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川が好き。山も好き。
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あっというまに2016年も終わりです。今年は、仕事が4回も変わりました。嫌で次々に辞めたというわけでなく、最初から期限の決まっている短期の仕事で食いつないでいた感じです。もちろん長く働ける仕事を見つけたいのですが、空白期間ができるよりはとりあえずでも就業しようとの心でした。そのため安定はしていませんでしたが、一年を通して仕事にありつけたこと、仕事ができるような健康状態であったことは、幸福なことでもあったように思います。
 どの就業先でもそれなりに働けたことは、この先も仕事が変わってもそれなりにやってゆけるだろうという自信にも繋がりました。幸い、どこも人間関係も良好で、ほんとうに恵まれていたと思います。
 今の仕事は、きれいなオフィスビルで、休憩室の窓から観覧車が見えるのがすてきです。その仕事も春までだけれど、これまでなんとかなったのだから、この先もなんとかなるでしょう。

 この秋には秘書検定2級の試験を受け、無事に合格しました。3級より2級の受験を勧めてくれた同僚さんが問題集を譲ってくれ、ありがたいことです。この先の仕事に結びつくようなことはないと思うけれど、この年齢になっても勉強ができたこと、結果が出たことはうれしいです。

 新しいパソコンも買ったのです。買おうと思ってから3年かかったのですから、わたしの腰の重さたるや相当です。その間に、店頭に並ぶWindowsも8から10になっていました。新しいパソコンはまだ慣れないけれど、それなりに満足してます。
 
 今年は仕事が何度も変わったせいか、前半のことも遠い昔のような不思議な感覚です。そういえば今年は、15年書き続けていた日記を千切って全部捨てたりもしました。ゴミ袋いっぱい分はあり、処分に半日かかりましたが、すっきりしました。この世は無常なのだということを胸に置いて、過去にとらわれず、今を大切に生きてゆきたいと思います。

 それでは、今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。

  日記帳を破り捨てたり入院の勧めをはねて帰りたるのち

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ラブレターを書きました。便せんは、灯台の絵が描いてある、夜空の色とお月さまの色の枠線のものを選びました。あらたまって、拝啓から書き始めてゆきました。南陽市の熊野大社のうさぎの御守りをくれたことや、日曜朝10時の小川洋子さんのラジオ番組を教えてくれたこと、出張中の新幹線の窓からわたしのアパートを探してくれたことなどへの、ありがとうの気持ちを綴ってゆきました。
 書き終えて、「好き」や「愛してる」の言葉がないことに気づきました。「さようなら」と「またね」は書きませんでした。
 何回も何回も何回も読み直して、これでいい、と思いました。仕事帰りの薬局でふと目に留まった、ニベアの青缶を同封しました。封をして、海原へ船を送り出すように、手放しました。遠く行くように、心の中で手を振りました。

  変換に慣れた右手で辞書を引く少しまじめな君への手紙

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アパートの更新手続きの書類が届きました。
 前々回は3月中旬が期限で、普段は腰の重いわたしが奇跡的に東日本大震災の数日前に更新の手続きを済ませていました。震災後ふた月ほどは公共料金等の様々な事務処理が混乱していたため「早めに手続きしてよかったー!」とほっとしたのを覚えています。だから、前回の更新が来た時は、あれから2年になるのか、と感じ入るものがありました。それからさらに2年が経ったというのだから、月日の経つのはほんとうに早いものです。

 今の部屋に暮らして、もう15年になります。築20年だった部屋が築35年になるので、古い部屋です。震災でひび割れた壁紙もそのままで、母などは引越しを勧めてきます。
 わたしが同じ部屋に暮らし続けるのは、引越す理由がないからです。物件探しがめんどくさい。住所変更の手続きや、それにまつわる諸々の手続きがめんどくさい。部屋の荷物をまとめたり運んだりする引越しそのものがめんどくさい。そして、環境の変化は大きなストレスだから、心の弱いわたしには大きな負荷になります。
 とはいえ、ずっとこの部屋に暮らし続けたい、というわけではありません。確かに、今の住居は住みよい場所で、図書館にも近いところが気に入っているけれど、然るべき理由があれば、ぜひにとも引越したいのです。

 時々、夜道を歩いて仕事から帰宅し、ドアを開けた瞬間、「わたしは15年この部屋に帰ってきたのだ」という事実がふいに思われて、泣き崩れてしまうことがあります。普通の人は15年も一人暮らしなんて続けません。普通に生きていたら、途中で誰かと暮らし始めたりするものです。
 わたしより年上にして初めて一人暮らしになった知人も、当初はよく「さびしくておかしくなりそう」と電話をかけてきてくれましたが、数月もすれば男の人が転がり込んできて、一人暮らしではなくなっていました。

 一日の終わりに、今日もらったレシートの内容をノートに書き留め、明日のお弁当の準備をし、シャワーを浴びます。電灯は一晩中点けっぱなしのまま眠ります。常夜灯は質素な生活を営んでいるわたしの、ささやかなぜいたくです。仕事が休みの日には、洗濯や掃除などの溜まった家事をして、スーパーや八百屋さんに買い出しに行き、おかずの作り置きをします。
 そんな暮らしを、15年続けてきました。

  この部屋を出たいけれども ベランダの鉢に大葉の種を植えたり


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孤独死をずっと恐れていました。わたしが死んだら、誰が気づいてくれるのでしょう。侘しい部屋の中でひっそり横たわる自分の想像が浮かんでしまうのです。一人暮らしを始めた頃からずっと抱いていた不安は、2011年の3月に東日本大震災を経験して、さらなるものになりました。思いつめるあまり、一時期は神経症にまでなったほどです。

 最近になって、孤独死なんてきっとしないんだな、と思えるようになりました。
 先日、通勤途中の駅でエスカレーターを上る途中、倒れてしまいました。朦朧とした意識の中で、汗びっしょりだったらしいわたしに拭くものを差し出してくださったり、何人もの人が心配してくださるのが見えました。そのうちの誰かが駅員さんを呼んでくださり、駅室で休ませていただくことができました。通勤時であるからにしてみなさん忙しいでしょうに、ほんとうにありがたいことです。
 夏にも、道端で倒れたことがあったのでした。体調不良で仕事を早退し、駅を降りて自宅まで10分というところでした。その際は、犬の散歩で通りがかったおじさんと、デイサービスの仕事で送迎中の介護士さんが、近くの消防署に駆け込んでくださり、救急車を呼んでくださいました。このまま自宅に帰って休むから大丈夫と言い張るわたしに、みなさんが病院へ行くことを促しました。

 なんて優しい人ばかりの世の中でしょうか。こんなに優しい人ばかりの世の中だから、外に出れば孤独死なんてしないでしょう。それは世の中に対する大きな信頼です。そして、わたしも、自分がしてもらったように、見ず知らずの人にも優しくありたいと思うのでした。

  たくさんの優しい人が尻込みするわたしを救急車に乗せてゆく

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赤子なるいもうとの子と話す時のわれの一人称の「伯母ちゃん」

  年上の義弟とわたしの真ん中で妹は授乳はじめる居間に

  逢引きの誘いを蹴って歌会へと向かうわたしよ 行き遅れるな

  わたしには歌しかあらず歌のみにすがりついてた日々もありたり

  二十時の学童保育こうこうとボール遊びをする子らが見ゆ

  「妊娠の可能性は」「ないです」の会話ののちに行う検査

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いよいよ東北にも雪が降ってきました。
 13日に、友人と山寺へ行く予定がありました。やっぱりこの時期は雪のことが心配だったので、ほんとうはもう少し早い日にちにすればよかったのだけど、わたしの仕事のシフトの関係で12月も半ばになってしまいました。

 山寺こと立石寺は地元なので何度か行ったことがあります。けれど、山寺が縁切り寺として知られていることは、この度の下準備の中で初めて耳にしました。日常に張り合いがないという話の流れでなんとなく「山寺とか行きたい」と口にした友人も、そうと知っていたわけではないでしょう。
 信心深くないわたしではありますが、悪縁を断つための願掛けの場所に、思いがけずこのタイミングで誘われたということに、なにか因縁めいたものを感じました。運命が、わたしの手を引いているのかもしれない。そうだ、階段を上り、奥の院から絶景を望みながら、思いを断ってしまおう。いっそ清々しい気分で、わたしはその日を待つようになりました。

 「ダメそうですね。暖かくなったらにしませんか?」とメールが来たのは、山寺参拝を2日後に控えた朝のことです。雪の少ない仙台にも本格的な雪が降り、街が白くなりました。山形、まして山の上ならなおのことでしょう。つい2日前まで冬用のコートも羽織らなかったのに、天気予報でも大丈夫そうだったのに、わからないものです。
 
 縁切り寺への参拝は、こうして頓挫しました。雪が降ったので友人と遠出して遊ぶ約束がなくなった、それだけのことです。それでも、不思議なめぐり合わせめいて、切ろうとしていた縁が繋がったということなのかな?なんて、降り続く雪に問いかけてみたくなるのでした。

  伝えないことには伝わらないことがいっぱいあって降り積もる雪

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新しい恋を始めた後輩を祝いそれから延期の女子会

  ペットロス克服のため飼われたる死んだ小犬と似たような小犬

  われの産む子は平成のその次の世の子か南に旅の宿とる

  心病むおとうとを持つ姉であることも一人っ子の友は羨む

  雌と決め犬飼い続く友なりき避妊手術はさせず、生ませず

  心病むおとうとの持つ遺伝子の森深くわれは子を生まぬなり


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やっとパソコンを新調しました。なにしろ、これまで使っていたパソコンが2005年モデルという有様なので、10年後の世界にタイムスリップしたような感じです。とりあえずインターネットには繋げられたものの、メール設定はさっぱりです。いろんな窓口をプロバイダのメールアドレスにしていたので、なんとか馴染まなくてはいけないのだけれど、やっぱりシンプルなOutlookExpressが恋しいです。おすすめのメールソフトがあれば教えてください。

 難儀しているのはメールだけではありません。デジカメのデータを取り込もうとしたら、カードリーダーがありませんでした。蝦ちゃんのCMがかわいくて当時は最先端だった機種に使われていたXDピクチャーカードは、今の主流ではないため、新しいパソコンでは対応していないのでした。デジカメ自体には何の問題もなく使い続けていたため、記録媒体のカードが衰退していたことに全く気付いていませんでした。
 当時、デジカメ売り場で大きなパネルになって笑っていたOLの教祖的存在の蝦ちゃんも、今ではすっかりすてきなお母さんです。10年の時が流れれば電化製品も変わるし、人も変わります。いつまでも立ち止まっているようなわたしも、10年前とはどこか変わっているのでしょう。
 10年前のわたしより、今のわたしの方がいい。そんなふうに、次にパソコンを買い替える頃、今のわたしよりしあわせになっていたらいいな。そんなことを思うのでした。

 なんとなく、ブログタイトルをマイナーチェンジしてみました。それはそれで、引き続き、どうぞよろしくお願いします。

  飴色の玉ねぎ一人デジカメで撮ってブログにアップしたい夜

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くたびれたペタンコ靴で踏みしめてゆく駅までの道や暮らしや

  ひもすがら蛍光灯をひからせてオフィスオフィスとにぎやかなりき

  凌様と名を打つ時は凌辱と打って一文字消し入力す

  函館への旅の約束いつしらに流れてゆけり握り飯食む

  駅前のスターバックス四階に心療内科とろりとありぬ

***

 函館、行きたかった…。今の職場の休憩室の大きな窓からは、函館へ向かう新幹線が見えるのです。

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また家が壊されている十五年わたしが通った道だ、一人で

  余震なり臨時ニュースの声も灯も揺れ湯あがりの身は冷えてゆく

  この部屋を出たいけれども ベランダの鉢に大葉の種を植えたり

  「大安だー」と祖母はよろこぶ初めてのデイサービスに赴ける日を

  牛乳を買いに自転車走らせるわたしの肩にてんとう虫は

***

 今月号の「特集 マンガと短歌」にもエッセイと短歌を載せていただきました。漫画にまつわる、活字にはなってなかった短歌があり、過去作なので今さら月詠に出す感じでもなくて、でも思い入れのある一首だったので、こうした機会があってよかったです。皆さんのエッセイも愛にあふれて楽しく読みました。
 選歌欄評で、川上さんにほうれい線の歌の評をいただきました。思いのほか寄り添って読んでいただきありがたいです。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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