川が好き。山も好き。
大河ドラマ「べらぼう」の総集編を見ました。蔦重の墓碑銘を書いた宿屋飯盛が狂歌を交えながら、出版物を軸にして回想するといった構成で、場面と狂歌のズラし具合も粋だな、と思いました。昨年の「光る君へ」と2年続けて本を作るお話でうれしかったです。ただ「光る君へ」はまひろと道長のメロドラマだけがどうしてもついていけなくて、それ以外は楽しめたので良かったのですが、そのあたり「べらぼう」の蔦重は区切りがついていていい感じでした(歌麿はちょっと長かったかな…)。もともと好きな時代、好きな題材ということもありますが、期待以上におもしろくて、いろいろ攻めたところもあって、今まで見た大河ドラマの中でも特に好きでした。戦国時代はもうお腹いっぱいと思いつつ、来年の「豊臣兄弟!」の予告を見るとこれぞ大河ドラマといった趣きでなにか懐かしい。
一年を通して見た大河ドラマ以外にも朝ドラや夜ドラ、いくつかの小説など、物語に救われた一年でした。物語に没入している間は現実から心が離れられて。
今年は余り布でつまみ細工を作ったり、キットや自作の織り機で布を織ったりなど、手芸もよくやりました。手芸で手を動かしている間は無心でいられるのがよかった。手芸はできた物が残るのも達成感に繋がりました。
横浜、東京、八戸と遠出もして、日常から離れるのが癒しだと実感した年でもありました。
本年もここまでお読みいただきましてありがとうございました。良いお年をお迎えください。
目を閉じれば眠れることに気付きたり木曜の夜を自分で眠る/塔2025年12月号
一年を通して見た大河ドラマ以外にも朝ドラや夜ドラ、いくつかの小説など、物語に救われた一年でした。物語に没入している間は現実から心が離れられて。
今年は余り布でつまみ細工を作ったり、キットや自作の織り機で布を織ったりなど、手芸もよくやりました。手芸で手を動かしている間は無心でいられるのがよかった。手芸はできた物が残るのも達成感に繋がりました。
横浜、東京、八戸と遠出もして、日常から離れるのが癒しだと実感した年でもありました。
本年もここまでお読みいただきましてありがとうございました。良いお年をお迎えください。
目を閉じれば眠れることに気付きたり木曜の夜を自分で眠る/塔2025年12月号
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明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
元旦は実家で迎えたのですが、雪のことで母が父を怒鳴っている声で目が覚めました。ちょっといやな感じの一年の始まり方です。でも、もうこの年代になると両親が揃って元気でいるということがありがたいことなのでしょう。とはいえ、こういう光景を見るにつけ、結婚って好きな人としなきゃだめなものなんだろうなと、何かの答え合わせのように感じます。
母に付いていって祖母の実家に年始のご挨拶に行きました。地理的には全然遠くないのに、子供の頃に祖母に付いていったきりです。普段は母の従兄が一人で暮らしているのですが、たまたまその娘さんご夫婦が来ていていました。わたしのお姉さん世代で、わたしとははとこにあたります。こちらも子供の頃に当時流行っていたブタミントンで遊んでもらったきりなので、懐かしいというよりほとんど初めましてな感じですが、思いがけず会えてうれしかったです。自分と血縁関係のある人に、この頃は「ファミリーヒストリー」的な興味深さがあります。はとこはこれから夜勤だと言っていて、新年早々頭が下がる思いでした。
この先、わたしの世代まで親戚付き合いは続かないかもしれないけれど、最上川に架かる赤い橋を渡ったところに祖母の暮らしていた家があったということをずっと覚えておこうと思いました。
ご挨拶の帰りに、一人で近所のお弥勒さまに初詣でに行きました。境内みたいなところは公園のようになっています。久しぶりに赴いたら、今まであったブランコがなくなっていました。確かにもうこの辺りにブランコに乗るような子供もおらず、いつの年代の物だろうってくらいに古い型で、錆なのかなんだかよくわからない色になっていたので、撤去も致し方ないことは理解しつつも、寂しい。子供の頃はもちろん、大人になっても周りに誰もいないのをいいことに時々乗って童心に返っていたのに。
実家にいる間は、デジタルデトックスができるので読書が捗りました。実家で読む用に持参したのは『塚本邦雄歌集』(尾崎まゆみ編)です。塚本邦雄は自分とは方向性が違うと思ってちゃんと読んだことがなかったのですが、この機会に思い切って読みました。第一歌集から第三歌集あたりが塚本邦雄の真骨頂なのだろうと思うのですが、わたしは後半の方が読みやすかったです。特急バスでの移動中は軽くエッセイをと文庫本の『ふたつの時間、ふたりの自分』(柚木裕子)を読みました。本を読む時間と環境を確保するために実家に帰ったりお出掛けしたりしているようなところもあります。
昨年はあまり遠出をしていなかったので、今年はどこかへ出掛けたいです。あと、昨年から良し悪しはともかく歌ができて、未発表作が変に溜まっているので、うまく整えて発表してゆきたいです。このところなにかを失うことが多かったようにも思うので、見えるものでもそうでないものでもなにか手に入れたり、なにか新しいことを始めたりできたらいいかな。ちゃんと部屋を片付けて、身ぎれいにして、健康でいたい。うれしい気持ちや楽しい気持ちはちゃんと人に伝えたい。慎ましく、おだやかに暮らしたい。思いついたまま綴っているうちに希望と心がけが混ざってきたけれども、良い一年にできればいいなと思います。
祖母のもうこの世におらぬ一年を生きてながめる月山の雪/塔2024年9月号
元旦は実家で迎えたのですが、雪のことで母が父を怒鳴っている声で目が覚めました。ちょっといやな感じの一年の始まり方です。でも、もうこの年代になると両親が揃って元気でいるということがありがたいことなのでしょう。とはいえ、こういう光景を見るにつけ、結婚って好きな人としなきゃだめなものなんだろうなと、何かの答え合わせのように感じます。
母に付いていって祖母の実家に年始のご挨拶に行きました。地理的には全然遠くないのに、子供の頃に祖母に付いていったきりです。普段は母の従兄が一人で暮らしているのですが、たまたまその娘さんご夫婦が来ていていました。わたしのお姉さん世代で、わたしとははとこにあたります。こちらも子供の頃に当時流行っていたブタミントンで遊んでもらったきりなので、懐かしいというよりほとんど初めましてな感じですが、思いがけず会えてうれしかったです。自分と血縁関係のある人に、この頃は「ファミリーヒストリー」的な興味深さがあります。はとこはこれから夜勤だと言っていて、新年早々頭が下がる思いでした。
この先、わたしの世代まで親戚付き合いは続かないかもしれないけれど、最上川に架かる赤い橋を渡ったところに祖母の暮らしていた家があったということをずっと覚えておこうと思いました。
ご挨拶の帰りに、一人で近所のお弥勒さまに初詣でに行きました。境内みたいなところは公園のようになっています。久しぶりに赴いたら、今まであったブランコがなくなっていました。確かにもうこの辺りにブランコに乗るような子供もおらず、いつの年代の物だろうってくらいに古い型で、錆なのかなんだかよくわからない色になっていたので、撤去も致し方ないことは理解しつつも、寂しい。子供の頃はもちろん、大人になっても周りに誰もいないのをいいことに時々乗って童心に返っていたのに。
実家にいる間は、デジタルデトックスができるので読書が捗りました。実家で読む用に持参したのは『塚本邦雄歌集』(尾崎まゆみ編)です。塚本邦雄は自分とは方向性が違うと思ってちゃんと読んだことがなかったのですが、この機会に思い切って読みました。第一歌集から第三歌集あたりが塚本邦雄の真骨頂なのだろうと思うのですが、わたしは後半の方が読みやすかったです。特急バスでの移動中は軽くエッセイをと文庫本の『ふたつの時間、ふたりの自分』(柚木裕子)を読みました。本を読む時間と環境を確保するために実家に帰ったりお出掛けしたりしているようなところもあります。
昨年はあまり遠出をしていなかったので、今年はどこかへ出掛けたいです。あと、昨年から良し悪しはともかく歌ができて、未発表作が変に溜まっているので、うまく整えて発表してゆきたいです。このところなにかを失うことが多かったようにも思うので、見えるものでもそうでないものでもなにか手に入れたり、なにか新しいことを始めたりできたらいいかな。ちゃんと部屋を片付けて、身ぎれいにして、健康でいたい。うれしい気持ちや楽しい気持ちはちゃんと人に伝えたい。慎ましく、おだやかに暮らしたい。思いついたまま綴っているうちに希望と心がけが混ざってきたけれども、良い一年にできればいいなと思います。
祖母のもうこの世におらぬ一年を生きてながめる月山の雪/塔2024年9月号
大晦日です。なんだか一年もあっという間です。
今年は長く勤めていた仕事が思いがけず終了となり衝撃でした。幸い間髪入れずに次の仕事にありつけたのが良かったのですか、なかなか慣れずにいっぱいいっぱいな日々が続いております。割と不規則だった前職に比べ、規則正しい生活になったのが、良い影響になればいいなと思いつつ。また前職では割と裕福な人と関わることが多かったのですが、今は困窮している人と接することもあり、今まで見えていなかった景色が見えてきました。これまでわたしは自分のことを貧困だと自虐したり歌に詠んだりしてきたけれど、おこがましいことだったと省みたりもしました。
実家に帰る度にわたしを散歩に連れ出してくれた犬を亡くしたのも寂しい出来事でした。数年前、無垢な犬と畑道をひたすら歩くことで心身の健康を取り戻した日々がありました。外に出て日の光を浴びること、自然の緑を見ること、体を動かして運動することが効いたのだと思いますが、なにより犬の素直さに救われたようにも感じています。恩人、恩犬と言うのか、とても感謝しております。
思うようには生きれていないけれども、無事に暮らしてゆけているだけでも充分にありがたい、そんなことがあらためて身に沁みた一年でした。
今年一年どうもありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。
赤の時のみ愛でており信号の傍らに立つ南天の枝を
今年は長く勤めていた仕事が思いがけず終了となり衝撃でした。幸い間髪入れずに次の仕事にありつけたのが良かったのですか、なかなか慣れずにいっぱいいっぱいな日々が続いております。割と不規則だった前職に比べ、規則正しい生活になったのが、良い影響になればいいなと思いつつ。また前職では割と裕福な人と関わることが多かったのですが、今は困窮している人と接することもあり、今まで見えていなかった景色が見えてきました。これまでわたしは自分のことを貧困だと自虐したり歌に詠んだりしてきたけれど、おこがましいことだったと省みたりもしました。
実家に帰る度にわたしを散歩に連れ出してくれた犬を亡くしたのも寂しい出来事でした。数年前、無垢な犬と畑道をひたすら歩くことで心身の健康を取り戻した日々がありました。外に出て日の光を浴びること、自然の緑を見ること、体を動かして運動することが効いたのだと思いますが、なにより犬の素直さに救われたようにも感じています。恩人、恩犬と言うのか、とても感謝しております。
思うようには生きれていないけれども、無事に暮らしてゆけているだけでも充分にありがたい、そんなことがあらためて身に沁みた一年でした。
今年一年どうもありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。
赤の時のみ愛でており信号の傍らに立つ南天の枝を
年末年始は実家の山形に帰省しました。雪国なのでブーツを履いていったのですが、雪が積もってなくて拍子抜けしました。
移動中や実家滞在中は大岡信『あなたに語る日本文学史』を読んで過ごしました。万葉集から子規まで。空き時間が想定されるときは、文字数のなるべく多い文庫本をお供にしておくと荷の小ささの割に充実感があってコスパがいいなと感じます。
昨年は、フットワーク重めなわたしにしてはめずらしくあちらこちらへ出かけました。2月は青森で是川縄文館の国宝の合掌土偶と対峙したり、岩手の花巻で宮沢賢治の世界に触れたり、10月は京都で「ドキュメント72時間」で印象に残って行ってみたかった鴨川沿いを歩けたり、11月は東京で高尾山に登ったり。山形への帰省や福島での定例の歌会などは毎度のことで遠出といった感じはしないけれども、ハプニングでやむなく山形駅と東根駅を新幹線で移動するなんて普段は絶対にしないこともしました。慣れた場所でも移動手段やルートの些細な違いで景色が違って新鮮で、そんなふうに代わり映えしない日常の中でも様々な表情に触れることにより、より味わい深い日々になってゆければいいな、と思ったりします。
歌集の重版をしていただいたのもありがたいことでした。恥ずかしくみっともない自分がいっぱい詰まった歌集ではあるのですが、うれしい言葉をいただくこともあり、つくづくしあわせな歌集です。歌よりも人生、の心持ちは変わらずです。
昨年はどうにも筆が重いというか、筆が乗らないというか、筆が迷うというか、文章以外にも、取り組んでいた連作もまとめきれないままだったり、なにか時間の感覚も使い方も思うようにいかずもどかしかったので、今年はなんとか軽やかにゆきたい。と元旦に心から思ったはずなのに、もう三月だなんて。
喪中ということもあり静かなお正月でした。実家では餅つき機を新調していました。今までのものは大きく重く、年老いてきた両親には出し入れが大変になってきていたのでした。新しい餅つき機は前のものよりだいぶ小ぶりですが、餅しかつけなかった前のものと違ってパン生地をこねたり味噌を作ったりもできるのだとか。とはいってもたぶん家では餅にしか使わなそうです。使わない機能、使いこなせない機能、使う気のない機能。世の中もっとシンプルでいいのに、と思うこともあったりなかったり。やっぱり生餅は美味しいです。
近所のお弥勒さまに初詣でに行きました。普段は鍵がかかっていますが、元旦なので開いています。久しぶりに中に入ったけれども、地域の人の奉納した千羽鶴や手作りの吊るし飾りが飾ってあったり、今はもう亡くなった方々の昭和に書かれた署名の和紙などが貼ってあったり、八畳ほどの小さな空間ながら祈りを強く感じました。正座して、手を合わせ、新年の願いごとをするつもりが、願うのを忘れてしまいました。母が熱心に般若心経を唱えているのに気を取られてしまったのです。祖母が亡くなって以来、母は毎日ぽくぽくと般若心経を唱えています。生前はあんなにあんなだったのに、不思議なものです。
お弥勒さまから帰宅後、能登半島地震が起きて、ずっと案じています。
餅ならばいくつ食べても今日だけは良いと決めたり一月一日
移動中や実家滞在中は大岡信『あなたに語る日本文学史』を読んで過ごしました。万葉集から子規まで。空き時間が想定されるときは、文字数のなるべく多い文庫本をお供にしておくと荷の小ささの割に充実感があってコスパがいいなと感じます。
昨年は、フットワーク重めなわたしにしてはめずらしくあちらこちらへ出かけました。2月は青森で是川縄文館の国宝の合掌土偶と対峙したり、岩手の花巻で宮沢賢治の世界に触れたり、10月は京都で「ドキュメント72時間」で印象に残って行ってみたかった鴨川沿いを歩けたり、11月は東京で高尾山に登ったり。山形への帰省や福島での定例の歌会などは毎度のことで遠出といった感じはしないけれども、ハプニングでやむなく山形駅と東根駅を新幹線で移動するなんて普段は絶対にしないこともしました。慣れた場所でも移動手段やルートの些細な違いで景色が違って新鮮で、そんなふうに代わり映えしない日常の中でも様々な表情に触れることにより、より味わい深い日々になってゆければいいな、と思ったりします。
歌集の重版をしていただいたのもありがたいことでした。恥ずかしくみっともない自分がいっぱい詰まった歌集ではあるのですが、うれしい言葉をいただくこともあり、つくづくしあわせな歌集です。歌よりも人生、の心持ちは変わらずです。
昨年はどうにも筆が重いというか、筆が乗らないというか、筆が迷うというか、文章以外にも、取り組んでいた連作もまとめきれないままだったり、なにか時間の感覚も使い方も思うようにいかずもどかしかったので、今年はなんとか軽やかにゆきたい。と元旦に心から思ったはずなのに、もう三月だなんて。
喪中ということもあり静かなお正月でした。実家では餅つき機を新調していました。今までのものは大きく重く、年老いてきた両親には出し入れが大変になってきていたのでした。新しい餅つき機は前のものよりだいぶ小ぶりですが、餅しかつけなかった前のものと違ってパン生地をこねたり味噌を作ったりもできるのだとか。とはいってもたぶん家では餅にしか使わなそうです。使わない機能、使いこなせない機能、使う気のない機能。世の中もっとシンプルでいいのに、と思うこともあったりなかったり。やっぱり生餅は美味しいです。
近所のお弥勒さまに初詣でに行きました。普段は鍵がかかっていますが、元旦なので開いています。久しぶりに中に入ったけれども、地域の人の奉納した千羽鶴や手作りの吊るし飾りが飾ってあったり、今はもう亡くなった方々の昭和に書かれた署名の和紙などが貼ってあったり、八畳ほどの小さな空間ながら祈りを強く感じました。正座して、手を合わせ、新年の願いごとをするつもりが、願うのを忘れてしまいました。母が熱心に般若心経を唱えているのに気を取られてしまったのです。祖母が亡くなって以来、母は毎日ぽくぽくと般若心経を唱えています。生前はあんなにあんなだったのに、不思議なものです。
お弥勒さまから帰宅後、能登半島地震が起きて、ずっと案じています。
餅ならばいくつ食べても今日だけは良いと決めたり一月一日
新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。あっという間に松の内も明けてゆきます。
今年のお正月も帰省は控えてひっそりと過ごしました。行動制限がないとはいえ帰省ラッシュの人混みはおそろしく、代わりに実家と妹宅とで初めてZoomミーティングを試みたりもしました。
初夢は、トイレを探して白い廊下を走るのですが、扉を開けても開けても白い階段が現れて、下へ下へと降ってゆく夢でした。何か暗示的です。夢診断によれば、下ってゆくのが良くないようでした。逆夢になりますように。
映画館で観そこねたストップモーション・アニメーションの『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が2日にEテレで放送されたのがうれしかったです。映像がとてもすてきでした。「ごんぎつね」、結末はわかってるのに、やっぱり泣いてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。けれども、自分の心が相手に伝わっていなかったりという行き違いによって悲劇的な方へ向かってしまうことは実際によくあるので、「ごんぎつね」は教材として読み継がれているのかもしれません。
普段は夕飯は炭水化物を控えるなど食生活に気を付けているのですが、三が日の間は餅ならばいくつ食べてもいいことに決めて、鍋いっぱいに雑煮の汁を作りました。鶏肉、ごぼう、にんじん、先日の歌会でいただいた柚子皮も散らして今年は少し上品な味です。自分のために作った雑煮が美味しくできて、自分一人で食べているのがもったいないように思いました。
今年の抱負は、自分を大切に、自分の心も不必要に抑えず伝えてゆけるようにできたらいいなと思います。
あと、歌集などをいただいた際に早々とお礼状を送れるようになりたい。まだお送りしていない方にも送るつもりでおります。抱負というか、礼儀です。
うさぎりんごも木の葉りんごも得意なり なれど自分のためには剥かず
今年のお正月も帰省は控えてひっそりと過ごしました。行動制限がないとはいえ帰省ラッシュの人混みはおそろしく、代わりに実家と妹宅とで初めてZoomミーティングを試みたりもしました。
初夢は、トイレを探して白い廊下を走るのですが、扉を開けても開けても白い階段が現れて、下へ下へと降ってゆく夢でした。何か暗示的です。夢診断によれば、下ってゆくのが良くないようでした。逆夢になりますように。
映画館で観そこねたストップモーション・アニメーションの『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が2日にEテレで放送されたのがうれしかったです。映像がとてもすてきでした。「ごんぎつね」、結末はわかってるのに、やっぱり泣いてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。けれども、自分の心が相手に伝わっていなかったりという行き違いによって悲劇的な方へ向かってしまうことは実際によくあるので、「ごんぎつね」は教材として読み継がれているのかもしれません。
普段は夕飯は炭水化物を控えるなど食生活に気を付けているのですが、三が日の間は餅ならばいくつ食べてもいいことに決めて、鍋いっぱいに雑煮の汁を作りました。鶏肉、ごぼう、にんじん、先日の歌会でいただいた柚子皮も散らして今年は少し上品な味です。自分のために作った雑煮が美味しくできて、自分一人で食べているのがもったいないように思いました。
今年の抱負は、自分を大切に、自分の心も不必要に抑えず伝えてゆけるようにできたらいいなと思います。
あと、歌集などをいただいた際に早々とお礼状を送れるようになりたい。まだお送りしていない方にも送るつもりでおります。抱負というか、礼儀です。
うさぎりんごも木の葉りんごも得意なり なれど自分のためには剥かず
雪が降っていないせいかどうにも年末感がないのですが、大晦日です。
今年は3月の地震と、そののちの日々といった一年でした。心が、というより部屋が片付かなくて、片付ける気力も湧かなくて、片付けきれず、今に至ります。わたしは塔短歌会で詠草の受付係をしており、地震の数日後に塔の月詠の締切でした。地震の不安感を引きずった中で郵便物が続々届くような状況だったのですが、一心にそうした取りまとめ作業をすることで自分が立ち直ってゆく感覚もあり、やらなきゃいけない仕事を与えられているのはつくづくありがたいことでした。
今日は午前中に母から電話がありました。実家のわたしの部屋にあるベッドをもらってもいいか、という内容でした。年末の大掃除をしていて、大きな家具なども移動しているうちに思いついたようです。実家で暮らしていた10代の頃から、今でも帰省した時に使っているベッドですが、今は年に数回寝るくらいだし、あげることにしました。妹の部屋のベッドは既に父が使っています。布団の上げ下ろしも大変なほど、親が老いてゆくということ。引っ越ししたらとも言われました。もう何年も言われています。わたしだって好きでずっとここにいるわけじゃないのになあ。
お昼過ぎて、映画を観に行きました。午前中にアセクシャルの話の『そばかす』を観ようかなと思っていたのですが寝過ごしてしまい、それでも身なりを整えて外に出かけたい気持ちがあり、昼過ぎに上映していた『川っぺりムコリッタ』を観ました。
大晦日に一人で映画なんて、とも思わないでもなかったけれど、小さな映画館に来てみれば、老若男女問わず同じような一人客がほとんどでした。自販機でコーヒーを買うために並んでいる時に後ろにいた年配の女性に自販機について聞かれたのへ返事をしたくらいで、他は誰とも喋っていないのですが、一年の終わりを同じような過ごし方をしている人がこんなにいるということに、一人だけれども一人じゃないような不思議な安らぎを感じました。
『川っぺりムコリッタ』、今日突発的に観ることに決めて、予告編も観たことがなかったので、タイトルの響きからして楽しくあたたかい映画かと想像していたのですが、思いのほか死の匂いの濃いヘビーな話でした。でも涙が出るほどすごく良くて、誕生日の今日にこの映画を観てよかったなと思いました。
大晦日の夕暮れの街は静かで、つい先日までピカピカしていた光のページェントのケヤキ並木ももう素裸です。角川「短歌」と、雑煮に入れる鶏肉や牛乳を買って帰りました。
明日のために雑煮の汁を作り、紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしつつミカンを食べています。
今年は筋トレをがんばりました。それなりに効果もありました。筋肉が付いただけでなく、以前は低かった体温が上がって平熱が36℃台になりました。免疫力も上がったんじゃないかと思います。来年も励みます。
今年一年たくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。それではどうぞ良い一年をお迎えくださいませ。
好きなだけ本散らかしてお祭りのようなひとりの枕元なり
今年は3月の地震と、そののちの日々といった一年でした。心が、というより部屋が片付かなくて、片付ける気力も湧かなくて、片付けきれず、今に至ります。わたしは塔短歌会で詠草の受付係をしており、地震の数日後に塔の月詠の締切でした。地震の不安感を引きずった中で郵便物が続々届くような状況だったのですが、一心にそうした取りまとめ作業をすることで自分が立ち直ってゆく感覚もあり、やらなきゃいけない仕事を与えられているのはつくづくありがたいことでした。
今日は午前中に母から電話がありました。実家のわたしの部屋にあるベッドをもらってもいいか、という内容でした。年末の大掃除をしていて、大きな家具なども移動しているうちに思いついたようです。実家で暮らしていた10代の頃から、今でも帰省した時に使っているベッドですが、今は年に数回寝るくらいだし、あげることにしました。妹の部屋のベッドは既に父が使っています。布団の上げ下ろしも大変なほど、親が老いてゆくということ。引っ越ししたらとも言われました。もう何年も言われています。わたしだって好きでずっとここにいるわけじゃないのになあ。
お昼過ぎて、映画を観に行きました。午前中にアセクシャルの話の『そばかす』を観ようかなと思っていたのですが寝過ごしてしまい、それでも身なりを整えて外に出かけたい気持ちがあり、昼過ぎに上映していた『川っぺりムコリッタ』を観ました。
大晦日に一人で映画なんて、とも思わないでもなかったけれど、小さな映画館に来てみれば、老若男女問わず同じような一人客がほとんどでした。自販機でコーヒーを買うために並んでいる時に後ろにいた年配の女性に自販機について聞かれたのへ返事をしたくらいで、他は誰とも喋っていないのですが、一年の終わりを同じような過ごし方をしている人がこんなにいるということに、一人だけれども一人じゃないような不思議な安らぎを感じました。
『川っぺりムコリッタ』、今日突発的に観ることに決めて、予告編も観たことがなかったので、タイトルの響きからして楽しくあたたかい映画かと想像していたのですが、思いのほか死の匂いの濃いヘビーな話でした。でも涙が出るほどすごく良くて、誕生日の今日にこの映画を観てよかったなと思いました。
大晦日の夕暮れの街は静かで、つい先日までピカピカしていた光のページェントのケヤキ並木ももう素裸です。角川「短歌」と、雑煮に入れる鶏肉や牛乳を買って帰りました。
明日のために雑煮の汁を作り、紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしつつミカンを食べています。
今年は筋トレをがんばりました。それなりに効果もありました。筋肉が付いただけでなく、以前は低かった体温が上がって平熱が36℃台になりました。免疫力も上がったんじゃないかと思います。来年も励みます。
今年一年たくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。それではどうぞ良い一年をお迎えくださいませ。
好きなだけ本散らかしてお祭りのようなひとりの枕元なり
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。
今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
余るとは思いつつ一月三日買い足す年賀はがき余りぬ
昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。
今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
余るとは思いつつ一月三日買い足す年賀はがき余りぬ
昨日から休みに入りました。年末年始も関係なく仕事をしていた頃が長いので、年末年始に休めるのが畏れ多いです。今の仕事も働く気になれば働けるのですが、年末年始は業務縮小なので、少数精鋭にお任せして。
「穴めっちゃ空くけどビンゴは揃わない人ってイメージ」と言われておりぬ 『にず』
などと言われてしまうわたしでしたが、今年は職場のビンゴをばっちり当てて、薔薇の香りのボディミルクをいただいてきました。年末年始は保湿がんばります。
今日は大掃除をしました。大掃除を始める前に母から様子伺いの電話が来て、大掃除の最中には妹から電話が来ました。パートの愚痴や旦那さんの愚痴、義実家の愚痴、あまり愚痴を言える相手がいなくて溜まっているのでしょうか、大変そうです。電話の向こうで甥っ子がキーボードで「きらきら星」を弾いているのが聴こえました。
あっという間に2021年も過ぎてゆきます。どこかあきらめたような今年のささやかな生活でしたが、短歌にはずい分寄り添ってもらいました。そのように自分のために詠んだ歌を、いろいろなところで発表させていただいたり、引いていただいたりしたのは、思いがけずありがたいことでした。
ポケットにぐしゃっと入れたハンカチを赤信号で取り出したたむ 「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号
2021年の自選一首、というわけではないけれど、赤信号で立ち止まってハンカチをたたみながら、この歌がふっと詠めた時はうれしかった。なんでもない歌だけれども、こんなふうに歌ができてゆけばいいな。
明日の雑煮の汁も用意して、唐揚げを揚げて、一人の年末年始は気楽なもんです。紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしながら、実家から届いたりんごを鍋にかけてコンポートを作っています。できたての熱々に無糖のヨーグルトをかけて食べるのがさっぱりして美味しいのです。「年の初めはさだまさし」を見ながら食べましょうか。「タイムスクープハンター」の再放送もうれしい。
本年もたくさんの皆さまにお世話になりました。あたたかな言葉をいただいたり、感謝しきりです。どうぞ良い年をお迎えくださいませ。
「穴めっちゃ空くけどビンゴは揃わない人ってイメージ」と言われておりぬ 『にず』
などと言われてしまうわたしでしたが、今年は職場のビンゴをばっちり当てて、薔薇の香りのボディミルクをいただいてきました。年末年始は保湿がんばります。
今日は大掃除をしました。大掃除を始める前に母から様子伺いの電話が来て、大掃除の最中には妹から電話が来ました。パートの愚痴や旦那さんの愚痴、義実家の愚痴、あまり愚痴を言える相手がいなくて溜まっているのでしょうか、大変そうです。電話の向こうで甥っ子がキーボードで「きらきら星」を弾いているのが聴こえました。
あっという間に2021年も過ぎてゆきます。どこかあきらめたような今年のささやかな生活でしたが、短歌にはずい分寄り添ってもらいました。そのように自分のために詠んだ歌を、いろいろなところで発表させていただいたり、引いていただいたりしたのは、思いがけずありがたいことでした。
ポケットにぐしゃっと入れたハンカチを赤信号で取り出したたむ 「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号
2021年の自選一首、というわけではないけれど、赤信号で立ち止まってハンカチをたたみながら、この歌がふっと詠めた時はうれしかった。なんでもない歌だけれども、こんなふうに歌ができてゆけばいいな。
明日の雑煮の汁も用意して、唐揚げを揚げて、一人の年末年始は気楽なもんです。紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしながら、実家から届いたりんごを鍋にかけてコンポートを作っています。できたての熱々に無糖のヨーグルトをかけて食べるのがさっぱりして美味しいのです。「年の初めはさだまさし」を見ながら食べましょうか。「タイムスクープハンター」の再放送もうれしい。
本年もたくさんの皆さまにお世話になりました。あたたかな言葉をいただいたり、感謝しきりです。どうぞ良い年をお迎えくださいませ。
明けましておめでとうございます。あっという間に新年も三日目。会社の企画の景品で年末に届いた高反発マットレスが素晴らしいのか、どうにも寝正月になってしまっています。うっかりすると寝てしまう。これまでせんべい布団で寝つきが悪いのが悩みだったので、ほんとうに良いものを手にできました。
毎年年賀状に使っていた顔をはめるパネルの写真が外出自粛のためにないので、今年の年賀状は旧年のカレンダーを切って貼り絵にしました。チョキチョキ、ペタペタ、楽しかったです。全てを貼り絵で制作して送るのは労力的に難しいので、1枚作って印刷ではありますが、手作業の雰囲気が出ていればいいな。
クリエイティブな仕事がしたいと昔は思っていましたが、自分にはそういうセンスがないなと、画材なども手離してから楽になった気がしています。時々こんなふうに思い出したように楽しくできればきっと充分です。
実家から電話が来て、祖母と話すことができました。祖母の声は聞こえるし、わたしの声も聞こえているようなのですが、どうにも会話にならず。直接会えればもう少し意思疎通できると思うのですが、こんな世の中で一年会えず、悔しいものです。
妹からも電話が来ました。妹と話をしていると、横からママにかまって欲しくてしょうがない甥っ子の声が聞こえてきます。小さい子供からママを取り上げているのも申し訳なく、持ち主に返すような気持ちで通話を終えました。
静かなお正月です。こんなふうに過ごす人が、今年は多いのでしょう。単身用のアパートにも人の気配がします。せっかくお正月に仙台に居るのに仙台初売りにも行かず、年賀状を出しにポストまで出かけた以外は「ウチヲデテミリヤアテドモナイガ/正月キブンガドコニモミエタ/トコロガ会ヒタイヒトモナク/アサガヤアタリデ大ザケノンダ」などと井伏鱒二訳の「田家春望」を諳んじつつ自宅で過ごしました。
楽しくて優しい歌が詠めるような一年になりますように。
毎年年賀状に使っていた顔をはめるパネルの写真が外出自粛のためにないので、今年の年賀状は旧年のカレンダーを切って貼り絵にしました。チョキチョキ、ペタペタ、楽しかったです。全てを貼り絵で制作して送るのは労力的に難しいので、1枚作って印刷ではありますが、手作業の雰囲気が出ていればいいな。
クリエイティブな仕事がしたいと昔は思っていましたが、自分にはそういうセンスがないなと、画材なども手離してから楽になった気がしています。時々こんなふうに思い出したように楽しくできればきっと充分です。
実家から電話が来て、祖母と話すことができました。祖母の声は聞こえるし、わたしの声も聞こえているようなのですが、どうにも会話にならず。直接会えればもう少し意思疎通できると思うのですが、こんな世の中で一年会えず、悔しいものです。
妹からも電話が来ました。妹と話をしていると、横からママにかまって欲しくてしょうがない甥っ子の声が聞こえてきます。小さい子供からママを取り上げているのも申し訳なく、持ち主に返すような気持ちで通話を終えました。
静かなお正月です。こんなふうに過ごす人が、今年は多いのでしょう。単身用のアパートにも人の気配がします。せっかくお正月に仙台に居るのに仙台初売りにも行かず、年賀状を出しにポストまで出かけた以外は「ウチヲデテミリヤアテドモナイガ/正月キブンガドコニモミエタ/トコロガ会ヒタイヒトモナク/アサガヤアタリデ大ザケノンダ」などと井伏鱒二訳の「田家春望」を諳んじつつ自宅で過ごしました。
楽しくて優しい歌が詠めるような一年になりますように。
年末年始に休みが取れまして、帰省の予定を立てておりましたが、昨日になってやっぱりやめた方がいいと実家から電話が来て、仙台で過ごしています。
帰省といっても隣県ですし、同郷の同僚さんはこれまで何度も実家に帰っていて今回も帰ると言っていますし、気を付ければ大丈夫でしょ、という認識でいたのですが、なにぶん交通機関の乗り継ぎがあったり祖母が高齢だったりなのでしょうがないです。今年の初め頃に帰省した時に、何度か帰省するつもりで高速バスの券を買っていたのですが、まさかのコロナ禍で使わないまま財布に入れっぱなしで一年経ち、見て見たら印刷がすっかり色褪せていました。こんなに消えてしまって、券として使えるのでしょうか、ただの紙になっているのではないでしょうか。完全に真っ白になってしまう前に、コロナが終息して帰れたらいいなと思います。
帰省に向けて冷蔵庫の中の食材を減らしていたので、あわてて雪の中を買い出しに出かけました。ステイホームのために数日分、お雑煮用のごぼうや鶏肉、餅なども買いましょう。ソーシャルディスタンスで距離を取ったレジの、長い行列に並ぶ人の籠がみないっぱいです。
こうなるのだったら仕事入れればよかったかな…と罪悪感が芽生えたりもしましたが、せっかくの連休ですから歌集など本を読んだり、原稿やお手紙を書いたり、日々の滞っている作業などを進めて有意義に過ごしたいと思います。特にお礼状の類は溜め込まずに出せるようになりたい。年末年始中に管理できれば。年賀状もこれから書きます。ここ10年ほど、観光地に置いてある顔をはめるパネルの写真を年賀状に使っていたのですが、今年はほとんどどこにも行っていないのでパネルに顔をはめていません。
2020年は歌集を刊行したことが自分にとって大きな出来事でした。制作中に緊急事態宣言なども発令されて一時はどうなることか心配しておりましたが、無事に刊行できて、思いがげずたくさんの方に読んでいただけて、お手紙をいただいたり、方々で感想を書いていただいたり、評などで取り上げていただいたり、ほんとうにありがたく思います。版元で品切れになっているかもしれないのですが、わたしの手元にはまだ在庫がありますので、お求めの際はご連絡くださいませ。
tomomita★sage.ocn.ne.jp (★を@に変えてお送りください。)
今年一年たくさんの皆さまにお世話になりました、ありがとうございました。それでは良い一年をお迎えくださいませ。
iichikoのポスターの中にいいちこを探す今年ももうすぐ終わる 『にず』
帰省といっても隣県ですし、同郷の同僚さんはこれまで何度も実家に帰っていて今回も帰ると言っていますし、気を付ければ大丈夫でしょ、という認識でいたのですが、なにぶん交通機関の乗り継ぎがあったり祖母が高齢だったりなのでしょうがないです。今年の初め頃に帰省した時に、何度か帰省するつもりで高速バスの券を買っていたのですが、まさかのコロナ禍で使わないまま財布に入れっぱなしで一年経ち、見て見たら印刷がすっかり色褪せていました。こんなに消えてしまって、券として使えるのでしょうか、ただの紙になっているのではないでしょうか。完全に真っ白になってしまう前に、コロナが終息して帰れたらいいなと思います。
帰省に向けて冷蔵庫の中の食材を減らしていたので、あわてて雪の中を買い出しに出かけました。ステイホームのために数日分、お雑煮用のごぼうや鶏肉、餅なども買いましょう。ソーシャルディスタンスで距離を取ったレジの、長い行列に並ぶ人の籠がみないっぱいです。
こうなるのだったら仕事入れればよかったかな…と罪悪感が芽生えたりもしましたが、せっかくの連休ですから歌集など本を読んだり、原稿やお手紙を書いたり、日々の滞っている作業などを進めて有意義に過ごしたいと思います。特にお礼状の類は溜め込まずに出せるようになりたい。年末年始中に管理できれば。年賀状もこれから書きます。ここ10年ほど、観光地に置いてある顔をはめるパネルの写真を年賀状に使っていたのですが、今年はほとんどどこにも行っていないのでパネルに顔をはめていません。
2020年は歌集を刊行したことが自分にとって大きな出来事でした。制作中に緊急事態宣言なども発令されて一時はどうなることか心配しておりましたが、無事に刊行できて、思いがげずたくさんの方に読んでいただけて、お手紙をいただいたり、方々で感想を書いていただいたり、評などで取り上げていただいたり、ほんとうにありがたく思います。版元で品切れになっているかもしれないのですが、わたしの手元にはまだ在庫がありますので、お求めの際はご連絡くださいませ。
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今年一年たくさんの皆さまにお世話になりました、ありがとうございました。それでは良い一年をお迎えくださいませ。
iichikoのポスターの中にいいちこを探す今年ももうすぐ終わる 『にず』
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性別:
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自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
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