忍者ブログ
川が好き。山も好き。
[39]  [40]  [41]  [42]  [43]  [44]  [45]  [46
 2009年から使っていた短歌ノートがそろそろ終わる。それ以前は日記についでに書いていたのだけれど、新年を期に専用のノートを作ることにしたのだった。専用といっても、なんてことない、普通の無印良品のリングノートだけれど。

 あらためて読み直してみると、最初の頃のページの短歌はやっぱり下手だなって思う。今ならばここをこうするなあ、っていうのはきっとあるのだろうけれど、その頃の気持ちには戻れなくてもういじれないものもある。短歌としては未熟で恥ずかしいけれど、もう一つの日記のように心の移り変わりが表われていて、不思議に感慨深くもあった。
 ノートの最初の頃に多いAC短歌なんて、今後はもう詠まないかな。痛々しくて読み返すのもつらい。その頃の自分の気持ちを思い出すのもしんどい。
 そしてAセク短歌、人に恋愛感情の抱けない自分をかなしむ連作も編んだりしていたわたしが、まさかゆくゆく相聞歌を詠み出すようになるとは。
 震災詠なんて、それこそノートの一番最初のページ、2009年の時点では全く予想もできないことで。
 
 なにも変わってないような気がしていた。ずっと同じ部屋に住んでいて、変わり映えしない生活で。このままこんな繰り返しで人生が終わってしまうんじゃないかって、不安でたまらなかった。こうしている間に、他の人達はどんどん進んでいって、取り残されているように思えていた。わたしばかりが同じ場所に立ち止まっているような気がしていた。
 それでも、わたしはわたしで全然違うわたしになった、と、5年分の歌を振り返って気づいた。失ったものもあれば、得たものもあった。あたらしい感情を知った。あたらしい言葉を知った。
 
 あたらしい短歌ノートは、優しい歌でいっぱいにしよう。優しい歌の詠める暮らしを営もう。そうして、二冊目のノートが終わる頃、今のわたしを「この頃のわたしひどかったな」って懐かしく笑おう。

  しんどいのもいつか終わるよ幸せな頃がずっとは続かなかったように
  
  

拍手[0回]

PR
昨日の夕方、大雨に窓を洗われながら、家路へ向かうバスが、舟のようだと思った。乗り合わせた一人一人がそれぞれ帰る場所に帰り、それぞれの生活、それぞれの人生へ帰ってゆく。わたしはわたしの住み慣れた一人の部屋へ。

 「鰻が食べたい、鰻が食べたい」と、わたしがしきりにつぶやいていたことなんて知らない母からの宅配便に、鰻が入ってあった。叔母のお中元のおすそわけとのこと。うれしい。
 去年の丑の日は穴子でがまんした。今年は、木綿豆腐を水切りして鰻のたれで味付けしてみようか、片栗粉をはたいて揚げた後にたれで煮てみるのはどうだろう。だめだ、煮てはせっかく付けた衣がとろけてしまう。片栗粉をはたいて揚げた後、たれにくぐらせて焼いて、塗って、焼いて、がいいかもしれない。いっそ厚揚げを使ってみるのもありかもしれない。
 などと考えていたことを母に話すと、「ちくわを使えばいいんじゃない」と返ってきた。確かに見た目は似ているし、よく聞く話だけれども。

 今日は今日で、おなじみの胃痛。この頃、泣きたいと思う。そういえばずっと泣いていないし、思いのほかパソコンに向かっていたせいか、目が渇いてるのかもしれない。泣ける胸があればと思う。頭を撫でてくれる手があればと思う。一人で泣くと、ほんとうに一人だ。

 明日には、水曜日に電話をすることに決めたらしい父が、犬の散歩とでも偽って外から電話をかけてくるだろう。先週は二階のトイレから、その前は車庫からだった。実の娘に他愛ない話をするだけなのに、なにをこそこそする必要があるのか。一人暮らしも十四年目、父からの電話なんて最初の十年のうちにも一、二回あったかないか。今年になって妹が嫁いだこともあり、なにか思うこともあるのかもしれない。

 先週、津波のあった地域に住む知人から、半年振りに電話があった。携帯電話が壊れてデータが飛んでしまったけれど、わたしが以前お遊びで作って渡した名刺を持っていてくれて、それを頼りに新規の携帯電話から連絡をしたのだという。やっぱり、結局はデータより紙だ。もうやだ、と何度も繰り返しながら、彼女は最近お父様と二人暮らしになったことを話した。「夜になると人恋しくて心細い」と言うその人に、そのうちわたしの方から電話をしようと思った。

  両手で持つ受話器の向こう年上の女ともだち幸せになれ

拍手[0回]

  早退をして(させられて)婦人科の待ち合い室のソファーが広い

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

  生まなかった(つくらなかった)子がじきに二歳になると数えてみたり

  地蔵かと寄ってみたれば金剛夜叉明王あかい前掛けをして

  でも今の仕事に就けた時やっと普通になれる気がしていたの

***

 会社早退してひと思いに詠んだ気がする、この頃。地蔵の歌は全く別件の古いものだったのだけれど、この流れに入れてみるのもいいかな、と。

拍手[0回]

 アドレス帳を新調した。かれこれ三冊目、この度は好みの和雑貨のお店で。表紙の紙が薄く心許ない気がしていたものの、別口で偶然見つけたクリアカバーがぴったりはまり、いい感じになった。

 一冊目のアドレス帳を購ったのは、初めて携帯電話を持った次の日。 長らくわたしは携帯電話を必要とせずに生きていたのだけれど、4年前に就いた仕事で「連絡が不便なので持ってほしい」と頼まれ、渋々販売店へ向かったのだった。そうして28歳にして初めて携帯電話を手にした瞬間、ふいに、なにか文明というものへのおそろしさにふるえた。振り切るようにアドレス帳を買いに走った。慣れたくない!と強烈に思った。
 アドレス帳を持つことにしたのは正解だった。と、思い知ったのは、携帯電話が壊れてデータが飛んでしまった時と、やはり東日本大震災の時。電話の通じず、区役所に臨時に設置された無料の公衆電話に向かいながら、役に立ったのは鞄に忍ばせた紙のアドレス帳であった。

 古いアドレス帳をながめる。電話番号やメールアドレスが変わり修正テープで上書きされた人もいれば、書き換えずそのままになっている人もいる。きれいに修正して書き写そう。そうだ、妹を新しい名字の欄に移さねば。
 一方で、新しいアドレス帳へ、もう書き写さない名前もありましょう。そもそも、新調した理由が、特に親しくもならないまま疎遠になってしまった人の連絡先がいくつか記してあるのが気になってしまったからで。記した当時は、今後も縁が続くのだろうなあと思っていたのかもしれなかったのだけど。そんなことは、きっとこの先もあるのだろうけれど。まあ、携帯電話の方にはまだ登録してあるし、万が一のことがあっても…。

 新しいアドレス帳は、まだ白紙である。

  いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話

拍手[0回]

   歯車の噛み合う時がいつか来る その日のために生きている今

拍手[1回]

 左手の人差し指に、全治2週間の怪我をした。包帯を巻いているので、仕事の際は医療用のラテックス手袋を使用している。これがビニール手袋より伸びがよく、ほどよくフィットしてがさばらず、薄いので物に触れる感覚もそんなに違和感がない。熱いもの冷たいものの温度もそれなりにわかる。便利なものがあるものだと感心する。

 手袋をしたまま手を洗いペーパータオルで拭いた後、書類を手に取ると、紙が濡れてしまった。水分が拭き取りきれていなかったのだ。目では充分に見えたのだけれど、まだ拭き取りが途中であるということに、手袋をしたままの左手では気づけなかった。
 少しの水に濡れた感触も、油のベタつきも、洗剤のヌルヌルも、ラテックス越しではまったくわからない。鈍い左手で感じ取れなかったものに生の右手で触れてみて、皮膚感覚というものはこんなにも敏感だったのか、とあらためておどろいた。

 直に触れる、ということ。なにもまとわない素肌でなければ伝わらないものが、こんなにもある。左手の人差し指を負傷する今の今まで、わたしはほんとうに知らなかった。

  「さわって」と導かれた手を振りほどきひかりを見てた仰向けのまま

拍手[1回]

 この頃、今の仕事に就けた当初のことをよく思い出す。前の職場が閉鎖して、次の仕事がなかなか見つからなくって、やっと採用された仕事も求人票に虚偽があったためふた月ぐらいで辞めて、結局一年くらい無職だった。履歴書が返ってくる度に自分がダメ人間に思えて落ち込んだし、失業保険も尽きて、生活もままならなくて、だから今の仕事が決まった時はほんとうにうれしかった。
 
 ひと月ほど働いて、きっと長く続けていけると思った。薄給とはいえ収入の安定することは心の安定にも繋がり、数珠繋ぎのように、うれしいことが続けて起こった。無理しない、自分らしい自分でいられた。今の仕事に就けてから十か月ぐらいが、たぶんわたしの人生の中で一番しあわせだった時期。

 人生は思うようにはいかなくて、逃げ出したくなったりもするけれど。それでも、良かったと浸れる思い出のあることは、きっと救いになる。わたしにもしあわせな頃があった、という感懐が、この先の支えになることだってあるかもしれないから。

  ああ月がこんなに大きい あたらしい仕事に就いて三十日目

拍手[0回]

 先日の歌会で、自作の短歌に「~~という言い回しに作者の優しい人柄が伝わってくる」というようなことを言っていただいた。初対面の方々の多い場で、わたしという人格や作風を踏まえたうえでの感想ではなく、作者も伏せた状態で短歌のみでの評であったから、思いがけずうれしかった。

 うまく生きられない。誤解やすれ違い、ほんとうのことがうまく伝わらなかったり、間違って伝わってしまったり、間違ったことが変な憶測混じりに自分の知らないところで広まってしまったり、弁解する機会も与えられないままうわさだけが一人歩きしてしまったり、真相を訴えようとして余計こじれてしまったり、権力や派閥や他人の機嫌に振り回されてしまったり、スケープゴートにされてしまったり、自分を見失ってしまいそうな人間社会に身を置く日々の中で。わたしに、短歌があってよかった。短歌を詠めること、自分に向き合う手段があってよかった。

 短歌を褒めてもらえるとどうしようもなくうれしくなるのは、短歌は正直な自分だからだと思う。自分らしい自分を大切にしたい。信じていきたい。引きずられずに。惑わされずに。

拍手[2回]




 6月15日、16日、結社の東北集会で気仙沼市に行ってきました。重いので、続きに収納しますね。

拍手[0回]

「主婦暦もないくせに」って言われてることは知りつつ調理場に立つ

  いもうとに先を越された不憫なる姉をことさら演じていたり

  またひとり未婚女性が辞めてゆき溜め息と漏れ聴こえる笑い

  子供部屋むすめ二人が家を出ていつまで子供部屋なんだろう

  「おかわり」が「愛してるよ」に聴こえた日遠くなりけり箸の転がる

  トイレから犬の散歩からゴミ捨て場からわたしに電話かけくる父よ

拍手[0回]

カレンダー
09 2025/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
ブログ内検索
最新コメント
[12/25 びょんすけ]
[09/11 ぴょんすけ]
[12/26 お湯]
[11/19 お湯]
[08/27 お湯]
*
Designed by Lynn
忍者ブログ [PR]