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川が好き。山も好き。
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『YUKIGUNI』を観てきていました。戦後日本が生んだ傑作カクテル「雪国」、その一杯のカクテルがもたらした奇跡の物語――ということで山形県酒田市のバー「ケルン」の92歳の現役バーテンダー・井山計一さんのドキュメンタリー映画でした。
 この映画の少し前に、伝説と言われた酒田市の映画館、グリーン・ハウスにまつわるドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館』を観たのでした。映画の前に『YUKIGUNI』の予告編を観たのですが、映画の方にも井山さんが出ていらして、なんだかとてもかっこよくて、そのままの流れでこちらも観たくなったというわけです。せっかくなので「雪国」の試飲と渡辺智史監督の舞台挨拶の時に観てきました。
 
 日本を代表するスタンダードカクテル「雪国」を考案した伝説のバーテンダーのドキュメンタリーということで、プロジェクトXみたいな感じなのかなーと想像していたのですが、仕事を愛するがゆえのお嬢様との確執、奥様の認知症発症など、家族の絆をめぐる人間ドラマも印象的でした。あるバー評論家の「BARは人なり。」という格言も沁みてきます。
 わたしはまったくお酒が飲めないので「雪国」というカクテルも知らなかったのですが、予告編やチラシで見た、グラスの縁に砂糖をまぶしてミントチェリーを沈めたそれがあんまり美しいので惹かれました。そしてなんといっても「雪国」という名前がすてき。静かな物語を感じます。

 映画に合わせて、渡辺監督は蝶ネクタイで登場されました。とてもお似合いでした。そして仙台市内のバーテンダーの方々が「雪国」を作って下さり、一杯ずつ振る舞われました。ウォッカではなくてジュースを使用したノンアルコールカクテルもありましたが、わたしの順番の前になくなってしまったようなので、本物の方をいただきました。一杯ぐらい大丈夫かな、と思ったのですが、舌がアルコールを受け付けないみたいで、辛くて苦くて一口も飲めないといった有様でした。これ、アルコールが大丈夫な人には甘く感じられるんでしょう。驚きなのは、考案者の井山さんその人もお酒が飲めない体質だったということで、舌でペロッと舐めるだけでカクテルを作っていると語られていました。追体験をしたのだと思うことにします。
 おつまみとして、酒田米菓のオランダせんべいも配られました。これは地元で「友・遊・裕の酒田米菓です」のCMでおなじみなので、なんとも懐かしい気分になりました。

  公式サイト→http://yuki-guni.jp/

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5月5日、第61回全日本こけしコンクールに白石市へ行ってきました。こけしがかわいさを競って並んでる様がとてもかわいい。わたしは伝統こけしが好きですが、こけし以外の木地玩具も味わいがあってすてきだし、小学生の絵付けしたこけしの展示ものびやかで和みます。
 このこけしコンクールは上皇陛下のご成婚を記念して開催されたのが始まりだとか。上皇上皇后両陛下や天皇陛下の行幸の写真の展示もあり、なんだか感慨深いものがありました。
 こけし以外にも地場産品の販売や様々なイベントがあり、こけしの着ぐるみのトークショーなどシュールな感じでした。



 せっかくなので少し散策もしてみます。駅の案内板を見ながら、徒歩10分くらいにあるという神石白石というものを見てみようかなと、歩いてみました。
 シャッター街の感じが少し寂しいですが、蔵王山がきれいに見えます。橋の欄干にはこけしが居ました。かわいい。



 歩いていたら、思いがけず白石城に着いてしまいました。せっかくなので天守閣まで上がってみましょう。子どもの日なので子どもは入場無料になっていましたが、わたしは大人なので入場券を買います。
 記念のスタンプを手帳に押していたら、「こっちにもスタンプがあるよ」と係の方に案内され、「いろんな城を見て回ってるんですか?」というようなことを聞かれました。どうやら、城めぐりが趣味の城好き女子だと思われたようです。確かに周りは家族連れやカップル、男性一人がほとんどなので、女一人で城に来るというのはよっぽど愛好な人に見えるのでしょう。
 天気が良くて、5月の風がさわやかでした。最上階からの眺めがよかったです。公園に日の丸の旗のはためいているのが見えました。



 帰りに、こけし屋さんに寄りました。白石市に来たからには弥治郎こけしを買わないと。木の風合いのいい感じなものを選びました。領収書が必要なわけではありませんでしたが、店主のおじいちゃんがせっかくだからと発行してくれました。日付を書きながら、おじいちゃんは「令和だねえ」と言いました。

  みどりなす五月の風とわたしとの間にガラス一枚の夢

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この連休中も普通に仕事をしています。いつもは通勤ラッシュでぎゅうぎゅうの地下鉄もゆるゆるです。平成が終わるというこの時期にわたしは大正天皇や貞明皇后のことが気になってしまい、移動中は今は原武史『皇后考』(講談社学術文庫)を読んでいます。分厚い! 地下鉄を降りると、地下道の手すりを拭き掃除している人がいました。こういう仕事もあるのだ、とあらためて気づきます。もちろん、通勤のために乗ってきた地下鉄も、地下鉄の職員さんが動かしているのでした。

 昨日は8時間の仕事を終えてコーヒー店に寄り道しました。祝日だから混んでいるのかなと思いましたが、いつもよりは空いていました。おかげでいつも人気で埋まっているソファ席に座れたりしました。でも、お目当てのチーズケーキは品薄です。わたしは仕事が終わって寛げていても、店員さんはまだまだ仕事中です。こうして働いている人のおかげで、わたしも楽しい時間を過ごすことができるのだ、とつくづくありがたく思うのでした。

 冬あたりに、普段は千切りにして食べてしまうキャベツの芯を気まぐれにベランダの鉢に植えてみました。そうしたらいつのまにか芽が出て、茎が伸びて、ついに花が咲きました。これまで生きてきて初めてキャベツの花を育てました。平成最後の雨が、黄色い花を濡らしています。

  求人のメールは届く平成の最後の天皇誕生日にも 


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連休中も普通に仕事をしています。塔3月号を読みましょう。敬称略です。

  右端の山の名を問ふ寺の庭の松の手入れをしてゐる人に  山口泰子

 何か深い意味があるとかではなくて、この通りのそれだけの歌なのだろうと思うのですが、こういう何でもないような何気ない歌にとても惹かれるのです。山の名がこの歌では明かされていないのも良くて。

  みどり児のあまた写れるその中のひとつを拡大してわれに見す  黒沢梓

 普通の写真だったら「この子」と指を差しても小さくて見えなかったりするのでしょうけれど、「拡大」なので、スマートフォンの中の、お子さんまたはお孫さんの画像を見せてもらったのでしょう。無駄のない言葉選びで事実だけを描写しながら、いろいろ考えさせられる歌です。

  水仙の葉だけ茂るという人に花をさしあげ柚子もらいたり  菊澤宏美

 わらしべ長者みたいで楽しい歌。水仙の花が咲かず葉だけ茂ってしまう状態も、当人は困っているのかもしれないけれど妙にほほ笑ましい。お返しに柚子というのにも人柄がにじみ出ていていいなと思うのでした。

  芋を掘る我らの為に前の日に夫は葉や茎片付けに行く  高松恵美子

 少し前に「名もなき家事」というような言葉が流行ったようですが、こういう作業は「名もなき農作業」だと思いました。作者がこうしてちゃんと見ていてくれることで旦那様も報われましょう。わたしの父は稲刈りの前に稲の中のねこじゃらしを片付けに行きます。

  力抜き撞く鐘の音の良く響く鐘も力を抜いたのだろう  西村清子

 確かに、撞木を引く時は力を入れますが撞く時には力が抜けています。そして鐘の音は大きく響きますが1/fゆらぎの周波数で癒し系。鐘も力を抜いたのだろうという大胆な擬人化もなんだか納得してしまいそうです。

  告知より三度目の秋巡り来ぬモミジバフウにモミジバフウの実  石川泊子

 下の句がなんだかとても胸に沁みる。モミジバフウの木にモミジバフウの実が生るという、その当たり前の光景も特別なものに見えるのかもしれません。お大事されますように。

  家内のね郷里なもんでと言い馴れて四十五年を住んでしまえり  石川大三
 
 不本意な居住だったのでしょうか。「~のね」という初句は字数合わせのようで拙く感じがちなのですが、この歌は語りかけの味わいが出ていて効いていると思いました。言い訳のようですが、すっかり馴染んでいるようです。

  ベビーカーに見上げる赤いものは花ふれているのはその葉っぱだよ  宮脇泉

 情景が目に浮かぶようです。花の赤と葉の緑、野外と思われるので空の青と色彩もさわやかで、花を見上げる位置に赤子が居るという位置関係の丁寧さもいいなと思うのでした。そして結句の口語の語りかけが優しい。

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『チワワちゃん』も観たのでした。監督は二宮健さん、出演は門脇麦さん、成田凌さん、寛一郎さん、玉城ティナさん、吉田志織さん…って、公式に記載の順番通りに書いたらチワワちゃん役までが長かった。岡崎京子さんの原作漫画は読んだような気もするのですが、なにしろ10年以上前なので他の漫画と混同しているかもしれません。
 東京湾バラバラ殺人事件の被害者としてニュースに映し出されたチワワちゃん。ミキは仲間達からチワワちゃんとの思い出話を聞くが、みんなチワワちゃんの本名すら知らず、みんなの語るチワワちゃんには一貫性がなかったのだ――、という話。
 
 クラブで遊んでいるパリピ仲間達が大金を手に入れて水着姿で豪遊して、となんだかプロモーションビデオのような感じが続いて、正直わたしはそういう遊びが楽しいタイプではないので、どうしたものかと思いつつ、無邪気でキラキラした新入りチワワちゃんに対するミキの内面でのモヤモヤ感みたいなものはリアルで痛いです。
 チワワちゃんの危うさもなんだろう、でもこういう捉えどころのない女の子が愛されるんだろうなあとも、やっぱり思う。演じている吉田志織さんが大きな口を開けて笑うのがとても印象的でした。この先他の出演作を見ても「チワワちゃんだ」って思ってしまうかもしれない。
 ミキがチワワちゃんに複雑な感情を抱くのは、まず最初にチワワちゃんがミキの好きなヨシダの彼女として現れたからというのが発端なのですが、このヨシダの魅力がわたしにはさっぱりわからず。ラブストーリーではないのだから登場人物の恋心に共感する必要はないのかもしれないけれど、最初から最初まで謎でした。

 チラシのコピーなどには「SNSの時代」というような文言があるけれど、仲間達がSNSで繋がっているゆえに空虚な関係性だった、というわけではないので、あんまり関係ないような気がしました。原作もSNSがない時代に描かれているし。ただ、興味本位でチワワちゃんがSNSを始めようとするのを、既にSNSで人気なミキがそれとなく止めようとする様は女性の嫌な部分が出ていて見どころなのではないかと思ったりもしました。

 そんな感じで、メンヘラ系の女の子の映画を続けて観ました。こういう自分の感情のままに突っ走る人達に、わたしは屈折した羨望のようなものがあるのかもしれません。

  公式サイト→https://chiwawa-movie.jp/

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『生きてるだけで、愛。』を観てきていました。監督は関根光才さん、出演は趣里さん、菅田将暉さん、仲里依紗さんなど。本谷有希子さんの原作は未読ですが、他の映画化作品を観たり小説を読んだりはしていて、ちょっとこれから読んでみたいと思っていたところでした。
 自己診断の鬱病と過眠症の寧子は出版社勤務の津奈木と同棲中。津奈木の元恋人が現われ、津奈木とよりを戻したいから自立して、と無職で寝てばかりいる寧子を知り合いのカフェでバイトとして雇わせるが…という話。

 うーん、なんというか、寧子は始終不機嫌で理不尽に怒ってばかりでワガママで自分勝手で被害妄想強くてとても共感できず。なんちゃって鬱のメンヘラさんという感じ。本人はすごくくるしくて生きにくいんだろうけど、これは振り回される周りの人の方が絶対にずっとしんどい。
 とはいえ、わたしみたいに自分の感情をしまい込んでへらへらやり過ごしているより、感情むき出しのこういったタイプの方が人間として魅力的なんだろうな、とも思うのでした。だから寧子は津奈木に養ってもらえているし、現実にもこういう女性には大体恋人がいます。ほっておけないのでしょうし、何考えているかわからないような不気味さがなく、そのまっすぐさに安心できるのかもしれません。
 寧子は津奈木が自分に対して何にも言わず本音で向き合ってくれないことを責めます。わたしも、絶対に寧子に責められるタイプだな、と思いました。
 相容れないけれど、キャラクターとして寧子は興味深くて、趣里さんも好演でした。
 
 いろいろ思うこともあり、映画館帰りのその足で本屋さんに赴き、心理士の方に以前勧めていただいた平木典子『アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法』(講談社現代新書)を購入しました。

  公式サイト→http://ikiai.jp/

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新元号が「令和」と発表になりました。出典は万葉集の梅の花の歌の序文「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」からとのこと。
 万葉集からというのがうれしいし、自然を愛でる文からというのも、その中でも春なのも、梅なのもすてき。うららかで美しい情景が浮かびます。教訓めいたものや観念的なものとは違った、こういう方向からの願いの込め方に、しみじみしました。新しい御代がおだやかなものでありますように。

  われの産む子は平成のその次の世の子か南に旅の宿とる
(御代替わりが検討され始めた頃の歌でした…)

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ひと月を原因不明のまま咳込んでいるうちに3月も終わりですが、今日は2月に逆戻りしたみたいな雪降りですので、2月号を読みましょう。敬称略です。

  老女みな老いし少女であることのなんと愉快な秋の薔薇園  村田弘子

 楽しげな光景の目に浮かぶ歌。いいなあ。老女達を少女のようにうれしくさせるのが薔薇の花であることも、作者のまなざしの優しさもいいなと思うのでした。

  気の強き娘がその子を叱るとき優しくて我をかなしくさせたり  三浦こうこ

 わたしも我が子には母に見せたことない優しい顔をするだろう、と気づき、どきっとしました。わたしは気が強くないし、我が子もいないのだけど。「かなしい」という率直な言葉もかなしい。母子の関係性、距離感をあらためて考えさせられます。

  いつも何か小さな手土産渡すことを楽しみとしてわが暮らし在る  新田由美子

 暮しの中で、与えることを楽しみとする心がいいなと思うのです。小さな手土産ほどの小さな心遣い。用意する時に渡す相手のことを思うのもすてきなことでしょう。 

  シチリアの飾りパンまつりにいつか行くそれだけ決めて今日ははたらく  山名聡美

 とりあえず今日の労働を乗り切るために、楽しみを一つ決めておくということでしょう。「シチリアの飾りパンまつり」という具体の、「いつか」と言いつつ現実的に叶いそうな絶妙な距離感。

  入院用のパジャマに五個の花釦花の名知らねどうすきピンクの  江原幹子

 花の形の釦、名前がわかるほど精巧な作りの釦は確かにないような気がします。けれども、優しい色合いの小さな花は入院生活を少しでも華やかな気分にさせてくれたのでしょう。お大事にされますように。

  十年を元気に暮らす自信なくポチ亡きあとの犬を飼ひ得ず  北島邦夫

 動物に愛情があればこそ、自分の思いだけで無責任に飼うわけにもいかないのですね。己を律する作者の心を切なく思うのでした。「ポチ」という定番の名前がなんだかとても良いです。元気に暮らせますように。

  焦げた鍋をこすっているその間君のことを忘れられてました  潮見克子

  鍋の焦げ付きという生活感。意外と力仕事ですし、確かに他のことが頭から消えてしまうくらいに夢中になります。けれども、鍋から手が離れた途端にまた思い出してしまうのでしょうか。作業を終えて力が抜けたような破調です。
 
 古賀泰子さんの追悼特集がとても良かったです。地下鉄の中で読みながら泣きそうになりました。

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3月に入ってから、なにげない雑談の中で、震災の頃の話題が出ることが多くなりました。東北で被災した人だけでなく、当時は東京にいた人も帰宅困難者としての体験や、仕事が中断した話、東北の家族と連絡のことなどを、昨日のことのように語り出します。「忘れてはいけない」「風化させてはいけない」などと言い聞かせなくとも、みんなあの日のことを語りたいのだとあらためて感じます。そうして、被害の大小にかかわらずどんな些細なことも、被災の一つなのだと気づかされます。

 わたしが避難所として泊まった文化センターが、追悼式会場になっていました。出席は見送りましたが、センターの外にも案内や警備の方がたくさんいたり、無料送迎バスが何台も出ていたり厳粛な空気が流れていました。
 あの日々のことを語ろうと思えば語れるのだけれど、自分の中では震災が過去になったという感覚が、ここ数年はしています。震災当時を忘れた、というわけではなくて、震災前の生活に執着がなくなったという心境です。あの時なくしたものを取り戻したいとは、もう思わない。
 とはいえ、また震災が起きたらまた同じようなことにくるしむようなわたしだろうということが懸念されるので、自分の心の偏りの矯正はしていかないと、思うのでした。

 職場に河北新報が置かれるようになったので、佐藤通雅さんと花山多佳子さんが選者をしている河北歌壇を久しぶりに読んでいます。震災にまつわる歌が毎回いくつか載っていることに少し驚きました。震災から5年目までの分は河北新報出版センターから『震災のうた 1800日の心もよう』という本にまとめられていて、とても良い作品集ですが、その続きが8年目の今までずっと続いています。震災詠というより、東北の人にとっては日常詠なのでしょう。常連の投稿者の方などは、被災してからの暮らしぶりが近況報告のように伝わってきて、詠み続けることの大切さにあらためて胸を打たれます。その時その時の今を詠った歌を追い続けながら、その人その人の人生に思いを馳せています。

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もうすぐ3月号が届いてしまいますよ。敬称略です。

  父のなきわたしは叔父に連れられてまぶしかりきよ常磐ハワイアンセンター  宮地しもん

 やっぱり「常磐ハワイアンセンター」というB級感かつノスタルジー漂う名称の味わいにつきます。「スパリゾートハワイアンズ」ではこうはいかない。そして確かにあの頃のハワイアンセンターは子供心にまぶしかった。叔父と姪の小旅にもドラマ性があるように思うのでした。

  はじめての歌集の名前を考える(産むことのない)子の名のように  永田愛

 素直に詠われているからこそせつない。〈 )でくくったことによって、( )内の言葉が目立ちつつも主張としては控えめであることが感じられます。歌集に対する大切な思いも。個人的にもこの感覚はよくわかるのでした。

  ペコちゃんの前を通って帰宅する少し遠回りになるけれど  杉田菜穂

 ペコちゃんが好きなのでしょうか。あるいは、なにかつらいことがあった帰りに、愛らしいペコちゃんの顔を見て元気を出そうというのでしょうか。何かの縁起担ぎかもしれません。遠回りしても、というのがいじらしいです。「少し」がいいように思いました。

  子の無くて五十六年子の名前ひそかに考えてみたりしていて  荒堀治雄

 こちらも子の名前を考える歌。五十六年という具体的な数字の、その長い年月がせつない。同年代が孫を持つような頃でも考えるのは「子」なのです。ぐだぐだした下の句のはぐらかし感もまた。

  思春期に父のくれたるキーホルダー「努力」の文字の黒き石なり  きむらきのと

 このキーホルダーがシュール過ぎて、ちょっと欲しくなるくらいです。ただでさえぎくしゃくしがちな思春期の娘に、お父様はなにゆえこれを選んで贈られたのか。厳しいメッセージなのか、天然なのか、想像が広がります。

  河岸の桜古木に札のあり 犬猫を埋めないで下さい  和田澄

 樹木葬のように、愛するペットの亡骸をうつくしい景色の中に葬りたいという飼い主がたくさんいるのでしょう。けれども木の管理している側からしたら困った話であるという現実問題が。

  百並ぶかかし祭りの五番目は亡き父に似て少し面長  三木紀幸

 帰省の一連から。かかし祭りという行事が興味深いです。かかしに亡きお父様を重ねるというのも地域性があっていいと思うのでした。割と早くお父様似が出てきましたね。八十六番目とかだったら疲れそう。

  わたくしを励ましくれる木のひとつひとつを数へ過ごしゆく夜  山尾春美

 木が励ましてくれるという、木との関係性、木への思いがいいなと思いました。それが一本ではなくていくつかあるということも、夜に思うことも。

  夫のシャツ二十年分作りぬと笑ひて友は三年に逝く  阿蘇礼子

 ご友人さんが自分の死期を感じ取り、自分亡き後の夫が困らないようにシャツを作ったのだと読みました。二十年分という量もすごいし、夫に長生きをして欲しいという祈りもあるのでしょう。愛とはこういうものなのだろうなあ。

  どうしてもケヤキが欲しいと植えし夫の在らぬこの夏 大きく伐りぬ  今井眞知子

 一字空けての結句への流れがおもしろいのですが、それより「どうしてもケヤキが欲しい」という夫のキャラクター性にとても惹かれます。木を植えるって結構大変だと思うので、実行したのもすごい。


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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