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川が好き。山も好き。
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最上川はわたしの町を君の町を流れゆく川 赤い橋見ゆ  『にず』

 と、詠んだ赤い橋あたりが先日の豪雨で氾濫したらしく、動揺しておりました。幸い実家は無事でしたし、この災害で犠牲者も出なかったようなので何よりです。とはいえ、浸水した家屋も結構あるようですし、農作物の被害も心配です、稲刈り前だし。
 こうした時期ですのでボランティアも町内の者のみの受付ということで、なにもできないのが歯がゆいですが、落ち着いたら肉中華を食べたりして地元にお金落としたいです。というか普通に今の時期食べたいです、肉中華。

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実家から野菜が届きました。夏野菜の季節です。キュウリ、ナス、タマネギ、ピーマン、ジャガイモ、ズッキーニ、キャベツ、レタス。売り物にならない変な形のさくらんぼも入ってます。

 キュウリとナスが一緒に届いたら、だしを作りたくなるのが山形人です。タマネギもあるので入れよう。ベランダの青じそも入れよう。ご飯やそうめん、冷奴にかけて食べよう。
 残りのキュウリは冷やし中華の具か、レタス、キャベツと一緒にサラダにしよう。ジャガイモがあるのでポテトサラダもいいな。塩もみしたタマネギも入れよう。
 残りのナスは素揚げにするか、ピーマンと一緒に炒めよう。味付けはしょうゆでも味噌でもいい。ナスもピーマンも肉詰めにするのもいいかもしれない、みじん切りにしたタマネギを肉に混ぜて。
 トマト缶があるので、タマネギとピーマンとナスでパスタソースも作れそう。ジャガイモの薄切りをピザ生地に見立てたピザも久しぶりに作りたい。タマネギとピーマンのスライスをトッピングして。わたしが子供の頃、叔母がこのピザをよく作ってくれたのです。 
 夏だから冷製のビシソワーズもいいな。ジャガイモ1個で作れるでしょう。いろんな野菜を少しずつとキャベツとでコンソメジュリエンヌスープもいいな。ジャガイモ、タマネギ、ナス、キャベツは普通に味噌汁でもいいな。皮を剥いたキュウリも実家の味噌汁に入っていた気がする。
 ズッキーニは炒めて塩コショウで味付けするか、マヨ炒めばかりしてしまうけれど、結局シンプルな食べ方がおいしいと思うのです。

 いろいろ思いめぐらせながら、買出しに出かけました。まだ安心して外出できる気がしないので、買出しは週一回に抑えたいところ。野菜はあるので、お肉や卵、調味料を買います。店員さんからしたら野菜を食べないで肉ばっかり食べている人に見えるんじゃないか、と変なところが気になったりします。
 それにしてもしょうゆや牛乳を買うとエコバッグが重たい。ごま油とか酢とか瓶に入っているものも重たい。それ以上に実家から届いた荷物の方が重たいのだから、ありがたいものです。

 実家から荷物の届いたその日に、妹宅へ、妹と甥っ子の誕生日祝いの荷物を送りました。宅配便の営業所もソーシャルディスタンス仕様で店内に2人しか入れません。少し外で待ちました。
 時々母に「そんなに送ってこなくていいよ」と伝えるけれども、荷物を送ることがそんなに苦ではない、あれもこれも送りたい、というような気持ちは、自分が送る側になってわかることでもあるなあと気づくのでした。
 
  故郷のなすときゅうりにベランダのしそを刻んでだし作りおり


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6月に入ってから、一気に朝の地下鉄が混み合ってきました。休業要請のあった職場が再開したり、テレワークをしていた方々が復帰したりしたのでしょう。カバンを肩にかけたまま文庫本でも読めるゆとりがあればいいのですが、カバンを手に持ち換えて下に下げないと人が収まらないような窮屈さです。
 でも、体が触れないだけまだましです。コロナ禍前のラッシュ時はまだこんなものではありませんでした。このままテレワークも併用したり、新しい働き方が定着してきたりするのでしょうか。アフターコロナ、という言葉もこの頃気になります。

 4月半ばから始まった臨時業務は現在も継続中です。当初は緊急事態宣言の5月6日までと聞いていたのが、延長の、延長になりました。もうすっかりなじんでしまい、今となっては元の業務よりこっちの方が向いている気がするなあ、ぐらいになってきました。とはいえ、コロナ禍ゆえに需要の出てきた業務なので、状況に合わせてまた変わってゆくのでしょう。なんにしても、仕事があるだけありがたいです。

 世の中のムードにつられ、「おうち時間充実させよー」なんて自分もステイホームしていた気分でしたが、普通に出社して週5日の8時間勤務で、おうち時間が増えたりしていませんでした。
 それでも塔5月号が早く読み終わったので、三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読みました。『海と夕焼』『橋づくし』『百万円煎餅』あたりを特におもしろく読み、表題作で代表作とされる『憂国』を後回しにして取っておきました。
 お昼の休憩時間に満を持して『憂国』を読んだら、食欲がすっかり失せてしまいました。冷凍庫整理で作った、鰆とゴボウの味噌煮の弁当は食べ終えていたのが救いです。話の内容とか思想とかではなく、単純にスプラッター描写がわたしは不得手なのでした。でも、なにかすごく美しく官能的な世界でした。

 おうち時間が増えたりはしていませんが、外出を控えて筋トレしたり、スコーンなどの手作りおやつを作ったり、メールで歌会をしたり、ベランダで桃の木を育てたり、おうち時間は楽しくしています。東北も今日から梅雨に入りました。

  観覧車が休憩室の窓に見ゆカウントダウンみたいな日々だ

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服装は割と自由な仕事ではありますが、この閑散とした街で不要不急な外出をしていると思われないように、オフィスカジュアル色の強い恰好を心がけて「仕事なんです!」とアピールしつつ通勤しています。こうした時期なので、職場では席がソーシャル・ディスタンス仕様になったり、検温や消毒なども実施されています。心理的には窮屈になってきましたが、命を守るのだと思えば。時々の楽しみだった仕事前や仕事帰りのカフェも自粛しました。帰宅したら速攻で手を洗ってて感染予防に努めています。
 
 仕事でやむを得ず外出する分、買い物など他の外出を控えられるように、保存の利く干し野菜を作り始めました。天気がいい時は、干し野菜用のネットに多めに買った野菜を入れてベランダに吊るします。にんじん、ニラ、レタス、しいたけ、しめじなどいろいろ。外出自粛中でも、ベランダで出て作業をすることで陽を浴びられて元気が出ます。

 街の中でも職場でも布マスクをしている人が増えてきました。不織布のマスクが売っていないから、というのもありますが、ここまで定着したのはやっぱりテレビ見る全国の知事の方々、特に小池百合子都知事の布マスク姿が大きいんじゃないかと思います。地方の知事の方が県のゆるキャラなどのマスクをしているのには郷土愛を感じるし、「今日はどんな柄かな」と百合子マスクに注目するのも楽しいです。率先して布マスクを着用してメディアに映っている方々を見ると、明治時代に日本の女性の洋装普及のために率先して洋服を着ていらしたという昭憲皇太后のエピソードを思い出したりもします。

 わたしも、先日の考えの通り、越中ふんどしをマスクにリメイクしてみました。ふんどしというか元々は手ぬぐいですので抗ウイルス効果は期待できませんが、咳エチケットぐらいには役立つんじゃないでしょうか。

  ひもすがら蛍光灯をひからせてオフィスオフィスとにぎやかなりき


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新型コロナウイスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国にも出され仙台の街中も閑散としてきました。が、週5で出社しております。ただ、これまでの業務は一時的に縮小になったため、一時的に別部署の仕事をすることになりました。おかげで勤務時間が変わり、これまで元々時差出勤だったのが、満員電車に乗る羽目になってしまいました。平時ほどぎゅうぎゅう詰めではないとはいえ、密です。よりクレーム対応が多いとも聞いています。心も荒みがちな世の中になってきたのでしょうがないです。業務縮小によって契約を切られたりはしなかったのが救いかもしれないのでした。
 母は花農家で働いていますが、花を飾る行事がことごとく中止になっているため影響が大きいようです。沿道を飾るために植えた花を抜きに行かなきゃいけない、と冗談のように笑っていました。笑うしかない状況なのかもしれません。

 パートが休みになっている妹から、手作りマスクが届きました。10年くらい前の女性用ふんどしブームの時に手ぬぐいで作ったものの思いのほか実用的でなく未使用だった越中ふんどしをマスクに作り替えようかな、と思っていたところだったので、ありがたいです。手作りマスクをしている人も珍しくなくなってきました。
 妹にお礼の電話をかけたところ、甥っ子が話したがっていて代わりました。4歳の甥っ子とは物心つく前にしか会ってないような気がするのですが、甥っ子にとってどのような存在なんだろうなあ、わたしは。「コロナで公園にいけない」と愚痴ってきたので「さびしいね、おうちでピアノ弾いてあそうぼうね」と言ったら「はい」と返事が返ってきました。聞き分けが、なんていいのでしょう。マスクのお返しにふんどしを作って送ろうかしら、と思いました。
 
  柳になって仕事してると言う人の「申し訳ございません」すがし


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5月の白石市の全日本こけしコンクールが、新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止と聞きました。楽しみにしていたので寂しいです。会場で密集して並んでいるのは主に人ではなく、人に似たこけしなのに。こけしも人として数えられてしまったのでしょうか。残念ですが、健康あってのものですのでまたの機会を楽しみにしましょう。

 通勤の道にオオイヌノフグリが咲き始めました。小さな花がとてもかわいい。近づいて見れば花畑のようです。誰かが育ているわけでもないのに、と思うとなんだかほんとうに不思議です。オオイヌノフグリにハコベ、ヒメオドリコソウ、足下が華やかです。つくしも顔を出し始めました。
 行きと帰りは別の道ですが、帰りの道では梅の木と柳の木の側を通ります。梅は夜ごとに花が開いてゆき、冬の間は紐がぶら下がっているみたいだった柳の枝も日に日に緑を増してゆきます。
 各地のお花見の名所も今年は自粛ムードですが、道端の花見も楽しいものです。

 つくしの背の伸びゆくことを唯一の楽しみとして日々通勤す


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葉のすっかり落ちた冬木にほんの小さな芽が芽吹きだして、枝々が緑のもやもやに包まれているような、この時期の木を見るのが好きです。梅や桜の小さな蕾で薄紅のもやがかった木も。朝の自然光の中で見る木も、仕事帰りの闇の中で街灯に浮かび上がるもやもやの色もいい感じなのです。

 同僚さんが「次の歌会始の題は<実>なのよ。真実の愛を詠んでもいいのよ」と楽しそうでした。その人は普段から短歌を詠んでいるわけではなくて、歌会始だけ応募するといいます。初めてそのことを聞いた時は、そのような短歌との関わり方もあるんだ、と新鮮でした。「選ばれたら松の間でローブデコルテを着るわよ」と、冗談なのか本気なのかよくわかりませんが、楽しそうです。
 皇室と短歌については、先日「短歌研究」でも特集を読みました。いろいろ思うことがある人もいるのでしょうけれども、わたしは地元の山形の県民歌が昭和天皇の御製で幼少の頃から幾度となく歌い、愛着のようなものがありました。また、今上天皇陛下が少年の頃に書いた作文で百人一首の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」を引用していたり、友人に送った年賀状に自作の短歌を記載していたりのエピソードに素直に好感を抱いたりしました。難しいことはよくわからないのでした。

 福祉施設に勤めていた頃、利用者の中に短歌を詠むおばあちゃんがいました。おばあちゃんは、施設のレクレーションで公園にお出かけをした後に、お花の印刷されたきれいな色紙に5首の連作を書いて持ってきました。お出かけのうれしさや草花の描写、職員さんへの感謝の気持ちの伝わるすてきな連作でした。しばらくの間施設に飾ってあったので、「いいな…」と何度もながめながら、わたしの目指す先はここだ、と思いました。自分がおばあちゃんになった時にそんなふうに詠ってたい、と今でも思い出します。おばあちゃん、なんて言ってしまっているけれど、それなりの経歴のある歌人の方だったのかもしれません。わたしは介護士ではなかったため、お話する機会があまりなかったのが心残りです。

  ぷくぷくと蕾が枝に湧き出して空の体積を少し減らしぬ

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3連休とはいえわたしはそのうち2日は仕事です。公共交通機関が休日ダイヤになっているのを忘れないようにしないと。この頃は通勤も物々しい雰囲気です。暖かくなったら関東の妹のところに遊びに行こうかなと考えていましたが、東北でもこんな感じだと向こうではそれどころではないのかもしれません。
 
 朝ドラ「スカーレット」、結局もういちど家族には、少なくとも法律的にはなっていないと受け取りました。これまでのぎくしゃくした関係からは抜け出して、あたらしい関係を築いてゆくといったところでしょうか。尤も、数年後に飛んですっかり夫婦に戻っている可能性がないわけでもないので油断できません。

 油断できません、ってなんでしょう。内心、復縁しないことを期待している自分がいました。その方が、物語としておもしろいように思っていたのです。おもしろい、という言い方は正しくないのかもしれませんが、成功と引き換えに大切なものを喪った傷みや、これまで蓋をされてきた息子の寂しさ、中年女性の孤独感など、自分を通した結果の人生にしみじみ思うものがありました。ここで何もかもうまくいき出したら、少し興覚めしてしまうでしょう。

 物語としては、全てを手にしない方がおもしろくても、現実の人生はハッピーエンドの方が絶対にいいとも思います。仕事は順調、愛は成就、家庭は円満、大病も奇跡的に回復、健康で長生き、素直な人格者となって優しい人に囲まれみんなに愛されて、みんな誰もがご都合主義なくらいご都合主義で構わない。
 良い歌が詠めたからつらい目に遭っても報われた、とはなりません。いくら褒められたとしても、切ない歌や寂しい歌なんて詠まずに済んだ人生の方が絶対にいいと思うのです。

  しあわせになったらあなたはつまらないと上野駅にて言われておりぬ

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朝の連続テレビ小説「スカーレット」の、今週の副題が「もういちど家族に」です。なんだかネタバレっぽいですが、そういう展開になってゆくのでしょうか。久しぶりに再会して敬語でよそよそしく話す喜美子と八郎さんを寂しく思うのは、出会いから結婚までをまるで恋愛ドラマのように丁寧に描写していたからなのか、特に喜美子のお父さんに結婚を許してもらうために何度もお願いをしていた頃などは、強烈なお父さんのキャラクターも相まって愛の絶頂期ではなかったでしょうか。
 お父さんが去り、妹たちが去り、夫が去り、子が去り、お母さんが去り、40代の喜美子が一人でご飯を食べる場面は、家の中がやたら広く感じられます。にぎやかな頃を知っているからです。陶芸家として成功している喜美子ですが、これでよかったんだろうか、というような気がしないでもありません。

 穴窯に憑りつかれている頃の喜美子は怖かった。何度も失敗して大金を失って危険な目に遭って、心配している夫の八郎に反対されても心を曲げず、ついには息子の学費に手を出そうして、八郎は家を出て行ってしまいました。
 無茶な喜美子を幼馴染の照子も怒っていましたが、その昔、恋人とのお出かけより2週も続けて歌会を選んだわたしは喜美子のことをまったく責められません。えぐられるように、苦い気持ちを思い出しながら見ていました。喜美子はその後、穴窯が上手くゆき陶芸家として大成しましたが、わたしは別に短歌がどうにかなったわけではないし、このことだけが原因ではないのでしょうけれど、しばらくして恋人にも捨てられたのでした。当時はそんなことになるとは知らず、のんきに道中にこんな歌を詠んでいました。

  逢引きの誘いを蹴って歌会へと向かうわたしよ 行き遅れるな

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わたしの部屋がこんなに散らかっているのは本のせいだと決め込み、思い切って大きな本棚を買いました。組み立て式の本棚が自宅に届き、これでやっとスッキリするぞ、と期待しました。が、思わぬ落とし穴がありました。「必ず二人以上で作業してください」と、説明書に太字で注意書きがありました。

 こういう時にわたしにも兄がいたらよかったんだろうか。と、考えたのは昔の元同僚さんが「何か困ったことがあるとお兄ちゃんを呼んでる。いつでも夜中でも駆けつけて来てくれる」と言っていたのを思い出したからです。
 デートをしていたら親が付いてきたとか、外泊したら警察に失踪届を出されたとか、許しを得られなかったので家出をして一人暮らしを強行したとか、その人の家族の過保護ぶりは雑談の時の定番ネタでした。割と放任主義で家を出ることを望まれて一人暮らしになったわたしは、まるで別世界の話のように聞きながら、「愛されてるね」と何度も相槌を打ったものです。

 生育環境の違いは思わぬ時に影響を及ぼします。震災の翌朝、わたしとその当時の同僚さんは、それぞれ別の人に車で自宅に送られることとなりました。わたしは自宅アパートの前で降ろしてもらい、めちゃめちゃになった部屋を一人で片付け、トイレを借りに役所に行ったり来たりしつつ、夜は避難所に行って冷たい床の上で眠りました。
 同じくらいの年齢で同じ時間に同じように同じ場所を出発した同僚さんは、その後を同じようには過ごしていませんでした。自宅アパートまで送ってもらった後、送ってくれた人が部屋の中まで片付けてくれ、こんなところに置いてゆけないと心配され、みんなと一緒の所へ引き返していたのでした。

 片づけを手伝ってほしいと頼んだのか、自主的に世話したのか、詳しい話は聞いていません。この際どちらでも同じようなものでしょう。それぞれの送ってくれた人の人柄の違いや相性もあるでしょう。けれども、組み合わせが逆だったとしても結局わたしは一人で避難所に行く流れになる気がしました。愛されて育った人特有の可愛げだとか素直さだとか守ってあげたくなるような雰囲気だとかそういうものがわたしには足りなくて、そうした人格形成の差がこういう非常時に運命を分けるのだ、と知りました。尤も、大きな被害に遭った人がたくさんいる中で、わたしの個人的な小さな衝撃なんて些細なことに過ぎません。命が助かっただけでもう充分にわたしは幸運な側にいるのでした。

 本棚は一人で組み立てました。一人の腕の力では重くて持ち上げられなかった物も、腰を下げて肩に担ぎ、背負うようにすれば、どうにかなんとかなりました。自分の身長より高くなった本棚に、床いっぱいの本を収めてゆきました。ずっとこんなふうに生きてきたし、ずっとこんなふうに生きてゆくのかと思いました。窓の外はすっかり夜になっていました。

  「たすけて」とときどき叫びたいけれどあの日のようにまたがまんする

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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