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川が好き。山も好き。
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銀行へ行って、口座を一つ解約してきた。今年の一月に勤め始めて三月に辞めた仕事の、給与振込先として指定されて作らされた口座。もう用はない口座。この時期のことは記憶から消えてゆくのだと思う。人間はそういうふうにできてる。短歌にも詠んでないし、思い出す気もない。
 
 郵便局へ行って、参加する短歌冊子の費用を振り込んできた。冊子の趣旨においての、自分の役割、立ち居地のようなものを考える。わたしにしか伝えられない事実がある。
 今は歌が詠めない、とこぼした時、先輩方に「詠んでほしい」と言ってもらえてうれしかったし、「今回は無理しなくても」と言ってもらえてうれしかった。
 搾り出すように詠んだ歌だったから当然のごとく「投げやり感」「粗っぽい」「幼い」等々の辛口な批評もいただいたけれど、そうした心情を残すことにも意味があったと思いたい。
 
 図書館にも行った。これからのひと月は、実家か図書館で過ごす時間が多くなるのかな、と思う。わたしの部屋には昭和時代製の扇風機しかないから。熱中症による死亡防止のため、生活保護世帯でさえクーラーを推奨されているというのに。
 山本周五郎作品の女性について書かれた本を読んだ。山本周五郎作品の女性はいじらしくて可愛い。それにしても、今読み返すと、わたしの好きだった話は貧乏だったり親に捨てられたり世間から落ちこぼれてるようなものばかりだ。今読み返すと、少しつらい。わたし、山本周五郎ばかり読んでいた頃、いろんなことをあきらめていたなあ、って思い出した。たぶん、今も。
 黒澤明監督の『海は見ていた』の脚本と絵コンテの本を読んだ。予算の都合で黒澤監督は断念したそうだけれど、後に熊井啓監督が映画化したものをDVDで見た。原作は山本周五郎の岡場所もの『なんの花か薫る』と『つゆのひぬま』、どちらも好き。黒澤監督は当初、ヒロインとして宮沢りえさんを想定していたそう。わかるなあって思う。でも、実際に主演した遠野凪子さんも悪くなかった。今のようなエキセントリックなキャラが表立つ前のこと。最近の、私生活での彼女の離婚に思いのほかショックを受けている自分がいる。なんだろう、この気持ちは。ACの生きにくさを知っているから、しあわせになってほしかったのかもしれない。映画は、「こんばんは」と書いてある小道具の提灯がいいなって思った。かわいい。

 四月に新しい仕事にありつけたけれど、七月後半まで休職することになった。

  図書館へ行くね 図書館ぐらいしかわたしの行ける場所はなくって

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一人きり部屋で過ごしていたいけど誰かと家で暮らしていたい

 と、いう歌を詠めた時、たしか2006年のことだ、自分の心を素直に言葉にできた気がして、ひどく満たされた覚えがある。意気揚々と某コンテストに応募した。意気揚々と某コンテストに応募したものの、箸にも棒にも引っ掛からなかった。

 けれど、今ならばわかる。今のわたしは、この歌に共感できない。たぶん、多くの人がこの歌に共感できない。選外も当然。今ならばわかる。

 わたしの育った家庭には、団欒がなかった。今でも、ない。だからかもしれない、家の中では自室で一人で過ごしている方がよっぽど心地よかった。そのためか、一人暮らしを始めて、ある種のさびしさは覚えても、ホームシックにはかからなかった。或いは、ホームシックにかかるようなわたしだったら、うまくさびししがれるようなわたしだったら、人生をもう少しなんとかできていたのかもしれない。かつてのわたしは一人に慣れ過ぎてしまっていたし、頼りない思いをしても我慢する以外の方法を思いもつかなかった。

 一人の時間は大切。けれど、一緒に同じ時間を分かち合えるような誰かが人生には必要なのだと、震災やそのほかの喪失をあじわって、切に思うようになった。

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乱切りにした古川なすを水に浸して
灰汁抜きをした後
片栗粉をまぶして油で揚げる。
揚がったら鍋に移して割下で煮る。
割下は自分で作ってもいいのだけれど
面倒なのと美味しいのとで
この頃はもっぱらヤマサの昆布つゆ。
常備しているおろし生姜チューブも搾り出す。
なすにはたいた片栗粉のおかげで
揚げるときは型崩れを防ぎ
煮るときにはとろみがついて
一手間かけた甲斐があった。
安売りで量も多かったので
三食で食べても完食には三日はかかるだろう。
保存パックで冷凍していたご飯を温め
冷蔵庫から秋刀魚を取り出す。
昨日に刺身で買ったものの
一時に食べきれず
生のままでは痛むので火を通しておいた。
今日の弁当用に焼いた
チーズオムレツの残りもあったので
明日まで置くのもなんだし
夕餉に食べてしまうことにする。

一メートル先のテレビを見ながら
部屋の真ん中のテーブルで食事をする。
格別美味しいわけでも
手の込んだわけでもないものの
それなりに舌も腹も満たされる。
できれば汁物も欲しいところだけれど
コンロが一つしかないから
おかずついでには作れないし
一杯分だけわざわざ作るほどでもない。
食後のコーヒーは一杯分だけドリップする。
テレビのチャンネルをころころ変える。
忘れた頃に食器を洗う。
「ごちそうさま」と「お粗末さま」は
忘れたわけでなく言ってない。

***

 2008年の詩。一人暮らしを始めた1999年から2009年までのこうした生活を、こうした詩を、わたしは今、当時よりさびしく思うのでした。なんにも知らない、それでもこうして生きてゆくほかない、狭くて小さな20代でした。

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 近所に住んでいた友人が、いつのまにか引っ越していた。数年前は、数月に一度、数人で飲んだり、お家にお邪魔して話が尽きず夜まで語り合うような仲だった。友人が出産した時はもうちょっとゆっくりしててもいいのにってくらいの翌日にメールで知らせてくれたし、わたしが失恋した時は夜中までなぐさめてもらった。震災時にも、プロパンガスで復旧の早かった自宅のお風呂を貸したり、テレビの配線を直してもらったり、物流の滞る中で入手した食料を分け合ったり、いろいろ助け合った。震災以降はなにかと忙しくなってしまい、約束はしたものの延期延期で結局もう3年会えず仕舞いだったけれど、近所に友人がいるということは、田舎から出てきて頼りない一人暮らしの身には心強かった。
 
 さびしい。さびしいけれど、しょうがない。わたしの友人である前に、夫や子の妻や母なのだし。独身時代から住んでいた部屋が手狭になってしまうほど、子は大きくなってゆく。ずっと同じままでなんていられない。震災後、友人がずっとしんどかったことは知っていた。引越しして心機一転できたのは友人の人生にとって良かったこと。さびしいけれど、わたしのための友人ではないのだし。

 友人と久しぶりに電話で話をした。うれしいことをいっぱい言ってもらった。覚えてる、2010年の6月にお家に遊びに行った際も「しあわせはこれから出会うんだよ」って言ってもらった。そしたら、それからしばらくしてほんとうに、いっ時とはいえ、わたしはしあわせになれた。同じようなことを言ってもらったから、あの時のように、またしあわせになれたらいい。でもきっと、うれしい言葉を言ってくれる友人がいる、ということが、すでにしあわせなのだと思う。

 それにしても、さびしい。

  諭されればそんな気もする「しあわせはこれから出会う」と子を持つ友に

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  浮かんでは消えゆく言葉言葉ほどあてにならないものもなくって

  言葉ほどあてにならないものもなくそれでも言えばよかった言葉

  素直にはなれないことは嘘吐きということ自分の言葉がこわい

  しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ

  ひとりごとがほんとうにひとりごとならば言葉はさびしい各駅停車


***

 五首目の歌を、百葉集に載せていただきました。百葉集に載せていただいたのは初めてです。うれしいです。
 
 歌を詠んだ、というより、気持ちを五七五七七に当てはめた、といった感じで、くるしい。

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折に触れて震災のことは書いてきたし、一年目、二年目もこの日は更新してきたので、義務のような気持ちで、文字を打ってはみるものの、気持ちがまとまらない。
 不思議、ほんとうに震災直後は不安だけど元気だった。がんばらなきゃがんばらなきゃって。当日は自分がこんなにも一人ぼっちな気はしてなかったから。帰る場所も待っててくれる人もいたような気がしてたから。みんなでがんばろうって。

 つらい。震災以降の不調と、震災以前から抱えていて震災で浮き彫りになったわたし自身の心のずれや思い違い、もう頭も心もいっぱいいっぱいで。短歌にすることで整理をしたり、そうした短歌が褒めてもらえることで自分を見失わないようにできていたところも、以前はあったのだけど、今はそういうものでも埋まらないみたい。なんだかんだいって去年の記事はまだ余裕あったよね。つらかったけど、これからはこんなふうに生きてこうって。前に進んでゆけるものと思ってたのに。

 手を握りたい。

 震災以前のわたしはどうして自分の中のそうした感情に気づかなかったんだろう。ずっと一人で、ほんとうに一人で、そうした安心感を知らずにいた時期が長かったから。知らないぬくもりは欲せない。知らないって、かなしいことだ。気づいてたらよかった。そしたらまるく収まったのに。わたしが自分の本心に気づかなかったから、わたしのせい。
 ろうそくの頼りない明かりの中、避難所で知らない人達にまぎれ一人で眠った夜も昨日のことみたいだ。
 こわい夢を見るから、目が覚めたときとなりに心ゆるせるひとがいてほしい。寄り添って眠りたい。人が番う理由が今は切にわかる。みんな同じ気持ちなんだって。わたしが震災前まで知らなかっただけで。

 読んでもらうためじゃなくて吐き出したいだけの文はここには書きたくないのに。そういう思いは短歌の形にすれば見られものになるかもしれないのに。歌を詠む力も残ってない。今日だけはゆるして。後で恥ずかしくなって消したくなると思うけど、消さないことにするね。今も恥ずかしい。
 仕事にも、人にも、短歌にも、愛されていた時、愛されるような自分だったよ。でも今はそうじゃない。そうじゃなくなってしまった。

 一人じゃ生きてゆけない。一人じゃ生きてゆけないよ。たすけて。きて。



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『また巡り来る花の季節は 震災を詠む』(講談社)という本に短歌を掲載していただきました。短歌と短文、本の帯にも短歌を載せていただいているようです。まだ現物を見ていないのですが。昨年のハートネットTV「震災を詠む2013」の書籍化になります。タイトル、いいですね。

  「たすけて」と言えれば会えたかもしれぬ夜に一人で過ごす避難所

 こうした歌を、詠まずに済めばよかった、と思うのです。被災した当時、なんであんなに自分の不安を押し殺して気丈にふるまえたのか、不思議でなりません。避難所でも、自宅でも、余震の中一人で、どうして誰とも言葉を交わさず一人で過ごせてしまったのか。
 あの頃は、自分が無事であるということがただただ幸運でありがたくて、わたし個人のかなしみというものを見失っていたのかもしれません。また「震災のごたごたが落ち着いたら、以前のような日常に戻るから、だから今は少しつらくても大丈夫」そんなことを信じていたのでしょう。2011年の春、わたしは変に元気でした。

 三年経って、傷は癒えるどころか膿んできたような気さえします。あ日のまま、立ち止まったまま、前に進めないのです。
 震災前のわたしはしあわせで、それまでの人生の中で一番しあわせで、好きな仕事ができて好きな場所に行けて好きな人達に囲まれて、このまましあわせになってゆくものだと思っていました。

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  酔ったらばあらわれるという正体を酔えないゆえに一生知れず

  酔えもせず吐いてしまいぬああわたしどこへも逃げる場所がなくって

  震災の前に誰かが置いてった梅酒ふた瓶まだ手をつけず

  溺れたりきっとするから前もって酒の飲めないわたしと思う

  人生はなぞらなくてもいい幾ら石垣りんが好きだからって

  過去のことばかり綴ってある日記たしかにわたしが書いたのだけど

  バスのなか角田光代を読みており明日は予定のない日曜日

***

 先々月、先月に続き、今月も新樹集に載せていただきました。なんだかほんとうにありがたいです。以降は欠詠が続くのだけれど。

 選歌後記で、石垣りんは働きながら詩を書いた人である、というような説明があり、五首目の歌が働きながら詩を書きたくない、というように読めてしまうかも。確かに定年まで勤め上げた詩人だけれど、そんなふうに一つの仕事を慎ましやかに続けられたことは、むしろあこがれ。わたしにとって石垣りんの印象で大きいのは、(意思を持って)生涯独身を通した、というところ。わたしは長いこと恋愛に抵抗感があって、以前のそうした頑なな心を悔いているのでした。今はもう、素直にしあわせになってゆきたいと思うのです。

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神様を信じていないわれなれば「おかあさーん」って泣くほかはなく

  川の字の真ん中で眠りたくなって高速バスに乗り込む夕べ

  父が日記見せてくれたり声にせぬ仕事の愚痴が並びておりぬ

  チクショーと父が叫ぶを聞いたことなし日記には何度書かれど

  もう母も父も故郷も悪者にしない川の字の真ん中に居て
 
  深夜二時川の字の中を抜け出して子供に戻れぬ身を自室へと

  つらくない仕事はないしつらくない大人もいない日記を閉じる

  歩道橋を慣れない靴で渡りおり これでよかったこれでよかった

***

 先月に続き、今月の新樹集に載せていただきました。入会から一年で三度も新樹集に載せていただけるなんて、ありがたいです。
 
 しあわせな歌を詠いたい。しあわせな歌を詠えるような人生を送りたい。歌は褒めてもらえなくていいから。正直なところ、「これでよかった」とは思えていない。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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