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川が好き。山も好き。
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「ぼけますから、よろしくお願いします。」を観てきました。東京で仕事をしている一人娘の視点から、故郷の両親の老いを見つめるドキュメンタリー映画です。お母さんの認知症が大きく扱われていますが、ことさら悲劇を煽るような感じでもなくて、淡々と日常の映されているのがいいんだなあと思いました。監督で、娘でもある信友直子さんのナレーションも自然体で、優しい。
 
 ご両親のお元気だった頃の過去映像が、せつないのでした。お母さんは書で賞を獲るなど趣味も充実していて、お友達も多く社交的で、なにより直子さんが45歳で乳がんを患った時に上京して支えてくましれた。抗がん剤の副作用で脱毛している直子さんにお母さんは「かわいい」と笑います。笑顔のすてきなお母さんだったのです。
 冒頭で帰省する直子さんを料理を用意して迎えに来てくれたお母さんが、どんどん変わってゆきます。知的なお父さんも老いてゆきます。それでも、お父さんは直子さんが仕事を辞めて実家に戻ることを望まず、二人の暮らしは続くのでした。

 ご両親の老いにも考えさせられるものがありますが、直子さんが独身女性という点も見過ごせないと思うのです。結婚していて双方の両親を見る方が大変だとか、子育てと介護の両立の方が大変だ、というような声もあるかもしれませんが、やはり一人で背負う重さや頼りなさだって相当でしょう。ご両親が二人で生きている様子に胸を打たれるからこそ、じゃあ直子さんが老いた時は……? ということが気がかりになるのでした。
 両親の老いはほとんど誰にでも訪れることだから、他人事としては観られません。今はふわふわ生きているわたしにもいつか訪れる日常なのでした。

 公式サイト→http://www.bokemasu.com/

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『鈴木家の嘘』を観てきました。野尻克己監督作品、出演は岸部一徳さん、原日出子さん、木竜麻生さん、加瀬亮さん、岸本加世子さん、大森南朋さんなど。
 突然自死してしまった引きこもりの兄、ショックで意識を失った母は、意識が戻った時に兄の死を忘れていました。母の笑顔を守るため、咄嗟に兄はアルゼンチンに行っていると嘘を吐き、その嘘を守るため、家族親せき一同は奮闘するのでした。
 家族の確執や喪失と向き合うホームドラマで、やはり死が絡んでいるので重めになりがちなテーマながら、コメディふうでもあって、なにか不思議な味わいでした。それぞれ個性のある役柄ですがキャストが、とてもハマっているんじゃないでしょうか。木竜さんと加瀬さんは実年齢が20歳離れているのに兄妹役って。あんまり気にならないのは出番が少ないとか、加瀬さんが若く見えるとかもありますが、何より役に合っているからなのでしょう。個人的に、引きこもりの男兄弟という設定が他人事でなく、いろいろ思いながら観ました。あと、チェ・ゲバラのTシャツが欲しくなりました。

 公式サイト→http://suzukikenouso.com/

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塔10月号のエッセイで映画『人生フルーツ』について少し触れたのですが、最近あちこちの映画館で再上映されているようです。わたしが観た時でも何かの受賞記念の再上映だったので、再々上映でしょうか。時期が合ったことなども不思議な感じがしています。と同時に、それが樹木希林追悼上映であることを寂しくも思うのでした。

 追悼上映のいくつかの中から『神宮希林 わたしの神様』を観てきました。『人生フルーツ』と同じ伏原健之監督のドキュメンタリーで、樹木希林さんがお伊勢参りをするのを軸として、式年遷宮にまつわる祭事に参加したり、東日本大震災で流されて小さく建て直された石巻市雄勝町の神社に行ったり、歌人の岡野弘彦さんに会いに行ったりします。
 遷宮のためのヒノキがあったりとか、いくつもの儀式があったりとか、儀式のための供物が決まっていたりとか、わたし達にとっての神様とは、ということを深く考えさせられました。わたし自身は仏教だとは思うのですが、日本の神様の話も好きです。先日帰省した際は地元のお祭りに行ったのですが、伝統の舞楽やお囃子、奴などに民間信仰を強く感じました。すべては神様への祈りであり、神様への感謝でもあるのだと思いました。
 おもしろかったのは、伊勢うどんのお店で、女将さんが法被をあげようとするのへ、いらない、と拒否したところ。女将さんは「他の人はもらってくれるのに」とぶつぶつ言っていましたが、確かによろこんで受け取った方がその場がまるく収まるし、実際に女将さんの厚意がありがたいから受け取る人が多いのでしょう。もらったって着ないから、と頑なな希林さんは、強情で、正直で、身近にいたらちょっとめんどくさい人なのかもしれないなあと思いつつ、うらやましい気持ちにもなりました。自分に不要な法被は受け取らない一方で、ティッシュなどは一度取り出したら必ず何かを拭いたりして使い倒すと冒頭で仰っていて、本当に物を大事にするとはこういうことなのだという気もしました。
 チラシやポスターにもなっている稲の光景が美しいです。可憐な稲の花の接写から広がってゆく緑が。祭祀に稲が使われる意味を、あらためて思ったりするのでした。
 伊勢神宮にはいつか行ってみたいです。

  公式サイト→http://jingukirin.com/

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先月になりますが、「小津4K 巨匠が見つめた七つの家族」として小津安二郎作品がいくつか上映されていました。そんなに毎日は通えないので、とりあえず観たことないものを、と『早春』『浮草』を観てきました。

『早春』は1956年公開。出演は、池辺良さん、淡島千景さんなど。サラリーマンの悲哀と夫婦危機みたいな話。浮気や不倫は理解も共感もできないので苦手な分野なのですか、相手の女性がどうにも小悪魔的で可愛い。と、思ったら岸恵子さんでした。
 兵隊からサラリーマンに転身し、クラス会のように戦友と会って歌ったりしているのは、戦後生まれのわたしにはなにか衝撃的でした。本筋と関係ないような、お母さんや同僚との日常のなんでもない会話に味わいがあります。ただ、同僚男性の、奥様の妊娠に対する言葉だけはあまりに他人事過ぎていただけない。
 平日の何でもない日に映画館へ行っていて、お客さんが3~5人という状態に慣れつつあったのですが、この日はメンズデーだったので男性が多かったです。熱心に壁のパネルの写真を撮っている人もいました。

『浮草』は1959年公開。出演は中村鴈治郎さん、京マチ子さん、川口浩さん、若尾文子さんなど。
 フルカラーです。サルビアやヤカンなど、赤い小物がとても印象的。ホームドラマばかり観ていたので、旅一座の物語がとても新鮮でとてもおもしろかったです。おもしろくて、特になにも言うことがないくらいです。いろいろ独特な人間関係も、まあ旅芸人だからという感じで。
 こちらは金曜の夜に観ました。週末だからか『早春』よりも人が多く、男女比も半々ぐらいでした。

 他作品はDVDなどで観たのでいいかな~と思っていましたが、やっぱり大きなスクリーンで観てみたい! という気になりました。
 どちらもレイトショーだったので、帰宅が遅くなりました。自宅付近の夜の道路では両日ともピカピカと工事が行われていましたが、朝に同じ道を通っても工事の気配すら消えていました。こんな夜にだけ動く仕事もあるのだなあと、労いの気持ちが湧くのでした。


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『四月の永い夢』を観てきました。中川龍太郎監督作品、出演は朝倉あきさん、三浦貴大さんなど。
 恋人を亡くしてから教師を辞めて蕎麦屋さんでアルバイトをしている主人公・初海が元教え子や、恋人の両親、アルバイト先の常連客である手ぬぐい職人などとの交流を通して、喪失感に向き合ってゆく話――わたしがこうしてあらすじを書くといつもなんだかうまく伝えられないのですが、優しくて、切なくて、とても良い映画でした。

 まず、冒頭の桜と菜の花の中に喪服で立ち尽くすシーンが美しくて。淡々としたモノローグにも引き込まれます。恋人の死、などという入り口ながら悲劇を煽るようなこともなく、全体的に淡々としていて、あまり多くを語り過ぎないところが心地よかったです。
 蕎麦屋、図書館、浴衣、手ぬぐい、電車、ラジオ、そして手紙など、小道具の選び方もなんだか懐かしい感じで好みでした。
 
 初海が寝転んで漫画を読んでいるシーンがあり、その時に手にしている漫画は高橋留美子『めぞん一刻』でした。他にりぼんマスコットコミックスの背表紙が映っていました。ぼんやりしてタイトルは不明でしたが、きっとそれは柊あおい『星の瞳のシルエット』か水沢めぐみ『姫ちゃんのリボン』だろうとわたしは勝手に思いました。

 仕事帰りに映画館に寄ったので、帰りは夜8時頃になりました。映画館は職場より一駅向こうで、一駅分歩いて帰りました。金曜日の夏の夜、街の中の大通りは明るくてにぎやかで、みんなどこかへ帰ってゆくのだと思いました。わたしはこの街で一人で歩いているなあ、とほんのり寂しいような気分になりました。あさって人に会う約束だってあるのに、このままずっと歩いてゆくような気がしました。

 公式サイト→http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/

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少し前になりますが、『オー・ルーシー!』を観てきました。
 冴えない40代独身OLが英会話教室で金髪ウィッグと外国名を与えられたことにより新たな自分を見つける、みたいなコメディ映画だと思ってたら、割とシリアスでぐさぐさ刺さる系でした。よく考えたら、寺島しのぶさんと役所広司さんで、そんながちゃがちゃしたコメディのはずがないですね。
 ゴミ屋敷と化した単身用アパートに暮らし、屈折してくすぶっている主人公・節子がとてもくるしい。薬が好きで、職場にも居場所がなくて、姉もきつくて。そんな中の英会話教師・ジョンへの恋です。ルーシーという名前を与えてくれたジョン。そこから物語は動き出すのです。
 物語は動き出しますが、暴走して変に行動力のあるおばさんは痛々しくて、つらくて、せつなくて、ああならないよう気を付けようと、アラフォー独身のわたしは身につまされるのでした。そうしてただでさえ押しの弱いのが、ますます受け身になってゆくような。
 ラストがよかったです。こういう終わり方、というような終わり方。

 公式サイト→http://oh-lucy.com/

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今年観た映画の覚え書き。
・『勝手にふるえてろ』
・『光』
・『人生フルーツ』
・『生きる街』
・『素敵なダイナマイトスキャンダル』
・『港町』
・『泳ぎすぎた夜』
・『オー・ルーシー!』
・『モリのいる場所』

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欠勤も遅刻も早退もしていないのに、先月分のお給金が先々月分より8万円ほど下がっていて絶望しかありません。

 昨日は仕事終わりにドキュメンタリー映画『港町』を観てきました。公開初日で、想田和弘監督の舞台挨拶付き上映です。あいにくの雨でしたが、たくさんの方が観に来られていたようでした。
 ナレーションもテロップも音楽もなく、ただひたすら牛窓という小さな港町の目の前の現実が淡々と映し出されるドキュメンタリーです。おしゃべりなおばあちゃん・クミさんがしゃべっていて、飄々とした老漁師のワイちゃんが魚を取ります。ワイちゃんが魚市場へ行き、魚は魚屋さんが競り落とし、魚屋のおばさんはマニュアルのトラックで配達します。魚を買うお客さん達、魚を与えられる猫達、通りがかるお墓参りのおばさん。大きな事件が起こったりはしません。けれども、流れるように出会うそれぞれの人達に、それぞれの人生があります。そうした、台本のない生の言葉や振る舞いからにじみ出るものに、ああ人間ってかなしいな(「愛しい」と書いて「かなしい」と読みたい感じ)、と思うのでした。とりわけ、クミさんの妙な意地悪さ、悪気のない押しの強さは、クミさんの長い独白とは別にして、なにか寂しく、なによりどうしようもなく人間くさいのでした。

 上映終了後は想田監督のトークや観客の質問の時間が設けられました。ざっくり覚えていることを箇条書きで。
・当初は色が重要な映画だと思っていて、特に夕暮れの色が重要だと思っていて、タイトルも『港町暮色』だった。何かが足りず、奥様の提案でカラーからモノクロに、タイトルも『港町』になった。
・牛窓を撮ったのは、ご縁。元々は奥様の親類にゆかりがあって訪れていて、そこで前作の映画を撮っていたところ、漁師のワイちゃんと出会った。ワイちゃんを撮っているうちにクミさんが映り込んできて最初は困っていたが、いつのまにか主役のようになり、ついにはポスターにまで。
・これまでの映画は、どこを入れるかカットするか最終的な決定まで編集で何パターンもあったが、『港町』は割とすんなりいった。
・テーマを決めて撮ることはない。たとえばこの映画なら漁業の衰退や一期一会などをテーマにすることができるかもしれないが、テーマを先に決めると撮るものが違ってきたり編集でそぎ落とされてしまう。とりあえず自分のおもしろいと思ったものを撮っていく。テーマは後から浮かび上がってくるもの。もし漁業の衰退というテーマが先にあったとしたら、クミさんや猫は出てこない。
・クミさんが語っていた過去について、自分はジャーナリストではないので追及はしていない。ジャーナリズムとドキュメンタリーは違う。
・人が魚を食べる場面にはなぜか巡り合えなかった。
・ワイちゃんは90代の今もご健在で漁師業も現役。

 細かい文脈は違うかもしれませんが、こんな感じでした。とても興味深かったです。
 特にテーマについては、短歌の連作の作り方に通じると思いました。自分の目で見たことや感じたことを詠んでいるうちに、歌の順番や取捨を推敲しているうちに、連作全体のテーマが浮かび上がってくるものです。もちろん先にテーマがあって歌を作ってゆく人もいるし、創作で独特の世界観を詠む人もいる中で、わたしが短歌に求めているものはドキュメンタリー性なんだな、とあらためて気づきました。



  公式サイト→http://minatomachi-film.com/

 最近あんまり感想を書いていませんが、映画はいくつか観に行っていました。そのうちいろいろまとめたいです。

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「南瓜とマヨネーズ」を観てきました。魚喃キリコさんの原作漫画がとても好きで、今読み返したら私の持っている復刻版のコミックスが初版が2004年でした。なんだかそんなに昔の漫画だったかなあというような、不思議な感じです。
 主人公・ツチダは昔好きだった人・ハギオを忘れられないまま、現在の恋人・せいちゃんと同棲をしています。せいちゃんはミュージシャン志望の無職で生活力がなく、ツチダはこっそり水商売を始めたりして、そんな折、ハギオに再会して、というような、なんだかこうやってあらすじを書いてみるとなんだかわたしの文章力のせいか陳腐なストーリーな気がしてしまうのだけど、コマ割りとかモノローグとかなんていうか空気感がとてもよくて。初めて読んだ時にわたしはラストでぼろ泣きしたのでした、その頃は恋とか愛とかいうことが理解できなくて、ちっとも共感なんてできなかったのに。職場の休憩室だったのに。

 さて映画の方は、ツチダが臼田あさみさん、せいちゃんは太賀さん、ハギオがオダギリジョーさん。何故か原作のアパレル勤務からライブハウス勤務になった臼田あさみさんがキュート過ぎるので、軽い女性に見えてしまうような感じもしました。せいちゃんは原作では優しかったのが、髭も生えていてちょっと今風でチャラい感じ。でもバンドマンを実写ってなるとこういう感じなのかなあ。
 ラストのせいちゃんが作った歌が、ちょっとイメージと違っていて、うーん…。あんまりネタバレになるとあれですが、原作ではベタな方向に持っていかずにハズしたところがとても良かったんです、そのセンスにほろっとくる。別に映画の曲自体が悪いわけじゃなくて、でも原作で言っているような歌詞はこれじゃないでしょうという感じ。でもこれは原作に対する自分の思い入れが強すぎるせいなのかも。

 魚喃キリコさんはわたしが20代半ばだった頃、「土曜の夜はケータイ短歌」というラジオ番組のパーソナリティーをしていました。わたしは魚喃さんのファンだったので投稿を始め、初投稿で魚喃さんと東直子さんに採っていただけて、とても感激したのを覚えています。結社とか歌壇とか何にも知らず、ただノートに書き留めていた頃でした。こうして短歌の投稿初期にうれしい評をいただいた経験があったから、ずっと続いているのかもしれないです。
 その時の歌は一読すると相聞のようですが、26歳当時のわたしはAセクシャル全開なので、相聞ではないです。投稿テーマは<音楽>でした。
 
  鍵盤を奏でる時の指先と心でわたしにさわってほしい

  公式サイト→http://kabomayo.com/

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「月と雷」を観てきました。角田光代さんの原作が好きで。主人公の康子の、30代独身で田舎のスーパーのレジ打ちパート勤務というさえない境遇に近しさを覚えるのかもしれません。尤も、それまでの人生は結構歪んでいるのだけれど。ああ、文庫本の「まっとうな家族が作れるのだろうか そんなものを知らずに育った私たちに」という帯文にも惹かれたのだったと思います。
 
 映画を観る前に再読をしました。幼い康子の家に転がり込んでくる親子・直子と智。わたしは直子みたいな女の人にどうしようもない嫌悪感があります。一日中酒を飲み、タバコ、パチンコ、ゴミ屋敷。男の人にもだらしがなく次から次へと渡り歩く。不倫して何度も妊娠して堕胎する。ことさら不快に思えるのは、わたしがそうしたことを自分に禁じているからという、心理学でいう投影の法則なのかもしれません。
 直子のようなクズ系の女性は身近にはいませんが、妙によく聞くような気がします。ニュースで知る犯罪者は大概がこんな感じじゃないでしょうか。というか、わたしは読んでいて石井光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』というルポタージュ本を思い出したのでした。「愛していたのに殺した」という親達。そしてその親を育てた親たちへ目を向けてみると見えてくる悲惨な成育歴、劣悪な環境、歪みの連鎖にどんよりとした気分になります。要するに、極めて常識的でない人達の下に生まれた人達は、まともに育てられていないので何かが欠けていて、大人になって自分が子を持った時にどうしたらいいかわからないのです、愛していても。

 映画の方は、康子は初音映莉子さん、小説の屈折したイメージより正統派な美人さんでした。智は高良健吾さん、これはとてもわかる。そして直子がお上品なイメージの草刈民代さんというのは意外なキャスティングでした。
 原作で好きな台詞が映画には出てこなかったのと、原作とちょっとタイミングの違ったラストが少し不満かなあ。でも映画らしい余韻なのかも、とも思いました。
 それにしても、公式サイトの角田さんのコメント「書いていて大嫌いだった泰子も智も直子も」って! わかるけれども!

  公式サイト→http://tsukitokaminari.com/

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「彼女の人生は間違いじゃない」を見てきました。東日本大震災から5年、いわき市の仮設住宅に父親と暮らし、市役所に勤める主人公のみゆきは、週末になると高速バスで上京しデリヘルのアルバイトをしています。
 震災後を生きる人の話、そして監督が福島出身ということで、ああこれは見ておこうと思いました。

 いわき市に、わたしは去年行ったのでした。スナックの多い町、といった印象でした。でも、主人公のみゆきは地元でスナック勤めをするわけでなく、東京でデリヘルをするわけで。
 震災といっても福島と宮城では違うのでしょうけれど、震災に遭ったわたしにも、みゆきの心理は難解です。被災地や震災後の現実からの一時的な逃避もあるでしょう。身近な人が亡くなっており、また彼女は市役所勤務で一般の被災者よりもいろんなことを見ていると思うので、生き残ってしまったという罪悪感からの自傷であるような気もします。それくらい、男性の剥き出しの欲が気持ち悪い。「生きている感じするよ」っていう従業員のセリフもあるけれど、そういう人もいるのでしょうか。はっきりとした理由は語られないけれど、もしかしたらはっきりした理由なんてそもそもないのかもしれません。
 みゆき以外に、父、同僚、同じ仮設住宅に暮らす人のエピソードも描かれます。こちらはわかりやすかったです。これでもか、というくらいです。ちょっともりだくさんですが、淡々としながらも、くるしい。壺を売ってくる人とか、わたしの知り合いも変な宗教にハマって勧誘してきたしなあ。

 なんだかしんどい映画でした。しんどくないはずがないのだけど。新幹線じゃなくて高速バスなのが、やっぱりよいのだと思いました。

  公式サイト→http://gaga.ne.jp/kanojo/

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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