川が好き。山も好き。
2015年1月12日(11日深夜)、NHKで『その街のこども』というドラマの再放送を見た。森山未來さんと佐藤江梨子さん演ずる、こども時代に阪神淡路大震災を経験して大人になった二人の話。ドラマの中でも震災は過去のことであるから、大きな出来事があるわけじゃない。ほとんどが、大人になった二人のやり取りで淡々と進められてゆく。
2010年、このドラマが最初に放送された時に、わたしはリアルタイムで見ている。もともとNHKの単発ドラマが好きで、脚本が好きな渡辺あやさんだったのにも惹かれた。
初回放送を見た時は、他人事だった。良いドラマだと思ったけれど、ほんとうに他人事だった。けれど、2011年に東日本大震災が起きた。震災の当事者となった今ふたたび見ると、もう、もう、なんていうか。何度も出てくる「100年に一度の震災」という台詞。ほんとうにそうだと思ってた。そののち東日本大震災に遭って、ドラマの中のユッチのおっちゃんみたいに、喪失感によってわたしがこわれてしまうなんて、思いもよらなかった。
東日本大震災の過去に、わたしは向き合えるのだろうか。なんだかこの頃は、震災のことなんてもう忘れてしまいたいと思う。忘れることが、最終的なわたしの心の復興のような気がする。一方で、忘れてはいけないとも思う。わたしが震災に遭ったことを忘れないで、とも思う。ふとした時に、震災で負った心の傷を人に見せびらかしたくなる。そんなことをしても、痛々しいだけなのに。まだ、ごちゃごちゃしている。
そのままにしておく白い壁紙のひび割れ 時にそっと触れおり
2010年、このドラマが最初に放送された時に、わたしはリアルタイムで見ている。もともとNHKの単発ドラマが好きで、脚本が好きな渡辺あやさんだったのにも惹かれた。
初回放送を見た時は、他人事だった。良いドラマだと思ったけれど、ほんとうに他人事だった。けれど、2011年に東日本大震災が起きた。震災の当事者となった今ふたたび見ると、もう、もう、なんていうか。何度も出てくる「100年に一度の震災」という台詞。ほんとうにそうだと思ってた。そののち東日本大震災に遭って、ドラマの中のユッチのおっちゃんみたいに、喪失感によってわたしがこわれてしまうなんて、思いもよらなかった。
東日本大震災の過去に、わたしは向き合えるのだろうか。なんだかこの頃は、震災のことなんてもう忘れてしまいたいと思う。忘れることが、最終的なわたしの心の復興のような気がする。一方で、忘れてはいけないとも思う。わたしが震災に遭ったことを忘れないで、とも思う。ふとした時に、震災で負った心の傷を人に見せびらかしたくなる。そんなことをしても、痛々しいだけなのに。まだ、ごちゃごちゃしている。
そのままにしておく白い壁紙のひび割れ 時にそっと触れおり
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普通自動車運転免許を更新した。車がないと暮らしてゆけないような田舎で生まれ育ったわたし。10代の頃は将来は自分も普通に車に乗るものと思っていたものだけれど、どうにもうまく運転ができず、「免許が取れたらもう車なんて運転しない!」と教習所時代に決めてしまった。実際に、地元よりも交通機関の充足した所に越したこともあり、以降一度もちゃんと運転したことがない。それでも、免許の更新だけは続けていて、そもそも運転をしていないのだから当然として無事故無違反のゴールド免許を所持している。履歴書の免許・資格欄に書く時と、身分証明の際には役立つ。
車の運転ができないので、免許センターまでは父の車に乗せてもらって行った。次の更新は5年後。5年後の高齢になった父に、送迎なんて頼めるだろうか。やっぱり交通機関で一人で行くことになるんだろうか。それとも、観念して運転を始めたりしてるんだろううか。5年後、わたしはどうしてるだろう。5年後といえば、40歳ぐらいか。
次の免許更新の頃に思いを馳せながら、前の更新の頃を思い出した。5年前に免許の更新をした時、わたしは三十路前で、無職だった。でも、その後ちゃんとした仕事に就けて、充実した日々を送ることができた。あの頃が一番楽しかった、と言えるぐらいの。長くは続かなかったけれど、あんな時間が一瞬でも自分の人生にあったということだけでも、幸福なのだとも思う。何も進んでない人生のように見えても、免許の有効期間という区切りの間に、得たものも、失ったものもある。
いろいろあったなあ、と思う。これからも、いろいろあるんだろうなあ、と思う。今を、こんなはずじゃなかったと思っているくらい、未来だってどうなってゆくかわからない。不安に駆られて自分を見失ったこともあったけれど、なるようになってゆくんだろうな、と今は思えてる。
ばっちりおめかしをして行ったので、免許の写真がそこそこ満足のいく仕上がりになってくれた。これを5年使うぞ、と思うと、ちょっと気分がいい。
ビデオ屋の会員になるためだけに取ったみたいな運転免許
車の運転ができないので、免許センターまでは父の車に乗せてもらって行った。次の更新は5年後。5年後の高齢になった父に、送迎なんて頼めるだろうか。やっぱり交通機関で一人で行くことになるんだろうか。それとも、観念して運転を始めたりしてるんだろううか。5年後、わたしはどうしてるだろう。5年後といえば、40歳ぐらいか。
次の免許更新の頃に思いを馳せながら、前の更新の頃を思い出した。5年前に免許の更新をした時、わたしは三十路前で、無職だった。でも、その後ちゃんとした仕事に就けて、充実した日々を送ることができた。あの頃が一番楽しかった、と言えるぐらいの。長くは続かなかったけれど、あんな時間が一瞬でも自分の人生にあったということだけでも、幸福なのだとも思う。何も進んでない人生のように見えても、免許の有効期間という区切りの間に、得たものも、失ったものもある。
いろいろあったなあ、と思う。これからも、いろいろあるんだろうなあ、と思う。今を、こんなはずじゃなかったと思っているくらい、未来だってどうなってゆくかわからない。不安に駆られて自分を見失ったこともあったけれど、なるようになってゆくんだろうな、と今は思えてる。
ばっちりおめかしをして行ったので、免許の写真がそこそこ満足のいく仕上がりになってくれた。これを5年使うぞ、と思うと、ちょっと気分がいい。
ビデオ屋の会員になるためだけに取ったみたいな運転免許
叔母から届いた年賀状に「今年はすこしずうずうしくなってみましょう!」と手書きで書いてあった。昨年の叔母からの年賀状にも「すこしずうずうしくなるといいかもよ」と書いてある。叔母からは、わたしはよっぽど遠慮しいに見えているのだろうか、と思う。
母の妹である叔母は、東京在住で滅多に会えない。最後に会ったのは昨年、わたしの妹の結婚式で、その前は15年ほど前にわたしが漫画の持ち込みに上京した時、というぐらいに滅多に会えない。
それでも、義叔父と共に、わたしがNHK短歌で入選一席に選ばれた時にお祝いをくださったり、東日本大震災で被災した時はお見舞いをくださったり、近年は毎年のように秋に梨を送ってくださる(叔母は一家で梨農家をしているのだ)。その度にわたしはお礼の電話をし、年末などにお歳暮として菓子折りを送ってお返ししていた。届けば「そんなに気を遣わなくていいのに」と叔母から電話が来るけれど、それはある種のお約束で、実際はお返しをするのが礼儀なのだと思っていた。
そういえば、妹や従姉妹など、同じ立場の他の親戚はどうしているのだろう。わたしはみんなそういうことをしているのだと思っていたのだけど、わざわざ菓子折りなんて誰も送らないのだろうか。と、いう疑問の湧いてきたのは、一昨年に結婚したわたしより年上の従姉妹が、親戚からの結婚祝いの贈り物に対してうんともすんとも言わなかった、ということを親戚伝いで耳にしたからである。従姉妹とは疎遠なのでどんなふうな考え方をしているのかわからない。
もしかして、わたしだけが、何かしてもらえばお礼、お礼、と過剰に反応しているのだろうか。叔母の言う、わたしのずうずうしくなさ、とは、わたしのそういう性質のことなのだろうか。
昔、親しくしていたひとがわたしに高額なプレゼントをくれようとしたのを「そんなのもらえない、お返しができない」と断り、なんでもらえないのかと喧嘩になり、仲がこじれてしまったことがある。ほんとうは欲しい品だったのにもらう気持ちになれなかったのは、遠慮と、「ずうずうしい人間だと思われたくない」という見栄からだ。もらっておけばよかったんだよな~、と今はわかる。相手はお返しが欲しくてプレゼントをくれるわけじゃない。「あげたい」という心でくれようとしたのだ、わたしをよろこばせようとして。それなのに、なんとわたしという人間の可愛げのなさよ。
ずうずうしい人間にはなりたくないと思っていた。けれど、過度な遠慮が相手を困らせてしまうこともある。疲れさせてしまうことも、きっとある。わたしは、もうすこしずうずうしくなってゆこう。すこしずうずうしくなっても、感謝の気持ちは忘れずに。
ことのほかお見舞いくれた東京の義叔父に今年も送る喜久福
母の妹である叔母は、東京在住で滅多に会えない。最後に会ったのは昨年、わたしの妹の結婚式で、その前は15年ほど前にわたしが漫画の持ち込みに上京した時、というぐらいに滅多に会えない。
それでも、義叔父と共に、わたしがNHK短歌で入選一席に選ばれた時にお祝いをくださったり、東日本大震災で被災した時はお見舞いをくださったり、近年は毎年のように秋に梨を送ってくださる(叔母は一家で梨農家をしているのだ)。その度にわたしはお礼の電話をし、年末などにお歳暮として菓子折りを送ってお返ししていた。届けば「そんなに気を遣わなくていいのに」と叔母から電話が来るけれど、それはある種のお約束で、実際はお返しをするのが礼儀なのだと思っていた。
そういえば、妹や従姉妹など、同じ立場の他の親戚はどうしているのだろう。わたしはみんなそういうことをしているのだと思っていたのだけど、わざわざ菓子折りなんて誰も送らないのだろうか。と、いう疑問の湧いてきたのは、一昨年に結婚したわたしより年上の従姉妹が、親戚からの結婚祝いの贈り物に対してうんともすんとも言わなかった、ということを親戚伝いで耳にしたからである。従姉妹とは疎遠なのでどんなふうな考え方をしているのかわからない。
もしかして、わたしだけが、何かしてもらえばお礼、お礼、と過剰に反応しているのだろうか。叔母の言う、わたしのずうずうしくなさ、とは、わたしのそういう性質のことなのだろうか。
昔、親しくしていたひとがわたしに高額なプレゼントをくれようとしたのを「そんなのもらえない、お返しができない」と断り、なんでもらえないのかと喧嘩になり、仲がこじれてしまったことがある。ほんとうは欲しい品だったのにもらう気持ちになれなかったのは、遠慮と、「ずうずうしい人間だと思われたくない」という見栄からだ。もらっておけばよかったんだよな~、と今はわかる。相手はお返しが欲しくてプレゼントをくれるわけじゃない。「あげたい」という心でくれようとしたのだ、わたしをよろこばせようとして。それなのに、なんとわたしという人間の可愛げのなさよ。
ずうずうしい人間にはなりたくないと思っていた。けれど、過度な遠慮が相手を困らせてしまうこともある。疲れさせてしまうことも、きっとある。わたしは、もうすこしずうずうしくなってゆこう。すこしずうずうしくなっても、感謝の気持ちは忘れずに。
ことのほかお見舞いくれた東京の義叔父に今年も送る喜久福
※喜久福=仙台銘菓
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の年末年始も昨年と同じく故郷の実家で過ごしました。地元は雪国で、水墨画のような景色です。自分の部屋の窓からも、もう雪しか見えないくらい真っ白で、よくここに18年暮らしてきたなあと、自分でも思うくらい寒いし、不便です。実家で飼っている犬は、よろこび庭かけ回っていました。
ネット環境のない実家では、好きな歌集を書写して過ごしました。一人暮らしの自宅に居るとなかなかこうした時間はとれないので、すごくぜいたくな気分です。あとはもうだらだらテレビを見たりもしたのですが、こたつ、あれはもう魔物ですね。ちょっと横になってしまえば眠ってしまう。一人暮らしの部屋には無い物で、絶対に導入してはいけないと思いました。こたつのある生活なんて、わたしがだめ人間にきっとなってしまいます。
初詣は天童市の若松観音へ。初めて祈祷というものもしていただきました。ご利益あるといいなあ。おみくじは大吉、うれしいことばかり書いてあってうれしいです。雪の中食べた、こんにゃくの味噌田楽が美味しかったです。
今年の抱負は、というかもう毎年だけど、自分の心を一番大切に、です。水の流れるように、ゆるーく、澄んだ気持ちで、あんまり気負わず流れに身を任せて、おだやかににこにこできる一年にしたいです、そりゃあもう春のように。
新しき年の初めの積み雪にレターボックスまでの足跡
***
実家滞在中に父の誕生日があったので、りんごのケーキを焼きました(りんごがいっぱいあったのです)。小麦粉、卵、バター、砂糖が全て100gという一番簡単な基本のパウンドケーキを元にしようと思ったのですが、実家に計量器がなかったので勘で目分量で。恐る恐るながらそれなりにできました。りんごは薄切りにして半分使ったのですが、もう少し厚く切って一個丸々使ってもよかったみたい。パウンドケーキのレシピなのに、パウンドケーキ型ではなく21cmのスポンジケーキ型で焼いたので薄い仕上がりです。
今年の年末年始も昨年と同じく故郷の実家で過ごしました。地元は雪国で、水墨画のような景色です。自分の部屋の窓からも、もう雪しか見えないくらい真っ白で、よくここに18年暮らしてきたなあと、自分でも思うくらい寒いし、不便です。実家で飼っている犬は、よろこび庭かけ回っていました。
ネット環境のない実家では、好きな歌集を書写して過ごしました。一人暮らしの自宅に居るとなかなかこうした時間はとれないので、すごくぜいたくな気分です。あとはもうだらだらテレビを見たりもしたのですが、こたつ、あれはもう魔物ですね。ちょっと横になってしまえば眠ってしまう。一人暮らしの部屋には無い物で、絶対に導入してはいけないと思いました。こたつのある生活なんて、わたしがだめ人間にきっとなってしまいます。
初詣は天童市の若松観音へ。初めて祈祷というものもしていただきました。ご利益あるといいなあ。おみくじは大吉、うれしいことばかり書いてあってうれしいです。雪の中食べた、こんにゃくの味噌田楽が美味しかったです。
今年の抱負は、というかもう毎年だけど、自分の心を一番大切に、です。水の流れるように、ゆるーく、澄んだ気持ちで、あんまり気負わず流れに身を任せて、おだやかににこにこできる一年にしたいです、そりゃあもう春のように。
新しき年の初めの積み雪にレターボックスまでの足跡
***
実家滞在中に父の誕生日があったので、りんごのケーキを焼きました(りんごがいっぱいあったのです)。小麦粉、卵、バター、砂糖が全て100gという一番簡単な基本のパウンドケーキを元にしようと思ったのですが、実家に計量器がなかったので勘で目分量で。恐る恐るながらそれなりにできました。りんごは薄切りにして半分使ったのですが、もう少し厚く切って一個丸々使ってもよかったみたい。パウンドケーキのレシピなのに、パウンドケーキ型ではなく21cmのスポンジケーキ型で焼いたので薄い仕上がりです。
今年の年末年始も故郷の実家で過ごすことにしたので、今年最後の更新になります。今年という一年は、特に前半は心も体もぐちゃぐちゃしていてあんまり記憶にないです。夏頃に思い切ってすっぱり休養して療養に努めたら落ち着いてきました。あのまま沈んでいたら散々な一年でしたが、少しずつ調子の戻ってきて、今こうして文章をかけていることがうれしいです。そう思えば、休養の大切さを思い知った一年、だったかもしれません。
短歌の方はもう一生詠めないんじゃないかってくらい詠めない時期があって、結社では欠詠が続き、新人賞にも応募できなかったことに悔いが残ります。心身の休養を経てからは再び作歌もできるようになってきました。
年末年始、帰省している間に、34歳の誕生日を迎えます。東日本大震災以降、自分の時間が止まっていて、自分の実年齢に心がついてゆけません。年相応に人生経験も積んでゆかなければ、とは思うのですが。 年上の方々からは「若い」「まだ若い」とは言われつつ、多くの同世代の人達が当たり前のように持つようになる様々なものをほとんど手にしていないこの身を、やはり頼りなく思います。だからといって変に焦ったり振り回されたりすることなく、自分のペースで歩んでいった方がいい、ということもわかるようになってきました。この年齢になっていろいろ思い悩むこともありますが、自分らしさを忘れずに、余裕を持っておだやかに生きてゆきたいです。
さて、時々ブログにコメントをくださるねこさんから、わたしの文章を読むと林芙美子を思い出す、というようなお言葉をいただいていたのですが、なんと、わたしと林芙美子は同じ誕生日の12月31日生まれであることがわかりました。偶然なのだろうけれど、不思議な縁を感じてしまうのです。
もう一つ、不思議なめぐり合わせがありました。一時期、親しくしていたひとと共通の趣味である古い映画のDVDを一緒に観ました。主に、小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明、木下恵介監督作品など。最初に観た映画が高峰秀子と森雅之の『浮雲』で、最後に観た映画は『めし』ヒロインは原節子でした。その最初と最後に観た『浮雲』『めし』の原作が、二つとも林芙美子の小説だったのです。たぶん相手も意識していないし、わたしも数年後に気づきました。林芙美子に始まり林芙美子に終わったこの偶然を、伝えてもいません。わたしだけが今こうして一人、なにか感慨深く思っているところです。
それでは、今年一年、当ブログにお越しいただきありがとうございました。どうぞ良いお年を。
俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 鐘の音聞こゆ
短歌の方はもう一生詠めないんじゃないかってくらい詠めない時期があって、結社では欠詠が続き、新人賞にも応募できなかったことに悔いが残ります。心身の休養を経てからは再び作歌もできるようになってきました。
年末年始、帰省している間に、34歳の誕生日を迎えます。東日本大震災以降、自分の時間が止まっていて、自分の実年齢に心がついてゆけません。年相応に人生経験も積んでゆかなければ、とは思うのですが。 年上の方々からは「若い」「まだ若い」とは言われつつ、多くの同世代の人達が当たり前のように持つようになる様々なものをほとんど手にしていないこの身を、やはり頼りなく思います。だからといって変に焦ったり振り回されたりすることなく、自分のペースで歩んでいった方がいい、ということもわかるようになってきました。この年齢になっていろいろ思い悩むこともありますが、自分らしさを忘れずに、余裕を持っておだやかに生きてゆきたいです。
さて、時々ブログにコメントをくださるねこさんから、わたしの文章を読むと林芙美子を思い出す、というようなお言葉をいただいていたのですが、なんと、わたしと林芙美子は同じ誕生日の12月31日生まれであることがわかりました。偶然なのだろうけれど、不思議な縁を感じてしまうのです。
もう一つ、不思議なめぐり合わせがありました。一時期、親しくしていたひとと共通の趣味である古い映画のDVDを一緒に観ました。主に、小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明、木下恵介監督作品など。最初に観た映画が高峰秀子と森雅之の『浮雲』で、最後に観た映画は『めし』ヒロインは原節子でした。その最初と最後に観た『浮雲』『めし』の原作が、二つとも林芙美子の小説だったのです。たぶん相手も意識していないし、わたしも数年後に気づきました。林芙美子に始まり林芙美子に終わったこの偶然を、伝えてもいません。わたしだけが今こうして一人、なにか感慨深く思っているところです。
それでは、今年一年、当ブログにお越しいただきありがとうございました。どうぞ良いお年を。
俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 鐘の音聞こゆ
数えてみたらわたしの部屋にコーヒーカップ及びマグカップが10個あった。湯呑み茶碗も加えれば12個になる。
普段使いのは実家暮らし時代から使ってた一番古いお気に入りの白地にシンプルな花鳥風月の絵のコーヒーカップ。昔はこのカップをメインで使っていたけれど、今は主に薬を服用する際に使っていてサブ的扱い。今飲み物用に使っているのは無印良品で買った耐熱ガラス(アクリル?)の。透明で大きいので夏はグラス代わりにもして重宝している。
あとは簡単な来客用に100均で買った2つ。主に両親や友人が来た時に使っている。バラバラな時期に買ったので柄もバラバラ。
そして新潮文庫のYonda?CLUBの応募券を集めていただいた景品ペアマグカップ。一つは職場で使っていて、「それって新潮文庫のだよね」なんて気づいてくれる人がいてうれしかったりした。愛用していたけれど、転職してマグカップ持ち込まない職場に代わってからは出番がなくなってしまった。この先にマグカップ持参の職場にめぐり着いたらまた活躍することでありましょう。ペアの方も、ペアの人が現れたら。
それから昔の勤め先だった飲食店のクローズの際に処分品をいただいたお揃いの白いコーヒーカップ3つ。多数の人が集まった時にでも使いたいと思っていたけれど、そんな日は訪れないまま仕舞いっぱなし。でも3つ揃いっていつか必要な気がして。来客用の100均のをお払い箱にしてこちらを使用すればいいのだろか。でも割れてもいないのに交代させなくともいいとも思って、そのまま。
とくべつな思い入れがあるのは、職場だった飲食店にお客様として現れたものの、体調を崩して倒れかけたお年寄りの方からいただいた蓋と茶こし付きマグカップ。具合の悪いのを介助したところ、回復した後日に、わたしのために選んだのだ、と職場まで届けに来てくださった。一度も使ったこともなく箱に入ったままだけど宝物。わたしはたいしたことはしていないのに、満面の笑顔でお礼を言ってくださって、お礼なんて別にいいのに、わざわざ後日来てくださったお心がうれしくて。そういえば当時は、助けてくれたお礼に後日カップをもらったことが恋の始まりだった『電車男』が流行っていて、似た状況を味わえたのがおもしろかった。もちろん、相手がおじいちゃんではそれ以上何も芽生えないのだけれども。
いつか使いたいのは、妹の結婚式の引き出物だった夫婦湯呑み茶碗。まっしろな有田焼で、ころんとしたまるいかたちがかわいい。これを引き出物に選んだ妹のセンスがありがたい。ちなみに、両親などは同じ引き出物でも湯呑みのデザインが違っていて、両親のは渋い色でしゅっとしたかたちのものだった。わたしは自分に宛がわれたまるっこい湯呑みが気に入ってる。夫婦湯呑みなので、揃って使い始める日が来たらいい。その日まで仕舞っている。今のところ湯呑みはこれだけだけど、お茶も普段使いの無印良品のカップに淹れてるので使ってない。
一人暮らしで、こんなに飲み物の器は要らないでしょ、と今さらに思う。半分以上も、一度も使われず仕舞ったまま。でも、なんだかどれも手離せない。だんしゃり、失敗。
引き出物の夫婦湯呑みはいつの日か揃って二つ使おうと仕舞う
普段使いのは実家暮らし時代から使ってた一番古いお気に入りの白地にシンプルな花鳥風月の絵のコーヒーカップ。昔はこのカップをメインで使っていたけれど、今は主に薬を服用する際に使っていてサブ的扱い。今飲み物用に使っているのは無印良品で買った耐熱ガラス(アクリル?)の。透明で大きいので夏はグラス代わりにもして重宝している。
あとは簡単な来客用に100均で買った2つ。主に両親や友人が来た時に使っている。バラバラな時期に買ったので柄もバラバラ。
そして新潮文庫のYonda?CLUBの応募券を集めていただいた景品ペアマグカップ。一つは職場で使っていて、「それって新潮文庫のだよね」なんて気づいてくれる人がいてうれしかったりした。愛用していたけれど、転職してマグカップ持ち込まない職場に代わってからは出番がなくなってしまった。この先にマグカップ持参の職場にめぐり着いたらまた活躍することでありましょう。ペアの方も、ペアの人が現れたら。
それから昔の勤め先だった飲食店のクローズの際に処分品をいただいたお揃いの白いコーヒーカップ3つ。多数の人が集まった時にでも使いたいと思っていたけれど、そんな日は訪れないまま仕舞いっぱなし。でも3つ揃いっていつか必要な気がして。来客用の100均のをお払い箱にしてこちらを使用すればいいのだろか。でも割れてもいないのに交代させなくともいいとも思って、そのまま。
とくべつな思い入れがあるのは、職場だった飲食店にお客様として現れたものの、体調を崩して倒れかけたお年寄りの方からいただいた蓋と茶こし付きマグカップ。具合の悪いのを介助したところ、回復した後日に、わたしのために選んだのだ、と職場まで届けに来てくださった。一度も使ったこともなく箱に入ったままだけど宝物。わたしはたいしたことはしていないのに、満面の笑顔でお礼を言ってくださって、お礼なんて別にいいのに、わざわざ後日来てくださったお心がうれしくて。そういえば当時は、助けてくれたお礼に後日カップをもらったことが恋の始まりだった『電車男』が流行っていて、似た状況を味わえたのがおもしろかった。もちろん、相手がおじいちゃんではそれ以上何も芽生えないのだけれども。
いつか使いたいのは、妹の結婚式の引き出物だった夫婦湯呑み茶碗。まっしろな有田焼で、ころんとしたまるいかたちがかわいい。これを引き出物に選んだ妹のセンスがありがたい。ちなみに、両親などは同じ引き出物でも湯呑みのデザインが違っていて、両親のは渋い色でしゅっとしたかたちのものだった。わたしは自分に宛がわれたまるっこい湯呑みが気に入ってる。夫婦湯呑みなので、揃って使い始める日が来たらいい。その日まで仕舞っている。今のところ湯呑みはこれだけだけど、お茶も普段使いの無印良品のカップに淹れてるので使ってない。
一人暮らしで、こんなに飲み物の器は要らないでしょ、と今さらに思う。半分以上も、一度も使われず仕舞ったまま。でも、なんだかどれも手離せない。だんしゃり、失敗。
引き出物の夫婦湯呑みはいつの日か揃って二つ使おうと仕舞う
同僚の、わたしより八つぐらい年下の女の子が、趣味としてコピックで絵を描いている、と言うので、手持ちのコピックを何本か譲ることになった。コピックはマーカーにして一本400円程度と値も張るので「いいんですか!?」と同僚さんは恐縮していた。けれど、わたしはもう絵は描かないし、描くとしても彩色は透明水彩やアクリル絵の具にするだろう。コピックはわたしの画風にも合わないのだ。処分しようかと思っていたほどだったから、丁度よかった。必要としてくれる人の手に渡った方がいい。
手持ちのコピックの中から30本ほど、あげてもよさそうな色を選びながら、件の同僚さんになつかしいものを感じた。男の人には興味がないから結婚はしたくない、自分の趣味のために生きたい、と敢えて一度も定職に就かず派遣を転々としている彼女。どこか、昔の自分を見ているようでもある(わたしは転々とはしなかったけれど)。今のわたしぐらいの年齢になった時に後悔しないといいけどな、なんて余計なお世話に過ぎないことを思ったりしつつ、彼女の話を聞く時は「趣味があるっていいね」「芸術的だね」「自分を持ってるんだね」なんて肯定したりする。
これが昔のわたし相手なら「ちゃんと就職した方がいいよ、趣味は趣味でしかないよ」と言うだろう。でも、昔のわたしが母などにそう言われても、当時はいずれ絵を描かなくなるなんて思いもせず、聞く耳を持たなかったことまで思い出す。同僚さんにしても、今の自分の意思でそうしているのだから、定職にも異性にも目もくれず自分の意思で趣味に生きることによってきらきらしているのだから、それでいいのだと思う。若さというのは、きっとそういうものだ。
自分のところに残しておきたい色を選んでいたら、茶系と緑系の色ばかり残った。残ったコピックで、木でも描くのか、わたしは。
部屋うちの全てのものが過去形と思う真夜中色のパステル
手持ちのコピックの中から30本ほど、あげてもよさそうな色を選びながら、件の同僚さんになつかしいものを感じた。男の人には興味がないから結婚はしたくない、自分の趣味のために生きたい、と敢えて一度も定職に就かず派遣を転々としている彼女。どこか、昔の自分を見ているようでもある(わたしは転々とはしなかったけれど)。今のわたしぐらいの年齢になった時に後悔しないといいけどな、なんて余計なお世話に過ぎないことを思ったりしつつ、彼女の話を聞く時は「趣味があるっていいね」「芸術的だね」「自分を持ってるんだね」なんて肯定したりする。
これが昔のわたし相手なら「ちゃんと就職した方がいいよ、趣味は趣味でしかないよ」と言うだろう。でも、昔のわたしが母などにそう言われても、当時はいずれ絵を描かなくなるなんて思いもせず、聞く耳を持たなかったことまで思い出す。同僚さんにしても、今の自分の意思でそうしているのだから、定職にも異性にも目もくれず自分の意思で趣味に生きることによってきらきらしているのだから、それでいいのだと思う。若さというのは、きっとそういうものだ。
自分のところに残しておきたい色を選んでいたら、茶系と緑系の色ばかり残った。残ったコピックで、木でも描くのか、わたしは。
部屋うちの全てのものが過去形と思う真夜中色のパステル
失業保険も諸々あって受給しきれぬまま期限切れ、福祉の支援も受給資格が得られず、さて、この先どうやって生きてゆこうとあわあわしていた矢先、ひと月の期間限定ではあるものの仕事が舞い込んできたので、今、就労している。療養中でまともに社会復帰できるか心配だったし、未経験職だったから不安もあったけれど、ひと月だけならリハビリになるかも、新しい経験を積むのにそれくらいが丁度よいかも、と軽い気持ちで受けた。年末まで、と期間的にきりがいいのもよかった。
この年齢になって初めて、座り仕事をしている。これまでわたしは立ち仕事ばかりをしてきて、座ってする仕事はどんなにか楽なのだろう、と長いこと羨んでいた。とんでもない! 実際に勤めてみれば、立っても座っても、仕事というものは疲れるのだなあ、と4時間半の残業帰りにしみじみ思う。それでも不慣れなエクセルを駆使しつつ仕上げた業務を「きれいなデータだった」なんて言われると、うれしい。
短期の職に就くのも初めて、残業のある仕事に就くのも初めて、オフィスというような職場環境も初めて、初めてのことばかりで慣れないことばかりだけれど、さいわい人間関係にも恵まれ、新鮮な気持ちで仕事ができている。期間限定だからこの先のことは見えないことが心許ないけれど、今のこの経験は次というものに活かせるような気がしている。がんばる。
履歴書を書くのに飽きた右の手でマーメイド紙に小鳥を描く
※過去絵。画像クリックで拡大されます。
この年齢になって初めて、座り仕事をしている。これまでわたしは立ち仕事ばかりをしてきて、座ってする仕事はどんなにか楽なのだろう、と長いこと羨んでいた。とんでもない! 実際に勤めてみれば、立っても座っても、仕事というものは疲れるのだなあ、と4時間半の残業帰りにしみじみ思う。それでも不慣れなエクセルを駆使しつつ仕上げた業務を「きれいなデータだった」なんて言われると、うれしい。
短期の職に就くのも初めて、残業のある仕事に就くのも初めて、オフィスというような職場環境も初めて、初めてのことばかりで慣れないことばかりだけれど、さいわい人間関係にも恵まれ、新鮮な気持ちで仕事ができている。期間限定だからこの先のことは見えないことが心許ないけれど、今のこの経験は次というものに活かせるような気がしている。がんばる。
履歴書を書くのに飽きた右の手でマーメイド紙に小鳥を描く
※過去絵。画像クリックで拡大されます。
しあわせな歌が詠みたい誰からも全然ほめられなくていいから
と、いうようなことを、この頃はもうずっと考えている。
歌というものは哀しさ寂しさと波長が合いやすい。一般的に名歌と呼ばれるものもどこか物悲しさを帯びたものが多い。侘び寂びは日本の美意識だから。けれども、もう、ほめられるために歌を詠いたいわたしではない。わたしにとって大切なのは、良作と言われるような歌を詠むことより、わたし自身がしあわせになること。歌のためではなくて、わたしの人生のしあわせのために生きたい。
歌はたぶんずっと詠ってゆくだろう。わたしがしあわせになってから詠う歌がつまらない歌だとしても、わたし自身がしあわせだったらそれでいい、と今は思う。
しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ
と、いうようなことを、この頃はもうずっと考えている。
歌というものは哀しさ寂しさと波長が合いやすい。一般的に名歌と呼ばれるものもどこか物悲しさを帯びたものが多い。侘び寂びは日本の美意識だから。けれども、もう、ほめられるために歌を詠いたいわたしではない。わたしにとって大切なのは、良作と言われるような歌を詠むことより、わたし自身がしあわせになること。歌のためではなくて、わたしの人生のしあわせのために生きたい。
歌はたぶんずっと詠ってゆくだろう。わたしがしあわせになってから詠う歌がつまらない歌だとしても、わたし自身がしあわせだったらそれでいい、と今は思う。
しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ
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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
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