間違えられることなく読めるもの、説明のしやすいもの、と決めております。

  筆名を決めかねぬままはや幾年おのれに込める願いなどなく

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東北大学短歌会の歌会に参加してきました。社会人や主婦の方もいるよ、と聞いていたので、大学短歌会とはいってももっと開けた感じなのかなと思っていたのですが、当然のごとく大学生やOBの方々が多く、見事にぶっちぎりで最年長でした。でも、普段は年上の方とばかり歌会をしているので、若い方々の歌を読んだり評を聞けたりするのは新鮮でした。わたしも、普段の結社の歌会では作者バレするので出せないような若めの歌を提出しました。
 参加者は13人ほど。歌会をやるに丁度良いくらいの人数。そして大学生を中心をした若い人だけでこんなに参加者がいるのもすごいことです。

 結社の歌会の懇親会などでよく話題になるのが「最近の若い人の歌は、頭の良さを競い合っているみたい」というもの。
 実際に大学短歌会という若い人達の歌会に参加してみると、詠草一覧を見てもなんだか難しくてわたしには読みきれないものがほとんどでした。評に関しても、みんな難しいことを言っているなあーといった印象を受けました。わたしなんてほとんど高卒だもんなー。

 若くて短歌をやっている人がこんなにいるのか。白熱してるなー。男子率高いなー(結社の歌会は最近女子会化している)。大学生なんて多感な時期にこんなに同世代で同じ趣味の人と集えたら楽しいんだろうなー。いいなー、青春だなー。なんてことを考えたりしました。
 機会があれば、またお邪魔してみたく思います。

  ユニクロのTシャツ二人かぶりたる東北大学短歌会歌会

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両親が今朝採りのさくらんぼを届けに来てくれた。毎年、職場のおすそ分け用などに宅配便で送ってくれるのだけれど、今年は直に届けに来てくれた。
 両親が自宅に来てくれることが、この頃ずい分多くなった。昔はもっと距離があった。憎んでいた頃さえあった。けれど、今はいろんな話もする。家族らしくなってきたと思う。

 基本的には自宅で自炊の夕飯を一人で取ることの多いわたしが、この頃はいろいろお誘いをいただいて外食をしたりもする。大抵はガールズトークの聞き役だったりするのだけど、それはそれで興味深いし、誰かと共に食事を取ることは楽しい。

 仕事は、不安定だけれど、マイペースに進められるし、人間関係もざっくりしていて、ストレスもほとんどなく働けている。給料日、お給料もそこそこもらえてた。一生ものの仕事じゃない。でも、こういう働き方をしている人はいっぱいいる。いっぱいいるということがわかってきた。こんな感じでいいのかもしれない。こんな感じでいいかもしれない。仕事で心も体もぼろぼろになってた頃に比べれば。

 昨日は歌会で福島に行ってきた。楽しかった。心の支えになり得る趣味を持てていることを、うれしく思う。来週も、普段とは違う歌会へ初参加する予定。どんな感じか楽しみ。新しい出会いもあるでしょう。短歌はわたしを様々なところに連れ出してくれる。連れ出されてゆく自分を、おもしろく思う。

 人と会う予定がいくつかある。会いたい人がいるということ。わたしに会いたいと思ってくれている人がいるということ。

 今が一番いい時。小津安二郎映画によく出てくる言葉だけれど、今が一番しあわせかもしれないな、ってこの頃つくづく思う。
 わたしは震災以降ずっと大きな傷みを心に抱えてきていて、でも、笑えて過ごせるようになった日々の中で、いつしかそうした傷みを忘れつつあることに気づいた。
 このまま忘れきってしまえばいい、と思う一方で、忘れてゆくことを、寂しくも思う。だって、忘れることができるなんて思っていなかったから。あの傷みを、いつまでも引きずるつもりでいたから。
 わたしの悪い癖だ。過去を引きずったり未来を憂うより、今を大事にすればいい。今の自分を一番大事にすればいい。
 去年の今頃は、仕事を休職したりして(そののち結局辞めて療養生活に入って)、今の自分がこんなに笑えて暮らせているなんて思いもよらなかった。去年の今頃を思えば、今の自分なんて充分にしあわせ、泣きたいくらいに。

 さくらんぼ、おいしかった。山形の人は、とかく6月になるとさくらんぼを送る。地元を離れた人は、地元から取り寄せて配ったりする。わたしも、さくらんぼを食べに6月に帰郷していた頃があった。さくらんぼは山形人の心なのだ。

  六月に桜桃が届く これだから心底母を恨めやしない



(今朝とか昨日とか言っているうちに日付が変わってしまった。この文章は2015年5月15日に書きました。)

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早朝から怒涛の恋愛相談メール。今まで一度も男女交際経験のない、一回りほど年下の彼女は、只今片思いアプローチの真っ最中なのだ。
 30代独身Aセクシャル気味なわたしに意見を伺ったところであんまり参考にならないかもよー、と思いつつ、彼女曰くわたしは聞き上手らしく、なんとか取り付けた彼とのデートに、立ち会って会話が止まった時などにフォローしてほしいとの依頼まで受けてしまう。さすがに、二人っきりで会った方がいいのでは、と遠慮したけれど、作戦会議がしたいとのことで仕事終わりに会う約束をする。
 彼女は、同級生にちらほら結婚する子も出てくるような年齢の割に、とんでもなく純粋で、恋愛相談も「こんなメールを送った」「こんな返事が来た」と開けっぴろげで中学生のようである。なんにしても、恋をしている女の子は可愛いものだ。

 仕事終わり、約束の彼女と会った。来週のカラオケデートの予行練習として、どんな曲を歌ったらいいか見ることになった。なんだかよくわからないコアなアニメソングばかり歌いながら「告白されてみたい」「頭を撫でてもらいたい」と饒舌な彼女に、とりあえず「アニメの画面が出てきちゃうと恋愛っぽい雰囲気じゃなくなるし、子供っぽいオタクっぽいって引かれちゃうかもしれないから、お得意のアニメソングは封印して、西野カナとか歌った方がいいよ!」と助言した。

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当初こそ割とやっつけな気分で勤めていた今の仕事ですが、今は普通にまじめに就業しています。最初は上司陣の派手な格好に面食らっていたわたしでしたが、思ったよりあやしい仕事ではなく、ちゃんとした仕事だということがわかってきました。他のスタッフに関しても、一時期たくさんいたギャル子ちゃん達が次第に脱落していったりで、落ち着いた人が残ってきて職場の雰囲気が落ち着いてきたのもあります。尤も、一緒にお弁当を食べていた同僚さんが契約更新されなくて4月で終了になってしまい、5月からは一人昼食になったのはちょっと寂しいですが。休憩室でも一人の人は多いし、わたしは読書などをして過ごしています。

 先日は、隣の席で大きなクレームを処理していた上司が格好良かったです。電話口で、丁寧な謝罪の言葉が淀みなくすらすらと流れて。受話器置いた後めちゃめちゃ疲れていました。「疲れたー」って言っていました。ああいう仕事、疲れると思います。「上の者に代われ」って怒鳴られて代わったパターンでしょうか、あれは。決して容姿がすてきな方ではないのですが、冷静に淡々と確実に仕事をこなす姿は格好良く映るものですね。わたしは口下手なので、言葉の流暢さがうらやましいとも思いました。

 わたしも契約で仕事をしていて不安定な身の上ではありますが、職場の場所も通いやすくて街中なので気分も華やぎますし、働けるうちはがんばってみようと思います。

  あこがれのスターが「バイト探してる 地獄」だなんて歌う せつない

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離れて暮らしている妹と、10ヶ月も会えなさそうなので、写真をお手紙で送ってもらいました。妊婦姿の妹を見てみたいと思ったのです。
 封筒を開けて、写真の中の妹のふくらんだお腹を目にした途端、ぼろぼろと涙がこぼれてしまって、そんな自分に困惑しました。
 わたしと妹は仲が良いし、わたし自身には出産願望はないので、先を越されて悔しいというような嫉妬心、哀しい悔しいといった気持ちはありません。かといって、ものすごく子供大好き楽しみおめでとう早く甥っ子に会いたいよーというほど歓喜しているわけでもありません。
 そういえば、写真の届く前日に、ひどく自己嫌悪するようなことがあって、落ち込んでいたのですが、そうした弱っていた心が、涙に関係あるかどうかわかりません。
 ああ、あんなに小さかった妹が母親に、といった感慨はあるような気はします。妹の初潮の世話をしたのは中学生だったわたしです。わたしの時に心身のケアのへたくそだった母とは違い、そこそこうまくしてあげられたと思っています。
 ただ、この頃よく思うのは、人間も犬や猫、魚や昆虫のように、繁殖して子孫を残し種を保存するために生きている生物の一種なのだなあということ。震災時、危機的状況下においてのみわたし自身に起こった感情の動きから、そんなことをずっと考えています。だから、子を宿した妹の写真は、生物として正しい姿だ、とつくづく感じたりしました。

 それにしても、最近の妹と話していて、わたしと同じ家庭に育ち、「結婚したくない」「子供欲しくない」とずっと言っていた妹の、母性の目覚めっぷりには驚くばかりです。もう、すっかりお母さん。妊娠して、脳内にそういうホルモンが分泌されだしたのでしょう。一般的に、なんだかとてもしあわせな気持ちになると聞きます。人類の神秘です。もちろん、妹を愛し受け入れ支えてくれる夫君の力もあるのでしょう。

 ああ、そうだ、妹の顔がよく双子と間違えられるくらいわたしとそっくりで、一瞬わたしが妊娠してしまったかのように錯覚して、恐怖感に襲われたりもしたのでした。

「こんなふうになるとは思わなかった」と自分でも驚いている妹のように、わたしにも、そんなふうになるとは今は思っていない未来があったりするのかもしれません。

  晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 

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わたしは「クソなんとか」という表現がとても嫌いで耳に障るのだけど、今の職場の上司達は「クソ寒い」とか「クソ忙しい」とかそういう軽い物言いが多くて、空気が合わないな、と思う。若い職場で変なチャラさがあるというか。
 女性上司に至っては、魔女みたいな長さのゴテゴテネイルにタトゥー、大胆に脚を露出したショートパンツやマイクロミニのスカート。別に人のファッションにどうこう言うつもりもないけれど、職場でのドレスコードとしては、今までの職場では禁止されていたような格好。たとえば先月までの官公庁系の仕事では、「職場にふさわしくない服装の例」として掲示されていたイラストそのものだ。
 そうした上司達に、甘えた口調のタメ口で話す下っ端のスタッフさえいて、それが許されている。
 お堅い仕事が好ましい、というわけではないけれど、わたしには馴染めないノリだと感じる。とはいえ、それがつらい、というわけでもなく、それなりに勤めている。

 今の仕事、遣り甲斐もないし楽といえば楽だけれど、一生懸命にがんばるような仕事ではないのに、変に純な同僚さんが一生懸命がんばって空回りしているのが痛々しく見えてしまう。ミスをしたわけでもないのに、自分を責めて落ち込んだりしている。こーゆー仕事、と割り切ればいいのに。
 まじめ、って、痛々しいんだな。周りを見渡せば、教えられることばかりだ。「まじめ過ぎる」と言われたことのあるわたし。昔のわたしも痛々しかったのでしょう。力を抜くことを、今は少しは覚えた。力を抜いてもいいんだってわかって、だいぶ楽になった。仕事も、人生も。

  つらくない仕事はないしつらくない大人もいない日記を閉じる

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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