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川が好き。山も好き。
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5月16日、17日は短歌の結社の東北集会で、山形のかみのやま温泉に行ってきました。山形は故郷で、上山といえば子供の頃に山交ランド(現・リナワールド)に何度か連れて来てもらったものですが、かみのやま温泉は初めてで、温泉好きとしてもとても楽しみにしておりました。

 16日、宿泊先の旅館の有馬館に着いて、まずは歌会。参加者は25人ほど。「せっかくだから隣に座りなー」と先輩方に押されて、栗木京子さんのお隣の席で参加させていただきました。わたしの提出歌は、多くの方々に年配の人の歌だと思われたようで、作者がわたしだとわかると驚かれました。枯れた歌を詠んでしまったのでしょうか。普段参加している歌会に選者の先生が来てくださることはまれなので、栗木さんの評を聞けてとてもうれしかったです。
 その後の懇親会、二次会では、東北でも普段はなかなか会えない方、関東や関西など遠方から参加されている方ともお話ができて楽しかったです。夕飯の郷土料理もなつかしい味で美味しかったです。我が家の味以外のだしを人生で初めて食べました。だし、代表的な家庭料理なので。

 17日、午前中は旅館で短歌ゲームや連歌。普段の自分の歌作の仕方とは違うかたちで歌を作るので難しいながらも、みんなの合作でできた歌々がおもしろくて笑いっぱなしでした。
 午後は斉藤茂吉記念全国大会。今年の受賞者は小島ゆかりさん。小島さんと茂吉の息子である斎藤茂太先生との大学時代のエピソードがとてもおもしろかったです。また、茂吉の孫である茂一さんもなかなかにお話のおもしろい方ですてきでした。
 アトラクションとして、チェロとピアノの演奏がありました。山形を舞台にした映画「おくりびと」にゆかりのある音楽家の方で、5曲ほど演奏してくれたのですが、その中の一曲、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」に、涙ぼろぼろ。もともとすごく好きな曲だし、チェロとピアノも好きな楽器で、なんだかやたらに沁みたのでした。歌詞が好きな曲なのにインストゥルメンタルで泣くとは。
 そして、去年の受賞者である栗木京子さんの記念講演。茂吉と関西といったテーマで、とても興味深かったです。

 短歌づくしでしあわせな二日間でした。先輩方にも後輩にもほんとうにわたしはめぐまれているなあと、つくづく実感できた会でした。来年(たぶん福島)もぜひ参加したいです。


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5月の大型連休中、仙台文学館に「北杜夫 どくとるマンボウの生涯」の展示を見に行って来ました。実は北杜夫作品は、代表作は『どくとるマンボウ航海記』『楡家の人びと』などと知識としては知ってはいても、一冊も読んでなかったのでした。けれど、短歌を詠んでいることもあり、父である歌人の斎藤茂吉にはなじみがありますし、兄である精神科医の斎藤茂太先生の本はストレスを抱えていた頃によく読んでいました。そんなこともあって、予備知識はあったため、作品は知らずとも興味深く楽しむことが出来ました。

 こうした展示では、直筆の手紙や生原稿を目にできるのが眼福なのですが、北杜夫直筆の字は今まで見た中でも小さくて、小さくて小さくて読めないぐらい小さかったです。
 父の茂吉の出身が山形なので東北にゆかりのあることは知っていましたが、仙台の大学に通っていたことは初めて知り、なんだか親しみを覚えました。
 自分で集めたという昆虫の標本もすごい。躁鬱のご病気に関しても話にはなんとなく聞いていましたが、思いのほか破天荒でした。

 文学館の帰り、何か読んでみたくなり、自伝的小説『母の影』を購入しました。近々、茂吉関連のイベントに赴くことが決まっているので、茂吉に関連したものがいいかなと思ったのでした。また、展示でも紹介されていた茂吉のおさな妻であり北杜夫の母である輝子さんが、なかなかに強烈なキャラクターそうだったので。
 読了して、想像以上にパワフルなお母様でした。茂吉や北杜夫の短歌も紹介されていて、短歌読みとしてもおもしろかったです。

 天気のいい日で、文学館へ続く台原森林公園の中のあかまつの道は、緑の匂いがとても気持ちよかったです。

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当初こそ割とやっつけな気分で勤めていた今の仕事ですが、今は普通にまじめに就業しています。最初は上司陣の派手な格好に面食らっていたわたしでしたが、思ったよりあやしい仕事ではなく、ちゃんとした仕事だということがわかってきました。他のスタッフに関しても、一時期たくさんいたギャル子ちゃん達が次第に脱落していったりで、落ち着いた人が残ってきて職場の雰囲気が落ち着いてきたのもあります。尤も、一緒にお弁当を食べていた同僚さんが契約更新されなくて4月で終了になってしまい、5月からは一人昼食になったのはちょっと寂しいですが。休憩室でも一人の人は多いし、わたしは読書などをして過ごしています。

 先日は、隣の席で大きなクレームを処理していた上司が格好良かったです。電話口で、丁寧な謝罪の言葉が淀みなくすらすらと流れて。受話器置いた後めちゃめちゃ疲れていました。「疲れたー」って言っていました。ああいう仕事、疲れると思います。「上の者に代われ」って怒鳴られて代わったパターンでしょうか、あれは。決して容姿がすてきな方ではないのですが、冷静に淡々と確実に仕事をこなす姿は格好良く映るものですね。わたしは口下手なので、言葉の流暢さがうらやましいとも思いました。

 わたしも契約で仕事をしていて不安定な身の上ではありますが、職場の場所も通いやすくて街中なので気分も華やぎますし、働けるうちはがんばってみようと思います。

  あこがれのスターが「バイト探してる 地獄」だなんて歌う せつない

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離れて暮らしている妹と、10ヶ月も会えなさそうなので、写真をお手紙で送ってもらいました。妊婦姿の妹を見てみたいと思ったのです。
 封筒を開けて、写真の中の妹のふくらんだお腹を目にした途端、ぼろぼろと涙がこぼれてしまって、そんな自分に困惑しました。
 わたしと妹は仲が良いし、わたし自身には出産願望はないので、先を越されて悔しいというような嫉妬心、哀しい悔しいといった気持ちはありません。かといって、ものすごく子供大好き楽しみおめでとう早く甥っ子に会いたいよーというほど歓喜しているわけでもありません。
 そういえば、写真の届く前日に、ひどく自己嫌悪するようなことがあって、落ち込んでいたのですが、そうした弱っていた心が、涙に関係あるかどうかわかりません。
 ああ、あんなに小さかった妹が母親に、といった感慨はあるような気はします。妹の初潮の世話をしたのは中学生だったわたしです。わたしの時に心身のケアのへたくそだった母とは違い、そこそこうまくしてあげられたと思っています。
 ただ、この頃よく思うのは、人間も犬や猫、魚や昆虫のように、繁殖して子孫を残し種を保存するために生きている生物の一種なのだなあということ。震災時、危機的状況下においてのみわたし自身に起こった感情の動きから、そんなことをずっと考えています。だから、子を宿した妹の写真は、生物として正しい姿だ、とつくづく感じたりしました。

 それにしても、最近の妹と話していて、わたしと同じ家庭に育ち、「結婚したくない」「子供欲しくない」とずっと言っていた妹の、母性の目覚めっぷりには驚くばかりです。もう、すっかりお母さん。妊娠して、脳内にそういうホルモンが分泌されだしたのでしょう。一般的に、なんだかとてもしあわせな気持ちになると聞きます。人類の神秘です。もちろん、妹を愛し受け入れ支えてくれる夫君の力もあるのでしょう。

 ああ、そうだ、妹の顔がよく双子と間違えられるくらいわたしとそっくりで、一瞬わたしが妊娠してしまったかのように錯覚して、恐怖感に襲われたりもしたのでした。

「こんなふうになるとは思わなかった」と自分でも驚いている妹のように、わたしにも、そんなふうになるとは今は思っていない未来があったりするのかもしれません。

  晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 

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十二月三十一日の誕生日に「会いたい」なんて誰にも言えず

  俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 除夜の鐘聞こゆ

  まだ若い、まだ若いなど言われても独り身なればそうは思えず

  そんな仕事辞めてよかったと言われしが通勤路の夕日きれいで

  タクシーに乗ればタクシーの運転手は運転手なる仕事中なり

  そんなことパートの私の仕事ではないと都合のいい時だけは

  職安の職員さんは職員という仕事中なり机挟んで

  職安へ十分バスに揺られ行く帰りは一時間歩くなり

***

 7首めに選歌後記で評をいただきました。
 また、二月号の選歌欄評で小圷さんに「食物」の教科書の歌を取り上げていただきました。おお、そういう読まれ方もあるのか、とおもしろかったです。

 わたしは、たとえばリストカットの画像を人に見せびらかしたりするような人が嫌いなのだけれど、わたしが短歌を詠んで公表するということが、それとたいして変わらないような気がして、自分の歌にある種の嫌悪感はあります。わたしが短歌を詠むということは自傷行為か。自分の色が出ていれば出ているほど、人に読まれることがこわい。
 そんなわけで、一首単位で、直接に顔を合わせる歌会には、割とハズした歌を持っていくのでした。

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わたしは「クソなんとか」という表現がとても嫌いで耳に障るのだけど、今の職場の上司達は「クソ寒い」とか「クソ忙しい」とかそういう軽い物言いが多くて、空気が合わないな、と思う。若い職場で変なチャラさがあるというか。
 女性上司に至っては、魔女みたいな長さのゴテゴテネイルにタトゥー、大胆に脚を露出したショートパンツやマイクロミニのスカート。別に人のファッションにどうこう言うつもりもないけれど、職場でのドレスコードとしては、今までの職場では禁止されていたような格好。たとえば先月までの官公庁系の仕事では、「職場にふさわしくない服装の例」として掲示されていたイラストそのものだ。
 そうした上司達に、甘えた口調のタメ口で話す下っ端のスタッフさえいて、それが許されている。
 お堅い仕事が好ましい、というわけではないけれど、わたしには馴染めないノリだと感じる。とはいえ、それがつらい、というわけでもなく、それなりに勤めている。

 今の仕事、遣り甲斐もないし楽といえば楽だけれど、一生懸命にがんばるような仕事ではないのに、変に純な同僚さんが一生懸命がんばって空回りしているのが痛々しく見えてしまう。ミスをしたわけでもないのに、自分を責めて落ち込んだりしている。こーゆー仕事、と割り切ればいいのに。
 まじめ、って、痛々しいんだな。周りを見渡せば、教えられることばかりだ。「まじめ過ぎる」と言われたことのあるわたし。昔のわたしも痛々しかったのでしょう。力を抜くことを、今は少しは覚えた。力を抜いてもいいんだってわかって、だいぶ楽になった。仕事も、人生も。

  つらくない仕事はないしつらくない大人もいない日記を閉じる

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春らしい、ピンク色のカーディガンを買った。20代の頃は黒、灰、茶などのアースカラーの服を好んでいた。ピンクなんて、以前のわたしからしたら、思い切った色。何年も前に買ったままだったオレンジ色のアンサンブルも、先日初めて袖を通した。フリルの付いた小花柄のスカートも履けるようになった。
 最近は、服を着るときは明るい色の服を選ぶようにしている。わたしがそういう色を着てもいいんだと、思い直している。昔は、地味なわたしは地味な色しか似合わないような気がしていたのだ。思い切った色も、思い切った服も、思い切って着てみれば、意外と普通に着れていて、なんだか気持ちがいい。

 今日こそはくぞと決めたスカートを鏡に映し照れる膝小僧

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面接の帰り、久しぶりに主にこけしを扱っている民芸品屋さんに寄り、こけしをながめていたら、近くにいたおじいちゃんに話しかけられました。おじいちゃんは、こけしの通らしく、自宅には5000ものこけしを所持しているそうで、こけしの種類の文様の特徴やこけしの材質、「こけし友の会」の話、こけし職人に嫁が不足しているらしい話まで、いろんな話を熱く聞かせてくれました。わたしもこけし好きとはいっても、わたしなんてまだまだな深い世界なのだと感じました。

 久しぶりに来店したら、以前から「欲しいなあ」と思っていたこけしイヤリングが店頭から消えていました。本物の伝統こけしのイヤリングで、とっても可愛かったのに。いつか、いつかなんて思わず、買っておけばよかったです。代わりにイヤホンジャックなどが並んでいましたが、わたしはガラケーなので必要ありません。こうなったら、ちょっと高価だけれどカガモクのこけし箸はなにがなんでも近いうちに購おうと思った次第です。その日は比較的安価なこけしピンズとこけしマスキングテープを購入しました。このお店オリジナルのこけしレターセットもお気に入りで、お手紙を書く際に使わせていただいてます。こけしグッズならなんでもいいというわけでなく、伝統こけしにこだわりがあります。

 もちろん、本物のこけしも欲しいのです。ところが、以前は割合店頭に並んでいたはずの遠刈田こけしがすっかり消え、弥治郎こけしと津軽こけしが少し、そしてずらりと鳴子こけしばかりなのです。鳴子系も定番で可愛いけど、わたしはまずは遠刈田系が欲しいのです。数体あるにはあるけれど、厳選された品なのか手が出ないほどお高くて……その分、とってもとっても可愛いのだけれど。前回来店した時は遠刈田系がいっぱいあったと思うので、そうした波を待つしかないのでしょうか。それにしても、伝統こけしは一体一体顔が違うので、ながめていて飽きません。えじこ(農作業中などに連れて来た赤ちゃんを入れておく入れ物)に入っているこけしもこの頃は好きです。
 ちなみに、アイコンにしているこけしは鳴子こけしですが、目がパッチリしていて顔の系統が鳴子系っぽくないところがお気に入りなのでした。
 
 今さら知ったことなのですが、こけしは、みんな女の子なのだそうです。どうりで可愛いはずだ。
 そして、大本命だった面接は不採用でした。がんばれ、わたし!

  遠刈田こけしの眼こそ良けれ見つめられれば笑みたくなりぬ

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ふとしたはずみで、財布の中から、印刷の薄れかけた切手大のチケットが滑り落ちた。文字は消えかけて読めず、これは何だったかなと記憶を手繰り寄せ、やっとそれが昔連れて行ってもらった公園の入園券の半券であったことを思い出した。
 
 わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、二人でボートに乗っている間、「まるで恋人同士のようだなあ」と、おかしく思っていたのを覚えている。わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、はしゃいだ記念写真の一枚も撮らなかった。或いは、カメラを構えようなんてお互いがお互いとも思いつかないほどに、その日にそわそわしていたのかもしれない。普通は一緒に出かけたら写真を撮るものだということは、それから数年後、別な人と出かけた時にようやく知った。
 そんな二人だったから、結局は心離れしてしまった。今になって何か思うこともあるけれど、もう過去のことだ。
 ただ、あの日は楽しかったなって、あの日の唯一の物的証拠である入園券に触れて、なつかしく思った。

  カメラには収めぬ一日があふれ出すあなたのいだボートの半券

 万葉の里・恋のうた募集「あなたを想う恋のうた」で優秀賞をいただきました。

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田*智* 微妙に左右対称となれぬ名前のもどかしくあり

  「おともさん」と最初に呼びきは祖母なりき時代劇めき好ましくあり

  晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており
 
  またしても「子供生みな」と言われたり生まぬまま閉じし年上の友に

  本名が旧姓として筆名になるを思えばさびしかりけり

***

 一首目の初句は実際は本名なのですが、ネットに自ら本名を載せるのは抵抗があり、ここでは伏字にさせていただきました。(他の方が引用されるのは気にしません)
 三首目、選者の淳さんに選歌後記で「まるで『細雪』の姉妹のような名前が楽しい。おそらく、こんな単純な理由で名付けることはないだろう。しかし昨今の凝りに凝った名前に対する微かな抵抗感もある。」との評をいただきました。

 一月号新樹集・風炎集・特別作品評で、俵屋さんに一月号の特別作品の評をいただきました。丁寧に読んでいただきうれしかったです。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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