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川が好き。山も好き。
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ステイ・ホーム!ということで20首読みましょう。敬称略です。

  点滴をうけゐる向う空があり好きな形の雲とどまらず  岩野伸子 

 点滴中に窓の向こうの空をながめていたら雲が流れていた、というそのままの内容だと思いますが、なにか暗示的な下の句に惹かれました。静かな時間が感じられます。

  鎖骨のうえあたりをゆらゆらするお湯がやわらかいネックレスのようだ  上澄眠

 入浴中のこんな何気ない瞬間が歌になるのだ、と思いました。おもしろい気づきで、ひらがな多めの表記がとても合っています。

  つぎつぎにバナナを食べるようになり少し遠くへ父は行きたり  高橋武司 

 食の趣味が変わって別人のような遠い存在になったということなのかなあ。歌意はうまく汲み取れないのですが、バナナの具体が何か良くて妙に気になる歌です。

  飛び跳ねるのみの一人あり障害者ふれあいステージの端っこにして  橋本英憲 

  「障害者ふれあいステージ」という言葉にまず驚きました。どういう立場の人が考えたのでしょう。ショーのタイトル含め事実のみの抑えた描写がよくて、いろいろ考えさせられます。

  雪のうへ雨降るやうな疲れなり椅子に凭れてしばらくをあり  國守久美子

 おもしろい比喩だと思いました。積もった雪の上にぶすぶす雨の穴の開いてゆくあの感じ。雪から雨に変わったのは気温が上がったからだと思いますが、それでも何かが降るという鬱屈感。

  七拾九才最後のこの朝を二カップ半のつや姫を研ぐ  左近田榮懿子

 区切りとなる大切な一日も朝に米を研ぐことから始まるのです。二カップ半という細やかさにも実感があります。そして山形の農民として、「つや姫」を選んでくれたことがありがたく思います。

  出てゆきし子の部屋をいま書斎としシクラメンなど飾っていたり  松塚みぎわ

 シクラメンを飾るところまで詠ったのがいいなあと思いました。部屋の主の交代が決定的になったと感じるし、子の代わりに花を置いているようでもあります。

  パレードを見に行く人を馬鹿にしてこころ安らぐ安らがねども  相原かろ

 屈折した内容が清々しいほど率直に詠われています。言ったそばから打ち消す下の句に人間味があり、なにが仰々しい文語体にもおかしみを感じました。
 
  式挙げておらねば妻の紹介を通夜振る舞いに小声でしおり  中村英俊

 親戚一同を集めて一気に周知するのも結婚式の役割だったのだ、ということに気づかされる一首。お通夜が初対面では挨拶も小声でするしかないでしょう。

  一鉢のポインセチアをいただきて転ばぬように雪道あるく  小林多津子 

 作者は北海道の方。両手で鉢を持って、固く積もって滑りそうな雪道を歩く様子が伝わります。ポインセチアの赤と雪の白のコントラストが鮮やかです。


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新型コロナウイスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国にも出され仙台の街中も閑散としてきました。が、週5で出社しております。ただ、これまでの業務は一時的に縮小になったため、一時的に別部署の仕事をすることになりました。おかげで勤務時間が変わり、これまで元々時差出勤だったのが、満員電車に乗る羽目になってしまいました。平時ほどぎゅうぎゅう詰めではないとはいえ、密です。よりクレーム対応が多いとも聞いています。心も荒みがちな世の中になってきたのでしょうがないです。業務縮小によって契約を切られたりはしなかったのが救いかもしれないのでした。
 母は花農家で働いていますが、花を飾る行事がことごとく中止になっているため影響が大きいようです。沿道を飾るために植えた花を抜きに行かなきゃいけない、と冗談のように笑っていました。笑うしかない状況なのかもしれません。

 パートが休みになっている妹から、手作りマスクが届きました。10年くらい前の女性用ふんどしブームの時に手ぬぐいで作ったものの思いのほか実用的でなく未使用だった越中ふんどしをマスクに作り替えようかな、と思っていたところだったので、ありがたいです。手作りマスクをしている人も珍しくなくなってきました。
 妹にお礼の電話をかけたところ、甥っ子が話したがっていて代わりました。4歳の甥っ子とは物心つく前にしか会ってないような気がするのですが、甥っ子にとってどのような存在なんだろうなあ、わたしは。「コロナで公園にいけない」と愚痴ってきたので「さびしいね、おうちでピアノ弾いてあそうぼうね」と言ったら「はい」と返事が返ってきました。聞き分けが、なんていいのでしょう。マスクのお返しにふんどしを作って送ろうかしら、と思いました。
 
  柳になって仕事してると言う人の「申し訳ございません」すがし


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今月は5本くらい観たい映画があって、『人生フルーツ』の再上映は一回観たからと涙を飲んで見送ったところ、急遽しばらく映画館が休館することとなりました。残念ですが、しょうがないですね。お家で過ごすことにしましょう。

 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は、自粛前の公開直後あたりに観てきました。なにしろ自分が生まれる10年前のことなので、どちらかに格別な思い入れもなく、一定の距離感を持って鑑賞できた気がします。
 生まれる前のことだからこそ、学生運動とか聞くともう過去のニュース映像で見るあさま山荘事件とかよど号ハイジャック事件とかのカルトなイメージが先立ってしまっていました。あらためてこの機にいろいろ調べてみても、やっぱりよくわからないところがあります。革命を起こして日本を共産主義の国にしたかった、ということで合っているのでしょうか。
 三島由紀夫はいくつか小説を読んでいたぐらいで、三島事件などの思想についてはくわしく踏み込んでいない普通の読者といったところです。
 こんな感じなので、討論の内容については、正直なところあまり理解ができなかったのですが、実際にこの国にあった出来事の貴重な記録を観られて良かったと思いました。血気盛んな若者達に対して三島由紀夫の落ち着きっぷり。

 東大全共闘の方の「東大動物園 駒場分室 特別作品 三島由紀夫 飼育費1000円」という走り書きと、三島由紀夫をゴリラに見立て揶揄した絵が出てきて、なんだかがっかりした気持ちになりました。
 少し前、ある特定の政治家が泣きながら土下座をしている絵を楽しそうに掲げて大声を出してはしゃいでいる集団を駅前で見たのを思い出しました。あの時もなんだか不快でした。その政治家を支持するとかしないとかじゃなく、下品で幼稚な表現に感じたのです。毒の効いた風刺画だったらニヤリと笑えたりするのでしょうけれど、ただの剥き出しの攻撃性みたいなものにはわたしは抵抗があります。それを集団で笑っているのにも。仲間内では楽しいのかもしれませんが、外からそれを見た時に「この人達は正しいことを言っている」とは思いにくい気がします。相手への攻撃ではなく自分達の主張に力を入れればいいんじゃないかと思うのですが、いろいろ事情があるのでしょうか。難しいことはほんとうによくわかりません。

 元全共闘の人、元盾の会の人、討論の場にいた人達の現在のインタビューも興味深かったです。当時は敵対していて、今はどうなのかはよくわかりませんが、どちらの立場の人も大体が社会的地位の高い職に就かれているようでした。
 わたしの両親は世代的には5つぐらい下なんだな、と思いました。5つぐらい下でも東大どころか中卒の父は同じ時期に既に肉体労働で働いていて、学生運動なんて別世界の話です。学生運動の時代を青春のように語れるのは都会の家柄にも経済的にも恵まれていた人達であって、地方の貧困層にはあまり関係がなかったように思われ、あらためて分断のようなものに気づくのでした。

  公式サイト→https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

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塔4月号が届く前に、塔2月号を読みます。塔3月号も読み終えております。敬称略です。

  餅負いてひ孫一歳誕生日ばあばも負けずにうんとこどっこい  青井せつ子
 
 一升餅のお祝いをあたたかく見守る光景でしょうか。なんだかとても元気な気持ちになりました。声に出して読むとなお楽しいです。

  山形のおいしいお米「つや姫」を三合炊いて四度の食事  矢野正二郎

 一読して、前は三合で三度食べていたのが食が細くなった、と思ったのですが、計算したら三合を4で割ったら250gなので中盛ぐらいでした。やっぱり具体的な数字が良くて、四人分じゃなくて四度というところにも暮らしぶりが表れています。

  首里城を通勤の励みにしていたと電話に語るその声低し  樺澤ミワ

 首里城の歌が今号にたくさんあった中で、「通勤の励みにしていた」というのに惹かれました。仕事でいろいろなことがあっても、いつも変わらずそこに首里城があったのでしょう。

  転院の待合室に差し込める初冬の光を母はよろこぶ  萩尾マリ子

 一連の歌からお母様の病状は思わしくない様子。そうした中でのささやかなよろこび。待合室という、束の間の滞在の場所であることもなにか胸に迫るものがあります。

  信仰を勧める人にムスリムと偽り伝ふを夜半に悔いをり  山下太吉

 相手を諦めさせるため実際の信仰ではなくムスリムと偽る、迷惑な勧誘撃退として適当な嘘を吐くのはよくある話ですが、結句に人柄が表れていて、この結句で歌がより深まっていると感じました。

  父に妻、母に夫ありわたしにも夫や子どもがいればよかった  永田愛

 自分語りになりますが、結婚したいと言うと男を欲しがっている、飢えていると解釈されることがあり、そういう意味じゃないのになあと思いつつその違和感をうまく伝えられなかったのですが、この歌のようなことが言いたかったのだ、と気づかされました。口語の素直な文体と過去形の結句がせつないです。

  陰口を拒めないままテーブルのアクアパッツァは冷めきっていて  中井スピカ

 ああこれは女子会でしょうか、そこにいない人の相手の話題で誰かがトークショー始めちゃってもう止まらない感じ。ここで流れを変えようとしても水を差すみたいになって変な空気になるので、冷めてゆくオシャレ料理にも手を付けられないのです。

  青空が清々しいと思えるまで軽くなりたり座骨神経痛  石田俊子

 結句の具体名に力を感じました。そうきたか、というような意外性とか、病名の字面が詰まっているのですごく辛そうで、見た目的にも上の句に解放感があるような気がします。

  悪しきものすべて除くと思わねどここは本宮湯の峰温泉  北山順子

 湯治の一連から。祈りの気持ちが伝わってきます。温泉の具体名がいいと思いました。下の句は思わずデューク・エイセスの「いい湯だな」のメロディに乗せて読みたくなります。

  産休で七人休めば独り身の吾娘の帰りは深夜に及ぶ  弟子丸直美

 こういう時の気持ちを本人は言葉にしにくいから、こうしてお母様が気にかけてくれてよかった、と救われました。誰かが悪いわけではないから、おめでたいことだから、どんなにボロボロに疲れても何も言えない、まして独身の立場では。事実のみの描写に徹したのがとてもいいと思いました。

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映画『星屑の町』を観てきていました。原作・脚本は水谷龍二さん、監督は杉山泰一さん、出演は太平サブローさん、ラサール石井さん、渡辺哲さん、でんでんさん、有薗芳記さん、のんさん、菅原大吉さんなど。

 売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」が地方回りの営業でリーダーの地元の東北の町に行き、歌手志望の田舎娘に出会って…という人情コメディです。
 25年続いた舞台を同じキャストで映画化、ということで安定感があります。それぞれキャラ立ちがすごいのも、舞台でずっと続けてきて磨かれてきたのかもしれません。キャラが立ってるから台詞がおもしろいというか、悲哀を感じる人間模様というか、物語りの流れとか伏線などもお見事と思いたくなるような感じで、いっぱい笑えて、味わいのある良い映画でした。グループのこともおもしろいのですが、田舎を飛び出した人と残った人みたいなのも、田舎者としてはいろいろ思うものがありました。もう一回観たいぐらい、わたしは好きです。

 ロケ地が岩手県久慈市だったようで、のんさんが東北弁を喋っているうえに歌手を志していたりするので、朝ドラ「あまちゃん」がどうしても思い出されますが、おじさんグループに交じって歌っているのが似合うのはいいんじゃないかなあと思いました。また、劇中歌が昭和歌謡なので、昭和歌謡好きなわたしは楽しかったです。オリジナル曲もレトロな感じで良かったです。
 エンドロールをながめていたら、歌唱指導がSmooth Aceの重住ひろこさんでした。昔、ラジオで流れてきた曲がすてきだったのでCDを買ったのでした。いろいろなご活動をされているのだなあ。なんとも味わい深いです。
 
  公式サイト→https://hoshikuzu-movie.jp/

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5月の白石市の全日本こけしコンクールが、新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止と聞きました。楽しみにしていたので寂しいです。会場で密集して並んでいるのは主に人ではなく、人に似たこけしなのに。こけしも人として数えられてしまったのでしょうか。残念ですが、健康あってのものですのでまたの機会を楽しみにしましょう。

 通勤の道にオオイヌノフグリが咲き始めました。小さな花がとてもかわいい。近づいて見れば花畑のようです。誰かが育ているわけでもないのに、と思うとなんだかほんとうに不思議です。オオイヌノフグリにハコベ、ヒメオドリコソウ、足下が華やかです。つくしも顔を出し始めました。
 行きと帰りは別の道ですが、帰りの道では梅の木と柳の木の側を通ります。梅は夜ごとに花が開いてゆき、冬の間は紐がぶら下がっているみたいだった柳の枝も日に日に緑を増してゆきます。
 各地のお花見の名所も今年は自粛ムードですが、道端の花見も楽しいものです。

 つくしの背の伸びゆくことを唯一の楽しみとして日々通勤す


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先日、一緒にお昼ご飯を食べていた同僚さんが「震災の頃を思い出すよね」と言いました。新型コロナウイルスの騒動についてです。
 確かに、いつ収束するのか先の見えない不安感は東日本大震災直後の頃と似ているような気はします。スーパーやドラッグストアのマスクやトイレットペーパー売り場の空の棚は、まるで震災直後の物流が滞っていた時に見た光景のようです。また、感染している人に出歩かないでほしいな…と思ってしまう気持ちは、東北に向けられていた放射能を避けようとする気持ちと共通するのかもしれません。

 つい昨日、何かの制度のために4月からの賃金が少し上がるというお知らせをいただきました。今の仕事は、いわゆる安定はしていないけれども、その分あまり大きな責任もかからなくて雇われの気楽さがあります。震災の頃とは全然違う仕事です。長く勤めるつもりだった仕事を震災後に辞めることになった時は震災のせいで人生が終わったように感じていたものですが、今となってはあまり関係ありませんでした。なんだかんだで人生はまだ続いています。
 今日は、特に希望したわけではないのですがシフトで休みでした。14時46分には黙祷をしようと思っていたのに、いつのまにか昼寝をして過ぎてしまいました。それだけ、緊張感もほどけてきたのかもしれません。祈りの気持ちは3月11日14時46分以外でも持っていたいと思います。

 近々関東の方に行きたいと思い、妹に電話をしてみたところ、「今はまだ止めた方がいいよ」と言われました。近況などを話している途中で、甥っ子が電話に出たがっていると言って甥っ子に代わりました。甥っ子は幼稚園でのことなどを喋ってくれました。わたしと話したい、というよりは、電話で喋るということ自体が楽しいんじゃないかという気がしますが、かわいい。
 ずっと前に、妹に結婚の決め手を聞いた時、理由の一つに「震災があったから」という返答がありました。それ以上の突っ込んだことは聞きませんでしたが、一人では心細い心境は東北だけに限ったことではなく、確かな絆を結びたくなるのだろうと想像がつきます。こうしてぺちゃくちゃ喋っている甥っ子も、震災がなかったらいなかったのかもしれないな、と思ったりするのでした。

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葉のすっかり落ちた冬木にほんの小さな芽が芽吹きだして、枝々が緑のもやもやに包まれているような、この時期の木を見るのが好きです。梅や桜の小さな蕾で薄紅のもやがかった木も。朝の自然光の中で見る木も、仕事帰りの闇の中で街灯に浮かび上がるもやもやの色もいい感じなのです。

 同僚さんが「次の歌会始の題は<実>なのよ。真実の愛を詠んでもいいのよ」と楽しそうでした。その人は普段から短歌を詠んでいるわけではなくて、歌会始だけ応募するといいます。初めてそのことを聞いた時は、そのような短歌との関わり方もあるんだ、と新鮮でした。「選ばれたら松の間でローブデコルテを着るわよ」と、冗談なのか本気なのかよくわかりませんが、楽しそうです。
 皇室と短歌については、先日「短歌研究」でも特集を読みました。いろいろ思うことがある人もいるのでしょうけれども、わたしは地元の山形の県民歌が昭和天皇の御製で幼少の頃から幾度となく歌い、愛着のようなものがありました。また、今上天皇陛下が少年の頃に書いた作文で百人一首の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」を引用していたり、友人に送った年賀状に自作の短歌を記載していたりのエピソードに素直に好感を抱いたりしました。難しいことはよくわからないのでした。

 福祉施設に勤めていた頃、利用者の中に短歌を詠むおばあちゃんがいました。おばあちゃんは、施設のレクレーションで公園にお出かけをした後に、お花の印刷されたきれいな色紙に5首の連作を書いて持ってきました。お出かけのうれしさや草花の描写、職員さんへの感謝の気持ちの伝わるすてきな連作でした。しばらくの間施設に飾ってあったので、「いいな…」と何度もながめながら、わたしの目指す先はここだ、と思いました。自分がおばあちゃんになった時にそんなふうに詠ってたい、と今でも思い出します。おばあちゃん、なんて言ってしまっているけれど、それなりの経歴のある歌人の方だったのかもしれません。わたしは介護士ではなかったため、お話する機会があまりなかったのが心残りです。

  ぷくぷくと蕾が枝に湧き出して空の体積を少し減らしぬ

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仕事から帰ったらすぐ朝になってまた出社しているような感覚の中で、あっというまに3月も1週間過ぎてしまいました。塔1月号を読みます。敬称略です。

  栗ごはん栗がごろごろ美味しくて自分の炊いたご飯おいしい  岩野伸子

 栗ごはんの美味しさを詠っているだけなのに、どうしてどこか寂しいのでしょう。表記は少し違いますが「栗」「ごはん」「美味しい」のくり返しが、自分に言い聞かせているように感じるからかもしれません。 

  敬老の日のお手紙に我の名も記されてある甥っ子からの  相原かろ

 作者が老人のような風貌をしている…というわけではなく(そう読ませたいのかもしれないのですが)、甥っ子さんが作者を慕っていて、敬老の日に乗じてお祖母ちゃんお祖父ちゃんと並べて感謝の気持ちを伝えたのではないかと微笑ましく読みました。

  素麺の束を掴めば失ひし母の手のやうしんとつめたい  祐徳美惠子

 素麺の束を母の手のように思う比喩を初めて見て、どきっとしました。乾麺の白さや、うどんやひやむぎより細い素麺であることに余計にはかなさが感じられます。

  棒切れの好きな男の子が森をゆく木橋に来たら流すよ、きっと  大地たかこ

 棒切れの好きな男の子がとてもかわいい。結句の口語が好きです。棒切れを持って歩いて川に流すような遊びを楽しむほどの無邪気さでずっといてくれたらいいのになあ。

  四十年敬して親しき人なれど難をいふなら下戸であること  安永明

 下戸のわたしはこの歌をどう味わえばいいのか。下戸は難なのか。わたしも「酒さえ飲まなかったらいい人なのに」と思うことがあるので、これは深い溝だなあ。とはいえ四十年の付き合いの中で難が一点のみというのはすてきなことです。

  田んぼには一枚ごとの名前あり朝にゆうべに人に呼ばれて  高原さやか

 確かに、田んぼや畑には内々で呼ぶ名前を付けていたりするのです。朝に夕に呼ばれるということは、兼業農家で日中は他の仕事に従事しているのでしょう。

  妹の日記を盗み読みした歌を歌集に載せる芳美がこわい  太代祐一

 本人にばれたら、と思うと、その無神経さは。歌に詠んだ対象はそれぞれの思いがあって生きている人間なのであり、自分の歌のアイテムとして存在しているのではないのだ、ということをあらためて自戒もさせられるのでした。

  スカーフをいつもかぶっていたゆえに遺影選びに困りしと言う  逢坂みずき

 そう、田舎のおばあちゃんはだいたいスカーフを被っているのです。遺影用の写真を既に用意している人も多い中で、突然の出来事だったという哀しみがユーモアを交えつつも伝わります。

  入院日までに白菜大根を蒔きて苺を植えねばならぬ  金原華恵子

 農業には休みがないのです。入院日までに、という切迫感の中で白菜大根と白く大きな野菜を挙げた後の苺の赤く小ぶりないじましさ。お大事にされますように。

  この家の間取りはみんなお父さんが決めてんで、この家が大好き  岡本伸香

 話し言葉で素直な気持ちの伝わるこの歌の次に、自分の家を建てる歌がくるのにぐっときました。この無邪気さに終わりを告げて、自分たちが新しい時代を背負ってゆく覚悟のような。

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3連休とはいえわたしはそのうち2日は仕事です。公共交通機関が休日ダイヤになっているのを忘れないようにしないと。この頃は通勤も物々しい雰囲気です。暖かくなったら関東の妹のところに遊びに行こうかなと考えていましたが、東北でもこんな感じだと向こうではそれどころではないのかもしれません。
 
 朝ドラ「スカーレット」、結局もういちど家族には、少なくとも法律的にはなっていないと受け取りました。これまでのぎくしゃくした関係からは抜け出して、あたらしい関係を築いてゆくといったところでしょうか。尤も、数年後に飛んですっかり夫婦に戻っている可能性がないわけでもないので油断できません。

 油断できません、ってなんでしょう。内心、復縁しないことを期待している自分がいました。その方が、物語としておもしろいように思っていたのです。おもしろい、という言い方は正しくないのかもしれませんが、成功と引き換えに大切なものを喪った傷みや、これまで蓋をされてきた息子の寂しさ、中年女性の孤独感など、自分を通した結果の人生にしみじみ思うものがありました。ここで何もかもうまくいき出したら、少し興覚めしてしまうでしょう。

 物語としては、全てを手にしない方がおもしろくても、現実の人生はハッピーエンドの方が絶対にいいとも思います。仕事は順調、愛は成就、家庭は円満、大病も奇跡的に回復、健康で長生き、素直な人格者となって優しい人に囲まれみんなに愛されて、みんな誰もがご都合主義なくらいご都合主義で構わない。
 良い歌が詠めたからつらい目に遭っても報われた、とはなりません。いくら褒められたとしても、切ない歌や寂しい歌なんて詠まずに済んだ人生の方が絶対にいいと思うのです。

  しあわせになったらあなたはつまらないと上野駅にて言われておりぬ

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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