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川が好き。山も好き。
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 実家がら宅急便で野菜が届いだ
 人参ば包んであっけ広告の裏さ
 なにが書いであるなぁって見でみだら
 「山に草取りに行きます」
 下手くそなばあちゃんの字

 そういえば昔
 ランドセルしょって家さ帰っど
 机の上さ置いであっけ
 「ばあちゃんより
 とだなにあります。
 ます。さつまいもが
 はたけに行ってまいり
 ばあちゃんは
 ともみへ」
 変な文だにゃあーって
 友達と何度も読んで笑たっけ

 現代の子供だは
 携帯電話ですぐ連絡がとるいがら
 置ぎ手紙あて
 知ゃねんだべな
 字もろぐにわがんねばあちゃんが
 誰も居ね家さ帰て来るわたし宛でに
 一生懸命書いだ
 左がら読む縦書ぎの文あて
 知ゃねんだべな

 ほだなごどば考えだら
 偶然まぎれ込んだだげの
 さっきまで人参ば包んでだけ広告が
 宝物みだいに見えできて
 投げねでとっておぐごどにしたんだは


***

 サンリオ『詩とメルヘン』2002年1月号方言詩のコーナー掲載作でした。
 やなせたかし先生はわたしの恩人です。昔、どうしようもなかった頃、『詩とメルヘン』に詩を掲載していただいて、評をいただいて、わたしも捨てたもんじゃないなって、心が救われました。
 『詩とメルヘン』には3回掲載していただき、原稿料というものもいただきました。お知らせの、キティーちゃんの描かれたサンリオの封筒は、あれから10年以上経った今でも捨てられません。
 思えば、短歌をはじめたきっかけの一つとして、『詩とメルヘン』で目にした東直子さんや植松大雄さんの特集で短歌に惹かれたから、というのもあります。
 相変わらずわたしはどうしようもなくて、初めて雑誌に自分の言葉を載せていただいたこの頃より全然進んでいなくて、それでも、やなせ先生に詩を選んでもらえたということは、わたしの人生の中できらりと光る勲章なのです。感謝してもしきれないです。ご冥福をお祈りします。

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 わたしの思うしあわせというものを、整理してみる。

・わたしの作るご飯を食べたいというひとのために手料理を作って、今日あったこととか他愛ない話をしながら一緒に笑って食べること。そして、そうした日々が恒常的に続くという確信に、安心していられること。
・こわい夢から目覚めたときに、握れる手のあること。また、自分が触れることによって相手を安心させてあげられること。
・身ごもったときに、子の父である相手に「でかした!」とよろこんでもらえること。
・助手席に乗せてもらって、海や川、山や地域の文化を見たり、温泉などに行けること。
・桜、花火、紅葉、月などを一緒に眺める相手のいること。
・共に暮らすひとと本棚を共有できること。
・みんな、の中に当たり前のように自分が含まれていること。
・ほんわりした相聞歌を詠めること。
・素直な無理しない自分でいられること。
・おばあちゃんになったときに、長く連れ添ったおじいちゃんがとなりで笑っていてくれること。

 一人でまかなえるかたちのものがなくて、つまりは、わたしは分かち合うということを大切にしたいのだと思った。昔は、もう少し目線が自分に向いていた気がする。自分がこうなりたい、こうなって褒められたい、というような。「しあわせになりたい」と言いつつ、漠然としていて、具体的なイメージが持てなかった。今は自分の求めるそれがはっきりとわかる。もちろんこれだけじゃないし、細かいことをあげればきりがないほど増えてゆく。ただ共通しているのは、根差した場所でおだやかに笑っていたい、ということ。
 願う前からあきらめていた頃がある。でも、求められていない自制なんてする必要ない。願うだけなら自由だって、気づけてよかった。

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 象好きな友人の、象グッズの買い物に同行させてもらった。このところなにか発散したいことがあり、とみに購買欲が増しているのだという。なぜか大きな道路が渋滞で混んでいたので、回り道になるという海側の地域を通って向かうことにした。
 
 こわれかけた家と、真新しいコンビニやパチンコ店が点々と建つ、荒涼とした野っ原。田や畑の広がるのどかな光景なら生まれ育った田舎で見慣れている。けれど、それとは違う。「もしかして、ここは津波で…?」と聞くと、「そうだよ、この辺りずっと家が建ってたんだよ」と教えてもらった。
 初めて訪れた場所だから、震災前のこの辺りの景色を、わたしは知らない。思えば、震災ののちに初めて知ったことがたくさんある。
 震災前はほとんど帰省もせずに平気だったから、自分の家族のこともよく知らなかった。震災前はどんなに寂しくても自制ができていたから、人の声が聞きたい手を握りたいという衝動も知らなかった。自分の思考のねじれも、抑えていた感情も、心の弱さも、震災の後に思い知った。同じなにも無い状態でも、最初から無いのと、手にした後に失って無くなったのでは、全く違うということも。そして、素直な自分を大切にするだけで幸せになれるということも。

 帰り、道を間違えて裏の出口から出たところ、なんと、本物の象を見た。買い物先に併設された木下大サーカスの象が、係員さんに連れられてテントから出てきたのだった。
 タイやインドでは、象は幸せを運んでくれる動物だという。思いがけず生の象に遭遇したわたし達に、きっと幸せが訪れるのでしょう。

  しあわせになれる準備ができてきてあとは些細なきっかけ一つ

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  野原 シロツメクサ匂うのどかなる野原 あの日の津波知らねば

  愛される予感もなくてベランダの検査もしないネギを食みおり

  戦争を大震災に置き換えて『東京物語』リメイクされたり

  避難所へ持ち込むときに名を書いたタオルケットで今夏も眠る

***

 震災は終わったことでなく、今も続いていること。遠くなってゆくのが、どこかこわい。震災によって変わってしまったものが、震災前から変わらなかったもののように錯覚してしまいそうで。

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 父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。仕事用の小さな黒い手帳が十数冊。仕事の愚痴だらけで、まるで小学生のような文体で、ちっとも褒められた内容ではなかった。普段は仕事の愚痴なんてほとんど口にしない父だったけれど、こうやって人知れず日記に吐き出して解消していたのか。どこか飄々としてマイペースな人だと思っていたから、意外だった。
 読み進めながら、よく耐えてるな、ってつらくなった。つらくない仕事なんて、きっと、ない。生活のための仕事だ。父は定年まで勤めると言う。
 家族に感謝しようと思った。今までだって、野菜を送ってもらったり、震災の時に駆けつけてもらったり、感謝をしていなかったわけじゃない。けれど、もっと深いところで分かり合えてゆくのだろうと思った。

 以前、願いごとを紙に書くと叶う、なんて話を聞いて「指輪をもらう」とノートに書いておいたまま、しばらく忘れていた。そしたら、母に真珠の指輪をもらった。婚約指輪や結婚指輪を思い浮かべて書いたつもりだったけれど、願いが叶った、ということにしておく。

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高校生の頃だったと思う。一階の仏間で寝ている曾祖母が、ふいに一緒に寝ないか誘ってきた。
 その頃のわたしは二階の一人部屋にすっかり慣れ、眠りに就くまでの時間に好きな漫画を読んだりするのが楽しかった。意味もなく夜更かしもしたかった。ごく私的な一人の時間だった。
 別に、毎日一緒に寝よう、といわけでもない。たった一日のこと。それでも、わたしは曾祖母の誘いを断った。子供の頃は一緒に寝ていたこともあったとはいえ、もうお互い毎日一人で寝ているのだし、たいした願いごとのようにも思えず、軽く考えていた。

 今日、突発的に、帰省することにした。この頃、身の回りが落ち着かなくて、心がざわざわしている。母と父の間で眠りたいと思った。
 一人で眠るようになって以来、もう長いこと、一人じゃないと眠れないと思っていた。一人で眠るのは楽だった。でも、今、たぶん今だけは、一人じゃ眠れない。いい大人になってこんな子供みたいな気持ちになるとは思わなかった。或いは、いい大人になったからこそ、誰かと眠ることにやすらぎを求めたくなるのかもしれない。先日お邪魔した年上の女性が、一人暮らしで犬を飼っていたように。
 
 あの日、曾祖母が今のわたしと似たような気持ちだったかはわからない。けれど、一緒に寝てあげればよかった。たった一日でも、一緒に寝てあげればよかった。

  ふかふかの羽毛布団に沈むときみたいに心受け止められたい

***

拍手お返事はつづきからご覧ください。

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 先日、郊外の寂れたアウトレットショッピングモールへ行った。外国の街並みを思わせる外観はテーマパークにも似た雰囲気があったものの、中に入ると閑散としていて、観覧客のいないステージではよくわからないアイドルが踊っていた。
 一昔前は道路が渋滞するほど賑わっていたとのこと。けれども、時はそのままに留まってくれないのだった。

 10年分ほどの日記を読み返す。昔のわたしは今よりもっと心の在り方が痛々しくて目を背けてしまいたくなる。けれど、日記を読み返すまで忘れていた出来事や気持ちもいっぱいあった。その時その時でこんなに思い詰めていたのに、過去になってゆくんだ、と思った。
 今の自分だって、いつか過去になってゆく。今はその、いつかの訪れるのが少し待ち遠しい。

 初めて訪れたから、ずい分遠い場所だと思っていたアウトレットは、帰宅後に地図で見てみると割と近場だった。車に乗れないわたしは生きている世界がほんとうに狭くって、見える視界がほんとうに狭くって。

  地図五枚印刷したってほんとうに迷っているのは人生の方  

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 わたしは体質的にお酒が飲めないけれど、飲める体質だったら溺れただろうな、と思う。だから、飲めなくてよかったのかもしれない。

 自分では、依存体質ではないと思っていた。一人で過ごすことも平気だし、パチンコにも興味がないし、携帯電話だってしょっちゅう家に忘れてしまうくらい触らない。決して心の強いわたしではないけれど、それでも自分一人の足で立っていると思っていた。
 ふと、好きだったはずの読書が停滞していることに気づく。それは、本について語れる人が遠ざかってからのような気がする。そういえば、食べてくれる人がいなくなれば料理も凝ったものを作らなくなるし、聴いてくれる人がいなければピアノも弾かなくなる。映画を見に行けば感想を話したくなるし、旅行に行けばお土産を渡したくなる。元々は一人で没頭していたことだったのに、誰かと分かち合うよろこびを知ってしまえば、一人で楽しむことに物足りなさを覚えてしまう。誰かを意識するようになってしまう。自分の中にこうした依存心を見つけたとき、なんて弱いわたしだと思った。なんて薄いわたしだと思った。

 お酒の飲めない体質に生まれたのは幸運だった。きっと自分を失くしてしまう。自分を見失わないように、誰のためでもないわたしの「好き」を大事にしよう。わたしがわたしらしく生きられるように。
 
  酒タバコ賭け事もせず恋もせずおだやかな日々を送っています

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  今頃わたしの田舎では
  小金の色の稲の穂を
  家族みんなで刈っている
  背中を丸めて刈っている
  朝から晩まで汗流し
  お茶とお菓子とおにぎりで
  お昼になったら一休み
  周りの田んぼを見渡せば
  同じような家族が三つ
  家に帰れば夕飯は
  イナゴの佃煮 タニシ汁
  昔ながらのわが家の
  当たり前の秋の日を
  今年は離れて一人きり
  昨日のスーパーの特売の
  産まれのしめじで
  炊き込みご飯を炊きながら
  遠く思う
  そんな秋の日

***

 詩とメルヘン2002年10月号に掲載していただいた詩でした。この頃はまだ短歌を詠んではいないのに七五調なんだな。
 今はもう家族で稲刈りをすることもなく、懐かしい話になりました。
  

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 十五夜のお月さん、きれい。
 この先に、もしもわたしが女の子を産むようなことがあって、その日が月のきれいな夜だったら、月子と名づけたい。雪の降る日だったら雪子、風の気持ちよい日だったら風子、と。

  満月がレースのカーテン越しに見え隠れするって伝えて笑う

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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