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川が好き。山も好き。
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寝坊しないようにモーニングコールを頼もうと実家に電話したら、めずらしく弟が出ました。母は芋煮会で留守とのことでした。地域の夜の懇親会すら芋煮会とい名目なあたりが山形です。弟は終始敬語で、こんな喋り方だったかなあ? と妙な感じがしましたが、元からこんな喋り方だったかもしれません。

 早起きして、海の方へ向かう電車に乗りました。四方を山で囲まれた盆地で生まれ育ったわたしは、進む先に山がないという光景にどうにも慣れず、このままどこまでも行ってしまうんじゃないかという不安に駆られるのでした。ぐるりと山に囲まれている時は、このままどこへも行けないんじゃないかと閉塞感に苛まれるのに、不思議なものです。電車の中で、川端康成『山の音』を読みました。どうしよう、おもしろ過ぎる。線路沿いのセイタカアワダチソウの黄色の群れが、青空によく映えていました。

 およそ一年半ぶりの石巻市です。駅前のプレハブのおみやげ屋さんが小さくなっていたり、被災して他の場所で仮営業していたお店が元の場所で再開していたり、少しずつ変わっている街並みを歩いて、COMMON‐SHIP橋通り「短歌部」の展示へ。白地に黒字、縦書きのシンプルさで、素直に短歌を味わえるのがいいな、と思いました。また、販売している冊子に展示そのままで作品が収録されているのも。



 日和山公園にも上ってみましょう。天気が良くて行楽日和です。海も、北上川もとてもきれいです。ごとん、と音を立てて松ぼっくりが落ちてきました。松ぼっくりが落ちる瞬間を、人生で初めて目撃しました。
「トラ・トラ・トラ!」と声がして、何事かと振り向いたら、杖をついたおじいちゃんがトラ猫を呼んでいたのでした。おじいちゃんは猫が好きで、公園にはトラ猫の他に白猫も住み着いているのだと言っていました。猫のたくさんいる田代島は海の向こうです。

 石巻まちの本棚で、山形愛書クラブ発行の「書評6 齋藤茂吉特輯号」という冊子が目に留まりました。1966年の冊子です。郷土誌なのか執筆陣は結城哀草果など山形の人がほとんどです。縁を感じたので購入しました。ものすごい価格がついていたらどうしよう、と思いましたが、原価の2.5倍でした。妥当なところです。
 辺りにはなんだかやたらトンボが飛んでいて、秋の風物詩なんて趣もないくらいにトンボまみれでした。



  海を見て過ごしただけの休日をいつかきらきら思い出そうね

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このところ、雨続きです。先日の、仕事終わりに映画館へ行こうとした日も、今日は止めておこうかな……と思うくらいのどしゃぶりでした。けれども、しばらくして雨が上がりました。傘を閉じて歩いていたところ、街の中の幾人かが空へ向かって携帯電話を掲げていました。なんだろう? と思って見上げてみると、大きな虹が出ていました。

 虹を見ると、なんだかしあわせな気分になります。その日の虹は、写真ではうまく映らないほどうっすらですが、二重の虹でした。二重の虹はダブルレインボーと呼ばれ、見た人に幸運が訪れるという言い伝えがあるのだそうです。これからどんなことが起こるかわくわくして過ごすことにしましょう。もしかしたら、風が吹けば桶屋が儲かるような仕組みで幸運が訪れるわけではなく、虹を見てうれしい気持ちで明るく過ごせること自体が幸運なのかもしれません。

 虹を見ると思い出す詩が、わたしには二つあります。一つは吉野弘「虹の足」ですが、もう一つの石垣りん「虹」を紹介したいと思います。

***


         

虹が出ると

みんなおしえたがるよ

とても大きくて

とても美しくて

すぐに消えてしまうから

ためておけないから

虹をとりこにして

ひとつ金もうけしようなんて

だれも考えないから

知らない人にまで

大急ぎで教えたがるよ

虹だ!

虹が出てるよ

にんげんて

そういうものなんだ

虹が出ないかな

まいにち

虹のようなものが

出ないかな

空に。



石垣りん『レモンとねずみ』(童話屋)

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今年も、曾祖母の手縫いの浴衣を着ました。市販の浴衣もとてもかわいいけれど、浴衣を着る機会自体がそんなにないので、着られる時に曾祖母の浴衣をできるだけ着たいな、と思っています。帯は母のお下がりです。当日はあいにくの雨でしたが、手持ちの16本骨の紅い小紋柄の傘が浴衣に合いました。
 
 酷暑です。休みだった先日の土曜日、どうにも暑いので「アイス買ってこよー」と自宅を出ましたが、八百屋さんの店頭に並んでいた桃がとても美味しそうだったので、アイスをやめてそっちにしました。市場の休みに伴い八百屋さんもお盆休みに入るため、前日の特売価格5個で200円です。手を触れないように、と注意書きがあったので、もしかしたら汁がしたたるような熟したやわらかい桃なのかな?と思っていたら、わたしの好きな硬い桃でした、うれしい。冷蔵庫で冷やしていただきました。
 アイスもかき氷も冷たくて美味しいけれど、冷やした桃やスイカ、キュウリなどの方が体の内側から冷える感じがします。

 ベランダの鉢には今年もミニトマトが出てきました、植えてないのに。苗を買って植えたのは一昨年。その一回きりだと思っていたのが、落ちた実の中の種が発芽したようで、去年も育ってくれました。そして同じように、今年も何もしていないのに芽が出て育ってくれたようです。何も世話はしていないし、特に今年は日照り続きだったのに、生命力ですね。今、黄色の花を咲かせています。これから実がなるのかな、楽しみです。
 ミニトマトが小さな実を次々に付けてゆくように、小さなしあわせの次々に生る日々でありますように。 

  愛される予感もなくてベランダの検査もしないネギを食みおり


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妹が甥っ子を連れてしばらく帰省するというので、週末だけですがわたしも実家に帰ってみました。祖母がショートステイで居なかったので全員集合とはなりませんでしたが、にぎやかなものです。
 およそ一年ぶりに会う甥っ子は3歳になったばかり、もうすっかりおしゃべりさんで、ドラマを見て覚えたらしい「90年代の3大死亡原因の1位は?」「アウス(人工妊娠中絶)」などという怖ろしい会話をくり返します。それなのに、わたしにはあいさつも返してくれなくて、人見知りしてるのかな~と思っていたら、指を差され「この人やだ」と言われてしまいました。「ママはいいけど」と付け加えられたので、妹と似ているわたしが偽ママのように気味悪く見えるのかもしれません。
 いじけたわたしは犬の散歩に農道へ行くのでした。山に向かって歩いていると、犬好きの近所のおじいちゃんが犬をわしゃわしゃしに畑から出て来てくれました。以前、短歌の故郷の描写ををステレオタイプだと評されたことがあったのですが、実際に、ステレオタイプな田舎だな、と帰省のつど感じます。山があって、田んぼや畑があって、年寄りばかりで、言葉が訛っていて、朝はニワトリが鳴いて。

 実家のわたしの部屋に、高校時代の現代国語の教科書がありました。授業では一切触れられずにスルーした、佐佐木幸綱さんによる茂吉と空穂の雪の詠い方についての評論は、今読むととてもおもしろいです。当時、国語の先生は短歌俳句を飛ばしましたが、日本史の先生が短歌好きで、日本史のテストに「大仏建立を短歌にしなさい」などというむちゃくちゃな問題が出されたりしたものです。
 他に堀辰雄「曠野」などただでさえしんどい話なのに、学習の手引きに「女」のような生き方をどう思うか、などという問いがあって刺さります。落ちぶれて相思の夫から身を引き、夫を思いつつひとところにずっと暮らし続けるも、不本意ながら郡司の息子に婢女として連れられてしまう、自分の気持ちに蓋をするゆえに落ちていってしまうの「曠野」のふしあわせな女は、わたしでした。

 そろばんの先生がわたしに会いたがっていると聞いたので、会いに行ってきました。生まれた時から知っている人ですが、実家は近所なのに3年ぶりくらいに会った気もします。人生の心配をされました。
 そろばんの先生には何番目かのお孫さんが生まれたようで、壁に命名の紙が貼ってありました。その名前が一発で読めて、漢字もわかりやすく説明もしやすい、意味も良い名前で、いいなあと思いました。甥っ子の難解な漢字で変な響きのキラキラネームとは大違いです。あの子は将来、習字の授業で自分の名前を書く時に筆で字が潰れてしまうことでしょう、かわいそうに。

 帰りは一寸亭本店の肉中華を食べました。やっぱりここの汁が好き。さっぱりしているのに卵の黄身のような味わいです。

  日の影が移りゆくたび日の影に犬はおりたり犬小屋の前


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少し前の歌会で、お母さんの絵の顔が紫色で塗られていた、という歌がありました。わたしは、お母さんの肌が実際に病気やDVで殴られた痣で紫色をしていたのではないか、これが大人だったら表面を取り繕ってきれいな色で描くけれども、子供なので見たまま正直な色で描いてしまったのではないか、という評をしました。現代社会や家庭の闇が詠われている、などと言いながら、絶対に違うだろうとも思っていました。
 わたしはもともと評が不得意で、素でとんちんかんなことを言ってしまいがちです。一方で、歌会ではいろんな意見があった方がおもしろいかな、とピエロのようにハズした読みをすることがあります。この時も一笑い取れてわたしはちょっと満足でした。

 歌会の評で、評とはまったく関係のない自分語りをする必要はないのでその場では言いませんでしたが、実際に見たままに描いたのではないか、というのは、自分の思い出から浮かんだことでした。
 子供の頃、母の日のために母の絵を描かされた際に、わたしは怒った表情の母の絵を描きました。なんの疑問もなく怒った表情の母の絵を描きました。みんなが「おかあさんありがとう」「おかあさんだいすき」と書いていたコメント欄には、「わたしのおかあさんはいつもおこっています」と書きました。
 どこかの展示場に飾られているのを、母と見に行きました。笑顔のお母さんの絵がずらりと並ぶ中で、わたしの絵は浮いていました。そして母に「なんでこんな顔に描くのか」と怒られました。

 あの頃、他のお母さん達は実際の姿も笑顔だったのでしょうか。それとも、実際には違う表情をしていたとしてもこうした場では笑顔のお母さんを描くものだと他の子供達はみんなわかっていて、わたしだけが空気を読めていなかったのでしょうか。どちらにしても、今のわたしがその展示を見たら、一人だけ怒っているお母さんの絵を見て、これを描いた子はいろいろ大丈夫なんだろうか? と心配になると思います。

  母親を泣かせるような歌ばかり詠ってしまう泣きたい夜は

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わたしは歌集を出してはいないけれど、わたしの歌の載っている本が書店にいくつか置いてあったりします。先日、友人と居る時に書店に寄ったついでに、その中の一冊を「わたしここに載ってるんだよ~」と軽く言ってみました。わたしが会計を済ませて戻ってくると、「きれいだね」と、感想を伝えてくれました。

 わたしの作風はきれいさとは遠く、載っていた歌もきれいな歌ではありません。彼女がほんとうに「きれい」と思った可能性もなくはないですが、たぶん読んでもよくわからないけど短歌はきれいなもの、風流、百人一首みたいなふわっとしたイメージで言ったのでしょう。
 失敗した、と思いました。余計な気遣いをさせてしまいました。
 
 昔、パワハラ上司に「短歌をやっているなんて高尚ぶって気にくわない」というような罵りを受けたことがあります。仕事をサボって短歌を詠んでいたわけでもないし、短歌を使って人を見下していたわけでもないのに、です。履歴書の趣味の欄に「短歌」と書いていたのを、文学好きの別な上司に目を止めていただいて採用された職場でした。
 なんでもかんでも因縁をつけたいだけだと思われますが、このように一方的なイメージを持たれやすいことはわざわざ言わない方が無難だと学びました。他の歌人の方からも、嫌なことがあったため言わないようにしているという話を聞いたことがあります。

 友人とは、ここ最近とみに深い話などをしていたこともあり、今さら人格否定の材料にされることはないだろう、と自己開示してみたのですが、やっぱり言わないままでよかったのかもしれないです。
 これまで別の人に話した時も、特選かどうか、順位などの成績のみに焦点を当てられることがあったりもしました。ごく個人的な切実な思いを込めて詠んでも、「風流だね」「日本の文化だね」としか伝わらないのです。けれども、それが悪いこととも思いません。

 短歌に興味のない人にも短歌を浸透させよう! と、わたしは思っていません。興味のないものを押し付けられても鬱陶しいだけでしょう。
 たとえばわたしはスポーツが得意ではないので、スポーツの楽しさを熱く語られても共感しきれないし、選手がどうとか、技術がどうとかいうのもよくわからないのです。スポーツ観戦しようと誘われたり、一緒のチームに入って楽しみましょうとユニフォームを用意されたりしても困ってしまいます。素晴らしいことだとは理解できるのですが、世間話以上のことになると、それはわたしじゃなくて別なスポーツ好きな人に語った方がいいのでは、と後ずさりしたくなります。あくまでたとえの話で、ダンスとか盆栽とかパッチワークとか人によってはいろいろあると思いますが、そのように興味のないものはしょうがない。お互いさまです。
 そして、気を遣ったり、媚びを売るためだったり、好きでもないのに好きなふりもしなくていいと思うのでした。

  わたしには歌しかあらず歌のみにすがりついてた日々もありたり

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金銭管理は割としっかりしている方だと思います。支出の帳簿を付けていて、ひと月の予算を決め、お金を下ろすのは月に一回です。収入から予算を引いた額を貯金して、細々とお金を貯めてきました。

 これまで節制ぶりに反し、この頃は財布の紐がやたらゆるいです。環境が変わったことで、出費が思いのほかあったのです。自分の欲しいものなら我慢ができますが、自分の意思と関係なく必要なものはそうはゆきません。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、少し麻痺してきました。今まで通りだったら買わなくてよかったものであるということに憤りを感じ、今まで一生懸命に計算して貯蓄していた日々はなんだったのか、と空しくなってゆきました。
 輪をかけて、気疲れからか滅多に出ない熱を出してしまいました。寝込むわけにはいかないので薬を買ったり、食欲や食事作る気力がなくてもとにかく食べなきゃとコンビニ弁当などを数日買いました。自炊だったらその半額もしないでしょう。

 必要なものはどんどん増えてゆきます。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、あれも買っちゃえ、これも買っちゃえ、と今まで控えていたようなものまで買ってしまっています。こけしクリップ、エクレア、ブロッコリーと海老のサンド、その他いろいろ。
 読み終えないまま次から次へと本も買ってしまいます。どうせ貯まらなくなるのだから何か一発当ててやれと「公募ガイド」、図書館で読んだけど所持したくなってきちゃった!と津村記久子『婚礼、葬礼、その他』、あ、エッセイも読みたいと津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』、山川藍歌集『いらっしゃい』も元々読みたかったけど津村さんの帯が決定打に。近藤ようこさんが帯を書かれていたので、中身も見ずに齋藤なずな『夕暮れへ』も買ってしまう、漫画を買うのも3年ぶりくらい。自分を見つめなおしたくビジネス新書も買うのです、岡田尊司『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』。もう次から次へとです。

 ずっと、我慢ばかりしてきました。物だけじゃなく、言葉や心もです。どれだけのものを飲み込んで今の現実に流れ着いたでしょう。わたしの人生なのだもの、誰も何も慮ることなく、好き勝手に生きればよかった。そうしたら、たとえうまくいかなかったとしても、後悔はしなかったのに。
 と、反動のように半ばやけくそに散財してみたところで、本はともかく買い食いなどはやっぱり「あああ、親子丼なんて自分で作ったら100円もかからないのに」と、それなりに悔いは押し寄せるのでした。

  しあわせは「施設へ入居する金が貯まって老後が安泰」のこと


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退職前、一人の同僚さんに、失業手当をもらいながらのんびり短時間のアルバイトをしていた頃の話を聞きました。自分の考えがあってそうしていたのに一緒に働いていたおばさん達には全く理解されなかった、と言っていました。その同僚さんは、わたしと同世代の一人暮らしの女性です。
 ほんとうに、働き方は人それぞれ。女性が輝く時代!と謳われて、出世したいのに結婚や妊娠でキャリアが築けないことを不公平だと嘆く女性の声も大きく聞こえます。けれども、みんながみんな仕事で輝きたいわけではないでしょう。今のわたしは、心身ともに無理せずに割り切って働けて、ちゃんと暮らしていけるくらいのお給料がもらえればそれでいいです。もし生活に困らないほどお金があったとしても、浮世離れしないように少し働いて社会と繋がっていたいとも思います。
 以前、変に動かなければ受給できたはずの失業手当を、焦って無理に再就業したらやっぱり無理で、結局ちゃんと受給できなかった、という苦い経験があるので、彼女の話を興味深く聞きました。今後そのような機会があったら参考にしたく思います。
(当時の失業手当をめぐるいきさつはこちら→2014/11/14 その日記に添えた歌の、解散せしバンドとは野狐禅のことなのですが、竹原ピストルさんは今ソロで活躍されていてうれしいです。歌自体はもっと前の解散直後に詠んだものでした。)

 あの頃、焦って無理して就業して、結局休職して退職した施設に、今は別の知り合いが勤めているということを最近知りました。当時は直雇用でしたが、今は業者に委託しているとのことで、その委託業者に知り合いが所属しているのでした。よって、当時の直雇用の職員の誰も残っていないそうです。耳をふさぎたくなるような下品な話ばかり飛び交うなどの当時の惨状を思えば、そりゃあ業者に委託するだろうな、と納得もするのでした。今はとてもいい人達ばかりとのことです。解雇された人達はどうなったんでしょうね。誰の人生も、先が見えないものだなと思いました。

  十二階トイレ窓からお隣りのビルの会議が見ゆ薄曇り

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退職しました。退職すると決めたのはわたしなのに、どうして退職することになってしまったのか自分でもよくわからなくて、まだ気持ちが着いてゆけません。そうした運びが決まってから、ずっと落ち着かない日々を過ごしてきました。

 1年半ほど勤めました。当初は去年の春まで、と聞いていたのですが業務が延長になり、わたしは予定より1年ほど長く勤めました。今までくり返し読んでほとんど暗記しているマニュアルも、パソコンの独特な社内システムも、もうわたしとは関係ないんだな、と思うと寂しくなりました。休憩室の窓から、遠くに山の上の観覧車が見えるのも好きでした。仕事とは別なところで、平日のシフト休みに映画に行くのも楽しみの一つでした。
 思いのほかたくさんの人が惜しんでくださって、上司の方々にも同僚さん達にもたくさんのうれしい言葉をいただきました。これまでの人生でこんなに惜しんでもらえたことってなかったんじゃないかってくらいです。ほんとうにありがたいです。

 上手に生きられるようになりたい。この頃ずっと考えています。人生は思い通りにゆかないものだし、後悔するようにできていると藤沢周平も『蝉しぐれ』で書いているけれども、それでもわたしはもう少し自分次第でなんとかできるんじゃないか、そんな気がしてしまうのでした。

  ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

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先週、突発的に帰省してきました。実家へは車で直行すれば2時間もかからないのですが、公共交通機関を使うと乗り換え乗り換え乗り換え乗り換えで、しかも地元の町には駅がなく、実家から一番近いバス停さえ徒歩40分という有様なので、車のないわたしはどうにも帰るのが億劫になりがちです。
 終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。

 3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
 実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。

 実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
 なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
 そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。

  家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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