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川が好き。山も好き。
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人に嫌われたくなかった。あんなにも嫌われることがこわかったのは、わたしのことを絶対的に好きでいてくれる人がいなかったからなんじゃないか、と思う。老若男女問わず、とにかく誰からも嫌われたくなかった。嫌われたくないゆえに、変にへらへらして、変に疲れていた。
 自己啓発本だったかなにかで、人に嫌われないために努力をするから嫌われる、ということを知った。わかるような気もする。自分の心に無理をしている人は、うそくさくて気味が悪いのだと思う。そんな自分だったと思う。

 最近は、力が抜けて自然体な自分でいられている。誰からも嫌われない、なんてことはないと気づいたのだ。嫌ってくる人は、ありもしないことを捏造してまで嫌ってくる。前職の上司なんて、そんな場面を見てもいないのに「私生活の八つ当たりで鍋や食器をがんがん調理台にぶつけているらしいな、見なくてもわかる!」と怒鳴ってきてわけがわからなかった。当時は上下関係もあって思い悩み、ストレスから体までこわした。よくよく考えれば、あんなわけのわからない人間を、まじめに相手するのもばからしい。仕事内容が好きだったし、福利厚生は安定していたから未練もあったけれど、その後の転職の失敗もあってくるしかったけれど、あんなパワハラ職場は辞めてよかったのだ、と今は思える。思えるようになった。
 
 嫌ってくる人には嫌わせておけばいい。無理しない自分で自分らしくいられることが大切。前職時代から患っていた体の異常症状が、最近なくなった。飲み始めた「命の母A」なる小林製薬の薬の効果かもしれないけれど、自分の心が吹っ切れて楽になったからのような気がする。なんだかこの頃はいろいろ楽しい。

  好かれたいより嫌われたくないが先立っている小雨降る

 NHK短歌テキスト3月号、永田先生「立つ」に佳作で掲載していただきました。字足らず……。投稿後に気づいて「しまった」と思ったのだけど、こうして採っていただけたので、字足らずのリズムの悪さもまたよしということにしましょう。

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 今、妹は妊婦さんです。夏頃にはわたしに甥っ子か姪っ子ができ、わたしは伯母さんになります。
 なにしろ遠くに暮らしているので、妹のふくらんだお腹もこの先目にすることがないまま、いきなり赤ん坊が現れたりするのでしょう。
 お互いが独身の時代は、年に一回、予定を合わせて姉妹で温泉旅行に行っていました。気のおけない妹との遠出の旅行は年に一度の楽しみでしたが、妹の結婚、妊娠、出産により、途絶えることになります。おめでたいことではあるのだけれど、毎年の習慣の一つの消えてしまうのは、どこか寂しくも思います。会えなくなるわけではないにしても、幼い子供連れ、旦那さんのご両親と同居では、今までのようには遠出もできないでしょう。わたしも今まで以上に気を遣います。

 年に一度、会う度に「結婚はしない」「子供は生まない」と散々言っていた妹でしたから、両親に孫の顔を見せられるのは出産願望はないとはいえ少なくとも結婚願望はあるわたしの役目なのだろうか、と持ち前の理屈っぽさでずっと考え思い悩んでいました。けれども、妹は長年お付き合いしていた恋人ときっちり30歳前の29歳には入籍し、30歳には結婚式を挙げ、31歳には両親に孫を抱かせてあげることになりました。
 非正規の職をふらふらしているわたしとは違い、これまで正社員でちゃんと働いていた妹。正直、引け目を感じないでもありません。妹が自分の結婚や出産に否定的なことを言う度、それぐらいは姉のわたしの方が先に成し遂げてやりましょう、と心のどこかで安心している自分もいました。でも、結局は人生において妹の方がほとんど先輩となることになりました。顔がそっくりのため、これまでは双子に間違われることも多かったわたし達ですが、今後は人生経験を重ねた妹の方が姉で、いつまでもおぼこいわたしの方が妹に間違われることもあるかもしれません。
 尤も、妹があれほど嫌がっていた結婚や出産に前向きになれたことはよろこばしいことで、なにか心境の変化があったのかもしれないし、ホルモンの影響かもしれないし、今は「子供なんて考えられないなあ」と思うわたしも30歳前後は妙に子供が可愛く見えたし、閉経間近の40歳頃に子供が欲しくてたまらなくなるように女性の体ができている、なんていうのもよく聞く話です。

 男の子か女の子かもわからない、未だ生まれざる子ですが、ゆくゆく言葉を話すようになった際には「おともちゃん」だとか「仙台のおねえちゃん」だとか変に呼ばせずに、普通に「伯母さん」と呼んでもらうつもりでいます。いつまでも少女のような心を持っていたって、客観的にはもう普通にオバサンですもの。

  おめでとう幸せにって心から思っているよ でもさびしいよ

***

 里芋と豚肉の煮物。味付けは山形の芋煮風。色みにオクラも入れてみました。意外に合いました。

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  接客業、福祉職にて寂しさをこじらせた人を幾人も見た

  過去形の話はしないと決めおればつぶやくことがもう何もない

  梅干しをつけんと母が購いし氷砂糖を祖母と舐めたり

  『食物』の教科書われにゆずりたる同級生のその後を知らず

  虹、虹と幾たび言えど通じぬを「にず」でようやく伝わる、祖母に


***

 5首目の歌を百葉集に採っていただきました、やったー。吉川さんが主宰にになってからは初めてです。吉川さんの歌が好きだったことも、塔に入った理由の一つだったので、うれしい。
 過去形の話はほんとうにもう止めなきゃって思うのです。今を生きねば。
 
 12月号の選歌欄評で、工藤さんに犬の歌2首を取り上げていただきました。ありがたいです。

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今期のフジテレビの月9ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』が、おもしろいなあと思う。結婚は契約にすぎないと考える、恋愛力ゼロの男と女。恋愛感情を全く持たないまま結婚を目指し、デートを重ねるロマンティック・ラブコメディー(「番組概要」より)。杏さん演ずる依子の突き抜けたキャラクターや、長谷川さん演ずる高等遊民のクズっぷりもおもしろいし、細やかな小ネタも楽しい。張り巡らせた複線を見事回収してくれる展開も気持ちがいい。また、ドラマに描かれるどこかズレた恋愛観、結婚観が、Aセクシャル気味なわたしの心にぐさぐさくるのだ。

 ところで、短歌を嗜んでいると、歌会などの場で「お勤めしているの?」とまるで普通に聞かれることがよくある。「無職ですか?」と聞いているようなニュアンスではなく、それはもうまるで普通に。短歌を詠むわたしくらいの年代の中には、仕事をせずに読書などをして暮らしてゆけている真の高等遊民なる人達が、もしかして普通に割合いるのだろうか。うらやましいことです。

  そーしそーあいそ-しそ-あい風車からから回る誰も見てない

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僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ

僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった

結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た

おもえばこれも詩人の生活だ

ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで

女房までがそこにいて
すっかり詩の味おぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ

子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ
(山之口獏「生きる先々」)
 
 すっかり短歌の人になりつつあるわたしだけれど、この間、久しぶりに新しい詩を書いた。久しぶりに詩を書いて、表現の手段は短歌が主になってきたけれど、やっぱり、わたしの本分は詩だなあ、という気がした。短歌を詠んでいて、「影響を受けた歌人は?」と聞かれても、石垣りんや吉野弘、山之口獏、黒田三郎、茨木のり子といった詩人の名前ばかり浮かんでくる。
 山之口獏の「生きる先々」という詩が好きだ。好き過ぎて前のブログのタイトルのネタ元にしたくらい。自分の生きる先々には詩が要る、生活があって詩がある、というような詩との関わり方が、ほんとうに好き。そんな獏さんだから、貧乏暮らしも、故郷の沖縄への思いも、結婚への憧れも、娘さんのミミコとのやり取りも、詩に正直に綴られる。
 久しぶりに新しい詩を書いた。わたしの短歌と同じように、わたしの実生活を詠った詩だ。わたしの生きる先々にも詩の要るようなことばっかりで。
 短歌界隈での虚構問題に対して、わたしがどちらかといえば無しという立場にいる(あくまで好みの話で、虚構短歌を否定したいわけではなく、それはそれでそういう表現方法もあっていいと思う)のは、わたしが山之口獏の「生きる先々」のような詩が好きだからなんだろうな、と思った。

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不本意ながらも、ここ一年ほど職を転々としていることもあってか、人との出会いは薄くも多い。そうした中で、同僚さんなる女性に、わたしのおぼこさか、指輪のない左手の薬指を見てか、「結婚してないの?」「独身なの?」と聞かれることもよくある。その度に、「そうなんですよー、誰かいい人がいたらよろしくお願いしますー」などと無難に答えていた。この年齢で、たとえば変に濁したことを言えば空気が悪くなったり、勝手になにか勘ぐられたり、いろいろ痛々しいことになるのだ。空気を読んで「誰かいい人がいたらよろしく」なんて無難に答えながら、ふと思う。はたして、実のところわたしは、伴侶を募集していたりするのだろうか。

 一人は寂しい。一人は心もとない。ずっと言っている。(ここで言う一人とは、一生一人(かも知れない不安)、いざという時に誰にも頼れず一人(かもしれない不安)ということであり、いわゆるお一人様時間というか、一人の時間を楽しむこと自体はわたしは大切にしたい方である。)
 けれど、たとえばわたしのことをよく知る人に、わたしに合いそうと思われる人を紹介されるなどならともかく、なにか年齢が釣り合うくらいの程度で適当に人をあてがわれても、やっぱり難しい。
 
 一人は寂しい。一人は心もとない。けれど、それは「男がほしい」というわけではなくって、「女として必要とされたい」というわけではなくって。わたしは、まずは人と人として大切に思い合いたい。まずはそこから始めたい。

  あんなにもわたしを好いていたひとが活サイトにハマっておりぬ

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数年ぶりに偶然再会したかつての同僚さんが、某さんとも会いたいと言うので、某さんと今でも交流のあるわたしが幹事のような感じで女子会を企画した。今、予定を調整しているところ。わたし以外の二人はシフト勤務で、休日が不規則なのだ。だから予定を合わせるのがちょっと難航しているけれど、楽しみ。

 わたしは先に予定が決まっている方がうれしいタイプで、何の約束もなしに突発的に「今から何々しよう!」みたいな他人との予定が入るのはちょっと苦手。何故かといえば、予定のために気分を整える準備が要るから。あらかじめ約束があれば、その時のために楽しみに準備して過ごす。もちろん、他に予定が入っておらず自分の準備も大丈夫であれば突発的な誘いもうれしく受け入れるけれど、前もって約束がある方が安心する。

 昔、前もって約束をしておくのが苦手で、急に「今から何々しよう!」という予定の立て方じゃないと嫌だ、と言う人がいた。約束をして先々の予定が決まると、約束に縛られるみたいでめんどくさくて嫌なのだそう。
 そういう考え方の人もいるのか、ということは理解しつつも、わたしは全く共感できなかった。急に誰かと予定の入るのが好き、って、一人の時間は必要ないのだろうか。人と過ごすのに準備は要らないのだろうか。
 それに、約束に縛られるのが嫌だ、と言うけれど、わたしは「今から何々しよう!」と急に自分の時間を取られる方が、わたしの時間がいつでもあなたの自由になるとでも思ってるの、あなたのために予定をいつでも空けているとでも思ってるの、って縛られている感じがする。約束が決まっていれば、その時以外の時間は自分の自由に使えるではないか。わたしは一人の趣味もあるし、一人暮らしなので貯まった家事など一人でしなきゃいけないことがある。約束嫌いの人と親しくしていると、いつ予定が入るかわからなくて息苦しい。いつでもスタンバイ状態にしておかなきゃいけないみたいで、気を抜く暇がない。
 また、自分に既に他の予定が決まっていたり、自分の準備ができていないために断るのも心苦しい。準備ができていない時などは前もって、せめて一日でもいいから先に誘ってくれれば、断らずに済んだのに。わたしだってその予定を楽しみたかったのに。でも、約束嫌いの人は、断られても気にしないのだそう。わからない。わたしは誘って断られるとひどく落ち込む。だから、相手の他の予定を慮って約束をしておきたい。
 女性などは、お化粧の準備もあるし、「今から」みたいな急な誘いには対応しにくいんじゃないか、約束があった方がいいんじゃないかと思うけれど、女性の方にも約束嫌いの人は結構いるらしい。というか、わたしの関わったその人も女性であった。

 他人と過ごすには前もって約束のあった方が、わたしはいい。他人を巻き込まない自分一人の予定だったら、急に思い立ってなんでも全然するけれど。

 こうして文章を書いているうちに、女子会の日にちが決まった。「何日はどう?」「何日なら大丈夫?」と、当初予定していた土曜日では皆の都合がつかなくて、平日の夜に集まることになった。こんなに皆の都合がばらばらなのだから「今から会おう!」なんて誘い方ではきっと全員は集まれなかった。
 約束の日が楽しみだなと思う。自分だけじゃなく、他の二人も楽しみにしていてくれることが、うれしい。

  (この次は一人で来よう)遠ざかるあの赤い橋渡ってみたかった

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 たまたま見かけた500円程度のハーモニカを買ったのは15年ほど昔のことだ。音楽が好きで、一人暮らしの部屋になにか楽器が欲しいなあと思っていたのだ。早速、教本なども買ってみて練習してみたけれど、うまく吹くことはできなかった。結局、わたしはハーモニカを挫折したのだった。それでも、ハーモニカを持っているという満足感は妙にあり、吹くことはあまりなくとも捨てたり実家に送ったりすることなく、ずっと部屋に仕舞っていた。

 2011年3月11日に、東日本大震災に遭った。それ以来、防災グッズを一まとめにした。防災グッズを揃えるにあたり、助けを求めたり居場所を知らせたり声を出す代わりの笛(ホイッスル)を用意しておくといい、という話を聞いた。笛は持っていなかった。とはいえ買おうとも思わなかった。代わりに、ずっと部屋の片隅にあったハーモニカを添えた。緊急時に吹こうと思う。緊急時なのに、少し郷愁を誘う音を奏でてしまうかもしれないけれど。

  警笛の代わりに吹こう非常用袋の中に古いハモニカ

 NHK短歌テキスト2015年2月号、梅内美華子さん選の<短歌de胸キュン>テーマ「音楽」に佳作で掲載していただきました。ありがたいです。


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 8年くらい前に描いたらしい短歌4コマ漫画が出てきました。ライトボックスとは、別名トレース台、絵や製図を描く際に下の絵を透かして写すための、電気の明かりの点く道具です。2万くらいする、割と高価な道具です。わたしはこれがないと絵が描けません。

  今はもうただ履歴書を写すだけ ただそれだけのライトボックス

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    海を見て過ごした

  目を閉じて高速バスに揺れおれば帰れない日の助手席へとぶ

  「仕事で?」と聞かれて「はい」とうそぶけり女一人で浅虫温泉

  オーシャンビュー一人じめするよろこびを一人じめしている六畳間

  絵はがきに写し誰かへ送りたいような夕陽だ(誰かって、誰)

  砂浜でじゃれあっている恋人達が旅館五階の窓から見える

  ご夫婦で千葉から来たと言う人と分け合う展望風呂の夕焼け

  赤い帯うまく結べずスカートのように浴衣がひろがってゆく

  水曜の午前七時の海岸にスーツ姿の消えてまた来て

  宿の朝飯が好きだと言っていたひととは終ぞ旅をせぬまま

  「一人旅してきたよ」って言うための一人旅めく温泉まんじゅう

  声にして涙と波が似ていると気づいた秋の海水浴場

  今だっていつかは過去になることを知りつつも今さらわれたい青

  でも君の最後の相思相愛の相手はわたしのままだ 潮騒
  
  生きててもいいと思った天気予報外れて晴れた波打ち際で

  海を見て過ごしただけの休日をいつかきらきら思い出そうね



***

 連作投稿の特別作品に初めて投稿し、掲載していただきました。「傷心旅行だろうか(略)徐々に他人へと視線が移って行き、最後に自問する構成が光った」との淳さんの評。傷心旅行でした。そして2年前の連作でした。予定をぜんぶ飛ばして、ただただ海を見ながら、この連作の歌を詠んだ旅でした。
 だいぶ寝かせることになりましたが、こうして日の目を見ることができてよかったです。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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