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川が好き。山も好き。
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仕事から帰ったらすぐ朝になってまた出社しているような感覚の中で、あっというまに3月も1週間過ぎてしまいました。塔1月号を読みます。敬称略です。

  栗ごはん栗がごろごろ美味しくて自分の炊いたご飯おいしい  岩野伸子

 栗ごはんの美味しさを詠っているだけなのに、どうしてどこか寂しいのでしょう。表記は少し違いますが「栗」「ごはん」「美味しい」のくり返しが、自分に言い聞かせているように感じるからかもしれません。 

  敬老の日のお手紙に我の名も記されてある甥っ子からの  相原かろ

 作者が老人のような風貌をしている…というわけではなく(そう読ませたいのかもしれないのですが)、甥っ子さんが作者を慕っていて、敬老の日に乗じてお祖母ちゃんお祖父ちゃんと並べて感謝の気持ちを伝えたのではないかと微笑ましく読みました。

  素麺の束を掴めば失ひし母の手のやうしんとつめたい  祐徳美惠子

 素麺の束を母の手のように思う比喩を初めて見て、どきっとしました。乾麺の白さや、うどんやひやむぎより細い素麺であることに余計にはかなさが感じられます。

  棒切れの好きな男の子が森をゆく木橋に来たら流すよ、きっと  大地たかこ

 棒切れの好きな男の子がとてもかわいい。結句の口語が好きです。棒切れを持って歩いて川に流すような遊びを楽しむほどの無邪気さでずっといてくれたらいいのになあ。

  四十年敬して親しき人なれど難をいふなら下戸であること  安永明

 下戸のわたしはこの歌をどう味わえばいいのか。下戸は難なのか。わたしも「酒さえ飲まなかったらいい人なのに」と思うことがあるので、これは深い溝だなあ。とはいえ四十年の付き合いの中で難が一点のみというのはすてきなことです。

  田んぼには一枚ごとの名前あり朝にゆうべに人に呼ばれて  高原さやか

 確かに、田んぼや畑には内々で呼ぶ名前を付けていたりするのです。朝に夕に呼ばれるということは、兼業農家で日中は他の仕事に従事しているのでしょう。

  妹の日記を盗み読みした歌を歌集に載せる芳美がこわい  太代祐一

 本人にばれたら、と思うと、その無神経さは。歌に詠んだ対象はそれぞれの思いがあって生きている人間なのであり、自分の歌のアイテムとして存在しているのではないのだ、ということをあらためて自戒もさせられるのでした。

  スカーフをいつもかぶっていたゆえに遺影選びに困りしと言う  逢坂みずき

 そう、田舎のおばあちゃんはだいたいスカーフを被っているのです。遺影用の写真を既に用意している人も多い中で、突然の出来事だったという哀しみがユーモアを交えつつも伝わります。

  入院日までに白菜大根を蒔きて苺を植えねばならぬ  金原華恵子

 農業には休みがないのです。入院日までに、という切迫感の中で白菜大根と白く大きな野菜を挙げた後の苺の赤く小ぶりないじましさ。お大事にされますように。

  この家の間取りはみんなお父さんが決めてんで、この家が大好き  岡本伸香

 話し言葉で素直な気持ちの伝わるこの歌の次に、自分の家を建てる歌がくるのにぐっときました。この無邪気さに終わりを告げて、自分たちが新しい時代を背負ってゆく覚悟のような。

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1月下旬から、ブログの提供元のシステム障害で表示されなかったり繋がらなかったりの状況でした。データ消えるかな、と心配したりしていましたが、無事に復旧していただけてありがたいです。なにかすごく大変な作業が行われていたのだろうなあと思うと技術者の方々には頭が下がるばかりです。お疲れさまでした。
 塔12月号を読みましょう。敬称略です。

  格別に私にやさしいと思っていた職員さんは誰にもやさしい  藤井マサミ

 優しくされてうれしかったのに、私だからじゃなかったんだ、あの人にもこの人にも優しいんだ、と気づいてしまった時の寂しさ。職員さんは何も悪くないのにガッカリしてしまうような微妙な心の機微、わたしにも覚えがあり共感しました。
 
  都から離れるほどに闇は増し小さき駅舎にわれを待つ夫  岡山あずみ

 より鬱蒼とした不安を感じるのは「都」という古めかしい言葉選びのためでしょうか。結句の夫が灯りのような安堵感です。

  友が子を連れて来しより四十年このごろ子の子を伴いて来る  橋本成子

 母になり祖母になりとライフステージが変わっても続く長いお付き合いのお友達。下の句の調子が良くて声に出して読みたい楽しい雰囲気です。

  子を貰ひ育てられずに返し来し伯母はもう亡く弟も逝きぬ  井上政枝 

 作者の弟が伯母に貰われていったのでしょうか。近い間柄だからこそ貰ったり返したりできたものの、その分しがらみができたのかもしれません。当人達が亡くなってやっと解き放たれたのだと読みました。

  お話はいつでも姉は意地悪でやさしい妹みなに好まる  中林祥江 

 まず思い出したのはキツツキと雀の昔話ですが、確かに昔話や童話はいつもそうなのです。そのことに心が立ち止まるのは、きっと作者が姉だからでしょう。わたしもまた姉なので、せつなく読みました。

  一日が終はれば足は田の中を歩くがごとくふはふはとあり  福島美智子

 稲刈りの一連から。長靴を履いて一日中を田んぼで過ごした疲労感が伝わります。稲刈りの頃の田んぼは独特な足触りなのです。

  われが死ねば腱板断裂の妻の背の湿布はいったい誰が貼るのか  荒堀治雄

 この使命感に胸を打たれるのでした。漢字表記の病名がまたくるしい。奥様もまた、作者に湿布を貼ってもらうために生きているのかもしれません。

  工人を訪い集めたるこけし出せばこけしは年取らぬままに  中村美優 

 思い出の中で、工人の顔も自分の顔も今より若いけれど、こけしは今手にしているものと同じ顔なのです。その変わらなさもこけしの魅力だったのだ、とあらためて気づかされた一首です。

  長篇を次々読みゐし若き日の夏の休みの土蔵の匂ひ 金光稔男 

 クーラーのない頃に土蔵に涼を求めたのでしょうか。次々にページをめくる様子が下の句の調子の良さに表れているようです。全てが結句の「匂ひ」に係ってゆく歌の作りに、読んでいて鼻に意識が向かいました。

  のり塩のポテトチップス一袋残して盆の客は帰りぬ  山浦久美子

 ポテトチップスのことしか言っていない思い切った上の句。なにゆえ盆にポテトチップス。なにゆえのり塩味。という謎な感じが、かえってリアルで味わいがあり、想像が広がりました。

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今年があと一週間で終わってしまいますよ。11月号を読みます。敬称略です。

  ひろがれる向日葵畑の端つこのひまわりの丈低きまま咲く  森尾みづな

 陽が届かない端っこで不格好に咲いている花にも目を配る観察眼。「向日葵」と「ひまわり」の表記の違いもいいと思いました。

  同窓会終はれば友ら真つすぐにそれぞれの家庭へ戻りてゆきぬ  大木恵理子

 二次会へは行かずに家庭へ、ということでしょうか。友らは家庭へ帰るのに自分は一人の部屋へ、とも読みたくなってしまうのでした。4句目の字余りが家庭の人々の多さのようです。

  鍵あなにかぎを差し入れまはすとき短く鳴れる手の中の鈴  清水弘子

 こういう普段の動作の何気ないことを歌にできるのがいいなと思いました。鍵に鈴を付けているというのもかわいくて、人間味があって。

  よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ  金田光世

 見抜かれてしまった。仕事のため本来の自分とは違うキャラクターを演じていることに気づく人もまた、きっと繊細で思慮深いのでしょう。よっぽどバレバレの演技だったのかもしれないけれども。

  負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私  坂下俊郎

 戦争なんて起こらなければよかったのだけど、戦争があったから繋がった縁があるということに運命の不思議を思います。お父様が軍人としてあまり偉くも強くもなさそうなのが、また。

  家長といふ指定の席は卓にあり戸棚の皿の出しやすき場所  白井均

 「家長」とおだてられながら皿の取り出しなど雑用に使われているのでしょうか。うまく転がされているような家庭内の立ち位置が見えるようです。

  ネイビーとグレーのパンプス玄関に並べて交互に似た日々を行く  紫野春

 靴が傷まないように二足を交互に履くのでしょう。黒ではなくネイビーとグレーという色合いに、似たような日々へのささやかな抵抗が見えるようだと思いました。

  少しずつ祖母の手に似てくる母の手だ 僕はそろそろ家を出ていく  川又郁人

上の句の字余りとか、断定とか、「似てくる」「出ていく」という捉え方がなにか不思議に気になる。未来に向かっている文脈なのでしょうか。そして口語の味わい。

  畑から売地となりし空き地ゆえところどころに里芋の葉が見ゆ  朝日みさ

 里芋のあの大きな葉が空き地に育っている光景を思い浮かべて和みました。売る時に片付けたのでしょうけれど、生命の力の凄さが思われます。農家の後継ぎ不足問題みたいな背景もある歌なのかもしれません。

  婚活をする夢を見てうなされて起きて隣を見てまた眠る  塩原久美

 夢にうなされるほど婚活とは壮絶なものなのか!と、ちょっと笑ってしまったのです。隣で眠る相手がいるのなら婚活をする必要はないのですから、安心して二度寝もできるでしょう。動詞が多さときっちり定型に収まっているのがコミカルな印象です。

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月日の流れがこの頃とても早く感じるのです。10月号を読みます。敬称略です。

  名古屋場所の観客席に父に似る人あり団扇をゆつくり使ふ  石原安藝子

 土俵と観客席が近いからか引きの映像が多いからか相撲中継では観客席が割と映ります。団扇をゆっくり使う様まで見えるのは相撲らしい時間の流れ方だと思いました。

  わたくしに淡くつながるをみなごの赤いお箸を買ひにゆく夏  藤木直子

 つながりの淡さと赤が対比のようでいいなと思いました。女の子だから赤というよりは、お祝いごとの赤と読みました。縁というものをあらためて大切にしたくなる一首です。

  農の手を休めてスイカ頬張りし九十歳も種を飛ばせり  石井久美子

 元気な九十歳だなあ、と読んでいてうれしくなりました。「九十歳も」なので他の人達と種の飛ばしっこをしているのでしょう。つかの間の休憩を終えたらまた炎天の中を農作業に戻るのです。

  まどろみに重き瞼をひらくとき吾へほほ笑まんとす君の気配す  大堀茜
 
 この一首だけだと幸せな相聞歌で、それはそれとして安心感の伝わる良い歌ですが、こういう歌が闘病の一連の中にあるということにも深みを感じました。

  祝ひ水かけられ歩く加勢鳥の身ぶるひすれば我も濡れおり  中西よ於こ

 加勢鳥は全身を覆う蓑のようなものを被った人達が「カッカッカー」と言いながら踊り歩く山形の風習なのです。沿道の人から加勢鳥へ、加勢鳥から作者へという水の動きが人々を繋ぐようです。

  老主夫を見かねて嫁は窓越しに餃子差し入れする春の宵  菊池秋光

 一読して嫁舅のあたたかい歌のようなのですが、一緒に食べるわけでもなく、玄関から家に入って渡すわけでもなく、窓越しであることに微妙な距離感を感じてぞわぞわしました。そして料理が餃子というのが絶妙。

  徒歩圏内にコメダ珈琲店があるそれだけが今の心の救い  山上秋恵

 転居の一連。慣れない土地で居場所を見つけた安心感が伝わります。「それだけ」の切実さ。チェーン店に救われるというもわかる気がします。

  この道でよかったのだろうそういえばいつも何かの花が咲いてた  森川たみ子

 迷子の歌かもしれないけれど、人生のことのようにも思えます。「何かの花」という漠然とした表現が、この歌では良いと思いました。

  もう田には入るなといわれ千春さん畔に黙って後手を組む  高原さやか

 入るなと言われても田んぼに居たい千春さんに胸を打たれるのでした。後手を組むのはお年を召して腰が曲がっているからと読みました。

  職場から海が見えるというけれどビルの谷間の指の先ほど  内田裕一

 「見える」とわざわざ言うほどでもないくらいということでしょうか。指の先ほどの小ささでも、海が見えることをありがたく感じる人がいるのでしょう。

 そして10月号は池本一郎特集ということで、自選30首に入っていなかった歌でわたしの好きな池本さんの歌を一首挙げましょう。

  幾瀬経てたとえば一郎杉という呼び名残れば来て遊ばんか  『池本一郎歌集』

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9月号を読みます。敬称略です。

  ひたぶるに鍬を振りゐる友の見ゆ手さへ揚げずて今日は離りき  尾形貢

 「今日は」なのでいつもは挨拶してお話に興じたりするのでしょうか。手を上げるのも躊躇われるほどの農作業の様子が目に浮かぶようです。

  雨の日は畑に出でず機を折る母にとっては休息なりき  大久保明

 機を織ることが休息だという心根に胸を打たれる。根っからの働き者のお母様なのでしょう。余談ですがわたしの母は家で祖母と居るのが嫌で畑に出てゆきます。

  母、舅、見知らぬ老女となるにつれ私の声は遠くてやさしい  佐原亜子

 この下の句はわかる気がする。心を離れてよそ行きの声になってゆく自分の声、「やさしい」と自分で言えるのも客観的な視線を自分に向けているからなのでしょう。

  歌会への途中に大蒜出荷して市民プラザの会場に着く  別府紘

 歌会へ行くついでに市場へ寄る、というのが有意義な一日でいいなと思いました。一つ前に<大蒜を五袋荷せば賄える塔今月の歌会の会費>という歌があるのもおもしろくて。歌会に出るお金がないので大蒜を売ったわけではないのでしょうけれど。

  小さき服用意して待つ日々の中振り返ること少なくなりぬ  魚谷真梨子

 過去に目が向くのはあまり心の状態が良くない時らしいので、これはすごく健康なことなんじゃないかなあと思いつつ、振り返る暇もないくらいに前へ進むしかない日々というのも伝わります、小さき服。

 コンビニでチキンをひとつ買うほどの値段なり旬の飛魚の五尾入り  株本佳代子

 タンパク質を摂取するとしたら、やっぱりここは旬のものをいただきたい。しかも旬のものは安い。数字の対比もわかりやすいし、カタカナの無機質な印象に比べれば「飛魚」の字の躍動感のなんて美味しそうなことか。

  子のなくば「ばあば」と呼ばれる筋はなく和佳ちゃんあなたは私の友達  大谷静子

  有紗にはおばあちゃんはいないと言う ばあばと呼ばれる吾は友達か  日比野美重子 

 この二首はそっくりなのですが、立場が違って内容が真逆なのが興味深いです。和佳ちゃんはある年代の女性をみんな「ばあば」と呼んでしまうのでしょうか。有紗ちゃんは「おばあちゃん」という続柄がまだわかっていないのでしょうか。どちらにしても無邪気で愛らしい。

  駅を出て徒歩七分とう歌会に信号待ちを二回して着く  須山佳代子

 そのままの歌なのでしょうけれど、こういう何気ないところで立ち止まって歌に詠めるのがいいなあと思うのです。七分という微妙さは五分以上はかかるけど十分はかからないかな~ぐらいの設定なのでしょう、おそらく信号待ちの時間は含まずに。

  藤棚の下で安らぐ老人に添い寝している村上春樹  山田精子

 作家の村上春樹氏が老人にぴったり添い寝している光景を思い浮かべてシュールな気分になりましたが、人ではなく村上春樹氏の著書が読みかけのまま置かれている状態か、あるいは幻が見えたのか、想像が広がります。

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10月になってしまいました。8月号を読みましょう。そして9月号も読み終えておりますので近々。敬称略です。

  しまらくを迷ってプリンを買わざりきこうして四十年を過ごした  高橋武司

 本当にプリンを買わなかったのかもしれないけれど、プリンそのものへの執着というより、プリンのような買おうと思えばいつでも買えるような些細な物を買わないできてしまった生き方への自問の歌だと思いました。下の句の句またがりと口語が印象的。

  早苗とか佳苗とかいう名の友達が教室にいた昭和の頃は  山西直子

 わたしの同級生にも早苗ちゃんがいました。他にも耕、実など豊作の祈りを込めた名づけが、農家には確かに多いとあらためて気づきました。家業にちなんだ名づけも、農家も、時代の流れと共に少なくなっているのでしょう。

  それぞれの家に継がれし被爆記を内に秘めおり長崎の人は  北辻千展

 長崎といっても長崎全てが一緒ではなく、それぞれに物語があるということ。それを表沙汰にはせず内に秘めているということ。長崎という地名が、実際に長崎なのでしょうけれど、長崎なのが良いです。

  小さくてすぐにふさがる傷なれど痛みに夜を明かすことあり  佐伯青香

 実際にケガをしたのかもしれないけれど、心の傷のようにも読めました。「すぐにふさがる」という断定がなにかせつない。たいしたことない、すぐ治るってわかってても、痛いものは痛い。 

  腰痛の検査で癌がわかったと山の友達いつも前むき  林都紀恵

 重い内容を率直な言葉で詠んでいますが、友達のキャラクターに合っていると思いました。下の句が3・4・3・4と調子が良くて山登りの足取りのようです。

  菜の花のごとく明るくふるまって年度当初をしのいでおりぬ  垣野俊一郎
  
 お仕事の歌でしょうか。上の句の比喩に惹かれました。確かに春のどの花より菜の花が一番明るくてまぶしい気がします。花びらの薄さなども思いました。

  指先より老いは始まるとう指先に春を触れたり木の芽を抓みぬ  山本建男

 人間の老いと、これから育ちゆく自然との命の対比。出荷や料理のために木の芽は抓まれるのでしょうか。「指先に」「春を」と助詞の使い方がおもしろいです。

  次女の夫はオーママと呼び長女の夫はお母様と我を呼ぶなり 小川玲

 呼び方一つにも人柄が表れます。姉妹でも男性の好みはそれぞれ。しっかり者の長女は真面目な人と、のびのび育った次女は気さくな人と、似た者同士で結ばれたのでしょうか。当事者でありながら観察に徹しているような詠いぶり。

 新元号の歌の他に、円空仏の歌が多いように感じたのですが、なにか円空仏が世間の話題になっていたのか気になりました。時事詠の競演も結社誌のおもしろさだと思います。



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9月号が届く前に7月号を読みましょう。塔新人賞・塔短歌会賞もとても良かったです。敬称略です。

  描きしのちママレードにする夏蜜柑皮の厚さがまこと頼もし  石井夢津子

 絵に描いた後にジャムにして、そしてこうして歌にもなる夏蜜柑の皮なのです。本当に頼もしい。物を大切に無駄なく使うのが素晴らしいです。

  父九十、母八十八、叔母八十七、三人揃つて冬を越えたり  豊島ゆきこ

 この歌はなんといっても「叔母」の登場に奥行きを感じます。老夫婦の冬に、そのどちらかの妹一人の加わる事情など、書かれていないところでいろいろな背景があるのでしょう。

  子育ては楽しいですか幾たびもアンケートにははいと答える  矢澤麻子

 風炎集の「青鷺」から。六歳、二歳、十二歳の登場する子育ての連作。お子さんの分だけアンケートの機会も多いのでしょうけれど、こういう質問があるということに、「楽しくない」と答える人もいるのだという事実が浮かび上がり、様々な社会問題なども想起されるのでした。

  とむらいの旅の帰りは菜の花も桜も富士も全部悲しい  加藤武朗

  お友達への挽歌の一連から。明るく色彩豊かな春の景色が映像として浮かんだ後に、じわじわ滲んでゆくような読後感です。

  母と寝る権利を求め争いて敗れし下の子我と寝るなり  井上雅史

 結句まで読んで露わになる家庭内の上下関係が悲しくも可笑しい。「権利」など硬い言葉や文語で仰々しく詠まれているからこそ、なおさら。

  この街で南を向けば見える山 鼓ヶ岳がわたしのふるさと  櫻井ふさ

 この街で何かつらいことがあっても、南を向けば見えるふるさとの山を心の拠りどころにして生きてきたのでしょう。固有名詞も効いています。啄木よろしくふるさとの山はありがたいのです。

  痛む背に夫の指が行き来してそのあとすうつと睡りに落ちぬ  石川泊子

 痛いの痛いの飛んでけ~みたいなことでしょうか。安心感が伝わります。そしてどことなく官能的。「手」ではなく「指」だからかも。

  扉を叩く老人たちは開店を今より早くしろと言いたり  大橋春人

 開店を早くするためには、従業員の労働時間が長くなるなど負担を増やさなければいけないのですが、お客様は自分の都合しか考えてないのでしょう。扉を叩く行為や命令形の物言いに、自己中心的さが伝わります。カスタマーハラスメント。

  本当は抱きしめたきを孫四人の父方の祖母にゆづりて眺む  栗栖優子

 こんなに自制の効いて切ない孫歌は初めて読んだような気がします。心のままに抱きしめてもいいんじゃないかと思ってしまいますが、家と家とのお付き合いで立場などいろいろあるのでしょうね。

  広島平和記念資料館本館にリニューアルオープンとふ明るき響き  永山凌平

  内容にもハッとしますし、漢字の羅列の後にカタカナという字面が効いていると思いました。声に出して読んでも「ニュ」「ー」「プ」などの響きは特に明るくて。

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あああ8月になってしまいました。6月号を読みます。

  山の下りは走っておりた四人家族そんな元気な遠い日のこと  角田恒子

 登山か、山の方に家があったのでしょうか。いくら下りで上りより楽とはいえ、ほんとうに元気。過去形のためか、家族四人が元気に山を走っている光景を思い浮かべると、なんだか泣きたいような気持になりました。

  おばあさんがぶらんこしてると言われたりあぁ私はおばあさん  林田幸 

 少女のような心地でぶらんこに乗っていたら、無邪気な声に見つかってしまったのですね。他人に指摘されるとあらためて自覚させられる感じでしょうか。「あぁ」の小さい「ぁ」が視覚的にも効いていて、結句の字足らずも力が抜けるようです。

  幼き日インコを葬りし庭先を不動産会社が明日買いに来る  大江いくの 

 子供の頃の思い出が眠る庭を手放す時。三十一文字なのに文字数以上の物語が見えるようです。一首の中でこんなに長い時間とドラマを詠えるのだなあ。買い取る側からしたら骨が出てきたら少しホラーかも。

  むずむずと気孔をひらく山毛欅の森こころのように春がざわめく  星野綾香

  風炎集「春のざわめき」から。震災が背景にあるからこそ春の描写の沁みる一連でした。この歌は下の句の比喩にとても惹かれました。「~のようなこころ」というのはよく聞きますが、逆はめずらしい。そして妙に納得させられてしまいます。

  五画目を書くまではまだわからない 春だと思う? 寿司だと思う?  拝田啓佑 

 正解はどうでもよくて、この会話や、会話の相手とのじゃれ合い感を味わう歌なのでしょう。独り言の可能性もないわけではないですが。「春」と「寿司」の取り合わせも良くて、特に「寿司」に人間臭さを感じます。

  よき人は逝くほんとうにやさしいよき人は逝くのだ妹よ妹よ  松浦哲
 
 涙でぐしゃぐしゃになっているような詠いぶり。整えようとすれば整えられそうですが、このままがきっといいのでしょう。「よき」なので「やさしき」でなくてもいいのかとか気になったりもしますが、結句のリフレインとか、もうたまらないのでした。
 
  「ほいじゃあねー」と祖母はいつも手を振った ほいじゃあねーで棺桶を閉ず  瀧川和磨 

 他の歌から挽歌だというのはわかるのですが、それでも和やかな雰囲気からの結句でびっくりしてしまう。最期のお別れもいつもと同じように、ということでしょうか。方言がいいなと思いました。

  娘婿の送りの車の早く着き一本前の電車に乗れり  平田優子 

 お嬢様の婚家に赴いたところ、帰りにお婿様が駅まで送ってくれたという、そのままの歌だと思うのですが、こういう些細なところで立ち止まって歌に詠めるのがいいなあ。一本前の電車の電車に乗れるというささやかな喜び。良好な関係性もうかがえます。

  六十年経ちて黄ばみし家計簿は花十円で始まりており  清水千登世

 新生活が始まって一番最初の支出が花だということがすてき。当時の物価で十円の花がどれくらいなのかはよくわかりませんが、十円というささやかさもいいです。贈り物というよりは、自分の暮らしを彩るための花と読みました。 

  サビじゃないところはじめて聴いたけどやっぱお前の好きそうな曲  長谷川麟 

 「やっぱ」というほど相手の好みのをわかっているという関係性。口語体も歌の内容に合っています。おそらく作者はこういう曲が好きではないのでこれまでサビしか聴いたことがなかったのだと思いますが、他のメロディに対してこういう思いを持つこと、歌に詠むことが美しいなと思いました。うまく言えないのですが。

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7月になってしまいましたが5月号を読みます。敬称略です。

 「子を産みていません」呆けたる母が一度言いけり忘れていいいのに  小島さちえ
 
 産んだことを忘れる歌は割とありそうな気がするのですが、産んでいないとことを覚えているのは初めてみました。他の歌から養子だということが明かされていますが、「義母」ではなく「母」という言葉選びが一読して困惑を招きつつ、それも含めて良いと思いました。

  けふあたり蝋梅の咲く縁に出で友は開かむわたしの文を  西山千鶴子
 
 書く時、ポストに入れる時に、届いた頃という少し未来の相手を思えるのが手紙のすてきなところだと常々感じているのですが、この歌を読んであらためて再確認させられました。相手の暮らす地域で蝋梅の咲く頃に届くように送られたのでしょうね。

  寄る辺なくわが庭に降りし雪ならむ寄る辺なき雪スコップに寄す  加藤和子 

 雪国の歌。「寄る辺なく」「寄る辺なき」のリフレインに、降り続き積み重なる雪の重みが伝わります。「スコップ」のカタカナも、スコップの硬さ、片付けられた雪の状態と合っているようです。

  孫がありてよかりしと思う家中が明るくなれりありがたきなり  須藤冨美子

 孫効果、みたいな詠いぶりがちょっとおもしろい。結句は感謝というより、崇め奉っているような印象です。孫という全存在そのものへの圧倒的な肯定感。

  身の内にいつも尻尾を揺りたがる犬のいること知られたくない  王生令子

 犬は尻尾で感情を表すといわれています。素直な犬のような自分の心は律して、私より公の立場を大事にしているということでしょうか。自制ということをこういうふうに表現できるんだなと思いました。

  何をしても平成最後と思いおり明日あることを疑わずいて  相馬好子

 平成最後、平成最後と何かにつけて謳われている時、確かに明日地球が滅亡するかもしれないとか、明日病に襲われ倒れるかもしれないとか考えたりしないのでした。世の中の浮かれモードへの違和感が鋭く詠われています。

  おまえのことを祈ったのだとは言わねどもおまえのことを祈っていたり  荒井直子
 
 風炎集「釘抜地蔵」から。お嬢様とお参りの一連ですが、「おまえ」がお嬢様だとわからなくても、読者が自分の大切な相手を重ねても、または「おまえ」に自分を重ねて読んでもいいのかもしれません。「おまえ」という二人称にもなんだか泣きたくなるのでした。

  神功皇后が舟を繋ぎしという岩を散歩の折り返し点と出でゆく  荒堀治雄

 神がかりの伝説の岩が、日常の生活に溶け込んでしまっています。かつてお札にもなって崇められていながら今となっては実在が疑われている神功皇后と、散歩というごく個人的な日常の取り合わせになんともいえない味わいがあります。

  病も体の一部俺だ俺そのものだ よろしく元旦  久長幸次郎 

 なんだかすごい破調で、それだけに率直に気持ちが伝わってくるようです。「よろしく元旦」という結句、しかも一字空けて、なかなかこんなふうには詠えない。なんという清々しさでしょう。

  ただただ生きてきたよという告白を同窓会で繰り返したり  永久保英敏

 「ただただ生きてきた」ということが報告でもつぶやきでもなく「告白」だということに、その破調も相まってただならぬものを感じます。しかも繰り返すとは。しかも同窓会という同年齢の集まりで。この歌では多くを語っていないからこそ、かえって伝わってくるものがあります。

  大声で気もちがいいと言ってから本当にそんな気もちになる日  松岡明香

 アファメーションの歌。「大声で」がとても良いです。実際に大声で「気持ちがいい」と言っている姿を思うとなかなかシュールですが、それもまた良いのでしょう。もともと気持ちが良かったらこういう行動には出ない、というせつなさも感じるのでした。

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次の号が届く前に読み終わりたいと思う今日この頃です。敬称略です。

  二の段を暗誦する声近づきて二八十六で擦れちがいたり  林田幸子

 そのままの歌なのだと思うのですが、こういう、何気ない瞬間に立ち止まれる感性に憧れるのでした。すごく好きな感じの歌です。

  もう絵など画きはしないのにターナーの水彩絵具を送りくる娘よ  近藤桂子
 絵具を送るというのがすてき。また絵を描いてほしいという気持ちがあるのでしょう。水彩の透明感や、メーカーのこだわりにも人柄が感じられるようです。

  腹話術するから見てという子ども真顔でこんにちは繰りかえす  宇梶晶子

 確かに、人形ではなく腹話術するお子さんを見ればこんな感じ。お子さんもまさか自分の方を見られているとは思っていないんじゃないでしょうか。おもしろい歌なのですが、どこか切なさも感じられます。

  真昼間のカーラジオより流れ出す主婦Aさんの夫への愚痴  竹井佐知子

 込み入った愚痴などは親しい友人に吐き出すのより、匿名で他人に話す方が楽だというのはわかりますが、それが真昼間にコンテンツとして一般に消費されるという奇妙さ。確かに「テレフォン人生相談」などは妙におもしろいのだけど。

  川の字に赤子はさみて眠りしと仲直りしたらし娘からの電話  白波瀬弘子

 夫婦げんかや寝室事情はごくプライベートなことだと思うのですが、電話で報告があるという母子間の距離感の近さに衝撃を受けました。歌となってこうして他人に広がってゆくことにも。仲の良いご家族で何よりです。

  年賀状出しに来たる子四人ゐてポストより背の高き子一人  森尾みづな

 年賀状が少ないという歌が多かった中で、年賀状文化が子供たちに息づいているのがほほ笑ましいです。ポストとの比較で子供達の年代がわかるのも上手いと思いました。

  人生が変はりそうだよあたらしきメガネに夫のほれぼれと言ふ  森永絹子

 メガネが変わっただけでこの賞賛ぶり。よっぽどすごいメガネなのか。というより、旦那様のキャラクター性。朗らかで楽しい歌です。

  搗き立ての餅ちぎるのが上手かった大祖母さんがまた話にのぼる  井木範子

 お正月など親類で餅を食べる機会の度に大祖母さんのエピソードが話にのぼり、これからも伝説のように語り継がれてゆくのでしょうか。それはとてもすてきなことのように思います。餅、というささやかさもすごく良くて。

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