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  <title>それはそれで</title>
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  <description>川が好き。山も好き。</description>
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    <title>ももの花満開</title>
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    <![CDATA[ベランダの桃の花が咲きました。今年はいっぱい咲いてうれしいです。桃の実は昨年６，７年目にしてやっと一つ育ちました。今年は昨年より花の数が多いから、もっと生ればいいなと心が弾みます。<br />
　自分で食した桃の種を気まぐれに鉢に植えてみて、思いがけず芽が出ただけでもうれしかったのに、２年くらいで初めて一つ花が咲いて、それだって奇跡みたいにうれしかったのに、年ごとに花の数が増えて、去年までは花の数を数えていたけれども、今年はもう途中で数え切れず投げ出したほどに咲いて。<br />
　<br />
　桃の他には今、大根や人参の葉、ネギなども育っています。昨年のこぼれ種から紫蘇も芽吹き始めています。ベランダの小さな菜園でも、植物を育てるのは楽しい。食べられるものはより楽しい。自分の中に流れる百姓の血を思います。<br />
　ほんとうは、一軒家に暮らして、庭で小さい畑をやりたい。子供の頃、家の庭にはリンゴの木がありました。秋にはたくさん生っているリンゴを好きにもいで丸かじりしていたものでした。リンゴの木の下にはイチゴが植えてあって、初夏には変な形のイチゴを食べました。そんなふうに自分が食べる程度の果物や野菜を自分で育てたい。どうしたらそんな暮らしを送れるわたしになれていたんだろう。どこを間違えてきたんだろう。これからがんばってどうにかできるだろうか。できることなら米だって作りたい。でも無理。田んぼには蛙が出るから。蛙だけはどうしても無理。<br />
<br />
　うだうだ書き連ねているうちに、桃の花も散っていました。<br />
<br />
　　<strong>桜桃の花ももの花満開の向こうに見ゆる月山の雪</strong>／「山形駅前歌会だより」2025年6月号<br />
<br />
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    </description>
    <category>雑記</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/472/</link>
    <pubDate>Tue, 14 Apr 2026 13:44:35 GMT</pubDate>
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    <title>東日本大震災とわたし。（１５年目）</title>
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    <![CDATA[いつもは通勤ラッシュでぎゅうぎゅう詰めの地下鉄に少しばかりゆとりがあって、ああ今日が３月１１日だからかな、と思い当たりました。仕事を休んで追悼式やお参りに行く人がいるのかもしれない。わたしの仕事の方も、最繁忙期なのに少しのゆとりがあって、そりゃあ今日しなきゃいけないことじゃなければあえて今日にはしないのかも、と想像がつくのでした。実際にわたしも用事のメールを、なにも３月１１日に送らなくてもな、と思って日をあらためることにしました。<br />
　仕事をしながら、数日前に提出した休みの申請のことを後悔していました。溜まっている有休を来月に思いっきり使えばよかった。そうしようと意気込んでいたのに、いざお願いしようとしたら遠慮が働いてしまいました。繁忙期で今月に予定していた休みも頼まれて結局出勤になってしまって、そんな状況でたくさんの休みは申請しにくかったのです。こんな時期に休むなんて、と上司に困った顔をされることに耐えられませんでした。<br />
　そんなの知ったこっちゃない、権利なんだから行使させていただきます。と、図太い自分になれたらいいのだけれど。自分を後回しにしがちな性質は震災の前からだったし、震災の時こそ顕著でした。それでのちのちしんどくなるのは、自分が完全な慈愛の精神で他者を優先するわけではなく、その場の一瞬でも良い人と思われたくなってしまったり、罪悪感を抱えることから逃げたかったり、揉めごとや面倒なことになるよりは空気を読んで自分が我慢した方がいいとの損得勘定があったりするからなのでしょう。自分の心を一番大切に、ということを震災後は心に掲げていたのに、１５年経っても守るものをぐらぐらと間違えてばかりです。<br />
<br />
　ここ数日で見たいくつかの震災関連番組のことなどをつらつら書いていたのだけれども、語れば語るほど、当事者性もだいぶ薄くなったわたしごときがいったいどの立場で、といった思いが押し寄せてまとまらず。]]>
    </description>
    <category>震災</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/471/</link>
    <pubDate>Mon, 23 Mar 2026 14:54:08 GMT</pubDate>
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    <title>パスタ</title>
    <description>
    <![CDATA[パスタを茹でようと鍋にたっぷりのお湯を沸かして、沸くまでの間を大家さんに提出する書類を書いていたら、なんだか調べなきゃわからないこともいくつかあって、別な書類を引っ張り出したり、ネットで検索しているうちに、鍋のことなんてすっかり忘れてしまって、台所からぶくぶくぶくって変な音がして慌てて駆けつけたら、お湯はすっかり蒸発して鍋の半分くらいになっていました。<br />
<br />
　このての物忘れを、この頃よくするようになりました。このあいだは片面に程よく火が通ったらひっくり返そうと思っていたお好み焼きを、ひっくり返す前に焦がしてしまいました。煮物が煮詰まり過ぎたこともあります。火の側を離れなければいいのだけれど、頃合いまでただただ火の前でじっと待つというのはなんだか時間がもったいなくて、特に今の季節は台所兼廊下は寒いので、すぐ隣の自室に行きたくなります。そうして、少しだけ何かの作業をしたら戻るつもりが、数分して忘れてしまうのでした。<br />
　こんなことは昔はありませんでした。明らかに老いです。観念してキッチンタイマーの切れていたボタン電池を買ってきました。もう自分のことは信じられない、素直にタイマーを頼りましょう。けれども、そのうちタイマーのことも忘れてしまったらどうしよう。先行き不安です。<br />
<br />
　先月末に発売された別冊太陽『石垣りん――鍋とお釜と燃える火と』の特集号を読みました。わたしの中で石垣りんの詩や随筆は、なんというか圧倒的に別格で、もう人生の半分以上をくり返しくり返し愛読しています。<br />
　それでも、最晩年の様子などはこの冊子が初見でした。あんなキレキレの詩や随筆を書いていた詩人にも、老いは訪れてしまって。身近にいてお世話をした方による貴重な証言とはいえ、こんなことまで明かしてくれないでいいのにな、と思うほどでした。足の踏み場もない部屋のことを御本人が自ら随筆で自嘲気味に書いていたとしても、人を入れるのは嫌がっていたというその現場の生々しい写真まで公開しなくても。本当の姿を知ってほしい、ファンだからなんでも知りたい、という考えもあるのかもしれないけれども、尊厳にもかかわることのような気がしてなりません。<br />
　家族のしがらみから解かれて五十歳から始めた石垣りんの念願の一人暮らしは、老いやご病気のため終了することになったけれども、その最終的な決定打は、台所のガスの消し忘れだったようでした。<br />
<br />
　自分で買ったネギの残りがあったのに実家からもネギが届いてネギがたくさんあったので、ネギのパスタにしようかなと考えていたのですが、一緒に送ってもらった春菊がしおれかけていたので、春菊と鯖缶としめじのパスタにしました。料理はいつもその時その時の思いつきです。春菊なんて子供の頃は苦くて苦手だったのに、いつのまにかその苦みが風味のように感じられるようになり、好きになりました。年を重ねるのも悪いことばかりではありません。<br />
<br />
　　<strong>ワンコインランチにあれば具はベーコンのみなるチーズパスタとコーヒー</strong>／塔2019年2月号]]>
    </description>
    <category>雑記</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/470/</link>
    <pubDate>Tue, 10 Mar 2026 13:13:33 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>神様</title>
    <description>
    <![CDATA[先週の３連休の中日、テレビでオリンピックのフィギュアスケートのエキシビジョンを見ていたところ、玄関の呼び鈴がなりました。誰かから荷物を送るとは聞いていないし、通販で買い物もしておらず、宅配便の届く心当たりはありません。普段なら訪問営業の類だと推測して居留守を決め込むところです。けれども２２日、塔の詠草を速達で送ってきた人がいたのかもしれない。普通郵便での送付を推奨しておりますが、それでも詠草の締切日の２０日近辺に速達を使う人が毎月何人かいらっしゃいます。速達は一通一通呼び鈴が鳴らされます。そういう決まりなのだそうです。訪問系の怖い事件などもニュースでよく見るので、アポなしのピンポンは怖い。恐る恐るドアを開けました。<br />
　はたして玄関の前に居たのは郵便屋さんではなく、２人の女性でした。「読んでもらえますか」と、新聞やパンフレットを手渡されました。宗教の勧誘です。あああ、出るんじゃなかった。<br />
<br />
　渡された誌面には、日本や世界が終わりに向かっていて、それを人なのか神なのかよくわからない仰々しい名前の者が救う、といったファンタジー小説のようなものが記されていました。また、日常の様々な困りごとが信心のおかげで解決した、という体験談がいくつも載っています。うーん、胡散臭い。これを真に受けて宗教に傾倒する人がいる、ということにくらくらします。<br />
<br />
　わたしは疑い深い。子供の頃は近所のお寺に通っておっさまのお説法をさんざん聞いたし、それらに文化や風習としての興味はあるけれども、お釈迦さまも弘法大師も特に信じていません。世の中の動きのことなども、情報が錯綜していてもう何を信じていいのかわかりません。そういえば今まで誰かのことを心の底から信じ切るということもできなかったように思います。自分のことすらあんまり信じることができていません。人生的にも社会的にも成功していないので、自分の力というものを信じられない。文字通り、自信がない。心だって、永遠に持ち続けると思っていた気持ちもいつのまにか変わっているし、女性特有の体の周期だったり震災のような非常事態だったり日光を浴びてセロトニンが脳内で分泌されているかどうかなどにも影響されたりするし、真に自分の心なのかあやしい。<br />
　信じる気持ちが弱いと、いちいち「これで大丈夫なのかな&hellip;」と不安で委縮してしまいます。そんな姿は、周りからも「この人は大丈夫なんだろうか」と不信がられてしまうでしょう。<br />
<br />
　あんなにも迷いない目でまっすぐに信じられるものがあって、この素晴らしさを皆にも布教せんとの善意から、見知らぬ人の家々にも突撃できる信仰心の強さが、ほんの少しだけ羨ましい。<br />
　オリンピックに胸打たれるのも、自分を信じて競技に向かう姿や、チームメイトを信じる絆のまぶしさゆえなのかもしれません。<br />
<br />
　　<strong>支払いののち崇拝のまなざしを受く三三〇〇円の神様われは</strong>]]>
    </description>
    <category>雑記</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/469/</link>
    <pubDate>Mon, 02 Mar 2026 14:54:44 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>こんなとこにも</title>
    <description>
    <![CDATA[少し前に、ミルクパンを買いました。お弁当の隙間埋めの野菜の素揚げなど、ちょっとした揚げ物を作るときにちょうど良いサイズの小鍋がずっと欲しかったのです。<br />
　天ぷら鍋などの専用の鍋を持っていないので、今まで揚げ物は深めのフライパンで揚げていました。油が結構入るのでその分たくさんの揚げ物を作らなきゃ割に合わない感じで、残った油の処理もめんどうで、だったら炒め物にするかな煮物にするかなってなって、揚げ物から遠ざかってしまっておりました。<br />
　調理師をしていた頃、食事制限のある方の分など個別メニューを作る際に小さな鍋を使っていました。一人分の小さな揚げ物を作るのに特に便利でした。ああいうのが欲しいんだよなーとは思いつつ、出費は抑えたいし、生活にどうしても必要なものではないので、これまで購入まで至らずでした。<br />
<br />
　雑貨屋のセールのワゴンで見つけたミルクパンは、そうそうこれ！　といった感じの理想的なサイズで、飛びつきました。値引きで200円、即買いです。これでサツマイモやナスの素揚げを作るんだ、数個だけの唐揚げも揚げちゃおうかな！<br />
　と、意気揚々としていたのですが、やっぱり揚げ物は油切りのバットの用意などもめんどうで気力がどうにも沸かず。それよりこのミルクパンときたら眠れない夜に一杯分の牛乳を温めるのにちょうど良くて、おかげでこの頃はホットミルクをよく飲んでいます。そもそもそれが本来のミルクパンの用途なのだから、そりゃあ牛乳を温めるのに打ってつけなはずで。そのつもりで買ったわけではないのに、導かれて落ち着くところに落ち着いたような、奇妙な感覚に陥っているのでした。<br />
<br />
　<strong>　「牛乳って言えば震災の時も」って糸口がおおこんなとこにも</strong>／現代短歌2021年5月号]]>
    </description>
    <category>雑記</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/468/</link>
    <pubDate>Sat, 14 Feb 2026 11:35:08 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>「現代短歌」No.113＜特集　震災15年＞</title>
    <description>
    <![CDATA[「現代短歌」No.113の＜特集　震災15年＞に東日本大震災後の自選10首とエッセイを掲載していただきました。自選、とはいえこれまでの反響なども参考にさせていただきながら。<br />
<br />
　　<strong>一人なり。テレビの中の被災者はみんな誰かと支え合ってて</strong><br />
<br />
　初出は2015年の冊子「１４６６日目」で、詠ったのはその前の年だったか。よくこんなこと詠えたな、と思う。と、いうか、よく発表できたなっていう。当時の本心から自然にこぼれた歌だし、鬱屈も言葉にすることでカタルシスを得られて心の回復にもきっとつながったのだけれど。今だったらもう少し理性が働いて、さすがにこんなむきだしで利己的な歌は表に出せないな、ってノートにひっそり仕舞っておくかもしれない。この頃は震災後の不安定なメンタルで判断力が鈍っていたのでしょう。恥ずかしいな。<br />
　とはいえ、割とよく引いていただいている歌で、わたしの震災の歌といえばこれなんじゃないか、という実感もあり、一番初めにこの歌を選びました。声にするのが憚られるような痛々しい思いも、三十一文字にすれば作品になる。誰かの心に届くこともある。そうしたことに、ずい分救われてきたようにも感じます。震災に限らず、歌というものの効用に感じています。<br />
<br />
　同じ一つの出来事でも被災状況や立場や考えが様々なので、こうした特集や歌集などで他の人の歌を読むことで気づかされることがいくつもあります。全てに共感したり理解ができたりするわけではないけれど、広く目を向けて自分以外の視点を知ることは大事、わたしは独りよがりになりがちだから。<br />
　歌に限らず、世の中のいろんなことも、一方の意見や思想に惑わされないように広く見渡したうえで、自分の心を見つめてゆきたい。と、この頃は特に思うのでした。<br />
<br />
<a href="http://gendaitanka.jp/magazine/2026/113/" title="" target="_blank">http://gendaitanka.jp/magazine/2026/113/</a>]]>
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    <category>お知らせ</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/467/</link>
    <pubDate>Mon, 09 Feb 2026 14:08:03 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>来迎印きめて</title>
    <description>
    <![CDATA[ぼんやりしているうちに松の内も明けてもうすぐ２月ですが、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。<br />
<br />
　今年のお正月も山形の実家で過ごしました。帰省の前日に、通り道で熊が出たというニュースを見たので心配していたのですが、幸い遭遇することもなく。両親もぎすぎすはしていますが揃って元気で、ありがたいことです、ほんとうに。こんなふうに娘然としていられるのも今だけなのだろうと思いつつ。<br />
　地元に帰って家族と話すときに自然に口からこぼれる方言が、ふと気づけば日本の標準語とは全然違っていて、なんだこの言葉は、と自分でも奇妙に思ったりします。日本語なのに、土地以外の人には通じなさそうで、なのに自分は無意識に行ったり来たりで聞き分けて使い分けていて。この感じは短歌の口語文語の感覚とも似ている気がしていて、あらためて昨年の未来山形大会での斎藤茂吉の言葉にまつわる対談なども思い出されるのでした。このあたりのことはもう少し深く詰めていつか文章にまとめてみたい。<br />
<br />
　もうすがれるものは仏様しかなくて、元旦は母にくっついて近所のお寺の元朝大護摩供法要に行ってきました。わたしは数年ぶりの参加です。以前は集落の行事といった感じで内々でこじんまりとしていたものですが、この頃は余所からもたくさん集まって盛況のようで、おなじみのおっさまの他にお坊さんが２人もいて、お堂も満員でした。こんな僻地なのに。仏のご加護を求める人が多くなっているということなのでしょうか。終わった後は昔は手作りの甘酒が振る舞われていたのが、コロナの頃に缶の甘酒の配布になり、それも評判が悪いということで缶ジュースが配られました。味はさておきお寺で甘酒をいただくということがお正月の醍醐味の一つでもあったと思うのに、時代の流れは寂しいものです。<br />
<br />
　実家の滞在中はデジタルデトックスな生活になるので、厚めな本を読む好機です。こたつに入って持参してきた奥田亡羊歌集『ぼろんじ』を読みました。第四歌集『虚国』を含む全歌集が一冊でまとめて読めるのがうれしい。総合誌で読んで付箋を付けていた歌にも再会できました。<br />
　奥田さんには、わたしの歌集について評をいただいたことがありました。その中に「無名性」という言葉がありました。「無名性」でまず浮かんだのは、宮本常一『忘れられた日本人』で、とりわけわたしは「私の祖父」の一節が好きでした。毎日田畑の仕事をして、仕事を終えると神仏を拝んで眠る、楽しみと言えば田畑で歌うことで、そんな生活に不平も疑問も持たず、一日一日を無事に過ごされることに感謝していた、そうした祖父の生き様になんだか胸がいっぱいになるのでした。思えばわたしは、こんなふうに特に世に名を残すことのない人のなんでもないような話に惹かれたり、たとえば「ドキュメント72時間」やその他のドキュメンタリー番組などで通りすがりの人がご自身の来し方を語ったりするのに聞き入ったりします。わたしの歌も、そんなふうに読まれるものなのかもしれない。そんなふうに詠んでいゆけばいいのかもしれない。「無名性」という言葉はとてもしっくりきて、なにか見えてきたような、自分の歌の鍵となる言葉のようにも感じました。いつか直接お礼をお伝えできれば、と思っていました。<br />
　他には、実家に置いてあった岡井隆『今はじめる人のための短歌入門』や、樋口一葉『たけくらべ』（「にごりえ」「十三夜」も収録）を再読したり、そんなお正月の読書でした。<br />
<br />
　令和７年ももうひと月過ぎましたが、今年の抱負を。なんだろう、せめて現状維持。今より落ちないように、できれば少しでも良い一年に。できるかなあ。ああ、実家から好みの柄の風呂敷をいくつかもらってきたので、活用したいです。馬年ということもあり、馬に乗ってみたくもなっています。こつこつ手芸もしたい。文章も書きたい。積読本も読み進めたい。夜に小腹がすいても我慢できるようになりたい。叶えられそうなところから叶えてゆきましょう。そんな小さな成功体験の積み重ねが、自信になってゆきますように。<br />
<br />
　　<strong>来迎印きめて応える同僚にホトケサマだと囃されるたび</strong>]]>
    </description>
    <category>ご挨拶</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/466/</link>
    <pubDate>Sat, 31 Jan 2026 14:54:58 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>目を閉じれば眠れる</title>
    <description>
    <![CDATA[大河ドラマ「べらぼう」の総集編を見ました。蔦重の墓碑銘を書いた宿屋飯盛が狂歌を交えながら、出版物を軸にして回想するといった構成で、場面と狂歌のズラし具合も粋だな、と思いました。昨年の「光る君へ」と２年続けて本を作るお話でうれしかったです。ただ「光る君へ」はまひろと道長のメロドラマだけがどうしてもついていけなくて、それ以外は楽しめたので良かったのですが、そのあたり「べらぼう」の蔦重はすっきりしていい感じでした（歌麿はちょっと長かったかな&hellip;）。もともと好きな時代、好きな題材ということもありますが、いろいろ攻めたところもあって、今まで見た大河ドラマの中でも特に好みでした。戦国時代はもうお腹いっぱいと思いつつ、来年の「豊臣兄弟！」の予告を見るとこれぞ大河ドラマといった趣きでなにか懐かしい。<br />
<br />
　一年を通して見た大河ドラマ以外にも朝ドラや夜ドラ、いくつかの小説など、物語に救われた一年でした。物語に没入している間は現実から心が離れられて。<br />
　今年は余り布でつまみ細工を作ったり、キットや自作の織り機で布を織ったりなど、手芸もよくやりました。手芸で手を動かしている間は無心でいられるのがよかった。手芸はできた物が残るのも達成感に繋がりました。<br />
　横浜、東京、八戸と遠出もして、日常から離れるのが癒しだと実感した年でもありました。<br />
<br />
　本年もここまでお読みいただきましてありがとうございました。良いお年をお迎えください。<br />
<br />
　　<strong>目を閉じれば眠れることに気付きたり木曜の夜を自分で眠る</strong>／塔2025年12月号]]>
    </description>
    <category>ご挨拶</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/465/</link>
    <pubDate>Wed, 31 Dec 2025 04:00:48 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>たしかにわたしが</title>
    <description>
    <![CDATA[「たみやさんはどんな仕事でもそつなくこなせる人だと思います」と、当時の上司が異動のご挨拶の際に言ってくれたことも、その言葉を御守りしようと思ったことも、１０年くらい前の日記を読み返すまですっかり忘れてしまっていました。そもそも、過去を振り返りたくなるなんていうのは、前を向けない時です。確かにそれからしばらくはどんな業務もそこそここなせていて、それは自分の力だと自信になっていたけれども、今に思えば上司に言霊の力をいただいたんじゃないか、その効力が解けてきたんじゃないか、そんなふうにこの頃は思うようになりました。――逃げたい。で、年末年始休みに救われています。<br />
<br />
　お正月の帰省に向けて冷蔵庫の整理をしました。悩ましいのが大根一本と、白菜一玉。食べきれるだろうか&hellip;。主食の代わりにして米を食べなければ消費できるか&hellip;とも過ぎりましたが、ダイエットのためにと炭水化物を抜いて体を壊したこともあるので、ここは大根を輪切りにして茹でて干して保存することにしました。白菜は、人参、しめじ、玉ねぎ、豚肉と一緒に、鍋いっぱいのシチューにするか迷って、すき煮に。余ってもうどんや餅の汁にしたり卵とじにしたりアレンジが効くので。<br />
<br />
　今年の内に観ておこうかな、と思い立ち、映画『国宝』も観てきました。外出ついでに銀行や郵便局などの用事を済まそうと二駅前で降りたところ、ものすごい人混みで交通整理に遭いました。光のページェントです。さんざん歌にも詠んでおきながら、ページェントの最中だと忘れていた自分にびっくりです。<br />
　『国宝』は、あまりに話題なのでちょっと期待し過ぎてしまった気がしないでもないけれど、評判通り美しくて見応えがありました。原作は読んでいないのですが、いろいろ端折られているのか年表のような感覚もあり、行間を読むように味わう感じでしょうか。血と芸を巡る光と影。芸を持つ人の方に肩入れしてしまいたくなるのは、血を受け継ぐ環境が特殊で恵まれてもいてそちらに共感する人が少ないからかと思いますが、とはいっても多くの人が該当する血も芸も持たない凡人が物語の主人公にはならないことを思ったりもしました。<br />
　時期も時期で時間も時間なので観客も少なかったのですが、斜め前の方に元々彼みたいな人がいて気が気でありませんでした。こんな時期のこんな時間にこんな所で居合わせたりしないでしょうと思いつつ、もし本人だったらどうしよう、会いたくない、気づかれたくない、気持ち悪いと、エンドロールが終わってから逃げるように帰りました。一時でも気持ちを向けた人を、何かきっかけの出来事があったわけでなく、全く関わりが無くなくなってから、こんなにも生理的に無理！　ってなるのだから自分の心というものが全く信用できません。それまでは思い出のようになっていたものが、自分に次の人ができたらこうなったので、よく言われる＜女性は上書き保存＞というシステムに身を持って納得したものでした。そんなふうに自分の心の動きを考察しながら、よくわからなかった映画後半の花江の心理がますますわからなくなってしまったのでした。<br />
<br />
　<strong>過去のことばかり綴ってある日記たしかにわたしが書いたのだけど</strong>／『にず』<br />
<br />
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    </description>
    <category>雑記</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/464/</link>
    <pubDate>Mon, 29 Dec 2025 14:53:56 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>「うた新聞」2025年11月号</title>
    <description>
    <![CDATA[うた新聞11月号特集「作歌に困ったら読む歌集」に小文を載せていただきました。基本的には作歌はマイペースで、無理して詠むことはせず、なんかできたら書き留める、という感じです。なんだかこのところ歌が降りてこないな&hellip;というときには読みながら「ああ歌が詠みたい！」という気分にさせてくれるタイプの歌集を、連作の構成に悩んだときは同じくらいの歌数の好きな連作をいくつか読んだりします。<br />
　あまりしあわせじゃないときに歌ができがちなため、歌なんて詠まずに済む方が人生しあわせなんじゃないか、と思った頃もありました。けれども、自分の傍に歌があるということが慰めになることもあります。心のままに詠ってゆくことにしましょう。<br />
<a href="https://irinosha.com" title="" target="_blank">https://irinosha.com</a>]]>
    </description>
    <category>お知らせ</category>
    <link>https://kokesiuta.blog.shinobi.jp/Entry/463/</link>
    <pubDate>Sat, 29 Nov 2025 14:57:19 GMT</pubDate>
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