川が好き。山も好き。
「鎌倉殿の13人」の最終回をせつなく鑑賞しました。特に義時と政子の2人のラストシーンは圧巻で、しばらくはこの余韻を大切にしてゆきたいような気持ちです。
最終回での真のタイトル回収に「そうきたか…!」と感嘆しつつ、でも13人以外に名も無き人だってめっちゃ死んでるじゃん、とも思いました。物語にならなくても一人一人にそれぞれの人生があったはずで、それが志半ばで絶たれたのに、そうした人達の命はまるでどうでもいいみたいに、(あくまでこの物語の主人公からの視点とはいえ)数に入れないということ。
こんなことが気になってくるのは、わたし自身が主要人物じゃないその他大勢にすぎない現実の中を生きているからなのかもしれません。
喪服を買っておかなくちゃ、と、ずっと思っていたのですが、先月末に実家に帰った時に20代の頃に買ったものを着てみたところサイズも合っていたので、新調はしないことにしました。肩パットが入っていてどうにもシルエットが古めかしい感じがしないでもなかったけれども、どうせ何回も着るものでないし、葬儀の場ではわたしが主役ではないのだから着飾る必要もないのでした。
不格好に見えるのはわたしの体形の崩れのせいもあるでしょう。あきらかに代謝が落ちてきていて、昔と同じように生活していたらどんどん体重は増えてしまうし、二の腕辺りにはもう抗えないほどの中年感が漂っています。無理に若作りをするつもりはないけれど、少しは抗いたい。
実家に滞在中、東京から日帰りで帰省した叔母と偶然にも日程が合い、8年ぶりくらいに再会しました。わたしがなにげなく「ばあちゃん元気かな」と言うのへ笑顔で「動物だよ」と返してくるのにはびっくりしましたが、姑の介護をしていた経験からの言葉でもあるのでしょう。思い起こせば、叔母は昔から笑顔できついことをさらっと言う人で、昭和の終わり頃にも連日のように健康状態を報道するテレビに向かって何か言っていて、子供心にふるえたものでした。
コロナ感染対策で、祖母の施設では外から窓を隔てて面会します。外から祖母の部屋に回って窓越しに「こっち見てー」「あー笑ったー」などと声を掛けていると、確かに動物園のようなのでした。介護士さんは祖母に「(母の名)さんと(叔母の名)さんとともみちゃんだよ」と声を掛けて窓の外を見るように促していました。きっと祖母に合わせてわたしはちゃん付けにされているのでしょうけれど、介護士さんよりわたしの方が年上そうでした。介護士さんはいつも感じが良くて安心します。どんなふうになっても、祖母には生きていてほしいと思いました。
ほとんど会えなくとも、会えても以前のような祖母でなくとも、祖母が生きているということがわたしの心の支えの一つです。全然良いばあちゃんでもなかったのに。
窓ガラス越しでも会えてよかったな会えたというか見たというか
最終回での真のタイトル回収に「そうきたか…!」と感嘆しつつ、でも13人以外に名も無き人だってめっちゃ死んでるじゃん、とも思いました。物語にならなくても一人一人にそれぞれの人生があったはずで、それが志半ばで絶たれたのに、そうした人達の命はまるでどうでもいいみたいに、(あくまでこの物語の主人公からの視点とはいえ)数に入れないということ。
こんなことが気になってくるのは、わたし自身が主要人物じゃないその他大勢にすぎない現実の中を生きているからなのかもしれません。
喪服を買っておかなくちゃ、と、ずっと思っていたのですが、先月末に実家に帰った時に20代の頃に買ったものを着てみたところサイズも合っていたので、新調はしないことにしました。肩パットが入っていてどうにもシルエットが古めかしい感じがしないでもなかったけれども、どうせ何回も着るものでないし、葬儀の場ではわたしが主役ではないのだから着飾る必要もないのでした。
不格好に見えるのはわたしの体形の崩れのせいもあるでしょう。あきらかに代謝が落ちてきていて、昔と同じように生活していたらどんどん体重は増えてしまうし、二の腕辺りにはもう抗えないほどの中年感が漂っています。無理に若作りをするつもりはないけれど、少しは抗いたい。
実家に滞在中、東京から日帰りで帰省した叔母と偶然にも日程が合い、8年ぶりくらいに再会しました。わたしがなにげなく「ばあちゃん元気かな」と言うのへ笑顔で「動物だよ」と返してくるのにはびっくりしましたが、姑の介護をしていた経験からの言葉でもあるのでしょう。思い起こせば、叔母は昔から笑顔できついことをさらっと言う人で、昭和の終わり頃にも連日のように健康状態を報道するテレビに向かって何か言っていて、子供心にふるえたものでした。
コロナ感染対策で、祖母の施設では外から窓を隔てて面会します。外から祖母の部屋に回って窓越しに「こっち見てー」「あー笑ったー」などと声を掛けていると、確かに動物園のようなのでした。介護士さんは祖母に「(母の名)さんと(叔母の名)さんとともみちゃんだよ」と声を掛けて窓の外を見るように促していました。きっと祖母に合わせてわたしはちゃん付けにされているのでしょうけれど、介護士さんよりわたしの方が年上そうでした。介護士さんはいつも感じが良くて安心します。どんなふうになっても、祖母には生きていてほしいと思いました。
ほとんど会えなくとも、会えても以前のような祖母でなくとも、祖母が生きているということがわたしの心の支えの一つです。全然良いばあちゃんでもなかったのに。
窓ガラス越しでも会えてよかったな会えたというか見たというか
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街中のケヤキの木に電飾が巻き付けられ、イルミネーションの準備が始まっています。わたしも季節に追いつかなければ。
9月10日は河野裕子記念シンポジウムへ。塔に所属しているので河野裕子さんは必修科目のように思っていて、もちろんわたしも全てではないけれど様々に読んできて、その良さを味わいつつ、正直なところどこか遠いような、何か膜に隔てられているような感覚もありました。なぜなのか、ずっと考えていました。
たとえば『河野裕子読本』(角川学芸出版)の赤い帯には「普通の日々は、有難い。妻として、母として、女として――。」と書いてあります。なるほど、わたしは妻でも母でもないし、女であることもうまく肯定できず育ってきているので、いまいち共感できなかったのか。と、当初は考えてみましたが、そんな単純な話では決してないでしょう。境遇が違うから歌が届かないなどということはあり得ず、職業や年齢、性別、生きていた時代が違っていても好きな歌はたくさんあるのです。
妻や母、女としての立場に限らず河野裕子さんの歌や文章、逸話などからは愛情深い人柄が伝わってきて、心根の屈折しているわたしにはその愛情深さが少し息ぐるしい、のかもしれない。と、この頃は思い始めました。自分の心を測るように、河野裕子さんの歌などに向き合ってみたい。
そんな思いもあってシンポジウムに赴いたのですが、講演や鼎談などとても充実していて、はるばる京都まで来てよかったと思いました。たくさんの方々がそうであるように、わたしも実際にお会いすることがあったなら、その人柄に魅了されていたのかもしれないなあと思いました。
9月11日は全員歌会、選者の方の評付きのの詠草一覧を参照しつつ別の選者の方々がステージ上で評をさくさくハイペースで200首ほど。的確な評にうなづきながらも、わーっと聞いてしまった感はあるのですが、机を並べて皆が発言を求められる歌会に比べ喋る人が限られている分、マイクを回したりの接触や飛沫対策の面では良かったのかもしれません。大変な中を様々な工夫をして開催していただいて、たくさんの方ともお会いできてよかったです。ほとんど「こんにちは」しかお話できていないような、またご挨拶しそびれた方もたくさんいたと思うのですが、ぜひ次の機会に。
帰りの新幹線のホームには修学旅行生がうじゃうじゃいました。専用の車両を写真に撮っている撮り鉄もいました。わたしも新幹線での京都行きは高校生の時の修学旅行以来なので、凡そ半世紀ぶりです。
行きは平日だったこともありゆとりがあったのですが、帰りの新幹線は満員でした。お腹がすいてもこの人混みの中で口を開くのは躊躇われ、持参したアルコール消毒を指に塗り込めつつ飴を舐めてやり過ごすぐらいが精いっぱいです。窓際の席で歌集などを読みながら、ふと窓の外が明るくなる瞬間があり、そのたび顔を上げると、そのたびに川がありました、矢作川、天竜川、大井川、安倍川、橋を見て名前を確認できたのはこれだけですが、他にもいくつかの川を見ました。はるかに遠いと思っていた京都へ、4時間程度で行けたことが自分の中で新鮮な驚きでした。自宅に帰宅して「鎌倉殿の13人」に間に合ったのがとてもとてもうれしかったです。
会場は駅の出口に直結だったので、わたしはいちいち駅に行って地下に降りて地下から出て両日を通ったのですが、後々よく地図を見れば、わたしの宿泊先は会場のすぐそばでした。土地勘がないからと、わざわざ反対方向の駅に行ったり地下に降りたりぐるぐるして、そんなふうにわたしはきっと人生も回り道をしているんだろうなあと思いました。
9月10日は河野裕子記念シンポジウムへ。塔に所属しているので河野裕子さんは必修科目のように思っていて、もちろんわたしも全てではないけれど様々に読んできて、その良さを味わいつつ、正直なところどこか遠いような、何か膜に隔てられているような感覚もありました。なぜなのか、ずっと考えていました。
たとえば『河野裕子読本』(角川学芸出版)の赤い帯には「普通の日々は、有難い。妻として、母として、女として――。」と書いてあります。なるほど、わたしは妻でも母でもないし、女であることもうまく肯定できず育ってきているので、いまいち共感できなかったのか。と、当初は考えてみましたが、そんな単純な話では決してないでしょう。境遇が違うから歌が届かないなどということはあり得ず、職業や年齢、性別、生きていた時代が違っていても好きな歌はたくさんあるのです。
妻や母、女としての立場に限らず河野裕子さんの歌や文章、逸話などからは愛情深い人柄が伝わってきて、心根の屈折しているわたしにはその愛情深さが少し息ぐるしい、のかもしれない。と、この頃は思い始めました。自分の心を測るように、河野裕子さんの歌などに向き合ってみたい。
そんな思いもあってシンポジウムに赴いたのですが、講演や鼎談などとても充実していて、はるばる京都まで来てよかったと思いました。たくさんの方々がそうであるように、わたしも実際にお会いすることがあったなら、その人柄に魅了されていたのかもしれないなあと思いました。
9月11日は全員歌会、選者の方の評付きのの詠草一覧を参照しつつ別の選者の方々がステージ上で評をさくさくハイペースで200首ほど。的確な評にうなづきながらも、わーっと聞いてしまった感はあるのですが、机を並べて皆が発言を求められる歌会に比べ喋る人が限られている分、マイクを回したりの接触や飛沫対策の面では良かったのかもしれません。大変な中を様々な工夫をして開催していただいて、たくさんの方ともお会いできてよかったです。ほとんど「こんにちは」しかお話できていないような、またご挨拶しそびれた方もたくさんいたと思うのですが、ぜひ次の機会に。
帰りの新幹線のホームには修学旅行生がうじゃうじゃいました。専用の車両を写真に撮っている撮り鉄もいました。わたしも新幹線での京都行きは高校生の時の修学旅行以来なので、凡そ半世紀ぶりです。
行きは平日だったこともありゆとりがあったのですが、帰りの新幹線は満員でした。お腹がすいてもこの人混みの中で口を開くのは躊躇われ、持参したアルコール消毒を指に塗り込めつつ飴を舐めてやり過ごすぐらいが精いっぱいです。窓際の席で歌集などを読みながら、ふと窓の外が明るくなる瞬間があり、そのたび顔を上げると、そのたびに川がありました、矢作川、天竜川、大井川、安倍川、橋を見て名前を確認できたのはこれだけですが、他にもいくつかの川を見ました。はるかに遠いと思っていた京都へ、4時間程度で行けたことが自分の中で新鮮な驚きでした。自宅に帰宅して「鎌倉殿の13人」に間に合ったのがとてもとてもうれしかったです。
会場は駅の出口に直結だったので、わたしはいちいち駅に行って地下に降りて地下から出て両日を通ったのですが、後々よく地図を見れば、わたしの宿泊先は会場のすぐそばでした。土地勘がないからと、わざわざ反対方向の駅に行ったり地下に降りたりぐるぐるして、そんなふうにわたしはきっと人生も回り道をしているんだろうなあと思いました。
秋晴れの昼間、アーケード街に山形からお越しの露店が出ていました。里芋やアケビ、キノコ類など秋の味覚の並ぶ中、郷愁に駆られてイナゴの佃煮を買いました。100gで600円、イナゴは田んぼにいるのをしぇめる(つかまえる)ものという認識だったので、よく考えたら相場がよくわかりません。わたしが子供の頃は伯祖母が大きな鍋で煮ていたものでした。今は実家でも作っていません。わざわざイナゴを食べなくとも肉や魚などでたんぱく質はとれるし、イナゴも農薬で退治しているのか昔ほど見かけなくなりました。
久しぶりのイナゴの佃煮はとてもなつかしい味がしました。けれども、3匹も食べれば郷愁は充分に満たされてしまい、むしろ満たされ過ぎたような気すらしてしまい、かつて日常的に食卓に並んでいた一品が、なにか非日常の権化であるような不思議さに包まれるのでした。
「うた新聞」10月号<ライムライト>のコーナーに、小文「じわじわ」を掲載していただいておりました。様々なところで書いた文章の再構築になってしまった感じもありますが、お読みいただけましたら。
https://www.irinosha.com/
久しぶりのイナゴの佃煮はとてもなつかしい味がしました。けれども、3匹も食べれば郷愁は充分に満たされてしまい、むしろ満たされ過ぎたような気すらしてしまい、かつて日常的に食卓に並んでいた一品が、なにか非日常の権化であるような不思議さに包まれるのでした。
「うた新聞」10月号<ライムライト>のコーナーに、小文「じわじわ」を掲載していただいておりました。様々なところで書いた文章の再構築になってしまった感じもありますが、お読みいただけましたら。
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9月9日、10日の河野裕子記念シンポジウム&塔短歌会全員歌会in京都2022に参加してきました。帰宅後、少し喉が痛くなってしまい、「京都に行ってきた」と大っぴらに言うのが憚られていたのですが、数日で落ち着いてほっとしました。思えば、コロナ禍前の前回の京都大会から帰宅後も検査をしても原因不明の咳が半月続いたので、京都に行くと喉が痛くなる体質なのかもしれません。前回は行きも帰りも夜行バスであまり眠れず疲れたのがよくなかったと思うので、今回は新幹線にしました。遠出するにもバスや鈍行を利用しがちで新幹線にあまり乗らない人生なので、チケットを取るのも、新幹線のホームに並ぶのもいちいち緊張します。眠れないのもよくなかったと思い、思い切って前泊しました。連泊するのにもいちいち思い切る人生なのです。
3日自宅を空けるので、冷蔵庫の2つのトマトがあやういと思い、出掛ける前にトマトご飯を炊きました。味付けはコンソメ、塩コショウ、オリーブオイルを適量。お昼に新幹線の中で食べようと、クリームチーズを包んで海苔で巻いておにぎりにします。ご飯の残りはラップに包んで冷凍しました。おにぎりだけでは栄養が心許ないですが、ご飯の炭水化物、トマトのビタミンにチーズのたんぱく質、海苔のミネラルでバランスはとれているでしょう、と思うことにします。
新幹線に乗るのは浜松大会以来です。その時に、隣の席の人に教えられて窓から富士山を観たのを思い出し、東京が近づいた頃に窓の外をながめていましたが、見つけられませんでした。顔を上げるのが遅かったのか、気づかず過ぎてしまったのか、そもそも反対側の席だったのか、残念でした。
京都へは15時過ぎに着きました。感染対策で観光は控えてホテルに籠るつもりでいましたが、思いつきで京都御苑を散歩しました。この辺りを歴史上のあの人やあの人も通ったのかな、と昔に思いを馳せながら歩きつつ、地元らしき人達が自転車で通って行ったり学校帰りのようだったりジョギングしていたり普通の公園として過ごしているのが見えて、なんだかいいなあと思いました。
なるべく荷物を減らしたく、1日目と3日目の服を着まわすことにして、速乾性でシワになりにくい素材のワンピースを着てきました。お弁当用のしょうゆ入れに液体洗剤も仕込んできました。ホテルのバスルームでごしごし洗濯をして、京都1日目の夜を眠りにつきました。
3日自宅を空けるので、冷蔵庫の2つのトマトがあやういと思い、出掛ける前にトマトご飯を炊きました。味付けはコンソメ、塩コショウ、オリーブオイルを適量。お昼に新幹線の中で食べようと、クリームチーズを包んで海苔で巻いておにぎりにします。ご飯の残りはラップに包んで冷凍しました。おにぎりだけでは栄養が心許ないですが、ご飯の炭水化物、トマトのビタミンにチーズのたんぱく質、海苔のミネラルでバランスはとれているでしょう、と思うことにします。
新幹線に乗るのは浜松大会以来です。その時に、隣の席の人に教えられて窓から富士山を観たのを思い出し、東京が近づいた頃に窓の外をながめていましたが、見つけられませんでした。顔を上げるのが遅かったのか、気づかず過ぎてしまったのか、そもそも反対側の席だったのか、残念でした。
京都へは15時過ぎに着きました。感染対策で観光は控えてホテルに籠るつもりでいましたが、思いつきで京都御苑を散歩しました。この辺りを歴史上のあの人やあの人も通ったのかな、と昔に思いを馳せながら歩きつつ、地元らしき人達が自転車で通って行ったり学校帰りのようだったりジョギングしていたり普通の公園として過ごしているのが見えて、なんだかいいなあと思いました。
なるべく荷物を減らしたく、1日目と3日目の服を着まわすことにして、速乾性でシワになりにくい素材のワンピースを着てきました。お弁当用のしょうゆ入れに液体洗剤も仕込んできました。ホテルのバスルームでごしごし洗濯をして、京都1日目の夜を眠りにつきました。
8月の終わりに、山形に帰省しようと思ってお盆を外して3連休を取っていたのですが、帰ったところで祖母との面会が難しそうだったので、予定を変えて帰省せずに過ごしました。遅い夏休みのつもりで、有意義に過ごせれば良かったのですが、1日目、2日目はほとんど眠ってしまいました。疲れていたのでしょうか。かろうじてスーパーに買い出しに行ったくらいです。最近は鶏むね肉の1kgパックを買って一気に照り焼きにして冷凍と冷蔵で保存しつつ丼にしたりパンに挟んだりサラダにしたり。自家製サラダチキンよりは保存が利いていろいろ使えるという実感です。
3日目には京都行きに備え美容院の予約を入れていたのですが、2時間前くらいに電話がきて美容師さんの体調不良とのことで急遽別な日に変更することになりました。残念だけれど、このご時世なので仕方ないです。出掛ける心の準備を整えていたところだったので、勢いのままに3月の地震の片付けをしました。本棚の本がほとんど床に落ちたまま、本棚も地震で浮いてズレた場所に落ちたままのぐちゃぐちゃ具合だったので、部屋の模様替えぐらいの大仕事で、汗だくです。まだ全然きれいな部屋にはなっていないけれど、床が見えるようになったので、だいぶすっきりしました。部屋のみだれは心のみだれ。自分で散らかした時とはまた違う、地震という不可抗力で崩れた部屋と心でしたが、少しずつ、立ち直ってゆきましょう。
コスモスが咲き始めました。もう秋です。
炊飯器床に落ちれば床の上でおにぎり作る余震またくる
3日目には京都行きに備え美容院の予約を入れていたのですが、2時間前くらいに電話がきて美容師さんの体調不良とのことで急遽別な日に変更することになりました。残念だけれど、このご時世なので仕方ないです。出掛ける心の準備を整えていたところだったので、勢いのままに3月の地震の片付けをしました。本棚の本がほとんど床に落ちたまま、本棚も地震で浮いてズレた場所に落ちたままのぐちゃぐちゃ具合だったので、部屋の模様替えぐらいの大仕事で、汗だくです。まだ全然きれいな部屋にはなっていないけれど、床が見えるようになったので、だいぶすっきりしました。部屋のみだれは心のみだれ。自分で散らかした時とはまた違う、地震という不可抗力で崩れた部屋と心でしたが、少しずつ、立ち直ってゆきましょう。
コスモスが咲き始めました。もう秋です。
炊飯器床に落ちれば床の上でおにぎり作る余震またくる
今日の早朝に震度4の地震がありました。3月の時みたいに本棚が倒れてこないように全身を使って必死で抑えながら、まるで船に乗っているような揺れだと思いました。夏の地震は薄着なのが怖いです。何かが落ちてきたりぶつけたりした時に体に傷ができやすく、3月の地震でも生足だったところに擦り傷や大きな痣ができてなかなか治らなかったものでした。
3月16日の深夜に大きな地震があり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまい、それからずっとどこか途方に暮れております。11年前の東日本大震災の時でさえ数週間後には人を呼べるくらいには片付けられたけれど、今回はもうまったく気力が湧かず。あの頃よりも部屋に物が増えたから、という単純な理由でもなくて。地震にまつわる文章も書いたり消したりうまくまとまらず。地震と関係ない文章からすこしずつ書いていきましょうか。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』を観てきておりました。前作がとても良くて、続編ができたのを知って迷わずに観に行きました。
東京で映像制作の仕事をする住友直子さんが、広島のご両親を撮ったドキュメンタリーです。認知症の母に100歳を迎える父、老々介護でもあり遠距離介護でもあり、実の親子なだけになかなかに厳しい現実ではあるのですが、お母様やお父様のキャラクター性やエピソードにくすりとしながらも、わたしは終始泣きどおしでした。
サブタイトルが「お母さん」であることを思いました。映画の中でも直子さんが「お父さん」「お母さん」と話しかける場面は多くあり、ご両親もお互いそう呼び合っています。また、直子さんが実家に帰った際の第一声の「お父さん」は広島弁のイントネーションも相まってでとても印象に残ります。両親が高齢になったからと言って「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方が変わるわけではなく、変わるとしたら子供ができてから子供に合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び始めるのでしょう。わたしも両親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいます。わたしがこのシリーズにおいて特に惹かれてしまうのは直子さんが独身女性であるというところで、作中でも「仕事が恋人」と語られるほど自立した格好いい女性で、だからこそ40代で乳がんを患ってしまってめそめそする直子さんを元気だった頃のお母様が明るく励ましてくれる場面などは、とてもせつなくなるのでした。お母様が認知症を発症するのはそれから5年後のことです。
帰りに寄った本屋で、直子さんが「中国新聞」に連載していたコラム「認知症からの贈り物」に大幅加筆した『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(新潮社)を購入しました。お父様やお母様がとても魅力的で、ほんとうは結構しんどいであろう日々がユーモラスであたたかな筆致で描かれています。誰にもドラマがあり、誰もが老いてゆく。わたしもいつまでもぼんやりせず、少しずつ何か書いていきたい。
公式サイト→https://bokemasu.com/
3月16日の深夜に大きな地震があり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまい、それからずっとどこか途方に暮れております。11年前の東日本大震災の時でさえ数週間後には人を呼べるくらいには片付けられたけれど、今回はもうまったく気力が湧かず。あの頃よりも部屋に物が増えたから、という単純な理由でもなくて。地震にまつわる文章も書いたり消したりうまくまとまらず。地震と関係ない文章からすこしずつ書いていきましょうか。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』を観てきておりました。前作がとても良くて、続編ができたのを知って迷わずに観に行きました。
東京で映像制作の仕事をする住友直子さんが、広島のご両親を撮ったドキュメンタリーです。認知症の母に100歳を迎える父、老々介護でもあり遠距離介護でもあり、実の親子なだけになかなかに厳しい現実ではあるのですが、お母様やお父様のキャラクター性やエピソードにくすりとしながらも、わたしは終始泣きどおしでした。
サブタイトルが「お母さん」であることを思いました。映画の中でも直子さんが「お父さん」「お母さん」と話しかける場面は多くあり、ご両親もお互いそう呼び合っています。また、直子さんが実家に帰った際の第一声の「お父さん」は広島弁のイントネーションも相まってでとても印象に残ります。両親が高齢になったからと言って「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方が変わるわけではなく、変わるとしたら子供ができてから子供に合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び始めるのでしょう。わたしも両親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいます。わたしがこのシリーズにおいて特に惹かれてしまうのは直子さんが独身女性であるというところで、作中でも「仕事が恋人」と語られるほど自立した格好いい女性で、だからこそ40代で乳がんを患ってしまってめそめそする直子さんを元気だった頃のお母様が明るく励ましてくれる場面などは、とてもせつなくなるのでした。お母様が認知症を発症するのはそれから5年後のことです。
帰りに寄った本屋で、直子さんが「中国新聞」に連載していたコラム「認知症からの贈り物」に大幅加筆した『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(新潮社)を購入しました。お父様やお母様がとても魅力的で、ほんとうは結構しんどいであろう日々がユーモラスであたたかな筆致で描かれています。誰にもドラマがあり、誰もが老いてゆく。わたしもいつまでもぼんやりせず、少しずつ何か書いていきたい。
公式サイト→https://bokemasu.com/
11年目の3月11日、あの日と同じ金曜日です。わたしは今日は仕事でした。毎年3月11日は14時頃から仕事がゆるやかに静かになるのですが、今日はひっきりなしに電話が鳴って忙しくて、14時46分の黙祷もできずじまいで、今日が東日本大震災から11年目だなんて、もう世間では関係がなくなっているのかなと、あわただしさの中でしんみりしました。
休憩時間にロッカー室で携帯電話を確認したら、14時40分ぐらいに、「今度ご飯食べない? 会いたいよー」みたいなノリのメールが届いていました。わたしとこの子ってこんな距離感だっけ……? というか、他県出身の余所者のわたしと違い、この子は生粋の宮城県民のはずなのに、震災とかどうでもいいんだろうか……と、くらくらしました。
仕事帰りのバスの中、ウォークマンでラジオを聞いていました。帰宅してテレビを点けてニュースを見ると、さっきラジオで聞いたのと同じ流れで、被災地の各地での14時46分の様子と、高齢者施設が津波の心酔想定区域にたくさん建てられているという話題の後は、ウクライナの情勢と新型コロナウイルスの話題へ移ってゆきました。
11年前の震災の他にも、大変なことが今はたくさんあります。心おだやかに暮らせる日が早く訪れますように祈るばかりです。
休憩時間にロッカー室で携帯電話を確認したら、14時40分ぐらいに、「今度ご飯食べない? 会いたいよー」みたいなノリのメールが届いていました。わたしとこの子ってこんな距離感だっけ……? というか、他県出身の余所者のわたしと違い、この子は生粋の宮城県民のはずなのに、震災とかどうでもいいんだろうか……と、くらくらしました。
仕事帰りのバスの中、ウォークマンでラジオを聞いていました。帰宅してテレビを点けてニュースを見ると、さっきラジオで聞いたのと同じ流れで、被災地の各地での14時46分の様子と、高齢者施設が津波の心酔想定区域にたくさん建てられているという話題の後は、ウクライナの情勢と新型コロナウイルスの話題へ移ってゆきました。
11年前の震災の他にも、大変なことが今はたくさんあります。心おだやかに暮らせる日が早く訪れますように祈るばかりです。
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース作品の上映をいくつかやっていて、1985年公開の『東京画』を観てきました。ヴィム・ヴェンダース監督が、敬愛する小津安二郎監督の没後20年の東京を訪れ、『東京物語』のおもかげを探したり主演の笠智衆や撮影の厚田雄春に会ったりするドキュメンタリー映画です。
1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。
公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。
1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。
公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。
昨日は晴れていたけれど、コインランドリーの帰り、自転車のハンドルを握る手が冷えて、これから雪が降るかな、と思いました。肌で感じる、雪が降る前の空気です。
夜が明けたら、ベランダの手すりに夕べから振り始めた雪が積もっていました。外に出れば、春はまだ遠そうな雪景色です。
こんな日に子が生まれたら、迷わず「雪子」と名付けるでしょう。
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 『にず』
わたしの父は「ゆきお」という名前です。漢字が違うので、名付けの由来が雪だということは、つい最近父に聞くまで知りませんでした。そういえば父は冬生まれでした。ついでに言えば父の兄は「朝男」で、その線で行けば、もしかしなくても朝に生まれたのでしょう。わたしは、『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の降る日に生まれた娘に「雪子」と名付けるシーンがとても好きで感銘を受けたのだけれども、実は父方の祖父母譲りのセンスだったのか。しかも「雪」だと画数が多いので簡単な漢字にした、というめんどくさがりっぷりも、確実にわたしは受け継いでいます。由来も不明で画数の多いキラキラネームを自分の子に付けてしまった妹とは違うところです。
わたしは母方の祖母とその姉夫婦と同居していたため、父方の祖父母とは関わりが少し薄くなってしまっていたのですが、こんなふうにわたしの中に父方の祖父母の要素が息づいているのだ、と思うと不思議な感じがしました。
今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は3世代に渡る百年の物語で、3人のヒロインはそれぞれ自分の人生を生きているのだけれども、視聴者であるわたし達は、ああ、こんなふうに受け継がれてゆくのだ、と神の視点でながめることができます。物語も終盤に差し掛かり、これからなにか大きな伏線の回収が待っているのかもしれませんが、今の段階で感じ取れる程度の、ことさら誰々の血筋がどうとか押しつけがましくない程度のバランスが心憎いように感じています。
ノンフィクションの話でも、武士から華族から現代の要人に繋がってゆくような層々たる家系図にはロマンがあります。また、NHKで時々放映される「ファミリーヒストリー」のような市井の人々の命のリレーにもとても惹かれます。番組の性質上、最終的には著名人にたどり着くけれども、その親世代、祖父母世代の一人一人の庶民としての人生の営みもかけがえなくて尊い。この世の誰もが、そのような縁の繋がれた先で生きています。わたしも。
一週間ぐらい前、父の叔母が105歳でご存命だという話を聞きました。父方の親戚に疎くて会ったこともたぶんないけれども、とてもありがたいような気持ちになりました。寒い日が続きますが、お元気でいてほしいです。
夜が明けたら、ベランダの手すりに夕べから振り始めた雪が積もっていました。外に出れば、春はまだ遠そうな雪景色です。
こんな日に子が生まれたら、迷わず「雪子」と名付けるでしょう。
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 『にず』
わたしの父は「ゆきお」という名前です。漢字が違うので、名付けの由来が雪だということは、つい最近父に聞くまで知りませんでした。そういえば父は冬生まれでした。ついでに言えば父の兄は「朝男」で、その線で行けば、もしかしなくても朝に生まれたのでしょう。わたしは、『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の降る日に生まれた娘に「雪子」と名付けるシーンがとても好きで感銘を受けたのだけれども、実は父方の祖父母譲りのセンスだったのか。しかも「雪」だと画数が多いので簡単な漢字にした、というめんどくさがりっぷりも、確実にわたしは受け継いでいます。由来も不明で画数の多いキラキラネームを自分の子に付けてしまった妹とは違うところです。
わたしは母方の祖母とその姉夫婦と同居していたため、父方の祖父母とは関わりが少し薄くなってしまっていたのですが、こんなふうにわたしの中に父方の祖父母の要素が息づいているのだ、と思うと不思議な感じがしました。
今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は3世代に渡る百年の物語で、3人のヒロインはそれぞれ自分の人生を生きているのだけれども、視聴者であるわたし達は、ああ、こんなふうに受け継がれてゆくのだ、と神の視点でながめることができます。物語も終盤に差し掛かり、これからなにか大きな伏線の回収が待っているのかもしれませんが、今の段階で感じ取れる程度の、ことさら誰々の血筋がどうとか押しつけがましくない程度のバランスが心憎いように感じています。
ノンフィクションの話でも、武士から華族から現代の要人に繋がってゆくような層々たる家系図にはロマンがあります。また、NHKで時々放映される「ファミリーヒストリー」のような市井の人々の命のリレーにもとても惹かれます。番組の性質上、最終的には著名人にたどり着くけれども、その親世代、祖父母世代の一人一人の庶民としての人生の営みもかけがえなくて尊い。この世の誰もが、そのような縁の繋がれた先で生きています。わたしも。
一週間ぐらい前、父の叔母が105歳でご存命だという話を聞きました。父方の親戚に疎くて会ったこともたぶんないけれども、とてもありがたいような気持ちになりました。寒い日が続きますが、お元気でいてほしいです。
「現代短歌」3月号、特集「永田和宏の現在」にて、歌集解題を塔短歌会の皆さんが執筆しております。わたしは第13歌集『午後の庭』を担当いたしました。貴重な機会をいただけて恐縮しております。お読みいただければと思います。
http://gendaitanka.jp/magazine/2022/03/
『午後の庭』を筆頭に、このところ、伴侶への挽歌の印象的な歌集をいくつか続けて読んでいました。思いが胸に沁みてきて、思わず涙してしまうようなものも少なくありません。
わたしの亡きあとに、こんなふうに誰かが泣き浸ってくれることはあるのだろうか。わたしには、こんなふうに挽歌を詠む人生があるのだろうか。どちらにしても、まぶしい。
http://gendaitanka.jp/magazine/2022/03/
『午後の庭』を筆頭に、このところ、伴侶への挽歌の印象的な歌集をいくつか続けて読んでいました。思いが胸に沁みてきて、思わず涙してしまうようなものも少なくありません。
わたしの亡きあとに、こんなふうに誰かが泣き浸ってくれることはあるのだろうか。わたしには、こんなふうに挽歌を詠む人生があるのだろうか。どちらにしても、まぶしい。
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自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
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tomomita★sage.ocn.ne.jp
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