川が好き。山も好き。
9月9日、10日の河野裕子記念シンポジウム&塔短歌会全員歌会in京都2022に参加してきました。帰宅後、少し喉が痛くなってしまい、「京都に行ってきた」と大っぴらに言うのが憚られていたのですが、数日で落ち着いてほっとしました。思えば、コロナ禍前の前回の京都大会から帰宅後も検査をしても原因不明の咳が半月続いたので、京都に行くと喉が痛くなる体質なのかもしれません。前回は行きも帰りも夜行バスであまり眠れず疲れたのがよくなかったと思うので、今回は新幹線にしました。遠出するにもバスや鈍行を利用しがちで新幹線にあまり乗らない人生なので、チケットを取るのも、新幹線のホームに並ぶのもいちいち緊張します。眠れないのもよくなかったと思い、思い切って前泊しました。連泊するのにもいちいち思い切る人生なのです。
3日自宅を空けるので、冷蔵庫の2つのトマトがあやういと思い、出掛ける前にトマトご飯を炊きました。味付けはコンソメ、塩コショウ、オリーブオイルを適量。お昼に新幹線の中で食べようと、クリームチーズを包んで海苔で巻いておにぎりにします。ご飯の残りはラップに包んで冷凍しました。おにぎりだけでは栄養が心許ないですが、ご飯の炭水化物、トマトのビタミンにチーズのたんぱく質、海苔のミネラルでバランスはとれているでしょう、と思うことにします。
新幹線に乗るのは浜松大会以来です。その時に、隣の席の人に教えられて窓から富士山を観たのを思い出し、東京が近づいた頃に窓の外をながめていましたが、見つけられませんでした。顔を上げるのが遅かったのか、気づかず過ぎてしまったのか、そもそも反対側の席だったのか、残念でした。
京都へは15時過ぎに着きました。感染対策で観光は控えてホテルに籠るつもりでいましたが、思いつきで京都御苑を散歩しました。この辺りを歴史上のあの人やあの人も通ったのかな、と昔に思いを馳せながら歩きつつ、地元らしき人達が自転車で通って行ったり学校帰りのようだったりジョギングしていたり普通の公園として過ごしているのが見えて、なんだかいいなあと思いました。
なるべく荷物を減らしたく、1日目と3日目の服を着まわすことにして、速乾性でシワになりにくい素材のワンピースを着てきました。お弁当用のしょうゆ入れに液体洗剤も仕込んできました。ホテルのバスルームでごしごし洗濯をして、京都1日目の夜を眠りにつきました。
3日自宅を空けるので、冷蔵庫の2つのトマトがあやういと思い、出掛ける前にトマトご飯を炊きました。味付けはコンソメ、塩コショウ、オリーブオイルを適量。お昼に新幹線の中で食べようと、クリームチーズを包んで海苔で巻いておにぎりにします。ご飯の残りはラップに包んで冷凍しました。おにぎりだけでは栄養が心許ないですが、ご飯の炭水化物、トマトのビタミンにチーズのたんぱく質、海苔のミネラルでバランスはとれているでしょう、と思うことにします。
新幹線に乗るのは浜松大会以来です。その時に、隣の席の人に教えられて窓から富士山を観たのを思い出し、東京が近づいた頃に窓の外をながめていましたが、見つけられませんでした。顔を上げるのが遅かったのか、気づかず過ぎてしまったのか、そもそも反対側の席だったのか、残念でした。
京都へは15時過ぎに着きました。感染対策で観光は控えてホテルに籠るつもりでいましたが、思いつきで京都御苑を散歩しました。この辺りを歴史上のあの人やあの人も通ったのかな、と昔に思いを馳せながら歩きつつ、地元らしき人達が自転車で通って行ったり学校帰りのようだったりジョギングしていたり普通の公園として過ごしているのが見えて、なんだかいいなあと思いました。
なるべく荷物を減らしたく、1日目と3日目の服を着まわすことにして、速乾性でシワになりにくい素材のワンピースを着てきました。お弁当用のしょうゆ入れに液体洗剤も仕込んできました。ホテルのバスルームでごしごし洗濯をして、京都1日目の夜を眠りにつきました。
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8月の終わりに、山形に帰省しようと思ってお盆を外して3連休を取っていたのですが、帰ったところで祖母との面会が難しそうだったので、予定を変えて帰省せずに過ごしました。遅い夏休みのつもりで、有意義に過ごせれば良かったのですが、1日目、2日目はほとんど眠ってしまいました。疲れていたのでしょうか。かろうじてスーパーに買い出しに行ったくらいです。最近は鶏むね肉の1kgパックを買って一気に照り焼きにして冷凍と冷蔵で保存しつつ丼にしたりパンに挟んだりサラダにしたり。自家製サラダチキンよりは保存が利いていろいろ使えるという実感です。
3日目には京都行きに備え美容院の予約を入れていたのですが、2時間前くらいに電話がきて美容師さんの体調不良とのことで急遽別な日に変更することになりました。残念だけれど、このご時世なので仕方ないです。出掛ける心の準備を整えていたところだったので、勢いのままに3月の地震の片付けをしました。本棚の本がほとんど床に落ちたまま、本棚も地震で浮いてズレた場所に落ちたままのぐちゃぐちゃ具合だったので、部屋の模様替えぐらいの大仕事で、汗だくです。まだ全然きれいな部屋にはなっていないけれど、床が見えるようになったので、だいぶすっきりしました。部屋のみだれは心のみだれ。自分で散らかした時とはまた違う、地震という不可抗力で崩れた部屋と心でしたが、少しずつ、立ち直ってゆきましょう。
コスモスが咲き始めました。もう秋です。
炊飯器床に落ちれば床の上でおにぎり作る余震またくる
3日目には京都行きに備え美容院の予約を入れていたのですが、2時間前くらいに電話がきて美容師さんの体調不良とのことで急遽別な日に変更することになりました。残念だけれど、このご時世なので仕方ないです。出掛ける心の準備を整えていたところだったので、勢いのままに3月の地震の片付けをしました。本棚の本がほとんど床に落ちたまま、本棚も地震で浮いてズレた場所に落ちたままのぐちゃぐちゃ具合だったので、部屋の模様替えぐらいの大仕事で、汗だくです。まだ全然きれいな部屋にはなっていないけれど、床が見えるようになったので、だいぶすっきりしました。部屋のみだれは心のみだれ。自分で散らかした時とはまた違う、地震という不可抗力で崩れた部屋と心でしたが、少しずつ、立ち直ってゆきましょう。
コスモスが咲き始めました。もう秋です。
炊飯器床に落ちれば床の上でおにぎり作る余震またくる
今日の早朝に震度4の地震がありました。3月の時みたいに本棚が倒れてこないように全身を使って必死で抑えながら、まるで船に乗っているような揺れだと思いました。夏の地震は薄着なのが怖いです。何かが落ちてきたりぶつけたりした時に体に傷ができやすく、3月の地震でも生足だったところに擦り傷や大きな痣ができてなかなか治らなかったものでした。
3月16日の深夜に大きな地震があり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまい、それからずっとどこか途方に暮れております。11年前の東日本大震災の時でさえ数週間後には人を呼べるくらいには片付けられたけれど、今回はもうまったく気力が湧かず。あの頃よりも部屋に物が増えたから、という単純な理由でもなくて。地震にまつわる文章も書いたり消したりうまくまとまらず。地震と関係ない文章からすこしずつ書いていきましょうか。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』を観てきておりました。前作がとても良くて、続編ができたのを知って迷わずに観に行きました。
東京で映像制作の仕事をする住友直子さんが、広島のご両親を撮ったドキュメンタリーです。認知症の母に100歳を迎える父、老々介護でもあり遠距離介護でもあり、実の親子なだけになかなかに厳しい現実ではあるのですが、お母様やお父様のキャラクター性やエピソードにくすりとしながらも、わたしは終始泣きどおしでした。
サブタイトルが「お母さん」であることを思いました。映画の中でも直子さんが「お父さん」「お母さん」と話しかける場面は多くあり、ご両親もお互いそう呼び合っています。また、直子さんが実家に帰った際の第一声の「お父さん」は広島弁のイントネーションも相まってでとても印象に残ります。両親が高齢になったからと言って「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方が変わるわけではなく、変わるとしたら子供ができてから子供に合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び始めるのでしょう。わたしも両親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいます。わたしがこのシリーズにおいて特に惹かれてしまうのは直子さんが独身女性であるというところで、作中でも「仕事が恋人」と語られるほど自立した格好いい女性で、だからこそ40代で乳がんを患ってしまってめそめそする直子さんを元気だった頃のお母様が明るく励ましてくれる場面などは、とてもせつなくなるのでした。お母様が認知症を発症するのはそれから5年後のことです。
帰りに寄った本屋で、直子さんが「中国新聞」に連載していたコラム「認知症からの贈り物」に大幅加筆した『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(新潮社)を購入しました。お父様やお母様がとても魅力的で、ほんとうは結構しんどいであろう日々がユーモラスであたたかな筆致で描かれています。誰にもドラマがあり、誰もが老いてゆく。わたしもいつまでもぼんやりせず、少しずつ何か書いていきたい。
公式サイト→https://bokemasu.com/
3月16日の深夜に大きな地震があり、部屋の中がめちゃくちゃになってしまい、それからずっとどこか途方に暮れております。11年前の東日本大震災の時でさえ数週間後には人を呼べるくらいには片付けられたけれど、今回はもうまったく気力が湧かず。あの頃よりも部屋に物が増えたから、という単純な理由でもなくて。地震にまつわる文章も書いたり消したりうまくまとまらず。地震と関係ない文章からすこしずつ書いていきましょうか。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』を観てきておりました。前作がとても良くて、続編ができたのを知って迷わずに観に行きました。
東京で映像制作の仕事をする住友直子さんが、広島のご両親を撮ったドキュメンタリーです。認知症の母に100歳を迎える父、老々介護でもあり遠距離介護でもあり、実の親子なだけになかなかに厳しい現実ではあるのですが、お母様やお父様のキャラクター性やエピソードにくすりとしながらも、わたしは終始泣きどおしでした。
サブタイトルが「お母さん」であることを思いました。映画の中でも直子さんが「お父さん」「お母さん」と話しかける場面は多くあり、ご両親もお互いそう呼び合っています。また、直子さんが実家に帰った際の第一声の「お父さん」は広島弁のイントネーションも相まってでとても印象に残ります。両親が高齢になったからと言って「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方が変わるわけではなく、変わるとしたら子供ができてから子供に合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び始めるのでしょう。わたしも両親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいます。わたしがこのシリーズにおいて特に惹かれてしまうのは直子さんが独身女性であるというところで、作中でも「仕事が恋人」と語られるほど自立した格好いい女性で、だからこそ40代で乳がんを患ってしまってめそめそする直子さんを元気だった頃のお母様が明るく励ましてくれる場面などは、とてもせつなくなるのでした。お母様が認知症を発症するのはそれから5年後のことです。
帰りに寄った本屋で、直子さんが「中国新聞」に連載していたコラム「認知症からの贈り物」に大幅加筆した『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(新潮社)を購入しました。お父様やお母様がとても魅力的で、ほんとうは結構しんどいであろう日々がユーモラスであたたかな筆致で描かれています。誰にもドラマがあり、誰もが老いてゆく。わたしもいつまでもぼんやりせず、少しずつ何か書いていきたい。
公式サイト→https://bokemasu.com/
11年目の3月11日、あの日と同じ金曜日です。わたしは今日は仕事でした。毎年3月11日は14時頃から仕事がゆるやかに静かになるのですが、今日はひっきりなしに電話が鳴って忙しくて、14時46分の黙祷もできずじまいで、今日が東日本大震災から11年目だなんて、もう世間では関係がなくなっているのかなと、あわただしさの中でしんみりしました。
休憩時間にロッカー室で携帯電話を確認したら、14時40分ぐらいに、「今度ご飯食べない? 会いたいよー」みたいなノリのメールが届いていました。わたしとこの子ってこんな距離感だっけ……? というか、他県出身の余所者のわたしと違い、この子は生粋の宮城県民のはずなのに、震災とかどうでもいいんだろうか……と、くらくらしました。
仕事帰りのバスの中、ウォークマンでラジオを聞いていました。帰宅してテレビを点けてニュースを見ると、さっきラジオで聞いたのと同じ流れで、被災地の各地での14時46分の様子と、高齢者施設が津波の心酔想定区域にたくさん建てられているという話題の後は、ウクライナの情勢と新型コロナウイルスの話題へ移ってゆきました。
11年前の震災の他にも、大変なことが今はたくさんあります。心おだやかに暮らせる日が早く訪れますように祈るばかりです。
休憩時間にロッカー室で携帯電話を確認したら、14時40分ぐらいに、「今度ご飯食べない? 会いたいよー」みたいなノリのメールが届いていました。わたしとこの子ってこんな距離感だっけ……? というか、他県出身の余所者のわたしと違い、この子は生粋の宮城県民のはずなのに、震災とかどうでもいいんだろうか……と、くらくらしました。
仕事帰りのバスの中、ウォークマンでラジオを聞いていました。帰宅してテレビを点けてニュースを見ると、さっきラジオで聞いたのと同じ流れで、被災地の各地での14時46分の様子と、高齢者施設が津波の心酔想定区域にたくさん建てられているという話題の後は、ウクライナの情勢と新型コロナウイルスの話題へ移ってゆきました。
11年前の震災の他にも、大変なことが今はたくさんあります。心おだやかに暮らせる日が早く訪れますように祈るばかりです。
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース作品の上映をいくつかやっていて、1985年公開の『東京画』を観てきました。ヴィム・ヴェンダース監督が、敬愛する小津安二郎監督の没後20年の東京を訪れ、『東京物語』のおもかげを探したり主演の笠智衆や撮影の厚田雄春に会ったりするドキュメンタリー映画です。
1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。
公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。
1983年の東京でヴィム・ヴェンダース監督の目に映るのは、墓地の付近で場所を取ってのお花見であったり、パチンコであったり、ゴルフ練習場だったり、アメリカの格好をして踊る若者達であったり、食品サンプル工場であったり、景気の良い当時の日本の日常です。なつかしい……というほど1983年の記憶がわたしにはないのですが、それでも自分の生まれていた頃の光景はなつかしいような気がします。半ズボンの男の子が駅でだだをこねたり遊んでいましたが、思えば今はあの半ズボンはあまり見かけなくなりました。
タクシーやホテルの中ではテレビをザッピングしていて、「銭形平次」が映りました。そういえば、子供の頃のわたしは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「遠山の金さん」等々時代劇ばかり見ていましたが、今は地上波ではほとんどなくなりました。一方で、「タモリ倶楽部」のオープニングは今とまったく変わっていなくて、こんなに昔から、とびっくりしました。
笠智衆、厚田雄春両氏により語られる小津安二郎監督は、独自の美意識がありとてもこだわりが強くて少しめんどうな気すらしてしまうのですが、お二人にとってどれだけ小津監督が大きな存在であったか伝わってきて胸が熱くなりました。役を演じていない笠智衆をわたしは初めて見ました。
公開から凡そ40年を経た2022年の今になってこうしたドキュメンタリーを観たのも不思議なめぐり合わせでした。劇中にはさらに30年前の1953年公開の『東京物語』のいくつかの場面が時々挿入されます。何度か観たはずのラストシーンは何度観てもやっぱり良くて、良いものは何年経っても良くて、変わりゆくもの、変わらないものについて考えてみたくなるのでした。
昨日は晴れていたけれど、コインランドリーの帰り、自転車のハンドルを握る手が冷えて、これから雪が降るかな、と思いました。肌で感じる、雪が降る前の空気です。
夜が明けたら、ベランダの手すりに夕べから振り始めた雪が積もっていました。外に出れば、春はまだ遠そうな雪景色です。
こんな日に子が生まれたら、迷わず「雪子」と名付けるでしょう。
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 『にず』
わたしの父は「ゆきお」という名前です。漢字が違うので、名付けの由来が雪だということは、つい最近父に聞くまで知りませんでした。そういえば父は冬生まれでした。ついでに言えば父の兄は「朝男」で、その線で行けば、もしかしなくても朝に生まれたのでしょう。わたしは、『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の降る日に生まれた娘に「雪子」と名付けるシーンがとても好きで感銘を受けたのだけれども、実は父方の祖父母譲りのセンスだったのか。しかも「雪」だと画数が多いので簡単な漢字にした、というめんどくさがりっぷりも、確実にわたしは受け継いでいます。由来も不明で画数の多いキラキラネームを自分の子に付けてしまった妹とは違うところです。
わたしは母方の祖母とその姉夫婦と同居していたため、父方の祖父母とは関わりが少し薄くなってしまっていたのですが、こんなふうにわたしの中に父方の祖父母の要素が息づいているのだ、と思うと不思議な感じがしました。
今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は3世代に渡る百年の物語で、3人のヒロインはそれぞれ自分の人生を生きているのだけれども、視聴者であるわたし達は、ああ、こんなふうに受け継がれてゆくのだ、と神の視点でながめることができます。物語も終盤に差し掛かり、これからなにか大きな伏線の回収が待っているのかもしれませんが、今の段階で感じ取れる程度の、ことさら誰々の血筋がどうとか押しつけがましくない程度のバランスが心憎いように感じています。
ノンフィクションの話でも、武士から華族から現代の要人に繋がってゆくような層々たる家系図にはロマンがあります。また、NHKで時々放映される「ファミリーヒストリー」のような市井の人々の命のリレーにもとても惹かれます。番組の性質上、最終的には著名人にたどり着くけれども、その親世代、祖父母世代の一人一人の庶民としての人生の営みもかけがえなくて尊い。この世の誰もが、そのような縁の繋がれた先で生きています。わたしも。
一週間ぐらい前、父の叔母が105歳でご存命だという話を聞きました。父方の親戚に疎くて会ったこともたぶんないけれども、とてもありがたいような気持ちになりました。寒い日が続きますが、お元気でいてほしいです。
夜が明けたら、ベランダの手すりに夕べから振り始めた雪が積もっていました。外に出れば、春はまだ遠そうな雪景色です。
こんな日に子が生まれたら、迷わず「雪子」と名付けるでしょう。
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 『にず』
わたしの父は「ゆきお」という名前です。漢字が違うので、名付けの由来が雪だということは、つい最近父に聞くまで知りませんでした。そういえば父は冬生まれでした。ついでに言えば父の兄は「朝男」で、その線で行けば、もしかしなくても朝に生まれたのでしょう。わたしは、『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の降る日に生まれた娘に「雪子」と名付けるシーンがとても好きで感銘を受けたのだけれども、実は父方の祖父母譲りのセンスだったのか。しかも「雪」だと画数が多いので簡単な漢字にした、というめんどくさがりっぷりも、確実にわたしは受け継いでいます。由来も不明で画数の多いキラキラネームを自分の子に付けてしまった妹とは違うところです。
わたしは母方の祖母とその姉夫婦と同居していたため、父方の祖父母とは関わりが少し薄くなってしまっていたのですが、こんなふうにわたしの中に父方の祖父母の要素が息づいているのだ、と思うと不思議な感じがしました。
今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は3世代に渡る百年の物語で、3人のヒロインはそれぞれ自分の人生を生きているのだけれども、視聴者であるわたし達は、ああ、こんなふうに受け継がれてゆくのだ、と神の視点でながめることができます。物語も終盤に差し掛かり、これからなにか大きな伏線の回収が待っているのかもしれませんが、今の段階で感じ取れる程度の、ことさら誰々の血筋がどうとか押しつけがましくない程度のバランスが心憎いように感じています。
ノンフィクションの話でも、武士から華族から現代の要人に繋がってゆくような層々たる家系図にはロマンがあります。また、NHKで時々放映される「ファミリーヒストリー」のような市井の人々の命のリレーにもとても惹かれます。番組の性質上、最終的には著名人にたどり着くけれども、その親世代、祖父母世代の一人一人の庶民としての人生の営みもかけがえなくて尊い。この世の誰もが、そのような縁の繋がれた先で生きています。わたしも。
一週間ぐらい前、父の叔母が105歳でご存命だという話を聞きました。父方の親戚に疎くて会ったこともたぶんないけれども、とてもありがたいような気持ちになりました。寒い日が続きますが、お元気でいてほしいです。
「現代短歌」3月号、特集「永田和宏の現在」にて、歌集解題を塔短歌会の皆さんが執筆しております。わたしは第13歌集『午後の庭』を担当いたしました。貴重な機会をいただけて恐縮しております。お読みいただければと思います。
http://gendaitanka.jp/magazine/2022/03/
『午後の庭』を筆頭に、このところ、伴侶への挽歌の印象的な歌集をいくつか続けて読んでいました。思いが胸に沁みてきて、思わず涙してしまうようなものも少なくありません。
わたしの亡きあとに、こんなふうに誰かが泣き浸ってくれることはあるのだろうか。わたしには、こんなふうに挽歌を詠む人生があるのだろうか。どちらにしても、まぶしい。
http://gendaitanka.jp/magazine/2022/03/
『午後の庭』を筆頭に、このところ、伴侶への挽歌の印象的な歌集をいくつか続けて読んでいました。思いが胸に沁みてきて、思わず涙してしまうようなものも少なくありません。
わたしの亡きあとに、こんなふうに誰かが泣き浸ってくれることはあるのだろうか。わたしには、こんなふうに挽歌を詠む人生があるのだろうか。どちらにしても、まぶしい。
痴漢をするのは圧倒的に男の人が多いように、街中でくっついているカップルは、女体を触りたい男の人の主動でそうなっているものだと思っていたので、ふと見渡した時に、男の人の手を一生懸命に握っているのは女の人で、ポケットに手を突っ込んでいる男の人の腕に手をからませているのも女の人で、男の人が手を突っ込んでいるポケットに手を突っ込んでいるのも女の人だと気づいた時、え、え、え、と困惑の果てに打ちのめされてしまったものでした。ほんの数年前の話です。そうして、「そうか、だからわたしの人生はうまくいかないのか」と、妙に腑に落ちたのでした。
こんなふうに手は繋がれてしまうのか桜見終えてドトールを出て 『にず』
さらに数年前にこの歌を歌会に出した時、「受け身過ぎて理解できない」「こんなふうに、って言われてもなあ…」というような評を受けました。当時は「そういう意見もありかー」と受け止めただけですが、思えば、その評をした方は何の疑問もなく当たり前のように自分からパートナーの男性に自然に手を繋ぐ、ごく一般的な感覚を持つ女性だったのでしょう。
事実とその時の気持ちをそのまま詠んだので、それ以上の含みはない歌ですが、読み手には、わたしがまったく意識しなかった「本来は女性が手を繋ぎたがるものなのに」という前提が共有されているのかもしれません。それもまた興味深くあります。
わたしにも、自分から手を繋ぎたくなることはあります。祖母のように足腰が弱って歩行のおぼつかない高齢者や、甥っ子のように手を離した隙にどこかへ走り出してしまいかねない子供などは、自分から率先して手を繋ぎます。転んだり、はぐれたり、危ない目に遭うのが心配です。一人で問題なく歩ける者同士であれば、よっぽど危険な道や人混みでもない限り、手を繋がなくても大丈夫。それは、相手に対して安心しているということでもあるような気がするのでした。
NHKでアロマンティックやアセクシャルやをテーマにしたドラマ「恋せぬふたり」が始まりました。ああ、こういう時代がきたんだ、と思いました。だから一人で生きる、というのではなく、家族はほしい、という方向性に、このテーマへの誠実さを感じながら観ています。最終回まで恋せぬままに進んでほしい。なにか陳腐な展開で二人がカップル成立する結末だけは、どうぞ迎えませんように。
無性愛なる称号にゆるされて欠陥なんてなかったわたし
という歌がNHK短歌テキスト2010年6月号に掲載されています。「愛」の題詠でこれはなんだか挑発的ですが、もともと初句を「アセクシャル」と詠んでいた未発表作を、題に合わせて日本語にしたのでした。作者はわたしです。あまりうまい歌ではないですが、12年前ですから、なかなか時代を先取りしているのではないでしょうか。当時は、わたしの調べた限りアロマンティックという言葉はまだなくて、恋愛感情がないことは「広義のアセクシャル」と呼ばれていました。
そのような性質を自分のアイデンティティにするつもりはないし、そもそもわたしの場合は先天的なものではなく母娘関係などの影響や心の抑圧なのかもしれないし、震災のような未曾有の非常時には「子孫を残さなくちゃ」という使命感が湧き出した経験もあるので、自認としてもアロマンティックともアセクシャルとも断定はせず、――っぽい、――寄り、などと曖昧にしています。それでも、わたしは心に何か欠けているのでは、と思い悩んでいた時に、こうした言葉を知り、ずい分救われたものでした。
昔の自分を救ってくれた言葉が、一生を救ってくれるわけではないような気もしています。わたしも変わってゆきましょう。
『女性とジェンダーと短歌 書籍版「女性が作る短歌研究」 水原紫苑・編』に「花降る」10首掲載していただいております。わたしの分は「短歌研究」2021年8月号の再録ですが、書籍版はバージョンアップして読み応えたっぷりですので、ぜひ。
https://tankakenkyu.shop-pro.jp/?pid=165824131
こんなふうに手は繋がれてしまうのか桜見終えてドトールを出て 『にず』
さらに数年前にこの歌を歌会に出した時、「受け身過ぎて理解できない」「こんなふうに、って言われてもなあ…」というような評を受けました。当時は「そういう意見もありかー」と受け止めただけですが、思えば、その評をした方は何の疑問もなく当たり前のように自分からパートナーの男性に自然に手を繋ぐ、ごく一般的な感覚を持つ女性だったのでしょう。
事実とその時の気持ちをそのまま詠んだので、それ以上の含みはない歌ですが、読み手には、わたしがまったく意識しなかった「本来は女性が手を繋ぎたがるものなのに」という前提が共有されているのかもしれません。それもまた興味深くあります。
わたしにも、自分から手を繋ぎたくなることはあります。祖母のように足腰が弱って歩行のおぼつかない高齢者や、甥っ子のように手を離した隙にどこかへ走り出してしまいかねない子供などは、自分から率先して手を繋ぎます。転んだり、はぐれたり、危ない目に遭うのが心配です。一人で問題なく歩ける者同士であれば、よっぽど危険な道や人混みでもない限り、手を繋がなくても大丈夫。それは、相手に対して安心しているということでもあるような気がするのでした。
NHKでアロマンティックやアセクシャルやをテーマにしたドラマ「恋せぬふたり」が始まりました。ああ、こういう時代がきたんだ、と思いました。だから一人で生きる、というのではなく、家族はほしい、という方向性に、このテーマへの誠実さを感じながら観ています。最終回まで恋せぬままに進んでほしい。なにか陳腐な展開で二人がカップル成立する結末だけは、どうぞ迎えませんように。
無性愛なる称号にゆるされて欠陥なんてなかったわたし
という歌がNHK短歌テキスト2010年6月号に掲載されています。「愛」の題詠でこれはなんだか挑発的ですが、もともと初句を「アセクシャル」と詠んでいた未発表作を、題に合わせて日本語にしたのでした。作者はわたしです。あまりうまい歌ではないですが、12年前ですから、なかなか時代を先取りしているのではないでしょうか。当時は、わたしの調べた限りアロマンティックという言葉はまだなくて、恋愛感情がないことは「広義のアセクシャル」と呼ばれていました。
そのような性質を自分のアイデンティティにするつもりはないし、そもそもわたしの場合は先天的なものではなく母娘関係などの影響や心の抑圧なのかもしれないし、震災のような未曾有の非常時には「子孫を残さなくちゃ」という使命感が湧き出した経験もあるので、自認としてもアロマンティックともアセクシャルとも断定はせず、――っぽい、――寄り、などと曖昧にしています。それでも、わたしは心に何か欠けているのでは、と思い悩んでいた時に、こうした言葉を知り、ずい分救われたものでした。
昔の自分を救ってくれた言葉が、一生を救ってくれるわけではないような気もしています。わたしも変わってゆきましょう。
『女性とジェンダーと短歌 書籍版「女性が作る短歌研究」 水原紫苑・編』に「花降る」10首掲載していただいております。わたしの分は「短歌研究」2021年8月号の再録ですが、書籍版はバージョンアップして読み応えたっぷりですので、ぜひ。
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一〇〇〇円の時には受けたオプションの乳がん検診今年は付けず 「踵を上げて」/現代短歌2021年5月号
オプション料金が以前より高くなっていたので、定期健康診断ではスキップしてしまいましたが、その後、一定の年齢につき市から無料クーポンをいただいたので、検査してきました。夏に申し込んで検診日が年明けなのだから、よっぽどたくさんの人が受けているのでしょうか。廊下の待合椅子には他にも何人か順番待ちをしていて、ここにいるみんなが同じ年齢の女性なのかと思うと、なにか不思議な気がしてきます。待ち時間に『女性とジェンダーと短歌』を読みました。持ち運びやすいソフトカバーの本を、と選んでバッグに入れてきただけだったのに、よく考えたらなんだかつきすぎです。
これまでただ寝てるだけのエコー検査は受けたことがあったのですが、マンモグラフィーは初めてです。「手を上げてくださ~い」「肩を合わせますね~」と女医さんに指示を受けながら、「右のお胸は押さえてもらってていいですか~」といったふうに、乳房は「お胸」と呼ばれるのになにかおかしみを感じました。
短歌では当たり前のように詠われていても、わたしは実際に「乳房」などと日常会話で声に出して言うことはないし、人が言っているのを聞いたこともありません。これは書き言葉だな、とあらためて確信しました。以前、女性主人公の一人称で進む小説で「私の乳房に」みたいな表現を見た時も違和感を覚えたのでした。「私の――」って、モノローグだとしてもそんなふうに自分の体を言う人いるかな。いるのかもしれないけれど。これが三人称で「彼女の――」「○○(名前)の――」であれば全く気にならないのに。
手を「お手て」、肩を「お肩」と丁寧に言う以上に、「お胸」に漂う丁寧さはなんなのでしょう。痛くされるからなのでしょうか。まだ痛いです。
検査が終わって階段を降りていたら、エレベーターを待つ車椅子のおばあちゃんと若い男性職員の優しい会話が聴こえました。わたしの祖母もあんなふうに優しくしてもらえているといいな、と思いながら病院を後にしました。
オプション料金が以前より高くなっていたので、定期健康診断ではスキップしてしまいましたが、その後、一定の年齢につき市から無料クーポンをいただいたので、検査してきました。夏に申し込んで検診日が年明けなのだから、よっぽどたくさんの人が受けているのでしょうか。廊下の待合椅子には他にも何人か順番待ちをしていて、ここにいるみんなが同じ年齢の女性なのかと思うと、なにか不思議な気がしてきます。待ち時間に『女性とジェンダーと短歌』を読みました。持ち運びやすいソフトカバーの本を、と選んでバッグに入れてきただけだったのに、よく考えたらなんだかつきすぎです。
これまでただ寝てるだけのエコー検査は受けたことがあったのですが、マンモグラフィーは初めてです。「手を上げてくださ~い」「肩を合わせますね~」と女医さんに指示を受けながら、「右のお胸は押さえてもらってていいですか~」といったふうに、乳房は「お胸」と呼ばれるのになにかおかしみを感じました。
短歌では当たり前のように詠われていても、わたしは実際に「乳房」などと日常会話で声に出して言うことはないし、人が言っているのを聞いたこともありません。これは書き言葉だな、とあらためて確信しました。以前、女性主人公の一人称で進む小説で「私の乳房に」みたいな表現を見た時も違和感を覚えたのでした。「私の――」って、モノローグだとしてもそんなふうに自分の体を言う人いるかな。いるのかもしれないけれど。これが三人称で「彼女の――」「○○(名前)の――」であれば全く気にならないのに。
手を「お手て」、肩を「お肩」と丁寧に言う以上に、「お胸」に漂う丁寧さはなんなのでしょう。痛くされるからなのでしょうか。まだ痛いです。
検査が終わって階段を降りていたら、エレベーターを待つ車椅子のおばあちゃんと若い男性職員の優しい会話が聴こえました。わたしの祖母もあんなふうに優しくしてもらえているといいな、と思いながら病院を後にしました。
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。
今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
余るとは思いつつ一月三日買い足す年賀はがき余りぬ
昨年に引き続き帰省は控えて、静かなお正月でした。ふり返ってみると帰省をしてもしなくても寝正月を過ごしているようで、例に漏れず今年もたっぷり眠ってしまったのでした。元旦のうたた寝では、テレビのセットのようなにぎやかな場所で、短歌を一首詠むごとにキッチンブースに走って料理を作るというゲームに興じている夢を見ました。点けっぱなしのテレビから流れる、正月番組の音声が夢の中に入ってきたのかもしれません。今年に詠む最初の歌が夢とは。目覚めたら、どんな歌だったか忘れてしまいました。くやしい。あとは保湿をがんばりました。
今年は、少しでも希望を持って、種を蒔くようなことができたらいいな、と思います。人生をあきらめ過ぎないように、うれしいことや楽しいことを見つけながら、自分を大切にしてゆきたい。ゆたかな一年になりますように。
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歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
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