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川が好き。山も好き。
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ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース作品の上映をいくつかやっていて、1985年公開の『東京画』を観てきました。ヴィム・ヴェンダース監督が、敬愛する小津安二郎監督の没後20年の東京を訪れ、『東京物語』のおもかげを探したり主演の笠智衆や撮影の厚田雄春に会ったりするドキュメンタリー映画です。

 1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
 タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
 笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。

 公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。

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昨日は晴れていたけれど、コインランドリーの帰り、自転車のハンドルを握る手が冷えて、これから雪が降るかな、と思いました。肌で感じる、雪が降る前の空気です。
 夜が明けたら、ベランダの手すりに夕べから振り始めた雪が積もっていました。外に出れば、春はまだ遠そうな雪景色です。
 こんな日に子が生まれたら、迷わず「雪子」と名付けるでしょう。

  晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており   『にず』

 わたしの父は「ゆきお」という名前です。漢字が違うので、名付けの由来が雪だということは、つい最近父に聞くまで知りませんでした。そういえば父は冬生まれでした。ついでに言えば父の兄は「朝男」で、その線で行けば、もしかしなくても朝に生まれたのでしょう。わたしは、『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の降る日に生まれた娘に「雪子」と名付けるシーンがとても好きで感銘を受けたのだけれども、実は父方の祖父母譲りのセンスだったのか。しかも「雪」だと画数が多いので簡単な漢字にした、というめんどくさがりっぷりも、確実にわたしは受け継いでいます。由来も不明で画数の多いキラキラネームを自分の子に付けてしまった妹とは違うところです。
 わたしは母方の祖母とその姉夫婦と同居していたため、父方の祖父母とは関わりが少し薄くなってしまっていたのですが、こんなふうにわたしの中に父方の祖父母の要素が息づいているのだ、と思うと不思議な感じがしました。

 今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は3世代に渡る百年の物語で、3人のヒロインはそれぞれ自分の人生を生きているのだけれども、視聴者であるわたし達は、ああ、こんなふうに受け継がれてゆくのだ、と神の視点でながめることができます。物語も終盤に差し掛かり、これからなにか大きな伏線の回収が待っているのかもしれませんが、今の段階で感じ取れる程度の、ことさら誰々の血筋がどうとか押しつけがましくない程度のバランスが心憎いように感じています。
 ノンフィクションの話でも、武士から華族から現代の要人に繋がってゆくような層々たる家系図にはロマンがあります。また、NHKで時々放映される「ファミリーヒストリー」のような市井の人々の命のリレーにもとても惹かれます。番組の性質上、最終的には著名人にたどり着くけれども、その親世代、祖父母世代の一人一人の庶民としての人生の営みもかけがえなくて尊い。この世の誰もが、そのような縁の繋がれた先で生きています。わたしも。

 一週間ぐらい前、父の叔母が105歳でご存命だという話を聞きました。父方の親戚に疎くて会ったこともたぶんないけれども、とてもありがたいような気持ちになりました。寒い日が続きますが、お元気でいてほしいです。

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「現代短歌」3月号、特集「永田和宏の現在」にて、歌集解題を塔短歌会の皆さんが執筆しております。わたしは第13歌集『午後の庭』を担当いたしました。貴重な機会をいただけて恐縮しております。お読みいただければと思います。
http://gendaitanka.jp/magazine/2022/03/

 『午後の庭』を筆頭に、このところ、伴侶への挽歌の印象的な歌集をいくつか続けて読んでいました。思いが胸に沁みてきて、思わず涙してしまうようなものも少なくありません。
 わたしの亡きあとに、こんなふうに誰かが泣き浸ってくれることはあるのだろうか。わたしには、こんなふうに挽歌を詠む人生があるのだろうか。どちらにしても、まぶしい。

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痴漢をするのは圧倒的に男の人が多いように、街中でくっついているカップルは、女体を触りたい男の人の主動でそうなっているものだと思っていたので、ふと見渡した時に、男の人の手を一生懸命に握っているのは女の人で、ポケットに手を突っ込んでいる男の人の腕に手をからませているのも女の人で、男の人が手を突っ込んでいるポケットに手を突っ込んでいるのも女の人だと気づいた時、え、え、え、と困惑の果てに打ちのめされてしまったものでした。ほんの数年前の話です。そうして、「そうか、だからわたしの人生はうまくいかないのか」と、妙に腑に落ちたのでした。
 
 こんなふうに手は繋がれてしまうのか桜見終えてドトールを出て  『にず』

 さらに数年前にこの歌を歌会に出した時、「受け身過ぎて理解できない」「こんなふうに、って言われてもなあ…」というような評を受けました。当時は「そういう意見もありかー」と受け止めただけですが、思えば、その評をした方は何の疑問もなく当たり前のように自分からパートナーの男性に自然に手を繋ぐ、ごく一般的な感覚を持つ女性だったのでしょう。
 事実とその時の気持ちをそのまま詠んだので、それ以上の含みはない歌ですが、読み手には、わたしがまったく意識しなかった「本来は女性が手を繋ぎたがるものなのに」という前提が共有されているのかもしれません。それもまた興味深くあります。

 わたしにも、自分から手を繋ぎたくなることはあります。祖母のように足腰が弱って歩行のおぼつかない高齢者や、甥っ子のように手を離した隙にどこかへ走り出してしまいかねない子供などは、自分から率先して手を繋ぎます。転んだり、はぐれたり、危ない目に遭うのが心配です。一人で問題なく歩ける者同士であれば、よっぽど危険な道や人混みでもない限り、手を繋がなくても大丈夫。それは、相手に対して安心しているということでもあるような気がするのでした。

 NHKでアロマンティックやアセクシャルやをテーマにしたドラマ「恋せぬふたり」が始まりました。ああ、こういう時代がきたんだ、と思いました。だから一人で生きる、というのではなく、家族はほしい、という方向性に、このテーマへの誠実さを感じながら観ています。最終回まで恋せぬままに進んでほしい。なにか陳腐な展開で二人がカップル成立する結末だけは、どうぞ迎えませんように。

  無性愛なる称号にゆるされて欠陥なんてなかったわたし

 という歌がNHK短歌テキスト2010年6月号に掲載されています。「愛」の題詠でこれはなんだか挑発的ですが、もともと初句を「アセクシャル」と詠んでいた未発表作を、題に合わせて日本語にしたのでした。作者はわたしです。あまりうまい歌ではないですが、12年前ですから、なかなか時代を先取りしているのではないでしょうか。当時は、わたしの調べた限りアロマンティックという言葉はまだなくて、恋愛感情がないことは「広義のアセクシャル」と呼ばれていました。
 そのような性質を自分のアイデンティティにするつもりはないし、そもそもわたしの場合は先天的なものではなく母娘関係などの影響や心の抑圧なのかもしれないし、震災のような未曾有の非常時には「子孫を残さなくちゃ」という使命感が湧き出した経験もあるので、自認としてもアロマンティックともアセクシャルとも断定はせず、――っぽい、――寄り、などと曖昧にしています。それでも、わたしは心に何か欠けているのでは、と思い悩んでいた時に、こうした言葉を知り、ずい分救われたものでした。
 
 昔の自分を救ってくれた言葉が、一生を救ってくれるわけではないような気もしています。わたしも変わってゆきましょう。

『女性とジェンダーと短歌 書籍版「女性が作る短歌研究」 水原紫苑・編』に「花降る」10首掲載していただいております。わたしの分は「短歌研究」2021年8月号の再録ですが、書籍版はバージョンアップして読み応えたっぷりですので、ぜひ。
 https://tankakenkyu.shop-pro.jp/?pid=165824131


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一〇〇〇円の時には受けたオプションの乳がん検診今年は付けず  「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号

 オプション料金が以前より高くなっていたので、定期健康診断ではスキップしてしまいましたが、その後、一定の年齢につき市から無料クーポンをいただいたので、検査してきました。夏に申し込んで検診日が年明けなのだから、よっぽどたくさんの人が受けているのでしょうか。廊下の待合椅子には他にも何人か順番待ちをしていて、ここにいるみんなが同じ年齢の女性なのかと思うと、なにか不思議な気がしてきます。待ち時間に『女性とジェンダーと短歌』を読みました。持ち運びやすいソフトカバーの本を、と選んでバッグに入れてきただけだったのに、よく考えたらなんだかつきすぎです。

 これまでただ寝てるだけのエコー検査は受けたことがあったのですが、マンモグラフィーは初めてです。「手を上げてくださ~い」「肩を合わせますね~」と女医さんに指示を受けながら、「右のお胸は押さえてもらってていいですか~」といったふうに、乳房は「お胸」と呼ばれるのになにかおかしみを感じました。
 短歌では当たり前のように詠われていても、わたしは実際に「乳房」などと日常会話で声に出して言うことはないし、人が言っているのを聞いたこともありません。これは書き言葉だな、とあらためて確信しました。以前、女性主人公の一人称で進む小説で「私の乳房に」みたいな表現を見た時も違和感を覚えたのでした。「私の――」って、モノローグだとしてもそんなふうに自分の体を言う人いるかな。いるのかもしれないけれど。これが三人称で「彼女の――」「○○(名前)の――」であれば全く気にならないのに。
 手を「お手て」、肩を「お肩」と丁寧に言う以上に、「お胸」に漂う丁寧さはなんなのでしょう。痛くされるからなのでしょうか。まだ痛いです。

 検査が終わって階段を降りていたら、エレベーターを待つ車椅子のおばあちゃんと若い男性職員の優しい会話が聴こえました。わたしの祖母もあんなふうに優しくしてもらえているといいな、と思いながら病院を後にしました。

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あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。

 今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
 
  余るとは思いつつ一月三日買い足す年賀はがき余りぬ

 


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昨日から休みに入りました。年末年始も関係なく仕事をしていた頃が長いので、年末年始に休めるのが畏れ多いです。今の仕事も働く気になれば働けるのですが、年末年始は業務縮小なので、少数精鋭にお任せして。

 「穴めっちゃ空くけどビンゴは揃わない人ってイメージ」と言われておりぬ  『にず』

 などと言われてしまうわたしでしたが、今年は職場のビンゴをばっちり当てて、薔薇の香りのボディミルクをいただいてきました。年末年始は保湿がんばります。

 今日は大掃除をしました。大掃除を始める前に母から様子伺いの電話が来て、大掃除の最中には妹から電話が来ました。パートの愚痴や旦那さんの愚痴、義実家の愚痴、あまり愚痴を言える相手がいなくて溜まっているのでしょうか、大変そうです。電話の向こうで甥っ子がキーボードで「きらきら星」を弾いているのが聴こえました。

 あっという間に2021年も過ぎてゆきます。どこかあきらめたような今年のささやかな生活でしたが、短歌にはずい分寄り添ってもらいました。そのように自分のために詠んだ歌を、いろいろなところで発表させていただいたり、引いていただいたりしたのは、思いがけずありがたいことでした。

 ポケットにぐしゃっと入れたハンカチを赤信号で取り出したたむ  「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号

 2021年の自選一首、というわけではないけれど、赤信号で立ち止まってハンカチをたたみながら、この歌がふっと詠めた時はうれしかった。なんでもない歌だけれども、こんなふうに歌ができてゆけばいいな。
 
 明日の雑煮の汁も用意して、唐揚げを揚げて、一人の年末年始は気楽なもんです。紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしながら、実家から届いたりんごを鍋にかけてコンポートを作っています。できたての熱々に無糖のヨーグルトをかけて食べるのがさっぱりして美味しいのです。「年の初めはさだまさし」を見ながら食べましょうか。「タイムスクープハンター」の再放送もうれしい。

 本年もたくさんの皆さまにお世話になりました。あたたかな言葉をいただいたり、感謝しきりです。どうぞ良い年をお迎えくださいませ。


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映画『紅花の守り人』を観てきました。佐藤広一監督による、紅花をめぐるドキュメンタリーです。紅花に思い入れがあり、地元ニュースなどでこの映画の情報を得てから絶対に観たいと思っていたところ、音楽を担当された小関佳宏さんのミニコンサートと舞台挨拶付きの上映日と都合が合いました。

  ベランダに十九の蕾この夏に十九の花がひらく慰み

 歌集『にず』にも収録したこの歌は、紅花を詠んだものでした。町役場から種をもらって育てました。花は紅餅を作って紅花染めをしたかったけれど、量が足りなかったので、紅花ご飯にして食べました。
 ふるさとの県の花だからなじみ深いというのもあるけれど、見た目の形や色も好き。紅花モチーフのおみやげものも、ゆるキャラ「はながたベニちゃん」もかわいい。
 
 映画のナレーターは今井美樹さん。『おもひでぽろぽろ』のタエ子があれからずっと山形にいるのだという裏設定があるとかないとか。あの映画ももう30年前だけれど、あの頃描かれた紅花摘みの光景が今も変わらずにありました。民謡の「紅花摘み唄」「最上川舟歌」などもとても沁みてきます。
 シルクロードを渡って伝わってきた紅花が山形に根付き、染料の原料として紅餅に加工されて、舟で京都へ運ばれて――といった江戸時代の歴史については知っていたのですが、今でも紅花染めは大切にされていて、いろいろな人が様々な形で関わって紅花の文化が守られているということがうれしくなりました。わたしの頃と同じように、小学生の子供達が紅花栽培から紅餅作り、紅花染めの実習をしているのもなつかしかったです。俳人の黛まどかさんも紅花摘み体験をされて紅花の句について語っていました。
 観賞用や染物だけでなく、花や若葉は食べることもできます。様々な料理が紹介され、パンフレットにはレシピも載っていました。外国から伝わってきた紅花なのに、今となっては他の国では種から紅花油を取るばかりで、こんなに活用して技術が受け継がれているのは日本だけ、ということは初めて知りました。
 わたし個人の郷愁だけでなく、紅花という花の奥深さにロマンがあり、なぜ人々がこんなに紅花に惹かれるのかわかった気がします。わたしも紅花の守り人になりたくなりました。とりあえず、わたしは紅花の短歌をもっと詠んでゆきましょうか。
 
 上映後の舞台挨拶では、監督や出演者の方々の紅花愛の伝わるお話を聞かせていただきました。ギターのコンサートもすてきでした。何もない田舎で何もできないと思って外に出たけれど、山形はこの頃とても熱いように感じます。




公式サイト→https://benibana-no-moribito.amebaownd.com/

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映画『偶然と想像』を観てきました。監督・脚本は濱口竜介さん。出演は古川琴音さん、中島歩さん、玄理さん。渋川清彦さん、森郁月さん、甲斐翔真さん。占部房子さん、河井青葉さん。偶然をテーマにした短編集です。上映前に監督の挨拶の映像も流れました。
 第一話「魔法(よりもっと不確か)」は親友の話す惚気話の相手が元カレと気づき…という話。第二話「扉は開けたままで」は、作家でもある大学教授をスキャンダルに陥れるために色仕掛けを共謀する話、第三話「もう一度」は、高校の同級生と街中で20年ぶりに再会して興奮のままに話し込むが…という話。
 わたしはどれもおもしろかったです。登場人物の人数が最低限なくらい抑えられていて、小作りな感じ。台詞でどんどん露わになって深まってゆくような感覚は舞台的なのでしょうか。なんだか棒読みが気になるところもあったのですが、特定の誰かというわけでなく、その場の会話全体が淡々と流れていくので、あえて感情を乗せずに言葉を味わう演出なのだろうと思いました。登場人物の誰にもあまり共感できないのに、ぐさぐさ刺さって痛くなるような、不思議な映画でした。シューマンのピアノ曲のかろやかさが絶妙でした。

 第三話の舞台は仙台で、スクリーンには見慣れた場所が映りました。二人がすれ違った駅前のエスカレーターはわたしも時々使います。ここで20年ぶりに誰かに再開してもわたしは気づけるかな。と、思ったけれど、そこから先の通りで10年ぶりくらいに気づいてもらえたことはあったのでした。なんだかそれっきりになってしまったけれど、それでもよく見つけてくれたなあとびっくりした出来事でした。日常は偶然にあふれているのでしょう。

  公式サイト→https://guzen-sozo.incline.life/

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コロナ禍も少し落ち着き、ワクチンも接種したので、11月末に実家の山形に帰省してきました。2年ぶりくらいです。

 実家に向かう前に、反対側へ向かう電車に乗って斎藤茂吉記念館へ寄りました。電車が1時間に1本で、ゆっくりする余裕もなかったので、滞在時間が30分くらい。常設展は見たことがあるので泣く泣くさらっと流し、特別展「新収蔵資料展」を鑑賞しました。茂吉やアララギ歌人の原稿、書簡が見られたのがうれしく、長塚節歌集をまとめるためのやり取りなど興味深かったです。つくづく茂吉の字がかわいいのです。
 文庫版の歌集をあるだけ買おうと計画していたのですが、もう『つゆじも』『ともしび』『小園』しか残ってなくて、『小園』は持っていたのであとの2冊を買いました。
 次に来るときは時間に余裕をもってゆっくり観たいです。

 祖母のいない実家というのは何か落ち着かず、居間にいると、いつものように祖母が来るんじゃないかという気がしてきます。隣町の伯母から借りていた介護ベッドも返したようで、祖母の部屋だった仏間には、デイサービスに通っていた頃にレクレーションで書いたらしい「令和」という習字がぶら下がっていました。

 帰りに祖母の居る施設に寄って、少しの間のガラス越しでしたが面会ができました。あんなにおしゃべりでうるさかった祖母なのに、今は口をぱくぱくさせるだけで声も出ないようでした。それでも、思ったより元気そうで、家にいた頃より身ぎれいになっていたのと、介護士さん達が優しそうで安心しました。祖母の後ろで、他の入居者の女性がこちらを見つめて時々両手で顔を覆っているのが印象に残りました。

 ほんの数年前まで、2階のわたしの部屋まで両手両足で上がってきて、母に内緒でお小遣いをくれた祖母だったのにな。犬の散歩に農道に出たわたしの後をシルバーカーを押して歩いてきてたのにな。入り婿の父をばかにするために歌っていた「のんきな父さん」というよくわからない歌ももう歌えないんだろうな。
 祖母が老いた年月を、わたしも老いました。

  いつまでもずっと元気でいてほしい 自分にもそう願えればいい


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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