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川が好き。山も好き。
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昨日に続いて花山周子さんの第三歌集『林立』について。

  放り出されてしまったようなわがからだ冬の日差しを吸って軽いな

 もしかしたらつらい歌なのかもしれないけれども、なにか全身で詠っているような伸びやかさ。初句の字余りと結句の口語がきまっています。

  杉山に人は孤独に散らばって文明開化の音を聞くべし

 この歌は声に出して読みたくなる歌。わたしは意味がうまく取れないのですが、映像を浮かべるとなにか見えてきそうな気もするのです。

  国木なき日本にたびたび起こるとうスギを国木にせんという意思

 杉について、日本の歴史について調べてそのように感じたのでしょうか。「たびたび」という言葉選びがおもしろくも深い。

  春になり物差しもわずか伸びていん本にあて本の束を測りぬ

 ほんとうに物差しが伸びているのでしょうか、春の気分がそう思わせているような、叙情的なお仕事の歌です。

  霞ヶ関農林水産省内林野庁図書館へと堅牢な昭和の廊下を歩む

 なんといっても「霞ヶ関農林水産省内林野庁図書館」の固有名詞の力。

  友の子のまた増えにけり生まれた子しばらく抱けり友のとなりで

 「また」というからには3人目くらいか、生む人は少子化とかどこの国の話ってくらい生む。しばらくの間を友の子を抱きながら、何を思ったかを言わないところに余韻があります。

  石切り場の先に墓地ありその奥に火葬場のあり香貫山の麓

 先、奥、麓と順に景が見えてくるにつれ物語も見えてくるというか、人の気配はないのに、人の暮らしや思いがにじみ出てくるようです。

  簡単に手は放されて手は泣けり生きているのが厭だと泣けり

 なんとも不思議な表現なのですが、なにかとてもつらくくるしいということが伝わってきて、手が別人格を持っているというより、もう全身で詠っているような印象です。

  千代田線は常磐線に切り替わり背高泡立草に雨降る

 あとがきにも背高泡立草のことが書かれてあって、おもしろかったのです。何気ない属目詠のようでいて、象徴的な意味が込められているのでしょう。そして東京の路線の味わい。

  弟が出たり入ったりする家の付けっぱなしのテレビの前に父

 ぐねぐね装飾しながら父に着地するのがおもしろく、動の弟/静の父というような対比も。

  正月明けに引っ越したことにも思い及び異様に長き睦月は終る

 新しい暮らしの一日一日が新鮮で充実していたのでしょう。「思い及び」という妙な理屈っぽさ。似たテーマの<春になれば桜が咲くのを知っている目黒川にまず長い冬がある>という歌もあり、こちらは春の待ち遠しさが冬を長くしているようでもあり。

  瓦礫を見んと顔あげるとき海風は向かい風なり目に瓦礫入る

  五月に行った大槌町のことを思う今は秋、既にないだろう瓦礫も

 震災の歌、破調の多い作風ですが、特にこのあたりの歌はもっと言葉を整理してすっきりできるんじゃないかとも思いつつ、やっぱりこの文体によって沁みてくるものがあるのです。

 『林立』は、日常の歌の中に、杉をテーマにした表題作の連作「林立一~七」が制作時期の順に挿入されてくるという構成がとても良くて、一冊通して読むことで深まる感慨というものがあります。現在形の歌の多さも特徴的に思いました。過去の国の政策や歴史も、今と地続きであるという感覚によるものなのかもしれません。ひらめいたことや関心を持ったことにとことん没頭する姿勢や、定型に捉われない歌いぶりなどに、芸術家肌を感じました。

花山周子『林立』
http://www.honamisyoten.com/bookpages/ST201814023.html

ランリッツ・ファイブ
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昨日に続いて、橋場悦子さんの第一歌集『静電気』の感想を書きましょう。

  盗み聞きしてゐるうちに好きになるけなされてゐる知らない人を

 対象の人間性が伝わるほど具体的に貶されていたのでしょうか、悪口とはそういうものです。耳に入るものを真に受けることなく、同情でもなく、自分の気持ちで好意を持つということ、その心の在りように注目したい。

  キャプションに笑顔とあるが私には仏頂面に見える一枚

 この歌も、一首目と同じように、キャプションに流されず、自分の感覚が大切にされています。実際の写真を見てみたくなります。わたしが見たら泣いているように見える、なんていうこともあるかもしれない。

  よく読めばしどろもどろの主張さへ明朝体のもつともらしさ

 見た目で判断せずに、自分で内容を見極める、というのは先にあげた歌とも共通するテーマでしょうか。「しどろもどろ」と「明朝体」の字面の対比もおもしろいのです。

  相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり

 座談会で共感するかしないかが分かれるんじゃないかと話題になった歌。言われてみればわたしは違うタイプだな、と気づくのですが、おもしろい歌です。没入した後で自分を客観視しているのがおもしろいのかも。

  男にはわからないわと女ならわかるでせうは少し異なる

 多様性について一時代前を思わせる発言ですが、どちらの声にしても、心を寄せずに「少し」などと言って分析しているのに可笑しみがあります。

  壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ

 壇蜜を好きな自分が好き、みたいなあざとさでしょうか。独自の路線を行く壇蜜さんが自己アピールに利用されるのもなにかわかる気がする。そして彼女もわれわれと同じ年齢なのでした。

  病室でやさしい言葉ばかり言ふやさしいひとであるかのやうに

 相手を慮ってやさしい言葉を言う、ということもやさしさではないかとわたしは思うのですが。「やさしい」のリフレインは結構思いきった表現で効いています。

  ついていい嘘ならいくらでもつくし譲れるものはなんでも譲る

 先の「やさしい言葉」を受けてのこの歌、ではないのですが、一貫した作者のスタンスというものがにじみ出ていて印象に残りました。

  髪を切る決断はすぐ成就する伸ばす決意はさうはいかない

 切ろう切ろうと思いながらずるずる髪が伸びてしまうわたしと全くの真逆なので、新しい世界が拓けたで個人的におもしろかった歌です。「髪」だけでなく、他のことでも当てはまるのかもしれません。

  いくつものルートがあるが乗換へはいづれも二回必要である

 なにか人生の暗喩のようでいて、普通に実感なのだとも思う。というか、実際にほとんどの人が経験したことがあるのではないでしょうか。こういうところで立ち止まって歌に詠めるのがすごいし、「二回」の具体性や、結句の妙な断定口調に味わいがあります。

  ほんたうの真冬であれば真冬並みの寒さとはもう言はれなくなる

 確かに。確かに、以外の言葉がうまく見つからないのですが、好きな歌です。

  刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき

 先入観や、こうだろう、こうであってほしいとの心の期待の勝手さを正されるような、それでいて実景としてもおもしろい、事実を見つめる一首。

  墓場まで持つていけずにたいていのことは喋るか忘れるだらう

 そうだろうなあ、と納得して笑ってしまう。そのような人を責めるでもなく、許すでもなく、あきらめるでもなく、そうだろうなあという感じの肯定感。

 橋場さんの歌は難しい言葉や、意味の取れない歌もないのでとても読みやすく、そしておもしろい。おもしろくしようとしているわけではなくて、まじめにしていて素でおもしろいのだと思う。定型意識の素晴らしさにも味わいがあります。そして物事についての姿勢も公平というか、なんとなくマニュアルのギアがニュートラルに入っていて手で遊ばせているようなイメージが浮かんできます。そうした作風に、表紙の抽象画が絶妙に合っていて、本のかたちで手元に置いておくのをお勧めしたいです。

橋場悦子『静電気』
http://www.honamisyoten.com/bookpages/ST202014863.html

ランリッツ・ファイブ
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5月15日発行の同人誌『ランリッツ・ファイブ』では、わたしは山川藍さんの『いらっしゃい』の歌集評を担当しました。他の歌集についても、なにか文章にしてみたいという思いと、通販の申し込み期限がもうすぐなので販促も兼ねて。
 あいうえお順で、石川美南さんの『体内飛行』からまいりましょう。

  見入っても石にかはらぬものなれば存分に見る森を入り日を 

 自分のまなざしに不穏な力が宿っているという自己否定感。森や入り日を見つめる時には、そうした自意識から解放感されるのでしょう。

  絵巻物の紫式部小さくて霞は横へ横へ伸びたり 

 気づきの歌。「横へ横へ」の句またがりのリフレインに伝わってくる巻物感。 

  食ひ意地に支へられたる日の終はりどら焼きの皮買ひに神田へ

 どん底にしんどい時は食欲が失せてしまうのです。食い意地という一点で自分を繋ぎとめているぎりぎりの状態が、下の句の具体にしがみつくように詠われています。

  柏餅の餅含みつつ恋人の故郷の犬に吠えられてゐる

 この最低限の言葉選びで季節や恋人と深まってゆく状況、キャラクター性などが伝わるのがすごい。そして「故郷で」ではなく「故郷の」という助詞の力。
  
  ドレスから足を抜くとき上体が揺れて鏡に触れさうになる

 なにげない実景のように見えて、心象のようにも思えます。意味深で、「鏡」もなにか象徴的。わたしはこの歌が一番好きかもしれないです。

  腰に手を当ててあなたは部屋に入る風と光の量を評価す 

 「あなた」という人のキャラクター性と、これから始まる新しい暮らしの明るさが伝わってくる歌。初句は完全に「あなた」が自分の腰に、と読んでいたけれど、作者の腰という読みもあると今気づきました。

  柔らかなミッションとして人間の肌の一部に触れて寝ること

 人に触れることが自然にできる人もいれば、決心がいる人もいて、作者は後者なのだろうと、一首目の歌からも察します。自分の見るものが石になるのだと、視線を向けることも躊躇っていた人だったと思うと、なにか安堵感に包まれる歌なのでした。

  自らの意思ではめたる指の輪が手すりを握るときカンと鳴る

 属目詠として無駄な言葉一つない一首でとても惹かれるのですが、この歌もなにか深読みを誘われます。

  遺言のやうだと思ふ 延々とつづく新婦の、わたしのスピーチ

 直前にお祖母様の挽歌があるから、というだけではなく、婚姻によって喪失するものもあるのでしょう、例えば今までの自分など。この歌あたりの詞書の多さも、なにかごちゃごちゃしている気持ちのようで。

  五音七音整はぬまま寝そべつて妊娠初期といふ散文期

 「整わぬ」と言いながら、初句以外は調子良くまとまっているのがおもしろい。わたしは妊娠したことがないけれども、体に言葉を支配される感じはわかりそうな気がしてきます。

  「予定日まであと何日」を確かめて山本直樹『レッド』のやうだ 

 あまりに不穏な比喩で衝撃を受けました。産まれるまでの日と、死までの日を重ねるような、自分に溺れすぎない客観性に歌は支えられているのかもしれません。

  宿主の夏バテなんぞ物ともせずお腹の人は寝て起きて蹴る

 妊娠初期に比べて余裕を感じる詠いぶり。わが子とのこうした距離感がおもしろいし、実際におもしろがっているのでしょう。畳みかけるような結句が楽しい。

 「ワンダーに満ちた日々の記録」という帯文がすてき。第一回塚本邦雄賞受賞、あらためておめでとうございます。
 この歌集では人生の大きな出来事が詠われています。朝ドラ「スカーレット」では妊娠出産のエピソードが飛ばされて突然成長した息子が出てきたので、一部に不満の声があったとの記事を見たことがあります。その昔、二次創作のBL同人誌を描いていた友人は、男性キャラを女性に変換して妊娠ネタを描いていました。わたしはBL愛好家ではないのでそうしたロマンはよくわからないのですが、他にも様々な事例を通じて、題材として多くの人に好まれ、高品質のものを求められているということを感じています。自身の大きな出来事を作品として昇華させつつ、世の中の期待に応えるという、ものすごく難しいことを『体内飛行』は見事にやってのけていると思いました。
 こうして一首一首取り出して読んでも、いいな、としみじみするのですが、歌集で通して読んだ時の、読み終えた時のカタルシスを味わってほしい一冊です。
 
石川美南『体内飛行』
https://tankakenkyu.shop-pro.jp/?pid=149907690

山川藍『いらっしゃい』
https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000970/

ランリッツ・ファイブ
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短歌同人誌「ランリッツ・ファイブ」に参加しました。1980年生まれで最近歌集を出した5人による新作短歌と相互歌集評、座談会、年表など、読み応え満載の100ページです。
5月16日(日)の文学フリマ東京のブース【ソ-03】にて販売されます。通販でもお求めいただけます。通販は5月末まで受付です。
詳しくは告知サイトをご覧くださいませ。

ランリッツ・ファイブ
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文学フリマ、【セ-01】では塔・東北の『3653日目』も販売されます。
当日はわたしは会場には赴けないのですが、どうぞよろしくお願いいたします!

文学フリマ東京32
https://bunfree.net/event/tokyo32/

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塔5月号がまだ届く前に4月号を読みましょう。10~3月号も、まとめていないだけで読み終えてはいるので、追々追記していきたい、という気持ちで。敬称略です。
 塔新人賞・塔短歌会賞からも一首づつ。受賞者の皆さま、おめでとうございます。

 3.12はさいふの日だと書かれおり海に沈みしあまたの財布  吉川宏志 

 何より、財布に着地するのがすごい歌だと思いました。もちろん海に沈んでいるのは財布だけではないのだけれど、このズラし方にも鎮魂の思いが伝わります。

  入院し夫の居らねば鏡餅小さくてたびたび橙落つる  亀山たま江

 おもしろくも寂しい歌。鏡餅が小さいだけで十分おもしろいのだけど、結句がとても好き。ここまで詠めるようになりたいとつくづく思いました。

  窓のなきデパート地下の売り場にも割引札の夕暮れは来ぬ  森純一

 地下に居て、外の景色を思うことがあまりないことに気づかされました。割引札を見て夕暮れの時間を思う、というのがいいです。

  野ねずみを殺しし猫のひつたりと吾に身を寄せ夜を眠りぬ  青木朋子

 どきっとする入り。残虐な行為の後の身の寄せ合いに危うさを感じ、いろんな表情があるのは猫だけではないのかもしれないと思わされます。

  孫七人在るが生きゆく道となり今年も米を作らむとする  福島美智子

 健康さに惹かれました、人生の健康さです。自分が3人生んで、それぞれが2~3人生んで孫7人。「米」なのも良くて、力強さに泣きそうになります。

  星型の穴を通つて来たことも忘れて溶けてゐるマヨネーズ  千葉優作

 実景なのでしょうけれど、観念のようにも読めて考えさせられます。最近のマヨネーズは細穴のキャップが付いていることもあり、星型にノスタルジーを感じたりもしました。

  石地蔵の赤き前掛新しく取り替へられて明日は元旦  石川啓

 色の薄い冬景色に前掛けの赤が際立ちます。新しい年を迎えるにあたり、人知れず前掛けを取り替えた人がいるということ、その心に思いを馳せたくなるのでした。

  いとし子を包むごとくに水道栓凍てつく明日耐へよと囲ふ  壱岐由美子

 雪国では大げさでなく実感のこもる比喩なのだと思いました。やわらかであたたかな赤ん坊と、凍てつく水、氷の対比もおもしろいです。

  エナメルの靴を履かせてくれた日は母が誰かに頭を下げる日  森山緋紗

 塔新人賞受賞作「海を縫う」から。「エナメルの靴」がとても効いていて、どきどきする歌。連作でいろいろわかってくるけれども、この一首だけでも背後の物語を感じさせます。

  昇るがに雨はふりしく 破綻した湖のホテルのみどりの屋根を  澤畑節子

 塔短歌会賞受賞作「水の霊香」から。天候という大きなところから徐々に屋根にフォーカスしてゆく構成が光ります。連作の一首目で舞台設定の提示がされて、この後の展開に興味をそそられました。

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朝8時に自宅を出たいのだけれど、このところ朝ドラ「おちょやん」の展開があんまりにあんまりなので見入ってしまい、普段は駅まで徒歩で行くところを、自転車で飛ばしてなんとか間に合っていた一週間でした。
 駅までの道に咲いていた桜はあっという間に葉桜になり、トウカエデも日に日にわさわさと嵩を増しています。今にして妙に気になるのは、地面に咲いていたタンポポの綿毛も飛んでしまっている状態のもの。やたらに伸びた茎と、その上に乗っかっている白い丸いものが、なにかとてもせつない。花も綿毛もなくなった後のタンポポに、初めてこんなに思いを寄せているような気がしています。

 職場へ向かう途中、わたしの前を3人の女性達が横一列に並んで歩いていました。急ぎたいのに横3人は追い抜かせない、せめて2人でしょう。と思う前にざわざわしたのは、真ん中の人が左の人に腕を絡ませていることで、最初は2人組と思っていたのが、横一列を崩さず歩いているので3人組とわかりました。
 3人組で2人だけが腕を組んで歩いている光景に「ひー」といたたまれなくなるのは、わたしが2対1に分れてしまう場合の1の方だからなのかもしれません。わたしがそのように1の立場になってしまった場合は、察して後ろに下がります。このように露骨に扱いに差を付けられて、どのような気持ちで右の彼女は横一列に並び続けるのでしょう。
 そもそも、なぜ真ん中の人は右と左の人に差をつけるのか。或いは2人への思いや親密度に差はなくて、相手は誰でもいいから左手を人に絡みつけたい人なのでしょうか。それとも、左の人と真ん中の人が歩いている所に、親しくもない右の人が無理やり仲間に入ろうとくっついて来ているのでしょうか。もしかして、左と真ん中は女性同士のカップルで、右の人は友達というような種類の違う関係性が潜んでいるのでしょうか。
 3人組がまっすぐ進んだところを、わたしは右に曲がり職場へ急ぎました。
 
 この春、白髪を染め始めました。これまで髪の色に手を加えずまっさらなままにしてきていて、抗えない時の流れを感じています。ほんとうは、このまま自然にまかせていたいのだけれども、自分が年相応に生きてきていないので、まだ降りられないような気がしているのでした。
 
  花見山の桜の下のオオイヌノフグリの青も愛でつつ歩く

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2月に大きな地震があったばかりで、先週の土曜日、再び大きな地震がきました。先月は自宅に居る時でしたが、今度はちょうど仕事が終わってこれから帰ろうってロッカールームに居た時でした。
 エレベーターが止まって、9階から非常階段を降りました。壁に囲まれているのみの非常階段の狭いスペースを気の遠くなるほどくるくる回り、地下鉄が止まっていたのでバスで帰りました。翌日が休みだったので仕事帰りに短歌研究4月号を買ったりコーヒーを飲んだりして帰るつもりでいたけれど、寄り道せずにまっすぐ帰りました。突然の地震は小さな未来も変えてしまいます。
 ウォークマンでラジオの津波状況などを聴きながら、こんなに心細いのは、自分の生きてきた結果なのだと思いました。とぼとぼ自宅へ歩いて、散らかった部屋に帰って、それからなにかずっと落ち込んでいるのでした。

***

 お知らせをいくつか。他にも2月3月は総合誌や結社誌の震災特集で歌を引いていただいたり、ありがたく思っております。

・『3653日目〈塔短歌会・東北〉震災詠の記録』¥2700(+税)
2011年から2019年に刊行された『99日目』、『366日目』、『733日目』、『1099日目』、『1466日目』、『1833日目』、『2199日目』、『2566日目』、『2933日目』より、24名の短歌とエッセイ、他、座談会、鼎談等収録。
書店では郷土史のところに置いてあるようです。

申込フォーム
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdgPZlTX2nWN3d50-P-wBVzID6z2wwGoIcK1_PQ-0pEYO_9tQ/viewform?usp=sf_link

お問い合わせメール
tou-touhoku★orion.ocn.ne.jp (★を@に変えてお送りください。)

版元 荒蝦夷
http://araemishi.la.coocan.jp 


・現代短歌5月号
「踵を上げて」50首掲載していただきました。
https://gendaitanka.thebase.in/items/41199832


・歌集『にず』¥2000 
お求めについては、わたし宛てにメール、
tomomita★sage.ocn.ne.jp  (★を@に変えてお送りください。)

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昨日は髪を切ってきました。どうも8か月ぶりの美容院だったようで、伸び放題だったのがだいぶすっきりしました。「次は3か月後くらいに来てくださいね」と言われ、自分のだらしなさに身の置きどころのないような思いがしました。いまいち自分が垢抜けないのは、髪に無頓着すぎるのも要因の一つなのかもしれません。だいたいわたしはカットのみをお願いすることが多いのですが、美容院のメニューときたら多岐に渡っていて、みんなカラーやパーマ、スペシャルなトリートメントなども施術するのが一般的なんだろうか、カットしかしていないのなんてわたしだけではないのか、ケチな客だと思われているんじゃないか。
 ぐるぐる考えながら、ふと震災の頃は「シャンプー500円」と窓に貼っている美容院がたくさんあったことを思い出しました。4月半ばまで市ガスが止まっていてお湯が使えないので、髪を切るどころか髪を洗うことすらできない人がとても多かったのです。尤も、わたしの自宅はプロパンガスなので、震災の一週間後には復旧していて、美容院に髪を洗いに行く必要もなかったのでした。そのように、しんどいようなわたしの人生の中でも「運が良かったなあ」と感じることはたくさんあって、思えば髪が生まれつき直毛でストレートパーマや縮毛矯正が不要なこともその一つなのでした。

 ここ数日、震災のドキュメンタリーをよく見ています。新しく撮られたものの他に、深夜に放映されている数年前の再放送も見ます。震災の映像、大きな揺れや、津波がすごく怖い。ここ数年、というか特に今年は涙の出るくらい恐ろしく感じていて、自分の感覚の変化にびっくりしています。再放送なんて、数年前に本放送で見た当時はここまで恐怖を覚えなかったのに。震災直後の生活の不安や失職、病気など、自分の震災でいっぱいいっぱいのうちは、大きな被害への恐怖心が麻痺していたのでしょうか。何度も見たことのある映像も、初めて見たように怖くてつらい。10年経ってわたしの震災はほとんど片付いたからこそ、新しく今2011年3月11日と出会っているのかもしれません。

 東日本大震災から10年目の今日は普通に仕事で、14時26分に黙祷した以外は、普通に過ぎました。普通に過ごせることが、あらためてありがたく思います。
 仕事の帰り、一番町で『3.11希望の光』と題したライトアップを通り過ぎました。上空に向けた強い光は天に届くようにまっすぐ伸びて、遠くから見れば一本の柱のようで、なんだか泣きたくなりました。


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平日の休み、仙台文学館へ特別展「ふつうがえらい! エッセイスト 佐野洋子展」を見に行きました。晴れた日に台原森林公園の中を歩くのは気持ちがいいです。歩道にメジロが一羽いて、近づくと飛んでゆきました。人生で初めて「メジロだ!」と思いました。数年前に<鳥図鑑持たぬわたしはトトトトと足下を過ぐる小鳥を知らず>という歌を詠んだ後に鳥の名前を覚えたく思い、野鳥図鑑を買っていたので、メジロだとわかりました。

 佐野洋子さんの作品は実はあんまり読んだことがなくて、『100万回生きたねこ』なんて有名過ぎるのですっかり読んだ気になっていましたが、よく考えたら読んでいませんでした。『おじさんのかさ』はたぶん読みました。Eテレの「ヨーコさんの“言葉”」は好きでよく見ていて、いつかちゃんとエッセイを読みたいと思っていたので、展示もとても楽しみにしていたのです。
 
 生原稿や、表紙や挿絵の原画、愛用品など、活字だけでは伝わらないような人間味を感じました。日記などは読者を意識しておらずエッセイ以上に剥き出しな分、貴重な資料だと感謝するとともに、もしも自分の死後に日記が残ってこんなふうに展示されたらどうしようとびびってしまいます。万が一のために日記も死後に人に読まれることを意識して書くべきか。
 ドクターマーチンのカラーインクが展示してあり、わたしも愛用していたのでうれしくなりました。そして日本での販売が19年に終了していたことを初めて知りました。こんな時代が来たのか、と寂しくなりました。絵ももう描いていないのに。
 展示してあるいろいろな文章を読んで、存外にエネルギッシュで、それでいて繊細な人だと思いました。エッセイは主に40代以降に書かれたということも知り、自分の中でもよいタイミングだったように感じました。

 2階ギャラリーでは「文学にみる震災資料展」が催されていました。机3台ほどのスペースに10年分の書籍が並べられています。震災の作品は時に読むのがつらかったりもするのですが、言葉で残された意味なども考えながら、無理のない範囲で読んでゆければと思っています。短歌の棚にはわたしの歌集も置いていただいておりました。ありがたいことです。


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まだ余震が続いていてこわいです。今日は左腕がやたら痛くて、なんだろう寝違えたのかなあと思っていたのですが、筋肉痛だとやっと気づきました。地震の片付けで重たいものを持ち上げて、普段使わないような筋肉を使ったのでした。

 一昨日の夜は久しぶりに大きな地震でびっくりしました。2段重ねで本棚にしていたカラーボックスが床に落ちてしまって本が床に散乱したり、冷蔵庫が廊下に進んできて、その上の炊飯ジャーが床に落ちてしまい、保温していたご飯が床に落ちてしまいました。後でラップにくるんで冷凍しようと思ってたのに、茶碗3杯分くらいはあったのに。食べ物をだめにしてしまうのは本当に心ぐるしい。

 ガスの元栓を確認して、この先もしも水道が止まった時のためにバスタブに水を貯めて、余震で閉じ込められないように窓を開けて(窓は揺れで少し開いたのだけれども)、リラックスした格好でいたのをいつでも外に出られる服に着替えて。テレビはすっかり緊急地震速報に切り替わり、サイレンの音、余震の続く中で部屋を片付けながら、こういう時に一人だとつくづく心細く感じます。気がついたら歯を痛いくらい食いしばっていて、なぜか左手には片付けの途中で拾ったらしい安全ピンやボタンをいつのまにかずっと握っていました。
 固定電話に実家の母から電話がきました。携帯電話は全然つながらないとのことでした。一人暮らしですし、固定電話をこのまま置き続けるか迷ったりもしますが、やっぱりいざという時は強いです。この夜のためにわたしはずっと固定電話を引き続けていたのかもしれません。
 変に疲れて、気持ちはそわそわしたまま、片付けも中途半端に眠りました。土曜日の深夜は吉本新喜劇を楽しみにしていますが、さすがにこんな日は中止です。

 翌日は午後からオンラインで塔の福島歌会でした。トイレのタンクの中のピタゴラスイッチ的な部分が地震でずれて、水が流れなくなっていたので、なんとか直そうと蓋を開けてごちゃごちゃ作業していたら参加時間のぎりぎりになってしまいました。昨日の今日で床は物だらけですが、カメラ位置をちょっと上げれば映らないのでバレてないでしょう。そしてガスが止まってお風呂に入れなかったのですが、オンラインなので臭い誰にも届きません。対面の歌会じゃなくて助かりました! わたしのずぼらはさておき、東北の皆さんの無事を確認できて安心しました。歌会の最中にガス屋さんが来てガスも無事に復旧しました。夕方にトイレもなんとか直しました。10年前の震災ではトイレの仕組みのずれから水漏れがして、それまで会ったこともない下の階の住人から苦情を受けた苦い思い出があるのでした。

 今日はいつも通りの仕事をして帰ってきました。風が強いです。今しがた、ニュースで「被災地」と聞こえました。どこを指すのか、いつを指すのか、今日もまた眠ります。

  余震なり臨時ニュースの声も灯も揺れ湯あがりの身は冷えてゆく  『にず』

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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