川が好き。山も好き。
春の山形はとてもよかった。満開の桜の向こうに、雪をかぶった真っ白な月山。新しく春の名前を授かったばあちゃんが見せてくれた景色だと思いました。
祖母の葬儀から半月ほどが過ぎました。なにしろ山形へ向かうのですから、道中で「みちのくの祖母のいのちを一目見ん」みたいな歌をはからずも詠んでしまうのだろうと踏んでいたのですが、東根駅まで行く特急バスのバス停に着いたところ、乗るつもりでいた発車時刻のバスが4月のダイヤ改正で無くなっていて、あわてて隣のバス停に来た山形駅行きのバスに飛び乗り、車内ではガラケーで必死に乗り換えを調べたりして、歌を詠むどころではありませんでした。山形駅でみどりの窓口に相談して、新幹線を使えば東京から来る叔母との待ち合わせに間に合うとわかりました。まさか人生で山形-東根間を新幹線で移動する日が来ようとは。新幹線の窓からは今が盛りの霞城公園の桜が見えて、とてもきれいでした。たくさんの花見客がこちらにカメラを向け桜越しの新幹線の写真を撮っていました。
なんとか東根駅で叔母と合流し、タクシーで実家へ。地名が田舎過ぎて伝わらず、赤い橋を目印にしてもらいなんとかたどり着きました。
妹は七歳の甥っ子を連れてくるか迷っていたようですが、これまでのいくつかの葬儀を思い出し、連れてくることを勧めました。無邪気な子供の存在はこうした場を和ませてくれます。実際に、本家のかあちゃんが「よぐ来たなあ~」とよろこんだり、わたしも甥っ子が様々に聞いてくるのへ「天国に行くんだよ」みたいに答えているうちに、そんな楽しげな映像が浮かんできたりするのでした。それにしても、あやしい宗教ではなくいたって一般的な真言宗なのに、一連の儀式やおっさまのお話、お経、仏様の存在なども生きている人の作りごとのようだと思いました。子供に言い聞かせるように、大人も物語の中で悲しみを癒してゆくのかもしれません。
親戚から、わたしの父は婿に来て一年足らずでわたしの祖父の喪主になったという話を聞きました。今まで続柄がよくわかっていなかった親戚も結構いたのですが、あらためて確認すると祖父の兄弟やその上の世代が婿に行った家など入婿がとても多いです。親戚だけでなく、近所でも多いようです。農村といえば男尊女卑で長男が偉い前時代的なイメージがありますが、意外に世代を遡るほど男性の方が名字を変えて婚家の農業を継いでいますし、長男が外に出て次男三男が継いでいる家もあります。
わたしも婿を取っていればよかった、と悔やんだのは、祖母を運んだり棺を運んだりする場面で「男性の方、前に出てください」と呼ばれても、高齢男性しかいなかった時です。祖母は痩せてしまって軽いとはいえ、ここでわたしの夫がいれば病を患っている方や杖をついている方に負担をかけさせずに済んだのに。夫がいなくとも女のわたしでも役に立ちそうに思いましたが、なにか儀式的な意味があるのかもしれず前に出られませんでした。
親戚がたくさん集まって、頭の中の家系図を書き加えながら、その細りゆくことを思いました。わたしの実家はわたしで断絶するし、本家も次で断絶、祖母の実家も、父の実家も、あの家もこの家もいずれ断絶します。家のために子を生むわけではないけれど、先祖代々の田んぼや畑を次世代に繋いでゆけないことが、わたしはとてもくるしい。農作業の合間に肥やし袋を尻に敷いておにぎりを食べるような時間を、自分の子や孫とも過ごしてみたかった気もしてくるのです。わたしがなりふり構わずそうなるように突き進んでいればそういう未来もあったかもしれず、結局は自分が選んできた今なのかもしれません。
告別式で親類の挨拶などがあれば、祖母との仲からして頼まれるのはわたしだろうという自負があったのですが、泣いて泣いてとてもそんな状態ではないだろうと見越した母や伯母が、挨拶の代わりにわたしの歌集から数首を司会の方に朗読してもらうように手筈をつけていました。セレモニーホールの待合室で葬儀社の方と漢字の読み方などの打ち合わせをしていて、「タイトルがなんのことだかわからなかったけれど、この歌(表題歌)を読んでわかりました」なんていう会話の後、「この本、買えますか?」と思わぬ申し出があり、そのまま差し上げました。
司会の女性は、たんたんとしていると評されがちな作風のわたしの歌を、情感たっぷりに読んでくださいました。そして「にず」の訛りのアクセントがネイティブで完ペキです。祖母の歌は思ったより少なくて、三首選ぶのに迷いませんでした。これからは、どんなに詠んでも挽歌です。元気なうちに元気な祖母をもっと詠んでおけばよかったと思いました。
いい時に死んでくれた、と叔母はくり返しました。果樹の仕事がひと段落した時期でちょうどよかったというのです。祖母には果てしなく長生きしてほしかったわたしには、叔母の言葉がなんだか無神経に感じたりもしたのですが、わたしもわたしで来月の歌集を読む会の日にそうなったらどうしようと相当に心配していたので、時期の被らなかった安堵感は確かにあったのでした。また、結社誌の詠草の取りまとめ作業のある20日前後に自宅を数日離れるのも厳しかったので、なんでもない日で、なんだか祖母に渾身の力で空気を読んでもらったようです。尤も、母は予定していた一泊旅行が取りやめになり、祖母に呼ばれて旅行がなくなるのはこれで3度目らしいのでした。
コロナ禍も落ち着いて遠方の叔母や妹が来れて、とはいえ通夜振る舞いなどの会食は弁当を持たせてお帰りいただくことで縮小できて、いつかの真冬の雪の葬儀に比べたらよっぽど体も楽で、天気が良くて、花が咲いていて、充分に長生きして、葬式代もちゃんと遺して。なんて見事な仕舞いっぷりでしょう。でも、おしゃべりでにぎやかな祖母のもういない世の中を生きてゆくのは寂しいです。
くり返し「寂しい人生だ」とつぶやけば祖母に「楽しい」と訂正される
祖母の葬儀から半月ほどが過ぎました。なにしろ山形へ向かうのですから、道中で「みちのくの祖母のいのちを一目見ん」みたいな歌をはからずも詠んでしまうのだろうと踏んでいたのですが、東根駅まで行く特急バスのバス停に着いたところ、乗るつもりでいた発車時刻のバスが4月のダイヤ改正で無くなっていて、あわてて隣のバス停に来た山形駅行きのバスに飛び乗り、車内ではガラケーで必死に乗り換えを調べたりして、歌を詠むどころではありませんでした。山形駅でみどりの窓口に相談して、新幹線を使えば東京から来る叔母との待ち合わせに間に合うとわかりました。まさか人生で山形-東根間を新幹線で移動する日が来ようとは。新幹線の窓からは今が盛りの霞城公園の桜が見えて、とてもきれいでした。たくさんの花見客がこちらにカメラを向け桜越しの新幹線の写真を撮っていました。
なんとか東根駅で叔母と合流し、タクシーで実家へ。地名が田舎過ぎて伝わらず、赤い橋を目印にしてもらいなんとかたどり着きました。
妹は七歳の甥っ子を連れてくるか迷っていたようですが、これまでのいくつかの葬儀を思い出し、連れてくることを勧めました。無邪気な子供の存在はこうした場を和ませてくれます。実際に、本家のかあちゃんが「よぐ来たなあ~」とよろこんだり、わたしも甥っ子が様々に聞いてくるのへ「天国に行くんだよ」みたいに答えているうちに、そんな楽しげな映像が浮かんできたりするのでした。それにしても、あやしい宗教ではなくいたって一般的な真言宗なのに、一連の儀式やおっさまのお話、お経、仏様の存在なども生きている人の作りごとのようだと思いました。子供に言い聞かせるように、大人も物語の中で悲しみを癒してゆくのかもしれません。
親戚から、わたしの父は婿に来て一年足らずでわたしの祖父の喪主になったという話を聞きました。今まで続柄がよくわかっていなかった親戚も結構いたのですが、あらためて確認すると祖父の兄弟やその上の世代が婿に行った家など入婿がとても多いです。親戚だけでなく、近所でも多いようです。農村といえば男尊女卑で長男が偉い前時代的なイメージがありますが、意外に世代を遡るほど男性の方が名字を変えて婚家の農業を継いでいますし、長男が外に出て次男三男が継いでいる家もあります。
わたしも婿を取っていればよかった、と悔やんだのは、祖母を運んだり棺を運んだりする場面で「男性の方、前に出てください」と呼ばれても、高齢男性しかいなかった時です。祖母は痩せてしまって軽いとはいえ、ここでわたしの夫がいれば病を患っている方や杖をついている方に負担をかけさせずに済んだのに。夫がいなくとも女のわたしでも役に立ちそうに思いましたが、なにか儀式的な意味があるのかもしれず前に出られませんでした。
親戚がたくさん集まって、頭の中の家系図を書き加えながら、その細りゆくことを思いました。わたしの実家はわたしで断絶するし、本家も次で断絶、祖母の実家も、父の実家も、あの家もこの家もいずれ断絶します。家のために子を生むわけではないけれど、先祖代々の田んぼや畑を次世代に繋いでゆけないことが、わたしはとてもくるしい。農作業の合間に肥やし袋を尻に敷いておにぎりを食べるような時間を、自分の子や孫とも過ごしてみたかった気もしてくるのです。わたしがなりふり構わずそうなるように突き進んでいればそういう未来もあったかもしれず、結局は自分が選んできた今なのかもしれません。
告別式で親類の挨拶などがあれば、祖母との仲からして頼まれるのはわたしだろうという自負があったのですが、泣いて泣いてとてもそんな状態ではないだろうと見越した母や伯母が、挨拶の代わりにわたしの歌集から数首を司会の方に朗読してもらうように手筈をつけていました。セレモニーホールの待合室で葬儀社の方と漢字の読み方などの打ち合わせをしていて、「タイトルがなんのことだかわからなかったけれど、この歌(表題歌)を読んでわかりました」なんていう会話の後、「この本、買えますか?」と思わぬ申し出があり、そのまま差し上げました。
司会の女性は、たんたんとしていると評されがちな作風のわたしの歌を、情感たっぷりに読んでくださいました。そして「にず」の訛りのアクセントがネイティブで完ペキです。祖母の歌は思ったより少なくて、三首選ぶのに迷いませんでした。これからは、どんなに詠んでも挽歌です。元気なうちに元気な祖母をもっと詠んでおけばよかったと思いました。
いい時に死んでくれた、と叔母はくり返しました。果樹の仕事がひと段落した時期でちょうどよかったというのです。祖母には果てしなく長生きしてほしかったわたしには、叔母の言葉がなんだか無神経に感じたりもしたのですが、わたしもわたしで来月の歌集を読む会の日にそうなったらどうしようと相当に心配していたので、時期の被らなかった安堵感は確かにあったのでした。また、結社誌の詠草の取りまとめ作業のある20日前後に自宅を数日離れるのも厳しかったので、なんでもない日で、なんだか祖母に渾身の力で空気を読んでもらったようです。尤も、母は予定していた一泊旅行が取りやめになり、祖母に呼ばれて旅行がなくなるのはこれで3度目らしいのでした。
コロナ禍も落ち着いて遠方の叔母や妹が来れて、とはいえ通夜振る舞いなどの会食は弁当を持たせてお帰りいただくことで縮小できて、いつかの真冬の雪の葬儀に比べたらよっぽど体も楽で、天気が良くて、花が咲いていて、充分に長生きして、葬式代もちゃんと遺して。なんて見事な仕舞いっぷりでしょう。でも、おしゃべりでにぎやかな祖母のもういない世の中を生きてゆくのは寂しいです。
くり返し「寂しい人生だ」とつぶやけば祖母に「楽しい」と訂正される
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ベランダの桃の花が今年はふたつ咲きました。昨年はひとつだったのでうれしいです。
さて、このたび歌集『にず』を読む会を開催することとなりました。コロナ禍などもあり刊行から数年越しではございますが、どうぞご参加お待ちしております。
前半に歌会がありますが、読む会からのご参加もOKです。どうぞよろしくお願いいたします。
https://toutankakai.com/event/14603/?instance_id=2209
【歌集『にず』を読む会】
○とき: 令和5年(2023年)5月13日(土)13時~17時
○ところ: 仙台市シルバーセンター
〒980-0013 宮城県仙台市青葉区花京院1丁目3番2号
TEL:022-215-3191
https://www.senkenhuku.com/silvercenter/
○次第:
1 歌会 13時~14時20分
題詠:「方言」を詠み込む 1首 ※実際に方言を詠み込んでください。
「めんこい」「なんでやねん」「エビフリャー」など
2 『にず』を読む会 14時30分~17時
・『にず』の特徴を表す歌、とても好きな歌、何か言いたい歌などを事前に3首選んでください。
・加えて、【『にず』を一言(一文)で表すなら】ということで、『にず』にキャッチフレーズをつけてください。どのような感じでも結構です。
・当日は、全員の方に発言していただきたく、上記のものをとっかかりにお話しください。
○参加費:500円
○懇親会: 読む会の終了後、懇親会を予定しています。(仙台駅付近、予算3000円~5000円)
○申し込み締切:5月6日(土)
(歌会用1首+『にず』3首選+『にず』キャッチフレーズ)
・お名前 ・所属結社名(あれば) ・メールアドレス ・歌会のご参加の有無 ・懇親会のご参加の有無 をお知らせください。
○申込先・問い合わせ先: 三浦こうこさん koumeworld2000★gmail.com (★を@に変えてお送りください)
さて、このたび歌集『にず』を読む会を開催することとなりました。コロナ禍などもあり刊行から数年越しではございますが、どうぞご参加お待ちしております。
前半に歌会がありますが、読む会からのご参加もOKです。どうぞよろしくお願いいたします。
https://toutankakai.com/event/14603/?instance_id=2209
【歌集『にず』を読む会】
○とき: 令和5年(2023年)5月13日(土)13時~17時
○ところ: 仙台市シルバーセンター
〒980-0013 宮城県仙台市青葉区花京院1丁目3番2号
TEL:022-215-3191
https://www.senkenhuku.com/silvercenter/
○次第:
1 歌会 13時~14時20分
題詠:「方言」を詠み込む 1首 ※実際に方言を詠み込んでください。
「めんこい」「なんでやねん」「エビフリャー」など
2 『にず』を読む会 14時30分~17時
・『にず』の特徴を表す歌、とても好きな歌、何か言いたい歌などを事前に3首選んでください。
・加えて、【『にず』を一言(一文)で表すなら】ということで、『にず』にキャッチフレーズをつけてください。どのような感じでも結構です。
・当日は、全員の方に発言していただきたく、上記のものをとっかかりにお話しください。
○参加費:500円
○懇親会: 読む会の終了後、懇親会を予定しています。(仙台駅付近、予算3000円~5000円)
○申し込み締切:5月6日(土)
(歌会用1首+『にず』3首選+『にず』キャッチフレーズ)
・お名前 ・所属結社名(あれば) ・メールアドレス ・歌会のご参加の有無 ・懇親会のご参加の有無 をお知らせください。
○申込先・問い合わせ先: 三浦こうこさん koumeworld2000★gmail.com (★を@に変えてお送りください)
仕事帰りによく寄っていた書店が一昨年の夏に閉店してから、本屋が遠くなったように感じています。少し足を伸ばせば別な書店はいくつかあるのだけれど、仕事帰りのくたびれた夜に足を伸ばすのは少しの距離でもおっくうで、書店への頻度は今では月に一度くらいになりました。代わりにネットショップを活用、というようなこともなくて、遠くなったのは心だ、と感じています。本が嫌いになったわけではないのに。なにかしら常に本を読んでいたいのに。尤も、塔の結社誌を読み切るだけで時間はかかるし、昔買った小説などはほとんど内容を忘れてしまっていて再読したら新鮮だったりして、もともと新刊を追っかけるタイプではなかったこともあり、新しく本を買わずとも間に合ってしまっているところもあるのかもしれません。
早番の仕事帰りや遅番の仕事前によく寄っていたコーヒー店も一年前に閉店してしまいました。コーヒーを飲みながら本を読んだり、携帯電話や何かの余白に書き散らかした短歌をノートにまとめたりするのは大切な時間でした。もちろん、それほど足を伸ばさなくてもあちこちにコーヒー店はあって、なんなら職場のビルのテナントにも入っています。自分と同じような人があちこちの席でそこそこ長居していて自分がその他大勢でいられるような居心地はなくとも、しょうがない。コーヒーを飲みながら読書や物書きをすることが好きなのは変わらないのだし。
震災の少し後あたり、この先ああなったらどうしようこうなったらどうしようと未来を悲観して不安になって、日常生活に支障が出るほどに不安感に押し潰されてしまって、不安を落ち着かせる薬などを処方してもらっていた頃がありました。もう服用をやめて数年経ちます。
ふと、今の自分が、あの頃の自分が恐れていた想像そのままを生きてしまっていることに気づきました。こうなりたくない、と恐れすぎて強く思うあまり、それ以外の未来を思い描けずに、無意識にそうなるように生きてきてしまったのでしょうか。あがいてもあがいてもこっちに戻ってきてしまい、この頃はもうあがく気力もなくて。
こうなりたくない未来を現実として迎えてしまったのに、あの頃に服していたような薬も必要なく暮らしてゆけています。こんな現実を乗り越えられるほど強くなったわけではないのに、不思議です。不安な気持ちに蓋でもできているのでしょうか。昔より鈍感に、わたしが変わったのでしょうか。考えてもどうせわからないので、とりあえずこのまま生きてみます、できれば少しあがきつつ。
服用の薬の欄は空白になりたり瓦礫のように十年
早番の仕事帰りや遅番の仕事前によく寄っていたコーヒー店も一年前に閉店してしまいました。コーヒーを飲みながら本を読んだり、携帯電話や何かの余白に書き散らかした短歌をノートにまとめたりするのは大切な時間でした。もちろん、それほど足を伸ばさなくてもあちこちにコーヒー店はあって、なんなら職場のビルのテナントにも入っています。自分と同じような人があちこちの席でそこそこ長居していて自分がその他大勢でいられるような居心地はなくとも、しょうがない。コーヒーを飲みながら読書や物書きをすることが好きなのは変わらないのだし。
震災の少し後あたり、この先ああなったらどうしようこうなったらどうしようと未来を悲観して不安になって、日常生活に支障が出るほどに不安感に押し潰されてしまって、不安を落ち着かせる薬などを処方してもらっていた頃がありました。もう服用をやめて数年経ちます。
ふと、今の自分が、あの頃の自分が恐れていた想像そのままを生きてしまっていることに気づきました。こうなりたくない、と恐れすぎて強く思うあまり、それ以外の未来を思い描けずに、無意識にそうなるように生きてきてしまったのでしょうか。あがいてもあがいてもこっちに戻ってきてしまい、この頃はもうあがく気力もなくて。
こうなりたくない未来を現実として迎えてしまったのに、あの頃に服していたような薬も必要なく暮らしてゆけています。こんな現実を乗り越えられるほど強くなったわけではないのに、不思議です。不安な気持ちに蓋でもできているのでしょうか。昔より鈍感に、わたしが変わったのでしょうか。考えてもどうせわからないので、とりあえずこのまま生きてみます、できれば少しあがきつつ。
服用の薬の欄は空白になりたり瓦礫のように十年
昨日の深夜、震災の1、2年後あたりのドキュメンタリーの再放送を見ました。震災より日が浅い頃に作られたものは、今見るとなにか乾ききっていない生傷ように感じました。それでも、本放送の頃は今より静かに見れていたかもしれない。震災10年の少し前の頃あたりから、震災がこれまで以上に怖くつらくなってきました。想像力が及んできた、というのか、なにか迫ってくるような感覚に、胸がくるしくなります。
今日は仕事が遅番で、少し早めに出てコーヒー店でモーニングでもいただきながら本を読んだり歌を詠んだりしたいな、なんて思っていたけれど、結局普通の時間に出ました。昨年の「ドキュメンタリー72時間」の宮城の生花店の回の再放送と、「Dearにっぽん」12年目の告白~岩手・陸前高田 漂流ポスト~」に見入ってしまったからというのもあります。震災で亡くなった方への手紙が届くという漂流ポストはこれまでもいくつかのドキュメンタリーでも見ました。震災から12年経って、管理人の方が閉じたいと考えているということ、その思いや背景。
職場に着くと、今はとてもとても偉くなってあまり話すこともなくなっていた上司と出社が一緒になりました。挨拶をすると「髪型変えた?」と聞かれたので、「ボサボサなんですよ~」と反射的に自虐してしまい、なにか困った空気になってしまい、あ、悪い癖が出てしまったと思いました。昔の職場の上司に、無意識に自分を下げて言うのを咎められたことがあったのです。「なんか分け目が違うみたい」と言われるのへ、わたしは自分を下げずに「今日は前髪巻いてたんです、気づくなんてさすがですね!」と相手を褒めるべきでした。自虐癖を注意されたのも10年くらい前なのに、なかなか治らないものです。
仕事は毎年3月11日は14時から2時間ほどゆるやかで、特に今日のわたしは遅番だったこともありお昼の休憩が14時からでした。休憩室のテレビに映る震災の番組を見ながら、朝作ってきたサンドイッチを食べました。14時46分を知らせるサイレンの音がテレビの中から聞こえ、黙祷をしました。目を閉じていると、後ろのテーブルから「すっごい静か!」とキャハハと笑う若い女の子の声が聞こえました。3月11日14時46分にみんなが静かに祈ることの、なにがそんなにおもしろいのでしょうか。まして東北の、まして宮城県なのに。追悼の気持ちを持つべきだ、なんて強要することではないのですが。
帰りは、献花会場だった場所を通りました。昨晩は出ていた「東日本大震災献花会場」の看板が、既にしまわれていました。1月に葉の落ちきった柳の大きな樹の細い枝々に、新しい葉が芽生え初めていました。
今日は仕事が遅番で、少し早めに出てコーヒー店でモーニングでもいただきながら本を読んだり歌を詠んだりしたいな、なんて思っていたけれど、結局普通の時間に出ました。昨年の「ドキュメンタリー72時間」の宮城の生花店の回の再放送と、「Dearにっぽん」12年目の告白~岩手・陸前高田 漂流ポスト~」に見入ってしまったからというのもあります。震災で亡くなった方への手紙が届くという漂流ポストはこれまでもいくつかのドキュメンタリーでも見ました。震災から12年経って、管理人の方が閉じたいと考えているということ、その思いや背景。
職場に着くと、今はとてもとても偉くなってあまり話すこともなくなっていた上司と出社が一緒になりました。挨拶をすると「髪型変えた?」と聞かれたので、「ボサボサなんですよ~」と反射的に自虐してしまい、なにか困った空気になってしまい、あ、悪い癖が出てしまったと思いました。昔の職場の上司に、無意識に自分を下げて言うのを咎められたことがあったのです。「なんか分け目が違うみたい」と言われるのへ、わたしは自分を下げずに「今日は前髪巻いてたんです、気づくなんてさすがですね!」と相手を褒めるべきでした。自虐癖を注意されたのも10年くらい前なのに、なかなか治らないものです。
仕事は毎年3月11日は14時から2時間ほどゆるやかで、特に今日のわたしは遅番だったこともありお昼の休憩が14時からでした。休憩室のテレビに映る震災の番組を見ながら、朝作ってきたサンドイッチを食べました。14時46分を知らせるサイレンの音がテレビの中から聞こえ、黙祷をしました。目を閉じていると、後ろのテーブルから「すっごい静か!」とキャハハと笑う若い女の子の声が聞こえました。3月11日14時46分にみんなが静かに祈ることの、なにがそんなにおもしろいのでしょうか。まして東北の、まして宮城県なのに。追悼の気持ちを持つべきだ、なんて強要することではないのですが。
帰りは、献花会場だった場所を通りました。昨晩は出ていた「東日本大震災献花会場」の看板が、既にしまわれていました。1月に葉の落ちきった柳の大きな樹の細い枝々に、新しい葉が芽生え初めていました。
「仙台のおばちゃん」と、わたしのことを妹が甥っ子に呼ばせていることがずっと気になっていて、昨年末にやっと「わたしは仙台人じゃないから、仙台って言うのはやめてほしい」と伝えることができました。人生の半分以上を仙台に暮らしていながら、たまたま仙台にいるだけ、という気持ちがとても強い。仙台はとても暮らしやすい街だけれど、根を下ろしている感覚は全然なくて、自分の意識は故郷の山形にずっとあります。吹けば飛ぶように生きていて。
それはそうとして、現代短歌新聞3月号特集「宮城県の歌人」に「春」5首を掲載していただいております。3月号で宮城県特集、となると、震災の歌を詠むべきだろうか……と構えないでもなかったのですが、季節感は大事にしつつ自由に詠みました。お読みいただければうれしいです。
https://gendaitanka.thebase.in/items/72300983
それはそうとして、現代短歌新聞3月号特集「宮城県の歌人」に「春」5首を掲載していただいております。3月号で宮城県特集、となると、震災の歌を詠むべきだろうか……と構えないでもなかったのですが、季節感は大事にしつつ自由に詠みました。お読みいただければうれしいです。
https://gendaitanka.thebase.in/items/72300983
NHK総合「東北ココから」2023年2月17日午後7時30分(再放送2月18日午前10時30分)「震災を詠む 〜三十一文字に刻むそれぞれの“あの日”〜」にて、「塔短歌会・東北」の震災の歌や仙台歌会の様子なども紹介していただけるようです。東北ローカルで、東北の中でも地域により再放送のみだったりもしますが、他の地域の方もNHKプラスでの見逃し配信でご覧いただけるかと思います。どうぞよろしくお願いいたします、というほどわたしは映らないと思いますが、普通に視聴者として関心のあるテーマなので観ます。
2月に入り、ドキュメンタリーなどで震災回が増えてきました。義務感のようにチャンネルを合わせつつ、ここ数年ほどは震災当日や直後の内容のものがつらくて怖くて。無理のない範囲で見てゆきたいと思います、トルコのニュースも。
https://www.nhk.jp/p/ts/WJ1LZ5K145/
2月に入り、ドキュメンタリーなどで震災回が増えてきました。義務感のようにチャンネルを合わせつつ、ここ数年ほどは震災当日や直後の内容のものがつらくて怖くて。無理のない範囲で見てゆきたいと思います、トルコのニュースも。
https://www.nhk.jp/p/ts/WJ1LZ5K145/
仕事の帰り、灯りの少ない夜の道を歩いていたら、背後からハアハアと息遣いが聴こえ、それは次第に大きくなってゆきました。後ろに人がいる、というだけで不安な気持ちが湧き、背中が強張ります。このあたりの道では数年前に通り魔事件が起き、まだ犯人が捕まっていないのです。あの犯人がまだ潜んでいるかもしれない……とは思いませんが、毎日のようになにかと物騒なニュースはあり、どうしたって夜道は怖い。わたしは若い女性じゃないしお金持ちでもないから大丈夫、と思いたいけれども、「誰でもよかった」と言う動機はよく聞くし、夜の闇の中では若くないこともボロを着ていることもよくわからないでしょう。
早足で逃げようか、つけられているんじゃないか、しばらくの逡巡ののちに思いきって振り返った瞬間、ジョギング中の男性がわたしを追い越してゆきました。まっすぐに前を向いて走って、危険な人でもなんでもありませんでした。ああ、よかった。恐怖から解き放たれて安堵しつつ、何の罪もない人を疑ったり怖がったりして、自分の被害者意識の大きさを申し訳なくなります。
「セールスなら結構です!」と、仕事でかけた電話を冒頭から敵意丸出しでガチャ切りされることがあります。社名を名乗り、用件を伝えてセールスではないことを説明しても、嘘なんじゃないか、と信じてもらえず刺々しい言葉を投げつけられることも少なくありません。そのような対応になってしまうほどに、しつこい営業の電話や誰かのなりすましのような電話がかかってきているのでしょうか。あなたもそうなんでしょう、と疑う心情は理解できるし、しょうがないことなのかなあと割り切るしかありません。わたしにも副業でマンションを買わないかとか、20万払って短歌を新聞に載せないかとかいう不要な電話がかかってきます。あやしまれてしまうのは仕方ない。変な電話と一緒にしないで、なんて憤る気にもなれず、そういうものだ、と慣れてしまっています。
先日、塔短歌会のオンライン新年会に参加しました。懇親会のような場で、詠草の送付の際に速達は控えていただければありがたい、という話になりました。速達だと郵便受けへの配達ではなく、郵便屋さんが玄関の呼び鈴を鳴らして手渡しになることがあり、受け取りの手間が増えたりするのです。そもそも事前連絡なしの訪問なんて不要な訪問営業や宗教の勧誘がほとんどだし、強盗事件も怖いし、実家や通販など宅配便などの心当たりがない時は呼び鈴が鳴っても用心して留守のふりをすることが多くなりました。ほんとうに大事な用なら不在票が入るので、再配達をお願いできます。不在票ではなくて地球の滅亡や救世主の冊子が入っていた時は、やっぱり出なくて良かったと安堵するのでした。
警戒したり、されたり、いつのまにかそうしたことが常になってしまって。人を疑うより、信じて生きてゆければいいのだけど。
刑務所の方へ沈んでゆく夕陽とても大きなとても真赤な
早足で逃げようか、つけられているんじゃないか、しばらくの逡巡ののちに思いきって振り返った瞬間、ジョギング中の男性がわたしを追い越してゆきました。まっすぐに前を向いて走って、危険な人でもなんでもありませんでした。ああ、よかった。恐怖から解き放たれて安堵しつつ、何の罪もない人を疑ったり怖がったりして、自分の被害者意識の大きさを申し訳なくなります。
「セールスなら結構です!」と、仕事でかけた電話を冒頭から敵意丸出しでガチャ切りされることがあります。社名を名乗り、用件を伝えてセールスではないことを説明しても、嘘なんじゃないか、と信じてもらえず刺々しい言葉を投げつけられることも少なくありません。そのような対応になってしまうほどに、しつこい営業の電話や誰かのなりすましのような電話がかかってきているのでしょうか。あなたもそうなんでしょう、と疑う心情は理解できるし、しょうがないことなのかなあと割り切るしかありません。わたしにも副業でマンションを買わないかとか、20万払って短歌を新聞に載せないかとかいう不要な電話がかかってきます。あやしまれてしまうのは仕方ない。変な電話と一緒にしないで、なんて憤る気にもなれず、そういうものだ、と慣れてしまっています。
先日、塔短歌会のオンライン新年会に参加しました。懇親会のような場で、詠草の送付の際に速達は控えていただければありがたい、という話になりました。速達だと郵便受けへの配達ではなく、郵便屋さんが玄関の呼び鈴を鳴らして手渡しになることがあり、受け取りの手間が増えたりするのです。そもそも事前連絡なしの訪問なんて不要な訪問営業や宗教の勧誘がほとんどだし、強盗事件も怖いし、実家や通販など宅配便などの心当たりがない時は呼び鈴が鳴っても用心して留守のふりをすることが多くなりました。ほんとうに大事な用なら不在票が入るので、再配達をお願いできます。不在票ではなくて地球の滅亡や救世主の冊子が入っていた時は、やっぱり出なくて良かったと安堵するのでした。
警戒したり、されたり、いつのまにかそうしたことが常になってしまって。人を疑うより、信じて生きてゆければいいのだけど。
刑務所の方へ沈んでゆく夕陽とても大きなとても真赤な
新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。あっという間に松の内も明けてゆきます。
今年のお正月も帰省は控えてひっそりと過ごしました。行動制限がないとはいえ帰省ラッシュの人混みはおそろしく、代わりに実家と妹宅とで初めてZoomミーティングを試みたりもしました。
初夢は、トイレを探して白い廊下を走るのですが、扉を開けても開けても白い階段が現れて、下へ下へと降ってゆく夢でした。何か暗示的です。夢診断によれば、下ってゆくのが良くないようでした。逆夢になりますように。
映画館で観そこねたストップモーション・アニメーションの『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が2日にEテレで放送されたのがうれしかったです。映像がとてもすてきでした。「ごんぎつね」、結末はわかってるのに、やっぱり泣いてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。けれども、自分の心が相手に伝わっていなかったりという行き違いによって悲劇的な方へ向かってしまうことは実際によくあるので、「ごんぎつね」は教材として読み継がれているのかもしれません。
普段は夕飯は炭水化物を控えるなど食生活に気を付けているのですが、三が日の間は餅ならばいくつ食べてもいいことに決めて、鍋いっぱいに雑煮の汁を作りました。鶏肉、ごぼう、にんじん、先日の歌会でいただいた柚子皮も散らして今年は少し上品な味です。自分のために作った雑煮が美味しくできて、自分一人で食べているのがもったいないように思いました。
今年の抱負は、自分を大切に、自分の心も不必要に抑えず伝えてゆけるようにできたらいいなと思います。
あと、歌集などをいただいた際に早々とお礼状を送れるようになりたい。まだお送りしていない方にも送るつもりでおります。抱負というか、礼儀です。
うさぎりんごも木の葉りんごも得意なり なれど自分のためには剥かず
今年のお正月も帰省は控えてひっそりと過ごしました。行動制限がないとはいえ帰省ラッシュの人混みはおそろしく、代わりに実家と妹宅とで初めてZoomミーティングを試みたりもしました。
初夢は、トイレを探して白い廊下を走るのですが、扉を開けても開けても白い階段が現れて、下へ下へと降ってゆく夢でした。何か暗示的です。夢診断によれば、下ってゆくのが良くないようでした。逆夢になりますように。
映画館で観そこねたストップモーション・アニメーションの『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が2日にEテレで放送されたのがうれしかったです。映像がとてもすてきでした。「ごんぎつね」、結末はわかってるのに、やっぱり泣いてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。けれども、自分の心が相手に伝わっていなかったりという行き違いによって悲劇的な方へ向かってしまうことは実際によくあるので、「ごんぎつね」は教材として読み継がれているのかもしれません。
普段は夕飯は炭水化物を控えるなど食生活に気を付けているのですが、三が日の間は餅ならばいくつ食べてもいいことに決めて、鍋いっぱいに雑煮の汁を作りました。鶏肉、ごぼう、にんじん、先日の歌会でいただいた柚子皮も散らして今年は少し上品な味です。自分のために作った雑煮が美味しくできて、自分一人で食べているのがもったいないように思いました。
今年の抱負は、自分を大切に、自分の心も不必要に抑えず伝えてゆけるようにできたらいいなと思います。
あと、歌集などをいただいた際に早々とお礼状を送れるようになりたい。まだお送りしていない方にも送るつもりでおります。抱負というか、礼儀です。
うさぎりんごも木の葉りんごも得意なり なれど自分のためには剥かず
雪が降っていないせいかどうにも年末感がないのですが、大晦日です。
今年は3月の地震と、そののちの日々といった一年でした。心が、というより部屋が片付かなくて、片付ける気力も湧かなくて、片付けきれず、今に至ります。わたしは塔短歌会で詠草の受付係をしており、地震の数日後に塔の月詠の締切でした。地震の不安感を引きずった中で郵便物が続々届くような状況だったのですが、一心にそうした取りまとめ作業をすることで自分が立ち直ってゆく感覚もあり、やらなきゃいけない仕事を与えられているのはつくづくありがたいことでした。
今日は午前中に母から電話がありました。実家のわたしの部屋にあるベッドをもらってもいいか、という内容でした。年末の大掃除をしていて、大きな家具なども移動しているうちに思いついたようです。実家で暮らしていた10代の頃から、今でも帰省した時に使っているベッドですが、今は年に数回寝るくらいだし、あげることにしました。妹の部屋のベッドは既に父が使っています。布団の上げ下ろしも大変なほど、親が老いてゆくということ。引っ越ししたらとも言われました。もう何年も言われています。わたしだって好きでずっとここにいるわけじゃないのになあ。
お昼過ぎて、映画を観に行きました。午前中にアセクシャルの話の『そばかす』を観ようかなと思っていたのですが寝過ごしてしまい、それでも身なりを整えて外に出かけたい気持ちがあり、昼過ぎに上映していた『川っぺりムコリッタ』を観ました。
大晦日に一人で映画なんて、とも思わないでもなかったけれど、小さな映画館に来てみれば、老若男女問わず同じような一人客がほとんどでした。自販機でコーヒーを買うために並んでいる時に後ろにいた年配の女性に自販機について聞かれたのへ返事をしたくらいで、他は誰とも喋っていないのですが、一年の終わりを同じような過ごし方をしている人がこんなにいるということに、一人だけれども一人じゃないような不思議な安らぎを感じました。
『川っぺりムコリッタ』、今日突発的に観ることに決めて、予告編も観たことがなかったので、タイトルの響きからして楽しくあたたかい映画かと想像していたのですが、思いのほか死の匂いの濃いヘビーな話でした。でも涙が出るほどすごく良くて、誕生日の今日にこの映画を観てよかったなと思いました。
大晦日の夕暮れの街は静かで、つい先日までピカピカしていた光のページェントのケヤキ並木ももう素裸です。角川「短歌」と、雑煮に入れる鶏肉や牛乳を買って帰りました。
明日のために雑煮の汁を作り、紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしつつミカンを食べています。
今年は筋トレをがんばりました。それなりに効果もありました。筋肉が付いただけでなく、以前は低かった体温が上がって平熱が36℃台になりました。免疫力も上がったんじゃないかと思います。来年も励みます。
今年一年たくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。それではどうぞ良い一年をお迎えくださいませ。
好きなだけ本散らかしてお祭りのようなひとりの枕元なり
今年は3月の地震と、そののちの日々といった一年でした。心が、というより部屋が片付かなくて、片付ける気力も湧かなくて、片付けきれず、今に至ります。わたしは塔短歌会で詠草の受付係をしており、地震の数日後に塔の月詠の締切でした。地震の不安感を引きずった中で郵便物が続々届くような状況だったのですが、一心にそうした取りまとめ作業をすることで自分が立ち直ってゆく感覚もあり、やらなきゃいけない仕事を与えられているのはつくづくありがたいことでした。
今日は午前中に母から電話がありました。実家のわたしの部屋にあるベッドをもらってもいいか、という内容でした。年末の大掃除をしていて、大きな家具なども移動しているうちに思いついたようです。実家で暮らしていた10代の頃から、今でも帰省した時に使っているベッドですが、今は年に数回寝るくらいだし、あげることにしました。妹の部屋のベッドは既に父が使っています。布団の上げ下ろしも大変なほど、親が老いてゆくということ。引っ越ししたらとも言われました。もう何年も言われています。わたしだって好きでずっとここにいるわけじゃないのになあ。
お昼過ぎて、映画を観に行きました。午前中にアセクシャルの話の『そばかす』を観ようかなと思っていたのですが寝過ごしてしまい、それでも身なりを整えて外に出かけたい気持ちがあり、昼過ぎに上映していた『川っぺりムコリッタ』を観ました。
大晦日に一人で映画なんて、とも思わないでもなかったけれど、小さな映画館に来てみれば、老若男女問わず同じような一人客がほとんどでした。自販機でコーヒーを買うために並んでいる時に後ろにいた年配の女性に自販機について聞かれたのへ返事をしたくらいで、他は誰とも喋っていないのですが、一年の終わりを同じような過ごし方をしている人がこんなにいるということに、一人だけれども一人じゃないような不思議な安らぎを感じました。
『川っぺりムコリッタ』、今日突発的に観ることに決めて、予告編も観たことがなかったので、タイトルの響きからして楽しくあたたかい映画かと想像していたのですが、思いのほか死の匂いの濃いヘビーな話でした。でも涙が出るほどすごく良くて、誕生日の今日にこの映画を観てよかったなと思いました。
大晦日の夕暮れの街は静かで、つい先日までピカピカしていた光のページェントのケヤキ並木ももう素裸です。角川「短歌」と、雑煮に入れる鶏肉や牛乳を買って帰りました。
明日のために雑煮の汁を作り、紅白とお笑い番組をがちゃがちゃしつつミカンを食べています。
今年は筋トレをがんばりました。それなりに効果もありました。筋肉が付いただけでなく、以前は低かった体温が上がって平熱が36℃台になりました。免疫力も上がったんじゃないかと思います。来年も励みます。
今年一年たくさんの皆さまにお世話になり、ありがとうございました。それではどうぞ良い一年をお迎えくださいませ。
好きなだけ本散らかしてお祭りのようなひとりの枕元なり
10月の終わり頃、映画『千夜、一夜』を観てきていました。久保田直監督作品、出演は田中裕子さん、尾野真千子さん、ダンカンさん、安藤政信さん、白石加代子さん、平泉成さん、小倉久寛さんなど。
ずしんときてなかなか言葉にできなかったのですが、なにか書きたい気持ちもあり、まとまらないまま感想を書いてみます。
時々北朝鮮の船が漂着する土地で、夫は拉致されたのかもしれないと、真剣に考えて登美子を頼ってくる若い奈美にも、30年待ち続ける登美子にも、観ている方は「それってただ単に男の人が逃げただけなのでは。無責任な人だったってだけなのでは」と訝しんでしまうけれども、当事者となると突拍子もないことを考えてまでなにかを信じてしまいたいのはわかる気がします。
登美子に思いを寄せる春夫がまた一途というよりメンヘラっぽくてわたしは「無理」って思うのですが、夫が帰って来るまででいいから面倒見させてほしい、などという相手の思いを尊重しているふうで逃げ腰で恩着せがましい言い寄り方がほんとうに嫌で、周りを巻き込んで圧力をかけてくるのも嫌で、この嫌な感じの作りが絶妙ですばらしくも思いました。
会ったこともない人を街の中で偶然見かけて特定する、なんてことはさすがにありえないことだとは思いましたが、そうしたことを受けての展開や心の動きが生々しくて引き込まれてゆきました。
観ていて最後まで先が読めず、自分の中で「こういう結末じゃありませんように」という思いが強く芽生えていることに気づきました。夫の失踪の真相はわからないままがいい。ミステリー映画ではないのだから。たとえば夫が帰ってきて「なーんだ、そういう理由だったんだ」と謎が解けてスッキリ解決なんて求めない。そして、春夫とくっついてほしくもない。春夫がすてきな人だったらくっついても納得するかというとそうでもなく、男女が結ばれてハッピーエンドというのも違うような気がしました。
エンドロールまで観て、こうならないでほしいという結末にはならなくて、安堵とカタルシスがありました。終わり良ければすべて良し、ではないですが、後味の良さは満足感にもつながります。一方で、物語の結末としてこれで最高でも、人生としてはどうか。
夫ではなかったし突然の失踪や蒸発でもなかったけれど、わたしは恋人の部屋に行ったら引っ越し済みで空っぽだったことがあります。不誠実で最低だ、そんな人とは一緒にならなくてよかったのだ、と他人には言えるし、自分でも理屈では理解しているのだけど、登美子が吐露した思いも、在りし日のカセットテープをくり返し再生してしまうような行為も、覚えがないわけではなくて、くるしい。やっぱり現実はどんなにご都合主義な展開でもめでたしめでたしがいい。
公式サイト→https://bitters.co.jp/senyaichiya/#
ずしんときてなかなか言葉にできなかったのですが、なにか書きたい気持ちもあり、まとまらないまま感想を書いてみます。
北の離島の美しい港町。登美子の夫が突然姿を消してから30年の時が経った。彼はなぜいなくなったのか。生きているのかどうか、それすらわからない。漁師の春男が登美子に想いを寄せ続けるも、彼女は愛する人とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。そんな登美子のもとに、2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。彼女は自分のなかで折り合いをつけ、前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。ある日、登美子は街中で偶然、失踪した奈美の夫・洋司を見かけて…。
(公式サイトより)
この映画を観ていて強く感じたのは、人物描写というか心情描写というかのなんともいえないリアルさです。監督はもともとドキュメンタリー出身で、年間約8万人という日本の「失踪者リスト」から着想を得られたようなので、実際に近い人物やエピソードもあったのかもしれません。時々北朝鮮の船が漂着する土地で、夫は拉致されたのかもしれないと、真剣に考えて登美子を頼ってくる若い奈美にも、30年待ち続ける登美子にも、観ている方は「それってただ単に男の人が逃げただけなのでは。無責任な人だったってだけなのでは」と訝しんでしまうけれども、当事者となると突拍子もないことを考えてまでなにかを信じてしまいたいのはわかる気がします。
登美子に思いを寄せる春夫がまた一途というよりメンヘラっぽくてわたしは「無理」って思うのですが、夫が帰って来るまででいいから面倒見させてほしい、などという相手の思いを尊重しているふうで逃げ腰で恩着せがましい言い寄り方がほんとうに嫌で、周りを巻き込んで圧力をかけてくるのも嫌で、この嫌な感じの作りが絶妙ですばらしくも思いました。
会ったこともない人を街の中で偶然見かけて特定する、なんてことはさすがにありえないことだとは思いましたが、そうしたことを受けての展開や心の動きが生々しくて引き込まれてゆきました。
観ていて最後まで先が読めず、自分の中で「こういう結末じゃありませんように」という思いが強く芽生えていることに気づきました。夫の失踪の真相はわからないままがいい。ミステリー映画ではないのだから。たとえば夫が帰ってきて「なーんだ、そういう理由だったんだ」と謎が解けてスッキリ解決なんて求めない。そして、春夫とくっついてほしくもない。春夫がすてきな人だったらくっついても納得するかというとそうでもなく、男女が結ばれてハッピーエンドというのも違うような気がしました。
エンドロールまで観て、こうならないでほしいという結末にはならなくて、安堵とカタルシスがありました。終わり良ければすべて良し、ではないですが、後味の良さは満足感にもつながります。一方で、物語の結末としてこれで最高でも、人生としてはどうか。
夫ではなかったし突然の失踪や蒸発でもなかったけれど、わたしは恋人の部屋に行ったら引っ越し済みで空っぽだったことがあります。不誠実で最低だ、そんな人とは一緒にならなくてよかったのだ、と他人には言えるし、自分でも理屈では理解しているのだけど、登美子が吐露した思いも、在りし日のカセットテープをくり返し再生してしまうような行為も、覚えがないわけではなくて、くるしい。やっぱり現実はどんなにご都合主義な展開でもめでたしめでたしがいい。
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歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
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