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川が好き。山も好き。
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実家から野菜が届きました。夏野菜の季節です。キュウリ、ナス、タマネギ、ピーマン、ジャガイモ、ズッキーニ、キャベツ、レタス。売り物にならない変な形のさくらんぼも入ってます。

 キュウリとナスが一緒に届いたら、だしを作りたくなるのが山形人です。タマネギもあるので入れよう。ベランダの青じそも入れよう。ご飯やそうめん、冷奴にかけて食べよう。
 残りのキュウリは冷やし中華の具か、レタス、キャベツと一緒にサラダにしよう。ジャガイモがあるのでポテトサラダもいいな。塩もみしたタマネギも入れよう。
 残りのナスは素揚げにするか、ピーマンと一緒に炒めよう。味付けはしょうゆでも味噌でもいい。ナスもピーマンも肉詰めにするのもいいかもしれない、みじん切りにしたタマネギを肉に混ぜて。
 トマト缶があるので、タマネギとピーマンとナスでパスタソースも作れそう。ジャガイモの薄切りをピザ生地に見立てたピザも久しぶりに作りたい。タマネギとピーマンのスライスをトッピングして。わたしが子供の頃、叔母がこのピザをよく作ってくれたのです。 
 夏だから冷製のビシソワーズもいいな。ジャガイモ1個で作れるでしょう。いろんな野菜を少しずつとキャベツとでコンソメジュリエンヌスープもいいな。ジャガイモ、タマネギ、ナス、キャベツは普通に味噌汁でもいいな。皮を剥いたキュウリも実家の味噌汁に入っていた気がする。
 ズッキーニは炒めて塩コショウで味付けするか、マヨ炒めばかりしてしまうけれど、結局シンプルな食べ方がおいしいと思うのです。

 いろいろ思いめぐらせながら、買出しに出かけました。まだ安心して外出できる気がしないので、買出しは週一回に抑えたいところ。野菜はあるので、お肉や卵、調味料を買います。店員さんからしたら野菜を食べないで肉ばっかり食べている人に見えるんじゃないか、と変なところが気になったりします。
 それにしてもしょうゆや牛乳を買うとエコバッグが重たい。ごま油とか酢とか瓶に入っているものも重たい。それ以上に実家から届いた荷物の方が重たいのだから、ありがたいものです。

 実家から荷物の届いたその日に、妹宅へ、妹と甥っ子の誕生日祝いの荷物を送りました。宅配便の営業所もソーシャルディスタンス仕様で店内に2人しか入れません。少し外で待ちました。
 時々母に「そんなに送ってこなくていいよ」と伝えるけれども、荷物を送ることがそんなに苦ではない、あれもこれも送りたい、というような気持ちは、自分が送る側になってわかることでもあるなあと気づくのでした。
 
  故郷のなすときゅうりにベランダのしそを刻んでだし作りおり


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『島にて』を観てきました。山形県の離島・飛島(とびしま)のドキュメンタリー映画です。監督は大宮浩一さん、田中圭さん。

 小学校の頃など、「飛島に行ってきました」という夏休みの作文をよく見たので、わたしはずっと飛島を観光地だと思っていたのです。こんなに何もない島だったとは。けれども、この島で暮らす人達のひたむきな営みが伝わってきて、懐かしいような気持になりました。漁師のおじいちゃん、農業のおばあちゃん、島に移住してきて介護施設を開所したご夫婦、UターンやIターンして島での雇用を作り出そうと奮闘する若者たち、そして島でたった一人の中学生。140人ほどの小さな島で、たった一人の中学生の少年は、島の子というくらい、島の人達にあたたかく見守られていました。そして、高校進学のために島を離れてゆきます。島の人達はほとんど高齢者で、若い世代の人達ががんばっているけれども、あと10年、20年したらこの島はどうなるんだろうと思いました。それは、わたしの地元にも言えることです。
 わたしは山形出身とはいえ山の方なので、海側の庄内地方とは方言が違っていて、ご高齢の方々の言葉の中には何を言っているのか聞き取れないところも少しありました。他の地域の方はもっとわからないのでは、と心配になりますが、変にテロップなどを付けずに、聞き取れないものは聞き取れないまま、そのままの言葉を味わうものなのかもしれません。
 漁の作業場や、教室の窓から海が見えるのがいいなと思いました。日本海なので、海に夕日が沈むのもきれいでした。

 本編の前に流れた『花のあとさき』の予告編でぼろ泣きてしまいました。なんだかわたしは老夫婦もののドキュメンタリー、特に山とか畑とかにほんとうに弱いんだな。絶対に観よう。

 モーニングショーで映画を観た帰り、久しぶりに定禅寺通りを歩いてみました。けやき並木は緑の盛りです。日差しの強い一日でしたが、通りは木陰で涼しいものでした。雑貨屋に入り、シャボン玉セットを買いました。

  公式サイト→https://shimanite.com/


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6月に入ってから、一気に朝の地下鉄が混み合ってきました。休業要請のあった職場が再開したり、テレワークをしていた方々が復帰したりしたのでしょう。カバンを肩にかけたまま文庫本でも読めるゆとりがあればいいのですが、カバンを手に持ち換えて下に下げないと人が収まらないような窮屈さです。
 でも、体が触れないだけまだましです。コロナ禍前のラッシュ時はまだこんなものではありませんでした。このままテレワークも併用したり、新しい働き方が定着してきたりするのでしょうか。アフターコロナ、という言葉もこの頃気になります。

 4月半ばから始まった臨時業務は現在も継続中です。当初は緊急事態宣言の5月6日までと聞いていたのが、延長の、延長になりました。もうすっかりなじんでしまい、今となっては元の業務よりこっちの方が向いている気がするなあ、ぐらいになってきました。とはいえ、コロナ禍ゆえに需要の出てきた業務なので、状況に合わせてまた変わってゆくのでしょう。なんにしても、仕事があるだけありがたいです。

 世の中のムードにつられ、「おうち時間充実させよー」なんて自分もステイホームしていた気分でしたが、普通に出社して週5日の8時間勤務で、おうち時間が増えたりしていませんでした。
 それでも塔5月号が早く読み終わったので、三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読みました。『海と夕焼』『橋づくし』『百万円煎餅』あたりを特におもしろく読み、表題作で代表作とされる『憂国』を後回しにして取っておきました。
 お昼の休憩時間に満を持して『憂国』を読んだら、食欲がすっかり失せてしまいました。冷凍庫整理で作った、鰆とゴボウの味噌煮の弁当は食べ終えていたのが救いです。話の内容とか思想とかではなく、単純にスプラッター描写がわたしは不得手なのでした。でも、なにかすごく美しく官能的な世界でした。

 おうち時間が増えたりはしていませんが、外出を控えて筋トレしたり、スコーンなどの手作りおやつを作ったり、メールで歌会をしたり、ベランダで桃の木を育てたり、おうち時間は楽しくしています。東北も今日から梅雨に入りました。

  観覧車が休憩室の窓に見ゆカウントダウンみたいな日々だ

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まだ6月号が来ないうちに5月号を読み終えました! 6月号が届くまで三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読んでいます。おもしろいです。5月号は2月20日〆切分、コロナの影響が少しずつ出始めた頃でしょうか。敬称略です。

  冬空に白雲輝くひとところ名付けくれたる日の父思う  黒住光

 作者は冬生まれということでしょうか。きっとこんな景色を見てこの名前を自分に付けてくれたのだ、とお父様の心を想像するとあたたかな気持ちになりそうです。

  やさしさを責められており介護職のやさしさは時に弱気であれば  山下裕美

 手を貸したくなるのはやさしさより、事故を未然に防ぎたい気持ちが先に立ったのでしょう。機能が衰えないように手伝わないことも必要な現場。ピアノが配膳台になったり、子を養うために特養へ転職したり、職場の現実の伝わってくる一連でした。

  今度また部屋においでよ白木蓮すぐに掃除の終わる部屋だよ  綾部葉月

 「白木蓮」の位置がおもしろいです。白木蓮に呼びかけているのだとしても、誰かに呼びかけているのだとしても。

  婿さんは娘のことをちゃん付けのままで浮気し別れるという  澁谷義人

 読んでいるこちらまで悔しくなる一連でした。「ちゃん付けのままで」が生々しくて、裏切り感が伝わりました。 そして「婿さん」に皮肉が効いています。

  身ごもる娘を身ごもつてゐたわたしを身ごもつてゐたわが母眠る  一宮奈生

 マトリョーシカのような構成がおもしろい歌です。命のめぐり、家の歴史なども感じて、深い読後感がありました。「眠る」で結ばれるのもなにか象徴的な気もして。

  窓みがき四月を待たむこの時給三十円ほどあがる四月を  沼尻つた子

 初句の入りと、三十円のために待ち遠しくくり返される「四月」のリフレインに悲哀を感じます。三十円でもフルタイムで働けば五千四十円になりますから、これは大きいですよ。より小さく感じる数字を選んだのがテクニカルだと思いました。

  奥底の一番かなしき日溜まりにあなたを置きて餅をつきたし  國森久美子

 意外な結句にびっくりしました。まったく読み切れない歌なのですが、魅力を感じます。 餅付き行為はなにかのメタファーなのでしょうか。餅の白さで明るい印象もあります。

  好物は何やったんと喪主に聞くコンビニに行く口実として  谷口美生

 それっぽい口実を作ってまで抜け出したい場。お父様の葬儀の一連で、どの歌からも、決して良好ではなかった関係がうかがえて、現実的で冷静なまなざしがよかったです。

  万歩計のために歩みて蝋梅のあまきかをりに出合ふしあはせ  安永明

 棚からぼた餅のような感覚でしょうか。健康のためとかではなく、万歩計のために歩むのもなにかとぼけた味わいです。しあわせってこういうものでいいんだよなあと思わせられる歌でした。 

  喫茶店に長い食パン届くのに居合はせし我々のしあはせ  森尾みづな

 しあわせの歌に続けて目が留まってしまいました。滅多にお目にかかれないレアな場面に遭遇したのもしあわせですが、パン屋さんの美味しいパンの匂いや、喫茶店で仲間と過ごすことも含めてしあわせなのでしょう。

  ウェデングのケーキ入刀切り過ぎた尚ちゃんやっぱり離婚したりき  田巻幸生

 縁起が悪い…、というよりは尚ちゃんのキャラクターをおもしろがる歌なのかなあと思いました。ハレの場でもガサツなのだからきっと日常でもやらかして愛想つかされ、の「やっぱり」。下の句の韻律がコミカルな響きです。

  クッキーの匂いがまだするカンカンに君の写真はしまわれてゆく  王生令子

 クッキーの甘い匂いと一緒に、楽しかった日々も閉じ込めてしまうのでしょう。別れの一連で、「憎む」とか「殴る」とかいう言葉が続く中にこういう歌があるのが切なく思いました。

  スーパーをまわるあいだに鯛は売れ町のだれかはめでたいゆうべ  青海ふゆ

 日常のなにげない一コマですが、スーパーの鮮魚コーナーから誰かの慶事まで思いを馳せるのがポジティブでいいと思いました。ぶっきらぼうな言い回しもおもしろいです。


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再開した映画館で『つつんで、ひらいて』を観てきました。装幀家・菊地信義さんのドキュメンタリー映画です。監督は広瀬奈々子さん。本づくりのこだわりや、印刷や製本などの工程や、いろいろ、とても楽しかったです。あらためて、一冊の本が出来上がるのに、たくさんの人が関わっているんだなあ。大切に、大切につくられているということが伝わってきました。やっぱり紙の本はいいなあと思いました。
 
 コロナ禍前は、平日の休みに映画館に行った時は帰りにランチやお茶をしながら読書したりしていたのですが、まだしばらくは自粛します。少しずつ日常は戻ってきつつありますが、なにか戻れなさも感じてしまう初夏です。

 公式サイト→https://www.magichour.co.jp/tsutsunde/

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塔4月号を読みます。1月20日〆切分、なんだか遠い昔のようです。敬称略です。

  先ず麦わら次に稲わらそして子が無くて祭りの一つが消えたり  酒井久美子

 少しずつ形を変えながらも守り続けていたお祭りが、過疎により途絶えてしまうということ。おそらく、子供に装束を着せて神様に見立てたりして行うようなお祭りだったのでしょう。淡々とした詠いぶりがかえって寂しい。

  干支のハンコ隅に捺されて父からの賀状は今も文字だらけなり  山下裕美

 賀状にお父様の人柄が表れていて、文字だらけで伝えたいことがいっぱいあるのがおもしろくも愛情を感じるし、何より隅に干支のハンコが押されているのがとてもいい。妙な律義さにおかしみがあります。

  首のなき地蔵様にも新しき赤き前垂れ子の年となる  澤井潤子

 首がどこかに行ってしまったのか、何か由来のある首なし地蔵なのかわかりませんが、どんなお地蔵さまにも新年のための新しい前垂れを作る人がいるということ。人の思いを感じます。赤い色も効いています。

  更年期障害の長女がくるしむに何の役にも立たず父とし  歌川功

 女性が自らの更年期障害を詠う歌はありますが、お父様によるお嬢様の更年期障害の歌は初めて読みました。というより、お嬢様の更年期障害を心配するお父様を初めて見たような気がして、なにか感動しました。

  小学校入試を終えた女の子「ケーキ屋さんになりたい」と言う  畑久美子

 小学校入試を自ら望んで受ける子供はおそらくいない、ということにハッとしました。とはいえ、地域や財力、親の向上心などでみんながみんな高等な教育を受けられるわけではないのですから、恵まれた環境に生まれついたということに感謝する日もいつか来るのでしょう。

  川沿いの梅のほころぶ三月は自殺対策強化月間  高橋武司

 季節感のある叙景からのこの下の句。ひしめき合う感じの字面や、妙に整った韻律が効いているような気がします、梅に誘われて川に飛び込んでしまう人がいるのでしょうか、あまり関係ないとしても取り合わせの味わいを感じます。

  この先は危険、立入禁止です。「この先」に入り看板立てる  よしの公一

 看板を立てる時に禁止側に入って作業をしちゃうのですね。おもしろい感じの歌ですが、境界というものについて考えさせられます。線を引いたとして、そこからくっきり危険と安全が分かれているわけではないということ。たとえば原発の避難区域など。

  永遠があるなら雪の夜に食う讃岐うどんの湯気のことかな  大橋春人 

 永遠とはこれなのだ、と力説したいのではないのでしょう、実際よくわからないし。けれども、自分なりの感慨が郷土愛を交えながら口語で軽く詠われているのがいいと思いました。雪もうどんも湯気も白い。

  ありがたき我への言葉を少しだけ引き算をして胸にいただく  澤﨑光子

 この謙虚さを見倣いたいと思いました。確かに、ありがたい言葉の中には、本当の気持ちや評価だけでなく、社交辞令やお気遣いやリップサービスが上乗せされているかもしれません。「いただく」という謙譲語の結句がうつくしい。

  まだ抱いてない子もいるが年玉の袋五つに名を書いており  宮脇泉

 遠方に住んでいるとか、忙しいとか、不仲とか、産まれたばっかりとか、お正月まで会えなかった事情を想像させつつ、どのような子にも平等に与えられる現金。血縁というしがらみ、というよりは作者のお正月の準備にあたたかさを感じました。

  ハツ四つ串いつぽんにつらぬかれ鶏は四羽も殺されてゐる  千葉優作

 確かに、ねぎまやつくねは鶏一羽で間に合いますが、心臓は一羽に一つしかないのです。動詞が率直なものが選ばれているため残酷さが際立ちますが、動物愛護の主張などではなく、事実を詠ったというだけのような印象がいいような気がします。

  ハイハイの孫の写真にアマゾンの段ボール箱が三個転がる  望月淑子

 ハイハイ姿を撮れば床の上にあるものが映ります。「アマゾンの段ボール箱」という具体に生活のにじみ出るのがおもしろくて(表記はカタカナでいいのだろうかと思いつつ)、赤ちゃんとの取り合わせも絵的におもしろいと思いました。

***

 コラム「わたしの休日」のわたしの担当分は終了です。感想のお言葉をいただくこともあり、とてもうれしかったです。2年間お付き合いくださりありがとうございました。

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映画『春を告げる町』を観ました。監督は島田隆一さん。東日本大震災の発生直後から全町避難を余儀なくされた福島県双葉郡広野町の2019年を見つめるドキュメンタリー映画です。

 震災の経験を演劇にする高校生、山形などから来て重機を扱う作業員、生まれてくる子供が5体満足かどうかだけを心配していたという夫婦、震災後に生まれた子供達、スタッフの方に果物を勧めるおばあちゃん、「(原発の)煙突を見ると帰ってきたってホッとする」と言いながら町のために働く女性、「(地元は)買い物が大変だから仮設住宅の方が良かった」と言う高齢者。アヒルはすくすく大きく育ち、春に田植えをした米は秋に収穫され、復活させた地域のお祭りの火が灯されます。この町に戻った人々の、なにげないような確かな生活です。なんでもないような会話が、なんだかとても愛おしい。高校生の演劇以外の町の人達は割と笑っていて、日々の暮らしそのものがメッセージであるような映画でした。
 
「2020年東京五輪聖火リレーの出発地点福島県双葉郡広野町から問いかける」とのコピーがチラシに記載してありますが、まだオリンピックの延期は決まる前に刷られたものでしょう。震災後の日々すら違う未来に来たようなのに、さらにまた違うところへ飛ばされてしまったような現在だと思います。それでも、過去に戻ることはできないので、生きてゆくのです。

 映画館はまだ休館中なので、「仮設の映画館」という配信サービスで鑑賞しました。自宅に居ながら新作映画を見ることができてうれしいです。このような状況の中、映画館を応援できたこともうれしいです。
 映画館に行けない期間が続いたので、この際CS放送やビデオオンデマンドサービスなどに加入するのもいいかなあという気持ちが芽生えていたのですが、こうして「仮設の映画館」で映画を観てみると、一転して映画館に足を運びたい気持ちが強くなりました。
 どうして映画館に行きたくなるのか、考えてみました。わたしは車も持っていないし行動範囲があまり広くなくて気軽に遠出はできないけれど、映画館へ足を運ぶと、その距離以上に心が遠くへ行けるからなのかなあ、という気がしてきました。

  公式サイト→https://hirono-movie.com/

  仮設の映画館→http://www.temporary-cinema.jp/

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服装は割と自由な仕事ではありますが、この閑散とした街で不要不急な外出をしていると思われないように、オフィスカジュアル色の強い恰好を心がけて「仕事なんです!」とアピールしつつ通勤しています。こうした時期なので、職場では席がソーシャル・ディスタンス仕様になったり、検温や消毒なども実施されています。心理的には窮屈になってきましたが、命を守るのだと思えば。時々の楽しみだった仕事前や仕事帰りのカフェも自粛しました。帰宅したら速攻で手を洗ってて感染予防に努めています。
 
 仕事でやむを得ず外出する分、買い物など他の外出を控えられるように、保存の利く干し野菜を作り始めました。天気がいい時は、干し野菜用のネットに多めに買った野菜を入れてベランダに吊るします。にんじん、ニラ、レタス、しいたけ、しめじなどいろいろ。外出自粛中でも、ベランダで出て作業をすることで陽を浴びられて元気が出ます。

 街の中でも職場でも布マスクをしている人が増えてきました。不織布のマスクが売っていないから、というのもありますが、ここまで定着したのはやっぱりテレビ見る全国の知事の方々、特に小池百合子都知事の布マスク姿が大きいんじゃないかと思います。地方の知事の方が県のゆるキャラなどのマスクをしているのには郷土愛を感じるし、「今日はどんな柄かな」と百合子マスクに注目するのも楽しいです。率先して布マスクを着用してメディアに映っている方々を見ると、明治時代に日本の女性の洋装普及のために率先して洋服を着ていらしたという昭憲皇太后のエピソードを思い出したりもします。

 わたしも、先日の考えの通り、越中ふんどしをマスクにリメイクしてみました。ふんどしというか元々は手ぬぐいですので抗ウイルス効果は期待できませんが、咳エチケットぐらいには役立つんじゃないでしょうか。

  ひもすがら蛍光灯をひからせてオフィスオフィスとにぎやかなりき


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3月号20首評の続きです。敬称略です。

  106歳のテルコさん召されテレビ横の定席大きな空間となる  さつきいつか

 特別作品の「アタラナイヨ」から。テルコさんが大柄な体格だった、というわけでなく、存在感の大きさでしょう。テレビ好きというキャラクター性、また年齢や個人名にも実感があります。

  色浅き南天の実に雨粒のひと粒ひと粒空を映しぬ  戸田明美

 とても丁寧な観察眼を見倣いたく思いました。若い南天の実に落ちた雨粒に映る、雨上がりの青空。「空を映しぬ」だから主語は雨粒なのでしょうか、おもしろいです。

  菊の紋の煙草を父は賜りき 瀬戸の風吹くみかん畑山  田中ミハル 

恩賜のたばこも今は昔。健康増進法の制定によって廃止された今でも、お父様の誇りの品なのでしょう。今みかん畑山には煙草の煙ではなく風が吹くのです。

  頻繁に猫に会ふから猫道と名づけて今日も抜ける猫道  濱松哲朗

「猫」の字が3回も出てきて、猫に頻繁に会う様子が字面に表れています。同様に「猫道」と繰り返すことで、何度も往来している様が伝わります。楽しい名付けです。

  また会いたいなって気持ちはほんとうでぬるい炬燵に賀状を書けり  魚谷真梨子

 また会いましょう、は年賀状の定型文。とはいえ本当に会いたくて書いています、わたしも。上の句の句またがりに感情がにじんでいるようです。

  坂の下の穭田の畔に腰かけて娘の車の来るを待ちおり  白井陽子

 上から下へ素直に流れる歌の作りで、懐かしいような映像が浮かびます。また、家と田の距離や母子関係など31文字以上の物語を感じました。

  飲んで泣き泣いては飲んでされど九時過ぎれば飲まぬ泣きはすれども  石橋泰奈

 わたしは飲めないのでこの感じを正しく理解できている自信がないのですが、九時という明確な時間できっかりお酒を切り上げる妙な自制がおもしろいです。

  エビちゃんを主婦の雑誌で見ておりぬ誰もきょうより若くはならない  淵脇千絵

 OLのアイコン的存在だったエビちゃんも今や主婦。かつてOL向け雑誌を読んでいたのが今は主婦雑誌を読むように、作者もエビちゃんと同様に年を重ねるという感慨でしょう。。

  葉を散らすことも花咲くこともない電信柱を染める秋の陽  吉原真

 「ない」とあえて詠うことで葉や花をつけた電信柱の絵が浮かびます。生物のような電信柱を想像するとメルヘンチックな気分になりました。

  京町屋改装したる私塾ゆえ開講の夜にともる提灯  仲町六絵 

 なんて趣のある私塾でしょう。文化や歴史を大切にする心が伝わります。提灯に焦点を当てたのがいいなと思いました。

  子の巣立つたびに実家に犬はふえ父の庭には犬小屋六棟  百崎謙

 お父様の寂しさの伝わる歌ですが、「犬小屋六棟」に笑ってしまう。六人巣立ったのでしょうか。犬小屋で庭が埋め尽くされてしまっているのでは、と心配になります。


***

  本日の歌会の田宮さん語録「松村さんを見るのも大事」 逢坂みずき

 これは歌会での一コマで、ある場所で松村さんを見ていたという内容の歌が提出されてあり、評を当てられて「どうして作者はここで松村さんを見ているのでしょう。松村さんの顔を見るのも大事ですけど~」というような文脈での発言でした。
 本来の目的ではない対象を見ていたというのが元歌のおもしろさであり、この歌もこうしてネタバラシせず謎語録のままの方がおもしろいのだろうと思いつつ。また、どちらの歌も人名が違っていたら味わいも違ったものになりそうです。それにしても歌会も自粛となった今ではなにかとても懐かしいです。

***

 2019年特別作品年間優秀作の優秀作に、12月号掲載の「めそめそ」を選んでいただきました。ありがとうございます!
 また、選歌欄評も今号に限らず取り上げていただいていて、とてもうれしいです。まとめてで恐縮ですが、お礼申し上げます。


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ステイ・ホーム!ということで20首読みましょう。敬称略です。

  点滴をうけゐる向う空があり好きな形の雲とどまらず  岩野伸子 

 点滴中に窓の向こうの空をながめていたら雲が流れていた、というそのままの内容だと思いますが、なにか暗示的な下の句に惹かれました。静かな時間が感じられます。

  鎖骨のうえあたりをゆらゆらするお湯がやわらかいネックレスのようだ  上澄眠

 入浴中のこんな何気ない瞬間が歌になるのだ、と思いました。おもしろい気づきで、ひらがな多めの表記がとても合っています。

  つぎつぎにバナナを食べるようになり少し遠くへ父は行きたり  高橋武司 

 食の趣味が変わって別人のような遠い存在になったということなのかなあ。歌意はうまく汲み取れないのですが、バナナの具体が何か良くて妙に気になる歌です。

  飛び跳ねるのみの一人あり障害者ふれあいステージの端っこにして  橋本英憲 

  「障害者ふれあいステージ」という言葉にまず驚きました。どういう立場の人が考えたのでしょう。ショーのタイトル含め事実のみの抑えた描写がよくて、いろいろ考えさせられます。

  雪のうへ雨降るやうな疲れなり椅子に凭れてしばらくをあり  國守久美子

 おもしろい比喩だと思いました。積もった雪の上にぶすぶす雨の穴の開いてゆくあの感じ。雪から雨に変わったのは気温が上がったからだと思いますが、それでも何かが降るという鬱屈感。

  七拾九才最後のこの朝を二カップ半のつや姫を研ぐ  左近田榮懿子

 区切りとなる大切な一日も朝に米を研ぐことから始まるのです。二カップ半という細やかさにも実感があります。そして山形の農民として、「つや姫」を選んでくれたことがありがたく思います。

  出てゆきし子の部屋をいま書斎としシクラメンなど飾っていたり  松塚みぎわ

 シクラメンを飾るところまで詠ったのがいいなあと思いました。部屋の主の交代が決定的になったと感じるし、子の代わりに花を置いているようでもあります。

  パレードを見に行く人を馬鹿にしてこころ安らぐ安らがねども  相原かろ

 屈折した内容が清々しいほど率直に詠われています。言ったそばから打ち消す下の句に人間味があり、なにが仰々しい文語体にもおかしみを感じました。
 
  式挙げておらねば妻の紹介を通夜振る舞いに小声でしおり  中村英俊

 親戚一同を集めて一気に周知するのも結婚式の役割だったのだ、ということに気づかされる一首。お通夜が初対面では挨拶も小声でするしかないでしょう。

  一鉢のポインセチアをいただきて転ばぬように雪道あるく  小林多津子 

 作者は北海道の方。両手で鉢を持って、固く積もって滑りそうな雪道を歩く様子が伝わります。ポインセチアの赤と雪の白のコントラストが鮮やかです。


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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