忍者ブログ
川が好き。山も好き。
[27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37
東北大学短歌会の歌会に参加してきました。社会人や主婦の方もいるよ、と聞いていたので、大学短歌会とはいってももっと開けた感じなのかなと思っていたのですが、当然のごとく大学生やOBの方々が多く、見事にぶっちぎりで最年長でした。でも、普段は年上の方とばかり歌会をしているので、若い方々の歌を読んだり評を聞けたりするのは新鮮でした。わたしも、普段の結社の歌会では作者バレするので出せないような若めの歌を提出しました。
 参加者は13人ほど。歌会をやるに丁度良いくらいの人数。そして大学生を中心をした若い人だけでこんなに参加者がいるのもすごいことです。

 結社の歌会の懇親会などでよく話題になるのが「最近の若い人の歌は、頭の良さを競い合っているみたい」というもの。
 実際に大学短歌会という若い人達の歌会に参加してみると、詠草一覧を見てもなんだか難しくてわたしには読みきれないものがほとんどでした。評に関しても、みんな難しいことを言っているなあーといった印象を受けました。わたしなんてほとんど高卒だもんなー。

 若くて短歌をやっている人がこんなにいるのか。白熱してるなー。男子率高いなー(結社の歌会は最近女子会化している)。大学生なんて多感な時期にこんなに同世代で同じ趣味の人と集えたら楽しいんだろうなー。いいなー、青春だなー。なんてことを考えたりしました。
 機会があれば、またお邪魔してみたく思います。

  ユニクロのTシャツ二人かぶりたる東北大学短歌会歌会

拍手[2回]

PR
独り身のわたしもついに新しき称号を手に入れたり「伯母」の

  いもうとの同棲、結婚、妊娠もみな母親の口より聞けり

  わたくしが子を生まずとも祖父祖母に父母はなりゆく粉雪が降る

  わたくしが口づけさえも知らぬままいもうとは子を身ごもりて 冬

  せめて初孫はわたしが生みたいと心のどこかで思いおりたり

  絵本などいつかわたしは買うだろう未だ産まれざるいもうとの子に

***

 4首目、選歌後記に「独身の作者の妊娠した妹に対する微妙な感情が巧みに表現されている」との評をいただきました。

 一首評で、4月号のタクシーの歌をみずきちゃんに取り上げていただきました。ありがたいです。

拍手[0回]

両親が今朝採りのさくらんぼを届けに来てくれた。毎年、職場のおすそ分け用などに宅配便で送ってくれるのだけれど、今年は直に届けに来てくれた。
 両親が自宅に来てくれることが、この頃ずい分多くなった。昔はもっと距離があった。憎んでいた頃さえあった。けれど、今はいろんな話もする。家族らしくなってきたと思う。

 基本的には自宅で自炊の夕飯を一人で取ることの多いわたしが、この頃はいろいろお誘いをいただいて外食をしたりもする。大抵はガールズトークの聞き役だったりするのだけど、それはそれで興味深いし、誰かと共に食事を取ることは楽しい。

 仕事は、不安定だけれど、マイペースに進められるし、人間関係もざっくりしていて、ストレスもほとんどなく働けている。給料日、お給料もそこそこもらえてた。一生ものの仕事じゃない。でも、こういう働き方をしている人はいっぱいいる。いっぱいいるということがわかってきた。こんな感じでいいのかもしれない。こんな感じでいいかもしれない。仕事で心も体もぼろぼろになってた頃に比べれば。

 昨日は歌会で福島に行ってきた。楽しかった。心の支えになり得る趣味を持てていることを、うれしく思う。来週も、普段とは違う歌会へ初参加する予定。どんな感じか楽しみ。新しい出会いもあるでしょう。短歌はわたしを様々なところに連れ出してくれる。連れ出されてゆく自分を、おもしろく思う。

 人と会う予定がいくつかある。会いたい人がいるということ。わたしに会いたいと思ってくれている人がいるということ。

 今が一番いい時。小津安二郎映画によく出てくる言葉だけれど、今が一番しあわせかもしれないな、ってこの頃つくづく思う。
 わたしは震災以降ずっと大きな傷みを心に抱えてきていて、でも、笑えて過ごせるようになった日々の中で、いつしかそうした傷みを忘れつつあることに気づいた。
 このまま忘れきってしまえばいい、と思う一方で、忘れてゆくことを、寂しくも思う。だって、忘れることができるなんて思っていなかったから。あの傷みを、いつまでも引きずるつもりでいたから。
 わたしの悪い癖だ。過去を引きずったり未来を憂うより、今を大事にすればいい。今の自分を一番大事にすればいい。
 去年の今頃は、仕事を休職したりして(そののち結局辞めて療養生活に入って)、今の自分がこんなに笑えて暮らせているなんて思いもよらなかった。去年の今頃を思えば、今の自分なんて充分にしあわせ、泣きたいくらいに。

 さくらんぼ、おいしかった。山形の人は、とかく6月になるとさくらんぼを送る。地元を離れた人は、地元から取り寄せて配ったりする。わたしも、さくらんぼを食べに6月に帰郷していた頃があった。さくらんぼは山形人の心なのだ。

  六月に桜桃が届く これだから心底母を恨めやしない



(今朝とか昨日とか言っているうちに日付が変わってしまった。この文章は2015年5月15日に書きました。)

拍手[2回]

早朝から怒涛の恋愛相談メール。今まで一度も男女交際経験のない、一回りほど年下の彼女は、只今片思いアプローチの真っ最中なのだ。
 30代独身Aセクシャル気味なわたしに意見を伺ったところであんまり参考にならないかもよー、と思いつつ、彼女曰くわたしは聞き上手らしく、なんとか取り付けた彼とのデートに、立ち会って会話が止まった時などにフォローしてほしいとの依頼まで受けてしまう。さすがに、二人っきりで会った方がいいのでは、と遠慮したけれど、作戦会議がしたいとのことで仕事終わりに会う約束をする。
 彼女は、同級生にちらほら結婚する子も出てくるような年齢の割に、とんでもなく純粋で、恋愛相談も「こんなメールを送った」「こんな返事が来た」と開けっぴろげで中学生のようである。なんにしても、恋をしている女の子は可愛いものだ。

 仕事終わり、約束の彼女と会った。来週のカラオケデートの予行練習として、どんな曲を歌ったらいいか見ることになった。なんだかよくわからないコアなアニメソングばかり歌いながら「告白されてみたい」「頭を撫でてもらいたい」と饒舌な彼女に、とりあえず「アニメの画面が出てきちゃうと恋愛っぽい雰囲気じゃなくなるし、子供っぽいオタクっぽいって引かれちゃうかもしれないから、お得意のアニメソングは封印して、西野カナとか歌った方がいいよ!」と助言した。

拍手[0回]

角田光代さんの小説は自分には絶対に合わないのだろうと、一作も読む前から思っていた。一作も読む前から、雑誌かなにかで、「自分は彼氏主義で、彼氏がいないという状態が耐えられない。彼氏がいなくなると、すぐ次の彼氏を作る」というようなインタビューを読んだのだ。
 相容れない人だと思った。当時のわたしは恋愛嫌いで、恋愛脳の人を冷ややかな目で見ていた。たとえば学生時代の友人のあからさまな恋愛>友情な有様に辟易していたのもある。わたし自身が自分の女性性を肯定できずに育って、Aセクシャル気味に陥ってしまっていたのもある。とにかく、恋愛至上主義な思考には嫌悪感があったため、件のインタビュー記事にケッと思ったのだ。

 初めて角田光代さんの小説を読んだのは、「ダ・ヴィンチ」に掲載されていた短編だったと思う。単行本ではないから偶然に読めたのだと思う。単行本ならば、インタビューでの先入観から手に取らなかった。
 あれ? おもしろいな、と思った。てっきり、恋愛脳バカ女の出てくるくだらない小説かと決めつけていたのに。そんなふうにわたしの認識が変わってきた頃、角田さんは『対岸の彼女』で直木賞を受賞した。

 それから数年後、ある日、わたしは失恋した。失恋の痛みを引きずる日々の中で、角田光代さんの短編小説が読みたい、と、ふと思った。初めて著作を購入し、読んでみれば、なんだかぶきような恋の物語ばかりで、ぶきようなわたしの心にすっとなじんだ。
 それから、『だれかのいとしいひと』『トリップ』『ドラママチ』『おまえじゃなきゃだめなんだ』いくつも短編小説を購入しては読んだ。通勤のバスの中で、仕事の休憩中に、ちょっとした待ち時間に。これからもいくつも読むと思う。どこかぶきような人達の物語を、わたしは好きだと思った。
 今では、角田光代さんは「好きな作家は?」と聞かれて、答える作家のの一人である。

  バスのなか角田光代を読みており明日は予定のない日曜日

拍手[3回]

医者へ立つ気力なければ発熱の日々を一人で寝て過ぎるなり

  寝る以外飲まず食わずをメールすれば隣県から駆けつけたる母よ

  連れ出してくれる人がいてようやくに処方されたりタミフルなどが

  隔離され体温計をくわえつつながめる窓の雪がきれいだ

  一人暮らしよりは隔離の方がまだまし それなりにご飯も食べて

  一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい

***

 3月号の作品合評で、上澄さんと上本さんに「子供生みな」の歌を取り上げていただきました。読んでいただけてうれしいです。どうやら切なさを感じ取っていただけたようです。


拍手[0回]

5月16日、17日は短歌の結社の東北集会で、山形のかみのやま温泉に行ってきました。山形は故郷で、上山といえば子供の頃に山交ランド(現・リナワールド)に何度か連れて来てもらったものですが、かみのやま温泉は初めてで、温泉好きとしてもとても楽しみにしておりました。

 16日、宿泊先の旅館の有馬館に着いて、まずは歌会。参加者は25人ほど。「せっかくだから隣に座りなー」と先輩方に押されて、栗木京子さんのお隣の席で参加させていただきました。わたしの提出歌は、多くの方々に年配の人の歌だと思われたようで、作者がわたしだとわかると驚かれました。枯れた歌を詠んでしまったのでしょうか。普段参加している歌会に選者の先生が来てくださることはまれなので、栗木さんの評を聞けてとてもうれしかったです。
 その後の懇親会、二次会では、東北でも普段はなかなか会えない方、関東や関西など遠方から参加されている方ともお話ができて楽しかったです。夕飯の郷土料理もなつかしい味で美味しかったです。我が家の味以外のだしを人生で初めて食べました。だし、代表的な家庭料理なので。

 17日、午前中は旅館で短歌ゲームや連歌。普段の自分の歌作の仕方とは違うかたちで歌を作るので難しいながらも、みんなの合作でできた歌々がおもしろくて笑いっぱなしでした。
 午後は斉藤茂吉記念全国大会。今年の受賞者は小島ゆかりさん。小島さんと茂吉の息子である斎藤茂太先生との大学時代のエピソードがとてもおもしろかったです。また、茂吉の孫である茂一さんもなかなかにお話のおもしろい方ですてきでした。
 アトラクションとして、チェロとピアノの演奏がありました。山形を舞台にした映画「おくりびと」にゆかりのある音楽家の方で、5曲ほど演奏してくれたのですが、その中の一曲、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」に、涙ぼろぼろ。もともとすごく好きな曲だし、チェロとピアノも好きな楽器で、なんだかやたらに沁みたのでした。歌詞が好きな曲なのにインストゥルメンタルで泣くとは。
 そして、去年の受賞者である栗木京子さんの記念講演。茂吉と関西といったテーマで、とても興味深かったです。

 短歌づくしでしあわせな二日間でした。先輩方にも後輩にもほんとうにわたしはめぐまれているなあと、つくづく実感できた会でした。来年(たぶん福島)もぜひ参加したいです。


拍手[1回]

5月の大型連休中、仙台文学館に「北杜夫 どくとるマンボウの生涯」の展示を見に行って来ました。実は北杜夫作品は、代表作は『どくとるマンボウ航海記』『楡家の人びと』などと知識としては知ってはいても、一冊も読んでなかったのでした。けれど、短歌を詠んでいることもあり、父である歌人の斎藤茂吉にはなじみがありますし、兄である精神科医の斎藤茂太先生の本はストレスを抱えていた頃によく読んでいました。そんなこともあって、予備知識はあったため、作品は知らずとも興味深く楽しむことが出来ました。

 こうした展示では、直筆の手紙や生原稿を目にできるのが眼福なのですが、北杜夫直筆の字は今まで見た中でも小さくて、小さくて小さくて読めないぐらい小さかったです。
 父の茂吉の出身が山形なので東北にゆかりのあることは知っていましたが、仙台の大学に通っていたことは初めて知り、なんだか親しみを覚えました。
 自分で集めたという昆虫の標本もすごい。躁鬱のご病気に関しても話にはなんとなく聞いていましたが、思いのほか破天荒でした。

 文学館の帰り、何か読んでみたくなり、自伝的小説『母の影』を購入しました。近々、茂吉関連のイベントに赴くことが決まっているので、茂吉に関連したものがいいかなと思ったのでした。また、展示でも紹介されていた茂吉のおさな妻であり北杜夫の母である輝子さんが、なかなかに強烈なキャラクターそうだったので。
 読了して、想像以上にパワフルなお母様でした。茂吉や北杜夫の短歌も紹介されていて、短歌読みとしてもおもしろかったです。

 天気のいい日で、文学館へ続く台原森林公園の中のあかまつの道は、緑の匂いがとても気持ちよかったです。

拍手[1回]

当初こそ割とやっつけな気分で勤めていた今の仕事ですが、今は普通にまじめに就業しています。最初は上司陣の派手な格好に面食らっていたわたしでしたが、思ったよりあやしい仕事ではなく、ちゃんとした仕事だということがわかってきました。他のスタッフに関しても、一時期たくさんいたギャル子ちゃん達が次第に脱落していったりで、落ち着いた人が残ってきて職場の雰囲気が落ち着いてきたのもあります。尤も、一緒にお弁当を食べていた同僚さんが契約更新されなくて4月で終了になってしまい、5月からは一人昼食になったのはちょっと寂しいですが。休憩室でも一人の人は多いし、わたしは読書などをして過ごしています。

 先日は、隣の席で大きなクレームを処理していた上司が格好良かったです。電話口で、丁寧な謝罪の言葉が淀みなくすらすらと流れて。受話器置いた後めちゃめちゃ疲れていました。「疲れたー」って言っていました。ああいう仕事、疲れると思います。「上の者に代われ」って怒鳴られて代わったパターンでしょうか、あれは。決して容姿がすてきな方ではないのですが、冷静に淡々と確実に仕事をこなす姿は格好良く映るものですね。わたしは口下手なので、言葉の流暢さがうらやましいとも思いました。

 わたしも契約で仕事をしていて不安定な身の上ではありますが、職場の場所も通いやすくて街中なので気分も華やぎますし、働けるうちはがんばってみようと思います。

  あこがれのスターが「バイト探してる 地獄」だなんて歌う せつない

拍手[2回]

離れて暮らしている妹と、10ヶ月も会えなさそうなので、写真をお手紙で送ってもらいました。妊婦姿の妹を見てみたいと思ったのです。
 封筒を開けて、写真の中の妹のふくらんだお腹を目にした途端、ぼろぼろと涙がこぼれてしまって、そんな自分に困惑しました。
 わたしと妹は仲が良いし、わたし自身には出産願望はないので、先を越されて悔しいというような嫉妬心、哀しい悔しいといった気持ちはありません。かといって、ものすごく子供大好き楽しみおめでとう早く甥っ子に会いたいよーというほど歓喜しているわけでもありません。
 そういえば、写真の届く前日に、ひどく自己嫌悪するようなことがあって、落ち込んでいたのですが、そうした弱っていた心が、涙に関係あるかどうかわかりません。
 ああ、あんなに小さかった妹が母親に、といった感慨はあるような気はします。妹の初潮の世話をしたのは中学生だったわたしです。わたしの時に心身のケアのへたくそだった母とは違い、そこそこうまくしてあげられたと思っています。
 ただ、この頃よく思うのは、人間も犬や猫、魚や昆虫のように、繁殖して子孫を残し種を保存するために生きている生物の一種なのだなあということ。震災時、危機的状況下においてのみわたし自身に起こった感情の動きから、そんなことをずっと考えています。だから、子を宿した妹の写真は、生物として正しい姿だ、とつくづく感じたりしました。

 それにしても、最近の妹と話していて、わたしと同じ家庭に育ち、「結婚したくない」「子供欲しくない」とずっと言っていた妹の、母性の目覚めっぷりには驚くばかりです。もう、すっかりお母さん。妊娠して、脳内にそういうホルモンが分泌されだしたのでしょう。一般的に、なんだかとてもしあわせな気持ちになると聞きます。人類の神秘です。もちろん、妹を愛し受け入れ支えてくれる夫君の力もあるのでしょう。

 ああ、そうだ、妹の顔がよく双子と間違えられるくらいわたしとそっくりで、一瞬わたしが妊娠してしまったかのように錯覚して、恐怖感に襲われたりもしたのでした。

「こんなふうになるとは思わなかった」と自分でも驚いている妹のように、わたしにも、そんなふうになるとは今は思っていない未来があったりするのかもしれません。

  晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており 

拍手[1回]

カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
ブログ内検索
最新コメント
[12/25 びょんすけ]
[09/11 ぴょんすけ]
[12/26 お湯]
[11/19 お湯]
[08/27 お湯]
*
Designed by Lynn
忍者ブログ [PR]