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川が好き。山も好き。
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退職前、一人の同僚さんに、失業手当をもらいながらのんびり短時間のアルバイトをしていた頃の話を聞きました。自分の考えがあってそうしていたのに一緒に働いていたおばさん達には全く理解されなかった、と言っていました。その同僚さんは、わたしと同世代の一人暮らしの女性です。
 ほんとうに、働き方は人それぞれ。女性が輝く時代!と謳われて、出世したいのに結婚や妊娠でキャリアが築けないことを不公平だと嘆く女性の声も大きく聞こえます。けれども、みんながみんな仕事で輝きたいわけではないでしょう。今のわたしは、心身ともに無理せずに割り切って働けて、ちゃんと暮らしていけるくらいのお給料がもらえればそれでいいです。もし生活に困らないほどお金があったとしても、浮世離れしないように少し働いて社会と繋がっていたいとも思います。
 以前、変に動かなければ受給できたはずの失業手当を、焦って無理に再就業したらやっぱり無理で、結局ちゃんと受給できなかった、という苦い経験があるので、彼女の話を興味深く聞きました。今後そのような機会があったら参考にしたく思います。
(当時の失業手当をめぐるいきさつはこちら→2014/11/14 その日記に添えた歌の、解散せしバンドとは野狐禅のことなのですが、竹原ピストルさんは今ソロで活躍されていてうれしいです。歌自体はもっと前の解散直後に詠んだものでした。)

 あの頃、焦って無理して就業して、結局休職して退職した施設に、今は別の知り合いが勤めているということを最近知りました。当時は直雇用でしたが、今は業者に委託しているとのことで、その委託業者に知り合いが所属しているのでした。よって、当時の直雇用の職員の誰も残っていないそうです。耳をふさぎたくなるような下品な話ばかり飛び交うなどの当時の惨状を思えば、そりゃあ業者に委託するだろうな、と納得もするのでした。今はとてもいい人達ばかりとのことです。解雇された人達はどうなったんでしょうね。誰の人生も、先が見えないものだなと思いました。

  十二階トイレ窓からお隣りのビルの会議が見ゆ薄曇り

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退職しました。退職すると決めたのはわたしなのに、どうして退職することになってしまったのか自分でもよくわからなくて、まだ気持ちが着いてゆけません。そうした運びが決まってから、ずっと落ち着かない日々を過ごしてきました。

 1年半ほど勤めました。当初は去年の春まで、と聞いていたのですが業務が延長になり、わたしは予定より1年ほど長く勤めました。今までくり返し読んでほとんど暗記しているマニュアルも、パソコンの独特な社内システムも、もうわたしとは関係ないんだな、と思うと寂しくなりました。休憩室の窓から、遠くに山の上の観覧車が見えるのも好きでした。仕事とは別なところで、平日のシフト休みに映画に行くのも楽しみの一つでした。
 思いのほかたくさんの人が惜しんでくださって、上司の方々にも同僚さん達にもたくさんのうれしい言葉をいただきました。これまでの人生でこんなに惜しんでもらえたことってなかったんじゃないかってくらいです。ほんとうにありがたいです。

 上手に生きられるようになりたい。この頃ずっと考えています。人生は思い通りにゆかないものだし、後悔するようにできていると藤沢周平も『蝉しぐれ』で書いているけれども、それでもわたしはもう少し自分次第でなんとかできるんじゃないか、そんな気がしてしまうのでした。

  ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

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先週、突発的に帰省してきました。実家へは車で直行すれば2時間もかからないのですが、公共交通機関を使うと乗り換え乗り換え乗り換え乗り換えで、しかも地元の町には駅がなく、実家から一番近いバス停さえ徒歩40分という有様なので、車のないわたしはどうにも帰るのが億劫になりがちです。
 終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。

 3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
 実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。

 実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
 なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
 そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。

  家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は


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水槽を透かして床に届く陽のなかに金魚の影あわく浮く  松村正直

妹の電話の声は母に似てときおり掛けぬ冬の炬燵で  栗山繁

子の命ずるままにうつ伏し子の登る山と化すわれは出勤前に  澤村斉美

ああ心じかんは冬であるばかり 公民館の庭おほふ雪  松木乃り

人生の最良の日がくだらない日々の中にも罠のようにある  山口蓮

止められて電気料金借りにくる隣の人の皺のてのひら  斎藤雅也

午前二時視力がだんだん落ちてきてああこの人の歌は読みにくい  石井久美子

いいよいいよと言いても謝り来る人の暴力に似た眼差しを受く  金田光世

中央線「武蔵小金井」ゆふぐれてわが子の他に知り人あらず  澄田広枝

学校を休んでいる子と食べに行く味一番なり替え玉を頼む  宇梶晶子

手はきっと言葉以上にわたしだからあなたの髪を撫でていたかった  佐藤浩子

冠はシロツメクサでつくったの世界はあたしのものだったのよ  真間梅子

新しき年は良い年さう決めて向日葵色の手帳を買ひぬ  鈴木むつみ

ストーブの上の鍋からよそわれて蕎麦屋でいただく昆布の佃煮  吉田典

でかい方くれよとふ声聞きたきにまづは小さき蜜柑差し出す  川田果弧

われ以外みな連れのあり喋りつつ初日を見んと橋へと急ぐ みぎて左手

いもうとがいておとうとがいてわたしテレビの前に夕ぐれはきた  落合優子

リニューアルオープンカフェに一人用の椅子が増えいし鳥を待つごと  泉みわ

うすくふくらんだ手編みのセーターにアネモネは咲き ひと挿しもらう  北虎叡人

定刻に来ることあらぬバス停に芒の穂群さわさわと揺る  松尾桂子

生きているか死んでいるかもわからない暴力教師を今でも恨む  山上秋恵

この時候お一人様を引き受ける宿のないこと分かっていたり  シャッシーいく子

ま白なる冬のかぶらはみづみづとだし煮の中にすきとほりゆく  鈴木伊美子

踏切りを渡りて今朝も遇う人と会釈などせずすれ違いたり  村﨑京

いい男の子は結局つまらないかも知れないぞ父のようにだ  井上雅史

両親の居ぬ故郷に来て雪降れば帰りの便まで映画館に過ごす  林雍子

眼科外来けふも多かりゆづりあひ四人掛け椅子に五人が座る  千葉なおみ

寺山より流るる夕のメロディーは寂しすぎると投書のありき  山﨑惠美子

休日の一つの窓を二人で見る降つてきたとか晴れてきたとか  森尾みづな

十時には「真夜中」が来て鶴も人も静かに眠る冬の出水は  伊地知樹里

***

敬称略。3ヶ月は続けてみようと思い、3ヶ月になりました。続けるかどうかは未定です。今さらながら30首選はちょっと多いような気もしました。

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また、仕事中に電話口で訛りを指摘されてしまいました。さすがに仕事中に「んだ」とか「だべ」とか方言丸出しではないので自分では標準語をしゃべっているつもりですが、どうにもアクセントにクセがあるようです。時には「何を言っているかわからない」「あなたとは話が通じないから訛りのない人に代わってほしい」「NHKのアナウンサーを見習って正しい発音を身に着けろ」「正しい日本語も使えない奴が仕事するな」等々のクレームに繋がってしまうこともあります。特に、関西圏の方々には耳障りのようです。

 訛ってるとは言われても、わざとそうしているわけではないため、どこがどう聞き苦しいのか自分でよくわかりません。上司に相談した際は、ゆっくり話す必要はあるけれどあまり気にしなくてもいいのでは、との返答でした。仕事はそれなりにこなせているので、大きな問題ではないのでしょうか。けれども、やっぱり苦言を呈されることがあるため、気にしてしまいます。

 みんなに不評というわけではなくて、「懐かしい気分になった」「ふるさとは大事よ」などのお声をいただくこともあります。たまたまその人になじみのある地方だったりすると、割と好意的に受け止めてもらえるのかもしれません。

 思えば、ここ数日の目下の考え事である、どうしてわたしは自分の心に嘘をついてしまったんだろう、ということも、東北の訛り言葉に郷愁をそそられたことが一因のような気がしてきました。これがクセのない標準語だったり自分とは全く無関係の地方の方言で頼まれたのだったりしたら、流されなかったかもしれません。
 訛りは欠点にも武器にもなり得るのだと思いました。

  ふるさとの訛りひどしとのクレームへ謝るほかにない電話口

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やっぱり山本周五郎が読みたくなり、ここ最近の気分で『野分』を読み返しました。(結末まで書いてしまいますので未読の方はご注意ください。)

 職人気質の祖父と暮らす下町娘・お紋は、大名の庶子に生まれた若殿・又三郎と心を通わせます。又三郎は町人としてお紋や祖父・藤七老人と人間らしく正直に生きてゆきたいと思うようになります。けれども情勢の変化で父の後を継ぐことになり、残された唯一つの夢としてお紋を妻として貰いたい、と藤七老人に懇願します。
 藤七老人は、又三郎の真意をお紋に伝えず、お紋と共にその地を立ち退いてしまいます。
 ある日、お紋は昔の同僚と再会し、又三郎が(正式にはよそから奥方を迎えなければいけないけれど)お紋を生涯の心の妻と決めて恋しがっている、振るなんてあんまりだと責められます。お紋は「あたし若さまが好きだったのよ、若さまの気持さえ本当なら、お部屋さまだってよかった、一生お側で暮らせるならお端下にだって上ったわ、それなのにお祖父さんはあんなひどいことを云って、あんなひどいことを」嘘をついた藤七老人を問い詰めるのでした。
 藤七老人は、腰から手拭を取り、両の目を押しぬぐいながら云います。
「若さまはいまお糸さんの云う通り仰しゃった、他から奥方は貰うが、身も心もゆるす本当の妻はお紋ひとり、生涯変わるまいと仰しゃったんだ」
「……だがお紋、おらあ考えた、本当の妻になって、生涯可愛がってもらえるおまえは、しあわせだろう、けれどもそれじゃあ奥方になって来る方が気の毒じゃあないか、お大名そだちだって人の心に変りはない筈だ、一生の良人(おっと)とたのむ人が自分には眼も向けず、同じ屋敷のなかでほかの者をかわいがっているとしたら、どうだ、悲しくも辛くもねえか、平気で一生みていられるか」
「そんなむごい、不人情なことに眼をつむる訳にはいかねえ、人に泣きをみせてまで、自分の孫を仕合せにしたかねえ」
 それは、藤七老人の江戸っ子としての意地でした。そうして「……あたしだって江戸っ子だわ」と、お紋は祖父の思いを汲み、又三郎に居場所を知られないようにふたたび引っ越してゆくのでした。

 わたしはこうした山本周五郎の人情ものがとても好きで、初めて読んだ時にはあまりにいじましくて、せつなくて、涙が止まらなかったのを覚えています。ほんとうに、なんてうつくしい物語かと思います。
 ただ、最近になって考えるのは、このような生き方をして、お紋その人はしあわせになれるのだろうか、ということです。物語の主人公ならばこうして読者が心に寄り添うことができます。けれども、生身の人間が、自分の心を押し込めて義理や人情を優先したところで、誰が見ていてくれるでしょう。現実には、他人の事情などお構いなしに誰に迷惑をかけようと自分に正直に生きている人の方が、最終的にはしあわせをつかんでいるような気がします。お人好し過ぎては人生を損してしまうだけなのでは、と、初読の時には芽生えなかった思いが、自分の来し方も振り返りつつ浮かぶのでした。
 『野分』は新潮文庫の『おごそかな渇き』という短編集に収録されています。その中の『将監さまの細みち』も、だめな夫に心身疲弊していたところに真面目で自分を思ってくれる幼なじみが現れて、結局は夫と共に生きることを選ぶあたりがもう山本周五郎で、人間というものがなんともかなしく思われるのでした。

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3月に入って、テレビで震災の特集が流れるようになりました。職場の休憩室、一緒にお昼ご飯を食べていた人達でそれらを見遣りながら、やはり「あの日、わたしは」という話になりました。東北に暮らすわたし達はそれぞれの被災経験を持っており、それはこうした談笑の場での共通した話題として機能したりします。あの日々はほんとうにつらかったのに、今こうして「あの時は本当に大変でしたよね」と過去形で笑い合えることを、幸福に思います。

 震災の経験を過去形で語れるようにはなりましたが、震災での教訓を全く活かしきれていない自分の心を、この頃は思い知らされています。自分を変えなきゃと思っていたし、変えてきたつもりでいました。けれども、結局またなにかに直面する度に、あの日と同じような心の動きをくり返してしまっています。どうしてわたしは自分を一番に大切にできないのでしょう。自分の心細さを隠して「わたしは大丈夫!」とうそぶいたために後々無理がたたって押しつぶされてしまった震災後の日々。そのように、自分で自分の心に嘘をついたために招いた出来事へ、ことさら嘆いて悲劇のヒロインぶってしまう自分のことも好きになれません。

 7年目の3月11日は仙台歌会で、わたしは司会でした。黙祷の時間を設けようとアラームをセットしていましたが、会場の施設では14時46分に黙祷を促す館内放送が流れました。
 海の方角に向かって目を閉じながら、もっと大きな被災をした人や、今もくるしんでいる人に比べたら、自分の心に関する問題なんてどんなぜいたくな悩みかと省みたりもするのでした。

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はらい一つ足りないような喪という字二回も書いて午後の手紙に  前田康子

やれば出来ると思いつつ今日も何もせず猫じゃらししごきて歩く  岩切久美子

取り返しのつかぬ筋目をつけながらむらさきいろの鶴を折りゆく  梶原さい子

何の肉かと思えど冷凍ミンチカツとろりとチーズ溶け出してくる  川本千栄

脚立より落下せし子は柿の実と共に斜面を転がりてゆく  吉岡洋子

九十歳に砥ぎてもらいし裁ち鋏さりさり使う秋の夜長を  西本照代

幸せをどこかで言おうでもそれは呟きでないところと思う  山内頌子

寒いからさみしいのかな ゆっくりと三十代の日々は過ぎゆく  片山楓子

くたびれてどうにもならず湯の中のマカロニの穴もおそろしくなる  永田聖子

かじかんだゆびで絵筆をあらうときシンクに消えてゆく秋の川  田村龍平

意地悪もかつては言ひし古き友わたしを忘れ遠い目をせり  西山千鶴子

二日後に乳癌の手術する妻の寝息の聞こゆ我も眠らむ  熊野 温

石はみな石という名で括られて陽を浴びており竹田川沿い  佐々木美由喜

伊勢神宮熱田神宮名古屋城今年も良いことありますように  高橋圭子

立ち話している二人のおばあさんに手を振りて行くおじいさん一人  西川照代

ブーケ買う夢を今朝方見しことを花屋の前で思い起こせり  深井克彦

亡き母の眼鏡を父は掛けてゐし炬燵の端に本を読むとき  守永慶吾

主役へと花束渡す役これがわたしのしたいことだつたんだ  逢坂みずき

腰かけるつもりの石にとんぼ来ぬ も少し歩いてみるのもいいか  今井早苗

母とその赤子に席を二度ゆづり二度断られ出づれば秋雨  篠野京

図書館の屋上庭園のために出てきたかと思う鰯雲  杉田菜穂

あの時は泣けばよかつたかもしれぬ金木犀は花零すのみ  祐徳美惠子

わが髪を撫でつつ君が言うときの「もう寝んさい」はやさしい命令  福西直美

ずっと前滅びた国の逸話から水道代の話に戻る  森永理恵

日銀で鑑定なさねば替えられぬ一万円札 吾が破きたる  浅野次子

いつも和服着ておりし人ジーパンに自転車で来る夫亡きのちは 相本絢子

名を呼べど帰り来るはずなきものを日暮れになればやはり名を呼ぶ  木戸洋子

ちゃん付けで吾を呼びしは百歳の叔母一人のみ昨夜逝きたり  清水千登世

割りばしは歪にわれて駅弁のかまぼこつまむ見舞いの帰り  寺田裕子

昼食を食べたくなくて階段を上ったり下りたりをしている  佐原八重

***

敬称略。3月号が届く前に。

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仕事帰りに同僚さん達と長話になりました。普通の人達はこういう時は飲み屋さんに行ったりするのかもしれませんが、なんとなく寒空の下を一時間ほどしゃべっていました。同僚さんは、他の人のフォローを頼まれることが多く、とても疲れているようです。大変さの割に報われないのはほんとうにつらく思います。
 派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。

 少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
 自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。

 自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
 わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。

 「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。

  嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう

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上司に不満があって退社した同僚さんが、次の仕事先で業務内容も含め「前よりもっとひどい」と嘆いているそうです。この仕事はどこの職場もクセがあります。元同僚さんは不満だったようですが、わたしは鈍いのか、もっとひどい上司に追い詰められていた経験のせいか、そこまで強い不満を抱くことなく過ごせています。

 こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
 もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
 
 明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
 もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。

  いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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