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川が好き。山も好き。
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新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今年の年末年始も昨年と同じく故郷の実家で過ごしました。地元は雪国で、水墨画のような景色です。自分の部屋の窓からも、もう雪しか見えないくらい真っ白で、よくここに18年暮らしてきたなあと、自分でも思うくらい寒いし、不便です。実家で飼っている犬は、よろこび庭かけ回っていました。
 
 ネット環境のない実家では、好きな歌集を書写して過ごしました。一人暮らしの自宅に居るとなかなかこうした時間はとれないので、すごくぜいたくな気分です。あとはもうだらだらテレビを見たりもしたのですが、こたつ、あれはもう魔物ですね。ちょっと横になってしまえば眠ってしまう。一人暮らしの部屋には無い物で、絶対に導入してはいけないと思いました。こたつのある生活なんて、わたしがだめ人間にきっとなってしまいます。

 初詣は天童市の若松観音へ。初めて祈祷というものもしていただきました。ご利益あるといいなあ。おみくじは大吉、うれしいことばかり書いてあってうれしいです。雪の中食べた、こんにゃくの味噌田楽が美味しかったです。

 今年の抱負は、というかもう毎年だけど、自分の心を一番大切に、です。水の流れるように、ゆるーく、澄んだ気持ちで、あんまり気負わず流れに身を任せて、おだやかににこにこできる一年にしたいです、そりゃあもう春のように。

  新しき年の初めの積み雪にレターボックスまでの足跡

***

 実家滞在中に父の誕生日があったので、りんごのケーキを焼きました(りんごがいっぱいあったのです)。小麦粉、卵、バター、砂糖が全て100gという一番簡単な基本のパウンドケーキを元にしようと思ったのですが、実家に計量器がなかったので勘で目分量で。恐る恐るながらそれなりにできました。りんごは薄切りにして半分使ったのですが、もう少し厚く切って一個丸々使ってもよかったみたい。パウンドケーキのレシピなのに、パウンドケーキ型ではなく21cmのスポンジケーキ型で焼いたので薄い仕上がりです。


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今年の年末年始も故郷の実家で過ごすことにしたので、今年最後の更新になります。今年という一年は、特に前半は心も体もぐちゃぐちゃしていてあんまり記憶にないです。夏頃に思い切ってすっぱり休養して療養に努めたら落ち着いてきました。あのまま沈んでいたら散々な一年でしたが、少しずつ調子の戻ってきて、今こうして文章をかけていることがうれしいです。そう思えば、休養の大切さを思い知った一年、だったかもしれません。
 短歌の方はもう一生詠めないんじゃないかってくらい詠めない時期があって、結社では欠詠が続き、新人賞にも応募できなかったことに悔いが残ります。心身の休養を経てからは再び作歌もできるようになってきました。

 年末年始、帰省している間に、34歳の誕生日を迎えます。東日本大震災以降、自分の時間が止まっていて、自分の実年齢に心がついてゆけません。年相応に人生経験も積んでゆかなければ、とは思うのですが。 年上の方々からは「若い」「まだ若い」とは言われつつ、多くの同世代の人達が当たり前のように持つようになる様々なものをほとんど手にしていないこの身を、やはり頼りなく思います。だからといって変に焦ったり振り回されたりすることなく、自分のペースで歩んでいった方がいい、ということもわかるようになってきました。この年齢になっていろいろ思い悩むこともありますが、自分らしさを忘れずに、余裕を持っておだやかに生きてゆきたいです。

 さて、時々ブログにコメントをくださるねこさんから、わたしの文章を読むと林芙美子を思い出す、というようなお言葉をいただいていたのですが、なんと、わたしと林芙美子は同じ誕生日の12月31日生まれであることがわかりました。偶然なのだろうけれど、不思議な縁を感じてしまうのです。
 もう一つ、不思議なめぐり合わせがありました。一時期、親しくしていたひとと共通の趣味である古い映画のDVDを一緒に観ました。主に、小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明、木下恵介監督作品など。最初に観た映画が高峰秀子と森雅之の『浮雲』で、最後に観た映画は『めし』ヒロインは原節子でした。その最初と最後に観た『浮雲』『めし』の原作が、二つとも林芙美子の小説だったのです。たぶん相手も意識していないし、わたしも数年後に気づきました。林芙美子に始まり林芙美子に終わったこの偶然を、伝えてもいません。わたしだけが今こうして一人、なにか感慨深く思っているところです。

 それでは、今年一年、当ブログにお越しいただきありがとうございました。どうぞ良いお年を。

  俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 鐘の音聞こゆ

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数えてみたらわたしの部屋にコーヒーカップ及びマグカップが10個あった。湯呑み茶碗も加えれば12個になる。

 普段使いのは実家暮らし時代から使ってた一番古いお気に入りの白地にシンプルな花鳥風月の絵のコーヒーカップ。昔はこのカップをメインで使っていたけれど、今は主に薬を服用する際に使っていてサブ的扱い。今飲み物用に使っているのは無印良品で買った耐熱ガラス(アクリル?)の。透明で大きいので夏はグラス代わりにもして重宝している。
 あとは簡単な来客用に100均で買った2つ。主に両親や友人が来た時に使っている。バラバラな時期に買ったので柄もバラバラ。
 そして新潮文庫のYonda?CLUBの応募券を集めていただいた景品ペアマグカップ。一つは職場で使っていて、「それって新潮文庫のだよね」なんて気づいてくれる人がいてうれしかったりした。愛用していたけれど、転職してマグカップ持ち込まない職場に代わってからは出番がなくなってしまった。この先にマグカップ持参の職場にめぐり着いたらまた活躍することでありましょう。ペアの方も、ペアの人が現れたら。
 それから昔の勤め先だった飲食店のクローズの際に処分品をいただいたお揃いの白いコーヒーカップ3つ。多数の人が集まった時にでも使いたいと思っていたけれど、そんな日は訪れないまま仕舞いっぱなし。でも3つ揃いっていつか必要な気がして。来客用の100均のをお払い箱にしてこちらを使用すればいいのだろか。でも割れてもいないのに交代させなくともいいとも思って、そのまま。
 とくべつな思い入れがあるのは、職場だった飲食店にお客様として現れたものの、体調を崩して倒れかけたお年寄りの方からいただいた蓋と茶こし付きマグカップ。具合の悪いのを介助したところ、回復した後日に、わたしのために選んだのだ、と職場まで届けに来てくださった。一度も使ったこともなく箱に入ったままだけど宝物。わたしはたいしたことはしていないのに、満面の笑顔でお礼を言ってくださって、お礼なんて別にいいのに、わざわざ後日来てくださったお心がうれしくて。そういえば当時は、助けてくれたお礼に後日カップをもらったことが恋の始まりだった『電車男』が流行っていて、似た状況を味わえたのがおもしろかった。もちろん、相手がおじいちゃんではそれ以上何も芽生えないのだけれども。
 いつか使いたいのは、妹の結婚式の引き出物だった夫婦湯呑み茶碗。まっしろな有田焼で、ころんとしたまるいかたちがかわいい。これを引き出物に選んだ妹のセンスがありがたい。ちなみに、両親などは同じ引き出物でも湯呑みのデザインが違っていて、両親のは渋い色でしゅっとしたかたちのものだった。わたしは自分に宛がわれたまるっこい湯呑みが気に入ってる。夫婦湯呑みなので、揃って使い始める日が来たらいい。その日まで仕舞っている。今のところ湯呑みはこれだけだけど、お茶も普段使いの無印良品のカップに淹れてるので使ってない。

 一人暮らしで、こんなに飲み物の器は要らないでしょ、と今さらに思う。半分以上も、一度も使われず仕舞ったまま。でも、なんだかどれも手離せない。だんしゃり、失敗。

  引き出物の夫婦湯呑みはいつの日かって二つ使おうと仕舞う

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同僚の、わたしより八つぐらい年下の女の子が、趣味としてコピックで絵を描いている、と言うので、手持ちのコピックを何本か譲ることになった。コピックはマーカーにして一本400円程度と値も張るので「いいんですか!?」と同僚さんは恐縮していた。けれど、わたしはもう絵は描かないし、描くとしても彩色は透明水彩やアクリル絵の具にするだろう。コピックはわたしの画風にも合わないのだ。処分しようかと思っていたほどだったから、丁度よかった。必要としてくれる人の手に渡った方がいい。

 手持ちのコピックの中から30本ほど、あげてもよさそうな色を選びながら、件の同僚さんになつかしいものを感じた。男の人には興味がないから結婚はしたくない、自分の趣味のために生きたい、と敢えて一度も定職に就かず派遣を転々としている彼女。どこか、昔の自分を見ているようでもある(わたしは転々とはしなかったけれど)。今のわたしぐらいの年齢になった時に後悔しないといいけどな、なんて余計なお世話に過ぎないことを思ったりしつつ、彼女の話を聞く時は「趣味があるっていいね」「芸術的だね」「自分を持ってるんだね」なんて肯定したりする。
 これが昔のわたし相手なら「ちゃんと就職した方がいいよ、趣味は趣味でしかないよ」と言うだろう。でも、昔のわたしが母などにそう言われても、当時はいずれ絵を描かなくなるなんて思いもせず、聞く耳を持たなかったことまで思い出す。同僚さんにしても、今の自分の意思でそうしているのだから、定職にも異性にも目もくれず自分の意思で趣味に生きることによってきらきらしているのだから、それでいいのだと思う。若さというのは、きっとそういうものだ。

 自分のところに残しておきたい色を選んでいたら、茶系と緑系の色ばかり残った。残ったコピックで、木でも描くのか、わたしは。

  部屋うちの全てのものが過去形と思う真夜中色のパステル

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嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう

  ゆるやかに解雇宣告されており麦茶のグラスに水滴増えて

  お座りといえばお座りする犬の黒い眼に見つめられおり

  日の影が映りゆくたび日の影に犬はおりたり犬小屋の前

  花束のような言葉が届きおり雨あがり受信ボックス開けば

***

 二首目を百葉集に採っていただきました。ありがたいです。体調を崩し過ぎてこれ以上仕事を続けさせるわけにはいかないという話し合いの場での歌でした。勧められた麦茶ばっかり見てた。そして犬のいる実家で療養生活に入る、と。
 塔12月号から入会して、12月号ももう3冊目、感慨深いものです。

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 失業保険も諸々あって受給しきれぬまま期限切れ、福祉の支援も受給資格が得られず、さて、この先どうやって生きてゆこうとあわあわしていた矢先、ひと月の期間限定ではあるものの仕事が舞い込んできたので、今、就労している。療養中でまともに社会復帰できるか心配だったし、未経験職だったから不安もあったけれど、ひと月だけならリハビリになるかも、新しい経験を積むのにそれくらいが丁度よいかも、と軽い気持ちで受けた。年末まで、と期間的にきりがいいのもよかった。

 この年齢になって初めて、座り仕事をしている。これまでわたしは立ち仕事ばかりをしてきて、座ってする仕事はどんなにか楽なのだろう、と長いこと羨んでいた。とんでもない! 実際に勤めてみれば、立っても座っても、仕事というものは疲れるのだなあ、と4時間半の残業帰りにしみじみ思う。それでも不慣れなエクセルを駆使しつつ仕上げた業務を「きれいなデータだった」なんて言われると、うれしい。
 短期の職に就くのも初めて、残業のある仕事に就くのも初めて、オフィスというような職場環境も初めて、初めてのことばかりで慣れないことばかりだけれど、さいわい人間関係にも恵まれ、新鮮な気持ちで仕事ができている。期間限定だからこの先のことは見えないことが心許ないけれど、今のこの経験は次というものに活かせるような気がしている。がんばる。

  履歴書を書くのにきた右の手でマーメイド紙に小鳥を描く


※過去絵。画像クリックで拡大されます。

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しあわせな歌が詠みたい誰からも全然ほめられなくていいから

 と、いうようなことを、この頃はもうずっと考えている。
 歌というものは哀しさ寂しさと波長が合いやすい。一般的に名歌と呼ばれるものもどこか物悲しさを帯びたものが多い。侘び寂びは日本の美意識だから。けれども、もう、ほめられるために歌を詠いたいわたしではない。わたしにとって大切なのは、良作と言われるような歌を詠むことより、わたし自身がしあわせになること。歌のためではなくて、わたしの人生のしあわせのために生きたい。
 歌はたぶんずっと詠ってゆくだろう。わたしがしあわせになってから詠う歌がつまらない歌だとしても、わたし自身がしあわせだったらそれでいい、と今は思う。

  しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ

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一人暮らしを始めてから10年ほどはほとんど疎遠だったのが嘘みたいに、この頃は実家によく帰る。一人暮らしの一人の部屋に一人で居る時は、ついついパソコンを開いてインターネットに繋いだり文章を打ったりして過ごしがちだけれど、実家にはパソコンがない。外出先で携帯電話を使ってネットに繋ぐという習慣はない。自分のパソコンを持っていって文章の作業をすることもあるけれど、2、3日の滞在ならパソコンという荷物は重たい。
 実家ではせっかくパソコンの使えない状況にあるので、パソコンから離れた時間を過ごす。あまり荷物にならない文庫本を持っていったり、実家の本を読んだり、実家で飼っている犬と遊んだり、田舎道を散歩したり、野菜を出荷しに市場へ行くのについていったり、家族のために食事を作ったり、パソコンから離れて過ごした時間の方が、なんというか、生きている、という感じがする。休職した(のちに退職した)際、療養として実家でそんなふうに過ごしたことが、今の回復に繋がっている気はする。
 祖母と過ごすのも楽しい。祖母は、わたしが帰ってくることを知ると、訪問販売のヤクルトを買って待っていてくれる。そんな祖母とヤクルトを飲んだり、一緒に犬をからかったり、部屋のこまごまとした手伝いをしたり、シップを貼ってあげたり、テレビを見ながらおしゃべりをしたり。
 テレビに映る俳優の窪田正孝さんを「わたし、この人が好きなの」と言ったところ、祖母は「女房の方が良い男だ」と言う。女房、女房、と何のことだと思いきや、NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』に水木先生役で出演していらした向井理さんのことであった。丁度、ご結婚の話題が持ち切りな時期だったこともあり、テレビでよく見かける度に「優しそうだ」「良い顔だ」とうれしそうで、乙女な祖母がおもしろかった。「向井理さんっていうんだよ」と名前を教えてあげると、「いい名前だなあ」と何度もくり返すのだった。次に会った時に覚えているかわからないけれど。というか、わたしがいいなあと思っている窪田正孝さんも朝ドラ出てたのに、やっぱり祖母なりの好みがあるのね。祖母が向井さんを気に入っているということが、なんだかほんとうにおもしろかった。今まで他のテレビの人をそんなふうに言っていたこともなかったので、よっぽど好きなのでしょう。
 実家に居る間、裁縫は苦手だけれど、ボタンで取り外しのできる携帯電話入れも作った。ポケットのないバッグに付けるのだ。古い服の袖部分を袋にして、古いエプロンの紐で持ち手とボタンホールを作り、古いパジャマのボタンを付けて、余りもののレースのコースターを飾りに縫い付けた。柄もちぐはぐで縫い目もがたがただけど、自分用なので別にいいの。ボタンだけは、わたしのへたくそな縫いっぷりに業を煮やしたのか、家政科出身の母がちゃちゃっと付けてくれた。

 パソコンから離れた時間を、一人暮らしの自宅に居る時にも過ごしたい。そもそも、誰かと一緒に居る時にネットを繋ごうなんて思わない。パソコンをさわりたくなるのは一人ぼっちで居る時なのだ。
 
  ネットでもいでなけりゃわたしなど何処にもいないみたいな夜だ


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直近に働いていた法人やお医者さんの勧めもあって、しばらくは福祉制度のお世話になろうと思った。が、協会に詳細を問い合わせたところ、当てにしていた手当の受給資格を満たしてないことを知った。当てにしていたのに。手当を受けながら、ゆっくり療養しつつ自分に合った仕事を探すつもりでいた。この先どうやって生きてゆけばいいのだろう。先日の失業(再就職)手当の件といい、世の中は思ってたより優しいようで、やっぱり厳しい。自業自得なのだろうか。
 思えば、わたしは賭け事が嫌いで生活には堅実な思考だけれど、人生の方は博打打まくっているような気がする。こんなふうに生きたくなんかないのに。おだやかに優しい安定した暮らしがしたいのに。人生に博打を売ったと言っても、大恋愛に溺れて身を滅ぼしたとか、起業しようとして栄華を極めたものの没落した、とかではない。若気の至りでつまらない夢を追って若さを棒に振り、安定職に就いてなんとか軌道修正できたと思ったら震災パワハラ病気とかだから、ロマンも何もない。でも、これからなんとかなれ。

 その日は映画デーだったので、好きな角田光代さんが原作の『紙の月』観に行くことにした。先々の暮らしがわからな過ぎて引きこもりがちになってしまいがちだから、先々の暮らしのことを考えず外に出て今の自分を楽しませてあげるということもしてみようと思い立った。その方が心には良さそうで。
 『紙の月』おもしろかった、小説版もドラマ版も未見で先入観なしに観たのもよかったかもしれない。そして長町モール紀伊国屋の裕子先生歌集の充実っぷり。平積みの斉藤梢さんの歌集も欲しかったけれど、ずっと読みたかった永田和宏先生河野裕子先生ご一家の『家族の歌』と角田光代さん穂村弘さんの『異性』が文庫化していたので購入してしまう。
 雑貨屋さんにも寄った。震災以降ダンボールに用意していた防災グッズを、持ち出し用にリュックに入れたいなあってずっと思っていたのだ。防災グッズ入れだからそんなちゃんとしたおしゃれバッグじゃなくてよくって、安価で丁度良いの見つけて購入したら、店員さんが「おともさんですよね!」って、大昔の職場で一緒だったバイトちゃん!
 5、6年ぶりの再会だったけれども、感じの良い笑顔は相変わらずで、実のところ、わたしは笑顔の大切さを同僚時代の彼女を見ていて覚えたのだった。ちゃんとした別の就職先の決まって退職したはずの彼女にもあれからいろいろあったみたいだけれど、わたしもいろいろあったけれど、先々のことが不安過ぎて映画なんか観てる場合じゃないかもって思いながらも、映画観に行ったからこんなふうにうれしい再会があって、よかった。今の連絡先を交換して、わたしも今でも交流のある共通の同僚仲間も交えてまた会いたいね、ゆっくりお話したいねって話をした。社交辞令に終わらず、実現したらいいなって思う。そのために、自分も動きたいと思う。人との繋がりはほんとうに大切にしてゆきたいから。

 福祉の手当は受給できないことが決まったけれど、数日して、短期ではあるものの今の自分にもがんばれそうな仕事に就くことになった。

  「またね」ってまたの日が来て ああわたし一人ぼっちじゃないんだなって

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五円玉を集めていたことがある。東日本大震災から数月経った頃だ。五円玉を集めては、当時の通勤経路に在った神社にお賽銭として、お参りをしていた。と、いっても、震災の鎮魂の思いではない。わたし自身の個人的な仕合せを思って、わたしは毎日のように目を閉じて手を合わせた。幸福にご縁(五円)がありますように、と。

 それまでわたしは、わたし自身の心をないがしろにするようなところがあって、たとえば誰かがやらないと仕方のないことなどがあった場合に犠牲になりがちだったし、それを自分でも気づいていなかった。わたしを見ていてくれた昔の職場の方から忠言していただいて気づいたことだ。いい人になっていても誰もい人なんて思ってくれない。何を言っても断らない人なんだって、どんどん軽んじられていってしまうから、主張すべき時はちゃんとした方がいい、と。
 それでも、生き方の癖はなかなか抜けず、震災のような非常事態時にこそ、わたし自身の安全や不安を後回しにするなど、へたくそに振る舞ってしまった。そうして、いろいろなものを喪った。
 だから、何よりもわたし自身の幸福を一番大事にしようって、神社を参拝していたのだ。尤も、その神社は学業の合格祈願の神社だったけれども。

 「祈る」ということについて考えている。先日、NHKでお百度参りのドキュメンタリーを見た。元気だった息子さんが突然病に伏し、当初こそ切実な思いでお百度参りをしていたような女性であったけれど、回復の兆しが見えず闘病が長引くにつれ、いつしかお百度参りを続ける意味合いが変わってきたように見えた。それでも、ずっとお百度参りを続けていた。彼女だけでなく、他のお百度参りをする人達も似たような事情を抱えていた。
 祈るほかどうしようのないことがある。祈らずにはいられないことがある。祈ってもどうしようもないことがある。それでも。「願う」とは違うのだ、似ているようで、「祈る」と「願う」はどこかが違う、どこかが。

 五円玉はいつしか集めなくなった。当時の好きだった仕事をずっと続けたい、という思いの一つが叶わないことがわかったから――仕事を辞す羽目になったから。幾たびも参った神社にも自然、足が遠のいてしまった。
 しあわせになりたいと思う。もう、わたし自身がしあわせになりたいと思う。それは「願い」なのか「祈り」なのか、自分でもよくわからない。

  欲張っておみくじ二回引きおれば待ち人来ずと二回告げらる


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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