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川が好き。山も好き。
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今年も、叔母から梨の届く季節となりました。叔母は東京の郊外で梨農家をしています。仕事中に入った叔母からの留守電に、仕事が終わった後で折り返しの電話をかけました。受け取り出来る日はいつか、コロナで山形に帰れないねなんて話をしていたところ、叔母の旦那さんが代わりたいと言って電話に出てきました。

 遠方なこともあり、叔母の旦那さんのおじさんとはあまり会ったり話したりしたことがありません。なんだろう、と少し身構えてしまいましたが、元気? がんばろうね、といった当り障りのない挨拶でした。それにしても妙にご機嫌です。酔っぱらってるのかな、なんだか子供に話してるみたいな声色だな、と思いました。
 おじさんはわたしや叔母と違って元から東京の人ですから、東京のイントネーションが甘ったるく聴こえるのだろうか、と考えて、もしかしたらおじさんの中でわたしは初めて会った時の小学生の頃の印象で止まっているのでは、と思い当たりました。というか、わたしの中でおじさんが初めて会った時の40代前半ぐらいの印象で止まっているのです。

 今おじさんはいくつになっているでしょうか。東京のおじさんというより、もはや東京のおじいさんだし、わたしもおばさんなのでした。
 
  あれはどこのじいさんと思えば父なりき畑で鍬を振るうすがたの  『にず』

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新型コロナウイルスのためにしばらく再放送だった朝ドラ「エール」の、本放送が再開しました。ここ数日は遅番なのをいいことに寝ぼけているので話半分ですが、主人公の裕一の家に、弟子になりたいという人が通い詰めていました。断られても断られてもめげずに「弟子にしてください!」と掛け合い続けるのを、おそろしく思いながら二度寝しました。

 相手が困っているのに自分の気持ちを押し通そうとするなんて、無理。わたしには絶対にできない。そもそも、人に頼みごとをすることすらわたしは不得意で、迷惑をかけないだろうか、嫌がられないだろうか、お礼に何をしたらいいか、いちいち気にして心労を伴うのです。自分の頼みごとによって相手の時間を奪ってしまうのも申し訳なく、自分でやってしまうというのもめずらしくありません。気兼ねなく頼めるのは「そこのしょうゆ取って」ぐらいではないかという気がしています。自分が何か頼まれる分には、「了解でーす☆」ぐらいのノリで引き受けることがほとんどなのに、なんだって逆となるとこんなにくるしいのでしょうか。
 人を信用していない――というより、自分のような者の依頼が快く受け止めてもらえるという状況を想像できない、自分に対しての不信なのかもしれないなあと思ったりするのでした。今の仕事は誰にも何も指示をしなくてもいい下っ端の立場であるということに救われていますが、「今日の歌会記書いてもらっていいですか」とか役割的に頼みごとをする機会は日々訪れます。
 
 根負けして、裕一は弟子入り志願の人を住み込みで受け入れていました。わたしみたいにあれこれ気にしてぐだぐだするより、誰にどう思われようが自分の気持ちで突き進むことのできる人の方が人生も拓けてゆくのでしょう。その真っすぐな人柄も愛されてゆくのでしょう。志村けんだっていかりや長介の家に通い詰めたといいます。ドラマの中だけでなく、実話でもよく聞く話です。
 わたしにはそんなに何かを強く願うことがあっただろうか、とぼんやりしながら、「エール」の背景にちらちら映るこけしが気になっているのでした。

  さわっても抱いても濃厚接触にならぬこけしの微笑むばかり

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・現代短歌新聞9月号
書評「読みましたか?この一冊」、所功編著『昭和天皇の大御歌』について書きました。また、コスモスの斉藤梢さんに歌集『にず』の書評もご執筆いただきました。ありがたいです。


・塔短歌会・東北『3299日目 東日本大震災から九年を詠む』¥600
A5判53ページ、塔の東北に関わる面々で、東日本大震災とその後の日々の歌を年に一冊発行しています。10冊目にあたる今回は19名参加、「短歌以外の〈表現〉」というエッセイ企画もあります。
震災から九年、さまざまな立場からさまざまな現実、それぞれの思いがあります。
収益は、被災した子ども達のために活動する団体に寄付されます。
boothという通販サイトからお求めいただけます。
https://booth.pm/ja/items/2226200 


・歌集『にず』¥2000(税抜き)
お求めについては、わたし宛てにメール、
tomomita★sage.ocn.ne.jp  (★を@に変えてお送りください。)

または版元の現代短歌社まで。
https://gendaitanka.thebase.in/items/31597510

大阪・蔦屋書店、東京・ジュンク堂池袋本店、新宿紀伊國屋書店、大阪・葉ね文庫でもお取り扱いいただいているようです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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9月に入ってしまいましたが、塔7月号を読みましょう。塔短歌会賞・塔新人賞発表なので、それぞれ一首ずつ。仕事でオンライン受賞式に参加できなかったのが悔やまれます。おめでとうございました! 敬称略です。

  コロナにてどこにも行けぬ今日は嗚呼わが誕生日夫よ米を炊け  落合けい子

 「嗚呼」という嘆きも位置もおもしろいし、「夫よ」という呼びかけも結句の命令形もおもしろくて、切実さが伝わる文体ながら、米を炊くだけでいいのかなあという慎ましさも不思議な味わい。

  吾家にもいつか来るとふ二ひらの白きマスクを思ひて眠る  酒井久美子

 マスクの単位として「二ひら」という表現にとても惹かれました。白い色も、実際に白いのだけど、歌の雰囲気に合っていると思いました。こんなふうにマスクを待てる心にも胸を打たれるものがあります。

  わが母は義母の、義母はわが母の病気の話をいきいきと聴く  山下裕美 

 人間くささに笑ってしまうのですが、母/義母は婚姻関係の子を挟まなければ全くの他人な分、貼り合ったり複雑な感情も芽生えるのでしょうか。わたしの母方の祖母も父方の祖母を悪く言うときいきいきしてました。

  ジオラマの四角の町にかかる橋赤くて冬がとても小さい  川上まなみ 

 ジオラマの町の橋に注目する視線がよくて、雪の白や抑えた色彩の冬の町に、橋の赤さが際立ちます。ジオラマの小さな町を見ながら、「冬が」という主語もいいなと思いました。

  わら半紙の文集ひらけば憧れのように死をいう少女のわれは  数又みはる

 死に憧れる時期というのがわかる、というかだいたいその頃って変に自分に酔っていて黒歴史になりがちだと思うのですが、こうして歌にできるほどの月日の経過を感じさせます。「わら半紙」という具体も懐かしい。

  下りられず三階窓より手を振れり母は額をガラスにつけて  江原幹子

 額をガラスにつけているというお母様の切羽詰まった姿がせつない。読み進めるほどにせつなさの増してゆく語順。三階だから表情が見えないのでしょうけれど、かえって動作が際立ちます。

  春といふやさしきもののかたちしてましろき蕪の売られてゐたり  千葉優作

 スーパーより八百屋という気がする、というかわたしが八百屋で蕪を見つけると買ってしまうからかもしれないのだけど、確かにこんなふうに蕪は見えるのです。ひらがなの丸っこさが蕪の形を思わせていいなと思いました。

  生きてゐればいいこともある負動産が県道拡幅、札束となり  河野純子

 定番の励ましのフレーズと思いきや、下の句の生々しい展開に笑ってしまうものがあります。「負動産」のやりすぎ感や、読点からの「札束」のダメ押しも清々しい。

  家や車をシェアするように肉体も君と私でひとつでいいのに  大井亜希

 こういう気持ちをわたしは抱かないので、こんなふうに真っすぐに詠われる歌に出会うとたじろいでしまうと共に、自分の心の有りようを省みさせられます。「ひとつで」は「ひとつが」よりももどかしい感じがします。

  タガラシの黄に咲き咲かる堤防をシルバーカー押し夫と歩みぬ  西村千恵子

 「シルバーカー押し」にぐっときました。夫が側にいますが、自分で歩く、という意思を感じます。野の花の「タガラシ」も良くて。サ行の音がさわやかで気持ちのいい歌です。


  プリン状の魚は魚のかたちなりお魚ですよと言いて救いぬ  塔新人賞受賞作「紙箱」吉田典

 福祉施設で働いていたことがあるので、個人的な懐かしさや共感もありつつ、静かな詠いぶりが印象的な一連でした。特にこの歌は、まさに魚をプリン状にして形づける仕事をしていたので、自己満足に過ぎなかったことを思い知らされました。


  ネジCが別の説明書の中でネジEとして使われている  塔短歌会賞「ネジCとネジE」近江瞬 

 この一首単体でもシニカルでおもしろいのですが、連作の中で読むとより深く考えさせられるものがありました。都合のいいように扱われるネジは、自分自身でもあるのでしょう。

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職場のドレスコードが厳しくないことをよいことに、普段はスニーカーなど歩きやすい靴を履いていますが、仕事の面談があったので、ビジネス仕様のパンプスを久しぶりに履きました。
 自宅から駅まで徒歩15分、駅に着く前に靴擦れが発症しました。右足のかかとの上の方、小指の外側、親指の下。炎症を起こす場所なんてだいたい決まっているのに、油断していました。歩く度、擦れて痛く、水ぶくれが広がってゆきます。まだ自宅を出てたった数分なのに、地下鉄を降りてからも15分歩かなきゃいけないのに。
 よたよたと歩き、一息吐けたところで絆創膏を貼りました。少し楽になりました。でも、靴を履く前に貼っておけばもっとよかったのです。とはいっても、確かに靴擦れを起こしやすい靴とはいえ、大丈夫な時もあるし、その時は大丈夫でも後になって不調が出てくるときもあるのだから、人の体は不思議です。

 わたしは自分の私生活の鬱憤を晴らすために鍋を作業台にバンバン叩きつけている、と、昔の仕事の上司に怒られたことがありました。わたしは鍋を叩きつけたりなんてしていないし、私生活の鬱憤晴らしというのも思い当たるふしがないので、していませんと言ったのですが、信じてもらえませんでした。「見たんですか?」と聞きましたが、「見なくてもわかる」と怒鳴られました。そのような、意味のわからないことで呼び出されては怒られていた日々がありました。
 週3回働くパートさんが、何か上司に吹き込んでいたのでした。どうして上司がパートさんの言うことのみ妄信するのかもよくわかりませんでしたが、自分にはそのパートさんのように信用してもらえる魅力がないのだと思いました。
 わたしはパートさんに指示をする立場にありましたが、腰の低い丁寧な言い方を心がけていたし、何かミスがあって注意をする時でも声を荒げたりしたことはなく、できるだけ自分の失敗談も交えながら理由を説明するようにしていました。その前の職場では、優しいと言われたこともありました。けれども、自分が思っているような自分ではなかったのでしょう。わたしの態度にパートさんは傷ついて、何度も上司に訴えていました。

「何か困っていることはないですか?」と聞かれて、「特にないです。最近、机がソーシャルディスタンス仕様になったのが快適です」と答えて、思いのほか早くにこやかに面談は終わりました。実際、今の仕事で特に困ったことはないのです。
 面談をした中には30分も1時間も不満を訴えた人もいたようです。同じ場所にいて同じ人と関わっていても、感じ方や見えているものが違うのかもしれません。
 人によって受け取り方が違っていても、自分も含め当人にとってはそれが事実なのでしょうし、人の心はそれぞれですから、どれが正解というものでもないでしょう。今の職種でクレーム対応をすることもあって、傷ついた、傷ついたと申し立てる人の強さを、この頃は思います。

  パンプスを履く前に貼るばんそうこう傷つく前に貼るばんそうこう 『にず』

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帰省できるかな、と思い有給を使ってお盆に3連休を取っていましたが、自粛ムードが強くなってきたので、あきらめて自宅で過ごしました。祖母の通っているデイサービスでも、家族が帰省してくる場合は書類の提出が必要だったりちょっとめんどうになってきたのです。祖母も93歳なので、会えるうちに会えるだけ会っておきたいですが、こういう世の中なので仕方ないです。リモート帰省とかもできればいいのかなあと思うのですが、わたしも実家も最新技術に疎くてままならず。
 どんどん時代に取り残されている気もしてきますが、ハガキや手紙などのアナログ通信も楽しい今日この頃。いろいろ落ち着いたら手紙もこれから書いてゆきたいし、新しいことも覚えていろんなことができたらいいなあと思います。
 
 連日の真夏日で、ベランダの鉢に毎日何度も水遣りをしています。気がつくと土がからからで、葉がしょぼしょぼしています。植物も命なのだと実感させられます。命を預かっているのだ、わたしは。
 土や葉はからからですが、わたしは汗だくです。人の体から、特に背中からどうしてこんなに水が出てくるのかほんとうに不思議。いい加減にエアコンを買うべきなのですが、あと少し我慢すればこの暑さも終わるのだ、と毎年やり過ごしてしまいます。 
 米を炊こうか、素麺を茹でようか、と悩んで素麺を茹でる夏の日々です。

  素麺を茹でる速さで夏は過ぎ少し老いたるわたしが残る  『にず』

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『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』を観てきていました。監督・撮影はNHKカメラマン・百崎満晴さん。NHKのドキュメンタリーシリーズの映画化とのことですが、わたしはまったくの初見でした。
「花を咲かせてふるさとを山に還したい」というコピーは、小林ムツさんの言葉でした。秩父の山中で、老い支度として夫の公一さんと共に畑を閉じてゆくムツさん。いつか人が山に戻ってきたときに喜んでもらえるように花を植える、という心遣いに胸を打たれます。また、この集落で唯一農業で生計を立ててているという武さんにも信念のようなものを感じました。
 ムツさんなど集落の人達のスローライフな暮らしや色とりどりの美しい自然にあたたかな気持ちになりますが、それだけではない現実を16年という月日の経過に突きつけられます。見終えて思ったのは、この映画の主役は山、この土地だということでした。

 映画を観ながら、地元の集落のことを考えていました。わたしの実家も、もうずいぶん前に山中のタバコ畑を閉じて杉の木を植えました。隣の家では養蚕をやっていましたが、蚕小屋はもうありません。子供の頃にわたしも巫女さん役をした地域のお祭りも無くなりました。少しずつ少しずつ、ふるさとは小さくなっています。
 わたしの番が来たら、わたしも花を植えたいと思いました。土地だけでなくとも、人生に花のような、強くてきれいなものを残していけたらいいと思いました。

  公式サイト→https://hana-ato.jp/

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最上川はわたしの町を君の町を流れゆく川 赤い橋見ゆ  『にず』

 と、詠んだ赤い橋あたりが先日の豪雨で氾濫したらしく、動揺しておりました。幸い実家は無事でしたし、この災害で犠牲者も出なかったようなので何よりです。とはいえ、浸水した家屋も結構あるようですし、農作物の被害も心配です、稲刈り前だし。
 こうした時期ですのでボランティアも町内の者のみの受付ということで、なにもできないのが歯がゆいですが、落ち着いたら肉中華を食べたりして地元にお金落としたいです。というか普通に今の時期食べたいです、肉中華。

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7月15日の大安吉日に、第一歌集『にず』を上梓しました。
402首収録、装幀は花山周子さん、栞文は八雁の阿木津英さん、塔の松村正直さん、まひる野の北山あさひさんに書いていただきました。
お求めについては、メールにてご連絡いただければ折り返しご案内いたします。
本体2000円、送料はこちらで負担します。
tomomita★sage.ocn.ne.jp  (★を@に変えてお送りください。)

または版元の現代短歌社まで。
オンラインショップでもご購入いただけます。
https://gendaitanka.thebase.in/items/31597510
どうぞよろしくお願いいたします!


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塔6月号を読みましょう。敬称略です。3月20日〆切分、世の中がざわざわしてきて、テレワークが始まったり学校がお休みになった頃でしょうか。

  いのししが四頭捕れて一頭を丸焼きにしようと誘いの電話  小島さちえ

 豪快さに惹かれました。野性的な歌なのに、結句で「電話」という文明の利器がでてくるのもおもしろいです。残りの三頭はどうしたのでしょう、気になります。

  思ふほど夫は不自由してをらずやきそばの残りが冷蔵庫にある  豊島ゆきこ

 作者の入院の一連から。自分がいないことに困っていればよかったのに、というようなガッカリ感を感じるのは、2首目の「この世からこぼれてしまつた媼たち」という言葉のせいでしょうか。冷蔵庫で冷えた焼きそばが寂しい。

  逝きし子が幾度か入浴せしという銭湯の前を散歩してみる  石飛誠一

 わが子を悼む歌で「銭湯」というのが珍しいと思いました。側を通るだけで、湯に浸かったりはしないのでしょうか。まだ追体験はできない、といった心情なのかもしれません。

  ずっと死にたかったのですと言いながらホットケーキを注文しおり  中山悦子

 思いつめたような吐露の内容と、「ホットケーキ」の取り合わせ。ですます調も関係性なのかキャラクター性なのか想像がふくらみます。ホットケーキなだけに。

  家を出し子の帰らぬに母ひとり雛飾りたり雛納めたり  加藤宙

 「帰らぬ子」なので、独立したというよりは家出や失踪のような印象です。下の句の畳みかけが、形式的な行事のようでもあり、いつまでも飾っていて嫁に行き遅れないようにという祈りのようでもあり。

  おかえりといつでも言うよ長崎の港に戻る船に向かいて  寺田裕子

 一首で読むと気持ちのいい港町の歌で、もちろんそう読んでも良い歌ですが、前の歌からこの「船」は長崎で作られたダイヤモンド・プリンセス号のようです。曰くの付いた船に対して、上の句の口語がとても優しくあたたかい。

  『文芸くにとみ』二百余冊に正誤表挟み届ける小寒の朝  別府紘

 なんといっても『文芸くにとみ』の冊子名の味わい。「二百余冊」という数字も絶妙に自分で頑張れそうな冊数です。正誤表挟みという面倒で事務的な作業もこうして歌になるのだなあ。

  水筒に残ったお茶を飲み干して今日という日が今日また終わる  紫野春

 明日また新しいお茶を入れるために、残りを飲み干すのでしょう。今日一日仕事や何かの活動に伴った水筒の残ったお茶、というのが一日を終えての余力や気持ちのようで象徴的です。

  郵便局までの冒険終えしのち子は眠りたり我も眠れり  魚谷真梨子

 塔の月詠を出しに(?)郵便局まで、という何気ない移動を冒険と呼ぶのが楽しい。お子さんにとって未知の冒険なのでしょうし、子を伴って郵便局に行くということもお母さんの冒険なのでしょう。

  管理者の木札各々つけられて石川川に河津桜咲く  村上春枝

 花の季節、大切に管理された桜に木札が付けられている光景は誇らしいものでしょう。桜守はとても難しく専門的な仕事のようなので、込める思いも並々ならぬはず。それにしても「石川川」という川の名前。

  叶っても夢の向こうに生活はありて学費はコンビニ払い  仲町六絵

 夢が叶ったからこそ見えてくる現実もありましょう。「コンビニ払い」がなんとも世知辛い。きっちり定型に収まっているのが歌の内容に合っていていいと思いました。

  引き算をして生きてゆく感動を伝へる会を退会したり  澤﨑光子

 「感動」まで行く仰々しさをセミナーのように読みましたが、断捨離や最近話題のミニマリストなども浮かびます。四句目まで続くまわりくどい会の名前からの結句の「退会」という構成にすっきり感を感じました。

  銀山のパン屋でカヌレを一つ買いカヌレを二つ買う人を待つ  丸山恵子 

 銀山温泉だろうか。相手が大食いということなのだろうか。会計待ちか、待ち合わせだろうか。「人」というのは他人っぽいので友達ではないのだろうか。読めそうで読みきれないのですが、声に出して読むとなんとも楽しい響きです。


 歌会記を注目して読みました。外出の自粛の中、ネット歌会、詠草集配布、お手紙歌会、紙上歌会、メール歌会など各地で工夫して楽しそうです。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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