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川が好き。山も好き。
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   歯車の噛み合う時がいつか来る その日のために生きている今

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 左手の人差し指に、全治2週間の怪我をした。包帯を巻いているので、仕事の際は医療用のラテックス手袋を使用している。これがビニール手袋より伸びがよく、ほどよくフィットしてがさばらず、薄いので物に触れる感覚もそんなに違和感がない。熱いもの冷たいものの温度もそれなりにわかる。便利なものがあるものだと感心する。

 手袋をしたまま手を洗いペーパータオルで拭いた後、書類を手に取ると、紙が濡れてしまった。水分が拭き取りきれていなかったのだ。目では充分に見えたのだけれど、まだ拭き取りが途中であるということに、手袋をしたままの左手では気づけなかった。
 少しの水に濡れた感触も、油のベタつきも、洗剤のヌルヌルも、ラテックス越しではまったくわからない。鈍い左手で感じ取れなかったものに生の右手で触れてみて、皮膚感覚というものはこんなにも敏感だったのか、とあらためておどろいた。

 直に触れる、ということ。なにもまとわない素肌でなければ伝わらないものが、こんなにもある。左手の人差し指を負傷する今の今まで、わたしはほんとうに知らなかった。

  「さわって」と導かれた手を振りほどきひかりを見てた仰向けのまま

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 この頃、今の仕事に就けた当初のことをよく思い出す。前の職場が閉鎖して、次の仕事がなかなか見つからなくって、やっと採用された仕事も求人票に虚偽があったためふた月ぐらいで辞めて、結局一年くらい無職だった。履歴書が返ってくる度に自分がダメ人間に思えて落ち込んだし、失業保険も尽きて、生活もままならなくて、だから今の仕事が決まった時はほんとうにうれしかった。
 
 ひと月ほど働いて、きっと長く続けていけると思った。薄給とはいえ収入の安定することは心の安定にも繋がり、数珠繋ぎのように、うれしいことが続けて起こった。無理しない、自分らしい自分でいられた。今の仕事に就けてから十か月ぐらいが、たぶんわたしの人生の中で一番しあわせだった時期。

 人生は思うようにはいかなくて、逃げ出したくなったりもするけれど。それでも、良かったと浸れる思い出のあることは、きっと救いになる。わたしにもしあわせな頃があった、という感懐が、この先の支えになることだってあるかもしれないから。

  ああ月がこんなに大きい あたらしい仕事に就いて三十日目

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 先日の歌会で、自作の短歌に「~~という言い回しに作者の優しい人柄が伝わってくる」というようなことを言っていただいた。初対面の方々の多い場で、わたしという人格や作風を踏まえたうえでの感想ではなく、作者も伏せた状態で短歌のみでの評であったから、思いがけずうれしかった。

 うまく生きられない。誤解やすれ違い、ほんとうのことがうまく伝わらなかったり、間違って伝わってしまったり、間違ったことが変な憶測混じりに自分の知らないところで広まってしまったり、弁解する機会も与えられないままうわさだけが一人歩きしてしまったり、真相を訴えようとして余計こじれてしまったり、権力や派閥や他人の機嫌に振り回されてしまったり、スケープゴートにされてしまったり、自分を見失ってしまいそうな人間社会に身を置く日々の中で。わたしに、短歌があってよかった。短歌を詠めること、自分に向き合う手段があってよかった。

 短歌を褒めてもらえるとどうしようもなくうれしくなるのは、短歌は正直な自分だからだと思う。自分らしい自分を大切にしたい。信じていきたい。引きずられずに。惑わされずに。

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 6月15日、16日、結社の東北集会で気仙沼市に行ってきました。重いので、続きに収納しますね。

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「主婦暦もないくせに」って言われてることは知りつつ調理場に立つ

  いもうとに先を越された不憫なる姉をことさら演じていたり

  またひとり未婚女性が辞めてゆき溜め息と漏れ聴こえる笑い

  子供部屋むすめ二人が家を出ていつまで子供部屋なんだろう

  「おかわり」が「愛してるよ」に聴こえた日遠くなりけり箸の転がる

  トイレから犬の散歩からゴミ捨て場からわたしに電話かけくる父よ

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 妹の誕生日、結婚祝いも兼ねてなにか贈りものをしようと思い、『祝婚のうた』(小学館/新川和江・編)という本を選んだ。妹はわたしと違って詩にそれほど興味もない人だけれど、この先誰かの結婚式でスピーチや余興などを頼まれることがあった際になど実用品にもなるのではないか、と。

 贈る前に、自分で読んでしまう。吉野弘の「祝婚歌」はテッパンとして(この詩の入っている詩集と決めていたのです)、川崎洋「にじ」が冒頭を飾るのも素晴らしい。編者である新川さんの「結婚」もやっぱりいいし、草野心平「春殖」が収録されているのにもなにか心打たれる。個人的な好みでいえば黒田三郎『ひとりの女に』から一つくらい入れたいし、山之口貘の「畳」とか「生きる先々」とかも入れたいところだけれど。100歳を超えてなおご健在の「ぞうさん」の詩人、まど・みちおさんの「はるかな歌 わが妻の生まれし日のうた」はこの本で初見だったのだけれど、なんだかもうたまらなかった。白を基調にした装丁も、「愛の詩の花束を」という帯文も素敵。
 
 このまま、自分のものにしておきたいくらい、うつくしいアンソロジーでした。他の誰でもないたった一人の相手と共に人生を歩もうと決めるということ。そんな思いを言の葉にのせるということ。こんなふうに思われたい、と思う、たくさんの詩。たくさんのよろこび。たくさんの幸福。
 なんだろう、読んでるだけでしあわせな気分だ。こんな気持ちを誰かと分かち合えたらいいのに、と思った。

  詩の好きな君がわたしを好きなうちに話したかった好きな詩のこと


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 5月の連休に、帰省したのだった。
 その日は丁度、地元の小さな地域の小さなお祭りの日だったから、小さな神社にお参りに行った。わたしが子供の頃は、巫女さんになって参拝の人達にお神酒を注いだりしたものだけれど、今はそんな習慣もなくなった。親戚を呼ぶこともない。せいぜい、家族で餅を食べるくらいで。
 それでも、神社には次々に人が訪れ、わたしと母の前には一組の老夫婦が石段を上がっていた。おばあちゃんの方は「(階段を上るのが)遅くて(ごめんなさいね)」と笑って恐縮していた。おじいちゃんの方はお供えの一升瓶を手にしていて、ちょっと重たそうだった。昔はなかった階段の手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり神社の階段を上がる老夫婦とひと時を共にして、なにか胸がじんわりした。わたし達が引き返す頃には、また一升瓶を手にした別な人とすれ違った。小さな地域のこと、みんな顔見知りである。尤も、滅多に帰らないわたしなんてもの珍しくて、挨拶を交わしても妹や叔母と間違えられたり学生だと思われたりするのだけれど。
 
 それまで、年に一回もないくらい滅多に帰らなかったわたしだけれど、今年に入って半年で二回も帰省している。来月か再来月にも帰ろうと思う。福祉の仕事に関わっているせいか、祖母に会えるだけ会っておこうと思うようになった。それに、昔に比べ、家族が優しくなった。昔は、優しくなかった。ほんとうに優しくなかった。
 自宅の二階の自室にいる時、階段下の祖母に「おとも」と呼ばれた。そうだった、祖母に呼ばれる名を、ハンドルネームにしたのだった。

  ふるさとの鄙はなにも変わりなく人が消えゆくほかにはなにも


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  チョコレート色のドレスを購いぬ二月に呼ばれた結婚式に

  式終えて「やっと実感沸いてきた」と同じ名字に嫁ぐ新婦は

  一回り下の同僚と「幸せになりたいね」って笑う星空


***

 ほんとうは6首載せていただいたのだけど、思うところあって半分お蔵に。自分で詠んだ歌を自分で消したくなってしまうのは、短歌というものが私性と切り離せないものだからなのかとも思う。
 これまでの人生で関わったたくさんの人達に、わたしのことなんて忘れてほしいと切実に思うくらいに自分の来し方が恥ずかしくなってしまう瞬間がある。自分を残しておきたくて短歌なんて詠んでしまうくせに。

 以前、ある歌人の方に、「今はインターネットでいろいろ発信できるけれど、残すためには紙媒体で発表しなければならない」というような話を聞いた。 それは、短歌に限らず、評論であったり文章全体に通じる話なのだけれど、なにかとても大切なことを聞いたような気がした。

 言葉が残る、ということが、今はすごくこわい。なにかにつけて、あんなこと言ってしまうんじゃなかった、失言だった、と後悔ばかりの日々の中で。

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GWに帰省した際、こごみをいっぱい食べた。摘みたてのを戻る時に持たされもした。ツナと塩こしょうマヨネーズで和えてサラダにした。おいしかった。次に帰るときはわらびが食べられるだろうか。それとも、その前に送ってもらえるだろうか。

「地元に帰ってコシアブラもタラの芽もいっぱい採って食べちゃったー。山菜ってセシウムいっぱい入ってると思うけど私達の年代はもう関係ないわよねー」
 料理の話をしている時、わたしの母親世代の女性がそう笑っていた。
 ああ、そうだった。東北に住むわたし達は。
 わたしは、これまであんまり気にせずに山菜でも野菜でも食べていたのだった。スーパーに行けば復興コーナーが特設されていて、東北産の野菜がお買い得になっているところもある。食べて応援、なんて気持ちがなくとも買って食べる、普通においしいし、安いので。実家で採れる野菜なんて、検査もしていない。一人で暮らすアパートのベランダ菜園なんて、言わずもがな。
 小さなお子さんを持っていたり、妊娠を希望している同年代の女の人が、「何処何処産のものは食べない」と、震災以降の食べ物に敏感になっているのを見聞きする。ああ、わたし煙草とかジャンクフードとか体に悪いものは食べてないけど、セシウムとかそういうのは気を遣ってないなって、振り返らされる。ふと、いろいろなことを考えてしまう。たとえば、わたしのこの体に、命の宿ることがあるのだろうか、ということ。生み終え育て終わった年配の女性が「私達の年代はもう関係ない」と言うのは、そういうことだ。わたしには、関係のあることなのだろうか。
 
 そんな思いを短歌に詠もうとしたら、いろいろな人を傷つけることになってしまった。様々な理由で子供の持てない女の人達や、東北で野菜を作っている農家の人達、そして、震災で被災してそれどころではない人達も。
 わたしにとっても、年頃に普通に恋愛して結婚して子供を持つような、普通の女性らしい生き方ができなかったということが、痛みではあるのだけれど。
 
 答えが出るのは、もう少し先のことなのかもしれない。まだまだなにもわからない、野菜も、人生も、歌も。

  ワンルームベランダ産の京水菜ツナマヨ和えてサラダの休日

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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