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川が好き。山も好き。
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  チョコレート色のドレスを購いぬ二月に呼ばれた結婚式に

  式終えて「やっと実感沸いてきた」と同じ名字に嫁ぐ新婦は

  一回り下の同僚と「幸せになりたいね」って笑う星空


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 ほんとうは6首載せていただいたのだけど、思うところあって半分お蔵に。自分で詠んだ歌を自分で消したくなってしまうのは、短歌というものが私性と切り離せないものだからなのかとも思う。
 これまでの人生で関わったたくさんの人達に、わたしのことなんて忘れてほしいと切実に思うくらいに自分の来し方が恥ずかしくなってしまう瞬間がある。自分を残しておきたくて短歌なんて詠んでしまうくせに。

 以前、ある歌人の方に、「今はインターネットでいろいろ発信できるけれど、残すためには紙媒体で発表しなければならない」というような話を聞いた。 それは、短歌に限らず、評論であったり文章全体に通じる話なのだけれど、なにかとても大切なことを聞いたような気がした。

 言葉が残る、ということが、今はすごくこわい。なにかにつけて、あんなこと言ってしまうんじゃなかった、失言だった、と後悔ばかりの日々の中で。

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GWに帰省した際、こごみをいっぱい食べた。摘みたてのを戻る時に持たされもした。ツナと塩こしょうマヨネーズで和えてサラダにした。おいしかった。次に帰るときはわらびが食べられるだろうか。それとも、その前に送ってもらえるだろうか。

「地元に帰ってコシアブラもタラの芽もいっぱい採って食べちゃったー。山菜ってセシウムいっぱい入ってると思うけど私達の年代はもう関係ないわよねー」
 料理の話をしている時、わたしの母親世代の女性がそう笑っていた。
 ああ、そうだった。東北に住むわたし達は。
 わたしは、これまであんまり気にせずに山菜でも野菜でも食べていたのだった。スーパーに行けば復興コーナーが特設されていて、東北産の野菜がお買い得になっているところもある。食べて応援、なんて気持ちがなくとも買って食べる、普通においしいし、安いので。実家で採れる野菜なんて、検査もしていない。一人で暮らすアパートのベランダ菜園なんて、言わずもがな。
 小さなお子さんを持っていたり、妊娠を希望している同年代の女の人が、「何処何処産のものは食べない」と、震災以降の食べ物に敏感になっているのを見聞きする。ああ、わたし煙草とかジャンクフードとか体に悪いものは食べてないけど、セシウムとかそういうのは気を遣ってないなって、振り返らされる。ふと、いろいろなことを考えてしまう。たとえば、わたしのこの体に、命の宿ることがあるのだろうか、ということ。生み終え育て終わった年配の女性が「私達の年代はもう関係ない」と言うのは、そういうことだ。わたしには、関係のあることなのだろうか。
 
 そんな思いを短歌に詠もうとしたら、いろいろな人を傷つけることになってしまった。様々な理由で子供の持てない女の人達や、東北で野菜を作っている農家の人達、そして、震災で被災してそれどころではない人達も。
 わたしにとっても、年頃に普通に恋愛して結婚して子供を持つような、普通の女性らしい生き方ができなかったということが、痛みではあるのだけれど。
 
 答えが出るのは、もう少し先のことなのかもしれない。まだまだなにもわからない、野菜も、人生も、歌も。

  ワンルームベランダ産の京水菜ツナマヨ和えてサラダの休日

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 暮らしが貧しいので、「薄給OLが節約して*万円貯めました!」というような本を読んだ。けれども、薄給とは言っても著者はわたしより月収が10万円多くって、それならばわたしも今のままの生活水準を続けて収入が月当たり10万多ければ普通に*万貯まってしまうわ、って、なんだかかなしくなってしまった。わたしはどれだけ収入低くて貧しい暮らしなのか。毎日フルタイムで8時間働いているのに。
 しかも著者はわたしより余裕のある暮らしをしているうえに、本を出版できて副収入も得られる、と。いいなあ。

 しばらく前、一人暮らしの知人達がひと月の支出について話をしていたところ、その場に居たみんながわたしの5倍以上の額を言っていて、いたたまれない気持ちになってしまった。
 わたしにしたって、ご飯も食べられない家賃も払えないなどと言うほど生活に困窮したことは、実際は、ない。交際費や趣味、諸々のお礼などお金を使うべき時には使うし、ケチケチしているつもりもない。やりくりもできてる。少しだけれど、貯金もできてる。

 それでも、わたしの精一杯の天井が低くて、そうした生活になじみ過ぎてしまっている、ということに、気づいてしまった。お金が欲しい、と実はそんなに思っていなかったことがかなしいのだ。

  ひと月のケータイ代として友が示した額でわたし暮らせる

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 自分の部屋が汚い人は自分を大事にしていない、という話をどこかで聞いた。妙に腑に落ちた。
 わたしの部屋は汚い。ゴミこそ落ちていないものの、整理整頓ができていない。その昔「男の部屋かと思った」と言われてしまったこともあるくらいに。ふいに取り出したものをそのまま置いてしまう。今こうして文章を打っているパソコンの周りにすら、化粧水とホチキスとレシートと栄養ドリンクとこけし博のチラシと付箋紙と蜆スープの素と証明写真とシャープペンシルと歌集とコーヒーカップとその他諸々が散らばっている。テーブルの上にこんなに物があるなんて、こうして書き出すまで気づかなかった。われながらかなしくなってしまう。

 これが、職場ならばきっちり掃除をするのである。決まったものは決まった場所に置くし、少しの汚れも即座に拭き取る。他人の部屋もそうすると思う。泊まりに行った宿だってきれいに使う。わたしだけの領域であるわたしの部屋だけがごちゃごちゃしているのだ。
 
 自分の部屋が汚い人は自分を大事にしていない。他ではきれいに整頓できるのに、自分の部屋だけが汚いのは、自分に対するおもてなしの心や、快適に過ごしてほしいという気持ちが足りないということ。自分を好きになりたいと思う。思うだけではダメだ、ちゃんと部屋をきれいにしてあげないと。

  「ちょっとだけ上がっていってコーヒーを飲みませんか?」と言いたく掃除

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先週の日曜日、福島へ行ってきたのでした。『八重の桜』効果か、お花見シーズンなのもあってか、福島行きの高速バスは満席。昼前に福島駅に着いたところで、花見山行きの臨時バス乗り場にはうねうね何百メートルもの長蛇の列。ちょっと余裕ないな、と予定していた一人花見を泣く泣くあきらめることに。一人で桜を見て、自分がなにを感じるか、どんな歌を詠めるか、興味があった、のだけれど。

 13時からの歌会までの時間を、ビル最上階の展望台で過ごす。行けなかった花見山や、智恵子抄でおなじみの安達太良山、東北本線の線路の続くのが見え、晴れていたからことさら眺めがよかった。女子高生のグループ、年かさのカップル(夫婦ではないようである)、杖を突いたおじいちゃんおばあちゃんを連れた家族、日曜の昼間の様々な人達が入れ替わり立ち代る中、テーブル席に座ってノートに向かい、移動中に浮かんだ歌を書き留めていく。去年、青森の浅虫に行った時も、海の見える場所に机と椅子のあるスペースがあってよかった。いい場所だな、って思った。

 観光はできなかったけれど、福島物産館でお買い物をした。わたしは民芸品などみやげものが好きなのだった。職場へは今年限定かもしれない八重の桜にちなんだお菓子、新婚の妹へは、夫婦(?)起き上がり小法師を買った。土湯こけし豆便せんは自分に。こけしそのものは持っていないのに、こけしグッズは買ってしまうわたしでした。

  落花してわたしの代わりに泣くさくら




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  本を読むひとと答える戯れに好きなタイプを聞かれた時は

  徒歩五分先の図書館これからはここをわたしの本棚にしよう

  雪の音さえも聞こえる図書館の机に盗難注意のPOP

  背表紙に囲まれているわたしまだなにも知らない人だと思う

  詩の棚に茨木のり子『歳月』がなくて二月の妹の結婚


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 ほんとうは6首載せていただいたのだけれど、思うところあって一首自粛。

 書き物をするとき、この頃は近くの図書館へ赴く。
 図書館を含むこの文化施設が、震災時は臨時の避難所となり、自宅の中が散乱して寝る場所のなかったわたしもお世話になった。
 寝泊りする部屋の欄に名前を書いたホワイトボードも、停電の夜のためのろうそくも、配給のためのダンボールや長テーブルも、「歯みがきはご遠慮ください」というトイレの張り紙も、今はもうない。あんなたった数日のことなのに、来る度に思い出す。
 図書館、無事に復旧できてよかった、なにもなかったみたいに。

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 会社を早退した。今年はそんなこともなくてこの調子を保つつもりだったのに。体調管理がなってない、と怒られた。ご飯はしっかり食べてたし、そこそこ眠ってた。この一週間、わたしの仕事の補助のパートさんがインフルエンザで休んでいた。普段二人でしている仕事を毎日一人でしなければならなかった。がんばろうと心では思っていても体がしんどくなっていった。
 わたしの仕事はごく少数体制で、休むことへの罪悪感が大きい。許容量以上を求められても「無理です」って言い出せなくて、がんばろうがんばろうってあからさまに調子の崩れるまで続けてしまい、最後には病人アピールのかまってちゃんみたいになってしまう自分がいやだ。疲れで涙目になって息の乱れてしまうのを「また始まった、ウザー」とか見られていると思う。ほんとうはそんな姿を人目にさらしたくはないのに。
 具合の悪くなるのがおかしい、役立たず。仕事をするというのはそういうことだってわかってる。責められれば言い訳みたいな言葉ばかりが飛び出してきて、自分が誰なのかわからなくなってしまう。わたしこんなんじゃなかったのに。つくづく、自分は扱いにくいめんどくさい人間なのだと思った、仕事もできなくて。
 
 会社を早退して(させられて)医院へ行った。数ヶ月前にも同じ症状で受診して、異常なし、続くようだったら一年後ぐらいに、と言われていたのだけれど会社に報告義務があった。医院は空いているようで、靴箱にヒョウ柄の派手な靴が一足あり、待合室には鮮やかな青いマタニティードレスの若い女性が座っていた。
 何度目かの診察とはいえ、慣れない痛みが体に残る。自宅への帰り、ヒメオドリコ草とオオイヌノフグリの道端に咲いているのが目に留まった。

  ゆるされることには慣れていないのでごめんなさいがいつも足りない

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 父が、犬の散歩と偽って家を出て外から電話をかけてきたと思ったら、次はトイレから、その次は地域のゴミ捨て場のプレハブからかけてきた。実の娘へ他愛ない電話をするのになにをコソコソする必要があるのか。

 かつて父は、仕事で建築途中の住宅に居たところを、近所の人から不審者と勘違いされて通報されてしまったことがある。外見も挙動もあやしいのだった。

  包装のビニルも花火と言いはって火をつける父を信じていた日

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最近、下の名前で呼ばれることの増えて、ちょっとうれしい。

 もうずっと、わたしは名字で呼ばれることの方が多かった。それは、ある程度の年齢になってからは誰でもそうだとも思う。特に、わたしは鈴木とか佐藤とかといったありふれた名字ではないため、クラス、あるいは職場、そのほか集団の中で誰かと被るようなこともなく、わざわざ名前で呼ぶという理由ができあがらない。それに、角ばった字面のわたしの名字は、わたしの印象に合っているような気もしている。
 それでも、そこに属している人達が下の名前で呼ばれているのに、わたしも名前で呼んでいるのに、わたしは名字呼びのままだったりすると、なにか壁を張られているような、たとえば今の名字が旧姓になる頃までなんか付き合いを続けるつもりはないよ、と言われてるような、ほんのり寂しい気持ちになってみたりしたものだった。
 もちろん、呼ぶ方はそこまで考えてない、ということは、わたしも呼ぶ方にまわるのだから、わかる。別に、たいした理由なんてない。発音しやすい方、周りの呼び方に合わせて、なんとなく、そんなもの。そんなふうに、わたしだって人を呼んでいる。

 久しぶりに下の名前で呼ばれて、うれしいな、と思った。うれしいな、と思う自分を思った。そんなふうに、わたしにずっと名字で呼ばれていた誰かもいたかもしれないと思った。

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「私の名前は月原加奈子。39歳。旅行会社に勤めている」

 土曜日の朝の楽しみは、通勤バスの中、ウォークマンでJFN『Sound Library~世界にひとつだけの本~』を聞くこと。木村多江さんの朗読で語られる、月原さんの等身大の日常は、おだやかで、ほんのりせつなくて。合間に挿入される楽曲も、物語に添って選曲されていて、知っている歌でもあらためて胸に届く。どこにでもいるようなごく普通の、真面目で、優しくて、ちょっと不器用な月原さんの日々が、丁寧に描かれているのがわかる。
 ポッドキャストでいつでも聞くことはできるけれども、やっぱり、土曜日の朝7時、仕事に向かうバスの中で聞くのがいい。隙間時間に短編小説を読み浸るような、贅沢な、優しいひと時。

 月原さんには、幸せになってほしいと思う。自然にそう思える、わたしの大好きなラジオ番組です。

公式サイト→http://www2.jfn.co.jp/library/


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拍手お返事はつづきからどうぞ。

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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