川が好き。山も好き。
ヘリコプターの音が聞こえる。行方不明者の、5年目の捜索だろうか。2011年3月、震災の頃も、ヘリコプターの音がずっと鳴っていたから、ヘリコプターの音は不安な気持ちを呼び起こす。
職場で被災して、その日は職場に泊まって、翌日に自宅に帰された。一人暮らしの自宅アパートは、足の踏み場もないほど散乱していた。冷蔵庫は廊下の真ん中に出てきていた。購入の際に大の男2人がかりで配達してもらった洗濯機は倒れていた。スチールラックや本棚は元の場所とは違う場所に移動していて、すっからかんになった中身は全部床の上に散らばっていた。電話が通じなくて誰とも連絡のつかない中、独りで片づけをした。水道が止まっていてトイレも使えず、区役所や文化センターまで用を足しに行った。ひび割れた窓を、余震に備えて開けたままにしておく。隙間から、冷たい風が入り込む。雪が降っていた。携帯電話のメールを何度も打っては送信ボタンを押したけれど、電波が届かず送られなかった。
あれから5年。やっと、わたしの震災が遠くなってきたのを感じる。過去よりも、今、目の前のことで気持ちが忙しい。去年まで抱いていた、「わたしだって被災したんだから!」という思いは、もうない。ずいぶん楽になった。努力もしたのだった。仕事の業種や働き方を変えたり、意識して外へ出たりした。新しい世界に目を向けるようにした。やっと、ここまできた、と思う。やっと、今を生きられるようになった。
よく耳にする「あの日を忘れないで」というフレーズ。けれども、被災当事者の人は、忘れてもいいような気もする。つらい気持ちをずっと抱えていなさい、なんて、とても言えない。
今年の3月11日は晴れているので、洗濯をした。震災直後は、いろいろなうわさがあって洗濯物を外に干すのがためらわれていたことを思い出す。まだ外で子供を遊ばせない地域もあると聞く。わたしはもうどうでもよくなり、ベランダに白いシーツを広げる。
職場で被災して、その日は職場に泊まって、翌日に自宅に帰された。一人暮らしの自宅アパートは、足の踏み場もないほど散乱していた。冷蔵庫は廊下の真ん中に出てきていた。購入の際に大の男2人がかりで配達してもらった洗濯機は倒れていた。スチールラックや本棚は元の場所とは違う場所に移動していて、すっからかんになった中身は全部床の上に散らばっていた。電話が通じなくて誰とも連絡のつかない中、独りで片づけをした。水道が止まっていてトイレも使えず、区役所や文化センターまで用を足しに行った。ひび割れた窓を、余震に備えて開けたままにしておく。隙間から、冷たい風が入り込む。雪が降っていた。携帯電話のメールを何度も打っては送信ボタンを押したけれど、電波が届かず送られなかった。
あれから5年。やっと、わたしの震災が遠くなってきたのを感じる。過去よりも、今、目の前のことで気持ちが忙しい。去年まで抱いていた、「わたしだって被災したんだから!」という思いは、もうない。ずいぶん楽になった。努力もしたのだった。仕事の業種や働き方を変えたり、意識して外へ出たりした。新しい世界に目を向けるようにした。やっと、ここまできた、と思う。やっと、今を生きられるようになった。
よく耳にする「あの日を忘れないで」というフレーズ。けれども、被災当事者の人は、忘れてもいいような気もする。つらい気持ちをずっと抱えていなさい、なんて、とても言えない。
今年の3月11日は晴れているので、洗濯をした。震災直後は、いろいろなうわさがあって洗濯物を外に干すのがためらわれていたことを思い出す。まだ外で子供を遊ばせない地域もあると聞く。わたしはもうどうでもよくなり、ベランダに白いシーツを広げる。
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介護士による虐待や殺人など痛ましい事件の影響で、この頃、良い介護施設の選び方などがよくテレビで紹介されています。
利用者さんが笑顔でいること、散歩や買い物など外出の時間があるかどうか(外出は介護報酬?の点数にはならないので、利用者さんによろこんでもらいたい施設側のサービスで行われているのだとか)など、なるほどなあと思います。
良い介護施設かどうか見分ける方法の一つに「食器は陶器を使っているか」というのがありました。陶器の食器を使っている所は利用者様のことを考えてる、との理由だそうです。確かに陶器の食器はきれいですし、ほどよい重さが麻痺を患う人の手にも良いようなのですが、割れないように気を遣うため仕事が遅くなり調理師泣かせなので、メラミンの食器でも許してください。
また、わたしが介護の現場で働いたり、他の施設などもいくつか研修で訪れたりした経験から。施設の行事やレクレーションに、現場で働く介護士さんだけでなく、事務室にいる職員さん(施設長、事務員、ケアマネージャーなど)や厨房にいる調理師さん(ただ、調理師は直雇の施設もあれば、専門の業者が入っている施設もあります。)、送迎のドライバーさんなども参加している施設は良いと思いました。特に、事務室の職員は正社員で、現場の職員は非正規社員だったりすることも多いので、そのあたりに壁があると人間関係もぎすぎすしたものになり、職場の雰囲気が濁ってしまいます。施設の規模によって難しい部分もあるかもしれませんが、普段は利用者様と接しない業務の方々も、数字や書類の情報だけではなく、現場に出て利用者さん達や介護士さん達に触れ合う機会の持てている施設は、いろいろ風通しが良いように思います。
あと、これは一箇所だけでしたが、利用者さんを「お客様」と呼ぶ施設もあって、間違いではないのでしょうけれど、商売っ気が押し出されている感じがしてわたしは気になりました。
実家の、もうすぐ89歳になる祖母が、この3月から週一で通所介護施設に通い始めました。近所のお茶飲み友達もいなくなり、自身も体が不自由になってきて最近はずっと家にばかりいたので、施設でお話したり体操したり、楽しく過ごせればいいなあと思います。
「はつ恋の味がするわ!」とはしゃぎつつ嫗らの食むぶどう寒天
利用者さんが笑顔でいること、散歩や買い物など外出の時間があるかどうか(外出は介護報酬?の点数にはならないので、利用者さんによろこんでもらいたい施設側のサービスで行われているのだとか)など、なるほどなあと思います。
良い介護施設かどうか見分ける方法の一つに「食器は陶器を使っているか」というのがありました。陶器の食器を使っている所は利用者様のことを考えてる、との理由だそうです。確かに陶器の食器はきれいですし、ほどよい重さが麻痺を患う人の手にも良いようなのですが、割れないように気を遣うため仕事が遅くなり調理師泣かせなので、メラミンの食器でも許してください。
また、わたしが介護の現場で働いたり、他の施設などもいくつか研修で訪れたりした経験から。施設の行事やレクレーションに、現場で働く介護士さんだけでなく、事務室にいる職員さん(施設長、事務員、ケアマネージャーなど)や厨房にいる調理師さん(ただ、調理師は直雇の施設もあれば、専門の業者が入っている施設もあります。)、送迎のドライバーさんなども参加している施設は良いと思いました。特に、事務室の職員は正社員で、現場の職員は非正規社員だったりすることも多いので、そのあたりに壁があると人間関係もぎすぎすしたものになり、職場の雰囲気が濁ってしまいます。施設の規模によって難しい部分もあるかもしれませんが、普段は利用者様と接しない業務の方々も、数字や書類の情報だけではなく、現場に出て利用者さん達や介護士さん達に触れ合う機会の持てている施設は、いろいろ風通しが良いように思います。
あと、これは一箇所だけでしたが、利用者さんを「お客様」と呼ぶ施設もあって、間違いではないのでしょうけれど、商売っ気が押し出されている感じがしてわたしは気になりました。
実家の、もうすぐ89歳になる祖母が、この3月から週一で通所介護施設に通い始めました。近所のお茶飲み友達もいなくなり、自身も体が不自由になってきて最近はずっと家にばかりいたので、施設でお話したり体操したり、楽しく過ごせればいいなあと思います。
「はつ恋の味がするわ!」とはしゃぎつつ嫗らの食むぶどう寒天
1月15日が、仕事の最終出勤日でした。当初は、聞いていた話と業務内容や勤務形態が違っていたり、職場の上司陣の若さ(センター長が同じ年齢!)に戸惑ったりもしました。特に、女性上司達の派手なファッションやネイル、同期の同僚女性もギャル子ちゃんが多く、「ここはわたしの働く場所じゃないでしょう…」と場違い感でいっぱいで、きっと長くは続けないと思っていました。
けれども、仕事自体は苦手分野ながらマイペースにできてやりやすく、人の入れ代わりが激しかった分、ギャル子ちゃん達が脱落していき落ち着いた人が残ってきて、働きやすくなってきました。人間関係もさっくりしていて仲良しさんもでき、勤怠についても融通が利くのも良くて、思ったより長く続けることができました。
このまま続けることもできたのですが、世の中の流れもあってセンター全体の生産性も振るわなくなり、いろいろ状況も変わってきたので、契約更新せず、ここらで円満終了です。お疲れさま、わたし!
生活のためだと割り切って、仕事をするために仕事をする、そんな日々です。でも、同じような人も多いのでしょう。生きてゆきます。
こんな仕事こんな仕事と思いつつ就業できることのうれしさ
けれども、仕事自体は苦手分野ながらマイペースにできてやりやすく、人の入れ代わりが激しかった分、ギャル子ちゃん達が脱落していき落ち着いた人が残ってきて、働きやすくなってきました。人間関係もさっくりしていて仲良しさんもでき、勤怠についても融通が利くのも良くて、思ったより長く続けることができました。
このまま続けることもできたのですが、世の中の流れもあってセンター全体の生産性も振るわなくなり、いろいろ状況も変わってきたので、契約更新せず、ここらで円満終了です。お疲れさま、わたし!
生活のためだと割り切って、仕事をするために仕事をする、そんな日々です。でも、同じような人も多いのでしょう。生きてゆきます。
こんな仕事こんな仕事と思いつつ就業できることのうれしさ
新年あけましておめでとうございます。
年末年始は風邪で寝込んでしまい、文字通りの寝正月を過ごしました。仕事が休みに入った26日頃から体調があやうかったのですが、風邪薬などを飲んでなんとか落ち着かせ、30日には山形県米沢市の小野川温泉(米沢牛のすき焼きが最高に美味しかった!)などへ出かけたりもしました。けれども咳が止まらなくなり熱も出てきて、31日に実家に着くなり隔離されてしまいました。病院へ行って、インフルエンザではないという診断にほっとしたけれど、実家には妹の赤ん坊がいるので、ただの風邪でも感染すわけにはいかなかったのです。実家では母や弟も軽く風邪をひいていて、家中がぴりぴりしていました。妹のわたしに対する扱いも、「おねーちゃん」ではなく完全に「病原菌」で、赤ん坊を抱かせてもらうどころか徹底して会わせてもくれませんでした、かなしい。
3日に戻ってきて4日から仕事、の予定だったのですが、ぐったりしていてあまりにも咳がひどく、声を使う仕事なのにガラガラで声も出ないので休まさせてもらい、結局今の今まで休んだまま、今年まだ一日も出勤していません。そして来週一週間で契約終了です。
そうでした、誕生日を迎えて、厄年になったのでした。初詣にも行けず、早くも前途多難ですが、今年一年強く生きてゆこうと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。
病床時のポカリスエットこそ美味し通常時の三割増しほどに
年末年始は風邪で寝込んでしまい、文字通りの寝正月を過ごしました。仕事が休みに入った26日頃から体調があやうかったのですが、風邪薬などを飲んでなんとか落ち着かせ、30日には山形県米沢市の小野川温泉(米沢牛のすき焼きが最高に美味しかった!)などへ出かけたりもしました。けれども咳が止まらなくなり熱も出てきて、31日に実家に着くなり隔離されてしまいました。病院へ行って、インフルエンザではないという診断にほっとしたけれど、実家には妹の赤ん坊がいるので、ただの風邪でも感染すわけにはいかなかったのです。実家では母や弟も軽く風邪をひいていて、家中がぴりぴりしていました。妹のわたしに対する扱いも、「おねーちゃん」ではなく完全に「病原菌」で、赤ん坊を抱かせてもらうどころか徹底して会わせてもくれませんでした、かなしい。
3日に戻ってきて4日から仕事、の予定だったのですが、ぐったりしていてあまりにも咳がひどく、声を使う仕事なのにガラガラで声も出ないので休まさせてもらい、結局今の今まで休んだまま、今年まだ一日も出勤していません。そして来週一週間で契約終了です。
そうでした、誕生日を迎えて、厄年になったのでした。初詣にも行けず、早くも前途多難ですが、今年一年強く生きてゆこうと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。
病床時のポカリスエットこそ美味し通常時の三割増しほどに
暖冬で未だ雪も見ていないので実感がわかないのですが、2015年もあっという間に過ぎてゆきます。今年一年をふり返ってみると、割と良い一年だったんじゃないかなあと思います。
まずは、一年を通してずっと仕事をしていられたこと、社会保険に入れたこと。ほんとうにほんとうに普通のことだけれど、ここ数年はそのあたりがぐちゃぐちゃだったので、普通に社会生活を送れただけでも充分です。
妹が出産して、伯母さんにもなりました。明日の12月31日には35歳になります。区切りの年齢ということでいろいろ意識もしますが、自分らしく日々を過ごしてゆきたいと思います。
それでは、今年一年見守ってくださりありがとうございました。良いお年を。
年賀状送る枚数少し増え良い一年ということにする
まずは、一年を通してずっと仕事をしていられたこと、社会保険に入れたこと。ほんとうにほんとうに普通のことだけれど、ここ数年はそのあたりがぐちゃぐちゃだったので、普通に社会生活を送れただけでも充分です。
妹が出産して、伯母さんにもなりました。明日の12月31日には35歳になります。区切りの年齢ということでいろいろ意識もしますが、自分らしく日々を過ごしてゆきたいと思います。
それでは、今年一年見守ってくださりありがとうございました。良いお年を。
年賀状送る枚数少し増え良い一年ということにする
月日の経つのはほんとうにあっというまで、12月の12日13日、結社の忘年歌会で福島県の飯坂温泉に行ってきました。
なに分初めてなもので、方向音痴のわたしは「ちゃんとたどり着けるかなー」と不安だったのですが、仙台から福島への電車の中や、福島駅のホームなど、次々に参加者の方々と遭遇し、無事に会場まで行き着けました。
飯坂温泉は、いい感じの鄙びた温泉街でした。葵館での歌会の後は、宿泊先の新松葉旅館に場所を移して懇親会。忘年歌会ということで、久しぶりに会う方や滅多に会えない方もいながら、話は尽きず、日を跨ぐほどの時間までの語り合いでした。またこの新松葉旅館というのが、絵に描いたような古い宿で、作りもいろいろ懐かしかったです、トイレの鍵とか。
地味に衝撃的だったのが、宴会参加の男性陣全員がすね毛を剃っていた、という事実です。剃るものなのか、浴衣の裾からのぞくすね毛が良いんじゃないか!(参加メンバーのそれが見たいというわけでは、決してありません。)
翌日は旧堀切邸へ。邸内の手湯や足湯が心地良かったです。部屋の貸し出しもしているということで、来年の歌会はここで行おうという話にもなりました。
福島歌会へはわたしは普段は日帰りで行くのですが、わざわざ飯坂温泉に宿を取り参加してくる人のいるのがわかったような気がしました。わたしも金銭的に余裕があったらそうしたいものです。
赤い帯うまく結べずスカートのように浴衣がひろがってゆく
なに分初めてなもので、方向音痴のわたしは「ちゃんとたどり着けるかなー」と不安だったのですが、仙台から福島への電車の中や、福島駅のホームなど、次々に参加者の方々と遭遇し、無事に会場まで行き着けました。
飯坂温泉は、いい感じの鄙びた温泉街でした。葵館での歌会の後は、宿泊先の新松葉旅館に場所を移して懇親会。忘年歌会ということで、久しぶりに会う方や滅多に会えない方もいながら、話は尽きず、日を跨ぐほどの時間までの語り合いでした。またこの新松葉旅館というのが、絵に描いたような古い宿で、作りもいろいろ懐かしかったです、トイレの鍵とか。
地味に衝撃的だったのが、宴会参加の男性陣全員がすね毛を剃っていた、という事実です。剃るものなのか、浴衣の裾からのぞくすね毛が良いんじゃないか!(参加メンバーのそれが見たいというわけでは、決してありません。)
翌日は旧堀切邸へ。邸内の手湯や足湯が心地良かったです。部屋の貸し出しもしているということで、来年の歌会はここで行おうという話にもなりました。
福島歌会へはわたしは普段は日帰りで行くのですが、わざわざ飯坂温泉に宿を取り参加してくる人のいるのがわかったような気がしました。わたしも金銭的に余裕があったらそうしたいものです。
赤い帯うまく結べずスカートのように浴衣がひろがってゆく
11月末に、実家に帰ってみました。関東に嫁いだ妹が赤ん坊を連れて帰省しているのです。赤ん坊を実家に連れてくるのは初めてなので、赤ん坊と会うのは初めて、妹と会うのもなんだかんだで2年ぶりです。
久しぶりに会う妹は、新米ながらもうすっかりお母さん。そんなに子供好きではなかったはずなのに、我が子にはめろめろでした。初めて見る甥っ子は、そりゃあもうかわいくて、ずっと抱っこをさせてもらいました。ただ、一日子守りをしただけなのに、体がぐったりで、子育ては体力がいるってほんとうなんだなあとあらためて実感しました。妹の子だから軽く子守りもするけれど、これが我が子で毎日続いたら正直耐えられる自信がありません。
父と弟はぼんやりしていましたが、母は初孫のためにわたし達をおぶったおんぶ紐やねんねこを引っ張り出してきたり、88歳の祖母はひ孫に歌ったり話しかけたり、家が明るんでいるのを感じました。
祖母、父と母、わたしと弟、妹と赤ん坊。こんなふうに家族全員が実家に揃うのは、この先も滅多にないでしょう。妹は初の実家へのお披露目と、関東での引越しの関係もあってお正月過ぎまで実家に滞在するようなので、その間にわたしもまた帰れたらいいな、と思っています。
ちなみに、甥っ子はキラキラネームを付けられており、今のところ家族は誰も名前では呼ばず、「んぼこ」(山形弁で赤ん坊のこと)と呼んでおります。
実家にいる間、BSで原節子追悼で小津安二郎監督の『東京物語』を放映していました。DVDも持ってるほど好きな映画ですが、せっかくなので見ました。
『東京物語』は今さら説明するまでもない名作映画ですが、老夫婦が尾道から上京して子供達に会いに行ったところ、東京で自立している子供達にないがしろにされる、というような内容です。何回か見たのですが、この日は、笠智衆と東山智栄子演ずる老夫婦の「子供と孫では孫の方がかわいいと言われていますが、どうですか?」「やっぱり子供の方がかわいいなあ」というような会話が妙に印象に残りました。
久しぶりに会う妹は、新米ながらもうすっかりお母さん。そんなに子供好きではなかったはずなのに、我が子にはめろめろでした。初めて見る甥っ子は、そりゃあもうかわいくて、ずっと抱っこをさせてもらいました。ただ、一日子守りをしただけなのに、体がぐったりで、子育ては体力がいるってほんとうなんだなあとあらためて実感しました。妹の子だから軽く子守りもするけれど、これが我が子で毎日続いたら正直耐えられる自信がありません。
父と弟はぼんやりしていましたが、母は初孫のためにわたし達をおぶったおんぶ紐やねんねこを引っ張り出してきたり、88歳の祖母はひ孫に歌ったり話しかけたり、家が明るんでいるのを感じました。
祖母、父と母、わたしと弟、妹と赤ん坊。こんなふうに家族全員が実家に揃うのは、この先も滅多にないでしょう。妹は初の実家へのお披露目と、関東での引越しの関係もあってお正月過ぎまで実家に滞在するようなので、その間にわたしもまた帰れたらいいな、と思っています。
ちなみに、甥っ子はキラキラネームを付けられており、今のところ家族は誰も名前では呼ばず、「んぼこ」(山形弁で赤ん坊のこと)と呼んでおります。
実家にいる間、BSで原節子追悼で小津安二郎監督の『東京物語』を放映していました。DVDも持ってるほど好きな映画ですが、せっかくなので見ました。
『東京物語』は今さら説明するまでもない名作映画ですが、老夫婦が尾道から上京して子供達に会いに行ったところ、東京で自立している子供達にないがしろにされる、というような内容です。何回か見たのですが、この日は、笠智衆と東山智栄子演ずる老夫婦の「子供と孫では孫の方がかわいいと言われていますが、どうですか?」「やっぱり子供の方がかわいいなあ」というような会話が妙に印象に残りました。
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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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