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川が好き。山も好き。
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1月15日が、仕事の最終出勤日でした。当初は、聞いていた話と業務内容や勤務形態が違っていたり、職場の上司陣の若さ(センター長が同じ年齢!)に戸惑ったりもしました。特に、女性上司達の派手なファッションやネイル、同期の同僚女性もギャル子ちゃんが多く、「ここはわたしの働く場所じゃないでしょう…」と場違い感でいっぱいで、きっと長くは続けないと思っていました。
 けれども、仕事自体は苦手分野ながらマイペースにできてやりやすく、人の入れ代わりが激しかった分、ギャル子ちゃん達が脱落していき落ち着いた人が残ってきて、働きやすくなってきました。人間関係もさっくりしていて仲良しさんもでき、勤怠についても融通が利くのも良くて、思ったより長く続けることができました。
 このまま続けることもできたのですが、世の中の流れもあってセンター全体の生産性も振るわなくなり、いろいろ状況も変わってきたので、契約更新せず、ここらで円満終了です。お疲れさま、わたし!
 
 生活のためだと割り切って、仕事をするために仕事をする、そんな日々です。でも、同じような人も多いのでしょう。生きてゆきます。

  こんな仕事こんな仕事と思いつつ就業できることのうれしさ

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 新年あけましておめでとうございます。

 年末年始は風邪で寝込んでしまい、文字通りの寝正月を過ごしました。仕事が休みに入った26日頃から体調があやうかったのですが、風邪薬などを飲んでなんとか落ち着かせ、30日には山形県米沢市の小野川温泉(米沢牛のすき焼きが最高に美味しかった!)などへ出かけたりもしました。けれども咳が止まらなくなり熱も出てきて、31日に実家に着くなり隔離されてしまいました。病院へ行って、インフルエンザではないという診断にほっとしたけれど、実家には妹の赤ん坊がいるので、ただの風邪でも感染すわけにはいかなかったのです。実家では母や弟も軽く風邪をひいていて、家中がぴりぴりしていました。妹のわたしに対する扱いも、「おねーちゃん」ではなく完全に「病原菌」で、赤ん坊を抱かせてもらうどころか徹底して会わせてもくれませんでした、かなしい。

 3日に戻ってきて4日から仕事、の予定だったのですが、ぐったりしていてあまりにも咳がひどく、声を使う仕事なのにガラガラで声も出ないので休まさせてもらい、結局今の今まで休んだまま、今年まだ一日も出勤していません。そして来週一週間で契約終了です。

 そうでした、誕生日を迎えて、厄年になったのでした。初詣にも行けず、早くも前途多難ですが、今年一年強く生きてゆこうと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。

  病床時のポカリスエットこそ美味し通常時の三割増しほどに

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 暖冬で未だ雪も見ていないので実感がわかないのですが、2015年もあっという間に過ぎてゆきます。今年一年をふり返ってみると、割と良い一年だったんじゃないかなあと思います。

 まずは、一年を通してずっと仕事をしていられたこと、社会保険に入れたこと。ほんとうにほんとうに普通のことだけれど、ここ数年はそのあたりがぐちゃぐちゃだったので、普通に社会生活を送れただけでも充分です。

 妹が出産して、伯母さんにもなりました。明日の12月31日には35歳になります。区切りの年齢ということでいろいろ意識もしますが、自分らしく日々を過ごしてゆきたいと思います。
 それでは、今年一年見守ってくださりありがとうございました。良いお年を。

  年賀状送る枚数少し増え良い一年ということにする

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あの君と出かけなかった小旅行を今この君の助手席で行く

  比べてるわけじゃないけどあのひとも車にカーナビ付けぬ主義だった

  「蝉の声すごいねぇ」ってまた言いき夕暮れ前の露天の風呂に

  貸し切りの露天風呂にて人四人ほどの距離空け浸かる二人は

  はだけたる紺の浴衣の裾にのぞく君の脛毛よ「滝」なる部屋に

  君と呼ぶ君のいつしか入れ替わりもう満開のひまわり畑

  わたしから忘れられゆく君のため涙を流す夕焼けも見ず

***

 年鑑回顧の12月号、わたしは「福島歌会の一年」を執筆させていただきました。

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月日の経つのはほんとうにあっというまで、12月の12日13日、結社の忘年歌会で福島県の飯坂温泉に行ってきました。
 なに分初めてなもので、方向音痴のわたしは「ちゃんとたどり着けるかなー」と不安だったのですが、仙台から福島への電車の中や、福島駅のホームなど、次々に参加者の方々と遭遇し、無事に会場まで行き着けました。



 飯坂温泉は、いい感じの鄙びた温泉街でした。葵館での歌会の後は、宿泊先の新松葉旅館に場所を移して懇親会。忘年歌会ということで、久しぶりに会う方や滅多に会えない方もいながら、話は尽きず、日を跨ぐほどの時間までの語り合いでした。またこの新松葉旅館というのが、絵に描いたような古い宿で、作りもいろいろ懐かしかったです、トイレの鍵とか。
 地味に衝撃的だったのが、宴会参加の男性陣全員がすね毛を剃っていた、という事実です。剃るものなのか、浴衣の裾からのぞくすね毛が良いんじゃないか!(参加メンバーのそれが見たいというわけでは、決してありません。)



 翌日は旧堀切邸へ。邸内の手湯や足湯が心地良かったです。部屋の貸し出しもしているということで、来年の歌会はここで行おうという話にもなりました。



 福島歌会へはわたしは普段は日帰りで行くのですが、わざわざ飯坂温泉に宿を取り参加してくる人のいるのがわかったような気がしました。わたしも金銭的に余裕があったらそうしたいものです。

  赤い帯うまく結べずスカートのように浴衣がひろがってゆく

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11月末に、実家に帰ってみました。関東に嫁いだ妹が赤ん坊を連れて帰省しているのです。赤ん坊を実家に連れてくるのは初めてなので、赤ん坊と会うのは初めて、妹と会うのもなんだかんだで2年ぶりです。
 
 久しぶりに会う妹は、新米ながらもうすっかりお母さん。そんなに子供好きではなかったはずなのに、我が子にはめろめろでした。初めて見る甥っ子は、そりゃあもうかわいくて、ずっと抱っこをさせてもらいました。ただ、一日子守りをしただけなのに、体がぐったりで、子育ては体力がいるってほんとうなんだなあとあらためて実感しました。妹の子だから軽く子守りもするけれど、これが我が子で毎日続いたら正直耐えられる自信がありません。
 父と弟はぼんやりしていましたが、母は初孫のためにわたし達をおぶったおんぶ紐やねんねこを引っ張り出してきたり、88歳の祖母はひ孫に歌ったり話しかけたり、家が明るんでいるのを感じました。

 祖母、父と母、わたしと弟、妹と赤ん坊。こんなふうに家族全員が実家に揃うのは、この先も滅多にないでしょう。妹は初の実家へのお披露目と、関東での引越しの関係もあってお正月過ぎまで実家に滞在するようなので、その間にわたしもまた帰れたらいいな、と思っています。
 ちなみに、甥っ子はキラキラネームを付けられており、今のところ家族は誰も名前では呼ばず、「んぼこ」(山形弁で赤ん坊のこと)と呼んでおります。

 実家にいる間、BSで原節子追悼で小津安二郎監督の『東京物語』を放映していました。DVDも持ってるほど好きな映画ですが、せっかくなので見ました。
 『東京物語』は今さら説明するまでもない名作映画ですが、老夫婦が尾道から上京して子供達に会いに行ったところ、東京で自立している子供達にないがしろにされる、というような内容です。何回か見たのですが、この日は、笠智衆と東山智栄子演ずる老夫婦の「子供と孫では孫の方がかわいいと言われていますが、どうですか?」「やっぱり子供の方がかわいいなあ」というような会話が妙に印象に残りました。

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国民年金保険料追納のご案内ハガキが届いた。去年の無職だった頃、国民年金の納付を免除してもらっていたのだ。

 印字されていた金額は、払えない額ではないけれど、今のわたしの月給の半分くらい。それなりに、大きい。
 免除してもらっていた分を追納すれば、将来もらえる年金が増える。免除分は、このままだと半額支給になる。老後のことは心配だ。とはいえ、手元の現金を一気に失うことは、こわい。それに、わたしが年金をもらう頃に年金制度がどうなっているか、破綻しているかもわからないし、手元に残しておく現金を将来のために貯金していたっていいし、自分のために遣ったっていい。

 結局、追納はしないことにした。悩むけれど、とりあえずは今を大切にしたい。

  文庫本しのばせてゆく晴れた日の国民年金免除手続き

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手のひらをゆるしてしまう手のひらを捧げてしまう獣のように

  階段をゆっくり上がってゆく恋だ来週たぶん鎖骨にさわる

  紐を引き蛍光灯を君が消す 蛍光灯が君越しに見ゆ

  産み終えしのちのいもうとの饒舌なメール キラキラネーム名付けて

  山吹のミツビシ鉛筆カバンから君は取り出し甥の名を聞く

  帰り来るもののあることうれしかり君が借り行く藤沢周平

***

 三首目の歌は、今月の百葉集に採っていただきました。百葉箱で吉川さんに「「蛍光灯」だけをクローズアップして歌っているが、恋の思いの溢れる一首」等々評もいただけてうれしいです。

 九月号特別作品評で森さんに「包丁の音」のタイトル歌の評もいただきました。丁寧に読んでいただけてありがたいです。

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年下の女の子に「DVDで恋愛映画を見たいからおすすめを教えて」と言われたので『ジョゼと虎と魚たち』を超絶おすすめしたところ、「エロ過ぎ。恒夫みたいな浮気男は最低。この映画のどこが良かったんですか?」と不評でありました。妻夫木聡さんと池脇千鶴さんが役柄にハマってて、くるりの音楽も良くって、いじらしくて、せつなくて、わたしは大好きな映画なんだけどなー。

 先日、仙台フォーラムで『先生と迷い猫』を見てきました。ファースト・デーで映画が1100円の日にお休みだったのです。わたしは偶然にレディース・デーや映画デーなどに休みが当たったら、映画を見にゆくことに決めています。
 妻に先立たれた一人暮らしの元校長先生と猫と、町の人達のお話。
 どれを見ようかな、『バクマン』も見たいな『岸辺の旅』も見てみたいなあって迷いつつ、これ!と選んだのだけど、一緒に見に行った方が途中で寝ていました…なんだか申し訳ない。そんなふうに少し地味な作品ではありましたが、人情味あふれるユーモアたっぷりのあたたかい映画でした。たぶんほとんどの観覧者の方々が猫に萌えている中、わたしは主人公のカタブツで偏屈な元校長先生を演じるイッセー尾形さんに萌えていました。ファンなのです。
 わたしはペットを飼いたくない主義なのだけれど、それはこの映画の最後に元校長先生が語る、猫を追い払おうとしていた理由と同じで、なんだか胸にくるのでした。


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 先日、山形美術館で「飛塚英寿――出羽の里びと」という展示を見てきました。写真家・飛塚英寿さんによる昭和30~40年くらいの山形の人達の写真。わたしは昭和55年生まれだけれど田舎の昔の文化が残っている地域に育ったこともあり、郷愁をそそられるものがありました。被写体が人である、というところがとても良かったです。表情や仕草、服装など、言葉のように胸に伝わってくるものがありました。特に、今は人が住まなくなっている白鷹町のある集落の人達の写真を興味深く見ました。同行の人のお祖母さまの故郷だったのですが、昔は普通に暮らしが営まれていたものの、山奥で不便過ぎたので集団で離村したそうです。そうした暮らしの風景や離村時の写真は、3・11の原発事故の放射能の影響で避難区域になり地元を離れざるをえなくなった福島の人達にも重なって見えました。
 常設展はピカソやシャガール、モネなどの絵画でした。が、写真展がすてき過ぎてあんまり印象に残っていません。
 
 写真は短歌に通じるものを感じます。この瞬間を切り取るかっていう感覚。写真展を観賞して、わたしは短歌の記録性に惹かれてるんだな、とあらためて気づきました。写真を撮るように短歌を詠いたい、と思いました。

 美術館の後は、久しぶりに山形市の街中、七日町を歩きました。中学生や高校生の頃、山形市に遊びに行くと必ず訪れていたaz七日町ビル、本を購った八文字屋書店、楽譜を求めた富沢本店、食事をしたイタリアンレストラン・チロル。郊外にショッピングモールができ始めたこともあり、山形の中心街は廃れてきたなんていう話も聞いていましたが、昔よく立ち寄ったお店は今でもがんばっていて、懐かしかったです。

  一人旅装うブログ打つ君の携帯カメラに写らぬわたし

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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