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川が好き。山も好き。
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 アパートの更新手続きをした。震災の年もアパートの更新手続きをした。更新の手続き後に震災が起こったから、印象に残っている。震災後はライフライン関係など様々な手続きがめちゃめちゃになったから、アパート更新のようなめんどうな手続きを先に済ませた後でよかったって安堵してた、当時。あれからもずっと同じ部屋に暮らしている。震災でひび割れた壁紙もそのままに。
 震災時を助け合った、近所に住んでいた友人は引っ越して、震災以降一度も会えないまま疎遠になってしまった。わたしには仕事がある、と震災時にわたしを支えてくれていた当時の仕事も、職場の仲間も、そのごの職場環境変化やパワハラに追われるように失職した今では無縁になった。「絆」なんていうものの空々しさを思う、あの日々あんなにはびこっていた言葉。

 先週、文化施設内の図書館へ行くついでに向かいのイベント小ホールを覗いたら、津波の瓦礫の中から見つかった写真や携帯電話などの返却会をしていた。なんだろう? と思いながらうろうろしていると、スタッフらしき人に「なにかお探しですか?」と声をかけられた。東日本大震災で、物は何も無くしていないわたしが興味本位で居てはいけないような場所に思えてきて、早々に出た。未だに、持ち主の下に戻っていない品々があんなにいっぱいあって、震災で無くしたものを探している人があんなにいっぱいいて。

 4年前の2011年3月12日、その隣の展示ホールで、わたしは眠った。ろうそくの頼りない灯りと、終始流され続けるラジオのニュースと、幾たびも訪れる余震の中で、知らない人達にまぎれて、一人で。一緒にいたかった人とは自分の独りよがりな遠慮と虚勢から離れた後で、寝る場所を探してたどり着いた、臨時の避難所。配給のバナナ、リンゴと選べたのだけど、リンゴは体が冷えそうだからバナナを選んだ。毛布なんて自宅から運べなくて、風呂敷に包んで持ってきたタオルケット一枚で、コートを着込んだまま縮こまって眠った。眠れなくて、泣いた。「一人はこわい」って縋りつけばよかったのに、わたしは大丈夫! なんて笑顔で自ずから一人になって、どうしてあんなに強かった、あの日々のわたし。
 昨日のことみたいな思いの残るあの文化施設が、今年は追悼式会場になる。わたしは仕事で行けないけれど。看板が立ててあった。

 去年の今頃は震災の揺り戻しがひどくて、心がこわれていた。震災3年が目処だったのか2014年3月いっぱいで終了してしまった「東日本大震災こころの相談電話」、というようなものにも話を聞いてもらってずい分お世話になった。毎年この日は文章を書くと決めているけれど、去年のはひどい。今は、去年の今頃のような父と母の間に入って川の字で眠りたいような欲求はないので、むしろそんなの気持ち悪いとさえ思うようになってきたので、気持ちが落ち着いてきたのだと思う。いろいろなことができるようになってきた。新しいことにも踏み出せるようになってきた。少しずつ前を向けるようになってきた。震災の痛みが消えたわけではないけれど。一生消えないのだろうけれど。

 3月に入って、震災のドキュメンタリー番組をいくつも見ている。つらくなってしまうこともあるけれど、見る。あの日の痛みを忘れたくない自分がいる。忘れたい自分もいるのだけれど。
 震災が起きなかったらよかったのに。と、まだ、毎日のように思う。でも、震災後の日々を生きてゆく。がんばって生きてゆく。
 

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今、ある官公庁系の仕事をしています。覚えなきゃいけないことは難しいけれど、人生や生活に役立つ知識が身につくし、時間や責任に追われることもなく決まった時間をマイペースでやっていけるので、気持ち的には楽ちんです。同僚の方々もマイペースに仕事をしているので、人間関係のいざこざもありません。時には理不尽なクレームを受けることもあり疲弊すると言えば疲弊もしますが、わけのわからないことを一方的にわめき散らす人を電話口で淡々と応対するのが割と苦ではないので、この仕事はそれなりに向いてるんだとも思います。

 わたし達は、決まっていることを決まっている範囲でご案内するのが仕事なのですが、困った人は、それ以上のことを求めてきたり、「なんでそう決まっているのか」と詰め寄ってきます。
 クレーマー気質の人達って、自分のクレーマーっぷりを何故か誇りに思っているふしがあって、謎。自分は自分の納得いかないことは徹底的に突き詰めてやる性分だから!って胸張ってわめき散らしたって、応対する相手側からは「例のめんどくさいアレな人」扱いされるだけです。要注意人物って報告されて、たくさんの人に「ああ、例のあの人」って眉をひそめられたり嘲笑されたりして。自分の主張をすればするほど、本人が自分で思っているところの、「自分は偉い! 自分の考えは正しい!」とは全く別な印象を抱かれてゆきます。
 そして、アレな人ってほんとうにパターンが決まっていて、「上の者に代われ」「謝れ、そしてその証拠を書面で送れ」「お役所仕事」「たらい回し」などと怒鳴り出してきます、皆が皆。「お前じゃ話にならない、別の人(以前応対した人や、もっと偉い人)に代われ」と要求したところで、そういう人は他の誰とも話になりません。そうして、最後には「もういい」「バカヤロー」「そんなこともできないとは情けなくないのか」「裁判を起こしてやる」「お前のいる場所に行って脅かしてやる」などと捨て台詞を吐いてガチャンと切ってきます。一度電話を切った人が、気が治まらずまた電話をかけてきて同じことをくり返したり、他の機関に当たって同じことをくり返すようなこともよくあるようです。「たらい回し」という言葉が飛び出すのもそのせいでしょう。謝罪の書面が大好きなのは、最近よく話題になるモラハラ気質な人の共通点ですが、そういえば前職のパワハラ上司もなにかと「手書きの反省文を書け」と要求する人で、やっぱりアレな側の人だったんだなあとあらためてため息を吐きました。
 クレームをニコニコと流しながら、つくづく、優しさというものの尊さを思います。ああはなりたくない。わたしは心が広く優しくありたい。優しい人が好き。怒っている姿はとにかく恥ずかしくてみっともない。それでも、そういったアレな人達にも配偶者がいたりして、不思議。わたしなら絶対に一緒に生きたくない。きっと、わたしにはわからない良さもあるのでしょう。

 臨時でつなぎの予定だった今の仕事ですが、長期勤務のお誘いをいただきました。なかなか悪くないお話だけど、通勤がちょっと大変なのと、業務の一部を担う今でさえいっぱいいっぱいなのに長期の常勤だとタウンページ2冊分くらいのマニュアルを一ヶ月の研修で詰め込まなきゃいけないっていうのに圧倒されて、今回は辞退することにしました。でも、ずっと募集をしているようだし、他の仕事もしてみて、また戻ってくるのもいいような気もしています。年配の方も多くて、年を重ねてもできる仕事だということが、わたしを勇気づけてくれました。

 職場は、10代の頃に通っていた専門学校の近くで、あの頃の通学路と同じ通勤路を自転車で行けば、様々な思いが過ぎります。道なりに立ち並ぶお店もすっかり変わりました。よく立ち寄ったコンビニも、書店も、パンクを直してもらった自転車屋さんも、今はありません。景色が変わったように、そこで働いていた人達が代わったように、私の仕事も変わっていいんだ、それが普通なんだ、そんなふうに思いながら、自転車を漕ぎます。

  歩道橋を慣れない靴で渡りおり これでよかったこれでよかった

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人に嫌われたくなかった。あんなにも嫌われることがこわかったのは、わたしのことを絶対的に好きでいてくれる人がいなかったからなんじゃないか、と思う。老若男女問わず、とにかく誰からも嫌われたくなかった。嫌われたくないゆえに、変にへらへらして、変に疲れていた。
 自己啓発本だったかなにかで、人に嫌われないために努力をするから嫌われる、ということを知った。わかるような気もする。自分の心に無理をしている人は、うそくさくて気味が悪いのだと思う。そんな自分だったと思う。

 最近は、力が抜けて自然体な自分でいられている。誰からも嫌われない、なんてことはないと気づいたのだ。嫌ってくる人は、ありもしないことを捏造してまで嫌ってくる。前職の上司なんて、そんな場面を見てもいないのに「私生活の八つ当たりで鍋や食器をがんがん調理台にぶつけているらしいな、見なくてもわかる!」と怒鳴ってきてわけがわからなかった。当時は上下関係もあって思い悩み、ストレスから体までこわした。よくよく考えれば、あんなわけのわからない人間を、まじめに相手するのもばからしい。仕事内容が好きだったし、福利厚生は安定していたから未練もあったけれど、その後の転職の失敗もあってくるしかったけれど、あんなパワハラ職場は辞めてよかったのだ、と今は思える。思えるようになった。
 
 嫌ってくる人には嫌わせておけばいい。無理しない自分で自分らしくいられることが大切。前職時代から患っていた体の異常症状が、最近なくなった。飲み始めた「命の母A」なる小林製薬の薬の効果かもしれないけれど、自分の心が吹っ切れて楽になったからのような気がする。なんだかこの頃はいろいろ楽しい。

  好かれたいより嫌われたくないが先立っている小雨降る

 NHK短歌テキスト3月号、永田先生「立つ」に佳作で掲載していただきました。字足らず……。投稿後に気づいて「しまった」と思ったのだけど、こうして採っていただけたので、字足らずのリズムの悪さもまたよしということにしましょう。

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 今、妹は妊婦さんです。夏頃にはわたしに甥っ子か姪っ子ができ、わたしは伯母さんになります。
 なにしろ遠くに暮らしているので、妹のふくらんだお腹もこの先目にすることがないまま、いきなり赤ん坊が現れたりするのでしょう。
 お互いが独身の時代は、年に一回、予定を合わせて姉妹で温泉旅行に行っていました。気のおけない妹との遠出の旅行は年に一度の楽しみでしたが、妹の結婚、妊娠、出産により、途絶えることになります。おめでたいことではあるのだけれど、毎年の習慣の一つの消えてしまうのは、どこか寂しくも思います。会えなくなるわけではないにしても、幼い子供連れ、旦那さんのご両親と同居では、今までのようには遠出もできないでしょう。わたしも今まで以上に気を遣います。

 年に一度、会う度に「結婚はしない」「子供は生まない」と散々言っていた妹でしたから、両親に孫の顔を見せられるのは出産願望はないとはいえ少なくとも結婚願望はあるわたしの役目なのだろうか、と持ち前の理屈っぽさでずっと考え思い悩んでいました。けれども、妹は長年お付き合いしていた恋人ときっちり30歳前の29歳には入籍し、30歳には結婚式を挙げ、31歳には両親に孫を抱かせてあげることになりました。
 非正規の職をふらふらしているわたしとは違い、これまで正社員でちゃんと働いていた妹。正直、引け目を感じないでもありません。妹が自分の結婚や出産に否定的なことを言う度、それぐらいは姉のわたしの方が先に成し遂げてやりましょう、と心のどこかで安心している自分もいました。でも、結局は人生において妹の方がほとんど先輩となることになりました。顔がそっくりのため、これまでは双子に間違われることも多かったわたし達ですが、今後は人生経験を重ねた妹の方が姉で、いつまでもおぼこいわたしの方が妹に間違われることもあるかもしれません。
 尤も、妹があれほど嫌がっていた結婚や出産に前向きになれたことはよろこばしいことで、なにか心境の変化があったのかもしれないし、ホルモンの影響かもしれないし、今は「子供なんて考えられないなあ」と思うわたしも30歳前後は妙に子供が可愛く見えたし、閉経間近の40歳頃に子供が欲しくてたまらなくなるように女性の体ができている、なんていうのもよく聞く話です。

 男の子か女の子かもわからない、未だ生まれざる子ですが、ゆくゆく言葉を話すようになった際には「おともちゃん」だとか「仙台のおねえちゃん」だとか変に呼ばせずに、普通に「伯母さん」と呼んでもらうつもりでいます。いつまでも少女のような心を持っていたって、客観的にはもう普通にオバサンですもの。

  おめでとう幸せにって心から思っているよ でもさびしいよ

***

 里芋と豚肉の煮物。味付けは山形の芋煮風。色みにオクラも入れてみました。意外に合いました。

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  接客業、福祉職にて寂しさをこじらせた人を幾人も見た

  過去形の話はしないと決めおればつぶやくことがもう何もない

  梅干しをつけんと母が購いし氷砂糖を祖母と舐めたり

  『食物』の教科書われにゆずりたる同級生のその後を知らず

  虹、虹と幾たび言えど通じぬを「にず」でようやく伝わる、祖母に


***

 5首目の歌を百葉集に採っていただきました、やったー。吉川さんが主宰にになってからは初めてです。吉川さんの歌が好きだったことも、塔に入った理由の一つだったので、うれしい。
 過去形の話はほんとうにもう止めなきゃって思うのです。今を生きねば。
 
 12月号の選歌欄評で、工藤さんに犬の歌2首を取り上げていただきました。ありがたいです。

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今期のフジテレビの月9ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』が、おもしろいなあと思う。結婚は契約にすぎないと考える、恋愛力ゼロの男と女。恋愛感情を全く持たないまま結婚を目指し、デートを重ねるロマンティック・ラブコメディー(「番組概要」より)。杏さん演ずる依子の突き抜けたキャラクターや、長谷川さん演ずる高等遊民のクズっぷりもおもしろいし、細やかな小ネタも楽しい。張り巡らせた複線を見事回収してくれる展開も気持ちがいい。また、ドラマに描かれるどこかズレた恋愛観、結婚観が、Aセクシャル気味なわたしの心にぐさぐさくるのだ。

 ところで、短歌を嗜んでいると、歌会などの場で「お勤めしているの?」とまるで普通に聞かれることがよくある。「無職ですか?」と聞いているようなニュアンスではなく、それはもうまるで普通に。短歌を詠むわたしくらいの年代の中には、仕事をせずに読書などをして暮らしてゆけている真の高等遊民なる人達が、もしかして普通に割合いるのだろうか。うらやましいことです。

  そーしそーあいそ-しそ-あい風車からから回る誰も見てない

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僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ

僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった

結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た

おもえばこれも詩人の生活だ

ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで

女房までがそこにいて
すっかり詩の味おぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ

子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ
(山之口獏「生きる先々」)
 
 すっかり短歌の人になりつつあるわたしだけれど、この間、久しぶりに新しい詩を書いた。久しぶりに詩を書いて、表現の手段は短歌が主になってきたけれど、やっぱり、わたしの本分は詩だなあ、という気がした。短歌を詠んでいて、「影響を受けた歌人は?」と聞かれても、石垣りんや吉野弘、山之口獏、黒田三郎、茨木のり子といった詩人の名前ばかり浮かんでくる。
 山之口獏の「生きる先々」という詩が好きだ。好き過ぎて前のブログのタイトルのネタ元にしたくらい。自分の生きる先々には詩が要る、生活があって詩がある、というような詩との関わり方が、ほんとうに好き。そんな獏さんだから、貧乏暮らしも、故郷の沖縄への思いも、結婚への憧れも、娘さんのミミコとのやり取りも、詩に正直に綴られる。
 久しぶりに新しい詩を書いた。わたしの短歌と同じように、わたしの実生活を詠った詩だ。わたしの生きる先々にも詩の要るようなことばっかりで。
 短歌界隈での虚構問題に対して、わたしがどちらかといえば無しという立場にいる(あくまで好みの話で、虚構短歌を否定したいわけではなく、それはそれでそういう表現方法もあっていいと思う)のは、わたしが山之口獏の「生きる先々」のような詩が好きだからなんだろうな、と思った。

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不本意ながらも、ここ一年ほど職を転々としていることもあってか、人との出会いは薄くも多い。そうした中で、同僚さんなる女性に、わたしのおぼこさか、指輪のない左手の薬指を見てか、「結婚してないの?」「独身なの?」と聞かれることもよくある。その度に、「そうなんですよー、誰かいい人がいたらよろしくお願いしますー」などと無難に答えていた。この年齢で、たとえば変に濁したことを言えば空気が悪くなったり、勝手になにか勘ぐられたり、いろいろ痛々しいことになるのだ。空気を読んで「誰かいい人がいたらよろしく」なんて無難に答えながら、ふと思う。はたして、実のところわたしは、伴侶を募集していたりするのだろうか。

 一人は寂しい。一人は心もとない。ずっと言っている。(ここで言う一人とは、一生一人(かも知れない不安)、いざという時に誰にも頼れず一人(かもしれない不安)ということであり、いわゆるお一人様時間というか、一人の時間を楽しむこと自体はわたしは大切にしたい方である。)
 けれど、たとえばわたしのことをよく知る人に、わたしに合いそうと思われる人を紹介されるなどならともかく、なにか年齢が釣り合うくらいの程度で適当に人をあてがわれても、やっぱり難しい。
 
 一人は寂しい。一人は心もとない。けれど、それは「男がほしい」というわけではなくって、「女として必要とされたい」というわけではなくって。わたしは、まずは人と人として大切に思い合いたい。まずはそこから始めたい。

  あんなにもわたしを好いていたひとが活サイトにハマっておりぬ

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数年ぶりに偶然再会したかつての同僚さんが、某さんとも会いたいと言うので、某さんと今でも交流のあるわたしが幹事のような感じで女子会を企画した。今、予定を調整しているところ。わたし以外の二人はシフト勤務で、休日が不規則なのだ。だから予定を合わせるのがちょっと難航しているけれど、楽しみ。

 わたしは先に予定が決まっている方がうれしいタイプで、何の約束もなしに突発的に「今から何々しよう!」みたいな他人との予定が入るのはちょっと苦手。何故かといえば、予定のために気分を整える準備が要るから。あらかじめ約束があれば、その時のために楽しみに準備して過ごす。もちろん、他に予定が入っておらず自分の準備も大丈夫であれば突発的な誘いもうれしく受け入れるけれど、前もって約束がある方が安心する。

 昔、前もって約束をしておくのが苦手で、急に「今から何々しよう!」という予定の立て方じゃないと嫌だ、と言う人がいた。約束をして先々の予定が決まると、約束に縛られるみたいでめんどくさくて嫌なのだそう。
 そういう考え方の人もいるのか、ということは理解しつつも、わたしは全く共感できなかった。急に誰かと予定の入るのが好き、って、一人の時間は必要ないのだろうか。人と過ごすのに準備は要らないのだろうか。
 それに、約束に縛られるのが嫌だ、と言うけれど、わたしは「今から何々しよう!」と急に自分の時間を取られる方が、わたしの時間がいつでもあなたの自由になるとでも思ってるの、あなたのために予定をいつでも空けているとでも思ってるの、って縛られている感じがする。約束が決まっていれば、その時以外の時間は自分の自由に使えるではないか。わたしは一人の趣味もあるし、一人暮らしなので貯まった家事など一人でしなきゃいけないことがある。約束嫌いの人と親しくしていると、いつ予定が入るかわからなくて息苦しい。いつでもスタンバイ状態にしておかなきゃいけないみたいで、気を抜く暇がない。
 また、自分に既に他の予定が決まっていたり、自分の準備ができていないために断るのも心苦しい。準備ができていない時などは前もって、せめて一日でもいいから先に誘ってくれれば、断らずに済んだのに。わたしだってその予定を楽しみたかったのに。でも、約束嫌いの人は、断られても気にしないのだそう。わからない。わたしは誘って断られるとひどく落ち込む。だから、相手の他の予定を慮って約束をしておきたい。
 女性などは、お化粧の準備もあるし、「今から」みたいな急な誘いには対応しにくいんじゃないか、約束があった方がいいんじゃないかと思うけれど、女性の方にも約束嫌いの人は結構いるらしい。というか、わたしの関わったその人も女性であった。

 他人と過ごすには前もって約束のあった方が、わたしはいい。他人を巻き込まない自分一人の予定だったら、急に思い立ってなんでも全然するけれど。

 こうして文章を書いているうちに、女子会の日にちが決まった。「何日はどう?」「何日なら大丈夫?」と、当初予定していた土曜日では皆の都合がつかなくて、平日の夜に集まることになった。こんなに皆の都合がばらばらなのだから「今から会おう!」なんて誘い方ではきっと全員は集まれなかった。
 約束の日が楽しみだなと思う。自分だけじゃなく、他の二人も楽しみにしていてくれることが、うれしい。

  (この次は一人で来よう)遠ざかるあの赤い橋渡ってみたかった

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 たまたま見かけた500円程度のハーモニカを買ったのは15年ほど昔のことだ。音楽が好きで、一人暮らしの部屋になにか楽器が欲しいなあと思っていたのだ。早速、教本なども買ってみて練習してみたけれど、うまく吹くことはできなかった。結局、わたしはハーモニカを挫折したのだった。それでも、ハーモニカを持っているという満足感は妙にあり、吹くことはあまりなくとも捨てたり実家に送ったりすることなく、ずっと部屋に仕舞っていた。

 2011年3月11日に、東日本大震災に遭った。それ以来、防災グッズを一まとめにした。防災グッズを揃えるにあたり、助けを求めたり居場所を知らせたり声を出す代わりの笛(ホイッスル)を用意しておくといい、という話を聞いた。笛は持っていなかった。とはいえ買おうとも思わなかった。代わりに、ずっと部屋の片隅にあったハーモニカを添えた。緊急時に吹こうと思う。緊急時なのに、少し郷愁を誘う音を奏でてしまうかもしれないけれど。

  警笛の代わりに吹こう非常用袋の中に古いハモニカ

 NHK短歌テキスト2015年2月号、梅内美華子さん選の<短歌de胸キュン>テーマ「音楽」に佳作で掲載していただきました。ありがたいです。


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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