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川が好き。山も好き。
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知り合いにプレゼントしたい、と母の妹である東京の叔母から歌集の注文をもらいました。ありがたいなあ、と思いつつわたしの歌集は自分でも読んでてかなしい気持ちになるので、プレゼントには向かない気がします。歌集だったら故郷を代表する斎藤茂吉とか、今なら俵万智さんの『未来のサイズ』などの方がよろこばれそうです。「姪の書いた本なのよ~」みたいな感じなのでしょうか。歌集は出そうと思えば誰でも出せるものですから、わたしがなにか偉業を成し遂げたわけではないし、お知り合いの方に迷惑な押しつけになってしまわないか、なんだか心配してしまいます。

 歌集を出したことを実生活では誰にも、当初は親にすら伝えていませんでした。家族をネタにしたネガティブな歌も収録しているし、プライベートな内容を身内に知られるのはどうにも恥ずかしい。歌として他人に晒しておきながら不思議な感覚だとも思うのですが、恥ずかしいのです。
 4か月ぐらいして、地元の新聞のコラムに取り上げていただき、あえなくバレてしまいました。本名なので仕方ないことです。せめて改姓していたら実家の隣近所の方々や昔習ったピアノの先生などにまで気づかれなかったでしょう。

 改姓したいと、ずっと思っていました。新しい名字になったら、今までのみっともなく恥ずかしい自分を過去として切り離して、新しい自分として生き直せるんじゃないかと思っていました。自分のアイデンティティが失われる、生まれた時の自分のままでいたい、まるで自分を葬っているようで苦痛というような夫婦別姓推進派の方々の声を聞くにつけ、そこまで自分の生き方を肯定できるのがまぶしく見えます。
 尤も、夫婦別姓を推し進めていったら、名字そのものの意味がなくなるのではないかという気もしています。生まれたときから父と母が違う名字で父方の祖父と祖母も違う名字で母方の祖父と祖母も違う名字で、というようなばらばらな状況であれば「代々受け継がれてきた氏を大切にしたい」も何も受け継ぐものもなくなるのでは、明治時代以前の農民のように名前だけで事足りるのでは。それなのに姓の廃止を求める話は聞いたことがなく、別姓への活動ばかり盛んなのはどういうことなのでしょう。
 子のない父の兄の養子になって、父の旧姓に改姓するという方法もあります。けれども、親族間の事情で疎遠になっているし、わたしが父の実家に入ったところでわたしが繁栄させられないことを思えば現実的な話ではありません。

 叔母の娘、わたしのいとこが東京から関西へ転勤になり、引っ越し先にわたしの歌集も連れて行ってくれたという話も聞きました。叔母とは冠婚葬祭で会う機会があったり、梨を毎年送ってくれるので電話をしたりしていますが、いとことは最後に会ったのはわたしがまだ10代で彼女がまだ小学生の頃なので、もうずい分昔のことです。血が繋がっているとはいえ、ほとんど他人みたいなわたしの私生活駄々洩れの歌を、一回り年下のいとこはどのような思いで読んでいるんだろうな。恥ずかしいけれど、ちょっとうれしかったりもするのでした。
 ところで、叔母は知り合いの人に歌集をあげるのも、いとこのことも「漫画が好きだから~」と言うのですが、もしかして叔母にとっては漫画と短歌が同じジャンルのくくりなのでしょうか。驚愕です。

  わたくしの名に九つの窓があり結露しているその磨りガラス  『にず』

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8月に入りましたが6月号を読みますよ。敬称略です。

  赤べこの背に積んでいる米二俵きっと重いとこのごろ思う  山下洋

 丑年だからかコロナ退散祈願か赤べこが今年は売れているとのこと、特に願いをかけたのが俵べこ。確かに米俵も人の期待も重そうです。そして初めて見た時というわけでなく「このごろ」なのがおもしろいのです。

  なんでこの手袋に指が入らぬかかじかんだ眼にも涙が湧きぬ  土肥朋子

 切実さが伝わってきて惹かれます。手袋そのもののもどかしさだけでなく、これまで抱えててきたものが手袋をきっかけとして噴き出したような。

  この世にはいない夫を誰よりも頼りにしつつまた春迎う  畑久美子

 いなくなってなお心の支えでいてくれるということ。神様や仏様のように、それはもはや信仰のようなものかもしれません。
  
  花の名を犬に教えてなんとしょうそれでもなずなたんぽぽの花  林田幸子

 犬に教えるというかたちをとりながら、語ることで自らが癒されることもあるでしょう。受け止めてくれる犬や花の優しい春です。

  弁当を今日はやすむと決めたときふとんふかふか私をつつむ  山名聡美

 あともう少し寝ちゃおう、と吹っ切れてふとんの存在感が増してきました。ひらがな表記と「ふ」の語感がいいです。

  馬となって五番目の孫と遊ぶには息が足りない三歩も歩めず  新城研雄

 四番目の孫までは馬になって背中に乗せて遊んであげられたのでしょうか。きっと複数の子がいての五番目の孫という家族ドラマも想像させます。下の句が河野裕子さんみたいな石川啄木みたいな。

  皮むきのムッキーちゃん添え八朔を友は呉れたり袋に入れて  竹内多美子
 
 「ムッキーちゃん」が歌に詠まれているのを初めて見ました。歌会だと「ムッキーちゃん」か「袋」かに焦点を絞った方がとか言われそうですが、要素の多さにお友達のキャラがにじみでているようにも思うのです。

  おおかたは一人暮らしのアパートの一つ一つの部屋が灯って  杉田菜穂

 人と会わなくなり、どこでも距離をとるようになり、といったコロナ禍の一連。アパートの灯に、同じように過ごしている人がいるのだとなぐさめられるのかもしれません。

  二十年使いしストーブ手放しぬ亡夫の作りし凹みも共に  成瀬真澄

 凹みを手放すという把握がおもしろいです。凹みを作ったその時はもめたりしたかもしれないですが、時を経て旦那様と過ごした日々の証にもなったのでしょう。

  朝食に弁当二つ作ること支えとなりぬ我が退職後  原田典子

 弁当が朝食、という読みであってるかな。必要とされること、役割があること、誰かのためにがんばることで逆に自分が支えられるということ考えされます。

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朝ドラはヒロインがすぐ東京に行くから嫌ひ コーヒーの湯気  逢坂みずき『虹を見つける達人』

 例に漏れず、今期の朝ドラ「おかえりモネ」も東京篇に突入しました。わたしは基本的には東京に行く展開に対して強い思いはないけれども、「おかえりモネ」はそれまでの舞台が馴染み深い宮城だったこともあり、地元の盛り上がりも感じていたので、もう少し宮城に留まっていてほしかったです。とはいってもタイトルからして戻ってくるのではないかと予想しております。わたしのふるさとの山形が舞台の「おしん」なんて、伊勢に行って戻ってこなかったことを、総集編を最近見て知ってびっくりしました。なにしろリアルタイムで見ていたのが3歳ぐらいなので内容は覚えていないのに山形でのおしんブームの記憶が大きかったこともあり、山形の物語だと信じ切っていました。

 「おかえりモネ」、震災のことなどもとても誠実に描かれていて好感を持って見ていますが、主人公の百音が先生に勉強を教わっている時に、二人が男女の仲に発展することを期待して職場の複数の人達がきゃっきゃと陰からのぞいている場面だけはどうにも苦手でした。当人同士が少なくともその時点ではそうした意識がないのに、恋愛関係になるように囃し立てて観察するというのは、恋愛を強制されているような、周りの複数の人達に娯楽として共有されているような、居心地の悪さを感じるのでした。

 「恋」や「恋人」といった歌をわたしも詠んできたけれども、それがうまくいかなかったという歌を詠んできたけれども、実際はわたしの心や振る舞いが、一般的な、或いは相手の期待するそれとはズレていたからうまくいかなかったのではないか、と自覚できるだけの違和感はずっとありました。適切な言葉が見つからないまま、便宜上、相聞に寄せていたような、そんなことを思い出しながら「短歌研究」8月号、水原紫苑さんの責任編集の女性とジェンダーをめぐる特集を読み耽っています。わたしも10首「花降る」掲載していただきました。
https://www.tankakenkyu.co.jp/

 塔・東北から『3666日目 東日本大震災から十年を詠む』も刊行されました。
 塔の東北に関わる面々で、東日本大震災とその後の日々の歌を年に一冊発行しています。11冊目にあたる今回は15名参加、「今思う<震災を詠う>ということ」というエッセイ企画もあります。定価600円、収益は被災した子ども達のために活動する団体に寄付されます。どうぞよろしくお願いいたします。
 boothという通販サイトからお求めいただけます。
https://toutouhoku.booth.pm/items/3115184 #booth_pm

 数日かけてぐだぐだ書いているうちに、朝ドラの方は百音と先生が接近していました。別にいいけど。

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7月号が届いておりますが、5月号を読みましょう。バスの中でも読むようにして、少し読み終えるのが早くなったのですが、アウトプットに時間がかかるのかなあ。敬称略です。

  落としたる飯一口を蹴り出して向かい席の足元へやる人のあり  藤井マサミ
 
 作者はその目で見てしまったのです、誰も見ていないと思って自分の小さな罪を他人になすり付ける卑しい行為を。自分の足元がきれいであれば他人などどうでもいいというさもしい心を。
 
  夫逝きて一週間の過ぎにけり二日ほど雪が朝に舞ひたり  亀山たま江

 挽歌の一連の一首目。静かに淡々と詠まれることで胸に迫りくるものがあります。深い喪失や現実の慌ただしい日々を振り返った時に、思い出されるのは雪のことだったりするのでしょう。

  沈む前の夕陽になって照らしたいあの日に立ちすくむ私のことを  小川和恵

 過去の自分を励ましたいという思い。エッセイに震災のことがあるけれども、「あの日」は3月11日ではなく、作者自身に何かあった日と読みたいのです。

  おばあさんなれども雛を飾りつつ夢色々と語り合いたり  西村清子 

 お雛様を飾るのにも、夢を語るのにも、年齢や性別の制限なんて本当はないのに。「おばあさんなれども」という断わりに謙虚さと切なさがにじみます。

  服はいつも来ているけれど今日はじめて着たような気分にもたまになる 平出奔

 そんな気分になることってあるのかなあと思いつつ、あるのかもしれない、と何か妙に納得させられるのは、「ような」とか「たまに」とか妙にぼかされているからなのか、結句の言いきりのためなのか。

  地震ののち歌会がありて楽しくて疲れてその夜十二時間眠る  三浦こうこ

 十二時間! 地震の不安や片付けで眠れなかったのが、楽しい時を過ごして気持ちがほどけたのでしょうか。「て」のくり返しからの結句の字余りもそのように詠ませます。

  保護者からの電話ようやく切りしのち伸びたる麺をこわごわ啜る  中村英俊

 この歌の数首前に<電話線を抜きたくなるを抑えつつ保護者の要望ハイハイと聞けり>という歌があり。要望を訴える方は、自分が相手の休憩・休日の時間を侵食している事実なんでお構いなしなのですね。

  「またおいで」と土産にくれし焼海苔の空缶が叔母の形見となりぬ  清水久美子

 焼海苔の、しかも空缶が形見として遺ったというところに、叔母さんの人となりや作者との関係性が見えて味わいを感じるのです、海苔だけに。

  本能寺に上司を討ちしドラマ見つさてとあしたも仕事へゆかな  垣野俊一郎

 仕事上の上司部下のしがらみは戦国時代も現代もどこか通じる部分があるのかもしれません。尤も「麒麟がくる」はそのように共感を誘うように描かれた、ということもあるのでしょう。

  来年は撒けるだろうかと思いつつ撒いたな豆を去年も今年も  石川泊子

 つぶやくような詠いぶりが印象的。とつとつした不思議な語順が、かえってリアルで切実な声のように伝わってきます。自身の病が、豆を撒いて外に出したい鬼であるような思いもあるのかもしれません。

  善光寺に慎み拾ふ菩提樹の仄あたたかき実のつぶらなり  飯島由利子

 善光寺の景色からカメラが寄ってゆくような歌の作りで、すべてが「つぶら」であることへの序詞のようになっているのがおもしろく思いました。

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ワクチン接種に関する問い合わせの対応の仕事の求人メールが、この頃届きます。世の中の役に立ててやりがいがありそうですし、時給もなかなかに魅力的です。一方で、これは絶対に過酷だ……と、かつていくつかカスタマーセンター業務をしていた時の経験から想像がつきます。

 こういった問い合わせの窓口は、たいてい混み合っていてなかなかさくっとは繋がりません。なので繋がった途端に「なんで繋がらないんだ」というような苦言を言う人もいるでしょう。用件のみなら数分で終わるものを、繋がらないことへの苦言だけで何十分も話し続ける人も一定数はいるでしょう。
 繋がらないことへの苦言だけではなく、コロナウイルスに対する不安や、政府の政策に対する不満をぶつけてくる人もいるかもしれません。問い合わせから自身の病歴や家族のことなどの身の上話にすり替わってしまう人もいるでしょう。ニュースで聞くようなワクチン反対派から過激な電話がかかってくるかもしれません。
 対応が長引けば、他に電話をかけてくださっている人がその分ますます繋がらなくなるのですが、話し続ける人はそんな自分以外のことなんて知ったこっちゃないものです。本題ではない話だからといってぶった切ればクレームに発展することもあるし、気の済むまで相槌を打ちながら聞き続けます。
 もちろん、何かに巻き込まれなければ「ありがとうございます」「助かりました」とお礼を言ってもらえることは多いでしょうし、充足感も得られそうです。
 今の仕事が続いているので求人メールに返事をしたりはしませんが、いろいろ想像したり思い出したりしました。

 たとえば、何か使っている製品が壊れた時に、「こうすれば直りますよ」「新しいものを送りますよ」というような解決策より、壊れて困ったという自分の気持ちを聞いてほしいという人が、割と多くいらっしゃるような気がしました。壊れてしまってどれくらい困っているか、普段はこの製品を使ってどのようなことをしているか、何月何日に誰々が来るので何をどうするつもりだったか、近所の人はどうしているか、昨日はこんなことなかったんです、急に壊れたんです、だからとても困ってるんです、困ってるんです。くり返される訴えの隙を突いて、右上のランプは点いてますか? 真ん中のボタンを押してみていただけますか? というようなことを伝えて、なんとかなんとか話を軌道に乗せていた日々でした。

 「それは困ったことですね」「大変でしたね」「びっくりしましたね」、そのような共感の言葉は、相手が自分の生活には関わってこない電話越しの顔の見えない他人だからこそ遠慮なく求めることができるのかもしれません。受話器を持つ前に、受話器を置いた後に、その人にはどんな暮らしがあるのでしょう。もしかしたら、それはとても寂しいもののような気もするのでした。

  「申し訳ございません」を今日何度言っただろうか機械のように   『にず』

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『茜色に焼かれる』を観てきました。監督・脚本・編集は石井裕也さん、出演は尾野真千子さん、和田庵さん、片山友希さん、オダギリジョーさん、永瀬正敏さんなど。
 7年前に交通事故で夫を亡くしシングルマザーになった主人公・田中良子がコロナ禍の今を理不尽な目に遭いながら生きる話、なんてまとめ過ぎると身も蓋もないのですが、じわじわくる映画でした。お金を使った時、稼いだ時にいちいち金額が表示されるのが現実的です。
 しんどいことは次々に起こるのですが、特別な物語の悲劇のヒロインというわけでもなく、世の中で誰かが受けているような災難です。事故の加害者が上級国民で罪を免れていたりするのはつい先日のニュースで見たし(例の事件をモデルにしているのだろうけれども)、仕事のパワハラはわたしにも経験があります。様々なことを自分を演じながら受け流して生きてゆく田中良子に「怒っていいんですよ」と声をかける同僚のケイちゃんこそ生い立ちからなにから壮絶。他人から見たら壮絶でも、生まれた時からその渦中にいれば、それがその人にとっての普通として麻痺してしまうものなのでしょうか。わたしはこのケイちゃんがとても魅力的でいとおしく思いました。不慮の死を遂げた夫の人柄もなんともいえず人間くさく、それゆえ残された者に厄介ごとがのしかかったりもします。社会的弱者側に寄せた話ですが、だからといって立場の弱い者が必ずしも清廉潔白ではないあたりのリアルさも好きでした。
 息子がランニングシャツ姿だと筋肉質で、こんなにたくましい体つきでもいじめられるのかとちょっと気になりました。二の腕は隠してもやしっ子に見せた方がよかったのでは、と思いつつ、よく考えたらいじめられっ子らしい体形などと一般的なイメージを抱く方が変なことなのかもしれません。
 主題歌のGOING UNDER GROUND「ハートビート」は、わたしが20代の頃にラジオでよく流れていたような気がします。微妙な懐かしさと、一定のリズムを刻み続けるような淡々としたビート感が、よくわからないけれども、これからも日々が続いてゆくということを思わせていいような気もしました。

  公式サイト→https://akaneiro-movie.com/

 帰り道、書店の文具コーナーで「紙モノいろいろお宝袋」とパッケージされたものを買いました。在庫処分の寄せ集めかもしれないのですが、レターセットや一筆箋、メモや付箋がたくさん入っていてお買い得でした。お手紙書きたいです。¥1100(観てきた映画ふうに金額を表現してみる)

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6月に入りました。新緑のあざやかな季節です。日差しがまぶしくても木陰に入れば涼しくて、昨日の休みは欅並木の通りを少し歩きました。

 本日6月2日の朝日新聞夕刊文化面の「あるきだす言葉たち」に、「はつなつ」8首掲載していただきました。会員以外は途中までとなりますが、デジタル版でもご覧いただけると思います。お読みいただけましたらうれしいです。


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昨日に続いて花山周子さんの第三歌集『林立』について。

  放り出されてしまったようなわがからだ冬の日差しを吸って軽いな

 もしかしたらつらい歌なのかもしれないけれども、なにか全身で詠っているような伸びやかさ。初句の字余りと結句の口語がきまっています。

  杉山に人は孤独に散らばって文明開化の音を聞くべし

 この歌は声に出して読みたくなる歌。わたしは意味がうまく取れないのですが、映像を浮かべるとなにか見えてきそうな気もするのです。

  国木なき日本にたびたび起こるとうスギを国木にせんという意思

 杉について、日本の歴史について調べてそのように感じたのでしょうか。「たびたび」という言葉選びがおもしろくも深い。

  春になり物差しもわずか伸びていん本にあて本の束を測りぬ

 ほんとうに物差しが伸びているのでしょうか、春の気分がそう思わせているような、叙情的なお仕事の歌です。

  霞ヶ関農林水産省内林野庁図書館へと堅牢な昭和の廊下を歩む

 なんといっても「霞ヶ関農林水産省内林野庁図書館」の固有名詞の力。

  友の子のまた増えにけり生まれた子しばらく抱けり友のとなりで

 「また」というからには3人目くらいか、生む人は少子化とかどこの国の話ってくらい生む。しばらくの間を友の子を抱きながら、何を思ったかを言わないところに余韻があります。

  石切り場の先に墓地ありその奥に火葬場のあり香貫山の麓

 先、奥、麓と順に景が見えてくるにつれ物語も見えてくるというか、人の気配はないのに、人の暮らしや思いがにじみ出てくるようです。

  簡単に手は放されて手は泣けり生きているのが厭だと泣けり

 なんとも不思議な表現なのですが、なにかとてもつらくくるしいということが伝わってきて、手が別人格を持っているというより、もう全身で詠っているような印象です。

  千代田線は常磐線に切り替わり背高泡立草に雨降る

 あとがきにも背高泡立草のことが書かれてあって、おもしろかったのです。何気ない属目詠のようでいて、象徴的な意味が込められているのでしょう。そして東京の路線の味わい。

  弟が出たり入ったりする家の付けっぱなしのテレビの前に父

 ぐねぐね装飾しながら父に着地するのがおもしろく、動の弟/静の父というような対比も。

  正月明けに引っ越したことにも思い及び異様に長き睦月は終る

 新しい暮らしの一日一日が新鮮で充実していたのでしょう。「思い及び」という妙な理屈っぽさ。似たテーマの<春になれば桜が咲くのを知っている目黒川にまず長い冬がある>という歌もあり、こちらは春の待ち遠しさが冬を長くしているようでもあり。

  瓦礫を見んと顔あげるとき海風は向かい風なり目に瓦礫入る

  五月に行った大槌町のことを思う今は秋、既にないだろう瓦礫も

 震災の歌、破調の多い作風ですが、特にこのあたりの歌はもっと言葉を整理してすっきりできるんじゃないかとも思いつつ、やっぱりこの文体によって沁みてくるものがあるのです。

 『林立』は、日常の歌の中に、杉をテーマにした表題作の連作「林立一~七」が制作時期の順に挿入されてくるという構成がとても良くて、一冊通して読むことで深まる感慨というものがあります。現在形の歌の多さも特徴的に思いました。過去の国の政策や歴史も、今と地続きであるという感覚によるものなのかもしれません。ひらめいたことや関心を持ったことにとことん没頭する姿勢や、定型に捉われない歌いぶりなどに、芸術家肌を感じました。

花山周子『林立』
http://www.honamisyoten.com/bookpages/ST201814023.html

ランリッツ・ファイブ
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昨日に続いて、橋場悦子さんの第一歌集『静電気』の感想を書きましょう。

  盗み聞きしてゐるうちに好きになるけなされてゐる知らない人を

 対象の人間性が伝わるほど具体的に貶されていたのでしょうか、悪口とはそういうものです。耳に入るものを真に受けることなく、同情でもなく、自分の気持ちで好意を持つということ、その心の在りように注目したい。

  キャプションに笑顔とあるが私には仏頂面に見える一枚

 この歌も、一首目と同じように、キャプションに流されず、自分の感覚が大切にされています。実際の写真を見てみたくなります。わたしが見たら泣いているように見える、なんていうこともあるかもしれない。

  よく読めばしどろもどろの主張さへ明朝体のもつともらしさ

 見た目で判断せずに、自分で内容を見極める、というのは先にあげた歌とも共通するテーマでしょうか。「しどろもどろ」と「明朝体」の字面の対比もおもしろいのです。

  相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり

 座談会で共感するかしないかが分かれるんじゃないかと話題になった歌。言われてみればわたしは違うタイプだな、と気づくのですが、おもしろい歌です。没入した後で自分を客観視しているのがおもしろいのかも。

  男にはわからないわと女ならわかるでせうは少し異なる

 多様性について一時代前を思わせる発言ですが、どちらの声にしても、心を寄せずに「少し」などと言って分析しているのに可笑しみがあります。

  壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ

 壇蜜を好きな自分が好き、みたいなあざとさでしょうか。独自の路線を行く壇蜜さんが自己アピールに利用されるのもなにかわかる気がする。そして彼女もわれわれと同じ年齢なのでした。

  病室でやさしい言葉ばかり言ふやさしいひとであるかのやうに

 相手を慮ってやさしい言葉を言う、ということもやさしさではないかとわたしは思うのですが。「やさしい」のリフレインは結構思いきった表現で効いています。

  ついていい嘘ならいくらでもつくし譲れるものはなんでも譲る

 先の「やさしい言葉」を受けてのこの歌、ではないのですが、一貫した作者のスタンスというものがにじみ出ていて印象に残りました。

  髪を切る決断はすぐ成就する伸ばす決意はさうはいかない

 切ろう切ろうと思いながらずるずる髪が伸びてしまうわたしと全くの真逆なので、新しい世界が拓けたで個人的におもしろかった歌です。「髪」だけでなく、他のことでも当てはまるのかもしれません。

  いくつものルートがあるが乗換へはいづれも二回必要である

 なにか人生の暗喩のようでいて、普通に実感なのだとも思う。というか、実際にほとんどの人が経験したことがあるのではないでしょうか。こういうところで立ち止まって歌に詠めるのがすごいし、「二回」の具体性や、結句の妙な断定口調に味わいがあります。

  ほんたうの真冬であれば真冬並みの寒さとはもう言はれなくなる

 確かに。確かに、以外の言葉がうまく見つからないのですが、好きな歌です。

  刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき

 先入観や、こうだろう、こうであってほしいとの心の期待の勝手さを正されるような、それでいて実景としてもおもしろい、事実を見つめる一首。

  墓場まで持つていけずにたいていのことは喋るか忘れるだらう

 そうだろうなあ、と納得して笑ってしまう。そのような人を責めるでもなく、許すでもなく、あきらめるでもなく、そうだろうなあという感じの肯定感。

 橋場さんの歌は難しい言葉や、意味の取れない歌もないのでとても読みやすく、そしておもしろい。おもしろくしようとしているわけではなくて、まじめにしていて素でおもしろいのだと思う。定型意識の素晴らしさにも味わいがあります。そして物事についての姿勢も公平というか、なんとなくマニュアルのギアがニュートラルに入っていて手で遊ばせているようなイメージが浮かんできます。そうした作風に、表紙の抽象画が絶妙に合っていて、本のかたちで手元に置いておくのをお勧めしたいです。

橋場悦子『静電気』
http://www.honamisyoten.com/bookpages/ST202014863.html

ランリッツ・ファイブ
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5月15日発行の同人誌『ランリッツ・ファイブ』では、わたしは山川藍さんの『いらっしゃい』の歌集評を担当しました。他の歌集についても、なにか文章にしてみたいという思いと、通販の申し込み期限がもうすぐなので販促も兼ねて。
 あいうえお順で、石川美南さんの『体内飛行』からまいりましょう。

  見入っても石にかはらぬものなれば存分に見る森を入り日を 

 自分のまなざしに不穏な力が宿っているという自己否定感。森や入り日を見つめる時には、そうした自意識から解放感されるのでしょう。

  絵巻物の紫式部小さくて霞は横へ横へ伸びたり 

 気づきの歌。「横へ横へ」の句またがりのリフレインに伝わってくる巻物感。 

  食ひ意地に支へられたる日の終はりどら焼きの皮買ひに神田へ

 どん底にしんどい時は食欲が失せてしまうのです。食い意地という一点で自分を繋ぎとめているぎりぎりの状態が、下の句の具体にしがみつくように詠われています。

  柏餅の餅含みつつ恋人の故郷の犬に吠えられてゐる

 この最低限の言葉選びで季節や恋人と深まってゆく状況、キャラクター性などが伝わるのがすごい。そして「故郷で」ではなく「故郷の」という助詞の力。
  
  ドレスから足を抜くとき上体が揺れて鏡に触れさうになる

 なにげない実景のように見えて、心象のようにも思えます。意味深で、「鏡」もなにか象徴的。わたしはこの歌が一番好きかもしれないです。

  腰に手を当ててあなたは部屋に入る風と光の量を評価す 

 「あなた」という人のキャラクター性と、これから始まる新しい暮らしの明るさが伝わってくる歌。初句は完全に「あなた」が自分の腰に、と読んでいたけれど、作者の腰という読みもあると今気づきました。

  柔らかなミッションとして人間の肌の一部に触れて寝ること

 人に触れることが自然にできる人もいれば、決心がいる人もいて、作者は後者なのだろうと、一首目の歌からも察します。自分の見るものが石になるのだと、視線を向けることも躊躇っていた人だったと思うと、なにか安堵感に包まれる歌なのでした。

  自らの意思ではめたる指の輪が手すりを握るときカンと鳴る

 属目詠として無駄な言葉一つない一首でとても惹かれるのですが、この歌もなにか深読みを誘われます。

  遺言のやうだと思ふ 延々とつづく新婦の、わたしのスピーチ

 直前にお祖母様の挽歌があるから、というだけではなく、婚姻によって喪失するものもあるのでしょう、例えば今までの自分など。この歌あたりの詞書の多さも、なにかごちゃごちゃしている気持ちのようで。

  五音七音整はぬまま寝そべつて妊娠初期といふ散文期

 「整わぬ」と言いながら、初句以外は調子良くまとまっているのがおもしろい。わたしは妊娠したことがないけれども、体に言葉を支配される感じはわかりそうな気がしてきます。

  「予定日まであと何日」を確かめて山本直樹『レッド』のやうだ 

 あまりに不穏な比喩で衝撃を受けました。産まれるまでの日と、死までの日を重ねるような、自分に溺れすぎない客観性に歌は支えられているのかもしれません。

  宿主の夏バテなんぞ物ともせずお腹の人は寝て起きて蹴る

 妊娠初期に比べて余裕を感じる詠いぶり。わが子とのこうした距離感がおもしろいし、実際におもしろがっているのでしょう。畳みかけるような結句が楽しい。

 「ワンダーに満ちた日々の記録」という帯文がすてき。第一回塚本邦雄賞受賞、あらためておめでとうございます。
 この歌集では人生の大きな出来事が詠われています。朝ドラ「スカーレット」では妊娠出産のエピソードが飛ばされて突然成長した息子が出てきたので、一部に不満の声があったとの記事を見たことがあります。その昔、二次創作のBL同人誌を描いていた友人は、男性キャラを女性に変換して妊娠ネタを描いていました。わたしはBL愛好家ではないのでそうしたロマンはよくわからないのですが、他にも様々な事例を通じて、題材として多くの人に好まれ、高品質のものを求められているということを感じています。自身の大きな出来事を作品として昇華させつつ、世の中の期待に応えるという、ものすごく難しいことを『体内飛行』は見事にやってのけていると思いました。
 こうして一首一首取り出して読んでも、いいな、としみじみするのですが、歌集で通して読んだ時の、読み終えた時のカタルシスを味わってほしい一冊です。
 
石川美南『体内飛行』
https://tankakenkyu.shop-pro.jp/?pid=149907690

山川藍『いらっしゃい』
https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000970/

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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