川が好き。山も好き。
十二月三十一日の誕生日に「会いたい」なんて誰にも言えず
俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 除夜の鐘聞こゆ
まだ若い、まだ若いなど言われても独り身なればそうは思えず
そんな仕事辞めてよかったと言われしが通勤路の夕日きれいで
タクシーに乗ればタクシーの運転手は運転手なる仕事中なり
そんなことパートの私の仕事ではないと都合のいい時だけは
職安の職員さんは職員という仕事中なり机挟んで
職安へ十分バスに揺られ行く帰りは一時間歩くなり
***
7首めに選歌後記で評をいただきました。
また、二月号の選歌欄評で小圷さんに「食物」の教科書の歌を取り上げていただきました。おお、そういう読まれ方もあるのか、とおもしろかったです。
わたしは、たとえばリストカットの画像を人に見せびらかしたりするような人が嫌いなのだけれど、わたしが短歌を詠んで公表するということが、それとたいして変わらないような気がして、自分の歌にある種の嫌悪感はあります。わたしが短歌を詠むということは自傷行為か。自分の色が出ていれば出ているほど、人に読まれることがこわい。
そんなわけで、一首単位で、直接に顔を合わせる歌会には、割とハズした歌を持っていくのでした。
俵万智、林芙美子と同じ日に生まれたること 除夜の鐘聞こゆ
まだ若い、まだ若いなど言われても独り身なればそうは思えず
そんな仕事辞めてよかったと言われしが通勤路の夕日きれいで
タクシーに乗ればタクシーの運転手は運転手なる仕事中なり
そんなことパートの私の仕事ではないと都合のいい時だけは
職安の職員さんは職員という仕事中なり机挟んで
職安へ十分バスに揺られ行く帰りは一時間歩くなり
***
7首めに選歌後記で評をいただきました。
また、二月号の選歌欄評で小圷さんに「食物」の教科書の歌を取り上げていただきました。おお、そういう読まれ方もあるのか、とおもしろかったです。
わたしは、たとえばリストカットの画像を人に見せびらかしたりするような人が嫌いなのだけれど、わたしが短歌を詠んで公表するということが、それとたいして変わらないような気がして、自分の歌にある種の嫌悪感はあります。わたしが短歌を詠むということは自傷行為か。自分の色が出ていれば出ているほど、人に読まれることがこわい。
そんなわけで、一首単位で、直接に顔を合わせる歌会には、割とハズした歌を持っていくのでした。
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わたしは「クソなんとか」という表現がとても嫌いで耳に障るのだけど、今の職場の上司達は「クソ寒い」とか「クソ忙しい」とかそういう軽い物言いが多くて、空気が合わないな、と思う。若い職場で変なチャラさがあるというか。
女性上司に至っては、魔女みたいな長さのゴテゴテネイルにタトゥー、大胆に脚を露出したショートパンツやマイクロミニのスカート。別に人のファッションにどうこう言うつもりもないけれど、職場でのドレスコードとしては、今までの職場では禁止されていたような格好。たとえば先月までの官公庁系の仕事では、「職場にふさわしくない服装の例」として掲示されていたイラストそのものだ。
そうした上司達に、甘えた口調のタメ口で話す下っ端のスタッフさえいて、それが許されている。
お堅い仕事が好ましい、というわけではないけれど、わたしには馴染めないノリだと感じる。とはいえ、それがつらい、というわけでもなく、それなりに勤めている。
今の仕事、遣り甲斐もないし楽といえば楽だけれど、一生懸命にがんばるような仕事ではないのに、変に純な同僚さんが一生懸命がんばって空回りしているのが痛々しく見えてしまう。ミスをしたわけでもないのに、自分を責めて落ち込んだりしている。こーゆー仕事、と割り切ればいいのに。
まじめ、って、痛々しいんだな。周りを見渡せば、教えられることばかりだ。「まじめ過ぎる」と言われたことのあるわたし。昔のわたしも痛々しかったのでしょう。力を抜くことを、今は少しは覚えた。力を抜いてもいいんだってわかって、だいぶ楽になった。仕事も、人生も。
つらくない仕事はないしつらくない大人もいない日記を閉じる
女性上司に至っては、魔女みたいな長さのゴテゴテネイルにタトゥー、大胆に脚を露出したショートパンツやマイクロミニのスカート。別に人のファッションにどうこう言うつもりもないけれど、職場でのドレスコードとしては、今までの職場では禁止されていたような格好。たとえば先月までの官公庁系の仕事では、「職場にふさわしくない服装の例」として掲示されていたイラストそのものだ。
そうした上司達に、甘えた口調のタメ口で話す下っ端のスタッフさえいて、それが許されている。
お堅い仕事が好ましい、というわけではないけれど、わたしには馴染めないノリだと感じる。とはいえ、それがつらい、というわけでもなく、それなりに勤めている。
今の仕事、遣り甲斐もないし楽といえば楽だけれど、一生懸命にがんばるような仕事ではないのに、変に純な同僚さんが一生懸命がんばって空回りしているのが痛々しく見えてしまう。ミスをしたわけでもないのに、自分を責めて落ち込んだりしている。こーゆー仕事、と割り切ればいいのに。
まじめ、って、痛々しいんだな。周りを見渡せば、教えられることばかりだ。「まじめ過ぎる」と言われたことのあるわたし。昔のわたしも痛々しかったのでしょう。力を抜くことを、今は少しは覚えた。力を抜いてもいいんだってわかって、だいぶ楽になった。仕事も、人生も。
つらくない仕事はないしつらくない大人もいない日記を閉じる
春らしい、ピンク色のカーディガンを買った。20代の頃は黒、灰、茶などのアースカラーの服を好んでいた。ピンクなんて、以前のわたしからしたら、思い切った色。何年も前に買ったままだったオレンジ色のアンサンブルも、先日初めて袖を通した。フリルの付いた小花柄のスカートも履けるようになった。
最近は、服を着るときは明るい色の服を選ぶようにしている。わたしがそういう色を着てもいいんだと、思い直している。昔は、地味なわたしは地味な色しか似合わないような気がしていたのだ。思い切った色も、思い切った服も、思い切って着てみれば、意外と普通に着れていて、なんだか気持ちがいい。
今日こそは履くぞと決めたスカートを鏡に映し照れる膝小僧
最近は、服を着るときは明るい色の服を選ぶようにしている。わたしがそういう色を着てもいいんだと、思い直している。昔は、地味なわたしは地味な色しか似合わないような気がしていたのだ。思い切った色も、思い切った服も、思い切って着てみれば、意外と普通に着れていて、なんだか気持ちがいい。
今日こそは履くぞと決めたスカートを鏡に映し照れる膝小僧
面接の帰り、久しぶりに主にこけしを扱っている民芸品屋さんに寄り、こけしをながめていたら、近くにいたおじいちゃんに話しかけられました。おじいちゃんは、こけしの通らしく、自宅には5000ものこけしを所持しているそうで、こけしの種類の文様の特徴やこけしの材質、「こけし友の会」の話、こけし職人に嫁が不足しているらしい話まで、いろんな話を熱く聞かせてくれました。わたしもこけし好きとはいっても、わたしなんてまだまだな深い世界なのだと感じました。
久しぶりに来店したら、以前から「欲しいなあ」と思っていたこけしイヤリングが店頭から消えていました。本物の伝統こけしのイヤリングで、とっても可愛かったのに。いつか、いつかなんて思わず、買っておけばよかったです。代わりにイヤホンジャックなどが並んでいましたが、わたしはガラケーなので必要ありません。こうなったら、ちょっと高価だけれどカガモクのこけし箸はなにがなんでも近いうちに購おうと思った次第です。その日は比較的安価なこけしピンズとこけしマスキングテープを購入しました。このお店オリジナルのこけしレターセットもお気に入りで、お手紙を書く際に使わせていただいてます。こけしグッズならなんでもいいというわけでなく、伝統こけしにこだわりがあります。
もちろん、本物のこけしも欲しいのです。ところが、以前は割合店頭に並んでいたはずの遠刈田こけしがすっかり消え、弥治郎こけしと津軽こけしが少し、そしてずらりと鳴子こけしばかりなのです。鳴子系も定番で可愛いけど、わたしはまずは遠刈田系が欲しいのです。数体あるにはあるけれど、厳選された品なのか手が出ないほどお高くて……その分、とってもとっても可愛いのだけれど。前回来店した時は遠刈田系がいっぱいあったと思うので、そうした波を待つしかないのでしょうか。それにしても、伝統こけしは一体一体顔が違うので、ながめていて飽きません。えじこ(農作業中などに連れて来た赤ちゃんを入れておく入れ物)に入っているこけしもこの頃は好きです。
ちなみに、アイコンにしているこけしは鳴子こけしですが、目がパッチリしていて顔の系統が鳴子系っぽくないところがお気に入りなのでした。
今さら知ったことなのですが、こけしは、みんな女の子なのだそうです。どうりで可愛いはずだ。
そして、大本命だった面接は不採用でした。がんばれ、わたし!
遠刈田こけしの眼こそ良けれ見つめられれば笑みたくなりぬ
久しぶりに来店したら、以前から「欲しいなあ」と思っていたこけしイヤリングが店頭から消えていました。本物の伝統こけしのイヤリングで、とっても可愛かったのに。いつか、いつかなんて思わず、買っておけばよかったです。代わりにイヤホンジャックなどが並んでいましたが、わたしはガラケーなので必要ありません。こうなったら、ちょっと高価だけれどカガモクのこけし箸はなにがなんでも近いうちに購おうと思った次第です。その日は比較的安価なこけしピンズとこけしマスキングテープを購入しました。このお店オリジナルのこけしレターセットもお気に入りで、お手紙を書く際に使わせていただいてます。こけしグッズならなんでもいいというわけでなく、伝統こけしにこだわりがあります。
もちろん、本物のこけしも欲しいのです。ところが、以前は割合店頭に並んでいたはずの遠刈田こけしがすっかり消え、弥治郎こけしと津軽こけしが少し、そしてずらりと鳴子こけしばかりなのです。鳴子系も定番で可愛いけど、わたしはまずは遠刈田系が欲しいのです。数体あるにはあるけれど、厳選された品なのか手が出ないほどお高くて……その分、とってもとっても可愛いのだけれど。前回来店した時は遠刈田系がいっぱいあったと思うので、そうした波を待つしかないのでしょうか。それにしても、伝統こけしは一体一体顔が違うので、ながめていて飽きません。えじこ(農作業中などに連れて来た赤ちゃんを入れておく入れ物)に入っているこけしもこの頃は好きです。
ちなみに、アイコンにしているこけしは鳴子こけしですが、目がパッチリしていて顔の系統が鳴子系っぽくないところがお気に入りなのでした。
今さら知ったことなのですが、こけしは、みんな女の子なのだそうです。どうりで可愛いはずだ。
そして、大本命だった面接は不採用でした。がんばれ、わたし!
遠刈田こけしの眼こそ良けれ見つめられれば笑みたくなりぬ
ふとしたはずみで、財布の中から、印刷の薄れかけた切手大のチケットが滑り落ちた。文字は消えかけて読めず、これは何だったかなと記憶を手繰り寄せ、やっとそれが昔連れて行ってもらった公園の入園券の半券であったことを思い出した。
わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、二人でボートに乗っている間、「まるで恋人同士のようだなあ」と、おかしく思っていたのを覚えている。わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、はしゃいだ記念写真の一枚も撮らなかった。或いは、カメラを構えようなんてお互いがお互いとも思いつかないほどに、その日にそわそわしていたのかもしれない。普通は一緒に出かけたら写真を撮るものだということは、それから数年後、別な人と出かけた時にようやく知った。
そんな二人だったから、結局は心離れしてしまった。今になって何か思うこともあるけれど、もう過去のことだ。
ただ、あの日は楽しかったなって、あの日の唯一の物的証拠である入園券に触れて、なつかしく思った。
カメラには収めぬ一日があふれ出すあなたの漕いだボートの半券
万葉の里・恋のうた募集「あなたを想う恋のうた」で優秀賞をいただきました。
わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、二人でボートに乗っている間、「まるで恋人同士のようだなあ」と、おかしく思っていたのを覚えている。わたし達ははっきりとした関係ではなかったので、はしゃいだ記念写真の一枚も撮らなかった。或いは、カメラを構えようなんてお互いがお互いとも思いつかないほどに、その日にそわそわしていたのかもしれない。普通は一緒に出かけたら写真を撮るものだということは、それから数年後、別な人と出かけた時にようやく知った。
そんな二人だったから、結局は心離れしてしまった。今になって何か思うこともあるけれど、もう過去のことだ。
ただ、あの日は楽しかったなって、あの日の唯一の物的証拠である入園券に触れて、なつかしく思った。
カメラには収めぬ一日があふれ出すあなたの漕いだボートの半券
万葉の里・恋のうた募集「あなたを想う恋のうた」で優秀賞をいただきました。
田*智* 微妙に左右対称となれぬ名前のもどかしくあり
「おともさん」と最初に呼びきは祖母なりき時代劇めき好ましくあり
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており
またしても「子供生みな」と言われたり生まぬまま閉じし年上の友に
本名が旧姓として筆名になるを思えばさびしかりけり
***
一首目の初句は実際は本名なのですが、ネットに自ら本名を載せるのは抵抗があり、ここでは伏字にさせていただきました。(他の方が引用されるのは気にしません)
三首目、選者の淳さんに選歌後記で「まるで『細雪』の姉妹のような名前が楽しい。おそらく、こんな単純な理由で名付けることはないだろう。しかし昨今の凝りに凝った名前に対する微かな抵抗感もある。」との評をいただきました。
一月号新樹集・風炎集・特別作品評で、俵屋さんに一月号の特別作品の評をいただきました。丁寧に読んでいただきうれしかったです。
「おともさん」と最初に呼びきは祖母なりき時代劇めき好ましくあり
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており
またしても「子供生みな」と言われたり生まぬまま閉じし年上の友に
本名が旧姓として筆名になるを思えばさびしかりけり
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一首目の初句は実際は本名なのですが、ネットに自ら本名を載せるのは抵抗があり、ここでは伏字にさせていただきました。(他の方が引用されるのは気にしません)
三首目、選者の淳さんに選歌後記で「まるで『細雪』の姉妹のような名前が楽しい。おそらく、こんな単純な理由で名付けることはないだろう。しかし昨今の凝りに凝った名前に対する微かな抵抗感もある。」との評をいただきました。
一月号新樹集・風炎集・特別作品評で、俵屋さんに一月号の特別作品の評をいただきました。丁寧に読んでいただきうれしかったです。
アパートの更新手続きをした。震災の年もアパートの更新手続きをした。更新の手続き後に震災が起こったから、印象に残っている。震災後はライフライン関係など様々な手続きがめちゃめちゃになったから、アパート更新のようなめんどうな手続きを先に済ませた後でよかったって安堵してた、当時。あれからもずっと同じ部屋に暮らしている。震災でひび割れた壁紙もそのままに。
震災時を助け合った、近所に住んでいた友人は引っ越して、震災以降一度も会えないまま疎遠になってしまった。わたしには仕事がある、と震災時にわたしを支えてくれていた当時の仕事も、職場の仲間も、そのごの職場環境変化やパワハラに追われるように失職した今では無縁になった。「絆」なんていうものの空々しさを思う、あの日々あんなにはびこっていた言葉。
先週、文化施設内の図書館へ行くついでに向かいのイベント小ホールを覗いたら、津波の瓦礫の中から見つかった写真や携帯電話などの返却会をしていた。なんだろう? と思いながらうろうろしていると、スタッフらしき人に「なにかお探しですか?」と声をかけられた。東日本大震災で、物は何も無くしていないわたしが興味本位で居てはいけないような場所に思えてきて、早々に出た。未だに、持ち主の下に戻っていない品々があんなにいっぱいあって、震災で無くしたものを探している人があんなにいっぱいいて。
4年前の2011年3月12日、その隣の展示ホールで、わたしは眠った。ろうそくの頼りない灯りと、終始流され続けるラジオのニュースと、幾たびも訪れる余震の中で、知らない人達にまぎれて、一人で。一緒にいたかった人とは自分の独りよがりな遠慮と虚勢から離れた後で、寝る場所を探してたどり着いた、臨時の避難所。配給のバナナ、リンゴと選べたのだけど、リンゴは体が冷えそうだからバナナを選んだ。毛布なんて自宅から運べなくて、風呂敷に包んで持ってきたタオルケット一枚で、コートを着込んだまま縮こまって眠った。眠れなくて、泣いた。「一人はこわい」って縋りつけばよかったのに、わたしは大丈夫! なんて笑顔で自ずから一人になって、どうしてあんなに強かった、あの日々のわたし。
昨日のことみたいな思いの残るあの文化施設が、今年は追悼式会場になる。わたしは仕事で行けないけれど。看板が立ててあった。
去年の今頃は震災の揺り戻しがひどくて、心がこわれていた。震災3年が目処だったのか2014年3月いっぱいで終了してしまった「東日本大震災こころの相談電話」、というようなものにも話を聞いてもらってずい分お世話になった。毎年この日は文章を書くと決めているけれど、去年のはひどい。今は、去年の今頃のような父と母の間に入って川の字で眠りたいような欲求はないので、むしろそんなの気持ち悪いとさえ思うようになってきたので、気持ちが落ち着いてきたのだと思う。いろいろなことができるようになってきた。新しいことにも踏み出せるようになってきた。少しずつ前を向けるようになってきた。震災の痛みが消えたわけではないけれど。一生消えないのだろうけれど。
3月に入って、震災のドキュメンタリー番組をいくつも見ている。つらくなってしまうこともあるけれど、見る。あの日の痛みを忘れたくない自分がいる。忘れたい自分もいるのだけれど。
震災が起きなかったらよかったのに。と、まだ、毎日のように思う。でも、震災後の日々を生きてゆく。がんばって生きてゆく。
震災時を助け合った、近所に住んでいた友人は引っ越して、震災以降一度も会えないまま疎遠になってしまった。わたしには仕事がある、と震災時にわたしを支えてくれていた当時の仕事も、職場の仲間も、そのごの職場環境変化やパワハラに追われるように失職した今では無縁になった。「絆」なんていうものの空々しさを思う、あの日々あんなにはびこっていた言葉。
先週、文化施設内の図書館へ行くついでに向かいのイベント小ホールを覗いたら、津波の瓦礫の中から見つかった写真や携帯電話などの返却会をしていた。なんだろう? と思いながらうろうろしていると、スタッフらしき人に「なにかお探しですか?」と声をかけられた。東日本大震災で、物は何も無くしていないわたしが興味本位で居てはいけないような場所に思えてきて、早々に出た。未だに、持ち主の下に戻っていない品々があんなにいっぱいあって、震災で無くしたものを探している人があんなにいっぱいいて。
4年前の2011年3月12日、その隣の展示ホールで、わたしは眠った。ろうそくの頼りない灯りと、終始流され続けるラジオのニュースと、幾たびも訪れる余震の中で、知らない人達にまぎれて、一人で。一緒にいたかった人とは自分の独りよがりな遠慮と虚勢から離れた後で、寝る場所を探してたどり着いた、臨時の避難所。配給のバナナ、リンゴと選べたのだけど、リンゴは体が冷えそうだからバナナを選んだ。毛布なんて自宅から運べなくて、風呂敷に包んで持ってきたタオルケット一枚で、コートを着込んだまま縮こまって眠った。眠れなくて、泣いた。「一人はこわい」って縋りつけばよかったのに、わたしは大丈夫! なんて笑顔で自ずから一人になって、どうしてあんなに強かった、あの日々のわたし。
昨日のことみたいな思いの残るあの文化施設が、今年は追悼式会場になる。わたしは仕事で行けないけれど。看板が立ててあった。
去年の今頃は震災の揺り戻しがひどくて、心がこわれていた。震災3年が目処だったのか2014年3月いっぱいで終了してしまった「東日本大震災こころの相談電話」、というようなものにも話を聞いてもらってずい分お世話になった。毎年この日は文章を書くと決めているけれど、去年のはひどい。今は、去年の今頃のような父と母の間に入って川の字で眠りたいような欲求はないので、むしろそんなの気持ち悪いとさえ思うようになってきたので、気持ちが落ち着いてきたのだと思う。いろいろなことができるようになってきた。新しいことにも踏み出せるようになってきた。少しずつ前を向けるようになってきた。震災の痛みが消えたわけではないけれど。一生消えないのだろうけれど。
3月に入って、震災のドキュメンタリー番組をいくつも見ている。つらくなってしまうこともあるけれど、見る。あの日の痛みを忘れたくない自分がいる。忘れたい自分もいるのだけれど。
震災が起きなかったらよかったのに。と、まだ、毎日のように思う。でも、震災後の日々を生きてゆく。がんばって生きてゆく。
今、ある官公庁系の仕事をしています。覚えなきゃいけないことは難しいけれど、人生や生活に役立つ知識が身につくし、時間や責任に追われることもなく決まった時間をマイペースでやっていけるので、気持ち的には楽ちんです。同僚の方々もマイペースに仕事をしているので、人間関係のいざこざもありません。時には理不尽なクレームを受けることもあり疲弊すると言えば疲弊もしますが、わけのわからないことを一方的にわめき散らす人を電話口で淡々と応対するのが割と苦ではないので、この仕事はそれなりに向いてるんだとも思います。
わたし達は、決まっていることを決まっている範囲でご案内するのが仕事なのですが、困った人は、それ以上のことを求めてきたり、「なんでそう決まっているのか」と詰め寄ってきます。
クレーマー気質の人達って、自分のクレーマーっぷりを何故か誇りに思っているふしがあって、謎。自分は自分の納得いかないことは徹底的に突き詰めてやる性分だから!って胸張ってわめき散らしたって、応対する相手側からは「例のめんどくさいアレな人」扱いされるだけです。要注意人物って報告されて、たくさんの人に「ああ、例のあの人」って眉をひそめられたり嘲笑されたりして。自分の主張をすればするほど、本人が自分で思っているところの、「自分は偉い! 自分の考えは正しい!」とは全く別な印象を抱かれてゆきます。
そして、アレな人ってほんとうにパターンが決まっていて、「上の者に代われ」「謝れ、そしてその証拠を書面で送れ」「お役所仕事」「たらい回し」などと怒鳴り出してきます、皆が皆。「お前じゃ話にならない、別の人(以前応対した人や、もっと偉い人)に代われ」と要求したところで、そういう人は他の誰とも話になりません。そうして、最後には「もういい」「バカヤロー」「そんなこともできないとは情けなくないのか」「裁判を起こしてやる」「お前のいる場所に行って脅かしてやる」などと捨て台詞を吐いてガチャンと切ってきます。一度電話を切った人が、気が治まらずまた電話をかけてきて同じことをくり返したり、他の機関に当たって同じことをくり返すようなこともよくあるようです。「たらい回し」という言葉が飛び出すのもそのせいでしょう。謝罪の書面が大好きなのは、最近よく話題になるモラハラ気質な人の共通点ですが、そういえば前職のパワハラ上司もなにかと「手書きの反省文を書け」と要求する人で、やっぱりアレな側の人だったんだなあとあらためてため息を吐きました。
クレームをニコニコと流しながら、つくづく、優しさというものの尊さを思います。ああはなりたくない。わたしは心が広く優しくありたい。優しい人が好き。怒っている姿はとにかく恥ずかしくてみっともない。それでも、そういったアレな人達にも配偶者がいたりして、不思議。わたしなら絶対に一緒に生きたくない。きっと、わたしにはわからない良さもあるのでしょう。
臨時でつなぎの予定だった今の仕事ですが、長期勤務のお誘いをいただきました。なかなか悪くないお話だけど、通勤がちょっと大変なのと、業務の一部を担う今でさえいっぱいいっぱいなのに長期の常勤だとタウンページ2冊分くらいのマニュアルを一ヶ月の研修で詰め込まなきゃいけないっていうのに圧倒されて、今回は辞退することにしました。でも、ずっと募集をしているようだし、他の仕事もしてみて、また戻ってくるのもいいような気もしています。年配の方も多くて、年を重ねてもできる仕事だということが、わたしを勇気づけてくれました。
職場は、10代の頃に通っていた専門学校の近くで、あの頃の通学路と同じ通勤路を自転車で行けば、様々な思いが過ぎります。道なりに立ち並ぶお店もすっかり変わりました。よく立ち寄ったコンビニも、書店も、パンクを直してもらった自転車屋さんも、今はありません。景色が変わったように、そこで働いていた人達が代わったように、私の仕事も変わっていいんだ、それが普通なんだ、そんなふうに思いながら、自転車を漕ぎます。
歩道橋を慣れない靴で渡りおり これでよかったこれでよかった
わたし達は、決まっていることを決まっている範囲でご案内するのが仕事なのですが、困った人は、それ以上のことを求めてきたり、「なんでそう決まっているのか」と詰め寄ってきます。
クレーマー気質の人達って、自分のクレーマーっぷりを何故か誇りに思っているふしがあって、謎。自分は自分の納得いかないことは徹底的に突き詰めてやる性分だから!って胸張ってわめき散らしたって、応対する相手側からは「例のめんどくさいアレな人」扱いされるだけです。要注意人物って報告されて、たくさんの人に「ああ、例のあの人」って眉をひそめられたり嘲笑されたりして。自分の主張をすればするほど、本人が自分で思っているところの、「自分は偉い! 自分の考えは正しい!」とは全く別な印象を抱かれてゆきます。
そして、アレな人ってほんとうにパターンが決まっていて、「上の者に代われ」「謝れ、そしてその証拠を書面で送れ」「お役所仕事」「たらい回し」などと怒鳴り出してきます、皆が皆。「お前じゃ話にならない、別の人(以前応対した人や、もっと偉い人)に代われ」と要求したところで、そういう人は他の誰とも話になりません。そうして、最後には「もういい」「バカヤロー」「そんなこともできないとは情けなくないのか」「裁判を起こしてやる」「お前のいる場所に行って脅かしてやる」などと捨て台詞を吐いてガチャンと切ってきます。一度電話を切った人が、気が治まらずまた電話をかけてきて同じことをくり返したり、他の機関に当たって同じことをくり返すようなこともよくあるようです。「たらい回し」という言葉が飛び出すのもそのせいでしょう。謝罪の書面が大好きなのは、最近よく話題になるモラハラ気質な人の共通点ですが、そういえば前職のパワハラ上司もなにかと「手書きの反省文を書け」と要求する人で、やっぱりアレな側の人だったんだなあとあらためてため息を吐きました。
クレームをニコニコと流しながら、つくづく、優しさというものの尊さを思います。ああはなりたくない。わたしは心が広く優しくありたい。優しい人が好き。怒っている姿はとにかく恥ずかしくてみっともない。それでも、そういったアレな人達にも配偶者がいたりして、不思議。わたしなら絶対に一緒に生きたくない。きっと、わたしにはわからない良さもあるのでしょう。
臨時でつなぎの予定だった今の仕事ですが、長期勤務のお誘いをいただきました。なかなか悪くないお話だけど、通勤がちょっと大変なのと、業務の一部を担う今でさえいっぱいいっぱいなのに長期の常勤だとタウンページ2冊分くらいのマニュアルを一ヶ月の研修で詰め込まなきゃいけないっていうのに圧倒されて、今回は辞退することにしました。でも、ずっと募集をしているようだし、他の仕事もしてみて、また戻ってくるのもいいような気もしています。年配の方も多くて、年を重ねてもできる仕事だということが、わたしを勇気づけてくれました。
職場は、10代の頃に通っていた専門学校の近くで、あの頃の通学路と同じ通勤路を自転車で行けば、様々な思いが過ぎります。道なりに立ち並ぶお店もすっかり変わりました。よく立ち寄ったコンビニも、書店も、パンクを直してもらった自転車屋さんも、今はありません。景色が変わったように、そこで働いていた人達が代わったように、私の仕事も変わっていいんだ、それが普通なんだ、そんなふうに思いながら、自転車を漕ぎます。
歩道橋を慣れない靴で渡りおり これでよかったこれでよかった
人に嫌われたくなかった。あんなにも嫌われることがこわかったのは、わたしのことを絶対的に好きでいてくれる人がいなかったからなんじゃないか、と思う。老若男女問わず、とにかく誰からも嫌われたくなかった。嫌われたくないゆえに、変にへらへらして、変に疲れていた。
自己啓発本だったかなにかで、人に嫌われないために努力をするから嫌われる、ということを知った。わかるような気もする。自分の心に無理をしている人は、うそくさくて気味が悪いのだと思う。そんな自分だったと思う。
最近は、力が抜けて自然体な自分でいられている。誰からも嫌われない、なんてことはないと気づいたのだ。嫌ってくる人は、ありもしないことを捏造してまで嫌ってくる。前職の上司なんて、そんな場面を見てもいないのに「私生活の八つ当たりで鍋や食器をがんがん調理台にぶつけているらしいな、見なくてもわかる!」と怒鳴ってきてわけがわからなかった。当時は上下関係もあって思い悩み、ストレスから体までこわした。よくよく考えれば、あんなわけのわからない人間を、まじめに相手するのもばからしい。仕事内容が好きだったし、福利厚生は安定していたから未練もあったけれど、その後の転職の失敗もあってくるしかったけれど、あんなパワハラ職場は辞めてよかったのだ、と今は思える。思えるようになった。
嫌ってくる人には嫌わせておけばいい。無理しない自分で自分らしくいられることが大切。前職時代から患っていた体の異常症状が、最近なくなった。飲み始めた「命の母A」なる小林製薬の薬の効果かもしれないけれど、自分の心が吹っ切れて楽になったからのような気がする。なんだかこの頃はいろいろ楽しい。
好かれたいより嫌われたくないが先立っている小糠雨降る
NHK短歌テキスト3月号、永田先生「立つ」に佳作で掲載していただきました。字足らず……。投稿後に気づいて「しまった」と思ったのだけど、こうして採っていただけたので、字足らずのリズムの悪さもまたよしということにしましょう。
自己啓発本だったかなにかで、人に嫌われないために努力をするから嫌われる、ということを知った。わかるような気もする。自分の心に無理をしている人は、うそくさくて気味が悪いのだと思う。そんな自分だったと思う。
最近は、力が抜けて自然体な自分でいられている。誰からも嫌われない、なんてことはないと気づいたのだ。嫌ってくる人は、ありもしないことを捏造してまで嫌ってくる。前職の上司なんて、そんな場面を見てもいないのに「私生活の八つ当たりで鍋や食器をがんがん調理台にぶつけているらしいな、見なくてもわかる!」と怒鳴ってきてわけがわからなかった。当時は上下関係もあって思い悩み、ストレスから体までこわした。よくよく考えれば、あんなわけのわからない人間を、まじめに相手するのもばからしい。仕事内容が好きだったし、福利厚生は安定していたから未練もあったけれど、その後の転職の失敗もあってくるしかったけれど、あんなパワハラ職場は辞めてよかったのだ、と今は思える。思えるようになった。
嫌ってくる人には嫌わせておけばいい。無理しない自分で自分らしくいられることが大切。前職時代から患っていた体の異常症状が、最近なくなった。飲み始めた「命の母A」なる小林製薬の薬の効果かもしれないけれど、自分の心が吹っ切れて楽になったからのような気がする。なんだかこの頃はいろいろ楽しい。
好かれたいより嫌われたくないが先立っている小糠雨降る
NHK短歌テキスト3月号、永田先生「立つ」に佳作で掲載していただきました。字足らず……。投稿後に気づいて「しまった」と思ったのだけど、こうして採っていただけたので、字足らずのリズムの悪さもまたよしということにしましょう。
今、妹は妊婦さんです。夏頃にはわたしに甥っ子か姪っ子ができ、わたしは伯母さんになります。
なにしろ遠くに暮らしているので、妹のふくらんだお腹もこの先目にすることがないまま、いきなり赤ん坊が現れたりするのでしょう。
お互いが独身の時代は、年に一回、予定を合わせて姉妹で温泉旅行に行っていました。気のおけない妹との遠出の旅行は年に一度の楽しみでしたが、妹の結婚、妊娠、出産により、途絶えることになります。おめでたいことではあるのだけれど、毎年の習慣の一つの消えてしまうのは、どこか寂しくも思います。会えなくなるわけではないにしても、幼い子供連れ、旦那さんのご両親と同居では、今までのようには遠出もできないでしょう。わたしも今まで以上に気を遣います。
年に一度、会う度に「結婚はしない」「子供は生まない」と散々言っていた妹でしたから、両親に孫の顔を見せられるのは出産願望はないとはいえ少なくとも結婚願望はあるわたしの役目なのだろうか、と持ち前の理屈っぽさでずっと考え思い悩んでいました。けれども、妹は長年お付き合いしていた恋人ときっちり30歳前の29歳には入籍し、30歳には結婚式を挙げ、31歳には両親に孫を抱かせてあげることになりました。
非正規の職をふらふらしているわたしとは違い、これまで正社員でちゃんと働いていた妹。正直、引け目を感じないでもありません。妹が自分の結婚や出産に否定的なことを言う度、それぐらいは姉のわたしの方が先に成し遂げてやりましょう、と心のどこかで安心している自分もいました。でも、結局は人生において妹の方がほとんど先輩となることになりました。顔がそっくりのため、これまでは双子に間違われることも多かったわたし達ですが、今後は人生経験を重ねた妹の方が姉で、いつまでもおぼこいわたしの方が妹に間違われることもあるかもしれません。
尤も、妹があれほど嫌がっていた結婚や出産に前向きになれたことはよろこばしいことで、なにか心境の変化があったのかもしれないし、ホルモンの影響かもしれないし、今は「子供なんて考えられないなあ」と思うわたしも30歳前後は妙に子供が可愛く見えたし、閉経間近の40歳頃に子供が欲しくてたまらなくなるように女性の体ができている、なんていうのもよく聞く話です。
男の子か女の子かもわからない、未だ生まれざる子ですが、ゆくゆく言葉を話すようになった際には「おともちゃん」だとか「仙台のおねえちゃん」だとか変に呼ばせずに、普通に「伯母さん」と呼んでもらうつもりでいます。いつまでも少女のような心を持っていたって、客観的にはもう普通にオバサンですもの。
おめでとう幸せにって心から思っているよ でもさびしいよ
***
里芋と豚肉の煮物。味付けは山形の芋煮風。色みにオクラも入れてみました。意外に合いました。
なにしろ遠くに暮らしているので、妹のふくらんだお腹もこの先目にすることがないまま、いきなり赤ん坊が現れたりするのでしょう。
お互いが独身の時代は、年に一回、予定を合わせて姉妹で温泉旅行に行っていました。気のおけない妹との遠出の旅行は年に一度の楽しみでしたが、妹の結婚、妊娠、出産により、途絶えることになります。おめでたいことではあるのだけれど、毎年の習慣の一つの消えてしまうのは、どこか寂しくも思います。会えなくなるわけではないにしても、幼い子供連れ、旦那さんのご両親と同居では、今までのようには遠出もできないでしょう。わたしも今まで以上に気を遣います。
年に一度、会う度に「結婚はしない」「子供は生まない」と散々言っていた妹でしたから、両親に孫の顔を見せられるのは出産願望はないとはいえ少なくとも結婚願望はあるわたしの役目なのだろうか、と持ち前の理屈っぽさでずっと考え思い悩んでいました。けれども、妹は長年お付き合いしていた恋人ときっちり30歳前の29歳には入籍し、30歳には結婚式を挙げ、31歳には両親に孫を抱かせてあげることになりました。
非正規の職をふらふらしているわたしとは違い、これまで正社員でちゃんと働いていた妹。正直、引け目を感じないでもありません。妹が自分の結婚や出産に否定的なことを言う度、それぐらいは姉のわたしの方が先に成し遂げてやりましょう、と心のどこかで安心している自分もいました。でも、結局は人生において妹の方がほとんど先輩となることになりました。顔がそっくりのため、これまでは双子に間違われることも多かったわたし達ですが、今後は人生経験を重ねた妹の方が姉で、いつまでもおぼこいわたしの方が妹に間違われることもあるかもしれません。
尤も、妹があれほど嫌がっていた結婚や出産に前向きになれたことはよろこばしいことで、なにか心境の変化があったのかもしれないし、ホルモンの影響かもしれないし、今は「子供なんて考えられないなあ」と思うわたしも30歳前後は妙に子供が可愛く見えたし、閉経間近の40歳頃に子供が欲しくてたまらなくなるように女性の体ができている、なんていうのもよく聞く話です。
男の子か女の子かもわからない、未だ生まれざる子ですが、ゆくゆく言葉を話すようになった際には「おともちゃん」だとか「仙台のおねえちゃん」だとか変に呼ばせずに、普通に「伯母さん」と呼んでもらうつもりでいます。いつまでも少女のような心を持っていたって、客観的にはもう普通にオバサンですもの。
おめでとう幸せにって心から思っているよ でもさびしいよ
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短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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