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川が好き。山も好き。
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先週、突発的に帰省してきました。実家へは車で直行すれば2時間もかからないのですが、公共交通機関を使うと乗り換え乗り換え乗り換え乗り換えで、しかも地元の町には駅がなく、実家から一番近いバス停さえ徒歩40分という有様なので、車のないわたしはどうにも帰るのが億劫になりがちです。
 終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。

 3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
 実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。

 実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
 なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
 そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。

  家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は


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また、仕事中に電話口で訛りを指摘されてしまいました。さすがに仕事中に「んだ」とか「だべ」とか方言丸出しではないので自分では標準語をしゃべっているつもりですが、どうにもアクセントにクセがあるようです。時には「何を言っているかわからない」「あなたとは話が通じないから訛りのない人に代わってほしい」「NHKのアナウンサーを見習って正しい発音を身に着けろ」「正しい日本語も使えない奴が仕事するな」等々のクレームに繋がってしまうこともあります。特に、関西圏の方々には耳障りのようです。

 訛ってるとは言われても、わざとそうしているわけではないため、どこがどう聞き苦しいのか自分でよくわかりません。上司に相談した際は、ゆっくり話す必要はあるけれどあまり気にしなくてもいいのでは、との返答でした。仕事はそれなりにこなせているので、大きな問題ではないのでしょうか。けれども、やっぱり苦言を呈されることがあるため、気にしてしまいます。

 みんなに不評というわけではなくて、「懐かしい気分になった」「ふるさとは大事よ」などのお声をいただくこともあります。たまたまその人になじみのある地方だったりすると、割と好意的に受け止めてもらえるのかもしれません。

 思えば、ここ数日の目下の考え事である、どうしてわたしは自分の心に嘘をついてしまったんだろう、ということも、東北の訛り言葉に郷愁をそそられたことが一因のような気がしてきました。これがクセのない標準語だったり自分とは全く無関係の地方の方言で頼まれたのだったりしたら、流されなかったかもしれません。
 訛りは欠点にも武器にもなり得るのだと思いました。

  ふるさとの訛りひどしとのクレームへ謝るほかにない電話口

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仕事帰りに同僚さん達と長話になりました。普通の人達はこういう時は飲み屋さんに行ったりするのかもしれませんが、なんとなく寒空の下を一時間ほどしゃべっていました。同僚さんは、他の人のフォローを頼まれることが多く、とても疲れているようです。大変さの割に報われないのはほんとうにつらく思います。
 派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。

 少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
 自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。

 自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
 わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。

 「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。

  嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう

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上司に不満があって退社した同僚さんが、次の仕事先で業務内容も含め「前よりもっとひどい」と嘆いているそうです。この仕事はどこの職場もクセがあります。元同僚さんは不満だったようですが、わたしは鈍いのか、もっとひどい上司に追い詰められていた経験のせいか、そこまで強い不満を抱くことなく過ごせています。

 こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
 もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
 
 明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
 もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。

  いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする

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「女子力高い」と連呼されてひどく居心地が悪くなった自分、というものを覚えておくことにします。反射的に「このわたしの女子力が高いいもんか!」とわざわざ髪をぼさぼさにしたり、すっぴんを晒したり、くたびれた恰好をしたりおかしな姿を見せつけて「ほーら、わたしの女子力が高いわけがないでしょう」って相手を納得させようとするような、破壊衝動に走らないように。
 
 破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
 呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。

  まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る

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今日は10時前には職場に着いていないといけないのに、起きたら11時20分でした。寝坊です。連絡して遅番のシフトに変えてもらおうと思いましたが、どうにもぐったりして無気力感が強く、体調不良と伝えて欠席をしました。ずる休みです。

 ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
 あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。

 昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。

  一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい

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どんと祭に行ってきました。もう人生の半分を仙台に暮らしていますが、どんと祭に行ったのは初めてです。どんと祭といえば大崎八幡宮が有名ですが、映画を観に行った帰りに寄れる陸奥国分寺薬師堂へ赴いてみました。薬師堂はわたしの宗派と同じ真言宗智山派なので、心の安らいもあります。

 薬師堂に向う途中で、裸参りの人達とすれ違いました。雪もない夕べとはいえ、とても寒そうです。みんな白い紙を口に咥えていて、なにか伝統を感じます。17時頃に薬師堂に着き、わたしも長い行列に並びました。
 わたしが持参したのは、震災後でとてもつらかった頃に母が買ってくれた干支の根付の御守りと、前厄の年に祈祷してもらった御札、本厄の年に買った厄除けの御守りです。本来はこういったものは一年毎に新しくするのでしょうけれど、わたしは気の済むまで持っていたくて、持っていました。そうして、もう気が済んだというか、手放すことで自分の心がすっきりするような気もして、焼納してもらいました。
  焚き上げられた火は御神火と呼ばれ、あたれば一年間無病息災、家内安全の御加護を得られると言い伝えがあります。とてもあたたかい火でした。炎の揺らめきは不思議に気持ちが落ち着き、いつまでも見ていたいようでした。

 地元の山形では、おさいとうという風習があります。どんと祭と似たような、正月飾りや御札、御守りなどを焚き上げる行事です。わたしの集落では、おさいとうに行くと少しの炊き込みご飯をもらえて、それをみんなで食べるのでした。あの縮こまった糸こんにゃくが妙においしくて。
 似たような行事なのに、なんだかわたしはおさいとうが懐かしくて、どんと祭はよそ行きな気分です。いつまでも、よそ行きな街です。

  羽黒山二四四六段上り下り母が御守り買ってくれたり


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あっという間に今年が10日も経ってしまいました。仕事が始まれば新年気分もすっかり抜けていつもの日常です。お昼休憩の一緒になった同僚さんに「今年、良いことがあるといいですね」と言ったら、にっこりとして「私は毎日なにごともなく暮らしてゆけたらそれでいいです」というような答えが返ってきました。
 ほんとうにその通り、特別な良いことなんてなくとも、平穏無事に生活できることはとてもしあわせで、十分に奇跡的なことです。あらためて気づかせてくれた同僚さんの、その謙虚さに胸を打たれたのでした。

 その同僚さんのことを、わたしより少し年下くらいかな、と思っていたのですが、はっきりと年齢は聞いてないものの話の節々から察するに、思っていたよりずっと年下のようです。自分よりしっかりしているように感じていたため年齢差を意識したことはありませんでしたが、自分比を取っ払えばわたしより少し年下の35歳くらいのわけはないと思い直しました。そしてわたしは人生経験が足らずに精神が幼いままですが、実際は存外年齢を重ねています。

 気がついてみれば、周りに年下の人が多くなりました。上司だってほとんどが年下ですし、短歌で勢いのある人達も、テレビですてきと思った俳優さんや女優さんも、活躍中のスポーツ選手も年下です。みんな、ちゃんとしています。逆に、自分より年上なのに言動の子供じみた人を見かけると、なんともいたたまれない気持ちになります。そのように、わたしも見られることがあるかもしれません。
 いつまでも頼りない自分のままではいられないな、年相応の落ち着きが欲しいな、としみじみ思いました。

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

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同僚さん達と忘年会をすることになりました。以前、こうした集まりの時に仕事が予定外に長引き、誰とも連絡先を交換していなかったため、待ち合わせですれ違い苦慮した経験がありました。そうしたことのないように、緊急時の連絡先として自分の電話番号を幹事の方に伝えました。
 幹事の方がスマートフォンにわたしの番号を登録したところ、LINEの連絡先が追加されました。
「LINEやってるの?」「やってません」どういうことだろう、まさか乗っ取り? などとあやしんでいたのですが、なんのことはない、わたしが自分の電話番号をひとケタ間違えて伝えてしまったのだとわかりました。間違えて追加された知らない人のLINEにも、幹事の方のIDが追加されてしまったのでしょうか。
 ただの電話番号なら架電した時に「間違い電話でした、すみません」でメモを訂正すればいいだけなのに、今はいろいろ他の設定まであっという間に連動して繋がってしまうなんて、こわくなりました。

 この間、年賀状を投函しました。年賀状はもはや廃れつつある文化のような気がしますが、わたしは好きです。枚数はとても少ないです。年賀状を出す相手が格別仲が良いのか、というとそうでもありません。長い付き合いでも住所を知らないままということはよくあります。個人情報を明かしたくない人もいるでしょうし、年賀状のために住所を聞くということはほとんどないのでした。定期的に直接会える人には年賀状もメールも出さず会った時におめでとうを言います。
 年賀状だけの付き合いにも賛否両論ありますが、わたしは相手と決定的に不仲になったとか、手間なので止めましょうと協議したというのでなければ、気軽に会えなくなったり普段連絡を取り合わなくなった人とも一年に一度くらいこうして細く続くのはうれしいことだと思っています。
 年賀状が時代遅れになりつつあるのは、一年に一度の書面でのご挨拶をせずとも、気軽なメールや、常時近況報告を発信できるSNSの台頭が大きいのだと思われます。

 今年の流行語の一つが「インスタ映え」だそうです。先日お昼ご飯を一緒に食べた同僚さんはスマートフォンを繰りながら「友達のインスタに生活が振り回されてる」とぼやいていました。お友達が好きな音楽の動画を延々と投稿していて、見たくないのだけど繋がりを切ることができない関係の相手なので困っているとのことでした。
 思えば、繋がるってどういうことなのでしょう。会ったり言葉を交わしたりすることがなくなって疎遠のように感じられても、SNSで繋がってお互いの投稿を閲覧し合っていれば人間関係が繋がっているということなのでしょうか。
 それにしても、一緒にご飯を食べたり話をしている時に、こんなふうにスマートフォンをいじられるの、わたしはあんまりよく思わないです。気にしない人も多いのでしょうか。わたしは誰かと一緒にいる時は、そこに居ない人より目の前のその人を大事にしたいです、たとえつまらなくとも。そもそも、一緒にいるのがつまらなくてスマートフォンの向こうの相手を優先したいのなら一緒にいてくれなくともいいのになあ、と思ってしまうのでした。

  「年賀状送るのが夢だったの」と子を生した友に住所聞かれる

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少し前に書いた文ちゃんのこともそうだけれど、10年前の頃のことを最近よく思い出します。その頃には短歌も詠んでいたので何かが残っているというのもあるし、ずっと続けるような仕事ではないと感じつつもなんとなく仕事が続いているような状況が似ているからかもしれません。

 Iさんのこともこの頃よく考えます。Iさんは当時の職場の同僚さんで、わたしより10歳年上の独身女性でした。私服はいつも黒い服に黒いタイトなミニスカート姿で、ハイヒールがすらっとした足とても似合っていました。職場にはIさんと同年代の子持ち主婦さんがおり、Iさんの恰好に軽く突っかかっているのを聞いたことがあります。その場でIさんは何も言わず流していました。Iさんは自己主張の強くない人だったし、何よりとても似合っていたので、突っかかる方が小さく見えるほどでした。
 今の自分が、初めて会った頃のIさんと同じ年齢なんだな、と思うと、不思議な感じがします。今、20代の人からしたらわたしはどんなふうに見えるんだろうなーなんて想像することがあります。思い起こせば、20代当時のわたしから見たIさんは普通の女性でした。もちろん、わたしとIさんは別人ですが、必要以上に自虐に走らなくとも、あの頃の自分の目線を自分に向けていいのかもしれないな、と思い直しました。

 職場が閉鎖して、Iさんとは一旦疎遠になりました。けれども、新しい仕事の帰り、街中でばったり再会しました。わたしは再会を喜び、その後休みの日に会ったりもしました。Iさんはわたしより先に次の仕事が決まったと聞いていましたが、そこも無くなり求職中でした。
 しばらくして、Iさんから借金の申し出がありました。他に裕福で親しい人もいるだろうにわたしに頼むなんてよっぽど何か事情でもあるのかと思い、言う通りに2万貸しました。わたしにとっては大金です。失礼かもしれないと思いつつ、借用書のようなものも書いてもらいました。
 お金は後日ちゃんと返してもらいましたが、娯楽に使われたことを知りました。その時に、待ち合わせ時間に遅刻するなど不誠実さを感じたため、わたしの心が離れてゆきました。やっぱりぎくしゃくした感じになり、それっきりになりました。他人にお金を貸したのはそれが最初で最後です。
 あれから何度かわたしも無職になったりしましたが、一般の同年代より少額ながら貯金もしていますし、余裕のない時はいろいろ我慢しますし、お金を借りたことはありません。

 今の自分が、あの頃のIさんと同じ年齢になったということは、Iさんはあの頃より10歳年上になっているということです。間には震災もありました。どうしているんだろうと気がかりですが、今でも付き合いのある共通の知人も、Iさんと連絡が途絶えてしまったそうです。


  年上で無職の友に二万貸しワッフルおごってもらった雨の日

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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