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川が好き。山も好き。
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10月になってしまいました。8月号を読みましょう。そして9月号も読み終えておりますので近々。敬称略です。

  しまらくを迷ってプリンを買わざりきこうして四十年を過ごした  高橋武司

 本当にプリンを買わなかったのかもしれないけれど、プリンそのものへの執着というより、プリンのような買おうと思えばいつでも買えるような些細な物を買わないできてしまった生き方への自問の歌だと思いました。下の句の句またがりと口語が印象的。

  早苗とか佳苗とかいう名の友達が教室にいた昭和の頃は  山西直子

 わたしの同級生にも早苗ちゃんがいました。他にも耕、実など豊作の祈りを込めた名づけが、農家には確かに多いとあらためて気づきました。家業にちなんだ名づけも、農家も、時代の流れと共に少なくなっているのでしょう。

  それぞれの家に継がれし被爆記を内に秘めおり長崎の人は  北辻千展

 長崎といっても長崎全てが一緒ではなく、それぞれに物語があるということ。それを表沙汰にはせず内に秘めているということ。長崎という地名が、実際に長崎なのでしょうけれど、長崎なのが良いです。

  小さくてすぐにふさがる傷なれど痛みに夜を明かすことあり  佐伯青香

 実際にケガをしたのかもしれないけれど、心の傷のようにも読めました。「すぐにふさがる」という断定がなにかせつない。たいしたことない、すぐ治るってわかってても、痛いものは痛い。 

  腰痛の検査で癌がわかったと山の友達いつも前むき  林都紀恵

 重い内容を率直な言葉で詠んでいますが、友達のキャラクターに合っていると思いました。下の句が3・4・3・4と調子が良くて山登りの足取りのようです。

  菜の花のごとく明るくふるまって年度当初をしのいでおりぬ  垣野俊一郎
  
 お仕事の歌でしょうか。上の句の比喩に惹かれました。確かに春のどの花より菜の花が一番明るくてまぶしい気がします。花びらの薄さなども思いました。

  指先より老いは始まるとう指先に春を触れたり木の芽を抓みぬ  山本建男

 人間の老いと、これから育ちゆく自然との命の対比。出荷や料理のために木の芽は抓まれるのでしょうか。「指先に」「春を」と助詞の使い方がおもしろいです。

  次女の夫はオーママと呼び長女の夫はお母様と我を呼ぶなり 小川玲

 呼び方一つにも人柄が表れます。姉妹でも男性の好みはそれぞれ。しっかり者の長女は真面目な人と、のびのび育った次女は気さくな人と、似た者同士で結ばれたのでしょうか。当事者でありながら観察に徹しているような詠いぶり。

 新元号の歌の他に、円空仏の歌が多いように感じたのですが、なにか円空仏が世間の話題になっていたのか気になりました。時事詠の競演も結社誌のおもしろさだと思います。



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9月号が届く前に7月号を読みましょう。塔新人賞・塔短歌会賞もとても良かったです。敬称略です。

  描きしのちママレードにする夏蜜柑皮の厚さがまこと頼もし  石井夢津子

 絵に描いた後にジャムにして、そしてこうして歌にもなる夏蜜柑の皮なのです。本当に頼もしい。物を大切に無駄なく使うのが素晴らしいです。

  父九十、母八十八、叔母八十七、三人揃つて冬を越えたり  豊島ゆきこ

 この歌はなんといっても「叔母」の登場に奥行きを感じます。老夫婦の冬に、そのどちらかの妹一人の加わる事情など、書かれていないところでいろいろな背景があるのでしょう。

  子育ては楽しいですか幾たびもアンケートにははいと答える  矢澤麻子

 風炎集の「青鷺」から。六歳、二歳、十二歳の登場する子育ての連作。お子さんの分だけアンケートの機会も多いのでしょうけれど、こういう質問があるということに、「楽しくない」と答える人もいるのだという事実が浮かび上がり、様々な社会問題なども想起されるのでした。

  とむらいの旅の帰りは菜の花も桜も富士も全部悲しい  加藤武朗

  お友達への挽歌の一連から。明るく色彩豊かな春の景色が映像として浮かんだ後に、じわじわ滲んでゆくような読後感です。

  母と寝る権利を求め争いて敗れし下の子我と寝るなり  井上雅史

 結句まで読んで露わになる家庭内の上下関係が悲しくも可笑しい。「権利」など硬い言葉や文語で仰々しく詠まれているからこそ、なおさら。

  この街で南を向けば見える山 鼓ヶ岳がわたしのふるさと  櫻井ふさ

 この街で何かつらいことがあっても、南を向けば見えるふるさとの山を心の拠りどころにして生きてきたのでしょう。固有名詞も効いています。啄木よろしくふるさとの山はありがたいのです。

  痛む背に夫の指が行き来してそのあとすうつと睡りに落ちぬ  石川泊子

 痛いの痛いの飛んでけ~みたいなことでしょうか。安心感が伝わります。そしてどことなく官能的。「手」ではなく「指」だからかも。

  扉を叩く老人たちは開店を今より早くしろと言いたり  大橋春人

 開店を早くするためには、従業員の労働時間が長くなるなど負担を増やさなければいけないのですが、お客様は自分の都合しか考えてないのでしょう。扉を叩く行為や命令形の物言いに、自己中心的さが伝わります。カスタマーハラスメント。

  本当は抱きしめたきを孫四人の父方の祖母にゆづりて眺む  栗栖優子

 こんなに自制の効いて切ない孫歌は初めて読んだような気がします。心のままに抱きしめてもいいんじゃないかと思ってしまいますが、家と家とのお付き合いで立場などいろいろあるのでしょうね。

  広島平和記念資料館本館にリニューアルオープンとふ明るき響き  永山凌平

  内容にもハッとしますし、漢字の羅列の後にカタカナという字面が効いていると思いました。声に出して読んでも「ニュ」「ー」「プ」などの響きは特に明るくて。

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あああ8月になってしまいました。6月号を読みます。

  山の下りは走っておりた四人家族そんな元気な遠い日のこと  角田恒子

 登山か、山の方に家があったのでしょうか。いくら下りで上りより楽とはいえ、ほんとうに元気。過去形のためか、家族四人が元気に山を走っている光景を思い浮かべると、なんだか泣きたいような気持になりました。

  おばあさんがぶらんこしてると言われたりあぁ私はおばあさん  林田幸 

 少女のような心地でぶらんこに乗っていたら、無邪気な声に見つかってしまったのですね。他人に指摘されるとあらためて自覚させられる感じでしょうか。「あぁ」の小さい「ぁ」が視覚的にも効いていて、結句の字足らずも力が抜けるようです。

  幼き日インコを葬りし庭先を不動産会社が明日買いに来る  大江いくの 

 子供の頃の思い出が眠る庭を手放す時。三十一文字なのに文字数以上の物語が見えるようです。一首の中でこんなに長い時間とドラマを詠えるのだなあ。買い取る側からしたら骨が出てきたら少しホラーかも。

  むずむずと気孔をひらく山毛欅の森こころのように春がざわめく  星野綾香

  風炎集「春のざわめき」から。震災が背景にあるからこそ春の描写の沁みる一連でした。この歌は下の句の比喩にとても惹かれました。「~のようなこころ」というのはよく聞きますが、逆はめずらしい。そして妙に納得させられてしまいます。

  五画目を書くまではまだわからない 春だと思う? 寿司だと思う?  拝田啓佑 

 正解はどうでもよくて、この会話や、会話の相手とのじゃれ合い感を味わう歌なのでしょう。独り言の可能性もないわけではないですが。「春」と「寿司」の取り合わせも良くて、特に「寿司」に人間臭さを感じます。

  よき人は逝くほんとうにやさしいよき人は逝くのだ妹よ妹よ  松浦哲
 
 涙でぐしゃぐしゃになっているような詠いぶり。整えようとすれば整えられそうですが、このままがきっといいのでしょう。「よき」なので「やさしき」でなくてもいいのかとか気になったりもしますが、結句のリフレインとか、もうたまらないのでした。
 
  「ほいじゃあねー」と祖母はいつも手を振った ほいじゃあねーで棺桶を閉ず  瀧川和磨 

 他の歌から挽歌だというのはわかるのですが、それでも和やかな雰囲気からの結句でびっくりしてしまう。最期のお別れもいつもと同じように、ということでしょうか。方言がいいなと思いました。

  娘婿の送りの車の早く着き一本前の電車に乗れり  平田優子 

 お嬢様の婚家に赴いたところ、帰りにお婿様が駅まで送ってくれたという、そのままの歌だと思うのですが、こういう些細なところで立ち止まって歌に詠めるのがいいなあ。一本前の電車の電車に乗れるというささやかな喜び。良好な関係性もうかがえます。

  六十年経ちて黄ばみし家計簿は花十円で始まりており  清水千登世

 新生活が始まって一番最初の支出が花だということがすてき。当時の物価で十円の花がどれくらいなのかはよくわかりませんが、十円というささやかさもいいです。贈り物というよりは、自分の暮らしを彩るための花と読みました。 

  サビじゃないところはじめて聴いたけどやっぱお前の好きそうな曲  長谷川麟 

 「やっぱ」というほど相手の好みのをわかっているという関係性。口語体も歌の内容に合っています。おそらく作者はこういう曲が好きではないのでこれまでサビしか聴いたことがなかったのだと思いますが、他のメロディに対してこういう思いを持つこと、歌に詠むことが美しいなと思いました。うまく言えないのですが。

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7月になってしまいましたが5月号を読みます。敬称略です。

 「子を産みていません」呆けたる母が一度言いけり忘れていいいのに  小島さちえ
 
 産んだことを忘れる歌は割とありそうな気がするのですが、産んでいないとことを覚えているのは初めてみました。他の歌から養子だということが明かされていますが、「義母」ではなく「母」という言葉選びが一読して困惑を招きつつ、それも含めて良いと思いました。

  けふあたり蝋梅の咲く縁に出で友は開かむわたしの文を  西山千鶴子
 
 書く時、ポストに入れる時に、届いた頃という少し未来の相手を思えるのが手紙のすてきなところだと常々感じているのですが、この歌を読んであらためて再確認させられました。相手の暮らす地域で蝋梅の咲く頃に届くように送られたのでしょうね。

  寄る辺なくわが庭に降りし雪ならむ寄る辺なき雪スコップに寄す  加藤和子 

 雪国の歌。「寄る辺なく」「寄る辺なき」のリフレインに、降り続き積み重なる雪の重みが伝わります。「スコップ」のカタカナも、スコップの硬さ、片付けられた雪の状態と合っているようです。

  孫がありてよかりしと思う家中が明るくなれりありがたきなり  須藤冨美子

 孫効果、みたいな詠いぶりがちょっとおもしろい。結句は感謝というより、崇め奉っているような印象です。孫という全存在そのものへの圧倒的な肯定感。

  身の内にいつも尻尾を揺りたがる犬のいること知られたくない  王生令子

 犬は尻尾で感情を表すといわれています。素直な犬のような自分の心は律して、私より公の立場を大事にしているということでしょうか。自制ということをこういうふうに表現できるんだなと思いました。

  何をしても平成最後と思いおり明日あることを疑わずいて  相馬好子

 平成最後、平成最後と何かにつけて謳われている時、確かに明日地球が滅亡するかもしれないとか、明日病に襲われ倒れるかもしれないとか考えたりしないのでした。世の中の浮かれモードへの違和感が鋭く詠われています。

  おまえのことを祈ったのだとは言わねどもおまえのことを祈っていたり  荒井直子
 
 風炎集「釘抜地蔵」から。お嬢様とお参りの一連ですが、「おまえ」がお嬢様だとわからなくても、読者が自分の大切な相手を重ねても、または「おまえ」に自分を重ねて読んでもいいのかもしれません。「おまえ」という二人称にもなんだか泣きたくなるのでした。

  神功皇后が舟を繋ぎしという岩を散歩の折り返し点と出でゆく  荒堀治雄

 神がかりの伝説の岩が、日常の生活に溶け込んでしまっています。かつてお札にもなって崇められていながら今となっては実在が疑われている神功皇后と、散歩というごく個人的な日常の取り合わせになんともいえない味わいがあります。

  病も体の一部俺だ俺そのものだ よろしく元旦  久長幸次郎 

 なんだかすごい破調で、それだけに率直に気持ちが伝わってくるようです。「よろしく元旦」という結句、しかも一字空けて、なかなかこんなふうには詠えない。なんという清々しさでしょう。

  ただただ生きてきたよという告白を同窓会で繰り返したり  永久保英敏

 「ただただ生きてきた」ということが報告でもつぶやきでもなく「告白」だということに、その破調も相まってただならぬものを感じます。しかも繰り返すとは。しかも同窓会という同年齢の集まりで。この歌では多くを語っていないからこそ、かえって伝わってくるものがあります。

  大声で気もちがいいと言ってから本当にそんな気もちになる日  松岡明香

 アファメーションの歌。「大声で」がとても良いです。実際に大声で「気持ちがいい」と言っている姿を思うとなかなかシュールですが、それもまた良いのでしょう。もともと気持ちが良かったらこういう行動には出ない、というせつなさも感じるのでした。

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次の号が届く前に読み終わりたいと思う今日この頃です。敬称略です。

  二の段を暗誦する声近づきて二八十六で擦れちがいたり  林田幸子

 そのままの歌なのだと思うのですが、こういう、何気ない瞬間に立ち止まれる感性に憧れるのでした。すごく好きな感じの歌です。

  もう絵など画きはしないのにターナーの水彩絵具を送りくる娘よ  近藤桂子
 絵具を送るというのがすてき。また絵を描いてほしいという気持ちがあるのでしょう。水彩の透明感や、メーカーのこだわりにも人柄が感じられるようです。

  腹話術するから見てという子ども真顔でこんにちは繰りかえす  宇梶晶子

 確かに、人形ではなく腹話術するお子さんを見ればこんな感じ。お子さんもまさか自分の方を見られているとは思っていないんじゃないでしょうか。おもしろい歌なのですが、どこか切なさも感じられます。

  真昼間のカーラジオより流れ出す主婦Aさんの夫への愚痴  竹井佐知子

 込み入った愚痴などは親しい友人に吐き出すのより、匿名で他人に話す方が楽だというのはわかりますが、それが真昼間にコンテンツとして一般に消費されるという奇妙さ。確かに「テレフォン人生相談」などは妙におもしろいのだけど。

  川の字に赤子はさみて眠りしと仲直りしたらし娘からの電話  白波瀬弘子

 夫婦げんかや寝室事情はごくプライベートなことだと思うのですが、電話で報告があるという母子間の距離感の近さに衝撃を受けました。歌となってこうして他人に広がってゆくことにも。仲の良いご家族で何よりです。

  年賀状出しに来たる子四人ゐてポストより背の高き子一人  森尾みづな

 年賀状が少ないという歌が多かった中で、年賀状文化が子供たちに息づいているのがほほ笑ましいです。ポストとの比較で子供達の年代がわかるのも上手いと思いました。

  人生が変はりそうだよあたらしきメガネに夫のほれぼれと言ふ  森永絹子

 メガネが変わっただけでこの賞賛ぶり。よっぽどすごいメガネなのか。というより、旦那様のキャラクター性。朗らかで楽しい歌です。

  搗き立ての餅ちぎるのが上手かった大祖母さんがまた話にのぼる  井木範子

 お正月など親類で餅を食べる機会の度に大祖母さんのエピソードが話にのぼり、これからも伝説のように語り継がれてゆくのでしょうか。それはとてもすてきなことのように思います。餅、というささやかさもすごく良くて。

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連休中も普通に仕事をしています。塔3月号を読みましょう。敬称略です。

  右端の山の名を問ふ寺の庭の松の手入れをしてゐる人に  山口泰子

 何か深い意味があるとかではなくて、この通りのそれだけの歌なのだろうと思うのですが、こういう何でもないような何気ない歌にとても惹かれるのです。山の名がこの歌では明かされていないのも良くて。

  みどり児のあまた写れるその中のひとつを拡大してわれに見す  黒沢梓

 普通の写真だったら「この子」と指を差しても小さくて見えなかったりするのでしょうけれど、「拡大」なので、スマートフォンの中の、お子さんまたはお孫さんの画像を見せてもらったのでしょう。無駄のない言葉選びで事実だけを描写しながら、いろいろ考えさせられる歌です。

  水仙の葉だけ茂るという人に花をさしあげ柚子もらいたり  菊澤宏美

 わらしべ長者みたいで楽しい歌。水仙の花が咲かず葉だけ茂ってしまう状態も、当人は困っているのかもしれないけれど妙にほほ笑ましい。お返しに柚子というのにも人柄がにじみ出ていていいなと思うのでした。

  芋を掘る我らの為に前の日に夫は葉や茎片付けに行く  高松恵美子

 少し前に「名もなき家事」というような言葉が流行ったようですが、こういう作業は「名もなき農作業」だと思いました。作者がこうしてちゃんと見ていてくれることで旦那様も報われましょう。わたしの父は稲刈りの前に稲の中のねこじゃらしを片付けに行きます。

  力抜き撞く鐘の音の良く響く鐘も力を抜いたのだろう  西村清子

 確かに、撞木を引く時は力を入れますが撞く時には力が抜けています。そして鐘の音は大きく響きますが1/fゆらぎの周波数で癒し系。鐘も力を抜いたのだろうという大胆な擬人化もなんだか納得してしまいそうです。

  告知より三度目の秋巡り来ぬモミジバフウにモミジバフウの実  石川泊子

 下の句がなんだかとても胸に沁みる。モミジバフウの木にモミジバフウの実が生るという、その当たり前の光景も特別なものに見えるのかもしれません。お大事されますように。

  家内のね郷里なもんでと言い馴れて四十五年を住んでしまえり  石川大三
 
 不本意な居住だったのでしょうか。「~のね」という初句は字数合わせのようで拙く感じがちなのですが、この歌は語りかけの味わいが出ていて効いていると思いました。言い訳のようですが、すっかり馴染んでいるようです。

  ベビーカーに見上げる赤いものは花ふれているのはその葉っぱだよ  宮脇泉

 情景が目に浮かぶようです。花の赤と葉の緑、野外と思われるので空の青と色彩もさわやかで、花を見上げる位置に赤子が居るという位置関係の丁寧さもいいなと思うのでした。そして結句の口語の語りかけが優しい。

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ひと月を原因不明のまま咳込んでいるうちに3月も終わりですが、今日は2月に逆戻りしたみたいな雪降りですので、2月号を読みましょう。敬称略です。

  老女みな老いし少女であることのなんと愉快な秋の薔薇園  村田弘子

 楽しげな光景の目に浮かぶ歌。いいなあ。老女達を少女のようにうれしくさせるのが薔薇の花であることも、作者のまなざしの優しさもいいなと思うのでした。

  気の強き娘がその子を叱るとき優しくて我をかなしくさせたり  三浦こうこ

 わたしも我が子には母に見せたことない優しい顔をするだろう、と気づき、どきっとしました。わたしは気が強くないし、我が子もいないのだけど。「かなしい」という率直な言葉もかなしい。母子の関係性、距離感をあらためて考えさせられます。

  いつも何か小さな手土産渡すことを楽しみとしてわが暮らし在る  新田由美子

 暮しの中で、与えることを楽しみとする心がいいなと思うのです。小さな手土産ほどの小さな心遣い。用意する時に渡す相手のことを思うのもすてきなことでしょう。 

  シチリアの飾りパンまつりにいつか行くそれだけ決めて今日ははたらく  山名聡美

 とりあえず今日の労働を乗り切るために、楽しみを一つ決めておくということでしょう。「シチリアの飾りパンまつり」という具体の、「いつか」と言いつつ現実的に叶いそうな絶妙な距離感。

  入院用のパジャマに五個の花釦花の名知らねどうすきピンクの  江原幹子

 花の形の釦、名前がわかるほど精巧な作りの釦は確かにないような気がします。けれども、優しい色合いの小さな花は入院生活を少しでも華やかな気分にさせてくれたのでしょう。お大事にされますように。

  十年を元気に暮らす自信なくポチ亡きあとの犬を飼ひ得ず  北島邦夫

 動物に愛情があればこそ、自分の思いだけで無責任に飼うわけにもいかないのですね。己を律する作者の心を切なく思うのでした。「ポチ」という定番の名前がなんだかとても良いです。元気に暮らせますように。

  焦げた鍋をこすっているその間君のことを忘れられてました  潮見克子

  鍋の焦げ付きという生活感。意外と力仕事ですし、確かに他のことが頭から消えてしまうくらいに夢中になります。けれども、鍋から手が離れた途端にまた思い出してしまうのでしょうか。作業を終えて力が抜けたような破調です。
 
 古賀泰子さんの追悼特集がとても良かったです。地下鉄の中で読みながら泣きそうになりました。

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もうすぐ3月号が届いてしまいますよ。敬称略です。

  父のなきわたしは叔父に連れられてまぶしかりきよ常磐ハワイアンセンター  宮地しもん

 やっぱり「常磐ハワイアンセンター」というB級感かつノスタルジー漂う名称の味わいにつきます。「スパリゾートハワイアンズ」ではこうはいかない。そして確かにあの頃のハワイアンセンターは子供心にまぶしかった。叔父と姪の小旅にもドラマ性があるように思うのでした。

  はじめての歌集の名前を考える(産むことのない)子の名のように  永田愛

 素直に詠われているからこそせつない。〈 )でくくったことによって、( )内の言葉が目立ちつつも主張としては控えめであることが感じられます。歌集に対する大切な思いも。個人的にもこの感覚はよくわかるのでした。

  ペコちゃんの前を通って帰宅する少し遠回りになるけれど  杉田菜穂

 ペコちゃんが好きなのでしょうか。あるいは、なにかつらいことがあった帰りに、愛らしいペコちゃんの顔を見て元気を出そうというのでしょうか。何かの縁起担ぎかもしれません。遠回りしても、というのがいじらしいです。「少し」がいいように思いました。

  子の無くて五十六年子の名前ひそかに考えてみたりしていて  荒堀治雄

 こちらも子の名前を考える歌。五十六年という具体的な数字の、その長い年月がせつない。同年代が孫を持つような頃でも考えるのは「子」なのです。ぐだぐだした下の句のはぐらかし感もまた。

  思春期に父のくれたるキーホルダー「努力」の文字の黒き石なり  きむらきのと

 このキーホルダーがシュール過ぎて、ちょっと欲しくなるくらいです。ただでさえぎくしゃくしがちな思春期の娘に、お父様はなにゆえこれを選んで贈られたのか。厳しいメッセージなのか、天然なのか、想像が広がります。

  河岸の桜古木に札のあり 犬猫を埋めないで下さい  和田澄

 樹木葬のように、愛するペットの亡骸をうつくしい景色の中に葬りたいという飼い主がたくさんいるのでしょう。けれども木の管理している側からしたら困った話であるという現実問題が。

  百並ぶかかし祭りの五番目は亡き父に似て少し面長  三木紀幸

 帰省の一連から。かかし祭りという行事が興味深いです。かかしに亡きお父様を重ねるというのも地域性があっていいと思うのでした。割と早くお父様似が出てきましたね。八十六番目とかだったら疲れそう。

  わたくしを励ましくれる木のひとつひとつを数へ過ごしゆく夜  山尾春美

 木が励ましてくれるという、木との関係性、木への思いがいいなと思いました。それが一本ではなくていくつかあるということも、夜に思うことも。

  夫のシャツ二十年分作りぬと笑ひて友は三年に逝く  阿蘇礼子

 ご友人さんが自分の死期を感じ取り、自分亡き後の夫が困らないようにシャツを作ったのだと読みました。二十年分という量もすごいし、夫に長生きをして欲しいという祈りもあるのでしょう。愛とはこういうものなのだろうなあ。

  どうしてもケヤキが欲しいと植えし夫の在らぬこの夏 大きく伐りぬ  今井眞知子

 一字空けての結句への流れがおもしろいのですが、それより「どうしてもケヤキが欲しい」という夫のキャラクター性にとても惹かれます。木を植えるって結構大変だと思うので、実行したのもすごい。


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塔1月号が届かないうちに12月号を読みましょう。敬称略です。

  わが好物を多く産する被災地の今朝の冷えこみいかがなるらむ  福井まゆみ

 詞書に「北海道厚真町」とあり、9月の北海道地震を思う歌です。好物の産地だ、という被災地の自分への引き付け方が、素直でいいと思いました。「今朝の冷え込み」という細やかな心配りも。

  「お腹すいた」母の口ぐせ風に乗り聞こえて来そうな秋の夕暮れ  弟子丸直美

 お母様を亡くされての一連から。「お腹すいた」という口ぐせを、たくさん食べられないご病気や健忘の症状なのかと読みに迷うところなのですが、食いしん坊と明るく読みたい。「秋の夕暮れ」とさびしさで、三夕の和歌風味です。

  妹が帰省せぬとふ買ひ置きしソフトモナカをひとり食ひたり  金光稔男

 「ソフトモナカ」という商品名はないようでしたので、わたしは割って食べる四角いモナカアイスをイメージしました。分け合って食べようと、買い置きして楽しみに待っていたのでしょう。アイスの甘さ爽やかさ慎ましさが、兄妹仲にも重なります。

  椅子とりのゲームに入ればひしめきて我のためなる椅子はあらざり  三好くに子

 そういえばそうだなあと気づかされる歌。単純にゲームのことと思えばただごと歌のようでもありますが、人生とか社会とかいろいろ深読みをしたくなりました。

  安売りの卵の列に列びおり知らない人とこんなに近い  中野敦子

 目的に真っすぐ向かっているさ中に、ハッと周りを見て冷静になる瞬間。知らない人と密着するなどという異常な空間が、安売りといってもせいぜい100円200円の卵によって作り出されるということ。人間の心をかなしく考えさせられるのでした。

  二回目のあなたのゐない秋が来て あなたの分までさみしいのです  長谷仁子

 他の歌から挽歌かなとも思うのですが、あなたも自分と過ごさない秋をさみしいだろうという確信の言い切りが清々しくもまぶしい。すっきりと言葉が定型に収まっている中での一字空けも、なんだか効いているような気がします。

  妹は彼の人の子を産みたくて願い叶わず病みてしまえり  鈴木晶子

 ただ子が欲しいというのではなく「彼の人の子を産みたい」という自分より相手への重き、旦那様ではなく「彼の人」という表現に、ただならぬ迫力を感じました。夫婦の不妊治療なのか、一方的な片思いメンヘラなのかこの歌では不明ですが、このままの迫力がいいのでしょう。

  もうすぐに夫は九十才になる心の夕餉をならべてみたい  市川王子

 「心の夕餉」とはなんだろう。高齢になって食べられるものの限られてしまった夫の食卓に好物をならべてあげたいということなのか、単に無口で何を食べたいのかわからないということなのか。「心の夕餉」という言葉の響きにも妙に惹かれます。「みたい」という結びの軽妙さも不思議におもしろいです。

 12月号は猛暑や台風の歌が多く、あらためて短歌の記録性が思われました。浜松での全国大会の歌も、みなさんそれぞれの思い出が伝わってきて楽しく読みました。わたしも良い思い出です。
 年末回顧の特集も読みごたえがあって。三重歌会が密かにいつも気になっています。座談会に名前を挙げていただけたのもありがたいです!

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わたしの12月はどこへ行ってしまったのでしょう、いつのまにか月末です。塔12月号が届いておりますが11月号を読みます。敬称略。

  蝉は鳴くあの時母にひどいことを言はずにをれなかつた私に  久岡貴子

 お母様との複雑な関係が見える一連から。ひどいこととわかっていても言わずにおれなかったのは、それだけ我慢ならないことがあったのでしょうし、他人ではなく母だから我慢せずに言えたのでしょう。それも過去のこと。耳を突くような蝉の声。何があったのかを明確にはせず「あの時」としたことで、憤りが母でなくあの時の自分に向いていることが際立っているようです。

  亡き父に君を会わせて「良い女を見つけたなあ」と褒められたかった  杜野泉

 「女」に「ひと」のルビは好みが分かれるような気もするのですが。親に褒めてもらいたいという、子供の絶対的願望をいくつになっても持ち続けているいじましさ。自分の人を見る目をきっと褒めてくれただろうというお父様への信頼と、褒められるような奥様であるという愛情も感じられます。

  嫁になり姑になりて寡婦となる やうやく春の日祖母となりたり  伊藤陽子

 肩書きのみを畳みかけることで女性の人生を語り、それぞれ変わりゆく際に付随したであろう物語が大胆に省略されています。そして一字を空けてのゆったりした下の句に、今の充実が伺えます。「祖母」となるのは健やかに歩まれた人生の着地点でしょう。これらの肩書きのほとんどと縁のなさそうなわたしもどうなんだろう、ということも考えらせられるのでした。

  転がつた踊り手もをり盆踊りは今年かぎりと発表されて  岡本伸香

 代々続く地域の盆踊り大会が、楽しみに、大切にされていたのが伝わります。「転がつた」というのが、ショックで腰を抜かしたようでもあるし、ズコーってなっちゃったようにも読めて、寂しくも愛嬌があります。ここまで愛される盆踊りもすばらしいなと思いました。

  一貫づつ分けあふことのうれしさよ次は帆立の回り来るを待つ  大堀茜

 回転寿司の歌。一貫ずつ食べればたくさんの種類を食べられるのがお得、というような現実的な喜びだけでなく、一皿を二人で分け合えること、同じものを共有できることのうれしさ。他のネタも当てはめてみて、やっぱり「帆立」なのが良いなあと思いました。

 11月号はオウムの死刑執行にまつわる歌と、生産性の歌が多くて興味深かったです。特に生産性の歌はどなたのもせつなくて。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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