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川が好き。山も好き。
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わたしの職場の責任者であるセンター長が、わたしと同じ年齢だと知った。堂々とした振る舞いや貫禄から、てっきり一回りくらい上かと思っていた。年齢の割には、ちょっとチャラいんじゃないかとも思っていた。実年齢がわかれば、あの妙な軽さも、まあそんなものか、と納得する。それにしてもびっくりした。
 一番の長たる長が同じ年齢なのだもの、二番手のあの上司も、普段頼りにしているあの上司も、少し厳しいあの上司も、同年代だったり年下だったりするのでしょう。年相応の出世もせずに、いつまでも下っ端をふらふらしているわたしという人生を思う。

 そういえば、小学校や中学校、高校でご指導いただいた先生方の当時の年齢も、思えばずい分追い越してしまった。子供の目からしたら先生達はずっとずっと大人に見えて、あの頃のあの先生が20代だった、なんて信じられない。わたしが20代だったら、そんなふうにたくさんの子供達をまとめることなんてできない。30代で未だ独身の先生を、行き遅れているなんて普通に思っていた。今思えば、それくらいめずらしくも恥でもなんともないのに。

 時々、20代かと問われる。もちろん、お世辞も含まれていると思うけれど。ただ、わたしの場合は若く見えたとしても、それが若さなのではなく、人並みの人生経験を積んでないということゆえのおぼこさなのではないか。悪い意味で、年齢不詳。つまりは、「子供おばさん」なる不気味な存在なのではないか、わたしは。

 わたしの意識も変化してきている。30代前半の頃は、なぜかもう40代になってしまったような気分で、青春も過ぎ去り人生も終わったように感じられて、捨て鉢になっていた。
 今は何故か30歳ぐらいの気分で生きている。まだまだ未来があると思えている。なんで数年前あんなに絶望していたのか不思議。視野が狭かったのかもしれない。様々な生き方のあることを知って、見える世界が広がってきてから、これからのことも大丈夫だと思えるようになった。今は、毎日が楽しい。

  震災を機に不妊治療始めたる当時の上司の齢に並びぬ

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7月の海の日を含んだ3連休のうち2日も仕事だったのですが、合間の1日に、仙台文学館の「11ぴきのねこと馬場のぼるの世界展」を見に行ってきました。
 『11ぴきのねこ』シリーズは子供の頃に読んだ絵本です。好奇心旺盛で、貪欲で、ちょっとずるいところもあるけれど、なぜか憎めない11ぴきのねこたちが繰り広げる物語。なつかしくて、かわいくて、あらためてファンになっちゃいました。馬場のぼるが青森生まれの東北の人だということは初めて知りました。
 夏休みの子供向けの特別展だったようで、連休中ということもあり、子供達でにぎやか。ねこのお面作りなどもワークショップなども行われていて、かぶっている子供達もいました。販売されていたねこのぬいぐるみ、買えばよかったな、と帰ってから後悔。

 展示を見終えた後は、資料室で短歌の結社誌を読みました。仙台文学館には書店では売っていないような結社誌が置いてあるのです。自分が結社に入る前にも、いろんな結社誌の見本を取り寄せる手間を、それで省けました。それから「短歌研究」の最新号や「ダ・ヴィンチ」の又吉さんの特集号(先日映画館で見た「海街diary」の特集もあってうれしかった)など、文芸誌のバックナンバーを読んだりしました。

 文学館内の食堂「杜の小径」で初めて食事もしました。今夏限定のトマトのパスタをいただきました。特別展にちなんだ限定メニューは、馬場のぼる作品でもおなじみのコロッケとパンケーキで、子供達に好評だったようです。


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颯爽と車両を過ぎる女性車掌の髪くくりたる黒色のシュシュ

  伝えないことには伝わらないことがいっぱいあって降り積もる雪

  受給資格満たせなければいただけぬ手当いくつもありて届かず

  「明日 勇気」 ハローワークの求職の申込書の記入例の名

  職安の帰りに五円にぎりしめ寄った神社の桜のつぼみ

  お雛さま、お内裏さまだけ飾ったと母のメールのピンボケ写真

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今の仕事では、パソコンの画面上でたくさんの人の名前を目にします。カナがなければ読めないような名前や、意外な漢字の当てられている名前もよくあります。
 時には、電話口で漢字ではどう書くのか伺ったりもします。熟語の何という示し方だったり、部首を使って説明してくれたり、自分の名前の表現の仕方を興味深く聞いています。
 たくさんの名前に触れる度、その名前を付けた人のことを思います。名前は人生で一番最初のプレゼント、と言われているように、その人その人なりの願いの込められた名付けなのだろうな、と思いを馳せることがおもしろくあります。

 先日、妊娠中だった妹が無事に出産しました。そして、あろうことか産まれた子にキラキラネームを付けてしまいました。
 妊婦時代から「この子は<り>だ! ってひらめいたの。<り>の付く名前にする」などと言っていたので危惧はしていたのだけれども。「だったら江戸時代の冒険家、間宮林蔵にちなんで<林蔵>と名付けたらどう?」とわたしは精いっぱいの軌道修正を試みていたのだけれども。
 変わった響きで画数の多い字面の名前を前に、「キラキラネームを付けたんだね…」とわたしが言うと、「キラキラネームだろうか。ギリギリ大丈夫だと思ったんだけど」と、妹はどこか麻痺している様子です。やっぱり産前産後は頭がお花畑になってキラキラネームを付けてしまうといううわさはほんとうだったのでしょうか。まだ赤ん坊だからかわいいものの、彼が青年になり、おっさんになってゆくことを思えば、キラキラした名前に風貌がついてゆけるのだろうか、と伯母ながら心配です。

 わたしは、子を生む予定も全くないのに、もしも名付けをする機会があったら、産まれたその日の季節や天気にちなんだ名前、漢字はシンプルに間違えられることなく読めるもの、説明のしやすいもの、と決めております。

  筆名を決めかねぬままはや幾年おのれに込める願いなどなく

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東北大学短歌会の歌会に参加してきました。社会人や主婦の方もいるよ、と聞いていたので、大学短歌会とはいってももっと開けた感じなのかなと思っていたのですが、当然のごとく大学生やOBの方々が多く、見事にぶっちぎりで最年長でした。でも、普段は年上の方とばかり歌会をしているので、若い方々の歌を読んだり評を聞けたりするのは新鮮でした。わたしも、普段の結社の歌会では作者バレするので出せないような若めの歌を提出しました。
 参加者は13人ほど。歌会をやるに丁度良いくらいの人数。そして大学生を中心をした若い人だけでこんなに参加者がいるのもすごいことです。

 結社の歌会の懇親会などでよく話題になるのが「最近の若い人の歌は、頭の良さを競い合っているみたい」というもの。
 実際に大学短歌会という若い人達の歌会に参加してみると、詠草一覧を見てもなんだか難しくてわたしには読みきれないものがほとんどでした。評に関しても、みんな難しいことを言っているなあーといった印象を受けました。わたしなんてほとんど高卒だもんなー。

 若くて短歌をやっている人がこんなにいるのか。白熱してるなー。男子率高いなー(結社の歌会は最近女子会化している)。大学生なんて多感な時期にこんなに同世代で同じ趣味の人と集えたら楽しいんだろうなー。いいなー、青春だなー。なんてことを考えたりしました。
 機会があれば、またお邪魔してみたく思います。

  ユニクロのTシャツ二人かぶりたる東北大学短歌会歌会

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独り身のわたしもついに新しき称号を手に入れたり「伯母」の

  いもうとの同棲、結婚、妊娠もみな母親の口より聞けり

  わたくしが子を生まずとも祖父祖母に父母はなりゆく粉雪が降る

  わたくしが口づけさえも知らぬままいもうとは子を身ごもりて 冬

  せめて初孫はわたしが生みたいと心のどこかで思いおりたり

  絵本などいつかわたしは買うだろう未だ産まれざるいもうとの子に

***

 4首目、選歌後記に「独身の作者の妊娠した妹に対する微妙な感情が巧みに表現されている」との評をいただきました。

 一首評で、4月号のタクシーの歌をみずきちゃんに取り上げていただきました。ありがたいです。

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両親が今朝採りのさくらんぼを届けに来てくれた。毎年、職場のおすそ分け用などに宅配便で送ってくれるのだけれど、今年は直に届けに来てくれた。
 両親が自宅に来てくれることが、この頃ずい分多くなった。昔はもっと距離があった。憎んでいた頃さえあった。けれど、今はいろんな話もする。家族らしくなってきたと思う。

 基本的には自宅で自炊の夕飯を一人で取ることの多いわたしが、この頃はいろいろお誘いをいただいて外食をしたりもする。大抵はガールズトークの聞き役だったりするのだけど、それはそれで興味深いし、誰かと共に食事を取ることは楽しい。

 仕事は、不安定だけれど、マイペースに進められるし、人間関係もざっくりしていて、ストレスもほとんどなく働けている。給料日、お給料もそこそこもらえてた。一生ものの仕事じゃない。でも、こういう働き方をしている人はいっぱいいる。いっぱいいるということがわかってきた。こんな感じでいいのかもしれない。こんな感じでいいかもしれない。仕事で心も体もぼろぼろになってた頃に比べれば。

 昨日は歌会で福島に行ってきた。楽しかった。心の支えになり得る趣味を持てていることを、うれしく思う。来週も、普段とは違う歌会へ初参加する予定。どんな感じか楽しみ。新しい出会いもあるでしょう。短歌はわたしを様々なところに連れ出してくれる。連れ出されてゆく自分を、おもしろく思う。

 人と会う予定がいくつかある。会いたい人がいるということ。わたしに会いたいと思ってくれている人がいるということ。

 今が一番いい時。小津安二郎映画によく出てくる言葉だけれど、今が一番しあわせかもしれないな、ってこの頃つくづく思う。
 わたしは震災以降ずっと大きな傷みを心に抱えてきていて、でも、笑えて過ごせるようになった日々の中で、いつしかそうした傷みを忘れつつあることに気づいた。
 このまま忘れきってしまえばいい、と思う一方で、忘れてゆくことを、寂しくも思う。だって、忘れることができるなんて思っていなかったから。あの傷みを、いつまでも引きずるつもりでいたから。
 わたしの悪い癖だ。過去を引きずったり未来を憂うより、今を大事にすればいい。今の自分を一番大事にすればいい。
 去年の今頃は、仕事を休職したりして(そののち結局辞めて療養生活に入って)、今の自分がこんなに笑えて暮らせているなんて思いもよらなかった。去年の今頃を思えば、今の自分なんて充分にしあわせ、泣きたいくらいに。

 さくらんぼ、おいしかった。山形の人は、とかく6月になるとさくらんぼを送る。地元を離れた人は、地元から取り寄せて配ったりする。わたしも、さくらんぼを食べに6月に帰郷していた頃があった。さくらんぼは山形人の心なのだ。

  六月に桜桃が届く これだから心底母を恨めやしない



(今朝とか昨日とか言っているうちに日付が変わってしまった。この文章は2015年5月15日に書きました。)

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早朝から怒涛の恋愛相談メール。今まで一度も男女交際経験のない、一回りほど年下の彼女は、只今片思いアプローチの真っ最中なのだ。
 30代独身Aセクシャル気味なわたしに意見を伺ったところであんまり参考にならないかもよー、と思いつつ、彼女曰くわたしは聞き上手らしく、なんとか取り付けた彼とのデートに、立ち会って会話が止まった時などにフォローしてほしいとの依頼まで受けてしまう。さすがに、二人っきりで会った方がいいのでは、と遠慮したけれど、作戦会議がしたいとのことで仕事終わりに会う約束をする。
 彼女は、同級生にちらほら結婚する子も出てくるような年齢の割に、とんでもなく純粋で、恋愛相談も「こんなメールを送った」「こんな返事が来た」と開けっぴろげで中学生のようである。なんにしても、恋をしている女の子は可愛いものだ。

 仕事終わり、約束の彼女と会った。来週のカラオケデートの予行練習として、どんな曲を歌ったらいいか見ることになった。なんだかよくわからないコアなアニメソングばかり歌いながら「告白されてみたい」「頭を撫でてもらいたい」と饒舌な彼女に、とりあえず「アニメの画面が出てきちゃうと恋愛っぽい雰囲気じゃなくなるし、子供っぽいオタクっぽいって引かれちゃうかもしれないから、お得意のアニメソングは封印して、西野カナとか歌った方がいいよ!」と助言した。

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角田光代さんの小説は自分には絶対に合わないのだろうと、一作も読む前から思っていた。一作も読む前から、雑誌かなにかで、「自分は彼氏主義で、彼氏がいないという状態が耐えられない。彼氏がいなくなると、すぐ次の彼氏を作る」というようなインタビューを読んだのだ。
 相容れない人だと思った。当時のわたしは恋愛嫌いで、恋愛脳の人を冷ややかな目で見ていた。たとえば学生時代の友人のあからさまな恋愛>友情な有様に辟易していたのもある。わたし自身が自分の女性性を肯定できずに育って、Aセクシャル気味に陥ってしまっていたのもある。とにかく、恋愛至上主義な思考には嫌悪感があったため、件のインタビュー記事にケッと思ったのだ。

 初めて角田光代さんの小説を読んだのは、「ダ・ヴィンチ」に掲載されていた短編だったと思う。単行本ではないから偶然に読めたのだと思う。単行本ならば、インタビューでの先入観から手に取らなかった。
 あれ? おもしろいな、と思った。てっきり、恋愛脳バカ女の出てくるくだらない小説かと決めつけていたのに。そんなふうにわたしの認識が変わってきた頃、角田さんは『対岸の彼女』で直木賞を受賞した。

 それから数年後、ある日、わたしは失恋した。失恋の痛みを引きずる日々の中で、角田光代さんの短編小説が読みたい、と、ふと思った。初めて著作を購入し、読んでみれば、なんだかぶきような恋の物語ばかりで、ぶきようなわたしの心にすっとなじんだ。
 それから、『だれかのいとしいひと』『トリップ』『ドラママチ』『おまえじゃなきゃだめなんだ』いくつも短編小説を購入しては読んだ。通勤のバスの中で、仕事の休憩中に、ちょっとした待ち時間に。これからもいくつも読むと思う。どこかぶきような人達の物語を、わたしは好きだと思った。
 今では、角田光代さんは「好きな作家は?」と聞かれて、答える作家のの一人である。

  バスのなか角田光代を読みており明日は予定のない日曜日

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医者へ立つ気力なければ発熱の日々を一人で寝て過ぎるなり

  寝る以外飲まず食わずをメールすれば隣県から駆けつけたる母よ

  連れ出してくれる人がいてようやくに処方されたりタミフルなどが

  隔離され体温計をくわえつつながめる窓の雪がきれいだ

  一人暮らしよりは隔離の方がまだまし それなりにご飯も食べて

  一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい

***

 3月号の作品合評で、上澄さんと上本さんに「子供生みな」の歌を取り上げていただきました。読んでいただけてうれしいです。どうやら切なさを感じ取っていただけたようです。


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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