忍者ブログ
川が好き。山も好き。
[39]  [40]  [41]  [42]  [43]  [44]  [45]  [46
  早退をして(させられて)婦人科の待ち合い室のソファーが広い

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

  生まなかった(つくらなかった)子がじきに二歳になると数えてみたり

  地蔵かと寄ってみたれば金剛夜叉明王あかい前掛けをして

  でも今の仕事に就けた時やっと普通になれる気がしていたの

***

 会社早退してひと思いに詠んだ気がする、この頃。地蔵の歌は全く別件の古いものだったのだけれど、この流れに入れてみるのもいいかな、と。

拍手[0回]

PR
 アドレス帳を新調した。かれこれ三冊目、この度は好みの和雑貨のお店で。表紙の紙が薄く心許ない気がしていたものの、別口で偶然見つけたクリアカバーがぴったりはまり、いい感じになった。

 一冊目のアドレス帳を購ったのは、初めて携帯電話を持った次の日。 長らくわたしは携帯電話を必要とせずに生きていたのだけれど、4年前に就いた仕事で「連絡が不便なので持ってほしい」と頼まれ、渋々販売店へ向かったのだった。そうして28歳にして初めて携帯電話を手にした瞬間、ふいに、なにか文明というものへのおそろしさにふるえた。振り切るようにアドレス帳を買いに走った。慣れたくない!と強烈に思った。
 アドレス帳を持つことにしたのは正解だった。と、思い知ったのは、携帯電話が壊れてデータが飛んでしまった時と、やはり東日本大震災の時。電話の通じず、区役所に臨時に設置された無料の公衆電話に向かいながら、役に立ったのは鞄に忍ばせた紙のアドレス帳であった。

 古いアドレス帳をながめる。電話番号やメールアドレスが変わり修正テープで上書きされた人もいれば、書き換えずそのままになっている人もいる。きれいに修正して書き写そう。そうだ、妹を新しい名字の欄に移さねば。
 一方で、新しいアドレス帳へ、もう書き写さない名前もありましょう。そもそも、新調した理由が、特に親しくもならないまま疎遠になってしまった人の連絡先がいくつか記してあるのが気になってしまったからで。記した当時は、今後も縁が続くのだろうなあと思っていたのかもしれなかったのだけど。そんなことは、きっとこの先もあるのだろうけれど。まあ、携帯電話の方にはまだ登録してあるし、万が一のことがあっても…。

 新しいアドレス帳は、まだ白紙である。

  いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話

拍手[0回]

   歯車の噛み合う時がいつか来る その日のために生きている今

拍手[1回]

 左手の人差し指に、全治2週間の怪我をした。包帯を巻いているので、仕事の際は医療用のラテックス手袋を使用している。これがビニール手袋より伸びがよく、ほどよくフィットしてがさばらず、薄いので物に触れる感覚もそんなに違和感がない。熱いもの冷たいものの温度もそれなりにわかる。便利なものがあるものだと感心する。

 手袋をしたまま手を洗いペーパータオルで拭いた後、書類を手に取ると、紙が濡れてしまった。水分が拭き取りきれていなかったのだ。目では充分に見えたのだけれど、まだ拭き取りが途中であるということに、手袋をしたままの左手では気づけなかった。
 少しの水に濡れた感触も、油のベタつきも、洗剤のヌルヌルも、ラテックス越しではまったくわからない。鈍い左手で感じ取れなかったものに生の右手で触れてみて、皮膚感覚というものはこんなにも敏感だったのか、とあらためておどろいた。

 直に触れる、ということ。なにもまとわない素肌でなければ伝わらないものが、こんなにもある。左手の人差し指を負傷する今の今まで、わたしはほんとうに知らなかった。

  「さわって」と導かれた手を振りほどきひかりを見てた仰向けのまま

拍手[1回]

 この頃、今の仕事に就けた当初のことをよく思い出す。前の職場が閉鎖して、次の仕事がなかなか見つからなくって、やっと採用された仕事も求人票に虚偽があったためふた月ぐらいで辞めて、結局一年くらい無職だった。履歴書が返ってくる度に自分がダメ人間に思えて落ち込んだし、失業保険も尽きて、生活もままならなくて、だから今の仕事が決まった時はほんとうにうれしかった。
 
 ひと月ほど働いて、きっと長く続けていけると思った。薄給とはいえ収入の安定することは心の安定にも繋がり、数珠繋ぎのように、うれしいことが続けて起こった。無理しない、自分らしい自分でいられた。今の仕事に就けてから十か月ぐらいが、たぶんわたしの人生の中で一番しあわせだった時期。

 人生は思うようにはいかなくて、逃げ出したくなったりもするけれど。それでも、良かったと浸れる思い出のあることは、きっと救いになる。わたしにもしあわせな頃があった、という感懐が、この先の支えになることだってあるかもしれないから。

  ああ月がこんなに大きい あたらしい仕事に就いて三十日目

拍手[0回]

 先日の歌会で、自作の短歌に「~~という言い回しに作者の優しい人柄が伝わってくる」というようなことを言っていただいた。初対面の方々の多い場で、わたしという人格や作風を踏まえたうえでの感想ではなく、作者も伏せた状態で短歌のみでの評であったから、思いがけずうれしかった。

 うまく生きられない。誤解やすれ違い、ほんとうのことがうまく伝わらなかったり、間違って伝わってしまったり、間違ったことが変な憶測混じりに自分の知らないところで広まってしまったり、弁解する機会も与えられないままうわさだけが一人歩きしてしまったり、真相を訴えようとして余計こじれてしまったり、権力や派閥や他人の機嫌に振り回されてしまったり、スケープゴートにされてしまったり、自分を見失ってしまいそうな人間社会に身を置く日々の中で。わたしに、短歌があってよかった。短歌を詠めること、自分に向き合う手段があってよかった。

 短歌を褒めてもらえるとどうしようもなくうれしくなるのは、短歌は正直な自分だからだと思う。自分らしい自分を大切にしたい。信じていきたい。引きずられずに。惑わされずに。

拍手[2回]




 6月15日、16日、結社の東北集会で気仙沼市に行ってきました。重いので、続きに収納しますね。

拍手[0回]

「主婦暦もないくせに」って言われてることは知りつつ調理場に立つ

  いもうとに先を越された不憫なる姉をことさら演じていたり

  またひとり未婚女性が辞めてゆき溜め息と漏れ聴こえる笑い

  子供部屋むすめ二人が家を出ていつまで子供部屋なんだろう

  「おかわり」が「愛してるよ」に聴こえた日遠くなりけり箸の転がる

  トイレから犬の散歩からゴミ捨て場からわたしに電話かけくる父よ

拍手[0回]

 妹の誕生日、結婚祝いも兼ねてなにか贈りものをしようと思い、『祝婚のうた』(小学館/新川和江・編)という本を選んだ。妹はわたしと違って詩にそれほど興味もない人だけれど、この先誰かの結婚式でスピーチや余興などを頼まれることがあった際になど実用品にもなるのではないか、と。

 贈る前に、自分で読んでしまう。吉野弘の「祝婚歌」はテッパンとして(この詩の入っている詩集と決めていたのです)、川崎洋「にじ」が冒頭を飾るのも素晴らしい。編者である新川さんの「結婚」もやっぱりいいし、草野心平「春殖」が収録されているのにもなにか心打たれる。個人的な好みでいえば黒田三郎『ひとりの女に』から一つくらい入れたいし、山之口貘の「畳」とか「生きる先々」とかも入れたいところだけれど。100歳を超えてなおご健在の「ぞうさん」の詩人、まど・みちおさんの「はるかな歌 わが妻の生まれし日のうた」はこの本で初見だったのだけれど、なんだかもうたまらなかった。白を基調にした装丁も、「愛の詩の花束を」という帯文も素敵。
 
 このまま、自分のものにしておきたいくらい、うつくしいアンソロジーでした。他の誰でもないたった一人の相手と共に人生を歩もうと決めるということ。そんな思いを言の葉にのせるということ。こんなふうに思われたい、と思う、たくさんの詩。たくさんのよろこび。たくさんの幸福。
 なんだろう、読んでるだけでしあわせな気分だ。こんな気持ちを誰かと分かち合えたらいいのに、と思った。

  詩の好きな君がわたしを好きなうちに話したかった好きな詩のこと


拍手[2回]

 5月の連休に、帰省したのだった。
 その日は丁度、地元の小さな地域の小さなお祭りの日だったから、小さな神社にお参りに行った。わたしが子供の頃は、巫女さんになって参拝の人達にお神酒を注いだりしたものだけれど、今はそんな習慣もなくなった。親戚を呼ぶこともない。せいぜい、家族で餅を食べるくらいで。
 それでも、神社には次々に人が訪れ、わたしと母の前には一組の老夫婦が石段を上がっていた。おばあちゃんの方は「(階段を上るのが)遅くて(ごめんなさいね)」と笑って恐縮していた。おじいちゃんの方はお供えの一升瓶を手にしていて、ちょっと重たそうだった。昔はなかった階段の手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり神社の階段を上がる老夫婦とひと時を共にして、なにか胸がじんわりした。わたし達が引き返す頃には、また一升瓶を手にした別な人とすれ違った。小さな地域のこと、みんな顔見知りである。尤も、滅多に帰らないわたしなんてもの珍しくて、挨拶を交わしても妹や叔母と間違えられたり学生だと思われたりするのだけれど。
 
 それまで、年に一回もないくらい滅多に帰らなかったわたしだけれど、今年に入って半年で二回も帰省している。来月か再来月にも帰ろうと思う。福祉の仕事に関わっているせいか、祖母に会えるだけ会っておこうと思うようになった。それに、昔に比べ、家族が優しくなった。昔は、優しくなかった。ほんとうに優しくなかった。
 自宅の二階の自室にいる時、階段下の祖母に「おとも」と呼ばれた。そうだった、祖母に呼ばれる名を、ハンドルネームにしたのだった。

  ふるさとの鄙はなにも変わりなく人が消えゆくほかにはなにも


拍手[1回]

カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
ブログ内検索
最新コメント
[12/25 びょんすけ]
[09/11 ぴょんすけ]
[12/26 お湯]
[11/19 お湯]
[08/27 お湯]
*
Designed by Lynn
忍者ブログ [PR]