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川が好き。山も好き。
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 父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。仕事用の小さな黒い手帳が十数冊。仕事の愚痴だらけで、まるで小学生のような文体で、ちっとも褒められた内容ではなかった。普段は仕事の愚痴なんてほとんど口にしない父だったけれど、こうやって人知れず日記に吐き出して解消していたのか。どこか飄々としてマイペースな人だと思っていたから、意外だった。
 読み進めながら、よく耐えてるな、ってつらくなった。つらくない仕事なんて、きっと、ない。生活のための仕事だ。父は定年まで勤めると言う。
 家族に感謝しようと思った。今までだって、野菜を送ってもらったり、震災の時に駆けつけてもらったり、感謝をしていなかったわけじゃない。けれど、もっと深いところで分かり合えてゆくのだろうと思った。

 以前、願いごとを紙に書くと叶う、なんて話を聞いて「指輪をもらう」とノートに書いておいたまま、しばらく忘れていた。そしたら、母に真珠の指輪をもらった。婚約指輪や結婚指輪を思い浮かべて書いたつもりだったけれど、願いが叶った、ということにしておく。

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高校生の頃だったと思う。一階の仏間で寝ている曾祖母が、ふいに一緒に寝ないか誘ってきた。
 その頃のわたしは二階の一人部屋にすっかり慣れ、眠りに就くまでの時間に好きな漫画を読んだりするのが楽しかった。意味もなく夜更かしもしたかった。ごく私的な一人の時間だった。
 別に、毎日一緒に寝よう、といわけでもない。たった一日のこと。それでも、わたしは曾祖母の誘いを断った。子供の頃は一緒に寝ていたこともあったとはいえ、もうお互い毎日一人で寝ているのだし、たいした願いごとのようにも思えず、軽く考えていた。

 今日、突発的に、帰省することにした。この頃、身の回りが落ち着かなくて、心がざわざわしている。母と父の間で眠りたいと思った。
 一人で眠るようになって以来、もう長いこと、一人じゃないと眠れないと思っていた。一人で眠るのは楽だった。でも、今、たぶん今だけは、一人じゃ眠れない。いい大人になってこんな子供みたいな気持ちになるとは思わなかった。或いは、いい大人になったからこそ、誰かと眠ることにやすらぎを求めたくなるのかもしれない。先日お邪魔した年上の女性が、一人暮らしで犬を飼っていたように。
 
 あの日、曾祖母が今のわたしと似たような気持ちだったかはわからない。けれど、一緒に寝てあげればよかった。たった一日でも、一緒に寝てあげればよかった。

  ふかふかの羽毛布団に沈むときみたいに心受け止められたい

***

拍手お返事はつづきからご覧ください。

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 先日、郊外の寂れたアウトレットショッピングモールへ行った。外国の街並みを思わせる外観はテーマパークにも似た雰囲気があったものの、中に入ると閑散としていて、観覧客のいないステージではよくわからないアイドルが踊っていた。
 一昔前は道路が渋滞するほど賑わっていたとのこと。けれども、時はそのままに留まってくれないのだった。

 10年分ほどの日記を読み返す。昔のわたしは今よりもっと心の在り方が痛々しくて目を背けてしまいたくなる。けれど、日記を読み返すまで忘れていた出来事や気持ちもいっぱいあった。その時その時でこんなに思い詰めていたのに、過去になってゆくんだ、と思った。
 今の自分だって、いつか過去になってゆく。今はその、いつかの訪れるのが少し待ち遠しい。

 初めて訪れたから、ずい分遠い場所だと思っていたアウトレットは、帰宅後に地図で見てみると割と近場だった。車に乗れないわたしは生きている世界がほんとうに狭くって、見える視界がほんとうに狭くって。

  地図五枚印刷したってほんとうに迷っているのは人生の方  

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 わたしは体質的にお酒が飲めないけれど、飲める体質だったら溺れただろうな、と思う。だから、飲めなくてよかったのかもしれない。

 自分では、依存体質ではないと思っていた。一人で過ごすことも平気だし、パチンコにも興味がないし、携帯電話だってしょっちゅう家に忘れてしまうくらい触らない。決して心の強いわたしではないけれど、それでも自分一人の足で立っていると思っていた。
 ふと、好きだったはずの読書が停滞していることに気づく。それは、本について語れる人が遠ざかってからのような気がする。そういえば、食べてくれる人がいなくなれば料理も凝ったものを作らなくなるし、聴いてくれる人がいなければピアノも弾かなくなる。映画を見に行けば感想を話したくなるし、旅行に行けばお土産を渡したくなる。元々は一人で没頭していたことだったのに、誰かと分かち合うよろこびを知ってしまえば、一人で楽しむことに物足りなさを覚えてしまう。誰かを意識するようになってしまう。自分の中にこうした依存心を見つけたとき、なんて弱いわたしだと思った。なんて薄いわたしだと思った。

 お酒の飲めない体質に生まれたのは幸運だった。きっと自分を失くしてしまう。自分を見失わないように、誰のためでもないわたしの「好き」を大事にしよう。わたしがわたしらしく生きられるように。
 
  酒タバコ賭け事もせず恋もせずおだやかな日々を送っています

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  今頃わたしの田舎では
  小金の色の稲の穂を
  家族みんなで刈っている
  背中を丸めて刈っている
  朝から晩まで汗流し
  お茶とお菓子とおにぎりで
  お昼になったら一休み
  周りの田んぼを見渡せば
  同じような家族が三つ
  家に帰れば夕飯は
  イナゴの佃煮 タニシ汁
  昔ながらのわが家の
  当たり前の秋の日を
  今年は離れて一人きり
  昨日のスーパーの特売の
  産まれのしめじで
  炊き込みご飯を炊きながら
  遠く思う
  そんな秋の日

***

 詩とメルヘン2002年10月号に掲載していただいた詩でした。この頃はまだ短歌を詠んではいないのに七五調なんだな。
 今はもう家族で稲刈りをすることもなく、懐かしい話になりました。
  

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 十五夜のお月さん、きれい。
 この先に、もしもわたしが女の子を産むようなことがあって、その日が月のきれいな夜だったら、月子と名づけたい。雪の降る日だったら雪子、風の気持ちよい日だったら風子、と。

  満月がレースのカーテン越しに見え隠れするって伝えて笑う

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 先日、犬を飼っている家にお邪魔した。首輪も鎖もなしに室内で飼われているマルチーズは、そりゃあもう自由で、吠えたり、走ったり、擦り寄ったり、舐めたり、散らかしたり、いなくなったり、手に負えない子供のようであった。
 その度に飼い主に怒られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 以前、別の友達の子供が、わたしの部屋に来た時のことを思い出した。ようやく自分の足で立つことを覚え、それでもまだ言葉を知らない幼児は、わたしの部屋で泣いたり、笑ったり、口に物を入れようとしたり、吐いたり、狭い台所を一人で行ったり来たりしたり、転んだり、そりゃあもう自由であった。
 その度に母親に叱られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 福祉施設の、認知症で子供のようになってしまったおばあちゃんを思い出した。泣いたり、笑ったり、怒ったり、わがままを言ったり、聞き分けがなくなってしまったり、思いつくままにしゃべったり、そりゃあもう手のかかる子供のようであった。
 その度に職員さんに困られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 どうして愛おしいのか気づくとき、自分に足りないものがわかる気がする。あまりに簡単で、思いのほか難しいこと。子供の頃はできていたかもしれないのに、大人になってからは難しくなってしまったこと。

  犬がわれに飛び寄る時のまなざしを覚えておこう探してゆこう

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 台風が近づいている。雨風の落ち着いているうちに、と履歴書用の証明写真を撮りに行ってきた。
 歴代証明写真をながめる。若い頃の方がいろいろひどい、若いのに。20代後半から安定してきた気がする。自己否定感が容姿にも表われていたんだなと思う。年を重ねるにつれ、粗をお化粧でごまかす術を覚えてきた、というのもあるけど。

 昨日は両親が来てくれた。ほんとうは、わたしの方が両親に旅行などプレゼントすべき年頃なのに、食欲をなくして痩せ細ってきたのを心配されてステーキ定食なんて奢ってもらう始末。つくづく情けないし、申し訳ない。でも、心配してもらえてうれしかった。これが昔だったら、なんて、昔のことももう水に流したい。いつまでたっても子供みたいだって、わたしももういい大人なのだから。

 なくしたと思っていた、木彫りの猿の御守りが見つかった。春、定義山へ赴いた際、母に買ってもらった開運招福御守り。普段使いのバッグのポケットの奥底に入ってあった。なくしたと焦っていたのに、知らず、いつも持ち歩いていたのかと思うと、なにかおかしかった。
 そんなふうに、しあわせも身近なところにあって忘れた頃に見つかればいい。これからいいことの続く兆しでありますように、と猿の頭をなでた。

  大人にはなれず子供のままでなどいられず春菊食めばおいしい

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  長椅子で「絵本読んで」とねだる子のリュックに御守り三つ揺れおり

  幼子は守られており御守りを贈った大人等のまなざしに

  二年前の火傷のあとはもう消えてしまった あんな赤かったのに

  触れもせず診察は終え鋏にて切り取られたる皮膚の一片

  肌と呼べば月夜の匂いするものを皮膚と呼びては温度をなくす

  細胞は半年すれば変わりきり去年のわたしどこへもおらず


***

 皮膚に不調があり、以前に火傷の処置で通った皮膚科へ再び訪れた際に。かつて同じ待合室で読んだ借り物の詩集のことなど思い出しつつ。

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  この街に暮らす理由も故郷に帰る理由もなくミカン食む

 と、いう短歌を数年前に詠んだ。それなりにうれしい評もいただけて、自分でも大切な一首になった。
 けれども、ほんとうはこの頃、いろいろ割と安定していて、この街に根を張るような予感も少なからずあった。
 作り話を詠んだつもりはなかった。人生で最も満たされていた時期でありながら、それを認めるのがこわかった。それは、ぶきようさではなく、ずるさであるようにも思う。自分の心をはぐらかして、何を守ろうとしていたのだろう、わたしは。

 自分の中にずるくていやらしい甘えた部分があって、なにかうまくいかない時、それは震災や誰かや何かのせいではなく、自分のそういう部分が原因なんだって、ほんとうは気づいてる。
 うまくいったこともうまくいかなかったことも、全ては自分の心が引き寄せたものだということ。
 
***

拍手お返事はつづきから。

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おとも
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女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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