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川が好き。山も好き。
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帰省できるかな、と思い有給を使ってお盆に3連休を取っていましたが、自粛ムードが強くなってきたので、あきらめて自宅で過ごしました。祖母の通っているデイサービスでも、家族が帰省してくる場合は書類の提出が必要だったりちょっとめんどうになってきたのです。祖母も93歳なので、会えるうちに会えるだけ会っておきたいですが、こういう世の中なので仕方ないです。リモート帰省とかもできればいいのかなあと思うのですが、わたしも実家も最新技術に疎くてままならず。
 どんどん時代に取り残されている気もしてきますが、ハガキや手紙などのアナログ通信も楽しい今日この頃。いろいろ落ち着いたら手紙もこれから書いてゆきたいし、新しいことも覚えていろんなことができたらいいなあと思います。
 
 連日の真夏日で、ベランダの鉢に毎日何度も水遣りをしています。気がつくと土がからからで、葉がしょぼしょぼしています。植物も命なのだと実感させられます。命を預かっているのだ、わたしは。
 土や葉はからからですが、わたしは汗だくです。人の体から、特に背中からどうしてこんなに水が出てくるのかほんとうに不思議。いい加減にエアコンを買うべきなのですが、あと少し我慢すればこの暑さも終わるのだ、と毎年やり過ごしてしまいます。 
 米を炊こうか、素麺を茹でようか、と悩んで素麺を茹でる夏の日々です。

  素麺を茹でる速さで夏は過ぎ少し老いたるわたしが残る  『にず』

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『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』を観てきていました。監督・撮影はNHKカメラマン・百崎満晴さん。NHKのドキュメンタリーシリーズの映画化とのことですが、わたしはまったくの初見でした。
「花を咲かせてふるさとを山に還したい」というコピーは、小林ムツさんの言葉でした。秩父の山中で、老い支度として夫の公一さんと共に畑を閉じてゆくムツさん。いつか人が山に戻ってきたときに喜んでもらえるように花を植える、という心遣いに胸を打たれます。また、この集落で唯一農業で生計を立ててているという武さんにも信念のようなものを感じました。
 ムツさんなど集落の人達のスローライフな暮らしや色とりどりの美しい自然にあたたかな気持ちになりますが、それだけではない現実を16年という月日の経過に突きつけられます。見終えて思ったのは、この映画の主役は山、この土地だということでした。

 映画を観ながら、地元の集落のことを考えていました。わたしの実家も、もうずいぶん前に山中のタバコ畑を閉じて杉の木を植えました。隣の家では養蚕をやっていましたが、蚕小屋はもうありません。子供の頃にわたしも巫女さん役をした地域のお祭りも無くなりました。少しずつ少しずつ、ふるさとは小さくなっています。
 わたしの番が来たら、わたしも花を植えたいと思いました。土地だけでなくとも、人生に花のような、強くてきれいなものを残していけたらいいと思いました。

  公式サイト→https://hana-ato.jp/

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最上川はわたしの町を君の町を流れゆく川 赤い橋見ゆ  『にず』

 と、詠んだ赤い橋あたりが先日の豪雨で氾濫したらしく、動揺しておりました。幸い実家は無事でしたし、この災害で犠牲者も出なかったようなので何よりです。とはいえ、浸水した家屋も結構あるようですし、農作物の被害も心配です、稲刈り前だし。
 こうした時期ですのでボランティアも町内の者のみの受付ということで、なにもできないのが歯がゆいですが、落ち着いたら肉中華を食べたりして地元にお金落としたいです。というか普通に今の時期食べたいです、肉中華。

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7月15日の大安吉日に、第一歌集『にず』を上梓しました。
402首収録、装幀は花山周子さん、栞文は八雁の阿木津英さん、塔の松村正直さん、まひる野の北山あさひさんに書いていただきました。
お求めについては、メールにてご連絡いただければ折り返しご案内いたします。
本体2000円、送料はこちらで負担します。
tomomita★sage.ocn.ne.jp  (★を@に変えてお送りください。)

または版元の現代短歌社まで。
オンラインショップでもご購入いただけます。
https://gendaitanka.thebase.in/items/31597510
どうぞよろしくお願いいたします!


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塔6月号を読みましょう。敬称略です。3月20日〆切分、世の中がざわざわしてきて、テレワークが始まったり学校がお休みになった頃でしょうか。

  いのししが四頭捕れて一頭を丸焼きにしようと誘いの電話  小島さちえ

 豪快さに惹かれました。野性的な歌なのに、結句で「電話」という文明の利器がでてくるのもおもしろいです。残りの三頭はどうしたのでしょう、気になります。

  思ふほど夫は不自由してをらずやきそばの残りが冷蔵庫にある  豊島ゆきこ

 作者の入院の一連から。自分がいないことに困っていればよかったのに、というようなガッカリ感を感じるのは、2首目の「この世からこぼれてしまつた媼たち」という言葉のせいでしょうか。冷蔵庫で冷えた焼きそばが寂しい。

  逝きし子が幾度か入浴せしという銭湯の前を散歩してみる  石飛誠一

 わが子を悼む歌で「銭湯」というのが珍しいと思いました。側を通るだけで、湯に浸かったりはしないのでしょうか。まだ追体験はできない、といった心情なのかもしれません。

  ずっと死にたかったのですと言いながらホットケーキを注文しおり  中山悦子

 思いつめたような吐露の内容と、「ホットケーキ」の取り合わせ。ですます調も関係性なのかキャラクター性なのか想像がふくらみます。ホットケーキなだけに。

  家を出し子の帰らぬに母ひとり雛飾りたり雛納めたり  加藤宙

 「帰らぬ子」なので、独立したというよりは家出や失踪のような印象です。下の句の畳みかけが、形式的な行事のようでもあり、いつまでも飾っていて嫁に行き遅れないようにという祈りのようでもあり。

  おかえりといつでも言うよ長崎の港に戻る船に向かいて  寺田裕子

 一首で読むと気持ちのいい港町の歌で、もちろんそう読んでも良い歌ですが、前の歌からこの「船」は長崎で作られたダイヤモンド・プリンセス号のようです。曰くの付いた船に対して、上の句の口語がとても優しくあたたかい。

  『文芸くにとみ』二百余冊に正誤表挟み届ける小寒の朝  別府紘

 なんといっても『文芸くにとみ』の冊子名の味わい。「二百余冊」という数字も絶妙に自分で頑張れそうな冊数です。正誤表挟みという面倒で事務的な作業もこうして歌になるのだなあ。

  水筒に残ったお茶を飲み干して今日という日が今日また終わる  紫野春

 明日また新しいお茶を入れるために、残りを飲み干すのでしょう。今日一日仕事や何かの活動に伴った水筒の残ったお茶、というのが一日を終えての余力や気持ちのようで象徴的です。

  郵便局までの冒険終えしのち子は眠りたり我も眠れり  魚谷真梨子

 塔の月詠を出しに(?)郵便局まで、という何気ない移動を冒険と呼ぶのが楽しい。お子さんにとって未知の冒険なのでしょうし、子を伴って郵便局に行くということもお母さんの冒険なのでしょう。

  管理者の木札各々つけられて石川川に河津桜咲く  村上春枝

 花の季節、大切に管理された桜に木札が付けられている光景は誇らしいものでしょう。桜守はとても難しく専門的な仕事のようなので、込める思いも並々ならぬはず。それにしても「石川川」という川の名前。

  叶っても夢の向こうに生活はありて学費はコンビニ払い  仲町六絵

 夢が叶ったからこそ見えてくる現実もありましょう。「コンビニ払い」がなんとも世知辛い。きっちり定型に収まっているのが歌の内容に合っていていいと思いました。

  引き算をして生きてゆく感動を伝へる会を退会したり  澤﨑光子

 「感動」まで行く仰々しさをセミナーのように読みましたが、断捨離や最近話題のミニマリストなども浮かびます。四句目まで続くまわりくどい会の名前からの結句の「退会」という構成にすっきり感を感じました。

  銀山のパン屋でカヌレを一つ買いカヌレを二つ買う人を待つ  丸山恵子 

 銀山温泉だろうか。相手が大食いということなのだろうか。会計待ちか、待ち合わせだろうか。「人」というのは他人っぽいので友達ではないのだろうか。読めそうで読みきれないのですが、声に出して読むとなんとも楽しい響きです。


 歌会記を注目して読みました。外出の自粛の中、ネット歌会、詠草集配布、お手紙歌会、紙上歌会、メール歌会など各地で工夫して楽しそうです。

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『精神0』を観てきていました。想田和弘監督の観察映画第9弾、引退を控えた82歳の精神科医・山本昌知さんを見つめるドキュメンタリーです。
 同時期に、前作の『精神』も再上映されていましたが、予告編を観た時に、本編は観る方にも覚悟が要るような気がしてきて、自分の心の強さに自信がないので、今回は新作の方だけ観ることにしました。

 医師のドキュメンタリーではあるのですが、そうした立派な肩書や公な姿より、より山本昌知さんという人間そのものへ目を向けられていると思いました。『港町』の時の監督のトークショーで、ドキュメンタリーに何かテーマを決めてしまってそのように編集することもできる(が、そうしなかった)、というようなことを仰っていたと記憶しているのですが、この映画もそのようにテーマを作ったり押し出したりせずに、できあがって初めて浮かび上がってきたものがあるのでしょう。
 カメラワークというのか、なにか、撮っている人の目線を強く感じるのが独特でした。観察映画ということなので、目に入ったものを撮ってゆく、おもしろく思ったものを撮ってゆくといった感じなのでしょうか。スクリーンには主に山本ご夫妻が映っているのだけれど、映している方の存在感が強い、という、不思議な感覚です。

 老いについては、ほんとうに感じ入ってしまうところがありました。監督である想田さんにお茶を出そうとする場面が、とてもしんどかった。ダイニングキッチンから応接間へお茶菓子と飲み物を運ぶ、というだけの何気ない動作が、壮大な試練のように映し出される。その場に駆けつけてサッとお菓子を箱から出して棚からコップを取ってお盆に乗せて持って行って注いであげたくなるくらいでした。普通だったら3分もかからないような作業が、老いゆえこんなにしんどい。きっと待つのもしんどい。そしてそれをこうしてじっと観ているのもしんどい。でも、これはわたしにも訪れる未来だ、と思うのでした。

 夫婦愛、というようなことがチラシのコピーや、映画館に貼ってあった切り抜きにも書いてありましたが、お涙頂戴的なメロドラマっぽさは全然なくて、日常そのままといった感じでした。でも、その日常こそが愛なのだとも思います。老いや、病を患ったことが事件でも分かれ道でもなんでもなくて、前作『精神』やそれ以前の来し方と自然な地続きだということ。
 後半に出てくる、奥様のお友達にはとても救われた気がしました。おしゃべりでとても良いキャラクター性ということもあるのですが、奥様がお元気だった頃と変わらない尊敬と友情で今もお付き合いがあるのがうれしく思いました。そうした中で、医師の妻としててきぱき仕切っていた頃の映像が挟まれたりするのに、胸にくるものがあります。自分が年齢を重ねてきたせいか、他にもたとえば『ふたりの桃源郷』などの長期のドキュメンタリーや、お正月に観た『男はつらいよ』などのフィクションでも、時を経てゆくものにこの頃は惹かれます。長い目で一人一人の人生について思いを馳せたいのかもしれません。

  公式サイト→https://seishin0.com/

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実家から野菜が届きました。夏野菜の季節です。キュウリ、ナス、タマネギ、ピーマン、ジャガイモ、ズッキーニ、キャベツ、レタス。売り物にならない変な形のさくらんぼも入ってます。

 キュウリとナスが一緒に届いたら、だしを作りたくなるのが山形人です。タマネギもあるので入れよう。ベランダの青じそも入れよう。ご飯やそうめん、冷奴にかけて食べよう。
 残りのキュウリは冷やし中華の具か、レタス、キャベツと一緒にサラダにしよう。ジャガイモがあるのでポテトサラダもいいな。塩もみしたタマネギも入れよう。
 残りのナスは素揚げにするか、ピーマンと一緒に炒めよう。味付けはしょうゆでも味噌でもいい。ナスもピーマンも肉詰めにするのもいいかもしれない、みじん切りにしたタマネギを肉に混ぜて。
 トマト缶があるので、タマネギとピーマンとナスでパスタソースも作れそう。ジャガイモの薄切りをピザ生地に見立てたピザも久しぶりに作りたい。タマネギとピーマンのスライスをトッピングして。わたしが子供の頃、叔母がこのピザをよく作ってくれたのです。 
 夏だから冷製のビシソワーズもいいな。ジャガイモ1個で作れるでしょう。いろんな野菜を少しずつとキャベツとでコンソメジュリエンヌスープもいいな。ジャガイモ、タマネギ、ナス、キャベツは普通に味噌汁でもいいな。皮を剥いたキュウリも実家の味噌汁に入っていた気がする。
 ズッキーニは炒めて塩コショウで味付けするか、マヨ炒めばかりしてしまうけれど、結局シンプルな食べ方がおいしいと思うのです。

 いろいろ思いめぐらせながら、買出しに出かけました。まだ安心して外出できる気がしないので、買出しは週一回に抑えたいところ。野菜はあるので、お肉や卵、調味料を買います。店員さんからしたら野菜を食べないで肉ばっかり食べている人に見えるんじゃないか、と変なところが気になったりします。
 それにしてもしょうゆや牛乳を買うとエコバッグが重たい。ごま油とか酢とか瓶に入っているものも重たい。それ以上に実家から届いた荷物の方が重たいのだから、ありがたいものです。

 実家から荷物の届いたその日に、妹宅へ、妹と甥っ子の誕生日祝いの荷物を送りました。宅配便の営業所もソーシャルディスタンス仕様で店内に2人しか入れません。少し外で待ちました。
 時々母に「そんなに送ってこなくていいよ」と伝えるけれども、荷物を送ることがそんなに苦ではない、あれもこれも送りたい、というような気持ちは、自分が送る側になってわかることでもあるなあと気づくのでした。
 
  故郷のなすときゅうりにベランダのしそを刻んでだし作りおり


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『島にて』を観てきました。山形県の離島・飛島(とびしま)のドキュメンタリー映画です。監督は大宮浩一さん、田中圭さん。

 小学校の頃など、「飛島に行ってきました」という夏休みの作文をよく見たので、わたしはずっと飛島を観光地だと思っていたのです。こんなに何もない島だったとは。けれども、この島で暮らす人達のひたむきな営みが伝わってきて、懐かしいような気持になりました。漁師のおじいちゃん、農業のおばあちゃん、島に移住してきて介護施設を開所したご夫婦、UターンやIターンして島での雇用を作り出そうと奮闘する若者たち、そして島でたった一人の中学生。140人ほどの小さな島で、たった一人の中学生の少年は、島の子というくらい、島の人達にあたたかく見守られていました。そして、高校進学のために島を離れてゆきます。島の人達はほとんど高齢者で、若い世代の人達ががんばっているけれども、あと10年、20年したらこの島はどうなるんだろうと思いました。それは、わたしの地元にも言えることです。
 わたしは山形出身とはいえ山の方なので、海側の庄内地方とは方言が違っていて、ご高齢の方々の言葉の中には何を言っているのか聞き取れないところも少しありました。他の地域の方はもっとわからないのでは、と心配になりますが、変にテロップなどを付けずに、聞き取れないものは聞き取れないまま、そのままの言葉を味わうものなのかもしれません。
 漁の作業場や、教室の窓から海が見えるのがいいなと思いました。日本海なので、海に夕日が沈むのもきれいでした。

 本編の前に流れた『花のあとさき』の予告編でぼろ泣きてしまいました。なんだかわたしは老夫婦もののドキュメンタリー、特に山とか畑とかにほんとうに弱いんだな。絶対に観よう。

 モーニングショーで映画を観た帰り、久しぶりに定禅寺通りを歩いてみました。けやき並木は緑の盛りです。日差しの強い一日でしたが、通りは木陰で涼しいものでした。雑貨屋に入り、シャボン玉セットを買いました。

  公式サイト→https://shimanite.com/


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6月に入ってから、一気に朝の地下鉄が混み合ってきました。休業要請のあった職場が再開したり、テレワークをしていた方々が復帰したりしたのでしょう。カバンを肩にかけたまま文庫本でも読めるゆとりがあればいいのですが、カバンを手に持ち換えて下に下げないと人が収まらないような窮屈さです。
 でも、体が触れないだけまだましです。コロナ禍前のラッシュ時はまだこんなものではありませんでした。このままテレワークも併用したり、新しい働き方が定着してきたりするのでしょうか。アフターコロナ、という言葉もこの頃気になります。

 4月半ばから始まった臨時業務は現在も継続中です。当初は緊急事態宣言の5月6日までと聞いていたのが、延長の、延長になりました。もうすっかりなじんでしまい、今となっては元の業務よりこっちの方が向いている気がするなあ、ぐらいになってきました。とはいえ、コロナ禍ゆえに需要の出てきた業務なので、状況に合わせてまた変わってゆくのでしょう。なんにしても、仕事があるだけありがたいです。

 世の中のムードにつられ、「おうち時間充実させよー」なんて自分もステイホームしていた気分でしたが、普通に出社して週5日の8時間勤務で、おうち時間が増えたりしていませんでした。
 それでも塔5月号が早く読み終わったので、三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読みました。『海と夕焼』『橋づくし』『百万円煎餅』あたりを特におもしろく読み、表題作で代表作とされる『憂国』を後回しにして取っておきました。
 お昼の休憩時間に満を持して『憂国』を読んだら、食欲がすっかり失せてしまいました。冷凍庫整理で作った、鰆とゴボウの味噌煮の弁当は食べ終えていたのが救いです。話の内容とか思想とかではなく、単純にスプラッター描写がわたしは不得手なのでした。でも、なにかすごく美しく官能的な世界でした。

 おうち時間が増えたりはしていませんが、外出を控えて筋トレしたり、スコーンなどの手作りおやつを作ったり、メールで歌会をしたり、ベランダで桃の木を育てたり、おうち時間は楽しくしています。東北も今日から梅雨に入りました。

  観覧車が休憩室の窓に見ゆカウントダウンみたいな日々だ

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まだ6月号が来ないうちに5月号を読み終えました! 6月号が届くまで三島由紀夫『花ざかりの森・憂国ー自選短編集ー』を読んでいます。おもしろいです。5月号は2月20日〆切分、コロナの影響が少しずつ出始めた頃でしょうか。敬称略です。

  冬空に白雲輝くひとところ名付けくれたる日の父思う  黒住光

 作者は冬生まれということでしょうか。きっとこんな景色を見てこの名前を自分に付けてくれたのだ、とお父様の心を想像するとあたたかな気持ちになりそうです。

  やさしさを責められており介護職のやさしさは時に弱気であれば  山下裕美

 手を貸したくなるのはやさしさより、事故を未然に防ぎたい気持ちが先に立ったのでしょう。機能が衰えないように手伝わないことも必要な現場。ピアノが配膳台になったり、子を養うために特養へ転職したり、職場の現実の伝わってくる一連でした。

  今度また部屋においでよ白木蓮すぐに掃除の終わる部屋だよ  綾部葉月

 「白木蓮」の位置がおもしろいです。白木蓮に呼びかけているのだとしても、誰かに呼びかけているのだとしても。

  婿さんは娘のことをちゃん付けのままで浮気し別れるという  澁谷義人

 読んでいるこちらまで悔しくなる一連でした。「ちゃん付けのままで」が生々しくて、裏切り感が伝わりました。 そして「婿さん」に皮肉が効いています。

  身ごもる娘を身ごもつてゐたわたしを身ごもつてゐたわが母眠る  一宮奈生

 マトリョーシカのような構成がおもしろい歌です。命のめぐり、家の歴史なども感じて、深い読後感がありました。「眠る」で結ばれるのもなにか象徴的な気もして。

  窓みがき四月を待たむこの時給三十円ほどあがる四月を  沼尻つた子

 初句の入りと、三十円のために待ち遠しくくり返される「四月」のリフレインに悲哀を感じます。三十円でもフルタイムで働けば五千四十円になりますから、これは大きいですよ。より小さく感じる数字を選んだのがテクニカルだと思いました。

  奥底の一番かなしき日溜まりにあなたを置きて餅をつきたし  國森久美子

 意外な結句にびっくりしました。まったく読み切れない歌なのですが、魅力を感じます。 餅付き行為はなにかのメタファーなのでしょうか。餅の白さで明るい印象もあります。

  好物は何やったんと喪主に聞くコンビニに行く口実として  谷口美生

 それっぽい口実を作ってまで抜け出したい場。お父様の葬儀の一連で、どの歌からも、決して良好ではなかった関係がうかがえて、現実的で冷静なまなざしがよかったです。

  万歩計のために歩みて蝋梅のあまきかをりに出合ふしあはせ  安永明

 棚からぼた餅のような感覚でしょうか。健康のためとかではなく、万歩計のために歩むのもなにかとぼけた味わいです。しあわせってこういうものでいいんだよなあと思わせられる歌でした。 

  喫茶店に長い食パン届くのに居合はせし我々のしあはせ  森尾みづな

 しあわせの歌に続けて目が留まってしまいました。滅多にお目にかかれないレアな場面に遭遇したのもしあわせですが、パン屋さんの美味しいパンの匂いや、喫茶店で仲間と過ごすことも含めてしあわせなのでしょう。

  ウェデングのケーキ入刀切り過ぎた尚ちゃんやっぱり離婚したりき  田巻幸生

 縁起が悪い…、というよりは尚ちゃんのキャラクターをおもしろがる歌なのかなあと思いました。ハレの場でもガサツなのだからきっと日常でもやらかして愛想つかされ、の「やっぱり」。下の句の韻律がコミカルな響きです。

  クッキーの匂いがまだするカンカンに君の写真はしまわれてゆく  王生令子

 クッキーの甘い匂いと一緒に、楽しかった日々も閉じ込めてしまうのでしょう。別れの一連で、「憎む」とか「殴る」とかいう言葉が続く中にこういう歌があるのが切なく思いました。

  スーパーをまわるあいだに鯛は売れ町のだれかはめでたいゆうべ  青海ふゆ

 日常のなにげない一コマですが、スーパーの鮮魚コーナーから誰かの慶事まで思いを馳せるのがポジティブでいいと思いました。ぶっきらぼうな言い回しもおもしろいです。


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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