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川が好き。山も好き。
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今日の未明に地震が2回ありました。ゆらゆらとなんだか長く揺れて、必死に本棚を押さえて耐えました。数年前の地震で本棚が倒れてきたのがほんとうに大変だったので。まして夏はどうしてもひどく薄着で防御力が弱いので、何か倒れたり落ちたりすると危ないです。
 幸い、棚の上に置いていた空の段ボールが落ちてきたぐらいで済みました。とはいえ、どうにも地震の後は落ち着かないです。

 先月の朝の、カムチャツカ半島付近の地震による津波警報もびっくりしました。職場のトイレにいる時に警報音が鳴ったのですが、業務に入る前に、隣にいた人に話しかけられました。先ほどの津波警報のことの後に、「東日本大震災の時は」と続きました。当時は別の職場に勤めていて、一人でビルの高層階から階段を下りて避難したそうです。その人とはロッカー室のロッカーが近くなのでなんとなく顔や名前は知っていましたが、それまでは挨拶を交わす程度で、ちゃんと話をするのは初めてでした。訴えるような面持ちで「一人で」「一人で」とくり返し、あまりに切実な様子だったので、「わたしもあの時は~」などと自分語りをするのは躊躇われ、「大変でしたね」と聞き役に徹しました。
 あの時わたしは一人だった、と、くり返したくなる気持ちが、わたしにはとてもよくわかりました。わたしも東日本大震災の発災の時に一人で過ごす時間があったからです。先の見えないまま自宅と避難所を行き来しながら、周りを見れば、みんな家族や誰かと一緒に支え合っていました。「怖いね」と誰とも言い合えないあの心細さは、14年たった今でも忘れることができません。
 あの頃、同じような気持ちで過ごしていた人がいたんだ、という仲間意識のような思いが湧き、また話す機会があればいいなと思いました。が、数日後にロッカーからその人の名前シールが剝がされていました。詳しい事情はわかりませんが、どうやら退職されたようでした。人の入れ替わりの激しい職場です。何も珍しいことではありません。とはいえ、あの警報の日の朝の切迫したような饒舌さが気になりました。その後どうされたんだろうか。お元気でいらっしゃるだろうか。
 もう会えないのだったら、「わたしもあの時一人だったんです」と言って、あの時に一人だったのはあなた一人だけじゃないよ、ということを伝えていたらよかったと思いました。

  一人なり。テレビの中の被災者はみんな誰かと支え合ってて/『3563日目<塔短歌会・東北>震災詠の記録』

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おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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