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川が好き。山も好き。
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あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
 今年の年末年始は帰省して久しぶりに家族と過ごしました。
 年末年始の休みを自宅で過ごすことを話したら「そんなふうに過ごしてると頭おかしくなるよ!」と言われたことがあります。その人にとっては軽い気持ちで発した言葉なのでしょうけれど、当時のわたしは「そんな一般的には頭がおかしくなるようなことが自分にとっての普通だなんて」と、カルチャーショックを受けた覚えがあります。年末年始も仕事だった時期が長かった事情もありますが。尤も、今となっては、わたしもそんな余計なことをわざわざ人に言わなくてもよかったのだ、とも省みています。自分のことをしゃべり過ぎるのはどうにもかしこくない、ということに遅ればせながら気づいたのでした。言葉ほど不確かなものもなくて。
 こうして久しぶりに家族とお正月を迎えて、よかったです。生餅の入った母のお雑煮も久しぶりに食べました。
 
 今年は、というか、今年も、というか、今年こそ自分の心を大切にしていきたいです。自分の心の大切に仕方も間違えないようにしたいです。

 さて、今年は雑煮を作らなかったので、これまでの雑煮写真を振り返ってみましょう。







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 今年の年末年始は実家で過ごすことにしました。何年ぶりでしょう。
 今年は、短歌結社に所属して歌会に参加し始めたり、そうした流れで気仙沼の被災地を訪れたり、NHKハートネットTVの震災特別番組で入選してテレビ出演したり、短歌においては今までにない経験ができました。
 自分の心の在り方について、言葉を発するということについて、根本的に考えさせられたのも今年です。それは決して楽しいものではありませんでしたが、この先の人生のために必要なことだったのだと思えるようになれたらいいな、と思います。
 それでも、他人に対して「おめでとう」を言える機会が多かったことは、うれしい一年でした。

 ブログも今年から心機一転しましたが、訪れてくださった皆さま、ありがとうございました。良いお年をお迎えくださいね。

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なぐさめるふりしてなぐさめられに行く袋ラーメン三つ携え

  助手席と運転席の真ん中にいつもちょこんといるマルチーズ

  寄る辺ないお茶の間に居てなまぬるい犬の舌をもゆるしてしまう

  痩せたよね痩せましたよね食べなきゃね一人でないから進む夕飯

  犬くさくなって帰りぬ犬を抱くやすらぎをこの身に覚えれば

  大切な友なればこそこれ以上かけ込み寺にしちゃいけないね

***

 新樹集に載せていただきました。ありがたいです。もっと明るくてしあわせな歌が詠みたいとは思うのだけれど。
 年鑑回顧座談会にて宮地さんに取り上げていただけたのもうれしかったです。

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 今日のGoogleのトップページがすてき。小津安二郎生誕110年にして、没後50年とのこと。全部見たわけではないけれど、小津安二郎映画は好き。数年前にNHKの「知るを楽しむ」で落語家さんが小津映画の解説をするという番組も見てたのです。

 今から作りたい映画は、俳句の世界、たとえば、連句のようなもの。ストーリーはないが何気ない風景描写に、詩情が感じられるようなもの(「週刊新潮」1959年3月23日)

 小津安二郎が俳句を嗜んでいたということを知り、なるほど、と思った。小津安二郎映画の、派手でない日常生活を切り取ったような世界観や、心情表現に抑制の効いた淡々とした雰囲気というか、ものごとを俯瞰で見ているような感じが好きだったのだけれど、それは確かに俳句っぽい。

 「好きな映画は?」と聞かれたら、いつも『麦秋』と答えている。名作『東京物語』も好きだけれど、『麦秋』に惹かれるのは、いろいろ身につまされるからだろうか。『麦秋』で原節子演じる紀子と近い境遇にいる今のわたしだからこそ、沁みる台詞のいくつもあるのだった。そんなことを考えていたら、おもしろい俳句を見つけた。

  原節子・小津安二郎麦の秋 / 吉田汀史

 台詞と言えば、小津安二郎映画には「今が一番いい時」というような台詞がいくつもの作品に出てくるのが印象に残っている。時は留まってくれない。かたちあるものはいつかこわれる。色は匂えど散りぬるを。全ては無常であるということ。そうした日本的な諦観がおだやかに語られると、なんとも言えずせつない。
 今が一番いい時かもしれない、そんなふうに日々がわたしにもあったかもしれない。けれど、これから訪れるかもしれない。いい時も、そうでない時も、全ては無常なのだから。

  争を大災に置き換えて『東京物語』リメイクされたり 

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 妹から宅配便が届いた。新婚旅行のお土産と、結婚式に寄せたウェルカムボードのお礼とのこと。お菓子やコスメと一緒に「処分しようかと思ってたけど読むかなと思って」と文庫本の小説が数冊入っていた。本好きなのでうれしい。

 同封されていた5冊のうちの3冊が、彼氏のいないアラサー独身女の悲哀、といったジャンルだった。
 い や が ら せ か !
 、というわけでなく、わたしがこういった傾向のものを読むと妹は知っているのだった。もともと妹とわたしの読書の好みは近く、以前会った際も芥川賞作家・西村賢太の可愛さについて熱く語り合った。姉妹して、ちょっとダメな感じの人間の物語に惹かれるのだった。とはいえ、一途な10年愛を実らせた妹が、なんでまたモテない女子の恋愛小説をこんなに読んでいたのだろう。妹なりに、なにか思うことでもあったのだろうか。
 ちなみに、残りの二冊は、夫の不倫によって離婚する夫婦の小説(この本はわたしも既に所持していた)と、社会の底辺で生きる市井の人々のドキュメンタリー短編集であった。
 早速読み進めてみたものの、思いのほかつらくなってしまった。別に、悲劇的な展開なんてどこにもなく、みんな一生懸命生きてるって、そういう話ばかりなのに。以前は好んで読んでいたようなものばかりなのに。 

 少し遡り、妹の結婚式へ向かう新幹線の中でのこと。道中に読もうと、一冊の文庫本を鞄に忍ばせていた。けれど、いざ読もうとしたらつらくて読めなかった。
 大好きな小説だった。大好きな作家の、映画化もされ世間的にも名の知れた名作短編集である。けれども、この小説で語られるような、貧民街で人間臭さを剥き出しに生きる庶民の人生のかなしさと愛おしさに、最近は少し目を背けたいような思いでいることに気づいた。
 泣きながら何度も繰り返して読んでいた頃のわたしの心を思った。「お勧めの本を貸して」と言われ、大切な思いでこの一冊を選んで貸したこともあった。「全部は読めなかった」と返してきた人の心を思った。

 世渡り下手で不器用な、世間的に落ちこぼれた人達に対する、作者の優しい視線の感じられる話が好きだった。ずっと好きだった。
 けれど、心に少しでも余裕がある時でないと、しみったれた話を受け止められないのかもしれない。
 今は、できれば底抜けにハッピーな話が読みたい。

   職安の二十八人待ちの間に周五郎読み泣くなよ、わたし

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 妹の結婚式に出席しました。入籍は既に済んでいて妹の名字も変わっていたのだけど、やっぱり式を挙げると実感が違うなあって思いました。結婚って、一大事業なんですね。

 妹のウェディングドレス姿はとてもきれいで、初めてお会いした旦那さんも優しそうで、親戚も久しぶりに集って、あったかい、笑顔あふれるいい式でした。わたしは、自分がドレス着て主役になってみんなに祝福されるという図が全く浮かばないので結婚式願望はこれまでなかったのだけど、結婚式を挙げたい人の気持ちがわかってきた気がします。お祝いの拍手をしながら、がらにもなく「自分の結婚式は」なんて考えてしまった自分に自分でびっくりしました。

 わたしは絵を習っていたことがあるのですが、今は全然描かないので、時間もお金も無駄にしたと思っていました。でも、この度、頼まれて妹の挙式のウェルカムボードを描かせてもらいました。
「似顔絵は似てなくてもいいよ、お姉ちゃんに描いてもらうということに意味があるんだから」という妹。姉としても、一生に一度のお祝いごとに、こんなふうに役立てたのがうれしい。もしかしたらこの時のためにあの頃があったのかもしれない、と思うことにしましょう。
 絵描きとしては素人ながら、招待客の方々が、それと知らず写真に撮ってくれたりもしていて、なんだかむずがゆいような報われたような思いもしました。
 ウェルカムボードには「短歌も添えて欲しい」とのリクエストで、一首詠みました。おめでとう、お幸せに!

  しあわせに彩られゆくはじまりのひと日に清きヴェールの色は


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縦に割り肉を詰めたるピーマンの二つになるを一人で食みおり

  そろばんの先生はもうそろばんを教えてなくて農家でパート

  故郷のなすときゅうりにベランダのしそを刻んでだし作りおり

  震災ののち関東の子の元へ引き取られてくお年寄り達

  山形のだしは家庭の味にして我が家のほかの味はわからず

  薄い壁越しに花火の音を聴き裸でそうめん茹でる 一人だ

  新しいアドレス帳に移さない去年花火を共に見た人

  後ろ髪自分で切って失敗しても結わえてしまえば誰も気づかず

***

 こういう短歌を自分らしいと思っていて、自分の中のこういう感性を守りたい、自分の心が変わってゆくのがこわい、と思っていた頃がある。今はもう、短歌より、変わりゆくわたし自身を大切にしたい。そうして、あたらしい短歌を詠みたい。
 
***

拍手お返事はつづきからご覧ください。

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あるブログが消えてしまっていたことに気づく。忙しくて更新が滞っているとか、飽きて放り出してしまった、というわけでなく、「消そう」と思った、ということを思う。
 わたしは、この頃パソコンの前にいて、どこかこわくなることがあるのだった。パソコンによってもたらされるものより、この目で直に見えるもの、この手でさわれるものをほんとうはもっと大切にしたい、大切にしておくべきだった、と。

 ブログを書かれていた方と、一度お会いしたことがあった。東日本大震災の数月後、震災関連の仕事で仙台に見えるこということで、休みを合わせて一緒に青葉城へ赴くことになった。松島という案もあったものの、当時はまだ電車がそこまで復旧していなかった。
 「次は松島に一緒に行こう」と握手をして、別れた。あたたかい手だった。ほんとうにまた会えるような気もするし、もう会えないような気もする。もしかしたら、忘れられてしまっているかもしれない。それでも、あのタイミングで会えてよかった。
「しあわせにおなりなさいな」という言葉をもらった。何度思い出しても泣きたくなる、わたしの宝物。約束どおり、しあわせになりたい。ならなきゃと思う。いつかまた会えたら「しあわせになりましたよ!」って笑って言えるようになっていたい。

  最後かもしれぬデートで君に告ぐ言葉をずっと考えている

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 実家がら宅急便で野菜が届いだ
 人参ば包んであっけ広告の裏さ
 なにが書いであるなぁって見でみだら
 「山に草取りに行きます」
 下手くそなばあちゃんの字

 そういえば昔
 ランドセルしょって家さ帰っど
 机の上さ置いであっけ
 「ばあちゃんより
 とだなにあります。
 ます。さつまいもが
 はたけに行ってまいり
 ばあちゃんは
 ともみへ」
 変な文だにゃあーって
 友達と何度も読んで笑たっけ

 現代の子供だは
 携帯電話ですぐ連絡がとるいがら
 置ぎ手紙あて
 知ゃねんだべな
 字もろぐにわがんねばあちゃんが
 誰も居ね家さ帰て来るわたし宛でに
 一生懸命書いだ
 左がら読む縦書ぎの文あて
 知ゃねんだべな

 ほだなごどば考えだら
 偶然まぎれ込んだだげの
 さっきまで人参ば包んでだけ広告が
 宝物みだいに見えできて
 投げねでとっておぐごどにしたんだは


***

 サンリオ『詩とメルヘン』2002年1月号方言詩のコーナー掲載作でした。
 やなせたかし先生はわたしの恩人です。昔、どうしようもなかった頃、『詩とメルヘン』に詩を掲載していただいて、評をいただいて、わたしも捨てたもんじゃないなって、心が救われました。
 『詩とメルヘン』には3回掲載していただき、原稿料というものもいただきました。お知らせの、キティーちゃんの描かれたサンリオの封筒は、あれから10年以上経った今でも捨てられません。
 思えば、短歌をはじめたきっかけの一つとして、『詩とメルヘン』で目にした東直子さんや植松大雄さんの特集で短歌に惹かれたから、というのもあります。
 相変わらずわたしはどうしようもなくて、初めて雑誌に自分の言葉を載せていただいたこの頃より全然進んでいなくて、それでも、やなせ先生に詩を選んでもらえたということは、わたしの人生の中できらりと光る勲章なのです。感謝してもしきれないです。ご冥福をお祈りします。

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 わたしの思うしあわせというものを、整理してみる。

・わたしの作るご飯を食べたいというひとのために手料理を作って、今日あったこととか他愛ない話をしながら一緒に笑って食べること。そして、そうした日々が恒常的に続くという確信に、安心していられること。
・こわい夢から目覚めたときに、握れる手のあること。また、自分が触れることによって相手を安心させてあげられること。
・身ごもったときに、子の父である相手に「でかした!」とよろこんでもらえること。
・助手席に乗せてもらって、海や川、山や地域の文化を見たり、温泉などに行けること。
・桜、花火、紅葉、月などを一緒に眺める相手のいること。
・共に暮らすひとと本棚を共有できること。
・みんな、の中に当たり前のように自分が含まれていること。
・ほんわりした相聞歌を詠めること。
・素直な無理しない自分でいられること。
・おばあちゃんになったときに、長く連れ添ったおじいちゃんがとなりで笑っていてくれること。

 一人でまかなえるかたちのものがなくて、つまりは、わたしは分かち合うということを大切にしたいのだと思った。昔は、もう少し目線が自分に向いていた気がする。自分がこうなりたい、こうなって褒められたい、というような。「しあわせになりたい」と言いつつ、漠然としていて、具体的なイメージが持てなかった。今は自分の求めるそれがはっきりとわかる。もちろんこれだけじゃないし、細かいことをあげればきりがないほど増えてゆく。ただ共通しているのは、根差した場所でおだやかに笑っていたい、ということ。
 願う前からあきらめていた頃がある。でも、求められていない自制なんてする必要ない。願うだけなら自由だって、気づけてよかった。

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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