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川が好き。山も好き。
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二人して映画に行きしと記しおり見たる映画はなにも記さず  池本一郎
(日記の歌、とてもリアルで細かいところを詠っていると思う。青春っぽい。)

この夕べ支へて呉るる人が欲し否、否、光るしやもじが欲しい  松木乃り
(上の句の切実さと下の句の大胆な飛躍っぷり。)

美しい瓶がほしくて酒を買ふ青地に赤いもみぢの舞へる  寺田慧子
(瓶の方が目的というのがおもしろくて、瓶の詳細さも良くて。)

町内をめぐる神輿を遠くから行きと帰りに家族で見たり  徳重龍弥
(神輿がずっと町内をぐるぐる回ってるんだなあっていう時間の流れと郷土感。)

音だけは聞いていた花火どちらとも行こうと誘わぬままに過ぎき  吉川敬子
(「誘えぬ」ではなく「誘わぬ」というあたりが絶妙なニュアンス感。)

白桃の大きなパフェを食べ損ね数年が過ぐ坂の途中の  西村玲美
(そのまま過ぎる歌が好きなのかなあ、わたしは。パフェの具体性もおもしろくて。)

ふるさとの神様の前でお願いする死ぬまでお金が入ってきますように 石井久美子
(笑えるようでいて、近所ではなく「ふるさとの神様」にお願いするあたりのいじましさ。)

ふと箸の軽くなるときすくひたる麺にまつはる麺ははなれつ  佐藤陽介
(こういうなんでもない歌は意外と詠うのが難しい。)

親鳥と見紛ふほどになりたれば誰も撮らざる白鳥のひな  岡部かずみ
(既にそれは「ひな」なのかという疑問もありつつ、観察と風刺に。)

結婚をすると会社が二万円くれるらしくて考えている  吉田恭大
(数字の具体性がリアルで、心情的にも正直で。)

川の面に立てる白波 病室の窓辺で舟が遠ざかり行く  朝野ひかり
(「川」「病室の窓辺」「舟」という取り合わせ、さびしい。)

きみと来た日々を選んできてしまうえのころ草の揺れる坂道  北虎叡人
(「えのころ草」いいなあ、「きみ」の人柄や関係性を思わせる。)

聞き手という手はあり君の白き手がわれの言葉を書き留めゆく  小林貴文
(優しい歌、インタビューか何かのようにも思えるけれど。)

ゑのころの穂むらを染めて陽が沈む何もなき今日が暮れてゆくなり  広瀬桂子
(「ゑのころ」いいなあ、「何もなき今日」というのも好きなテーマなので。)

テレビで見る岩松了と変わらない岩松了が笑っているよ  山口蓮
(岩松了さんという人選。そしてそんなにテレビで見ない気が。わたしは映画で最近見ました。)

いつか行く旅の話をするための夜ふかし 今日を覚えていてね  小松岬
(そう、旅よりも、旅の予定を立てている時の方がほんとうにしあわせ。)

上司より茶色の小瓶を手渡さる身過ぎ世過ぎと割り切る職場で  竹井佐知子
(全く同じ経験があったので共感から。わたしはオロナミンCでした。)

生涯を飲み続けよと言われたるなんとはかなき黄の丸薬  津田雅子
(上の句の重さと、下の句の小ささの対比。)

ストレスと過労が原因ゆっくりと休みなさいと言ってくれ ない  かがみゆみ
(結句の一字空けがすご過ぎる。ゆっくり休んでほしいです。)

ぐすんぐすん擬音語出せばそんなにも泣きたいことではないと気づきぬ  中井スピカ
(「ぐすんぐすん」は確かにマンガチックで悲劇のヒロインっぽい。客観性の味わい。)

誰もみな良い人だつたと思ひおり木槿の白花蕊まで白い  小畑志津子
(「だつた」の過去形がなんとも寂しくて惹かれるのでした。)

初恋の少年夢にあらわれて会釈をすれどわれは黙せり  吉田典
(夢なのに。夢の中でも、というせつなさ。)

届きたる差出人の月へんのきみの名前が今も眩しい  萩原璋子
(どんな贈り物より手紙が一番うれしかったりして、でも過去なんですね。眩しいな、月へん。)

もうできないことと今ならできることどっちにしろできなくて 粉雪  逢坂みずき
(どっちにしろできない、という諦観。もどかしいけどリアル。)

川沿ひの郵便局も陶器店もいたくちひさし葬の車窓に  千村久仁子
(実際の光景なのでしょうけれど、具体の選び方、取り合わせがいいなあ。)

いくたびも入院したる夫、父母どの病棟にもわれは迷へり  西山千鶴子
(病院はほんとうに迷いやすいと思うし、作者の心も迷っていたのでしょう。)

「退院したら」会はうとふ人増えて来て退院後の我が初冬輝く  高野岬
(闘病の歌ながら希望があって、「輝く」も思い切った表現だけど伝わる。)

月明かり星のあかりのつもる家待つ人おれば帰るほかなく  菊井直子
(待つ人がいなければ帰りたくない?不思議な心情が気になる。)

水筒のお茶泡立ちて日に温む 樹を見るために歩く山道  森尾みづな
(健康的で気持ちのいい歌。山道を歩いたら樹が見える、ではない表現の工夫もおもしろく。)

あわれなり父に殺されし五人の子読み仮名なければ読めぬ名を持ち  倉成悦子
(歌としては率直すぎる気もしつつ、とてもわかるので。)

***

 敬称略。ずっとわたしもやってみたくて、やっとやってみました。毎月マルを付けながら読んではいましたが、こうして書き写してみると、なにか見えてくるものもありますね。余裕があれば評的なものも追記したいな。するかも。

 (2018年2月17日 一言評を追記しました。)

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久しぶりに、山本周五郎「三十ふり袖」を読み直しました。
 主人公のお幸は賃仕事をしながら病身のお母様と二人で裏長屋に暮らしています。不景気で生活が行き詰まっていたところに、近所の飲み屋「みと松」のおかみさん・お松から、常連客である巴屋の旦那の妾の話を持ちかけられます。巴屋の旦那は四十五、六でとても良い人だと言います。
 ――あたしもう二十七なんだわ。
 と、くり返されるお幸の独白がかなしい。江戸時代の二十七は今でいう三十七の感覚でしょう。それでも、わたしがこの作品を初めて読んだ時の年齢が二十七くらいだったので、当時はお幸の心に寄り添うように読んだものでした。
「心を鬼して云うわよ」と、お松は言います。「世間がこんな具合だし、病身のお母さんを抱えていては、お嫁に行くこともお婿さんをもらうこともできやしない。それにあんたも年が年だし、もしかして縁があっても、子持ちの処へのちぞえにゆくぐらいがおちだわ、ねえ、そのくらいならいっそちゃんとした人の世話になって、ゆっくりお母さんにも養生をさせ、あんたも暮しの苦労からぬけるほうがいいじゃないの、世の中には十五十六で身を売る娘だって少なくはないのよ」
 お幸が承知したところで、この話がうまくまとまれば巴屋の旦那から世話料を貰える、それが貰えれば助かるから、心の中ではそれをあてにしていたのよ、とお松は泣き声で白状するのでした。
 ――誰が悪いんでもない、こういうめぐりあわせなんだもの、世間にはもっと、いやな辛いおもいをする人だって、たくさんいるんだもの。
 と、お幸は自分に言い聞かせながらも、自分のことをあんまりかわいそうだと思うのでした。

 完全なる善意から、五十歳近い男性を紹介されることになりました。仲介の知人女性が無邪気に「うまくいくといいな~」とウキウキしている様子に、わたしはどこか傷ついています。わたしが勝手に傷ついています。誰も悪くありません。
 水を差したいような気持ちになり、仲介の女性に、障がいがあってまともに社会生活の送れない弟がいることを伝えました。女性は困ったようになり、しばらく逡巡した後、相手には黙っていましょうと言いました。
 ――あたしもう三十七なんだわ。
「三十ふり袖」のお幸のように、わたしは心の中でくり返しています。

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「女子力高い」と連呼されてひどく居心地が悪くなった自分、というものを覚えておくことにします。反射的に「このわたしの女子力が高いいもんか!」とわざわざ髪をぼさぼさにしたり、すっぴんを晒したり、くたびれた恰好をしたりおかしな姿を見せつけて「ほーら、わたしの女子力が高いわけがないでしょう」って相手を納得させようとするような、破壊衝動に走らないように。
 
 破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
 呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。

  まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る

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今日は10時前には職場に着いていないといけないのに、起きたら11時20分でした。寝坊です。連絡して遅番のシフトに変えてもらおうと思いましたが、どうにもぐったりして無気力感が強く、体調不良と伝えて欠席をしました。ずる休みです。

 ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
 あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。

 昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。

  一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい

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どんと祭に行ってきました。もう人生の半分を仙台に暮らしていますが、どんと祭に行ったのは初めてです。どんと祭といえば大崎八幡宮が有名ですが、映画を観に行った帰りに寄れる陸奥国分寺薬師堂へ赴いてみました。薬師堂はわたしの宗派と同じ真言宗智山派なので、心の安らいもあります。

 薬師堂に向う途中で、裸参りの人達とすれ違いました。雪もない夕べとはいえ、とても寒そうです。みんな白い紙を口に咥えていて、なにか伝統を感じます。17時頃に薬師堂に着き、わたしも長い行列に並びました。
 わたしが持参したのは、震災後でとてもつらかった頃に母が買ってくれた干支の根付の御守りと、前厄の年に祈祷してもらった御札、本厄の年に買った厄除けの御守りです。本来はこういったものは一年毎に新しくするのでしょうけれど、わたしは気の済むまで持っていたくて、持っていました。そうして、もう気が済んだというか、手放すことで自分の心がすっきりするような気もして、焼納してもらいました。
  焚き上げられた火は御神火と呼ばれ、あたれば一年間無病息災、家内安全の御加護を得られると言い伝えがあります。とてもあたたかい火でした。炎の揺らめきは不思議に気持ちが落ち着き、いつまでも見ていたいようでした。

 地元の山形では、おさいとうという風習があります。どんと祭と似たような、正月飾りや御札、御守りなどを焚き上げる行事です。わたしの集落では、おさいとうに行くと少しの炊き込みご飯をもらえて、それをみんなで食べるのでした。あの縮こまった糸こんにゃくが妙においしくて。
 似たような行事なのに、なんだかわたしはおさいとうが懐かしくて、どんと祭はよそ行きな気分です。いつまでも、よそ行きな街です。

  羽黒山二四四六段上り下り母が御守り買ってくれたり


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あっという間に今年が10日も経ってしまいました。仕事が始まれば新年気分もすっかり抜けていつもの日常です。お昼休憩の一緒になった同僚さんに「今年、良いことがあるといいですね」と言ったら、にっこりとして「私は毎日なにごともなく暮らしてゆけたらそれでいいです」というような答えが返ってきました。
 ほんとうにその通り、特別な良いことなんてなくとも、平穏無事に生活できることはとてもしあわせで、十分に奇跡的なことです。あらためて気づかせてくれた同僚さんの、その謙虚さに胸を打たれたのでした。

 その同僚さんのことを、わたしより少し年下くらいかな、と思っていたのですが、はっきりと年齢は聞いてないものの話の節々から察するに、思っていたよりずっと年下のようです。自分よりしっかりしているように感じていたため年齢差を意識したことはありませんでしたが、自分比を取っ払えばわたしより少し年下の35歳くらいのわけはないと思い直しました。そしてわたしは人生経験が足らずに精神が幼いままですが、実際は存外年齢を重ねています。

 気がついてみれば、周りに年下の人が多くなりました。上司だってほとんどが年下ですし、短歌で勢いのある人達も、テレビですてきと思った俳優さんや女優さんも、活躍中のスポーツ選手も年下です。みんな、ちゃんとしています。逆に、自分より年上なのに言動の子供じみた人を見かけると、なんともいたたまれない気持ちになります。そのように、わたしも見られることがあるかもしれません。
 いつまでも頼りない自分のままではいられないな、年相応の落ち着きが欲しいな、としみじみ思いました。

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 年末年始は休みが取れたので31日から実家に帰省しました。移動中に読むものが欲しいと思い、高速バスに乗る前に書店に寄り、高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』を購入しました。高田渡を知ったきっかけはNHKの山之口貘のドキュメンタリーだったかと思いますが、その頃はまだご存命でした。巻末の年譜に2005年にご逝去と記されていて、時の流れにびっくりします。その番組はVHSに録画していて、今でも部屋にあります。また、年譜では1月1日生まれですが、解説には本当は12月31日生まれだとありました。12月31日生まれのわたしが、12月31日にこの本を手に取ったのが妙な偶然です。

 元旦は、「おまえの年だよ」と言いながら、犬の散歩をしました。いつもの農道もすっかり雪景色です。午後は近場の慈恩寺へ初詣に行ってきました。縮緬のさくらんぼの根付付きのおみくじは中吉。あとはほとんど寝正月でした。こんなに眠れるものかというくらいです。

 実家にいると、家族の誰もが愚痴や文句、批判など否定形の負の言葉ばかりで息ぐるしいです。でも、くるしいと思えるようになってよかったとも思うのです。否定が普通だという感覚に取り込まれていた頃がありました。祖母が生きているうちは帰れるだけ帰ろうとも思っているのですが、祖母と仲良くすると母の言葉がどんどんひどくなります。ほんとうは、わたしは優しい会話がしたいです。

 今年は、というか自分の心を一番大切にしたいと毎年言い続けていて、それはもうほんとうにずっと思っているのですが、たぶん一生のテーマでしょう。あとは、春夏秋冬の季節をちゃんと感じてゆける一年になればいいなと思います。

  農道を生みそこねたるわたくしが去勢済みなる犬と散歩す


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昨日は美容院に行ってきました。今までずっと美容院ジプシーだったのですが、近所に新しくできた美容院に行ってみたらとても良くって、この夏から通っています。ブローがいらないくらいきれいに切ってくれるのはもちろん、スタッフの方々もにこやかで和み系でいい感じ。行きつけの美容院ができたのは、今年のうれしかったことの一つです。

 今年は、転々としていた去年とは違って一つの仕事がずっと続きました。業務終了時期がいつかは来る仕事ですし、今の仕事がすごく良い仕事というわけではないけれど、同僚さん達にも仲良くしてもらえているし、お給料をもらえてちゃんと生活ができているということがありがたいです。
 今年は初めて石巻へ行ったり、結社の全国大会で郡山へ行ったり、東北内でも行ったことのないところへ出かけたりもしました。ただ今年は温泉へ行ってないのが心残りなので、来年はどこか行きたいです。一人旅でもいいかも!
 短歌の方は塔新人賞候補作として30首掲載していただけたのがうれしかったです。思い入れのある連作だったので、選考座談会の評は何度読んでも涙が出ます。大きな賞などはいただかなくともいいので、これからもマイペースに、自分の感じたことを詠んでいけたらと思います。
 良かったことだけふり返れば、ほんとうに良い一年でした。心はぼんやりしていましたが、今までの全人生の中で比べたら、全然しあわせな一年です。お世話になった皆さんに心から感謝しています。

 明日は誕生日、一年のふり返りが年齢のふり返りです。そんなわけで、誕生日特典にて美容院からはボディソープを、叔母へのお歳暮を購入したお茶屋さんからお菓子をいただきました。外はすっかり歳晩の雰囲気でした。わたしはちくま文庫の文庫手帳のブックカバーを付け替え、新年の準備をします。

  後ろ髪自分で切って失敗しても結わえてしまえば誰も気づかず


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同僚さん達と忘年会をすることになりました。以前、こうした集まりの時に仕事が予定外に長引き、誰とも連絡先を交換していなかったため、待ち合わせですれ違い苦慮した経験がありました。そうしたことのないように、緊急時の連絡先として自分の電話番号を幹事の方に伝えました。
 幹事の方がスマートフォンにわたしの番号を登録したところ、LINEの連絡先が追加されました。
「LINEやってるの?」「やってません」どういうことだろう、まさか乗っ取り? などとあやしんでいたのですが、なんのことはない、わたしが自分の電話番号をひとケタ間違えて伝えてしまったのだとわかりました。間違えて追加された知らない人のLINEにも、幹事の方のIDが追加されてしまったのでしょうか。
 ただの電話番号なら架電した時に「間違い電話でした、すみません」でメモを訂正すればいいだけなのに、今はいろいろ他の設定まであっという間に連動して繋がってしまうなんて、こわくなりました。

 この間、年賀状を投函しました。年賀状はもはや廃れつつある文化のような気がしますが、わたしは好きです。枚数はとても少ないです。年賀状を出す相手が格別仲が良いのか、というとそうでもありません。長い付き合いでも住所を知らないままということはよくあります。個人情報を明かしたくない人もいるでしょうし、年賀状のために住所を聞くということはほとんどないのでした。定期的に直接会える人には年賀状もメールも出さず会った時におめでとうを言います。
 年賀状だけの付き合いにも賛否両論ありますが、わたしは相手と決定的に不仲になったとか、手間なので止めましょうと協議したというのでなければ、気軽に会えなくなったり普段連絡を取り合わなくなった人とも一年に一度くらいこうして細く続くのはうれしいことだと思っています。
 年賀状が時代遅れになりつつあるのは、一年に一度の書面でのご挨拶をせずとも、気軽なメールや、常時近況報告を発信できるSNSの台頭が大きいのだと思われます。

 今年の流行語の一つが「インスタ映え」だそうです。先日お昼ご飯を一緒に食べた同僚さんはスマートフォンを繰りながら「友達のインスタに生活が振り回されてる」とぼやいていました。お友達が好きな音楽の動画を延々と投稿していて、見たくないのだけど繋がりを切ることができない関係の相手なので困っているとのことでした。
 思えば、繋がるってどういうことなのでしょう。会ったり言葉を交わしたりすることがなくなって疎遠のように感じられても、SNSで繋がってお互いの投稿を閲覧し合っていれば人間関係が繋がっているということなのでしょうか。
 それにしても、一緒にご飯を食べたり話をしている時に、こんなふうにスマートフォンをいじられるの、わたしはあんまりよく思わないです。気にしない人も多いのでしょうか。わたしは誰かと一緒にいる時は、そこに居ない人より目の前のその人を大事にしたいです、たとえつまらなくとも。そもそも、一緒にいるのがつまらなくてスマートフォンの向こうの相手を優先したいのなら一緒にいてくれなくともいいのになあ、と思ってしまうのでした。

  「年賀状送るのが夢だったの」と子を生した友に住所聞かれる

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少し前に書いた文ちゃんのこともそうだけれど、10年前の頃のことを最近よく思い出します。その頃には短歌も詠んでいたので何かが残っているというのもあるし、ずっと続けるような仕事ではないと感じつつもなんとなく仕事が続いているような状況が似ているからかもしれません。

 Iさんのこともこの頃よく考えます。Iさんは当時の職場の同僚さんで、わたしより10歳年上の独身女性でした。私服はいつも黒い服に黒いタイトなミニスカート姿で、ハイヒールがすらっとした足とても似合っていました。職場にはIさんと同年代の子持ち主婦さんがおり、Iさんの恰好に軽く突っかかっているのを聞いたことがあります。その場でIさんは何も言わず流していました。Iさんは自己主張の強くない人だったし、何よりとても似合っていたので、突っかかる方が小さく見えるほどでした。
 今の自分が、初めて会った頃のIさんと同じ年齢なんだな、と思うと、不思議な感じがします。今、20代の人からしたらわたしはどんなふうに見えるんだろうなーなんて想像することがあります。思い起こせば、20代当時のわたしから見たIさんは普通の女性でした。もちろん、わたしとIさんは別人ですが、必要以上に自虐に走らなくとも、あの頃の自分の目線を自分に向けていいのかもしれないな、と思い直しました。

 職場が閉鎖して、Iさんとは一旦疎遠になりました。けれども、新しい仕事の帰り、街中でばったり再会しました。わたしは再会を喜び、その後休みの日に会ったりもしました。Iさんはわたしより先に次の仕事が決まったと聞いていましたが、そこも無くなり求職中でした。
 しばらくして、Iさんから借金の申し出がありました。他に裕福で親しい人もいるだろうにわたしに頼むなんてよっぽど何か事情でもあるのかと思い、言う通りに2万貸しました。わたしにとっては大金です。失礼かもしれないと思いつつ、借用書のようなものも書いてもらいました。
 お金は後日ちゃんと返してもらいましたが、娯楽に使われたことを知りました。その時に、待ち合わせ時間に遅刻するなど不誠実さを感じたため、わたしの心が離れてゆきました。やっぱりぎくしゃくした感じになり、それっきりになりました。他人にお金を貸したのはそれが最初で最後です。
 あれから何度かわたしも無職になったりしましたが、一般の同年代より少額ながら貯金もしていますし、余裕のない時はいろいろ我慢しますし、お金を借りたことはありません。

 今の自分が、あの頃のIさんと同じ年齢になったということは、Iさんはあの頃より10歳年上になっているということです。間には震災もありました。どうしているんだろうと気がかりですが、今でも付き合いのある共通の知人も、Iさんと連絡が途絶えてしまったそうです。


  年上で無職の友に二万貸しワッフルおごってもらった雨の日

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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