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川が好き。山も好き。
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近所の八百屋さんに行ったら、八百屋のおじちゃんが「ぶどう200円にするから買ってよ~」と言うので、買ってしまいました。デラウェア2房で200円はお買い得。わたしはデラウェアがとっても好きなので、思いがけずありがたいことでした。
 八百屋のおばちゃんは、お会計の時にいつも調理法を教えてくれます。今日はニラを買ったので、ニラと何かの野菜のタラコ炒めという斬新なレシピを教えてくれました。昨日作ったそうですが、ニラの他に何の野菜を使ったのか忘れてしまったそうです。タラコで味付けをするというのならジャガイモかな~と思って聞いてみましたが、どうやら違うようです。他にいけそうなのはキャベツとか、タマネギあたりでしょうか、謎です。せっかく教えていただきましたが、ニラ玉にするか、一緒に買ったナスと甘じょっぱく炒める予定です。

 「お姉ちゃんはもう行くよ」と、八百屋さんの駐輪スペースに、買い物を終えたらしい姉弟がいました。10歳になったかなってないかぐらいの女の子が呼びかけると、男の子は「ぼくまだいる」としゃがんで石で遊んでいました。「何がおもしろいの」と女の子は呆れているようでした。呆れているようでしたが、ちゃんと男の子を待っているのでした。お使いでしょうか。なんだか懐かしいような光景です。

 わたしにも、自分のことを自分で「お姉ちゃん」と呼んでいた頃があったのを思い出しました。誰かに、「お姉ちゃんという一人称を使いなさい」と指示されたわけでもないのに、妹や弟に接する時にそう言うようになりました。どういう経緯でそうなったのか覚えていませんが、自然にそう自称してしまうような流れや、わたしの心の動きがあったのだろうと思われます。
 自から自分のことを「お姉ちゃん」と言い始めた田舎の小さな女の子を思うと、自分のことなのに、なにかかなしいようないじましいような気持ちになるのでした。

 ある人の会話の中で「お姉ちゃんが」「お姉ちゃんが」と頻出していて、その人の姉のことだと思って聞いていたら、何人かいるお子様の中の、高校生の長女さんのことだった、ということがありました。「仕事で遅くなった時はお姉ちゃんが夜ご飯作ってくれてる」などという話に、妹一家の食事の支度をお姉様がしているの?って不思議に思っていたので、腑に落ちました。
 お母さんの姉ではないのに、お母さんから「お姉ちゃん」と呼ばれる長女さんは、家庭の中で「お姉ちゃん」という一人称を使っているのではないでしょうか。一番下のきょうだいはまだ幼稚園児だそうです。長女さんが面倒見のいい優しい女の子だということが話からは伝わってきますが、長女さんが「私はお姉ちゃんなんだから」と自分に言い聞かせて無理はしていないか、他人事ながらちょっと心配になったりもするのでした。

 妹や弟が大きくなってくるにつれ、わたしが自分を「お姉ちゃん」と呼ぶことはなくなりました。

  赤子なるいもうとの子と話す時のわれの一人称の「おばちゃん」

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『ソローキンの見た桜』を観てきていました。監督は井上雅貴さん、出演は阿部純子さん、ロデオン・ガリュチェンコさんなど。というかわたしはイッセー尾形さんが出てると観ますね。

 日露戦争の頃、松山に設けられたロシア捕虜収容所で、ロシア兵捕虜・ソローキン少尉と日本人看護婦・ゆいが恋に落ち――という実話をもとにしたラジオドラマの実写映画化とのこと。戦後生まれなせいか第二次世界大戦、太平洋戦争に関する物語の方はいくつも触れましたが、よく考えたら日露戦争ものはあまり知らなかったので、なんだか新鮮でした。日露戦争において日本は戦勝国ですから、そのあたりの雰囲気はやっぱり違うようです。

 敵対していたはずの二人が、唐突に相思相愛になったように感じられてついていけない感じもなくはなかったのですが、そういうふうに気持ちが盛り上がることも男と女にはきっとあるのでしょう。
 なんとなく予告編などから勝手に想像していた流れとは違ってきて、「あ、こういう方向に行き着くのか」という驚きがあり、驚きと共に変にほっとしたりもしていました。そうして、自分の心より国とか社会とか家とか人とかを優先するような話をわたしは好ましく思う傾向にある、と再確認したのでした。
 桜が美しかったです。
 
  公式サイト→https://sorokin-movie.com/

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先日は甥っ子の四歳の誕生日だったので、タンバリンを送りました。妹からお礼の電話が来て、「喜んでる?」と聞くまでもなく、受話器向こうからシャンシャンパンパンと音が聴こえてきます。

 わたしは人を呼び捨てにすることが苦手なので、妹と弟しか呼び捨てで呼んだことがなかったのですが、甥っ子のことは自然に最初から呼び捨てで呼んでいました。甥っ子は妹や妹の旦那さんにはニックネームで呼ばれているし、母や他の親戚、周囲の人からは君・ちゃん付けで呼ばれているようだし、わたしにしか呼び捨てで呼ばれていないような気がしています。

 少し前、野球の応援歌の歌詞の「おまえ」が不適切だと自粛のニュースがありました。繊細過ぎやしないかなあ、と思いながらも、よくよく考えたらわたしも人に「おまえ」なんて呼ばれるのは気分が悪いし、同じように感じる野球選手がいるのも当然なのかもしれません。野球選手なんだから、男性なんだからそれくらい、なんていうのは今の時代ではきっと差別やハラスメントにあたるのでしょう。
 わたしが「おまえ」と呼ばれても気にならないのは、昔からそう呼ぶのが当たり前になっている親や祖母、地元の地域の目上の人くらいです。地元は母世代だと女性でも「おれ」と言うような荒っぽい方言なので気にならないのかもしれません。そういうところで育っているせいか、わたしも妹や弟、犬だけは「おまえ」と呼んでいました。自分の普段の言葉からは出て来ない単語なので、たった3件とはいえわたしが「おまえ」と言うなんて、と今さら自分でびっくりしてしまって不思議なのですが、沁み込んだ方言は勝手に出てしまうのでどうしようもないのでした。
 甥っ子のことも「おまえ」と自然に呼んでいました。妹や甥っ子は関東方面に居るので地元ではないし、年に1回会うか会わないかぐらいですが、身内の目下の者だと認識しているのか、もしかしたら犬のように思っているのでは、と自分の深層心理も興味深いです。尤も、関東で今の時代を生きる甥っ子からしたら「失礼なおばちゃんだなあ」と思われるかもしれません。

 甥っ子が電話口に出て「ありがとう」と言いました。と、いうより言わせられている気配もするのですが、続けて「気に入った」とも言いました。「気に入った」なんていう言い回しを、四歳児がするかなあと首を傾げたくなりましたが、ちょっとおもしろかったのでそれはそれで素直に受け取ることにします。

  恋人を「おまえ」って呼ぶ女子高生と二〇時のバス停に列なる

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7月になってしまいましたが5月号を読みます。敬称略です。

 「子を産みていません」呆けたる母が一度言いけり忘れていいいのに  小島さちえ
 
 産んだことを忘れる歌は割とありそうな気がするのですが、産んでいないとことを覚えているのは初めてみました。他の歌から養子だということが明かされていますが、「義母」ではなく「母」という言葉選びが一読して困惑を招きつつ、それも含めて良いと思いました。

  けふあたり蝋梅の咲く縁に出で友は開かむわたしの文を  西山千鶴子
 
 書く時、ポストに入れる時に、届いた頃という少し未来の相手を思えるのが手紙のすてきなところだと常々感じているのですが、この歌を読んであらためて再確認させられました。相手の暮らす地域で蝋梅の咲く頃に届くように送られたのでしょうね。

  寄る辺なくわが庭に降りし雪ならむ寄る辺なき雪スコップに寄す  加藤和子 

 雪国の歌。「寄る辺なく」「寄る辺なき」のリフレインに、降り続き積み重なる雪の重みが伝わります。「スコップ」のカタカナも、スコップの硬さ、片付けられた雪の状態と合っているようです。

  孫がありてよかりしと思う家中が明るくなれりありがたきなり  須藤冨美子

 孫効果、みたいな詠いぶりがちょっとおもしろい。結句は感謝というより、崇め奉っているような印象です。孫という全存在そのものへの圧倒的な肯定感。

  身の内にいつも尻尾を揺りたがる犬のいること知られたくない  王生令子

 犬は尻尾で感情を表すといわれています。素直な犬のような自分の心は律して、私より公の立場を大事にしているということでしょうか。自制ということをこういうふうに表現できるんだなと思いました。

  何をしても平成最後と思いおり明日あることを疑わずいて  相馬好子

 平成最後、平成最後と何かにつけて謳われている時、確かに明日地球が滅亡するかもしれないとか、明日病に襲われ倒れるかもしれないとか考えたりしないのでした。世の中の浮かれモードへの違和感が鋭く詠われています。

  おまえのことを祈ったのだとは言わねどもおまえのことを祈っていたり  荒井直子
 
 風炎集「釘抜地蔵」から。お嬢様とお参りの一連ですが、「おまえ」がお嬢様だとわからなくても、読者が自分の大切な相手を重ねても、または「おまえ」に自分を重ねて読んでもいいのかもしれません。「おまえ」という二人称にもなんだか泣きたくなるのでした。

  神功皇后が舟を繋ぎしという岩を散歩の折り返し点と出でゆく  荒堀治雄

 神がかりの伝説の岩が、日常の生活に溶け込んでしまっています。かつてお札にもなって崇められていながら今となっては実在が疑われている神功皇后と、散歩というごく個人的な日常の取り合わせになんともいえない味わいがあります。

  病も体の一部俺だ俺そのものだ よろしく元旦  久長幸次郎 

 なんだかすごい破調で、それだけに率直に気持ちが伝わってくるようです。「よろしく元旦」という結句、しかも一字空けて、なかなかこんなふうには詠えない。なんという清々しさでしょう。

  ただただ生きてきたよという告白を同窓会で繰り返したり  永久保英敏

 「ただただ生きてきた」ということが報告でもつぶやきでもなく「告白」だということに、その破調も相まってただならぬものを感じます。しかも繰り返すとは。しかも同窓会という同年齢の集まりで。この歌では多くを語っていないからこそ、かえって伝わってくるものがあります。

  大声で気もちがいいと言ってから本当にそんな気もちになる日  松岡明香

 アファメーションの歌。「大声で」がとても良いです。実際に大声で「気持ちがいい」と言っている姿を思うとなかなかシュールですが、それもまた良いのでしょう。もともと気持ちが良かったらこういう行動には出ない、というせつなさも感じるのでした。

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山形に18年暮らして災害という災害に遭ったことがなく、山形を離れてからもなかったので、昨日の地震にびっくりしています。休みを取って16日の日曜日から帰省していて、昼過ぎに戻ってきたところでした。
 わたしの自宅アパートも結構揺れたので、東日本大震災の余震かと最初は思いました。テレビで震源が山形とわかって、臨時ニュースに切り替わった画面が津波警報を流していたけれど、「あ、大丈夫だ」と思いました。実家に電話をかけようとも思いましたが、混み合って繋がらないだろうし、夜なので実家でも寝ていると思い、わたしも眠ってしまいました。宵っ張りのわたしにはめずらしく眠かったのです。
 「大丈夫」って、なにが大丈夫なんだろうか、と今日になって思い直しました。実家は山形でも内陸なので津波の心配はあまりありません。そして山形には原発もありません。だから、寝ぼけた頭では大丈夫だと判断しました。津波と原発がないから大丈夫だなんて、そんなことはないのに、地震は揺れこそが被害なのに、すっかり忘れていました。忘れていたことが、少しこわくなりました。

 16日は帰省ついでに、上山市の斎藤茂吉記念館に行ってきました。地元とはいえ、実家とは反対方向なので今まで行ったことがなかったのです。やっぱり茂吉記念館前駅で降りたいと思い、電車で行きました。
 とっても楽しかったです。直筆原稿の字がかわいい。茂吉肉声の短歌朗詠のなんともいえない味わい。映像展示室はわたししかいなくて一人で茂吉の全生涯18分の映像をみました。書画の展示では茂吉の資生堂の水彩絵具を初めてみました。資生堂で絵具を作っていたことも初めて知りました。8月31日までの特別展は「斎藤茂吉と平福百穂」でアララギ叢書の装丁・挿絵などとてもよかったですが、次回の斎藤輝子の企画がものすごく気になります。
 歌集『小園』と茂吉短歌かるたを買いました。みゆき公園の緑がきれいな時期でした。


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市原悦子さんの追悼上映で『しゃぼん玉』を観てきていました。出演は林遣都さん、藤井美菜さん、相島一之さん、綿引勝彦さん。監督は東伸児さん。乃南アサさんの原作は未読です。

 罪を犯したチンピラが、逃亡先でおばあちゃんに拾われて田舎生活を送っているうちに更生してゆく話。現代ものですが、ファンタジーだ!と思いました。人情ものの時代劇にはこういう罪人を匿う話は定番な気はするのですが、現代ものだと「そんなにうまくいくものかなあ」と気になってしまします。でも、市原悦子さんなので、こういう現実から迷い込んで辿り着いた桃源郷的な感じにも納得させられるのかもしれないとも思いました。それこそ昔話のおばあちゃんみたいで。市原さんの声だけで泣けてしまうくらいです。

 景色がとってもきれいでした。山とか畑とか私の好きな日本の光景がいっぱいで、もしかしたらステレオタイプなふるさとなのかもしれないけれど、実際にこういう村はあるということが思われました。地域のお祭りも大切に描かれていて、行ってみたくなりました。
 そして、スマさんの飼っている犬がわたしの実家で飼っている犬に似ていてかわいい。田舎の一軒家に外飼いの犬がいるというのがいいです。
 
 秦基博さんの主題歌はとてもすてきなのですが、この流れで聴くと林遣都さんと市原悦子さんのラブストーリーみたいでなんとも不思議な後味でした。

  公式サイト→http://www.shabondama.jp/

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6月1日、2日は東北集会に行ってきました。北上市の現代詩歌文学館は8年ぶりくらいの2回目です。あの時、館内のカフェの有効期限なしの割引カードを発行してもらっていたけれども、すっかり別のお店に変わっていました。でも、当時は内心ここにまた来るなんて思ってもいなくて、こうしてまた来たことが不思議です。記念に取っておきましょう。









 帰りの駅で小さなイベントがあり、笙とキーボードでジャズの演奏をしていました。笙で聴く「What a Wonderful World」はとってもかっこよくて、あたたかな気持ちになりました。その足で、映画『主戦場』を観に行きました。

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職場に置いてある新聞を、休憩時間に読んでいます。河北新報では連日のように旧優生保護法訴訟の記事が掲載されています。5月25日、26日分では、仙台地裁の国家賠償請求訴訟の原告の一人である70代女性が「奪われた人生は戻ってこない。せめて裁判所は国の責任を認め、手術に関わった全員に謝ってほしい。それだけなんです」と訴えていました。
 女性は福祉施設にいた16歳の時に職親と民生委員から不妊手術を強いられたとのことでした。結婚は3回、いずれも夫側が去ってゆきましたが、子を産めない引け目もあり引き留めることはできず「友達の家には子どもや孫がいて。にぎやかな家庭をうらやましく思う。国は早く謝罪してほしい」と切実な思いを語っていました。

 一年半ほど前、話を聞いてほしいと知人に呼び出されたことがありました。婚活でマッチングした相手のきょうだいに障がいがあり、親に交際を反対されたのだと泣かれました。
 知人の幸せを考えれば親御さんが良く思わないのは尤もだし、わざわざ苦労する人を選ぶことないと思う。というわたしの意見に知人は不満げでしたが、結局それからしばらくしてみれば、あの人は収入が低かったから、と笑って別の相手を見つけているのでした。

 河北新報の連載「うたの泉」5月28日分では、梅内美華子さんにより宮川聖子さんの歌が3首紹介されていました。

  「二人でも家族なりけり」立て札に書かれてあった不妊の頂上になれない
  待ち合いの一方を向く顔顔顔産みます産みたい産めぬが座る
  せいちゃんの子どもになりたいっていう君よなりたいってすぐママになれない

 婦人科の待合室には、不正出血が続くために診察してもらうも「異常ありません、ストレスが原因でしょう」と診断される、仕事でパワハラに遭っていた頃のわたしのような一人暮らしの独身女性も座っていたりしますが、不妊治療をしている人の目には映らないのかもしれません。婦人科でなくとも、街中でも、彼女達が追ってしまうのは幸せそうな親子連れなのではないでしょうか。と、いうのは産みたがっていた人から実際に聞いたことでもあります。

 一人暮らしも気がつけば20年目になりました。弟がいなかったら人生が変わっていたような気もするし、あんまり変わっていなかったような気もします。そのあたりは今さら考えてもどうにかなるわけじゃないし、仕方のないことというのは多少の事情の違いはあれど誰でも何かしら抱えているものでしょう。
 ベランダの鉢に植えたキャベツの芯は、花が咲き終えた跡にさやがぷくりとできました。もう少ししたらもっとふくらんで種が取れるのでしょう。その種を土に植えたら芽が出てキャベツが育つのでしょう。こんなふうにキャベツの命が繋がれてゆくということを、これまで生きてきて初めて知りました。

  心病むおとうとを持つ姉であることをいつまで黙っていよう

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『愛がなんだ』を観てきていました。監督は今泉力哉さん、出演は岸井ゆきのさん、成田凌さん、深川麻衣さん、若葉達也さん、江口のりこさんなど。角田光代さんの原作は未読ですが、角田さんなら見ておこうかなというような信頼感のようなものがあります。

 テルコは結婚式で出会ったマモちゃんを好きになり、マモちゃん一色の都合のいい女になってしまうのですが、それでもどうしようもなく好きなのでした、という話。
 前に見た『チワワちゃん』に続き成田凌さんがクズ男なのですが、そういう役の御用達俳優さんなのでしょうか、たまたまでしょうか。こっちは劇中でちゃんとクズ扱いされているので、その点はすっきりです。なんでこんな不誠実な人がそんなに好きなのか、「理屈じゃない」のでしょうけれど。洗脳とか、宗教とか、そんな感じに似ているのだろうなあ。マモちゃんがもっと魅力的ならば切ない片思いの話なのかもしれないけれど、しょーもない男の人だということがこの物語のキモなのだとも思います。愛って、ほんとうになんなのでしょうね。
 
  公式サイト→http://aigananda.com/

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次の号が届く前に読み終わりたいと思う今日この頃です。敬称略です。

  二の段を暗誦する声近づきて二八十六で擦れちがいたり  林田幸子

 そのままの歌なのだと思うのですが、こういう、何気ない瞬間に立ち止まれる感性に憧れるのでした。すごく好きな感じの歌です。

  もう絵など画きはしないのにターナーの水彩絵具を送りくる娘よ  近藤桂子
 絵具を送るというのがすてき。また絵を描いてほしいという気持ちがあるのでしょう。水彩の透明感や、メーカーのこだわりにも人柄が感じられるようです。

  腹話術するから見てという子ども真顔でこんにちは繰りかえす  宇梶晶子

 確かに、人形ではなく腹話術するお子さんを見ればこんな感じ。お子さんもまさか自分の方を見られているとは思っていないんじゃないでしょうか。おもしろい歌なのですが、どこか切なさも感じられます。

  真昼間のカーラジオより流れ出す主婦Aさんの夫への愚痴  竹井佐知子

 込み入った愚痴などは親しい友人に吐き出すのより、匿名で他人に話す方が楽だというのはわかりますが、それが真昼間にコンテンツとして一般に消費されるという奇妙さ。確かに「テレフォン人生相談」などは妙におもしろいのだけど。

  川の字に赤子はさみて眠りしと仲直りしたらし娘からの電話  白波瀬弘子

 夫婦げんかや寝室事情はごくプライベートなことだと思うのですが、電話で報告があるという母子間の距離感の近さに衝撃を受けました。歌となってこうして他人に広がってゆくことにも。仲の良いご家族で何よりです。

  年賀状出しに来たる子四人ゐてポストより背の高き子一人  森尾みづな

 年賀状が少ないという歌が多かった中で、年賀状文化が子供たちに息づいているのがほほ笑ましいです。ポストとの比較で子供達の年代がわかるのも上手いと思いました。

  人生が変はりそうだよあたらしきメガネに夫のほれぼれと言ふ  森永絹子

 メガネが変わっただけでこの賞賛ぶり。よっぽどすごいメガネなのか。というより、旦那様のキャラクター性。朗らかで楽しい歌です。

  搗き立ての餅ちぎるのが上手かった大祖母さんがまた話にのぼる  井木範子

 お正月など親類で餅を食べる機会の度に大祖母さんのエピソードが話にのぼり、これからも伝説のように語り継がれてゆくのでしょうか。それはとてもすてきなことのように思います。餅、というささやかさもすごく良くて。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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