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川が好き。山も好き。
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カレンダー一枚残し破る時の長袖からはみ出す手の温度

  この冬に女二人で行く山の縁切り寺の郵便ポスト

  地下鉄の窓に映れる新しい髪形が全然似合わない

  いつまでもわたしが待っているなんて思わないでね 駅に雪片

  もう遠くなりたるひとを万華鏡のぞくみたいに思い出しおり

  泣き浸り飯坂温泉に目覚めれば佐藤*子に眉毛切られる

  ベランダに干した大根ほそりゆきたり この冬も一人で生きる

  繋がった縁かと思う山雪に縁切り寺への予定が飛べば

***

 (個人情報に配慮して伏字にしました。)

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石巻市へ行ってきました。今年初めに友達が石巻市へ引っ越したのですが、きっとそのうち結婚の準備などで忙しくなると思ったので、今のうちに遊びに行こうと思ったのです。
 地図や路線図で見ればずい分遠いように思えていたのですが、震災後の2015年にできた仙石東北ラインに乗れば一時間程度で着きました。車窓から海が見えるのも良くて、高速バスにしようか悩んだけれど、電車にしてよかったです。



 改札から漫画のキャラクターがお出迎え。わたしは石巻市自体が初めてだったのだけど、下調べしていた復興商店街などはもうなくなっているようで、駅の周りはもう復興が進んでいるんだなあと感じました。
 友達と会い、適当なお店でお昼ご飯。ランチセット700円で海鮮丼とラーメン、サラダ、お新香、カレー(ルーのみ)、食後のミルクティーというボリューム、海鮮が食べたかったので満足です。

 それから宇宙船のような不思議な形の石ノ森萬画館へ。街のあちこちに立つキャラクターを追って行くとたどり着きます。マンガロードというそうです。当初の予定にはなかったけれど、なんとなく入ってみたらこれが結構おもしろくて、漫画の世界に入り込んだようでした。ファンの方やお子さんなどがよろこびそうです。ベンチに座る仮面ライダーと並んでツーショット写真を撮りました。



 友達とも久しぶりに会ったので、おしゃべりも尽きず。新生活の話を聞いては「いいな~」「いいな~」ときゃっきゃきゃっきゃしてました。彼女はほんとうに性格が良くて愛嬌のある人なので、こんなふうになりたいなとこっそりお手本にもしています。そんな彼女がしあわせであるということも、とってもうれしいのでした。
 また、石巻市へ生活の場を移したことは、友達自身の幸福はもちろん、石巻市の復興でもあるように思いました。

 石巻市へ行くにあたり、気になっていたのが石巻こけしです。呉服屋の若旦那が震災後に石巻を思って作り始めたのだそうです。東北の伝統こけしではありませんが、波や魚など海をモチーフにした模様がとてもかわいい。お店での在庫が3体でしたが、こけし集めと応援の気持ちで買いました。



 遠い場所だと思っていたのに、思っていたよりずっと気軽に行けたので、また行きたいです。そして今回は見送った石巻焼きそばを食べたいです。

  石巻焼きそば屋台の列長し仙台泉区花火大会

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携帯電話を機種変しました。これが、思いのほかストレスだったみたいで、自分でもびっくりしています。びっくりするくらいのひどい喪失感です。

 初めて携帯電話を契約するはめになった時の方がもっとひどくて、あまりの心労で一気に連作まで詠んでしまったのを覚えています。吐き出すような歌だったから、あまり良い歌ではないのだけれど。当時の上司から連絡のために買ってほしいと言われたのでした。

 そののち、あんなに拒否感のあった携帯電話にも慣れてゆくものの2年ぐらいで故障してしまい、強制的に機種変となりました。予定外のことで、震災直後だったこともあり、あわあわしたものです。そして、流されるまま手にしてしまった後継機のデザインがどうにも好きになれなかった。なんでこんなところにロゴが…なんだこのランプの形は…。

 不服な思いで6年。キャンペーンとかなんとかにつられ、勢いで機種変をしてしまいました。ただ、やっぱりキャンペーンとは言ってもいろいろ言葉の罠があるわけで、そううまい話があるわけもないのでした。よく考えたら不満はデザインだけで、新機能なんて別に不要なのでした。それに、わたしはなんでも一括購入したい派なので、機種代の分割払いがどうにも性に合わず、借金に追われるような居心地の悪さなのです。
 
 取り返しのつかないことをしてしまった。と、しばらくの間うろたえてしまいましたが、ショップの人が「できない」と言っていたメールのデータなどの移動が自分で全部できたので、気持ちが落ち着いてきました。ああ、文字だって新しい方がきれい。
 最初の携帯電話が突然電源が入らなくなって大事なメールも思い出の写真も全部消えてしまったことを思えば、そのようになる前に対処できたのはよかったことなのだ、と思うことにします。6年も使っていればきっとゆくゆく壊れたのだろうから。

 たかだか携帯電話くらいでこんなに動揺していたら、この先の人生ちゃんと生きてゆけるのか、と心配になります。でも、たぶん携帯電話に対してだけです。それだけ、携帯電話というものに対する違和感が未だに残っているのでしょう。
 新しいものを手にしたはずなのに、どうして喪失感なのか。出費というものもあるけれど、なにより自分を失くしたような不安感な気がしています。

  いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話

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休日とはいえ一日を自堕落に過ごしてしまうと後悔します。昨日は、図書館へ行こうかな、買い出しに行かなくちゃ、大掃除もしないと、などといろいろ予定を考えていたのに、ほとんど日中を眠ってしまいました。

 午前中にぼんやり起きているうちに洗濯はしたものの、お昼に眠ってしまい、日も暮れた頃にようやく起きて干すような有様です。
 買い出しにも行く気力がなくなっていましたが、鶏肉とネギと卵があったので有り合わせで親子丼を作ることができました。鶏肉が買い置きしていた業務用の冷凍ひき肉だけど、気にしない! お肉がない場合は、ツナ缶や、豆腐、油揚げ、ちくわなど、あるもので適当に代用します。おかげさまで、今まで献立に悩んだことは一度もありません。あるもので適当にいろいろ作れるのは特技と言ってもいいでしょう。以前に作って小分けに冷凍しておいた金平大根や里芋のそぼろ煮、鶏の照り焼きなどのおかずもあったので、翌日のお弁当もなんとかなりました。

 ひがな一日一歩も部屋から出ず、誰とも一言も言葉を交わしませんでした。そんな時、わたしはこの世にいるのかな?と奇妙な思いにかられたりします。
 米のとぎ汁を、種を蒔いたばかりの紅花の鉢に撒きました。

  独り居の友ことごとく犬猫と暮らしておれどわたしは飼わず

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地元について調べていたら、町で紅花の種のプレゼントをしていることを知りました。久しぶりに紅花を育てたくなり、早速ホームページから申し込みました。すると、もう次の次の日くらいには届いていました。思いのほか対応が早くてびっくりです。全国各地で咲かせてほしいとの思いがあるそうなので、興味のある方はそれっぽい言葉で検索してみてはいかがでしょう。

 種蒔きの時期は4月上旬から中旬ということなので、しばらくしたら蒔こうと思います。
 花が咲いたら紅花染めがしたいのだけど、「だれにでもできる紅花染め」という案内がついている割には、薬品などが必要で誰にでもできる気がしないのでした。花を摘んで料理に入れてみたりするのがよいのかもしれません。また、間引きした葉はお浸しにして食べられるのですが、これが結構おいしいのでした。

 紅花の種の他に、地元のパンフレットがいくつか同封されていました。肉中華とカツ丼がどうしようもなく食べたくなりましたが、今の仕事は連休が取りにくいためなかなか帰省もできないのでした。そろそろ祖母にも会いたいです。

 一〇〇均で鉢と土とを購いてふるさとの花、紅花を蒔く

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今の職場はシフト制なので休日や休憩時間はそれぞれです。それでも、合えば一緒にお昼ご飯を食べるような間柄の人が数人います。
 最近、すれ違いざま「*日大丈夫?」「お店は**で…」等々、どうやら飲み会の企画があるような声が聞こえてきました。けれども、わたしは一向に誘われません。
 だからといって、「えー?何の話?飲み会?わたしも混ぜて―!」なんて首を突っ込むことはしません。わたしも大人です。ああ、陰では良く思われてないんだな、と察しつつ、これまでと変わらず業務に差し障りのないように努めるのみです。

 みんな大人なので、表面上の付き合いは誰とでもできるのでしょう。わたしとしても、職場の人とプライベートでも仲良くしたいという希望が格別にあるわけではありません。
 ただ、同じように親しくしていたように見えた仲間内の中で、こうした集まりにはじかれてしまう理由がわたしにはあるんだな、と自分を見つめなおす必要性を考えるのでした。

 いつもヘラヘラしていて胡散臭いのかもしれない。知らないうちに無神経な発言や、上から目線な発言などをしてしまったかもしれない。自虐的な面があり人を疲れさせてしまうのかもしれない。承認欲求が強いように思われてめんどくさがられたのかもしれない。いい人になろうという気持ちが見え過ぎて偽善的なのかもしれない。変な恰好や変なメイク、変な髪形をして浮いているのかもしれない。わたし自身に人を警戒する心があり壁を作っているのかもしれない。一人反省会です。

 ある日、3人で昼食を取っていた際、「*日の飲み会のお店が~」と話が始まりました。ああ、目の前でわたしの参加しない飲み会の企画の話をされるまでに、わたしは嫌われてしまったのか。でも、わたしも大人です。平然と、適当な笑顔を浮かべつつ、ご飯を食べ続けるのみです。
 すると「おともさんも行くよね?」と確認されました。

 なんのことはない、何人かに声をかけていて、わたしにも既に誘っているつもりだったのだそうです。「そうでなければ目の前でこんな話しないでしょう」って、そりゃあ普通はそうですよね。
 飲み会は、3月で退社する人達の送別会でした。わたしはお酒が飲めないのでソフトドリンクだけれども。

  酔ったらばあらわれるという正体を酔えないゆえに一生知れず

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少しだけ一緒に仕事をしたことのある人に「話したいことがあるから」とご飯に誘われました。
 第一印象が悪かったという理由で彼氏のお母さんに結婚を反対された、という愚痴でした。お母さんひどい! と、共感してあげればよかったのかもしれませんが、正直わたしも自分に息子がいたとして連れてきたお嫁さんがこの人だったら絶対に反対するなあ、と思ってしまうのでした。

 人に対して「嫌だな」と思った時、投影の心理が働いているということを聞いたことがあります。自分で自分に抑圧していることを、人が平気でしているのを見るとイライラしたりするのだそうです。
 わたしは、人前では愛想良くしなきゃいけない、みっともないから色惚け話はしない、乱暴な言葉遣いはしない、自分の話ばかりしない、というような禁忌を自分に強いているから、それらを目の前で犯すその人といると、モヤモヤしてしまうのでしょう。

 お母さんに結婚を反対された、という愚痴から始まりましたが、結局は、彼氏がお母さんより私を選んでくれた♡という惚気話でした。
 わたしに欠けているものは何なのか、わたしに余計なものは何なのか、気づきかけているような気がします。

  鉢一つ抱えておりぬ割れぬまま割らぬまま冬しずかに暮れり

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最寄りの駅までの道の途中に、保育所があります。通勤途中に、保育所へ通う親子連れと行き合います。保育所に通うのは6歳までだから、あの場所は完全に震災後の時間が流れている世界なのだな、とながめています。そんなことは来年以降は当然のことなのだけれど、震災の6年目という年にことさら意識してしまいます。
 震災後に生まれた子供を連れているお母さん達も、わたしと同世代か少し年下くらいのごく普通の女性です。自分の子が欲しい、生みたいという気持ちは強くないわたしではありますが、結局生まない方の人生を歩んでしまったな、という心の風が吹くのでした。

 6年目の3月11日である今日は、まったく普通に仕事に行きました。午後2時からしばらく業務を縮小したほかは、まったく普通の一日でした。今の暮らしの中で思い悩むことはいくつかあっても、それは震災とは関係がありません。くるしみのなにもかもが震災に繋がっていた頃を思えば、もうそののちの日々を生きているわたしです。震災を引きずっていた時は、こんな日がくるとは思いもよらず、一生ものの傷を負った気がしていました。
 わたしの中の震災が過去になってきているからこそ、他の人の被災に対して「わたしだって震災のせいでつらい!」と嘆くことなく、素直に目を向けられるようになりました。そして、まだ痛みの中にいる人のために、わたしにできることがあれば、なにかしたいと思うのでした。

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腋の毛が半袖シャツからはみ出している恋人と夏を過ごさず

  一人という家庭のかたち日曜のベランダに干す一つの枕

  日曜の午後四時過ぎに地震くるジャガイモ五つ茹でていた時

  待ってとも待たないでとも言われずに過ぎてゆく秋コンビニへ寄る

  いちぢくの味も知らずに三度目の本厄を生きゆくわたしなり

  くちづけがしたい月夜の帰り道にわたしが拒んだ梅雨の続きの

***

 12月号選歌欄評にて、こうこさんに「付き添いはいません」の歌を取り上げていただきました。ご一緒している歌会などでも、評を受けてあらためて気づかされることもあり、ありがたいです。

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カウンセリングに行ってみました。自分の心に向き合いたいと思ったのがきっかけです。思い悩んでも友達には相談しにくいこともあるし、心理などの本を読んでも変に知識がついて余計に考え過ぎるようになってしまった気がしたのです。専門家の人に客観的な意見を伺えればいいし、ただただ話したい気持ちを満たすだけでもいいと思いました。
 ただただ話すことを目的として「占いに行ってみようかな?」と言ってみたら母や友達に大反対された、という経緯もあったりします。同じくらいの金額ならば、カウンセリングを受けてみたいと思いました。

 カウンセリングルームは、雑居ビルのようなマンションの一室でした。カウンセラーは女性の方で、向かい合うでも並ぶでもなく斜めに座りました。飲み物やお菓子が出ました。
 まずは木の絵を書きました、バウムテストです。カウンセリングっぽい!わたしは木の上部が紙に収まらないように描いていました。無意識なのですが、数年前に別件で木の絵を描いた時にも上部が収まらないように描いていて、ハッとしました。他にも書き上げる時間や筆圧、木の種類や位置などでいろいろ解釈できるようです。わたしの結果は、未来への思いがあって割と男性的とのことでした。

 こういうところでは必ず成育歴のことを聞かれるとは思っていたのですが、その辺りは別にもういいような気がして、そっちへ話が行かないように、昔は確執もあったけれど今は感謝しているし良い親だと思っていると答えました。
 けれども、どうしてそう思うのか聞かれて、たとえば人に親切にしてもらった時に菓子折りを送るような常識を親を見て学べたこと、お酒やギャンブル、不倫や離婚などをする親ではなかったし、荒れた家庭ではなかったことなどを挙げたのですが、「それって、別に親じゃなくてもいいよね。たとえば施設の職員や、私が同じようにすることもできるよね」と返ってきました。「でも」「でも」と、わたしは自分の親を良く思っている理由をたくさん伝えたのですが、言えば言うほど「無理に良く思おうとしてるみたい」とのことでした。そもそもの話、理由がどうとかではなく、本来は生んでくれただけで親ことを好きと思うものなのだそうです。

 ぐさぐさきました。

 ふり返ってみれば、わたしは親だけでなく、友達や恋人に対してさえも、好意の理由付けをしています。別に、条件で人を選んでいるわけではありません。ただ、気持ちが先にあっても、その自分の気持ちの理由をいちいち考えてしまうのです。そして、自分が誰かにとくべつに思ってもらえた時も、理由があるのだと信じきっていました。
 愛は理屈じゃないとか、ありのままの自分でいいとか、慣用句のように聞きなじんていたと思っていたのに、わたしは他人事だったんだなあと思い知りました。また、自分がさらっと流そうと思っていた話から根本的な歪みが見出されたことも意外な展開でした。

 他にもいろいろ話をしましたが、何気ない会話に見せかけて自分の心を開かされている感じがしました。中には、これはアスペルガーかどうか探られている流れなのかなあ?と思うものもありましたが。けれども、自己分析だけではたどり着けなかった自分のいくつもの心に気づかせてもらえました。自分が「嫌だな」と思ったことを大事にした方がいい、というのも胸に留めておこうと思います。

 大き目のカップに淹れてもらったコーヒーはいつの間にかすっかり冷えていて、少し残しました。飲みきるのが礼儀なのかなと迷ったり、ミルクの量や砂糖の数も実は診断材料なのだろうかと構えたりもしました。
 通勤と同じ地下鉄で帰りました。ちょうど去年の今頃の仕事で降りていた駅は懐かしく、天井の星のアートのひかっているのがにじんで見えました。
 
  父母が恋愛結婚じゃないからわたしは愛の結晶じゃない

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HN:
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性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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