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川が好き。山も好き。
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 この頃、住居の階段に猫が居て、かわいい。誰かが餌をあげて、居ついてしまったのだろうか。
 昔は猫が好きではなかった。あの自由な感じが、どこかこわくて。動物全般が苦手だったけれど、鎖に繋がれてる分、犬の方がまだましだった。

 猫が少し大丈夫になったのは、とある漫画家の先生にのアシスタントをする機会があり、お宅にお邪魔した時。猫が居て、仕事だから苦手と逃げ回っている場合ではなかった。あれはもう十何年も前。わたしは今はもう漫画は描いていないし、読んでもいない。漫画家になりたかった頃のことを思うと、なにか自分が遠くへ来たような気がする。今となっては、どうしてなりたかったのか不思議なくらいに。

 この頃見かける猫を、かわいいと思う。実家で飼っている犬もかわいいと思うし、人間の子供や赤ちゃんもかわいいと思う。かわいいと思えるようになってきている。不思議だな、と思う。でも、そういう気持ちになれていることが、なんだかうれしい。

  三十代独身少女漫画家が二匹の猫と住む一軒家

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 第56回短歌研究新人賞に応募していました。が、結果は二首掲載、ということで。去年は五首掲載していただけてたので、後退しているという事実に泣ける。けれど、やっぱり去年の応募作の方が、いろいろ痛々しかったけれど自分の中では詠むことに意味のあったテーマであったように思うので、今年はどうも弱かったというか、こうした結果の違いには大いに納得してる。ので、来年またがんばるとしましょう。

  浅虫なう 温泉地なう 一人なう ブログ用めく写真を撮りぬ

  おだやかにあきらめてゆくいくつかのこと最初からないものとして

 とりあえず、本誌に掲載していただいた二首。今回は全三十首はここに載せないでおきます。手直しするなりなんなりしてどこかで昇華させてみたく。

***

拍手お返事はつづきからどうぞ。

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 髪を切った。美容院で「こけしみたいな髪型にしてください」と頼んだわけでもないのに、こけしみたいな髪形になった。
「髪切ったんだね」と言われ、「失恋したんですぅ~」と答えても、「またまた~そんなこと言って」と、誰も信じてくれない。実際、うそなのだけれど。

  思い出をもう忘れよと言うように思慕の証しのこけしが消える

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駅のない故郷ゆえに隣町まで父母の車を呼びぬ

  いもうとの名で叔母の名で呼ばれおり隣近所の人に会う度

  心病むおとうとなれば呪術めく言葉で飯の注文しおり

  木づちにて魚の骨をくだいては犬に与えて怒られる祖母
 
  ふるさとを見せてみたいと思うひともいたりなんにもない町だけど

  駅のない故郷ゆえに二十年のちの帰り方など知らず

***

 六首目の歌を、選歌後記に取り上げていただきました。「二十年のち、(略)、故郷そのものを喪失してしまうかもしれない」……そこまでは考えていなかったので、どきりとしました。ほんとうに、二十年のちはどうなっているのでしょう、故郷は、わたしは。
 
  帰省して黒字になってしまいたり祖母が「内緒」と小遣いくれて

 この歌は六月東北集会歌会記から。「上手い、と好評な一首」などと書いていただけてありがたいのだけど、実は今号の月詠に提出していた十首のうちの一首で、月詠では六首掲載で落とされてるんだなー…。選歌、奥が深いです。

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 連休があったので、ふらりと帰省してきた。今年に入って三度目。かつてこんなに帰省した一年があっただろうか。秋にも家族と会う予定があるし、冬にも帰るかもしれない。数年前までは、一年も会わないのが普通だったのに。家族仲が以前に比べて歩み寄りを感じられるようになったのと、このところ仕事に疲れていて、ほんとうに疲れていて、田舎へ逃避したくなるのだった。それでも、永久的に帰る場所ではない気がする。だからといって、他に帰る場所があるわけでもないのだけれど。

 実家の加入しているBSデジタル放送で、たまたまやっていた『北の国から ’95秘密』を見た。『北の国から』は全シリーズ見たわけではないけれど、好きなドラマの一つ。どうしても、登場人物のぶきようさに惹かれてしまうのだった。『’95秘密』でもやっぱり、純は過去に一悶着のある女性と交際を始めたり、蛍は道ならぬ恋愛に身を投じていたり、どうにもうまいこといってなくって、でも、人生ってそういうものだよねえって、愛おしい。
 そういえば以前、文芸春秋で、脚本家の倉本聰さんによる『北の国から 2011つなみ』の幻の構想を読んだことがある。純は結と離婚し、初恋のれいちゃんと再会したところで3.11を迎え、蛍は福島県浪江町在住で、というような。正直、えーっ、と思う。被災地と呼ばれるところに居るからなおさら。見たいような、見たくないような。

 小学生の頃に習っていた、そろばんの先生に会った。たまたまスイカを届けに来てくれたところに、わたしが応対したのだった。遠縁の親戚でもある先生は、もうそろばんを教えてはおらず、農業のパートでわたしの母と同僚になっている。先生はわたしを一目見て、妹かわたしか迷って、迷って妹の名を呼んだ。
 正体をばらしたところで「テレビ見たよ! 短歌、応援してるからね!!」と先生は言い、「いいひと見つけるんだよ、いいひとを見つけるのが一番だよ! 短歌は二番だよ!!」と付け加えた。わたしは「そうですね!」と笑った。

 地元の蕎麦屋、いろは本店で食べた冷たいラーメンが美味しかった。あちこち食べて、やっぱり地元のが美味しいと思った。地元のお店の中でも特に美味しいと思った。

  働くという意義なんて見出せず黒板五郎にあこがれてゆく

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 遠くに、打ち上げ花火の音を聞いた。玄関の扉を開けて外に出ると、辺りの家々の屋根の上に小さく、花火の上がるのが見えた。学生の住むような築三十年もの安い賃貸物件だけれど、三階で良かったと思うのは、こんな時。周りの家は二階建てだから。わたしの部屋と花火までの間に、さえぎるものがないから。

 花火が好きだ。今年の夏は、花火を見に行く予定ができなかった。でも、別にいい。無理に行かなくてもいい。上書きなんて、きっと、できる時にはできるのだろうし。それが夏でも、そうでなくても。

  ほだされてしまいたかった夏の夜の形見みたいな火薬の匂い

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 2009年から使っていた短歌ノートがそろそろ終わる。それ以前は日記についでに書いていたのだけれど、新年を期に専用のノートを作ることにしたのだった。専用といっても、なんてことない、普通の無印良品のリングノートだけれど。

 あらためて読み直してみると、最初の頃のページの短歌はやっぱり下手だなって思う。今ならばここをこうするなあ、っていうのはきっとあるのだろうけれど、その頃の気持ちには戻れなくてもういじれないものもある。短歌としては未熟で恥ずかしいけれど、もう一つの日記のように心の移り変わりが表われていて、不思議に感慨深くもあった。
 ノートの最初の頃に多いAC短歌なんて、今後はもう詠まないかな。痛々しくて読み返すのもつらい。その頃の自分の気持ちを思い出すのもしんどい。
 そしてAセク短歌、人に恋愛感情の抱けない自分をかなしむ連作も編んだりしていたわたしが、まさかゆくゆく相聞歌を詠み出すようになるとは。
 震災詠なんて、それこそノートの一番最初のページ、2009年の時点では全く予想もできないことで。
 
 なにも変わってないような気がしていた。ずっと同じ部屋に住んでいて、変わり映えしない生活で。このままこんな繰り返しで人生が終わってしまうんじゃないかって、不安でたまらなかった。こうしている間に、他の人達はどんどん進んでいって、取り残されているように思えていた。わたしばかりが同じ場所に立ち止まっているような気がしていた。
 それでも、わたしはわたしで全然違うわたしになった、と、5年分の歌を振り返って気づいた。失ったものもあれば、得たものもあった。あたらしい感情を知った。あたらしい言葉を知った。
 
 あたらしい短歌ノートは、優しい歌でいっぱいにしよう。優しい歌の詠める暮らしを営もう。そうして、二冊目のノートが終わる頃、今のわたしを「この頃のわたしひどかったな」って懐かしく笑おう。

  しんどいのもいつか終わるよ幸せな頃がずっとは続かなかったように
  
  

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昨日の夕方、大雨に窓を洗われながら、家路へ向かうバスが、舟のようだと思った。乗り合わせた一人一人がそれぞれ帰る場所に帰り、それぞれの生活、それぞれの人生へ帰ってゆく。わたしはわたしの住み慣れた一人の部屋へ。

 「鰻が食べたい、鰻が食べたい」と、わたしがしきりにつぶやいていたことなんて知らない母からの宅配便に、鰻が入ってあった。叔母のお中元のおすそわけとのこと。うれしい。
 去年の丑の日は穴子でがまんした。今年は、木綿豆腐を水切りして鰻のたれで味付けしてみようか、片栗粉をはたいて揚げた後にたれで煮てみるのはどうだろう。だめだ、煮てはせっかく付けた衣がとろけてしまう。片栗粉をはたいて揚げた後、たれにくぐらせて焼いて、塗って、焼いて、がいいかもしれない。いっそ厚揚げを使ってみるのもありかもしれない。
 などと考えていたことを母に話すと、「ちくわを使えばいいんじゃない」と返ってきた。確かに見た目は似ているし、よく聞く話だけれども。

 今日は今日で、おなじみの胃痛。この頃、泣きたいと思う。そういえばずっと泣いていないし、思いのほかパソコンに向かっていたせいか、目が渇いてるのかもしれない。泣ける胸があればと思う。頭を撫でてくれる手があればと思う。一人で泣くと、ほんとうに一人だ。

 明日には、水曜日に電話をすることに決めたらしい父が、犬の散歩とでも偽って外から電話をかけてくるだろう。先週は二階のトイレから、その前は車庫からだった。実の娘に他愛ない話をするだけなのに、なにをこそこそする必要があるのか。一人暮らしも十四年目、父からの電話なんて最初の十年のうちにも一、二回あったかないか。今年になって妹が嫁いだこともあり、なにか思うこともあるのかもしれない。

 先週、津波のあった地域に住む知人から、半年振りに電話があった。携帯電話が壊れてデータが飛んでしまったけれど、わたしが以前お遊びで作って渡した名刺を持っていてくれて、それを頼りに新規の携帯電話から連絡をしたのだという。やっぱり、結局はデータより紙だ。もうやだ、と何度も繰り返しながら、彼女は最近お父様と二人暮らしになったことを話した。「夜になると人恋しくて心細い」と言うその人に、そのうちわたしの方から電話をしようと思った。

  両手で持つ受話器の向こう年上の女ともだち幸せになれ

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  早退をして(させられて)婦人科の待ち合い室のソファーが広い

  ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり

  生まなかった(つくらなかった)子がじきに二歳になると数えてみたり

  地蔵かと寄ってみたれば金剛夜叉明王あかい前掛けをして

  でも今の仕事に就けた時やっと普通になれる気がしていたの

***

 会社早退してひと思いに詠んだ気がする、この頃。地蔵の歌は全く別件の古いものだったのだけれど、この流れに入れてみるのもいいかな、と。

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 アドレス帳を新調した。かれこれ三冊目、この度は好みの和雑貨のお店で。表紙の紙が薄く心許ない気がしていたものの、別口で偶然見つけたクリアカバーがぴったりはまり、いい感じになった。

 一冊目のアドレス帳を購ったのは、初めて携帯電話を持った次の日。 長らくわたしは携帯電話を必要とせずに生きていたのだけれど、4年前に就いた仕事で「連絡が不便なので持ってほしい」と頼まれ、渋々販売店へ向かったのだった。そうして28歳にして初めて携帯電話を手にした瞬間、ふいに、なにか文明というものへのおそろしさにふるえた。振り切るようにアドレス帳を買いに走った。慣れたくない!と強烈に思った。
 アドレス帳を持つことにしたのは正解だった。と、思い知ったのは、携帯電話が壊れてデータが飛んでしまった時と、やはり東日本大震災の時。電話の通じず、区役所に臨時に設置された無料の公衆電話に向かいながら、役に立ったのは鞄に忍ばせた紙のアドレス帳であった。

 古いアドレス帳をながめる。電話番号やメールアドレスが変わり修正テープで上書きされた人もいれば、書き換えずそのままになっている人もいる。きれいに修正して書き写そう。そうだ、妹を新しい名字の欄に移さねば。
 一方で、新しいアドレス帳へ、もう書き写さない名前もありましょう。そもそも、新調した理由が、特に親しくもならないまま疎遠になってしまった人の連絡先がいくつか記してあるのが気になってしまったからで。記した当時は、今後も縁が続くのだろうなあと思っていたのかもしれなかったのだけど。そんなことは、きっとこの先もあるのだろうけれど。まあ、携帯電話の方にはまだ登録してあるし、万が一のことがあっても…。

 新しいアドレス帳は、まだ白紙である。

  いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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