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川が好き。山も好き。
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まだ6月号が来ないうちに5月号を読み終えました! 6月号が届くまで三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読んでいます。おもしろいです。5月号は2月20日〆切分、コロナの影響が少しずつ出始めた頃でしょうか。敬称略です。

  冬空に白雲輝くひとところ名付けくれたる日の父思う  黒住光

 作者は冬生まれということでしょうか。きっとこんな景色を見てこの名前を自分に付けてくれたのだ、とお父様の心を想像するとあたたかな気持ちになりそうです。

  やさしさを責められており介護職のやさしさは時に弱気であれば  山下裕美

 手を貸したくなるのはやさしさより、事故を未然に防ぎたい気持ちが先に立ったのでしょう。機能が衰えないように手伝わないことも必要な現場。ピアノが配膳台になったり、子を養うために特養へ転職したり、職場の現実の伝わってくる一連でした。

  今度また部屋においでよ白木蓮すぐに掃除の終わる部屋だよ  綾部葉月

 「白木蓮」の位置がおもしろいです。白木蓮に呼びかけているのだとしても、誰かに呼びかけているのだとしても。

  婿さんは娘のことをちゃん付けのままで浮気し別れるという  澁谷義人

 読んでいるこちらまで悔しくなる一連でした。「ちゃん付けのままで」が生々しくて、裏切り感が伝わりました。 そして「婿さん」に皮肉が効いています。

  身ごもる娘を身ごもつてゐたわたしを身ごもつてゐたわが母眠る  一宮奈生

 マトリョーシカのような構成がおもしろい歌です。命のめぐり、家の歴史なども感じて、深い読後感がありました。「眠る」で結ばれるのもなにか象徴的な気もして。

  窓みがき四月を待たむこの時給三十円ほどあがる四月を  沼尻つた子

 初句の入りと、三十円のために待ち遠しくくり返される「四月」のリフレインに悲哀を感じます。三十円でもフルタイムで働けば五千四十円になりますから、これは大きいですよ。より小さく感じる数字を選んだのがテクニカルだと思いました。

  奥底の一番かなしき日溜まりにあなたを置きて餅をつきたし  國森久美子

 意外な結句にびっくりしました。まったく読み切れない歌なのですが、魅力を感じます。 餅付き行為はなにかのメタファーなのでしょうか。餅の白さで明るい印象もあります。

  好物は何やったんと喪主に聞くコンビニに行く口実として  谷口美生

 それっぽい口実を作ってまで抜け出したい場。お父様の葬儀の一連で、どの歌からも、決して良好ではなかった関係がうかがえて、現実的で冷静なまなざしがよかったです。

  万歩計のために歩みて蝋梅のあまきかをりに出合ふしあはせ  安永明

 棚からぼた餅のような感覚でしょうか。健康のためとかではなく、万歩計のために歩むのもなにかとぼけた味わいです。しあわせってこういうものでいいんだよなあと思わせられる歌でした。 

  喫茶店に長い食パン届くのに居合はせし我々のしあはせ  森尾みづな

 しあわせの歌に続けて目が留まってしまいました。滅多にお目にかかれないレアな場面に遭遇したのもしあわせですが、パン屋さんの美味しいパンの匂いや、喫茶店で仲間と過ごすことも含めてしあわせなのでしょう。

  ウェデングのケーキ入刀切り過ぎた尚ちゃんやっぱり離婚したりき  田巻幸生

 縁起が悪い…、というよりは尚ちゃんのキャラクターをおもしろがる歌なのかなあと思いました。ハレの場でもガサツなのだからきっと日常でもやらかして愛想つかされ、の「やっぱり」。下の句の韻律がコミカルな響きです。

  クッキーの匂いがまだするカンカンに君の写真はしまわれてゆく  王生令子

 クッキーの甘い匂いと一緒に、楽しかった日々も閉じ込めてしまうのでしょう。別れの一連で、「憎む」とか「殴る」とかいう言葉が続く中にこういう歌があるのが切なく思いました。

  スーパーをまわるあいだに鯛は売れ町のだれかはめでたいゆうべ  青海ふゆ

 日常のなにげない一コマですが、スーパーの鮮魚コーナーから誰かの慶事まで思いを馳せるのがポジティブでいいと思いました。ぶっきらぼうな言い回しもおもしろいです。


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塔4月号を読みます。1月20日〆切分、なんだか遠い昔のようです。敬称略です。

  先ず麦わら次に稲わらそして子が無くて祭りの一つが消えたり  酒井久美子

 少しずつ形を変えながらも守り続けていたお祭りが、過疎により途絶えてしまうということ。おそらく、子供に装束を着せて神様に見立てたりして行うようなお祭りだったのでしょう。淡々とした詠いぶりがかえって寂しい。

  干支のハンコ隅に捺されて父からの賀状は今も文字だらけなり  山下裕美

 賀状にお父様の人柄が表れていて、文字だらけで伝えたいことがいっぱいあるのがおもしろくも愛情を感じるし、何より隅に干支のハンコが押されているのがとてもいい。妙な律義さにおかしみがあります。

  首のなき地蔵様にも新しき赤き前垂れ子の年となる  澤井潤子

 首がどこかに行ってしまったのか、何か由来のある首なし地蔵なのかわかりませんが、どんなお地蔵さまにも新年のための新しい前垂れを作る人がいるということ。人の思いを感じます。赤い色も効いています。

  更年期障害の長女がくるしむに何の役にも立たず父とし  歌川功

 女性が自らの更年期障害を詠う歌はありますが、お父様によるお嬢様の更年期障害の歌は初めて読みました。というより、お嬢様の更年期障害を心配するお父様を初めて見たような気がして、なにか感動しました。

  小学校入試を終えた女の子「ケーキ屋さんになりたい」と言う  畑久美子

 小学校入試を自ら望んで受ける子供はおそらくいない、ということにハッとしました。とはいえ、地域や財力、親の向上心などでみんながみんな高等な教育を受けられるわけではないのですから、恵まれた環境に生まれついたということに感謝する日もいつか来るのでしょう。

  川沿いの梅のほころぶ三月は自殺対策強化月間  高橋武司

 季節感のある叙景からのこの下の句。ひしめき合う感じの字面や、妙に整った韻律が効いているような気がします、梅に誘われて川に飛び込んでしまう人がいるのでしょうか、あまり関係ないとしても取り合わせの味わいを感じます。

  この先は危険、立入禁止です。「この先」に入り看板立てる  よしの公一

 看板を立てる時に禁止側に入って作業をしちゃうのですね。おもしろい感じの歌ですが、境界というものについて考えさせられます。線を引いたとして、そこからくっきり危険と安全が分かれているわけではないということ。たとえば原発の避難区域など。

  永遠があるなら雪の夜に食う讃岐うどんの湯気のことかな  大橋春人 

 永遠とはこれなのだ、と力説したいのではないのでしょう、実際よくわからないし。けれども、自分なりの感慨が郷土愛を交えながら口語で軽く詠われているのがいいと思いました。雪もうどんも湯気も白い。

  ありがたき我への言葉を少しだけ引き算をして胸にいただく  澤﨑光子

 この謙虚さを見倣いたいと思いました。確かに、ありがたい言葉の中には、本当の気持ちや評価だけでなく、社交辞令やお気遣いやリップサービスが上乗せされているかもしれません。「いただく」という謙譲語の結句がうつくしい。

  まだ抱いてない子もいるが年玉の袋五つに名を書いており  宮脇泉

 遠方に住んでいるとか、忙しいとか、不仲とか、産まれたばっかりとか、お正月まで会えなかった事情を想像させつつ、どのような子にも平等に与えられる現金。血縁というしがらみ、というよりは作者のお正月の準備にあたたかさを感じました。

  ハツ四つ串いつぽんにつらぬかれ鶏は四羽も殺されてゐる  千葉優作

 確かに、ねぎまやつくねは鶏一羽で間に合いますが、心臓は一羽に一つしかないのです。動詞が率直なものが選ばれているため残酷さが際立ちますが、動物愛護の主張などではなく、事実を詠ったというだけのような印象がいいような気がします。

  ハイハイの孫の写真にアマゾンの段ボール箱が三個転がる  望月淑子

 ハイハイ姿を撮れば床の上にあるものが映ります。「アマゾンの段ボール箱」という具体に生活のにじみ出るのがおもしろくて(表記はカタカナでいいのだろうかと思いつつ)、赤ちゃんとの取り合わせも絵的におもしろいと思いました。

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 コラム「わたしの休日」のわたしの担当分は終了です。感想のお言葉をいただくこともあり、とてもうれしかったです。2年間お付き合いくださりありがとうございました。

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3月号20首評の続きです。敬称略です。

  106歳のテルコさん召されテレビ横の定席大きな空間となる  さつきいつか

 特別作品の「アタラナイヨ」から。テルコさんが大柄な体格だった、というわけでなく、存在感の大きさでしょう。テレビ好きというキャラクター性、また年齢や個人名にも実感があります。

  色浅き南天の実に雨粒のひと粒ひと粒空を映しぬ  戸田明美

 とても丁寧な観察眼を見倣いたく思いました。若い南天の実に落ちた雨粒に映る、雨上がりの青空。「空を映しぬ」だから主語は雨粒なのでしょうか、おもしろいです。

  菊の紋の煙草を父は賜りき 瀬戸の風吹くみかん畑山  田中ミハル 

恩賜のたばこも今は昔。健康増進法の制定によって廃止された今でも、お父様の誇りの品なのでしょう。今みかん畑山には煙草の煙ではなく風が吹くのです。

  頻繁に猫に会ふから猫道と名づけて今日も抜ける猫道  濱松哲朗

「猫」の字が3回も出てきて、猫に頻繁に会う様子が字面に表れています。同様に「猫道」と繰り返すことで、何度も往来している様が伝わります。楽しい名付けです。

  また会いたいなって気持ちはほんとうでぬるい炬燵に賀状を書けり  魚谷真梨子

 また会いましょう、は年賀状の定型文。とはいえ本当に会いたくて書いています、わたしも。上の句の句またがりに感情がにじんでいるようです。

  坂の下の穭田の畔に腰かけて娘の車の来るを待ちおり  白井陽子

 上から下へ素直に流れる歌の作りで、懐かしいような映像が浮かびます。また、家と田の距離や母子関係など31文字以上の物語を感じました。

  飲んで泣き泣いては飲んでされど九時過ぎれば飲まぬ泣きはすれども  石橋泰奈

 わたしは飲めないのでこの感じを正しく理解できている自信がないのですが、九時という明確な時間できっかりお酒を切り上げる妙な自制がおもしろいです。

  エビちゃんを主婦の雑誌で見ておりぬ誰もきょうより若くはならない  淵脇千絵

 OLのアイコン的存在だったエビちゃんも今や主婦。かつてOL向け雑誌を読んでいたのが今は主婦雑誌を読むように、作者もエビちゃんと同様に年を重ねるという感慨でしょう。。

  葉を散らすことも花咲くこともない電信柱を染める秋の陽  吉原真

 「ない」とあえて詠うことで葉や花をつけた電信柱の絵が浮かびます。生物のような電信柱を想像するとメルヘンチックな気分になりました。

  京町屋改装したる私塾ゆえ開講の夜にともる提灯  仲町六絵 

 なんて趣のある私塾でしょう。文化や歴史を大切にする心が伝わります。提灯に焦点を当てたのがいいなと思いました。

  子の巣立つたびに実家に犬はふえ父の庭には犬小屋六棟  百崎謙

 お父様の寂しさの伝わる歌ですが、「犬小屋六棟」に笑ってしまう。六人巣立ったのでしょうか。犬小屋で庭が埋め尽くされてしまっているのでは、と心配になります。


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  本日の歌会の田宮さん語録「松村さんを見るのも大事」 逢坂みずき

 これは歌会での一コマで、ある場所で松村さんを見ていたという内容の歌が提出されてあり、評を当てられて「どうして作者はここで松村さんを見ているのでしょう。松村さんの顔を見るのも大事ですけど~」というような文脈での発言でした。
 本来の目的ではない対象を見ていたというのが元歌のおもしろさであり、この歌もこうしてネタバラシせず謎語録のままの方がおもしろいのだろうと思いつつ。また、どちらの歌も人名が違っていたら味わいも違ったものになりそうです。それにしても歌会も自粛となった今ではなにかとても懐かしいです。

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 2019年特別作品年間優秀作の優秀作に、12月号掲載の「めそめそ」を選んでいただきました。ありがとうございます!
 また、選歌欄評も今号に限らず取り上げていただいていて、とてもうれしいです。まとめてで恐縮ですが、お礼申し上げます。


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ステイ・ホーム!ということで20首読みましょう。敬称略です。

  点滴をうけゐる向う空があり好きな形の雲とどまらず  岩野伸子 

 点滴中に窓の向こうの空をながめていたら雲が流れていた、というそのままの内容だと思いますが、なにか暗示的な下の句に惹かれました。静かな時間が感じられます。

  鎖骨のうえあたりをゆらゆらするお湯がやわらかいネックレスのようだ  上澄眠

 入浴中のこんな何気ない瞬間が歌になるのだ、と思いました。おもしろい気づきで、ひらがな多めの表記がとても合っています。

  つぎつぎにバナナを食べるようになり少し遠くへ父は行きたり  高橋武司 

 食の趣味が変わって別人のような遠い存在になったということなのかなあ。歌意はうまく汲み取れないのですが、バナナの具体が何か良くて妙に気になる歌です。

  飛び跳ねるのみの一人あり障害者ふれあいステージの端っこにして  橋本英憲 

  「障害者ふれあいステージ」という言葉にまず驚きました。どういう立場の人が考えたのでしょう。ショーのタイトル含め事実のみの抑えた描写がよくて、いろいろ考えさせられます。

  雪のうへ雨降るやうな疲れなり椅子に凭れてしばらくをあり  國守久美子

 おもしろい比喩だと思いました。積もった雪の上にぶすぶす雨の穴の開いてゆくあの感じ。雪から雨に変わったのは気温が上がったからだと思いますが、それでも何かが降るという鬱屈感。

  七拾九才最後のこの朝を二カップ半のつや姫を研ぐ  左近田榮懿子

 区切りとなる大切な一日も朝に米を研ぐことから始まるのです。二カップ半という細やかさにも実感があります。そして山形の農民として、「つや姫」を選んでくれたことがありがたく思います。

  出てゆきし子の部屋をいま書斎としシクラメンなど飾っていたり  松塚みぎわ

 シクラメンを飾るところまで詠ったのがいいなあと思いました。部屋の主の交代が決定的になったと感じるし、子の代わりに花を置いているようでもあります。

  パレードを見に行く人を馬鹿にしてこころ安らぐ安らがねども  相原かろ

 屈折した内容が清々しいほど率直に詠われています。言ったそばから打ち消す下の句に人間味があり、なにが仰々しい文語体にもおかしみを感じました。
 
  式挙げておらねば妻の紹介を通夜振る舞いに小声でしおり  中村英俊

 親戚一同を集めて一気に周知するのも結婚式の役割だったのだ、ということに気づかされる一首。お通夜が初対面では挨拶も小声でするしかないでしょう。

  一鉢のポインセチアをいただきて転ばぬように雪道あるく  小林多津子 

 作者は北海道の方。両手で鉢を持って、固く積もって滑りそうな雪道を歩く様子が伝わります。ポインセチアの赤と雪の白のコントラストが鮮やかです。


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塔4月号が届く前に、塔2月号を読みます。塔3月号も読み終えております。敬称略です。

  餅負いてひ孫一歳誕生日ばあばも負けずにうんとこどっこい  青井せつ子
 
 一升餅のお祝いをあたたかく見守る光景でしょうか。なんだかとても元気な気持ちになりました。声に出して読むとなお楽しいです。

  山形のおいしいお米「つや姫」を三合炊いて四度の食事  矢野正二郎

 一読して、前は三合で三度食べていたのが食が細くなった、と思ったのですが、計算したら三合を4で割ったら250gなので中盛ぐらいでした。やっぱり具体的な数字が良くて、四人分じゃなくて四度というところにも暮らしぶりが表れています。

  首里城を通勤の励みにしていたと電話に語るその声低し  樺澤ミワ

 首里城の歌が今号にたくさんあった中で、「通勤の励みにしていた」というのに惹かれました。仕事でいろいろなことがあっても、いつも変わらずそこに首里城があったのでしょう。

  転院の待合室に差し込める初冬の光を母はよろこぶ  萩尾マリ子

 一連の歌からお母様の病状は思わしくない様子。そうした中でのささやかなよろこび。待合室という、束の間の滞在の場所であることもなにか胸に迫るものがあります。

  信仰を勧める人にムスリムと偽り伝ふを夜半に悔いをり  山下太吉

 相手を諦めさせるため実際の信仰ではなくムスリムと偽る、迷惑な勧誘撃退として適当な嘘を吐くのはよくある話ですが、結句に人柄が表れていて、この結句で歌がより深まっていると感じました。

  父に妻、母に夫ありわたしにも夫や子どもがいればよかった  永田愛

 自分語りになりますが、結婚したいと言うと男を欲しがっている、飢えていると解釈されることがあり、そういう意味じゃないのになあと思いつつその違和感をうまく伝えられなかったのですが、この歌のようなことが言いたかったのだ、と気づかされました。口語の素直な文体と過去形の結句がせつないです。

  陰口を拒めないままテーブルのアクアパッツァは冷めきっていて  中井スピカ

 ああこれは女子会でしょうか、そこにいない人の相手の話題で誰かがトークショー始めちゃってもう止まらない感じ。ここで流れを変えようとしても水を差すみたいになって変な空気になるので、冷めてゆくオシャレ料理にも手を付けられないのです。

  青空が清々しいと思えるまで軽くなりたり座骨神経痛  石田俊子

 結句の具体名に力を感じました。そうきたか、というような意外性とか、病名の字面が詰まっているのですごく辛そうで、見た目的にも上の句に解放感があるような気がします。

  悪しきものすべて除くと思わねどここは本宮湯の峰温泉  北山順子

 湯治の一連から。祈りの気持ちが伝わってきます。温泉の具体名がいいと思いました。下の句は思わずデューク・エイセスの「いい湯だな」のメロディに乗せて読みたくなります。

  産休で七人休めば独り身の吾娘の帰りは深夜に及ぶ  弟子丸直美

 こういう時の気持ちを本人は言葉にしにくいから、こうしてお母様が気にかけてくれてよかった、と救われました。誰かが悪いわけではないから、おめでたいことだから、どんなにボロボロに疲れても何も言えない、まして独身の立場では。事実のみの描写に徹したのがとてもいいと思いました。

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仕事から帰ったらすぐ朝になってまた出社しているような感覚の中で、あっというまに3月も1週間過ぎてしまいました。塔1月号を読みます。敬称略です。

  栗ごはん栗がごろごろ美味しくて自分の炊いたご飯おいしい  岩野伸子

 栗ごはんの美味しさを詠っているだけなのに、どうしてどこか寂しいのでしょう。表記は少し違いますが「栗」「ごはん」「美味しい」のくり返しが、自分に言い聞かせているように感じるからかもしれません。 

  敬老の日のお手紙に我の名も記されてある甥っ子からの  相原かろ

 作者が老人のような風貌をしている…というわけではなく(そう読ませたいのかもしれないのですが)、甥っ子さんが作者を慕っていて、敬老の日に乗じてお祖母ちゃんお祖父ちゃんと並べて感謝の気持ちを伝えたのではないかと微笑ましく読みました。

  素麺の束を掴めば失ひし母の手のやうしんとつめたい  祐徳美惠子

 素麺の束を母の手のように思う比喩を初めて見て、どきっとしました。乾麺の白さや、うどんやひやむぎより細い素麺であることに余計にはかなさが感じられます。

  棒切れの好きな男の子が森をゆく木橋に来たら流すよ、きっと  大地たかこ

 棒切れの好きな男の子がとてもかわいい。結句の口語が好きです。棒切れを持って歩いて川に流すような遊びを楽しむほどの無邪気さでずっといてくれたらいいのになあ。

  四十年敬して親しき人なれど難をいふなら下戸であること  安永明

 下戸のわたしはこの歌をどう味わえばいいのか。下戸は難なのか。わたしも「酒さえ飲まなかったらいい人なのに」と思うことがあるので、これは深い溝だなあ。とはいえ四十年の付き合いの中で難が一点のみというのはすてきなことです。

  田んぼには一枚ごとの名前あり朝にゆうべに人に呼ばれて  高原さやか

 確かに、田んぼや畑には内々で呼ぶ名前を付けていたりするのです。朝に夕に呼ばれるということは、兼業農家で日中は他の仕事に従事しているのでしょう。

  妹の日記を盗み読みした歌を歌集に載せる芳美がこわい  太代祐一

 本人にばれたら、と思うと、その無神経さは。歌に詠んだ対象はそれぞれの思いがあって生きている人間なのであり、自分の歌のアイテムとして存在しているのではないのだ、ということをあらためて自戒もさせられるのでした。

  スカーフをいつもかぶっていたゆえに遺影選びに困りしと言う  逢坂みずき

 そう、田舎のおばあちゃんはだいたいスカーフを被っているのです。遺影用の写真を既に用意している人も多い中で、突然の出来事だったという哀しみがユーモアを交えつつも伝わります。

  入院日までに白菜大根を蒔きて苺を植えねばならぬ  金原華恵子

 農業には休みがないのです。入院日までに、という切迫感の中で白菜大根と白く大きな野菜を挙げた後の苺の赤く小ぶりないじましさ。お大事にされますように。

  この家の間取りはみんなお父さんが決めてんで、この家が大好き  岡本伸香

 話し言葉で素直な気持ちの伝わるこの歌の次に、自分の家を建てる歌がくるのにぐっときました。この無邪気さに終わりを告げて、自分たちが新しい時代を背負ってゆく覚悟のような。

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1月下旬から、ブログの提供元のシステム障害で表示されなかったり繋がらなかったりの状況でした。データ消えるかな、と心配したりしていましたが、無事に復旧していただけてありがたいです。なにかすごく大変な作業が行われていたのだろうなあと思うと技術者の方々には頭が下がるばかりです。お疲れさまでした。
 塔12月号を読みましょう。敬称略です。

  格別に私にやさしいと思っていた職員さんは誰にもやさしい  藤井マサミ

 優しくされてうれしかったのに、私だからじゃなかったんだ、あの人にもこの人にも優しいんだ、と気づいてしまった時の寂しさ。職員さんは何も悪くないのにガッカリしてしまうような微妙な心の機微、わたしにも覚えがあり共感しました。
 
  都から離れるほどに闇は増し小さき駅舎にわれを待つ夫  岡山あずみ

 より鬱蒼とした不安を感じるのは「都」という古めかしい言葉選びのためでしょうか。結句の夫が灯りのような安堵感です。

  友が子を連れて来しより四十年このごろ子の子を伴いて来る  橋本成子

 母になり祖母になりとライフステージが変わっても続く長いお付き合いのお友達。下の句の調子が良くて声に出して読みたい楽しい雰囲気です。

  子を貰ひ育てられずに返し来し伯母はもう亡く弟も逝きぬ  井上政枝 

 作者の弟が伯母に貰われていったのでしょうか。近い間柄だからこそ貰ったり返したりできたものの、その分しがらみができたのかもしれません。当人達が亡くなってやっと解き放たれたのだと読みました。

  お話はいつでも姉は意地悪でやさしい妹みなに好まる  中林祥江 

 まず思い出したのはキツツキと雀の昔話ですが、確かに昔話や童話はいつもそうなのです。そのことに心が立ち止まるのは、きっと作者が姉だからでしょう。わたしもまた姉なので、せつなく読みました。

  一日が終はれば足は田の中を歩くがごとくふはふはとあり  福島美智子

 稲刈りの一連から。長靴を履いて一日中を田んぼで過ごした疲労感が伝わります。稲刈りの頃の田んぼは独特な足触りなのです。

  われが死ねば腱板断裂の妻の背の湿布はいったい誰が貼るのか  荒堀治雄

 この使命感に胸を打たれるのでした。漢字表記の病名がまたくるしい。奥様もまた、作者に湿布を貼ってもらうために生きているのかもしれません。

  工人を訪い集めたるこけし出せばこけしは年取らぬままに  中村美優 

 思い出の中で、工人の顔も自分の顔も今より若いけれど、こけしは今手にしているものと同じ顔なのです。その変わらなさもこけしの魅力だったのだ、とあらためて気づかされた一首です。

  長篇を次々読みゐし若き日の夏の休みの土蔵の匂ひ 金光稔男 

 クーラーのない頃に土蔵に涼を求めたのでしょうか。次々にページをめくる様子が下の句の調子の良さに表れているようです。全てが結句の「匂ひ」に係ってゆく歌の作りに、読んでいて鼻に意識が向かいました。

  のり塩のポテトチップス一袋残して盆の客は帰りぬ  山浦久美子

 ポテトチップスのことしか言っていない思い切った上の句。なにゆえ盆にポテトチップス。なにゆえのり塩味。という謎な感じが、かえってリアルで味わいがあり、想像が広がりました。

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今年があと一週間で終わってしまいますよ。11月号を読みます。敬称略です。

  ひろがれる向日葵畑の端つこのひまわりの丈低きまま咲く  森尾みづな

 陽が届かない端っこで不格好に咲いている花にも目を配る観察眼。「向日葵」と「ひまわり」の表記の違いもいいと思いました。

  同窓会終はれば友ら真つすぐにそれぞれの家庭へ戻りてゆきぬ  大木恵理子

 二次会へは行かずに家庭へ、ということでしょうか。友らは家庭へ帰るのに自分は一人の部屋へ、とも読みたくなってしまうのでした。4句目の字余りが家庭の人々の多さのようです。

  鍵あなにかぎを差し入れまはすとき短く鳴れる手の中の鈴  清水弘子

 こういう普段の動作の何気ないことを歌にできるのがいいなと思いました。鍵に鈴を付けているというのもかわいくて、人間味があって。

  よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ  金田光世

 見抜かれてしまった。仕事のため本来の自分とは違うキャラクターを演じていることに気づく人もまた、きっと繊細で思慮深いのでしょう。よっぽどバレバレの演技だったのかもしれないけれども。

  負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私  坂下俊郎

 戦争なんて起こらなければよかったのだけど、戦争があったから繋がった縁があるということに運命の不思議を思います。お父様が軍人としてあまり偉くも強くもなさそうなのが、また。

  家長といふ指定の席は卓にあり戸棚の皿の出しやすき場所  白井均

 「家長」とおだてられながら皿の取り出しなど雑用に使われているのでしょうか。うまく転がされているような家庭内の立ち位置が見えるようです。

  ネイビーとグレーのパンプス玄関に並べて交互に似た日々を行く  紫野春

 靴が傷まないように二足を交互に履くのでしょう。黒ではなくネイビーとグレーという色合いに、似たような日々へのささやかな抵抗が見えるようだと思いました。

  少しずつ祖母の手に似てくる母の手だ 僕はそろそろ家を出ていく  川又郁人

上の句の字余りとか、断定とか、「似てくる」「出ていく」という捉え方がなにか不思議に気になる。未来に向かっている文脈なのでしょうか。そして口語の味わい。

  畑から売地となりし空き地ゆえところどころに里芋の葉が見ゆ  朝日みさ

 里芋のあの大きな葉が空き地に育っている光景を思い浮かべて和みました。売る時に片付けたのでしょうけれど、生命の力の凄さが思われます。農家の後継ぎ不足問題みたいな背景もある歌なのかもしれません。

  婚活をする夢を見てうなされて起きて隣を見てまた眠る  塩原久美

 夢にうなされるほど婚活とは壮絶なものなのか!と、ちょっと笑ってしまったのです。隣で眠る相手がいるのなら婚活をする必要はないのですから、安心して二度寝もできるでしょう。動詞が多さときっちり定型に収まっているのがコミカルな印象です。

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月日の流れがこの頃とても早く感じるのです。10月号を読みます。敬称略です。

  名古屋場所の観客席に父に似る人あり団扇をゆつくり使ふ  石原安藝子

 土俵と観客席が近いからか引きの映像が多いからか相撲中継では観客席が割と映ります。団扇をゆっくり使う様まで見えるのは相撲らしい時間の流れ方だと思いました。

  わたくしに淡くつながるをみなごの赤いお箸を買ひにゆく夏  藤木直子

 つながりの淡さと赤が対比のようでいいなと思いました。女の子だから赤というよりは、お祝いごとの赤と読みました。縁というものをあらためて大切にしたくなる一首です。

  農の手を休めてスイカ頬張りし九十歳も種を飛ばせり  石井久美子

 元気な九十歳だなあ、と読んでいてうれしくなりました。「九十歳も」なので他の人達と種の飛ばしっこをしているのでしょう。つかの間の休憩を終えたらまた炎天の中を農作業に戻るのです。

  まどろみに重き瞼をひらくとき吾へほほ笑まんとす君の気配す  大堀茜
 
 この一首だけだと幸せな相聞歌で、それはそれとして安心感の伝わる良い歌ですが、こういう歌が闘病の一連の中にあるということにも深みを感じました。

  祝ひ水かけられ歩く加勢鳥の身ぶるひすれば我も濡れおり  中西よ於こ

 加勢鳥は全身を覆う蓑のようなものを被った人達が「カッカッカー」と言いながら踊り歩く山形の風習なのです。沿道の人から加勢鳥へ、加勢鳥から作者へという水の動きが人々を繋ぐようです。

  老主夫を見かねて嫁は窓越しに餃子差し入れする春の宵  菊池秋光

 一読して嫁舅のあたたかい歌のようなのですが、一緒に食べるわけでもなく、玄関から家に入って渡すわけでもなく、窓越しであることに微妙な距離感を感じてぞわぞわしました。そして料理が餃子というのが絶妙。

  徒歩圏内にコメダ珈琲店があるそれだけが今の心の救い  山上秋恵

 転居の一連。慣れない土地で居場所を見つけた安心感が伝わります。「それだけ」の切実さ。チェーン店に救われるというもわかる気がします。

  この道でよかったのだろうそういえばいつも何かの花が咲いてた  森川たみ子

 迷子の歌かもしれないけれど、人生のことのようにも思えます。「何かの花」という漠然とした表現が、この歌では良いと思いました。

  もう田には入るなといわれ千春さん畔に黙って後手を組む  高原さやか

 入るなと言われても田んぼに居たい千春さんに胸を打たれるのでした。後手を組むのはお年を召して腰が曲がっているからと読みました。

  職場から海が見えるというけれどビルの谷間の指の先ほど  内田裕一

 「見える」とわざわざ言うほどでもないくらいということでしょうか。指の先ほどの小ささでも、海が見えることをありがたく感じる人がいるのでしょう。

 そして10月号は池本一郎特集ということで、自選30首に入っていなかった歌でわたしの好きな池本さんの歌を一首挙げましょう。

  幾瀬経てたとえば一郎杉という呼び名残れば来て遊ばんか  『池本一郎歌集』

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9月号を読みます。敬称略です。

  ひたぶるに鍬を振りゐる友の見ゆ手さへ揚げずて今日は離りき  尾形貢

 「今日は」なのでいつもは挨拶してお話に興じたりするのでしょうか。手を上げるのも躊躇われるほどの農作業の様子が目に浮かぶようです。

  雨の日は畑に出でず機を折る母にとっては休息なりき  大久保明

 機を織ることが休息だという心根に胸を打たれる。根っからの働き者のお母様なのでしょう。余談ですがわたしの母は家で祖母と居るのが嫌で畑に出てゆきます。

  母、舅、見知らぬ老女となるにつれ私の声は遠くてやさしい  佐原亜子

 この下の句はわかる気がする。心を離れてよそ行きの声になってゆく自分の声、「やさしい」と自分で言えるのも客観的な視線を自分に向けているからなのでしょう。

  歌会への途中に大蒜出荷して市民プラザの会場に着く  別府紘

 歌会へ行くついでに市場へ寄る、というのが有意義な一日でいいなと思いました。一つ前に<大蒜を五袋荷せば賄える塔今月の歌会の会費>という歌があるのもおもしろくて。歌会に出るお金がないので大蒜を売ったわけではないのでしょうけれど。

  小さき服用意して待つ日々の中振り返ること少なくなりぬ  魚谷真梨子

 過去に目が向くのはあまり心の状態が良くない時らしいので、これはすごく健康なことなんじゃないかなあと思いつつ、振り返る暇もないくらいに前へ進むしかない日々というのも伝わります、小さき服。

 コンビニでチキンをひとつ買うほどの値段なり旬の飛魚の五尾入り  株本佳代子

 タンパク質を摂取するとしたら、やっぱりここは旬のものをいただきたい。しかも旬のものは安い。数字の対比もわかりやすいし、カタカナの無機質な印象に比べれば「飛魚」の字の躍動感のなんて美味しそうなことか。

  子のなくば「ばあば」と呼ばれる筋はなく和佳ちゃんあなたは私の友達  大谷静子

  有紗にはおばあちゃんはいないと言う ばあばと呼ばれる吾は友達か  日比野美重子 

 この二首はそっくりなのですが、立場が違って内容が真逆なのが興味深いです。和佳ちゃんはある年代の女性をみんな「ばあば」と呼んでしまうのでしょうか。有紗ちゃんは「おばあちゃん」という続柄がまだわかっていないのでしょうか。どちらにしても無邪気で愛らしい。

  駅を出て徒歩七分とう歌会に信号待ちを二回して着く  須山佳代子

 そのままの歌なのでしょうけれど、こういう何気ないところで立ち止まって歌に詠めるのがいいなあと思うのです。七分という微妙さは五分以上はかかるけど十分はかからないかな~ぐらいの設定なのでしょう、おそらく信号待ちの時間は含まずに。

  藤棚の下で安らぐ老人に添い寝している村上春樹  山田精子

 作家の村上春樹氏が老人にぴったり添い寝している光景を思い浮かべてシュールな気分になりましたが、人ではなく村上春樹氏の著書が読みかけのまま置かれている状態か、あるいは幻が見えたのか、想像が広がります。

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自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
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