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川が好き。山も好き。
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夕飯はもやしと豚肉を炒めてポン酢でもかけて食べようかな、と思って野菜売り場へ赴いたらもやしが売り切れでした。このところ卵や乳製品を筆頭に値上げ続きで、もやしのように安くてボリュームのある食材はありがたい。考えることはみんな同じなのでしょう。もやしはこの頃人気です。
 少し前のNHKマル得マガジンでも「もやしでごちそう カサ増しグルメ」というシリーズ回でした。ああもう少し前は同じ枠でアボカドレシピなんてやっていたのに。そのアボカドも昔は100円ほどで買えたのが今は倍の価格になってしまい、なかなか手に取りにくくなりました。マグロの刺身に手が出ないから、代わりに風味の似ているアボカドにしょうゆをかけていたほどだったのに。暮らしが下降してゆき、今までの日常だったものがぜいたくになりつつあります。もともと慎ましくしていた方だけれども、今まで以上に財布の紐をしめなければ。

 今まで以上に財布の紐をしめなければいけないのに、ぜいたくをしました。この春に発売された『朝のあかり 石垣りんエッセイ集』(中公文庫)を買いました。『ユーモアの鎖国』『焔に手をかざして』『夜の太鼓』を底本とし、独自に作品を選定して再編集した一冊です。なにがぜいたくかって、わたしは底本の三冊を既に持っているのです。再編集の一冊に、書き下ろしや未収録作品の収録もありません。再読なら手持ちのものを読めばいいのです。けれども、土筆の描かれた黄色のカバーを書店で見たときに、なにか元気をもらえたような気がしました。思い入れのあった随筆の「朝のあかり」が表題作に選ばれていたのもうれしく思いました。
 夜がきたら、たとえ二つの部屋の片方に家族が集まっていても、あいているもうひとつの部屋を同じように明るくしておきたい。台所も手洗いも、みんな電気をつけておきたい、私は明るさの持つ静かなにぎわいが好きだから。(中略)電灯が宝石のように高価だったら私だって手が出ない。さいわい電気代くらいなら狭い家のこと、全部一晩中つけておいても給料でまかなえるだろう。(中略)「もったいないですって?」一日働いてくたぶれて、あれもこれもしようと思いながら、思い果たさず消し忘れた電灯。「デンキぐらい、なんの楽しみもない私の道楽なのに」と泣き落とした。(後略)/「朝のあかり」
 わたしも朝までずっと蛍光灯をつけています。わたしは一人で過ごす部屋が暗いのが怖いという理由なのでもしかしたら少し違うかもしれないけれど、それでも好きな詩人が自分と同じことをしているという事実に励まされるものがありました。「デンキぐらい、なんの楽しみもない私の道楽なのに」という思いもせつなく刺さりました。
 初読のときは20代だったわたしも、石垣りんが随筆を執筆していた年代にだいぶ近づきました。あの頃に思い描いていた将来からは遠く離れて、今のわたしにより沁みてくる言葉がたくさんありました。この一冊に選定されなかった分も含めて、石垣りんの随筆は折にふれて読み返してゆきたい。また、わたしも文章を書いてゆきたい。ぜいたくしたおかげで、心が奮い立ちました。

  カルピスを牛乳で割るぜいたくを時々はして元気でいます 『にず』

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もう7月!どうにも物忘れ著しくなり、書くことを大事にしてゆきたい今日この頃です。

 5月13日は歌集『にず』を読む会でした。会場のシルバーセンターに着き、催しの案内板を見ると「歌集『みず』を読む会」と表示されていました。ガーン。表示名については電話で「ひらがなで『にず』です」とお伝えしていたのですが、聞き慣れない言葉ではあるので聞き誤ってしまうのもしょうがない。わたしも電話応対の仕事をしていて変わった響きのお名前を聞き違えてしまうことがよくあるので人を責められたものではないですし、間違えられたところであまり気にする性格でもなく、ひとネタできたぐらいの心持ちです。他の参加者の方々もまあ笑ってくれるでしょう。
 鍵を受け取りに事務室に赴くと、職員の方が先に「虹が訛って『にず』ですよね、すみません今から直します」と気づいてくださっていました。何かしらでお調べいただいたのでしょうか。かえってお手数おかけしてしまって恐縮でした。

 歌集タイトルにちなんで、前半の歌会のテーマ詠は方言詠み込みの歌にしました。参加者は東北の方が多めですが、出身地がそれぞれのため北から南から様々な言葉が集まり、日本語のおもしろさ、奥深さを感じました。わたしは「んだ」なんていうベッタベタな東北弁を読み込んだ歌を提出してしまいましたが、他にはまるで「読み解かれてたまるか!」とでもいうようにディープな言葉が持ち寄られていたのがとても興味深かったです。余所の地域の人には伝わりにくい言葉だからこそ大事にしたい、というような心でしょうか。方言は辞書に載っていないものも多く、意味の読み取れないまま想像を働かせて評をするといった相当に異色の歌会になりましたが、楽しかったです。こんな歌会は歌集の読む会の余興だからこそできたような気がします。

 歌集を読む会は、皆さんに3首選を提出していただく形式でした。好きな歌や良い歌の3首選だとただただ賞賛を浴びるだけになってしまい、会としておもしろくないのではという懸念と、わたしもあまり自分が褒められる状況は慣れてなくて居心地が悪くなって逃げたくなってしまうので、どうしたものか相談したところ、キャッチフレーズを考えてそれを元に3首という提案をいただきました。試しに自分でも考えてみて「難しいな」と悶えましたが、ちょうどわたしの歌集には帯がないので帯をつくるような感覚で言葉を選んでいただけたのではないかと思っています。おかげさまで、様々な切り口で歌集を読んでいただけてありがたかったです。
 客観性についての指摘が一番多かったのですが、他には古風でベタなしあわせ感、歌の評ではなく生き方の評になってしまいそうになるということ、さらけ出しっぷり、大勢の主流に乗れないわたし、歌の並べ方・置き方、リフレイン、他者との距離、食べ物の歌の多さ、批評性、仮想敵、独特なユーモア、タイトルに関係する歌が少ない、といったことなどが話題にあがりました。あたたかい言葉も厳しい言葉もとてもうれしく、糧にして今後の歌作に活かしてゆきたいです。
 わたしは歌と自分との距離が近いからか、作者としては向き合うのがしんどいときもある歌集ではあるのですが、刊行から3年ほど経ってこうして読む会を開けたり、時々いろんなところで引いていただけたりもして、しあわせな歌集だとしみじみ感じております。

 花束を二ついただきました。翌日が母の日で実家に帰る予定もあったので、ほどいて小さな花束を作り、母におすそ分けしました。ドライフラワーと押し花も作りました。会からひと月半過ぎてドライフラワーは良い感じに部屋を飾ってくれています。押し花はなにか活用できないか考え中です。

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大型連休も関係のない仕事ですが、5月3日から5日の間にどこかシフトで休みが入っていたら白石市の全日本こけしコンクールに行こうと考えていて、4日が休みだったので行ってきました。
 電車の窓からは雪を被った蔵王連峰が遠くに見え、白石川堤の一目千本桜の葉桜もさわやか、白石川も初夏の陽にきらめいていました。そろそろ田植えも始まっています。
 白石駅からシャトルバスで会場へ。白石市と言えばロクロ模様やくびれのある弥治郎こけしですが、他にも11系統の伝統こけしや新型こけし、創作こけし、小学生の絵付けしたこけしなども一堂にたくさん並んでいてとてもかわいい。わたしは伝統こけしが本命ですが、そうした技術を活かしたコマや車などの木地玩具、食器などの応用木製品にも惹かれます。工人の方々の実演販売や、ちゃっこいこけしコーナー、地場産品まつりなども併設されていてとてもにぎわっていました。壁一面にこれまでのポスターがはってありましたが、コロナで中止になった一昨年とその前の年のポスターも貼ってあって感慨深いものがあります。開催する予定でポスターを制作されたもののお蔵入りなってしまったのでしょうけれど、こうした場でお披露目できでよかったし、コンクールもこうして再開できてよかったです。こけしを大量購入できるせっかくの機会ではありますが、あまりにたくさんのこけしに囲まれて見ているだけで満腹感もあり、厳選してちゃっこいこけしを一つ選びました。

 

 白石城にも上がってみました。駅から徒歩で行けると思うと、挨拶のように行きたくなるものです。急な階段を恐る恐る上がって天守閣へ。窓からは町が見渡せて絶景ですが、偵察のための眺めであると説明が添えてありました。すぐ下を眺めやるとつつじが鮮やかです。天守閣は風通しが良くて、坂道で汗だくな体に心地良かったです。前に来たのもコロナ禍前の5月の連休中でしたが、その時ののんびりした印象よりにぎわっているようでした。城下の公園にドローンとキャンプ禁止の看板がありました。



 壽丸屋敷の白石和紙展にも寄ってみました。絵手紙やランプシェードの展示、紙漉きの工程のパネルや道具など。和紙の風合いがすてき。栞を購入しました。建物も趣があるのですが、何より2階の窓からこちらを見ているようなこけし2体が気になりました。
 


  さわっても抱いても濃厚接触にならぬこけしの微笑むばかり

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春の山形はとてもよかった。満開の桜の向こうに、雪をかぶった真っ白な月山。新しく春の名前を授かったばあちゃんが見せてくれた景色だと思いました。

 祖母の葬儀から半月ほどが過ぎました。なにしろ山形へ向かうのですから、道中で「みちのくの祖母のいのちを一目見ん」みたいな歌をはからずも詠んでしまうのだろうと踏んでいたのですが、東根駅まで行く特急バスのバス停に着いたところ、乗るつもりでいた発車時刻のバスが4月のダイヤ改正で無くなっていて、あわてて隣のバス停に来た山形駅行きのバスに飛び乗り、車内ではガラケーで必死に乗り換えを調べたりして、歌を詠むどころではありませんでした。山形駅でみどりの窓口に相談して、新幹線を使えば東京から来る叔母との待ち合わせに間に合うとわかりました。まさか人生で山形-東根間を新幹線で移動する日が来ようとは。新幹線の窓からは今が盛りの霞城公園の桜が見えて、とてもきれいでした。たくさんの花見客がこちらにカメラを向け桜越しの新幹線の写真を撮っていました。
 なんとか東根駅で叔母と合流し、タクシーで実家へ。地名が田舎過ぎて伝わらず、赤い橋を目印にしてもらいなんとかたどり着きました。

 妹は七歳の甥っ子を連れてくるか迷っていたようですが、これまでのいくつかの葬儀を思い出し、連れてくることを勧めました。無邪気な子供の存在はこうした場を和ませてくれます。実際に、本家のかあちゃんが「よぐ来たなあ~」とよろこんだり、わたしも甥っ子が様々に聞いてくるのへ「天国に行くんだよ」みたいに答えているうちに、そんな楽しげな映像が浮かんできたりするのでした。それにしても、あやしい宗教ではなくいたって一般的な真言宗なのに、一連の儀式やおっさまのお話、お経、仏様の存在なども生きている人の作りごとのようだと思いました。子供に言い聞かせるように、大人も物語の中で悲しみを癒してゆくのかもしれません。
 親戚から、わたしの父は婿に来て一年足らずでわたしの祖父の喪主になったという話を聞きました。今まで続柄がよくわかっていなかった親戚も結構いたのですが、あらためて確認すると祖父の兄弟やその上の世代が婿に行った家など入婿がとても多いです。親戚だけでなく、近所でも多いようです。農村といえば男尊女卑で長男が偉い前時代的なイメージがありますが、意外に世代を遡るほど男性の方が名字を変えて婚家の農業を継いでいますし、長男が外に出て次男三男が継いでいる家もあります。
 わたしも婿を取っていればよかった、と悔やんだのは、祖母を運んだり棺を運んだりする場面で「男性の方、前に出てください」と呼ばれても、高齢男性しかいなかった時です。祖母は痩せてしまって軽いとはいえ、ここでわたしの夫がいれば病を患っている方や杖をついている方に負担をかけさせずに済んだのに。夫がいなくとも女のわたしでも役に立ちそうに思いましたが、なにか儀式的な意味があるのかもしれず前に出られませんでした。
 親戚がたくさん集まって、頭の中の家系図を書き加えながら、その細りゆくことを思いました。わたしの実家はわたしで断絶するし、本家も次で断絶、祖母の実家も、父の実家も、あの家もこの家もいずれ断絶します。家のために子を生むわけではないけれど、先祖代々の田んぼや畑を次世代に繋いでゆけないことが、わたしはとてもくるしい。農作業の合間に肥やし袋を尻に敷いておにぎりを食べるような時間を、自分の子や孫とも過ごしてみたかった気もしてくるのです。わたしがなりふり構わずそうなるように突き進んでいればそういう未来もあったかもしれず、結局は自分が選んできた今なのかもしれません。

 告別式で親類の挨拶などがあれば、祖母との仲からして頼まれるのはわたしだろうという自負があったのですが、泣いて泣いてとてもそんな状態ではないだろうと見越した母や伯母が、挨拶の代わりにわたしの歌集から数首を司会の方に朗読してもらうように手筈をつけていました。セレモニーホールの待合室で葬儀社の方と漢字の読み方などの打ち合わせをしていて、「タイトルがなんのことだかわからなかったけれど、この歌(表題歌)を読んでわかりました」なんていう会話の後、「この本、買えますか?」と思わぬ申し出があり、そのまま差し上げました。
 司会の女性は、たんたんとしていると評されがちな作風のわたしの歌を、情感たっぷりに読んでくださいました。そして「にず」の訛りのアクセントがネイティブで完ペキです。祖母の歌は思ったより少なくて、三首選ぶのに迷いませんでした。これからは、どんなに詠んでも挽歌です。元気なうちに元気な祖母をもっと詠んでおけばよかったと思いました。

 いい時に死んでくれた、と叔母はくり返しました。果樹の仕事がひと段落した時期でちょうどよかったというのです。祖母には果てしなく長生きしてほしかったわたしには、叔母の言葉がなんだか無神経に感じたりもしたのですが、わたしもわたしで来月の歌集を読む会の日にそうなったらどうしようと相当に心配していたので、時期の被らなかった安堵感は確かにあったのでした。また、結社誌の詠草の取りまとめ作業のある20日前後に自宅を数日離れるのも厳しかったので、なんでもない日で、なんだか祖母に渾身の力で空気を読んでもらったようです。尤も、母は予定していた一泊旅行が取りやめになり、祖母に呼ばれて旅行がなくなるのはこれで3度目らしいのでした。
 コロナ禍も落ち着いて遠方の叔母や妹が来れて、とはいえ通夜振る舞いなどの会食は弁当を持たせてお帰りいただくことで縮小できて、いつかの真冬の雪の葬儀に比べたらよっぽど体も楽で、天気が良くて、花が咲いていて、充分に長生きして、葬式代もちゃんと遺して。なんて見事な仕舞いっぷりでしょう。でも、おしゃべりでにぎやかな祖母のもういない世の中を生きてゆくのは寂しいです。

 くり返し「寂しい人生だ」とつぶやけば祖母に「楽しい」と訂正される


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ベランダの桃の花が今年はふたつ咲きました。昨年はひとつだったのでうれしいです。
 さて、このたび歌集『にず』を読む会を開催することとなりました。コロナ禍などもあり刊行から数年越しではございますが、どうぞご参加お待ちしております。
 前半に歌会がありますが、読む会からのご参加もOKです。どうぞよろしくお願いいたします。
https://toutankakai.com/event/14603/?instance_id=2209

【歌集『にず』を読む会】

○とき:  令和5年(2023年)5月13日(土)13時~17時

○ところ: 仙台市シルバーセンター   
〒980-0013 宮城県仙台市青葉区花京院1丁目3番2号
TEL:022-215-3191
https://www.senkenhuku.com/silvercenter/

○次第: 

1 歌会  13時~14時20分

  題詠:「方言」を詠み込む 1首   ※実際に方言を詠み込んでください。
「めんこい」「なんでやねん」「エビフリャー」など

2 『にず』を読む会  14時30分~17時   

・『にず』の特徴を表す歌、とても好きな歌、何か言いたい歌などを事前に3首選んでください。

・加えて、【『にず』を一言(一文)で表すなら】ということで、『にず』にキャッチフレーズをつけてください。どのような感じでも結構です。

・当日は、全員の方に発言していただきたく、上記のものをとっかかりにお話しください。

○参加費:500円

○懇親会: 読む会の終了後、懇親会を予定しています。(仙台駅付近、予算3000円~5000円)

○申し込み締切:5月6日(土)

(歌会用1首+『にず』3首選+『にず』キャッチフレーズ)

・お名前  ・所属結社名(あれば)  ・メールアドレス   ・歌会のご参加の有無   ・懇親会のご参加の有無 をお知らせください。

○申込先・問い合わせ先: 三浦こうこさん koumeworld2000★gmail.com (★を@に変えてお送りください)

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仕事帰りによく寄っていた書店が一昨年の夏に閉店してから、本屋が遠くなったように感じています。少し足を伸ばせば別な書店はいくつかあるのだけれど、仕事帰りのくたびれた夜に足を伸ばすのは少しの距離でもおっくうで、書店への頻度は今では月に一度くらいになりました。代わりにネットショップを活用、というようなこともなくて、遠くなったのは心だ、と感じています。本が嫌いになったわけではないのに。なにかしら常に本を読んでいたいのに。尤も、塔の結社誌を読み切るだけで時間はかかるし、昔買った小説などはほとんど内容を忘れてしまっていて再読したら新鮮だったりして、もともと新刊を追っかけるタイプではなかったこともあり、新しく本を買わずとも間に合ってしまっているところもあるのかもしれません。

 早番の仕事帰りや遅番の仕事前によく寄っていたコーヒー店も一年前に閉店してしまいました。コーヒーを飲みながら本を読んだり、携帯電話や何かの余白に書き散らかした短歌をノートにまとめたりするのは大切な時間でした。もちろん、それほど足を伸ばさなくてもあちこちにコーヒー店はあって、なんなら職場のビルのテナントにも入っています。自分と同じような人があちこちの席でそこそこ長居していて自分がその他大勢でいられるような居心地はなくとも、しょうがない。コーヒーを飲みながら読書や物書きをすることが好きなのは変わらないのだし。

 震災の少し後あたり、この先ああなったらどうしようこうなったらどうしようと未来を悲観して不安になって、日常生活に支障が出るほどに不安感に押し潰されてしまって、不安を落ち着かせる薬などを処方してもらっていた頃がありました。もう服用をやめて数年経ちます。
 ふと、今の自分が、あの頃の自分が恐れていた想像そのままを生きてしまっていることに気づきました。こうなりたくない、と恐れすぎて強く思うあまり、それ以外の未来を思い描けずに、無意識にそうなるように生きてきてしまったのでしょうか。あがいてもあがいてもこっちに戻ってきてしまい、この頃はもうあがく気力もなくて。
 こうなりたくない未来を現実として迎えてしまったのに、あの頃に服していたような薬も必要なく暮らしてゆけています。こんな現実を乗り越えられるほど強くなったわけではないのに、不思議です。不安な気持ちに蓋でもできているのでしょうか。昔より鈍感に、わたしが変わったのでしょうか。考えてもどうせわからないので、とりあえずこのまま生きてみます、できれば少しあがきつつ。
 
  服用の薬の欄は空白になりたり瓦礫のように十年

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昨日の深夜、震災の1、2年後あたりのドキュメンタリーの再放送を見ました。震災より日が浅い頃に作られたものは、今見るとなにか乾ききっていない生傷ように感じました。それでも、本放送の頃は今より静かに見れていたかもしれない。震災10年の少し前の頃あたりから、震災がこれまで以上に怖くつらくなってきました。想像力が及んできた、というのか、なにか迫ってくるような感覚に、胸がくるしくなります。

 今日は仕事が遅番で、少し早めに出てコーヒー店でモーニングでもいただきながら本を読んだり歌を詠んだりしたいな、なんて思っていたけれど、結局普通の時間に出ました。昨年の「ドキュメンタリー72時間」の宮城の生花店の回の再放送と、「Dearにっぽん」12年目の告白~岩手・陸前高田 漂流ポスト~」に見入ってしまったからというのもあります。震災で亡くなった方への手紙が届くという漂流ポストはこれまでもいくつかのドキュメンタリーでも見ました。震災から12年経って、管理人の方が閉じたいと考えているということ、その思いや背景。

 職場に着くと、今はとてもとても偉くなってあまり話すこともなくなっていた上司と出社が一緒になりました。挨拶をすると「髪型変えた?」と聞かれたので、「ボサボサなんですよ~」と反射的に自虐してしまい、なにか困った空気になってしまい、あ、悪い癖が出てしまったと思いました。昔の職場の上司に、無意識に自分を下げて言うのを咎められたことがあったのです。「なんか分け目が違うみたい」と言われるのへ、わたしは自分を下げずに「今日は前髪巻いてたんです、気づくなんてさすがですね!」と相手を褒めるべきでした。自虐癖を注意されたのも10年くらい前なのに、なかなか治らないものです。
 仕事は毎年3月11日は14時から2時間ほどゆるやかで、特に今日のわたしは遅番だったこともありお昼の休憩が14時からでした。休憩室のテレビに映る震災の番組を見ながら、朝作ってきたサンドイッチを食べました。14時46分を知らせるサイレンの音がテレビの中から聞こえ、黙祷をしました。目を閉じていると、後ろのテーブルから「すっごい静か!」とキャハハと笑う若い女の子の声が聞こえました。3月11日14時46分にみんなが静かに祈ることの、なにがそんなにおもしろいのでしょうか。まして東北の、まして宮城県なのに。追悼の気持ちを持つべきだ、なんて強要することではないのですが。
 
 帰りは、献花会場だった場所を通りました。昨晩は出ていた「東日本大震災献花会場」の看板が、既にしまわれていました。1月に葉の落ちきった柳の大きな樹の細い枝々に、新しい葉が芽生え初めていました。

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「仙台のおばちゃん」と、わたしのことを妹が甥っ子に呼ばせていることがずっと気になっていて、昨年末にやっと「わたしは仙台人じゃないから、仙台って言うのはやめてほしい」と伝えることができました。人生の半分以上を仙台に暮らしていながら、たまたま仙台にいるだけ、という気持ちがとても強い。仙台はとても暮らしやすい街だけれど、根を下ろしている感覚は全然なくて、自分の意識は故郷の山形にずっとあります。吹けば飛ぶように生きていて。

 それはそうとして、現代短歌新聞3月号特集「宮城県の歌人」に「春」5首を掲載していただいております。3月号で宮城県特集、となると、震災の歌を詠むべきだろうか……と構えないでもなかったのですが、季節感は大事にしつつ自由に詠みました。お読みいただければうれしいです。

https://gendaitanka.thebase.in/items/72300983

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NHK総合「東北ココから」2023年2月17日午後7時30分(再放送2月18日午前10時30分)「震災を詠む 〜三十一文字に刻むそれぞれの“あの日”〜」にて、「塔短歌会・東北」の震災の歌や仙台歌会の様子なども紹介していただけるようです。東北ローカルで、東北の中でも地域により再放送のみだったりもしますが、他の地域の方もNHKプラスでの見逃し配信でご覧いただけるかと思います。どうぞよろしくお願いいたします、というほどわたしは映らないと思いますが、普通に視聴者として関心のあるテーマなので観ます。

 2月に入り、ドキュメンタリーなどで震災回が増えてきました。義務感のようにチャンネルを合わせつつ、ここ数年ほどは震災当日や直後の内容のものがつらくて怖くて。無理のない範囲で見てゆきたいと思います、トルコのニュースも。

https://www.nhk.jp/p/ts/WJ1LZ5K145/

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仕事の帰り、灯りの少ない夜の道を歩いていたら、背後からハアハアと息遣いが聴こえ、それは次第に大きくなってゆきました。後ろに人がいる、というだけで不安な気持ちが湧き、背中が強張ります。このあたりの道では数年前に通り魔事件が起き、まだ犯人が捕まっていないのです。あの犯人がまだ潜んでいるかもしれない……とは思いませんが、毎日のようになにかと物騒なニュースはあり、どうしたって夜道は怖い。わたしは若い女性じゃないしお金持ちでもないから大丈夫、と思いたいけれども、「誰でもよかった」と言う動機はよく聞くし、夜の闇の中では若くないこともボロを着ていることもよくわからないでしょう。
 早足で逃げようか、つけられているんじゃないか、しばらくの逡巡ののちに思いきって振り返った瞬間、ジョギング中の男性がわたしを追い越してゆきました。まっすぐに前を向いて走って、危険な人でもなんでもありませんでした。ああ、よかった。恐怖から解き放たれて安堵しつつ、何の罪もない人を疑ったり怖がったりして、自分の被害者意識の大きさを申し訳なくなります。

 「セールスなら結構です!」と、仕事でかけた電話を冒頭から敵意丸出しでガチャ切りされることがあります。社名を名乗り、用件を伝えてセールスではないことを説明しても、嘘なんじゃないか、と信じてもらえず刺々しい言葉を投げつけられることも少なくありません。そのような対応になってしまうほどに、しつこい営業の電話や誰かのなりすましのような電話がかかってきているのでしょうか。あなたもそうなんでしょう、と疑う心情は理解できるし、しょうがないことなのかなあと割り切るしかありません。わたしにも副業でマンションを買わないかとか、20万払って短歌を新聞に載せないかとかいう不要な電話がかかってきます。あやしまれてしまうのは仕方ない。変な電話と一緒にしないで、なんて憤る気にもなれず、そういうものだ、と慣れてしまっています。

 先日、塔短歌会のオンライン新年会に参加しました。懇親会のような場で、詠草の送付の際に速達は控えていただければありがたい、という話になりました。速達だと郵便受けへの配達ではなく、郵便屋さんが玄関の呼び鈴を鳴らして手渡しになることがあり、受け取りの手間が増えたりするのです。そもそも事前連絡なしの訪問なんて不要な訪問営業や宗教の勧誘がほとんどだし、強盗事件も怖いし、実家や通販など宅配便などの心当たりがない時は呼び鈴が鳴っても用心して留守のふりをすることが多くなりました。ほんとうに大事な用なら不在票が入るので、再配達をお願いできます。不在票ではなくて地球の滅亡や救世主の冊子が入っていた時は、やっぱり出なくて良かったと安堵するのでした。

 警戒したり、されたり、いつのまにかそうしたことが常になってしまって。人を疑うより、信じて生きてゆければいいのだけど。

  刑務所の方へ沈んでゆく夕陽とても大きなとても真赤な

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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