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川が好き。山も好き。
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歌会のために、ふた月に一度ほど福島へ行っています。福島へ、とは言ってもほんとうに福島駅周辺のみで、あちこちを観光したりはしていないのですが。
 仙台福島間は新幹線では20分という速さですが、わたしはいつも電車です。Wきっぷという、往復1500円(税抜き)のお得な回数券があるのです。この回数券がなかったらここまで福島を近く感じなかったでしょう、ってくらいです。一時間ほどを電車に揺られながら、車窓の景色をながめたり、本を読んだり、ウォークマンで音楽を聴いたり、周りの乗客の会話に耳を傾けたりしながら過ごします。この時間に歌が詠めることも割とあります。

 いつもの快速に乗って行くと、12時頃に福島駅へ着きます。歌会は13時から。それまでの間を、わたしはよく駅ビルの屋上で過ごします。お店でお昼ご飯を食べたい気持ちもありますが、混雑する時間なので待ち時間が気になります。屋上は椅子があってテーブルがあって、ただちょっと過ごすのにちょうどよいのです。植え込みの花壇もあります。春に訪れた時は、わたしが屋上を後にする時に入れ違いで屋上へ向かっていたおばさんに「花は咲いていましたか?」と聞かれ「つつじが咲いていました」と答え、なんだかこういう会話っていいなあと思ったものでした。
 さすがに12月は開放していないかな、と思いましたが、先週はまだ開いていました。少し肌寒かったけれど、天気がよかったです。デート中らしき若い男女と、一人の女性がいました。わたしはテーブル席に座り、下の売店で買ったトンカツのサンドイッチを頬張り、自宅から持参していた水筒のお茶を飲みました。屋上からは、頂に雪を積もらせた山が見えました。花壇には、寒椿が咲いていました。冬に咲く花もあるんだな、と、あらためて思いました。

  「福島をずっと見ているTV」なる番組をずっと見ているわたし


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仕事で、賞状をいただきました。もう仕事は生活のためと割り切っていて、今の仕事もなんとなく続いているような状況ではありますが、こんなふうに表彰してもらえるのはやっぱりうれしいです。生活のためと割り切っていても、使い捨てのような境遇でも、まじめに働いているので。

 昨日の隣の席だった人は、仕事でミスをしたようで、注意をされていました。わたしもその人の引継ぎで残業をするはめになったことがあります。その時、「すみません」も「ありがとう」も言われませんでしたが、たぶんその人は自分のしたことや、自分のしたことで他人が残業をしなければならなくなったことなどに気づいていなかったのだと思います。悪い人ではないので、根に持つつもりもありません。上司の注意も優しいものです。
 その人はわたしより年上の女性で、以前雑談した時に、もう何年も働いていなくて久しぶりに働いていると言っていました。左手の薬指には大きな指輪が光っています。生活の懸かっていない人特有ののんびりした優雅な働きぶりはなんだかまぶしささえ感じます。

 職場には、同僚さん達の間で嫌われているような人もいます。 先日、お昼休憩に一人でお弁当を食べていたところ、その人がやってきて二人で食べるような格好になりました。わたしはよくわからないですが、そういう距離感の近さも嫌われる原因なのでしょうか。適当に雑談をしましたが、前職の話や資格の話など、普通に雑談でした。そうして話の中で、どうも同棲中の恋人がいるらしいことを匂わせてきました。

 仕事で何度も注意されようとも、職場で嫌われていても、自分の帰りを暖かく迎えてくれる人が自宅にいるのなら、もう勝ちなんじゃないか、と思いました。何が勝ちなのか、勝ちとか負けとかがどういう意味なのか、自分で言っていてよくわからないけれども。
 
  死ぬのかと思う職場を出た後の透明さにて街を歩けば


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唐突に、文ちゃんのことを思い出しました。文ちゃんは、10年前、わたしが接客業をしていた頃のお客さんです。当時52歳くらいでしたが、60歳以上に見えました。老けて見えるのは、病気のせいだったと思います。文ちゃんのお友達で世話人のようなおじさんが、文ちゃんは体が悪くて何度も入院をしていること、頭のネジが飛んでいるけれど気にしないでほしいというようなことを教えてくれました。

 文ちゃんは「笑顔がいいね」とわたしを気に入ってくれて、お店に来ては「アイラブユー」と言いながら森山良子のカセットテープや一言のみ書かれたラブレターを渡してきたり、カーネーションの鉢植えを持ってきたりしました。そうしたことを、ストーカーに遭っているのではないかと同僚さんや上司に心配されたりもしましたが、結局は悪質なものではないようだし、わたしがお年寄りの癒しになっているようなら適度に相手をしてあげて、というような話で落ち着きました。

 当のわたしは、こんなに真っすぐに愛情を伝えられたのが初めてだったので、うれしい気持ちがあったりもしました。
 もちろん、これが一般的な50代男性だったら気持ち悪いことこのうえないのですが、文ちゃんは普通の人と違って頭のネジが飛んでいる人だったので、逆に誰の言葉より信じられるような気もしました。おじいちゃんにかわいがられているような、子供に慕われているような感覚でした。
 一方で、文ちゃんにしか愛されない人生なのか、と悲しくなったりもしました。どうやら自分が知らず親に傷つけられて育ったことに気づいてきた頃で、これまでの自分の生きにくさの理由がわかってきた頃で、精神的に弱っていたというのもありました。

 ある日、文ちゃんは泣きながらやってきました。あんたのことを恋愛感情で見ているわけではないんだよ。親のような気持ちなんだよ。あんたがかわいそうなんだよ。ということを訴えてきました。かわいそう、かわいそうと何度も言いました。
 わたしと文ちゃんはただの店員とお客さんなので、年齢を聞かれた時に答えたぐらいで、個人的な話をしたことはありません。文ちゃんはわたしのことを何も知りません。だのに、わたしの何がそんなにかわいそうに見えたのでしょうか。

 それから文ちゃんはまた入院したようで、しばらく顔を見せることはありませんでした。久しぶりに例のお友達のおじさんと一緒にお店に来た時、痩せて一層老け込んだようでした。そして、わたしのことも忘れているようでした。文ちゃんを見たのはそれが最後です。

  誰からも必要とされぬわたくしの職場向かいのアカチャンホンポ

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オフィスビル中の自販機ことごとくリアルコールド売り切れている

  残業だ「働くママ☆」がお子さんの都合で今日も欠勤だから

  弁当を食べればラップが残るなり冷凍保存してたご飯の

  電柱の根元にタンポポ咲いていて 生命保険審査に落ちる

  生活保護ってどうなのかなとつぶやけば女友達やたらくわしい

  先生とわたしも呼ばれたことがある きゅうしょくしつのたみや先生
 
  五合炊き炊飯器にて五合炊く すべてわたしが食べる白米

     *

  「申し訳ございません」を今日何度言っただろうか機械のように

  頭髪の薄くメガネをかけている人を「メガネの人」と呼びおり

  死ぬのかと思う職場を出た後の透明さにて街を歩けば

  三連休わたしの休みは一日で雨降る中を映画見に行く

  東北の女性を東北出身の監督が描くならば信じる
  
  震災ののちを生きゆく独身の女性の映画に一人客多し

  ベランダに十九の蕾この夏に十九の花が開くしあわせ

     *

  寂しいな 人に会っても寂しいし人にキュウリをもらっても寂しい

  身の内にわたしの穿った洞があり生ぬるい水が溜まっています

  根は明るい人だと吹聴されてもう笑うしかないいつものように

  教え子を二人孕ませ不倫までするから与謝野鉄幹きらい

  ひと玉のキャベツを買えばそれだけでしあわせであるような日曜

  ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

  ぬばたまの乳がん検診ゼラチンは乾物入れに残してあった

  しあわせな人生でした朝昼晩ご飯を食べて服着たりして


***

 選歌欄評にて木村さんより7月号ガールズトークの歌の評をいただきました。自分なりの震災詠をこれからも詠んでゆこうと思います。

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「南瓜とマヨネーズ」を観てきました。魚喃キリコさんの原作漫画がとても好きで、今読み返したら私の持っている復刻版のコミックスが初版が2004年でした。なんだかそんなに昔の漫画だったかなあというような、不思議な感じです。
 主人公・ツチダは昔好きだった人・ハギオを忘れられないまま、現在の恋人・せいちゃんと同棲をしています。せいちゃんはミュージシャン志望の無職で生活力がなく、ツチダはこっそり水商売を始めたりして、そんな折、ハギオに再会して、というような、なんだかこうやってあらすじを書いてみるとなんだかわたしの文章力のせいか陳腐なストーリーな気がしてしまうのだけど、コマ割りとかモノローグとかなんていうか空気感がとてもよくて。初めて読んだ時にわたしはラストでぼろ泣きしたのでした、その頃は恋とか愛とかいうことが理解できなくて、ちっとも共感なんてできなかったのに。職場の休憩室だったのに。

 さて映画の方は、ツチダが臼田あさみさん、せいちゃんは太賀さん、ハギオがオダギリジョーさん。何故か原作のアパレル勤務からライブハウス勤務になった臼田あさみさんがキュート過ぎるので、軽い女性に見えてしまうような感じもしました。せいちゃんは原作では優しかったのが、髭も生えていてちょっと今風でチャラい感じ。でもバンドマンを実写ってなるとこういう感じなのかなあ。
 ラストのせいちゃんが作った歌が、ちょっとイメージと違っていて、うーん…。あんまりネタバレになるとあれですが、原作ではベタな方向に持っていかずにハズしたところがとても良かったんです、そのセンスにほろっとくる。別に映画の曲自体が悪いわけじゃなくて、でも原作で言っているような歌詞はこれじゃないでしょうという感じ。でもこれは原作に対する自分の思い入れが強すぎるせいなのかも。

 魚喃キリコさんはわたしが20代半ばだった頃、「土曜の夜はケータイ短歌」というラジオ番組のパーソナリティーをしていました。わたしは魚喃さんのファンだったので投稿を始め、初投稿で魚喃さんと東直子さんに採っていただけて、とても感激したのを覚えています。結社とか歌壇とか何にも知らず、ただノートに書き留めていた頃でした。こうして短歌の投稿初期にうれしい評をいただいた経験があったから、ずっと続いているのかもしれないです。
 その時の歌は一読すると相聞のようですが、26歳当時のわたしはAセクシャル全開なので、相聞ではないです。投稿テーマは<音楽>でした。
 
  鍵盤を奏でる時の指先と心でわたしにさわってほしい

  公式サイト→http://kabomayo.com/

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昨日は仕事がお休みでした。ちょうど映画館の割引デーだったので、早起きして映画「南瓜とマヨネーズ」を観てきました。魚喃キリコさんの原作漫画が好きで、実写映画化という話を聞いてから楽しみにしていました。感想は次の機会に書くとして。平日の午前中とはいえ、割引の日なのでそこそこ人はいました。早い時間に始まったので、映画が終わっても11時です。

 せっかく街に出たので、少し見て回りましょう。この頃はひざ下丈のスカートを探しています。もともとそんなに服が好きとかではないのですが、さすがにもう手持ちのひざ小僧の見えるスカートが痛々しくなってきた気がするのです。ひざ下丈でも、ガウチョパンツは苦手です、トイレの時に大変だから。結局、セールでお安くなっていたワンピースと、セールでお安くなっていたニットを買いました。おしゃれのためではなく、今着ている服がおかしいので必要に迫られた買い物といった感じです。なんだかもう何を着たらいいのかわからないです。ワンピース、便利ですね。

 お昼はイタリアンで一人ランチをしました。友人と以前行った時にクーポン券をもらっていて、その期限日だったのでした。女性の一人客も割といて、特に気後れすることもなく過ごしました。なまじ料理ができるため「自分で作った方が安いし」と外で食べることは滅多になかったけれど、時々はこういうのもいいなと思うようになってきました。
 それほど混雑してもいなかったので、食後にゆっくりコーヒーを頂きつつ、ノートを広げます。隣の若い女性一人客さんはスマホに夢中で、カルボナーラが運ばれても手を付けずに必死で指をすべらせていました。あの小さな画面で、どんな世界と繋がっているのでしょうね。スマホを持たないわたしは、いくつか短歌を詠みつつ書き留めていくということをしました。

 自宅に帰ると、塔11月号が届いていました。8首も採っていただいていてありがたいですが、なんだか病んでるような歌ばかり。思えばあの頃、心がとても疲れていたのでした。今もほんとうは疲れているような気がします。洗濯機を回して、塔をぱらぱらながめているうちに、眠ってしまいました。
 冷蔵庫に肉類や卵がなくなっていたので午後に買いに行く予定だったのに、起きたらすっかり夜でした。しょうがないのでキャベツを刻みました。

 たとえば乳幼児の子育て中で自分の時間が全くないとか、モラハラ夫に支配されていて何をするにも報告や許可が必須とかいうような息苦しい境遇ならば、昨日みたいな一日がとてもしあわせなんじゃないかと思うのです。
 ただ、これがいつものことだとしたら、これから先も何十年も続くのだとしたら、それはそれでとても生きぐるしい。自分の暮らしに自分しかいないような感覚。誰のためでもないわたし。
 でも、昨日みたいな一日を「あの頃は自由で良かったなあ」って思い出す日も来るのかもしれないな。両親の介護もまだ始まっていないし、決して裕福ではないけれどわたしには借金もありません。

 次の日は、欠勤者の穴埋めで、早出残業でした。

  待ってとも待たないでとも言われずに過ぎてゆく秋コンビニへ寄る

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仙台メディアテークにて「夏目漱石~その魅力と周辺の人々」の展示を観てきました。開催期間が2017年11月3日(金)から2017年11月14日(火)までととても短いですが、これで入場料無料っていうのは良心的。生原稿や書簡なども見られて良かったです。とりわけお嬢様に宛てた鶏の絵ハガキとか、土井晩翠宛ての自画像付きハガキが微笑ましい。ポスターやチラシがイケメン風な漫画絵なのが個人的には好ましくないのですが、集客効果を狙ってのものなのでしょうか…。夏目漱石を最近読み耽っていたので、とてもタイムリーでした。

 夏目漱石はこれまで『坊っちゃん』(読書感想文もかきました)、『三四郎』、教科書で『こころ』の一部を読んでいたのですが、ここ数月で『それから』『門』『道草』『彼岸過迄』を読んで、今は『明暗』を読んでいます。『それから』は特に続きが気になって夢中で読み進めたし、自伝的な『道草』も興味深かったです。主人公の健三と細君の距離感がなんとも。
 この数月の間でNHKで「夏目漱石の妻」が再放送されたのもとてもうれしかったのでした。生誕150周年ですしね。リアルタイムでも見ていましたが、より楽しめました。長谷川博己さん、和服が似合いますね!
 漱石漬けだったわけではなく、間に川端康成『愛する人たち』を挟んだりもしました。これも読みやすくて良かったけれど、時代のせいもあってか少し男性目線が強いような気もしました。

 吉田修一『横道世之介』がなんとなく『三四郎』っぽいなと思って(大学のために上京という出だしがそう思わせるのでしょう)なんとなく再読し、続編と言われている『それから』を読んでみたくなったのがきっかけでした。
 あともう一つ、今さら未練も全くないですが元々恋人が夏目漱石を全部読んだという人でした。そして、元恋人とも夏目漱石の話で意気投合したのが始まりです。これは偏り過ぎでしょう。なぜ似たようなことが続くのか、夏目漱石を読むことで何かが見えてくるのではないか、と思いました。自己分析のような心持ちです。けれども、そんな当初の目論見はどうでもよくなっていて、今はただ単純におもしろいなあと読んでいます。そりゃあ夏目漱石は正岡子規と親友で、わたしはアララギ系譜の塔短歌会所属だから、おもしろく思わないはずがないのでした。ああ、でも漱石も解説を寄せている長塚節の『土』は、なんというか。

 メディアテークでは今、「細倉を記録した寺崎英子のまなざし展」という写真展もやっていて、これもとても良かったです。宮城県北西部の鉱山閉鎖に伴う人々の暮らしの記録。こういう何気ない写真はほんとうに胸に届くものがあります。美しい光景とかそういうことではなくて、ここでこうして日常があったという記録性。

 久しぶりに通った定禅寺通りはきれいに紅葉していて、落ち葉の中を歩きました。これがあとひと月後には裸木になり、イルミネーションで彩られるのだなあと思えば、なんだかあっというまです。


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「月と雷」を観てきました。角田光代さんの原作が好きで。主人公の康子の、30代独身で田舎のスーパーのレジ打ちパート勤務というさえない境遇に近しさを覚えるのかもしれません。尤も、それまでの人生は結構歪んでいるのだけれど。ああ、文庫本の「まっとうな家族が作れるのだろうか そんなものを知らずに育った私たちに」という帯文にも惹かれたのだったと思います。
 
 映画を観る前に再読をしました。幼い康子の家に転がり込んでくる親子・直子と智。わたしは直子みたいな女の人にどうしようもない嫌悪感があります。一日中酒を飲み、タバコ、パチンコ、ゴミ屋敷。男の人にもだらしがなく次から次へと渡り歩く。不倫して何度も妊娠して堕胎する。ことさら不快に思えるのは、わたしがそうしたことを自分に禁じているからという、心理学でいう投影の法則なのかもしれません。
 直子のようなクズ系の女性は身近にはいませんが、妙によく聞くような気がします。ニュースで知る犯罪者は大概がこんな感じじゃないでしょうか。というか、わたしは読んでいて石井光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』というルポタージュ本を思い出したのでした。「愛していたのに殺した」という親達。そしてその親を育てた親たちへ目を向けてみると見えてくる悲惨な成育歴、劣悪な環境、歪みの連鎖にどんよりとした気分になります。要するに、極めて常識的でない人達の下に生まれた人達は、まともに育てられていないので何かが欠けていて、大人になって自分が子を持った時にどうしたらいいかわからないのです、愛していても。

 映画の方は、康子は初音映莉子さん、小説の屈折したイメージより正統派な美人さんでした。智は高良健吾さん、これはとてもわかる。そして直子がお上品なイメージの草刈民代さんというのは意外なキャスティングでした。
 原作で好きな台詞が映画には出てこなかったのと、原作とちょっとタイミングの違ったラストが少し不満かなあ。でも映画らしい余韻なのかも、とも思いました。
 それにしても、公式サイトの角田さんのコメント「書いていて大嫌いだった泰子も智も直子も」って! わかるけれども!

  公式サイト→http://tsukitokaminari.com/

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「中学生の時、ブラジャーを買ってもらえなかった。」

 点けっぱなしのテレビからなんとなく始まったドラマの冒頭でのモノローグの一言に、泣くかと思いました。今でこそ、成長期に必要な下着を買ってもらえないのは毒母あるあるとして知れ渡っています。とはいえ、人気の女優さんがこんな普通の時間帯のドラマでよくこうしたリアルな台詞を言ってくれたなあと、妙に感激しました。あの頃、ほんとうにくるしかった、白くて薄い体操服。

 専門書を読んだり、様々なドキュメンタリーを見たりすると、世の中には酷い親がたくさんいます。そうした虐待やネグレクトなどに比べたら、クラスのみんなのお母さんと同じことをしてくれなかったことぐらい、たいしたことないように思えてきます。そうやって、わたしはしあわせな方なんだ、恵まれている方なんだ、と言い聞かせることでどこか救われるような気もするし、なにかが麻痺してゆくような気もします。

「明日の約束」、第2話も見ました。母親が娘を言葉で傷つける、という場面が、とてもつらい。言葉は、呪いのように人生に作用してゆきます。
 自分が心の底から満たされて安心しない限り、ふり返り続けるんだろうなって思います。前を向いて生きていたいけれども。

  帰省するなら冬がいい 背に浮かぶ線の隠れる上着を羽織る

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今の仕事に勤めて一年が経ちました。当初は3月までの期間限定の仕事と聞いていたのですが、業務が延長になり、その業務が終了しても別な業務が始まり、という感じで今に至ります。いつまで仕事が続くのかはわかりませんが、普通に働いてお給料がもらえて、生活ができるのはありがたいことです。今よりつらい働き方だった頃や、働けるような状態ではなくなって休職していた頃のことなどを忘れないようにしなければ、と思います。
 
 同期には妊婦さんが3人いました。研修の始まった頃は、こんなにお腹が大きい状態で新しい仕事を始める人生もあるのか、と心配になったりしたものです。2人はもちろん途中で辞めてゆきましたが、今頃は赤ちゃんが生まれているのだろうなあ。もう一人は、妊婦さんだと思ったのはわたしの勘違いで、今も一緒に働いています。余計なこと言わないでよかった…。

 職場の前には銀杏並木があり、この時期は落ちた銀杏がたくさん踏みつぶされていて、独特な匂いがします。でも、この匂い、わたしは結構好きです。
 
  「明日 勇気」ハローワークの求職の申込書の記入例の名

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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